「――……あ?」
視線の先に見える布団。真っ暗だから分かりにくいけれど、今自分が使っているものにはこんな柄が付いていただろうか。眉を顰める。
それに。
「どうした」
後ろから包み込むように抱き締めてきているこの男は一体誰だ。
背中越しでも十二分に分かるほど体は鍛えられていて、絡みついてくる腕はずっしりと重い。どこかで聞いたことがあるような声をしている。誰だったか、と頭を働かせるもピンと来ない。
一瞬敵かと警戒したが、それにしては言葉尻が甘ったるい。爆豪よりも大きく長い四肢はまるで守ってくれているよう。二人分の体温で温まっている布団の中は、うっかりもう一度眠ってしまいそうなほどの安心感。うとうと、と重くなる瞼は、頭を振ってなんとか持ち上げた。後ろにいる男は、顔を後頭部に摺り寄せてくる。髪の毛の感触を鼻先で堪能し、耳元へ。
「眠れない?」
「――ッ!」
鼓膜を直接震わされたような、低く掠れた声にゾクゾクと背中が震えた。男が好きなわけでも、興味があるわけでもないのに、何故かこの男の声が気持ちよく感じて仕方ない。なんだこれは。体の反応に頭がついて行けずパニックになる。思わずもぞりと動けば、密着している男の体に擦り寄るようになってしまう。男にはそれがどう伝わったのか、爆豪には分からない。けれど、フッと耳にかかる息が笑った気がした。
「誘ってるのか?」
さっきあんなにシたのに。
言いながら男の薄い唇が耳輪を辿り、そうかと思えば甘く前歯で噛んできた。痛くはないのにピリピリと電気が走っていく。
爆豪とて男の言う「誘う」の意味が分からないほど子どもではない。知識だけはそれなりにある。こんな状況になったことは残念ながらまだないが、ここで間違っても頷いてしまうとどうなるかくらいは分かる。だから慌てて、それ以外を深く考えるより前に首を横に振った。
「そうか。残念」
執拗に追いかけられることなく顔が離れたからホッと息を吐いたが、それも束の間。爆豪が状況を把握しようと動くより先に男が動いた。
「ヒッ……!?」
ぬるり、と。解放されたはずの耳に、耳孔に、肉厚の舌が入り込んできたのだ。思わず悲鳴じみた声を上げてしまったが、男には届かなかったのだろうか。止めてくれる気配がない。くちゅ、と頭の中に直接響き渡る水音に体が震えた。決して怖いわけではない。怖いわけではないが、ドクドクと心臓が脈打って体が強制的に熱くなっていく。舌先が耳孔から離れて、輪郭をなぞるように動くだけで吐息交じりに声が漏れる。それが嫌で自分の両手で抑え込む。
「……相変わらず、耳、弱いな」
「っ、くそが……!」
弱い、という言葉に反応して手の中で悪態を吐いたが自分の声が自分のものじゃないみたいだった。妙に弱々しく、甘く感じる。これでは男の言う通りじゃないかと唇を噛んだ。兎に角この男から離れなければ。物理的に距離を取って状況を把握したい。爆豪は男の腕から抜け出して、更にベッドからも出て行こうとして、しかしそれは叶わなかった。
一瞬早く、男の腕が薄っぺらなTシャツの中に入り込んできたのだ。体温の低い大きな手の平に腹を撫でられて動きが止まる。
「悪戯していい?」
――いいわけあるか、ブッ殺すぞ!
そう怒鳴り散らしてやろうと、ついでに誰と間違っとんだと言おうと、首を男の方へと向ける。だが、怒鳴る予定だった唇をあっさりと奪われた。無防備に開いていた唇に舌が割り込んでくる。手慣れたように口腔内を散々荒らされて、歯の一本一本を舌で確認される。
「んんっ!」
誰ともまだこんな雰囲気になったことがない爆豪にとって、これがファーストキスである。
唸って暴れてみるも男の体はビクともしない。噛み付こうとすれば舌で上顎を撫でられて力が抜けてしまう。例これが初めてのキスであろうと、男のテクニックには到底敵わないのが身を以て分かってしまった。きっとこれが布団の中ではなく、立った状態ならばきっと腰が抜けていたであろうことも簡単に想像できた。このままでは食われてしまうのではないかと頭の中で警鐘が鳴り響く。
(くそ! なんなんだよ! 腹立つ面ァ拝んでやりてぇのに、焦点が合わねぇ……ッ)
じわじわと潤んでいく涙と、濃い影のせいで男の顔はよく見えない。更にTシャツの中に入り込んでいる手が、触れるか触れないかの際どい距離間で肌を擽ってくるものだから思考がままならない。男の舌のせいで息もうまく出来ない。唾液が溢れて口端から零れていく。逃げたいのに、距離を取りたいのに、一ミリだって動けずにされるがまま。
「随分と初心な反応をするな。いつもみたいに怒らないと、止まらんぞ」
切羽詰まっている爆豪を余所に、男は楽しそうだ。唇を擦り当てたまま宣言通りに体を弄っていた手が本格的に動き始める。女性にでもするように胸に手を宛がって、しっかりと胸筋の付いたそこを揉むようにして触る。
(ふっ、ざけんな……ッ!)
気を抜けば蕩けてしまいそうになる頭でいっそ爆破してやろうかと考えていれば、
「……お前、胸小さくなったか?」
なんて男が言ってくるものだから、爆豪はプツンと血管が切れた。瞬時に脳から伝達を受けた右手が素早く男の顔へと翳されてBOOM!と音を立てて爆破、――するはずだった。
「いきなり個性使うことないだろ」
爆豪の右手はうんともすんとも言わない。煙の一つも上げない。これではまるで。
(個性がなくなった……じゃねぇ、消されたんだ)
思い浮かんだ仮定は一瞬にして確信になる。つい先ほどまでキスをしていた男の両眼が赤く煌いている。爆豪はその瞳をよく知っている。まさか、と息を呑んだ。
「せ、んせ………?」
「ん? なんだ、懐かしい呼び方だな」
驚きのあまりポロリと零れた呼称は、男に否定されることはない。つまり今ここにいる男は、抹消と言う個性を持った、爆豪の現担任である相澤消太で間違いがないのだ。
「……あ、んた、ここで、なにして……おれ、せんせ、と、き、きす………」
限界まで目を見開いて爆豪が戸惑った声で言えば、相澤は暫く黙り、そうかと思えば飛び起きた。
「……お前、まさか……!」
二人が包まっていた布団が剥ぎ取られる。次いでベッドボードに備え付けられていた照明のスイッチを押す。ほんのりとした暖色系の明かりが二人を照らして、ようやっとお互いの姿格好をちゃんと把握できた。相澤は爆豪を上から下まで確認してから頭を垂れた。
「爆豪、自分の年齢を言ってみろ」
「じゅう、ろく」
そうか、あれは今日だったのか。
困ったように頭を掻いている相澤は、爆豪の知っている相澤とは別人のようだった。
***
「じゃあ二十六の俺がクソモブに個性かけられたせいで俺が此処にいるんか」
「そう。確か個性は時間経過で解除されるから、ちょうど日付が変わるころには戻れるよ。あとクソモブって言わない。一般市民」
明るく広いリビングにあるソファで、相澤が作ってくれたホットミルクを一口。砂糖が入っているのだろうか。ほんのりと甘い味が体中に広がって、ようやっとホッと息が吐けた。
「……爆豪だということにすぐに気付いてやれなくて、すまなかった」
隣に座っている相澤に頭を撫でられる。その手の平は先程までのものとは違って、よく知っている相澤の手の感触に似ていた。十年経とうとこの人の本質が変わっていないことを表している気がして安心した。
「別にいい」
「でも急に襲われたら怖かっただろう?」
「こっ、怖くねぇわ! なめんなクソが!」
「そうか。でもごめんな」
低く唸って噛み付いたところで相澤はするりと躱す。顔色ひとつ変えない。十六歳の子どもが少々怒って怒鳴ったところで、四十歳にはどうってことないのだろう。よりいっそう開いてしまった歳の差と経験値に爆豪は悔しそうに口元を歪めた。気分を落ち着かせるためにホットミルクをまた口に運んで、穏やかに微笑みながらこちらを見てくる相澤へとチラリと視線を送る。
ベッドルームではボクサーパンツ一枚だった相澤は、七分丈のカットソーとスウェット生地のボトムスに身を包んでいる。相変わらず全身真っ黒だけれど、左頬の傷もそのままだけど、重い瞼も同じだけど、やっぱり十年の時間の流れを感じてしまうほどに違いがある。例えば、よく見れば雑多とした無精髭ではなく、きちんと整えられているところとか。
そして、目に見えて特に顕著なのは、項や耳が見えるほどに短くなった黒髪。
「……アンタ、髪短くしとんのか、今は」
他と比べて前髪は長いままだが、横顔はすっかり知らない人のよう。
「髪? これは今日急に切れって、………あぁそうか、そういうことか、アイツ」
「なに」
「いや、こっちの話」
気にするなと言ってクツクツと笑う横顔はなんだか嬉しそうで楽しそうで、きっと今ここにはいない誰かを思い浮かべているのだろうと感じた。
――……それがなんだか面白くなかった。
爆豪の知っている相澤は、特定のお気に入りの生徒を作らない。誰にでも平等で、誰にでも優しくて厳しい。無意味な背比べはせず、相談を持ち掛ければ真っ直ぐに向き合ってくれて、余計な事も、面倒な嘘も吐かない。頭ごなしに否定してくることも、あからさまな媚を売って来ることもない。いつだって合理的に判断して、欲しい言葉をくれる。十六年間それなりに沢山の大人と関わってきたけれど、きっと、今の自分の中で一番信頼できる大人だ。
そんな信頼の置ける大人が、他の誰かを思い浮かべて笑って、自分を御座なりにしているのが、面白くない。
(……ンだよ、これ。こんなんガキの我儘みてぇじゃねぇかよ)
きっとこれは相澤の教師以外の部分を見てしまったからだ。薄暗いベッドルームで、性的な手つきで、誰かに、――女性に触れたことがあると言う確証を得てしまったからだ。自分が知っている相澤は、結局教師としての一面だけ。それをまざまざと思い知らされた。あの男が誰かに恋をして、求めて、触れるなんて、そんなこと考えたこともなかった。
(なんか、いやだ)
相澤が他の女性を抱き締めて、今日自分にしたように口付けするのは。
(……やだ)
嫌悪感というのとはまた違う。そういう一面を汚いとも思わない。ただ、理由はよく分からないけれど、嫌だった。とは言え、そう思ったところでどうにもならない。この男が誰かと恋愛するのを止める権利なんてない。寧ろ誰かと恋愛をして幸せになるのは喜ばしいことだ。自分は教え子として、面倒を看てもらった身として、精一杯祝福するのが筋ってものだろう。でも、心臓がチクチクと痛い。理由が分からない痛みは苦手だ。息が苦しくなる。
すると。
「どうした」
言って、相澤が再び頭を撫でてくる。優しくて大きな手の平が頭全体を何度もゆったりと撫でてきて、それにいっそう心臓が痛くなった。
「……せ、んせ」
自分の感情が上手くコントロールできなくて、どう処理をすべきかが分からなくて。助けを求めるように相澤を呼べば、持っていたマグカップをそっと奪われる。ローテーブルに置かれる瞬間の、コツンという音が静かなリビングにやけに響いた。
「爆豪、ちょっとこっちにおいで」
「うわっ」
腕を引っ張られて、そうかと思えば持ち上げられて、あっと言う間に相澤の太腿の上に腰を下ろしていた。なにを、と言うより前に、長い腕に抱き締められる。べったりと体がくっついて、体温と心臓の音がカットソー越しに感じる。
ベッドルームを思い出させる行為に爆豪はどうしていいか分からず、氷漬けにでもされたかのように固まってしまう。背中に手を回してごらん、と至近距離で囁かれれば、ギギギと音を立てて固まった手を動かした。素直に応じれば相澤が褒めてくれた。
「本当に十六なんだな、お前」
「だ、から、そう言ってんだろうが」
「それはちゃんと信用してるよ。ただなんかこう、懐かしいというか、……いや逆に新鮮なのかもしれんな」
「新鮮……?」
「十六のお前をこんな風に抱き締めたことはなかったからな」
「……されて堪るか、こんなん」
「俺はしたかったけどな」
「ハァ⁉」
思いがけない言葉に体を起こそうとして、しかし相澤の方が早く力を込めた。動けなくて、仕方ないので諦める。
「したかったよ。何度も。いつも我慢してたけどな」
「……なんで」
「お前はそういうのを嫌うだろう? だから適切な位置で適切な判断を下すことに重きを置いてただけだ。元々俺もそうするべきだと思っていたしな。それに人との接触自体も苦手だと思ってた」
でも。
「今の俺は、担任の俺じゃあないからな」
だからもう少しだけ、と言われて、爆豪はそのまま身を預けることにした。とんとんと背中を叩かれて、後頭部を撫でられて、そうかと思えば腕に力が篭る。爆豪も抱きつく力を強くした。
「アンタって着痩せするんだな」
「そうか?」
「いつものコスチュームだともっと細く見えるけど、結構ずっしりしてる」
「あー、まぁ昔に比べてウエイトを五キロ増やしたからな」
「ゼリーはやめたんか?」
「完全にではないけど、ゼリーは極々稀だな。栄養補助程度。今は専ら普通の食事。あとトレーニングのコーチ役してくれてる奴が容赦ないんだよ。元々努力の塊みたいな奴だから、それに付き合ってたら必然的に筋肉がデカくなった」
「ふうん」
聞いていないことまでよく喋る相澤の言葉に頷きながら、背中に回した手で体をペタペタと触っていく。今でも変わらず捕縛布は使っているのだろうか。肩周りの筋肉量が多い。デカくなったという相澤の言葉通り、一つ一つのパーツが大きく思える。腕や手が追いつかない。
(本当に、今の先生とは違う。……そっか、十年後には俺の知らない先生になんのか)
実感するたびに心臓が痛い。
「なぁ、先生」
「なんだ」
相澤に置いてけぼりにされるのが、嫌で仕方ない。
だから。
「なんで、俺を」
抱きしめたいと思ってたんだ。
顔は見ずに、肩口に顔を埋めたまま、小声でそう聞いた。こんなことを聞けば相澤が困るのは百も承知。でも少しだけでいいからこっちを見て欲しかった。十六の自分を、高校一年生の自分を、四十歳の相澤にもちゃんと見てもらって話がしたかった。爆豪の知らない顔で、爆豪が知らない人間を思い出して話をされるのが嫌だ。
此処にいるのに、いないように扱われるのは、それはとても――……。
(さみしい)
ストンと心の中に落ち着いた感情に納得して、それから他人事みたいに「俺でも寂しいとか思うんか」なんて自嘲。これ以上惨めな感情に振り回されたくなくて、余計なことを言いたくなくて、爆豪は静かに相澤の言葉を待った。あぁきっと困っているのだろうと、そう思いながら。
相澤が、ふうと一つ息を吐く。それから名前を呼ばれる。顔を上げたくないとしがみついて意思表示すれば、優しく撫でられる背中。
「そういう顔をするからだ」
癇癪を起す子どもをあやす様に、慈しむように、大きな手の平が何度も行き来する。
「放課後、二階の空き教室に一人で居ただろ。特に、そうだな、仮免に合格する前までくらいか。何をするでもなく、誰も使っていない椅子に座って外ばかり見て」
なんで知っとんだと口には出さず静かに聞いていれば、見透かしたように尾行したと言われて舌打ちした。全く気付かなかった。
「あの教室に一人でいるお前はいつも今みたいな顔をしてた。それがどうしても気になってな。お前があの場所に行く度について行って、見てた」
「……ストーカーじゃねぇかよ」
「教師と生徒で学校内だからギリギリセーフだろ」
「いや、アウトだわ」
言い訳になっていない言い訳に思わず笑ってしまった。それに想像すると面白かったのだ。あの教室に向かう時はいつも誰にも悟られない様に無駄に遠回りをするのだ。そんな自分を長時間こっそりつけ回している非合理的な相澤の姿を思うと可笑しくて仕方ない。
「そう言うな。もしもお前が少しでも泣いていたら、その時は偶然を装ってでも声を掛けようと思ってたんだ」
でも。
「お前は泣かずにじっと堪えてるから、見るしか出来なかった。ここで俺がお前を特別扱いしてしまったら、お前は二度とあの教室に行かなくなるだろう。俺とも距離を取るだろう。……だけど、本当はずっと、」
こうやって抱き締めてやりたかったよ、と。
耳元へと吹き込まれた低い声に、また背中がゾクリと震えた。思わず吐息交じりの声が漏れて、それが恥ずかしくなって相澤の上から降りようとするのに、逞しい腕が許してくれない。ピッタリとくっついてくる胸板を押し返す。背を反らして逃げる。だけど、やっぱり一ミリだって逃げられなくて、二十四歳差の大きさを思い知る。
「や、せん……っ、も、分かったから……!」
「お前が聞いてきたんだろう? もっと言おうか。三十だった頃の俺がどんな風にお前を見てたか」
「いい……! もう、言わなくていい、からっ」
「なんで。ほら折角だから顔見せて。俺からしたら十年ぶりに会うんだ。なぁ爆豪、こっち向いて」
「っ、てめ、調子に乗んな……っ!」
耳輪に唇を当ててきて、声のトーンを下げたのは確実にわざとだと爆豪は踏む。弄ばれたくなくて必死に抵抗するのに、優しかった手で背中を擽られるだけで腰が抜けそうになる。うまく力が入らなくて、背けていた顔はあっさりと捕まった。きっと赤くなっているだろう顔を真正面から見られて落ち着かない。眉を寄せて、必死に睨み付ける。
しかし相澤は、
「この時代のお前も可愛いな」
なんて上機嫌に言うものだから、抵抗していた爆豪は動きを止める。
「せ、んせ……?」
今、相澤はこの時代のお前、も、と言わなかったか。
「今の時代の俺は、アンタと会ってんのか……?」
パチパチと大きく瞬きをしながら聞けば、相澤は少し考えて、それから内緒と笑う。
「未来の全部を知ってしまったら面白くないだろう。未来はちゃんと自分で考えて、選択して、創りあげていきなさい」
急に教師のようなことを言うものだから、爆豪は狡いと唇を噛んだ。
「でもまぁ、そうだな、一つだけ教えてあげようか」
相澤の両手で顔を包まれた。自分のものとはまた違うゴツゴツとした指の感触と熱さ。
「俺はちゃんと、約束通りお前を見てるよ」
「……約束?」
「そう。約束」
「誰との」
「それは内緒」
「――ッ! 結局分かんねぇことだらけじゃねぇかよ! つうかなんだよ、俺の知らねぇ奴と勝手に約束して俺のこと見てんじゃねぇ!」
「おーおー。そのまま悩め悩め、青少年」
「うるっせぇわ、クソジジィ!」
「あ、こら、まだジジィっていう歳じゃない」
言って、両頬を包んでいた相澤の手が頭へと移動して髪の毛をぐしゃぐしゃに掻き混ぜられる。
「ん、ん、てめ、やめろや……っ!」
乱暴にしてくるものだから思わず目をぎゅうと瞑って、手首を掴んで抵抗すれば、唇に何かが当たった。
「――……は?」
ふに、と音がするようなじゃれ合いのようなものだったけれど。
今のは、確実に、キスされたのでは……?
「すまん。可愛かったからつい」
固まる爆豪をよそに相澤はキスしたばかりの唇に触れて、形だけの謝罪。
「なっ、なっ、んで……っ!?」
ボンッと音を立てて茹で上がった真っ赤な顔で叫ぼうとしても言葉が出てこない。ベッドルームに突如現れた自分を誰かと間違ってキスしたと言うならまだしも、今のはどう足掻いても爆豪だと分かった上でしたキスだ。なんでそんなことを、と聞こうとした瞬間。またあの気持ちの悪い浮遊感に襲われる。あ、と思う間もなく目の前にいた四十歳の相澤は消え、そして。
「ば、爆豪……?」
驚いたような、戸惑っているような、そんな声を出す爆豪がよく知る相澤が目の前にいた。
(も、もどった……?)
爆豪は慌てて辺りを見渡して置時計を見付ける。時刻はちょうど零時。未来の相澤が行っていた通り、時間経過で個性が解除されたらしい。
(それは、良かった、けど……ッ!)
ホッと息を吐く間もなく、自分が相澤の太腿の上に乗っかっていることに気付いた。最後にされたキスのことも相まって、もっと言えばベッドルームで体中を触られたことも思い出して、いっそう体が熱くなった。
「ッ!」
暴発しそうな個性は唇を噛み締めて押さえつけて相澤の上から飛び降りる。そのまま一直線にドアへと向かって逃げ出そうとして、――しかし、どうにも収まらないこの感情を元凶である男にぶつけたくて振り返る。
「先生の変態!」
ついでにストーカー! キス魔! 無駄にテクニシャンめ!
短い髪だと格好良かったわ、クソが!
後半は走り去りながら心の中でわあわあと叫んで、学生寮の自分の部屋へと戻る。慣れ親しんだ自分のベッドに潜り、自分の布団を頭まで被って思う存分吼えた。
あんなことをされてしまって、呑気に寝られるわけなんてなくほぼほぼ徹夜のようなかたちで朝を迎えてしまった。
後日、件の空き教室で二人の関係がほんの少しだけ変化する。しかし、それはまだ未来の二人以外誰も知らない。そして未来の相澤が誰と間違ってキスしたのかも、誰と何の約束をしていたのかも、爆豪が知るのは随分と後のこと。
答え合わせは十年後。
三十歳の相澤に出会うその日まで、お預けである。