REC

「あら機嫌がいいわね。今日は何かあるのかしら」
などと、ミッドナイトが詮索するような笑顔で聞いてくるくらいには相澤の機嫌は頗る良かった。
「分かりますか」
だから、普段ならば「何でもないですよ」と躱す言葉にも真正面から受け立つ。と言うよりも、寧ろ相澤のほうが乗り気である。
「分かる、分かるわよ。あなたがそこまで機嫌の良さを表に出すの珍しいわよね」
「そうですか?」
「そうよ。で、何があるの?」
「それはですね、」
「うんうん」
「内緒です」
言いながら相澤は日誌を持って席を立つ。そろそろ帰りのホームルームの時間なのだ。さっさと始めてさっさと終わらさなくては。今日だけは極度の残業は御免である。
ぷうぷうと頬を膨らませて、
「どうせ素直に教えてくれるとは思わなかったわよ」
と、拗ねているミッドナイトにはお礼を言って、知らぬ間にすっかり緩んでしまっていた口元は捕縛布で隠すことにした。

「あまりはしゃぎ過ぎないようにね」
残念ながらミッドナイトの忠告は相澤の耳には届かなかった。


***


予定通り滞りなくホームルームと残りの仕事を終わらせて相澤は帰路に着く。
その途中で爆豪から、もう帰ってきている旨を知らせるメッセージが送られてきて小さくガッツポーズ。何せ爆豪に逢うのは三ヶ月ぶりなのだ。その間メッセージを送り合うことはあっても電話は出来なかった。地方のヒーロー事務所に応援で行っている爆豪と単純に時間が合わなかったのだ。
お互いのスマートフォンには不在着信だけが溜っていくばかりだった。それが寂しくないわけがない。こんなにも離れて、声も聞けない状況が続くのは初めてだったから。
(今から思えば、三年間ほぼ毎日顔を合わせて話が出来てたのは奇跡みたいなもんだな)
きっと二人の人生で常に一緒にいられたのはあの三年間で終わりだろう。これからはこんな顔が見えず声が聞けない日々が増えていく。
(だからこそ、逢えるときに逢って、話をしたい)
そのためには別日に深夜まで長時間の残業することくらい、そのせいで目が乾燥してゴロゴロすることくらいお安い御用である。
雄英の敷地外に借りたマンションに足早に帰ってエレベーターに乗り込む。ゆっくりと昇っていく時間すら惜しい。慌ただしく鍵を取り出してドアを開ければ、鼻を擽るのは食欲を唆るいい匂い。匂いのうちのひとつは相澤の好物である肉じゃがだ。気付いた途端に腹が鳴る。
「ただいま、おかえり勝己」
草臥れたブーツを雑に脱いで、すぐに飛び付きに行きたくなるのをぐっと堪える。逢って早々に怒られないように玄関のすぐ側にある洗面所でうがいと手洗いを済ませながらキッチンへと声をかける。するとパタパタとスリッパでこちらに歩いてくる音がして、ひょっこりと爆豪が顔を出した。
「おかえり、ただいま消太さん。ンな慌てなくたってちゃんと帰ってきてる」
呆れたように、でも相澤に負けず劣らず嬉しそうに口元を緩ませている爆豪と目が合って、相澤は堪らずに手を伸ばした。
「あー……」
まだ自分よりも小さい体をぎゅうぎゅうと抱き締めて、頭に顔をすり寄せた。浸るように腹の底から息を吐きながら唸れば「おっさんくせぇ」と揶揄われたが怒ることも悲しむこともない。兎に角もっと爆豪を補給したい。
ついでに鼻を鳴らして匂いを嗅ぎながら、血や消毒液の匂いが混じっていないことも確認していく。何処に触れても絆創膏や包帯の感触もない。よし、合格。
「怪我はなさそうだな」
「ねぇよ」
「良かった。おかえり、勝己」
「はいはい、ただいま。アンタも怪我とかしてねぇよな? 風邪もひいてねぇんか?」
「大丈夫。こっちはわりと平和だったんだ」
「そりゃあなにより」
爆豪の両手が伸びて、傷んだ髪ごと頭を大きく撫で回される。まるで大型犬を撫でているような手付きだ。三ヶ月偉かったねと、ひと回り以上歳下の元生徒に褒められるのはなんとも言えず気恥ずかしいが、今日くらいはまぁいい。
お互い満足がいくまで抱き締めて、抱き締められて、何度だってキスをする。額を擦り寄せて頬にもキスをして、髭が痛いって怒られたって離れない。
「腹減ってねぇんか?」
「減った。減ったけど、今はこっちがいい」
「……なんだ、今だけか」
「いつも!」
「ははっ、アンタそんなキャラだったか?」
つい必死になれば、顔が面白いことになってると笑われて。下唇を突き出して拗ねればそこにキスをされる。
「あぁいいな、やっぱりアンタは」
「おっさんで遊ぶな」
「遊んでねぇよ」
「揶揄うな」
「揶揄ってねぇ。俺ァずっと本気だ」
「……待て、今のは何の話だ」
「さ、飯にしようぜ。今日は肉じゃが。好きだろ?」
「好き。好きだが、今は何に対して本気なのかを話し合うほうが先決だ!」
「あー、腹減った」
するり、と腕の中から抜け出した爆豪は意地悪な顔で笑いながらキッチンへと戻っていく。
「こら待ちなさい勝己! 何にずっと本気かをきちんと言わないと俺が本気にするからな! 都合良く解釈してプロポーズするぞ!」
相澤は大股でそれを追い掛けて、用意していた皿に肉じゃがをよそおうとしている爆豪を後ろから抱きしめる。
「なぁ、勝己」
甘えるように擦り寄って、無防備な耳に唇を寄せる。
「都合良く受け取ってもいい?」
例え嫌だと言われても、受け取るけれど。
「……す、きに、すればいいだろ」
わざとらしく低い声で聞けば、肩が跳ねてすっかり大人しくなる。相澤はいっそう機嫌を良くして、そうするよと笑う。それから爆豪を抱き締めていた両手をオーバーサイズのシャツの中に入れ、直接肌の感触を楽しんでいく。最初は腰や腹を、そのあとはそういう意味を持って上へ上へと移動させていく。
「……食わねぇんかよ」
「食べるよ、今から」
「それ、なんの話だよ」
「さぁ? 都合良く解釈してくれていいぞ」
「っ、ガキみてぇにやり返してんじゃねぇ」
「三十代なんざお前が思ってるよりガキだよ」
それに、と続けて右手はズボンの中へ。下着の上から尻の隙間に指を這わせた。
「ちゃんと風呂に入って準備してるくせに」
「〜〜〜っ調子に乗んな!」
カッ、と一瞬にして耳も顔も真っ赤にさせた爆豪が振り向きざまに爆破を繰り出して来たのでそれを抹消した上で拳も避けた。猫が威嚇するように毛を逆立てているので、これ以上は本気で怒らせてしまうと悪戯していた両手を離して一旦撤退する意思を表明。
「今夜はゆっくり出来るから、また後にしよう」
「さっさとご飯よそって箸も持っていけ!」
「わかった」
素直に頷いて指示通りに動く。ここで怒らせてお説教されて今夜の楽しみがなくなるのは相澤の本意ではない。いくら三十代はまだまだガキだよと言ったところで引き際くらいは分かっている。


おかげでいい夜になった。
珍しく大人しく丸まり、されるがままになっていた爆豪はあっという間に蕩けて、三ヶ月分の寂しさを埋めるように求めてきた。少しでも離れようものなら鼻をぐずぐずと鳴らして甘え、相澤のものを受け入れるだけで幸せそうに達しては腰を揺らしていた。
(絶対にプロポーズしてやる)
相澤は爆豪の口腔内を余すことなく舐めとって、甘い唾液を飲み込みながら心に決める。
「かつき、こっちみて」
それからこんな幸せな夜を一秒だって見逃すものかと、個性が発動するギリギリまで目に力を籠めて、瞬きも忘れて網膜に焼き付けた。


***


「…………え?」
「いやだから、それ、外して提出してくれってさっき校長が」
「…………」
「聞こえてんのか? ショータ? アーユーオーライ? 外せないなら外してやろうか?」
「………………ノーセンキュー」
「いやいや、ノーセンキューじゃねぇからな。なぁ、それ借りもんなんだからちゃんと返さねぇとだめだろ。実験台で装着してただけなんだから。まだ俺たちじゃ買えない代物なんだって」
コンタクトレンズ型のレコーダー付きカメラなんて。
マイクにそう言われるまですっかり失念していた。やけに目がゴロゴロして違和感があるのはてっきりドライアイと極度の残業のせいだと思っていた。
そうだ。そうだった。爆豪が帰ってくる前日にこのコンタクトを装着させられて実験台にされたのだ。このテストが上手くいけば開発プロジェクトが大きく前進するから事細かにレポートしてくれと言われて、レポート用紙を沢山渡されて――……。
「おいおいショータ、お前まさか壊したとか……」
「壊して、は、ない、けど……」
壊してはいないけれど、開発チームに提出するには気まず過ぎる映像のオンパレードになってしまった。何せ意図せずハメ撮りしてしまったようなものなのだ。しかも相澤が見たのもがそのまま録画されているのでスマートフォンやハンディカメラで撮るよりももっと生々しい。
「……お、お前、まさか…………」
歯切れが悪く、頭を抱えて顔を真っ青にした相澤にマイクが色々と察したのだろう。あわわ、と口元に手を当てて相澤に負けず劣らず顔を青くしている。
「どっ、どーすんだよ! 全部録画されてるからやましい事はなんもするなって言われてただろ!?」
「うるせぇ! 全部すっぱり忘れてたんだよ! っていうかお前も言えよ!」
「まさかショータが忘れてバクゴーとイチャイチャしてると思わねぇじゃん‼」
ぎゃあぎゃあと生徒の目も気にせずに口論を始めた相澤とマイクの声は職員室だけではなく、廊下のほうまで響いていた。


「はしゃぎ過ぎないようにって言ったのにイレイザーも若いわね。でもそういうの好きっ!」
口論を背に、ミッドナイトは担当している教室へと向かう。
「あとで映像見せてもらおうかしら」
今日も今日とても綺麗に彩られた唇で楽しそうに弧を描きながら。

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