「あんまり飲み過ぎるなよ」
それなりに時間が経てば顔が真っ赤になっている酔っ払いが至る所に出現していて、相澤は定期的にそう声をかける。大人になったと言っても、三十代の半ばを過ぎた相澤からすれば立派な子ども。自分は舐める程度にしか酒を飲まず、あとは烏龍茶で誤魔化していた。
「お前もそろそろ止めておけよ、爆豪」
ぎゃあぎゃあと騒がしい上鳴や切島たちに声を掛けてから、隣で顔を赤くしたまま大人しい爆豪にも釘を刺した。
「あ? まだまだ大丈夫に決まってんだろうが。酔ってねぇ」
「酔っ払いは総じてそう言うんだ。覚えておけ」
「うるっせぇわ」
酒で体の力が抜けているのか、フラフラしている頭を小突くように触れば向こうに倒れていきそうになった。慌てて服を掴んで捕まえる。
「そら見ろ。もう止めておけ」
「あ、こら、取るんじゃねぇ」
まだ半分ほど残っているハイボールを取り上げて遠くに置けば、取り返そうと爆豪が手を伸ばす。
すると、テーブルの向こう側からその手に向かって何かが差し出された。
「あん?」
「はい、かっちゃんそれね。相澤先生もどーぞ!」
「なんだ、この紙は」
差し出してきたのは上鳴だった。爆豪に負けず劣らず赤い顔をして、両手で色とりどりの細長い紙を沢山持っている。爆豪が掴んだのは黒色。他にもオレンジや黄色や赤や緑。
「ちょっとした余興の王様ゲームなんで。先生も軽い気持ちで取ってください」
上鳴の後ろから瀬呂が説明してくれて、あぁと納得してオレンジ色の紙を掴んだ。爆豪も「くっだらねぇ」と言いながらもきちんと持っている。一応参加はするらしい。汲み取った上鳴はヘラヘラと嬉しそうに笑ってから他のクラスメイトにも配りにいった。
「相変わらず仲が良いな」
「別に」
昔を思い出しながら上鳴を目で追っている相澤の隙をついて爆豪がハイボールに手を伸ばしたが、残念ながら隙などなかった相澤に手の甲をぺしりと叩かれて失敗に終わった。
王様ゲームは二度三度と続いたが、相澤にも爆豪にも関係のない数字ばかりだった。
「じゃあ次が最後な! 二番が八番に関することなんでもいいから告白!」
だからどうせ最後も当たらないだろうと思っていれば、読み上げられた番号が自分の手元にある紙に書かれていた。しかももう一つの番号は爆豪である。最後の最後で相澤先生が当たるなんて、とか。先生が告白することなんてなんだろう、とか。居酒屋が揺れるんじゃないかと思うくらいに騒がしくなった。
「……告白、ねぇ」
期待に応えられるものは何もないのだけれど、相澤は記憶の棚をひっくり返して考え込む。
そして。
「あぁ、そう言えば。お前たちが二年の時バレンタイン。爆豪の下駄箱にチョコレートが入ってただろ? あれ入れたのは俺だ」
ふと思い出したことを素直に言えば、騒がしかった全員の口から声が出なくなった。そうしてきっちり三十秒の沈黙のあと大爆発をしてみせた。今度は完全に居酒屋が揺れた。
「えええぇ!? なになに、先生それどういうこと!?」
「相澤先生! 確かバレンタインデーの日に関しては菓子類の持ち込みは厳禁だったと記憶しております! つまりそれは先生自身が規律を破ったと捉えてよろしいのでしょうか!?」
「ぶはっ! 飯田くん酔ってても委員長やぁ」
「相澤先生がバレンタインにあやかってチョコレートを渡すだなんて乙女心持っているようには思えないわ。しかも相手は爆豪ちゃん。お遊びとは言え嘘はいけないわ」
「……いやちょっと待ってみんな。僕の記憶に間違いがなければ確かにかっちゃんは高校二年生の時のバレンタインデーにチョコを貰ってるんだけど、下駄箱に入ってたチョコには別の人の名前が書かれていて、それに気付いた上鳴くんが大笑いしてチョコ諸共爆破されて」
「あー! あったあった、俺朝っぱらから爆破されて…………あれ、あん時緑谷いたっけ?」
「その後かっちゃんは二週間かけてチョコを下駄箱に入れた女生徒を探してたよね? そしてちゃんと見つかった……、と思うんですけど」
どういうことですか、と前のめりで疑問の目を向けてくる教え子たちに、相澤はやっと静かになったかと息を吐いた。相変わらず騒がしいクラスである。
「あの日、いつもより朝早く出勤してたら女子生徒が下駄箱から慌てて走っていくのが見えたんだよ。ちょうどその時下駄箱に悪戯する馬鹿がいたから、念のために確認に行ったらチョコが入った箱が落ちていて、偶々爆豪の下駄箱が開いていたんだ。まぁ怪しい匂いも何もなかったし、落とし物として処理するのもめんど、…………可哀想だったから爆豪の下駄箱に戻した、つもりだったんだが、人違いだったということだ」
一息で喋って、以上と付け加える。今までにないほど真剣に話を聞いていた教え子たちは「なぁんだぁ……」と肩を落としている。
「そういうことだ。手間をかけさせて悪かったな」
何年か越しにそのことを謝罪すれば、爆豪はそっぽを向いて「あっそ」と言うだけだった。
興味津々に相澤の周りに集まってきていた教え子は徐々に自分の席に戻っていき、すぐに別のゲームが始まった。次のゲームの参加は任意だったので相澤は丁重にお断りしてグラスに口を付けた。爆豪はどうやら参加するらしく、グラスを持って立ち上がって離れていく。フラフラしているのに歩いて大丈夫なのかと心配で見ていれば、ゆっくりと爆豪が振り返る。
どうしたと声もなく首を傾げれば、ニィと口角が上がる。
「もっとすげぇ告白してくれんのかと思った」
べぇ、と悪戯に舌を出して。言いたいことだけを言って爆豪はあっという間にいなくなる。
「……出来るわけないだろ」
一人残された相澤は苦い顔で独り言を零し、爆豪が残していったハイボールを一気に煽った。
***
長時間騒がしいところにいた後の帰り道と言うのは耳が寂しくなる。いつもよりいっそう静かに思える夜道を歩いて、最近借りたばかりのマンションへと辿り着く。酒や食べ物の匂いが染みついてしまったので、早く風呂に入りたいなと考えながら扉を開けて目を丸くした。
一拍置いてから長くわざとらしい嘆息をひとつ。
「あれ以上飲むのは止めておけと言っただろ」
「うるせぇ、よってねぇわ」
「だから、酔っ払いは総じてそう言うんだとも言った」
彼が選んだふわふわとした玄関マットを押し潰すようにしてフローリングに寝転がっている酔っ払いの隣に座り込んで赤い頬を突いた。
「ん、ふふ、しょーたさん、おかえりぃ」
いつもより重たくて、あまり開いていない目が相澤を捕らえて微笑んだ。
「ただいま、かつき」
「おそかったな」
「麗日と芦戸を送って行ってたんだよ」
「そうなんか。おかえりぃ」
「はいはい、ただいま」
今にも眠ってしまいそうな爆豪を横抱きに持ち上げて、掃除の行き届いたリビングへと連れていく。こういうこともあろうかと、大きめのソファを選んでいて良かったと考えながらそこに爆豪を下ろす。風邪をひく心配はないだろうけれど一応、とブランケットを持ってきて腹の上にかけた。
「しょーたさん」
どうせすぐ眠ってしまうだろうと思って風呂へ行こうとすれば、とろとろに蕩けた声で名前を呼ばれる。そんな声を無視するなんて選択肢はなく、相澤は返事をしながら眠っている爆豪の傍に腰を下ろした。
「もっとすげぇ、こくはく、してもよかったのに」
「それは、して欲しかったってことか」
「ん」
素直に頷く頭を撫でる。しかし「それは出来ないなぁ」と返した。
明確にはしていないけれど、爆豪の言う「もっとすごい告白」と言うのは、二人の関係を公表するということだろう。分かっていて相澤は首を横に振るのだ。
「今はまだしないよ」
「そうかよ」
爆豪の声は、どことなく寂しそうに聞こえて、撫でていた頭に何度も唇を寄せた。
卒業してからひっそりと付き合って、同棲しているんだと。みんなに、親しい人に、世間に、告白してくれてもいい。だって言ってくれれば、お互いがお互いのものだと証明できる。そうすれば今夜のように知らぬ顔をして別々に帰ることも、相澤が暗い夜道を女の子と一緒に歩くことも無くなる。考えているのは、そんなところだろう。分かっているけれど、今はまだ可愛らしく強請られてもそのお願いだけは聞くつもりはない。
だって。
「公表しようと思えばいつだって出来る。今は二人で静かに暮らしたい」
何年片想いしてたと思ってるんだ、もう少しお前を堪能させてくれ。
相澤もそれなりに酔っぱらっているので、酔いに任せて普段言わないようなことを言えば、爆豪はくるりと背中を向けて足を折り曲げて小さくなった。耳がさっきよりも赤くなっている。
「……ずりぃ」
「ただの本心だよ」
「そうかよ」
「好きだよ」
「……ん」
そのうち返事が返ってこなくなって、静かになったと思ったら寝息が聞こえ始めた。二人で暮らすようになって一番初めに覚えたのはこの寝付きの良さだ。良くも悪くも本当に寝付きが良い。
すぐに風呂に行きたいと思っていたのになんとなく離れ難くなってしまって、ソファに背中を預けて床に座り込んだまま目を閉じた。
思い出すのは件のバレンタインデー。
(お前が思っている以上に長かったんだよ)
自分が男じゃなかったら。教師じゃなかったら。こんなにも年が離れていなければ。
そうすれば、なんの躊躇もなく気持ちの篭ったチョコレートを渡す事が出来ただろうかと考えて、つい下駄箱に手を伸ばしてしまうくらいにはずっとずっと好きだったのだ。
今は誰にも邪魔されず、素直に好きと伝えられるこの小さな世界が全てでいい。
離れ難いからという理由だけで傍に居られるこの距離がいい。