トークウィズミー

――アングラヒーローとは何ぞや。
冷めてしまったパスタをフォークに巻き付けながら、爆豪が考えていることはこれである。

その日、久しぶりに休日が被って、折角だからと相澤に誘われたのは近所の真新しいカフェ。店の前を通る度にスタンド式の看板にびっしりと書かれたメニューの一つ一つが気になっていたので、すぐさま爆豪は二つ返事で頷いた。
徒歩十五分の近場とは言え、出掛けるのには変わりがないからと気合を入れて相澤をコーディネートした。問答無用で髪の毛はハーフアップに。足元には色違いのブーツを。
時折、我が物顔で道路を歩いている猫にスマートフォンを向ける相澤を眺めて、ゆっくりと三十分かけてカフェに辿り着く。
まだまだ冬であるはずの今日は季節外れに暖かい。だから、スタッフに勧められたテラスでの食事は何一つとして文句がなかった。相澤のチキンソテーも、爆豪のパスタも、瑞々しいグリーンサラダに垂らされたドレッシングの一滴ですら美味しかったのだ。
そして、休日の外出があまり得意ではない相澤ですら気に入って「また来ような」と前向きな言葉をくれた、――のが、既に三十分ほど前である。

(アングラヒーローっつうわりに顔知られ過ぎだろうが。ずっと話しかけられてんじゃねぇかよ)
爆豪は行儀が悪いと分かっていてもテーブルに肘をつき、そっぽを向いたままでコーヒーカップに口をつけた。ホットコーヒーは、多めにシュガーを溶かしても苦くて苦くて仕方ない。テーブルを挟んだ向こう側で穏やかに談笑している相澤を見ると、いっそう苦みが増したように思う。
一番初めは通りすがりのプロヒーローだった。
相澤が教師になる前に面識があったらしいそのヒーローの「久しぶりじゃねぇかよ!」という溌剌とした声に二人の会話が途切れた。元々パーソナルスペースなんて概念がないような人物なのだろう。近付いてくるや否や相澤の肩に手を回して「元気にしてたのかよ、電話もメッセージもスルーしやがってこの野郎!」と豪快に笑っていた。「そういうテンションだから面倒くさいんだよ」と嫌そうな顔で返していた相澤は、それでも爆豪が知らない話ばかりしていて楽しそうだった。
二番目は、相澤が拾った野良猫の里親になってくれたという夫婦。
どうやら猫を引き渡す際、相澤はいつもの恰好ではなく小綺麗に身なりを整えて髪の毛も纏めていたらしい。気合を入れて相澤をコーディネートしたことをこの時点で後悔した。今現在の猫の写真を見せてもらっている相澤は見るからに嬉しそうで、その傍らで爆豪は静かに食事を終えた。
三番目は相澤の元教え子。
爆豪より三つ上の女性は双子を妊娠したことを機にヒーローを辞め、今は事務員として働いているらしい。プロヒーローとして第一線を退いてしまったけれど、相澤に厳しくも温かく教えてもらったことを礎に今日まで頑張ってこれましたと深々と頭を下げていた。
そして今、相澤と話しているのがヒーロー協会経理担当の若い男だ。
どうやら相澤が提出した書類に至急追加で記載して欲しい部分があったらしく雄英に向かっている最中だったようだ。食事中なのに申し訳ない、と言いながらも顔面にはデカデカと「雄英まで行かなくていいなんてラッキー!」と書いていて、遠慮する気は欠片もないなと悟った爆豪は食後のホットコーヒーを注文した。
「いやぁ、折角のプライベートの時間にすみません。でも助かりました」
「いえ、俺の方こそすみません」
へらりと笑った経理担当の男は書類を鞄へと片付けて、そのまますぐに去っていくのかと思えば爆豪へと視線を遣った。この、二人の関係性を知ろうとする不躾な視線も四回目。すっかり慣れてしまってお辞儀の一つだって億劫だ。
「そう言えばそちらの方は、」
もしかして爆心地では? と後半は相澤へと顔を向けて興味津々な声。あぁくるぞ、と爆豪はひっそりと心の中で覚悟を決める。
そして。
「そうです。彼は俺の教え子なもので」
本日四回目のこの言葉。これがどうしても心の温度を下げていく。コーヒーの苦みを助長させる。
「あぁ、爆心地はあなたの元教え子でしたか」
別に恋人関係ですだとか、大切な人なんですだとか、そんな説明をしてほしいわけじゃない。教え子であると言うのは紛れもない事実で嘘ではない。――けれど、単純に面白くない。
相澤の口からこの言葉を聞くたびに、むすりと口角が下がってしまう。
「そうなんです。だからこうして久しぶりに食事を」
こうも何度も何度も教え子だと紹介されれば、聞こえない言葉名で聞こえきそうだ。
彼はただの教え子だと、それ以上でもそれ以外でもない。今日は偶々ここで食事を一緒にとっているだけだと。勝手に考えてはその度に嫌になる。
相澤がそんな風に思っていないことくらい理解しているつもりだ。
何なら、つい数時間前までこの体いっぱいに相澤の愛情を受け入れていたのだ。歴代の、それこそただの教え子では到底知れないような色欲の深い声で何度も名前を呼ばれて、ささくれが多く手入れなどされていない無骨な手で至る所を撫でられた。自分ですら知らない無防備な部分を暴かれて愛でられて、泣こうと喚こうと体の奥深くまで貫かれた。
この男が、がぱりと大きく口を開けて爆豪の脇腹と内腿を噛むのが好きなのだと、自分以外の誰が知っているだろうか。じくじくと痛む脇腹と内腿があれは夢ではないと教えてくれるからこそ、こうも何度も教え子だとレッテルを貼られるのが気に食わない。
(――……帰りてぇ……)
心底そう思う。とうとうコーヒーまで底を尽きてしまった。もうここに座っている理由はない。感情的に席を立って家に帰ってもきっと許されるほどに放置されている。
それなのに爆豪は動けないでいる。何故なら、爆豪の機嫌がひとつ悪くなるたびに色違いのブーツが脹脛あたりをするりと撫でてくるからだ。
(クソうぜぇ)
そう思うのに動けない自分が、たったそれだけで機嫌を直してしまう自分が、何よりも一番「クソうぜぇ」である。
結局聞きたくない話に最後まで耳を傾けて、相澤の視線も僅かな笑顔も奪われたままで、爆豪はヒーロー協会の男を見送った。
テーブルに置かれたままのチキンソテーはとっくに冷え切っているが、相澤は構うことなくそれにナイフを入れていく。冷えた肉にするするとナイフが通るのは、料理人の腕がいいからか、ナイフの管理がいいからか、それとも扱いが巧いからか。
「悪いな、次から次へと。落ち着かなかっただろ」
「別に。いいからさっさと食えや」
これ以上は誰も来ないことを祈りながら、それでも機嫌が悪いふりをしてそっぽを向いている。どうせこんなパフォーマンスをしたところで相澤には通用しないのだろうけれど。
「食ったらすぐに出よう。これ以上邪魔されるのは勘弁してほしいからな」
「消太さんのコーヒー頼んじまった」
「キャンセルすればいい。無理ならテイクアウトに出来るか聞いてみて、……それも無理なら一気飲みだな」
「ホットだぞ」
「ホットコーヒーくらい一気飲み出来る。ヒーローだからな」
「嘘吐け。適当なこと喋んな」
急いで食べようとする相澤を制して、しかし手持ち無沙汰に変わりはないのでテーブルの端に置かれたメニュー表を手に取った。特に何をするでもなく斜め読みしていれば、後方から「あれって爆心地じゃない?」なんて声が聞こえた。どうやら今度は自分が一般市民に絡まれる番らしい。
爆豪は声の聞こえたほうへと肩越しに視線を流し、三人組の女子高生を見つけた。どうやら真ん中の大人しそうな顔をした女の子が自分のファンらしいと察する。
他のヒーローと比べてファンサービスなんてものは常から行っていないので、スルーしておいてもいいのだろうけれど、少し考えて、今日だけは趣向を変えてみる。端的に言えば仕返しだ。
ファンサービス、と言っても笑顔を振りまくわけでも、常日頃応援してくれている感謝を伝えるわけでもない。ただ、睨むことなく目を合わせるだけ。
「わ、こっち見た……!」
両サイドの女子高生が驚いたような声を出したと思ったら、真ん中の子の背中を押すようにして近寄ってくる。というよりも、怖気づいている真ん中の子の両腕をしっかりと掴んでまるで連行でもしているかのように近寄ってくる。学校指定の制服じゃなかったら、敵と、それをパトカーへと押し込めようとする警察官二人といった感じの絵面だ。
「爆心地! あ、やっぱり爆心地だ、おーい! ねぇねぇサインって受け付けてる⁉」
ついでに旧知の仲のような物言いである。若さ特有の勢いは怖いものを知らない。
「し、」
爆豪は「仕方ねぇな」と言おうとして口を開き、しかしそれ以上声が出る前に帰る準備万端の相澤の手が口元を覆ってきたため叶わなかった。
女子高生に気を取られていたとは言え、相澤が食べ終わっていたのも、立ち上がってすぐ真横に立っていたことにも気付けず、驚いた体が跳ねたのが悔しい。
「待たせて悪かった。さぁ行こう勝己、デートの続きを楽しもうか」
デート、という単語だけがやけに大きく響いたのはきっと思い違いではないのだろう。
女子高生の足が見事にピタリと止まり、カラーコンタクトで縁取られた瞳は小さく丸くなって、丁寧にマスカラが塗られた長い睫毛がパシパシと上下に動いている。まぁ当然の反応だ。
相澤は周りの反応などお構いなくさっさと爆豪を立ち上がらせて、爆豪のライダースジャケットも抱えて店内に入ってレジへと進む。
食後のコーヒーはキャンセル扱いで、代金はきっちり払うからと言う言葉は早口。支払いは手っ取り早いクレジット決済。ご馳走様、と言いながらも足はとっくに出入り口へと向かっている。
出入口は陽が当たるテラスとは正反対の場所に位置するので、店外に出たところで女子高生と鉢合わせることはなかった。だが、実際に会うことはなくとも、どうせ今頃SNSに投稿されているだろう。それなりに昔から顔が知られているので、内容によっては大炎上必須である。
しかし、今はそんなことよりも。
「知ってっけど、わりと大人気ねぇよな、アンタって」
「…………すまん」
カフェから離れたところで手を離してくれた、大人気ない恋人の方が気にかかって仕方ない。
今日は比較的暖かいとはいえやはり冬は冬なのだ。寒ィんだよと文句を言ってジャケットを奪えば、爆豪よりも身長が高いはずの男がしゅうんと小さくなっていく。
「自分は呑気に喋ってただろうが」
「はい」
「俺は誰とも喋るなってか」
「……出来れば」
「あ?」
「イエ、ナンデモ」
うっかり、ではなく、しっかりと下心込みで零した言葉は聞いていないことにして、爆豪は背中を丸くしている相澤の左手を取って自分の右手と絡み合わせた。どうせ拡散されるのだからどうにでもなればいい。
「デートってアンタが言ったんだからな。ちゃんと続きしようぜ」
「お家デートに変更しないか?」
「却下。消太さんのクレジットカードの限度額めいっぱいまで買い物してやる」
「店ごと買うつもりか?」
言いながら、性懲りもなく擦れ違った猫について行きそうな相澤の手を強く引いて、ちょうど新しい仕事用のバックパックが欲しかったのだと言う。
「俺を放っておいた分はきっちりと付き合ってもらうからな」
「分かったよ。分かったから、だから、」
もう余所見はしないでくれると助かる、なんてこちらが言いたい台詞を言われてしまう。
こっちの台詞だと怒鳴ってやろうかと思ったけれど、どうにもこの男の情けない顔には弱いのだ。ぐぬ、と唸って、一拍置いてから嘆息をひとつ。
相変わらず丸い背中を、発破をかけるように強く叩いて「さっさと行こうぜ」と眦を眇めた。
「余所見されたくねぇなら、アンタもしねぇこった」
それから。
「今からいい子にしてりゃあご褒美くらいあるかもしんねぇぞ」
揶揄うように言えば、それだけで小さくなっていた背中が伸びるのだから面白い。
「やっぱり店ごと買うか? そっちの方が合理的だろ?」
「バカだろ。全然合理的じゃねぇし、ご褒美はやれねぇな」

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