見張りをするに当たって、学生の頃から広く顔が知られている爆豪は変装することになった。変装向きの個性持ちヒーローに手伝ってもらい、髪の毛や眉毛を真っ黒に。ツンツンと尖がった髪型は少し長くして大人しく。後はいつものコスチュームから、今回の協力先であるカフェの制服に身を包んでしまえば、一見誰かは分からない。
なんだか別人に生まれ変わらされたようで、鏡を見ても違和感が大きかったが、きっとその方が対象の目は誤魔化せる。
『じゃああとは頼んだよ』
怒鳴るのは禁止。個性を使うのはアクシデントが発生したときか、ジーニストの許可が降りたときのみ。出来る限り一般人のふりをするように。
髪の下に隠れたインカムから流れてくる声には適当に相槌を打って、仕事に向かう。
件の個人宅は、カフェのすぐ近く。カフェは、通りに面している部分は全面ガラス張りになっているため、ホールを歩いているだけで良く見える。監視するには持ってこいの優良物件である。爆豪は客がいなくなったあともテーブルを拭いて、備品を補充しながら出来る限りホールに立って監視を続けた。
特に動きを見せることなく穏やかに昼が来て、ランチの時間に突入すると客が溢れ返る。
こうなると監視は難しくなってくるので、他の場所から監視をしているヒーローに任せることにして仕事に没頭する。愛想よく笑うことはせずともスムーズに客を誘導し、オーダーを間違えることは一度もない。今日が初日、更に未経験だとは思えない動きにオーナーや他のスタッフから「今の仕事が駄目になったらおいで」と言われたけれど、鼻で笑って、それ以上は何も言わなかった。
自分にはヒーロー以外に道はないなんて、昼間の忙しいカフェでする話ではないからだ。
ようやっと店が落ち着き、ランチタイムが終わった頃にやって来たカップルは随分と年が離れているように見えた。爆豪はやっぱり表情を変えることなく、長身の男に向かって声を掛ける。
「っしゃいませ。何名様ですか」
「二人。出来れば禁煙席で」
男の声色は低く、艶っぽい。何気ない言葉を使っているだけなのに耳の奥に残るような声質をしている。ただの店員である爆豪に向けられている視線はやんわりとしていて、それを表現するかのように僅かに下げられている目尻が好印象。狙ったように長い前髪がさらりと顔に落ちて、耳にかけ直す指先は柔和な雰囲気からは想像できないようなゴツゴツとしていた。
「こちらへどうぞ」
一番奥のテーブルへと先導する爆豪の後ろを付いてきながら、若い恋人の女と他愛のない会話を繰り広げている。
どうやら二人は会うのが初めてのようだ。それなのに私が好きそうなお店を、と声を大きくして喜んでいる。高級フレンチのお店でもないというのにしっかりとエスコートしてくれる男に、傍目からも分かり過ぎるくらいの好意をハートの形に表しては飛ばしている。
爆豪はさっとそのテーブルから離れる。トレンチにお水や御手拭きを乗せて再びカップルの元へ。
「注文もいいですか?」
「はい」
空になったトレンチは脇に挟んで、各テーブルに予め準備してある伝票を取り出して言われた通りの注文をそこに記入していく。彼女は流行りものであるタピオカ入りのミルクティー。それから本日オススメのケーキセット。生クリームをたっぷりと挟んだミルクレープが食べたいらしい。
続いて男の方へと視線を向ければ「キャラメルラテ。アイスで」と。彼女が目を丸くして驚いている。顔には出さないが爆豪もひっそりと驚いた。
「意外です。甘いものお好きですか?」
「えぇ。好きですよ」
でもいい年した男が、こんな可愛いものを頼んだなんて恥ずかしいから秘密にしてください。
ゴツゴツとした指先を男は自分の口元へ。二人だけの秘密、とでも言いたいのだろう。ハッ、と鼻で笑いそうになるのをどうにか堪えた自分を褒めてやりたい。
完全に蚊帳の外のような空気が気に入らず、思わずひとつ咳払い。その後で「以上でよろしいですか」と聞いたにもかかわらず、彼女はすっかり男に夢中だった。ミルクティー色の瞳がうっとりと蕩けて吐き出す息は甘ったるい。
「ごゆっくりお過ごしください」
言葉は届いていないだろうし、言われなくてもゆっくりするのだろうと思いつつも、決められた通りに頭を下げ、キッチンへ行きオーダーを通した。
客の口に入る料理に関して爆豪は今回一切手出しができないので、出来上がりを待つ間は、再びホールに向かい、片付けをしながら客とやり取りをして、そして大本命である見張りを続ける。
狙っている獲物はまだやって来ない。明日も明後日もここで働くのは勘弁してほしいので出来れば今日中に片を付けたいところだが、難しいのかもしれない。ほんの少し憂鬱になる。
トレンチに空いた食器を乗せてバックヤードに戻れば、丁度先程のカップルのケーキセットとドリンクが出来上がった。手際良くトレンチに乗せて、それからじいっと一点を見つめる。
「どうした? 注文間違えてたかい?」
きびきびと働く爆豪の動きが止まったことが気になったようで、初老が近いマスターが声をかけてきた。んん、と曖昧に返事をしながら、考えているのは悪巧み。
「――……なぁマスター。あとで金は払うから、」
キャラメルラテを指差して、爆豪はひとつマスターに頼み事をした。
「お待たせしました。こちら本日のオススメのミルクレープでございます。お飲み物のミルクティーはこちらに置いておきます」
すっかり慣れた手つきで音もなくテーブルにケーキを並べ、その隣にミルクティーを添える。カラン、とミルクティーの中の氷がいい音を奏で、底に沈んだタピオカがふわりと揺れてみせた。
「こちら、キャラメルラテとなります。ご注文は以上でよろしかったでしょうか?」
キャラメルラテを置き、そう確認すれば男が爆豪の方を見て「これは?」と首を傾げる。指を指しているのは、キャラメルラテの上に、これでもかとデコレーションされているホイップクリームとキャラメルソースである。
「出過ぎた真似とは思ったのですが、甘いものがお好きだとおっしゃっていたので当店からのサービスです。こちらのキャラメルラテはホイップクリームとキャラメルソースを追加することでいっそう甘く美味しくなります。勿論これはこちらが勝手にしたことですのでお代は頂きません。ただ、甘い物好きな男性からの意見も伺いたいので感想など頂ければ幸いです」
一息で説明すれば、終始にこやかだった男の口の端がヒクリと動いたのが見えた。
今日一番の、口元だけの営業スマイルを男だけに向けて「ホイップクリームが苦手なようでしたらお取替えしますが、」と続けた。
「……生クリームも好物なもので嬉しいです。有難くいただきます。感想もあとで必ず」
「ありがとうございます。それではごゆっくりとお過ごしください」
恭しく頭を下げて伝票を置き、そうして爆豪は本来の仕事へと戻っていく。
「優しいお店ですね。私、凄く気に入りました」
「え、あ、あぁ、そうですね……」
辛うじて聞こえてきた会話に、心の中だけで舌を出しながら。
***
結果から言えば潜入捜査は大成功を収めた。
カフェの閉店時間が迫ってきている二十時前。ようやっと本命が顔を見せたのだ。そこからはとんとん拍子で事が進み、重要参考人から容疑者になった本命を警察に渡した時点で、カフェのスタッフとしての爆豪はお役御免となった。
いつもとはまた違った疲れとストレスを明日に引き摺らないようにのんびりと入浴し、ストレッチを済ませ、マスターに貰った珈琲豆を挽いてブラックコーヒーをいただく。この店のコーヒーは爆豪のお気に入りリストのトップに並びそうなほどに美味い。匂いが特に気に入った。
すん、と鼻を鳴らして堪能していれば、乱暴に玄関の扉が開けられる音が部屋に響く。それからドスドスと床が抜けそうなほどの足音。あぁ帰ってきたなと、思わず口元が緩んだ。
ローテーブルにマグカップを置き、座っていたソファの背凭れから顔を出すようにしてリビングの扉を見ていれば、随分と怖く青い顔をした相澤が入ってきた。
「勝己! コーヒー淹れてくれ! ブラック! もういっそ辛いものでも何でもいい! 兎に角口直しをさせてくれ‼」
丁寧に纏められた髪の毛を解いて振り乱し、消えていた頬の傷は手の甲で乱暴に拭えば復活した。
「おっ、キャラメルラテじゃなくていいんか? ホイップクリームだって添えてやるぞ」
ソファから下りてキッチンへと向かい、悪い顔で笑う。相澤は脱いだコートをソファに引っ掛けて後を追うようにキッチンへと入ってきた。
きっと帰って来て早々に所望されるだろうと踏んでいた爆豪は、用意していたアイスコーヒーをグラスに注いで渡してやった。礼を言うよりも先に飲み干して、おかわり。ぷはっと吐く息は、確かにいつもよりまだまだ甘い。
「お前なぁ、あれは勘弁してくれよ。あの後からずっと口の中が甘ったるくて仕方なかったんだぞ」
「アンタがらしくもねぇ嘘吐いてんのが悪ィんだよ。何が甘党だよ、顔引き攣ってたくせに。嫌なら残せばいいだろうが」
「いや、その、あれはだな……」
「どうせあの女が甘いもん好きだから合わせたんだろ」
「いや、……うん、でもあそこまでしなくても良かったんだよ」
「んだよ、しなくていいなら、やんなきゃ良かっただろ」
しなくてもいいことをするなんて、この男らしくない。二杯目のアイスコーヒーを飲み干しても尚胃が気持ち悪いのだろう。甘い、というフレーズに反応するように腹を撫でている。
「捜査の一環とは言え、女と会うことをお前にちゃんと言ってなかっただろ? だからあんな形で鉢合わせちまったから勘違いさせたくなくて、気付いて欲しくて、分かりやすい嘘がひとつ欲しかったんだよ」
空になったグラスをシンクに置いて、相澤が眉を下げたままでこちらを見てくる。
恐る恐る、爆豪が怒っていないかどうか気を遣いながら手を伸ばしてきた。触れることに対して気を遣っているように見えた。
「……別に怒ってねぇわ」
寧ろ自分にしか分からない程度に動揺する相澤は見ていて楽しかった。
だから、爆豪は仕方ないなと自ら胸の中へと飛び込んでやる。ぎゅう、としがみ付く様に抱き付く。肩口や鎖骨の当たりに顔を擦り寄せて見ても、外の空気の匂いとあの女の人工的な甘さしか見当たらない。よかった。ホテルにまで行ったわけではようだ。
無意識のうちにほんの僅かに心を締め付けていた不安が霧散されて、小さく息を吐いた。それから更に腕に力を籠める。
「でも驚かせただろ。すまなかった」
「勘違いさせたく無いからって、なにもキャラメルラテじゃなくても良かっただろ」
「甘いもの好きじゃないのちゃんと分かってくれてるからこそ、あれが一番手っ取り早くて伝わりやすいと思ったんだよ。あと甘い飲み物なんざ、あれくらいしか知らん」
「つうかアンタの態度見てたら最初っから仕事でやってんのくらい分かっとるわ。なめんな」
「念には念を入れないと。誤解されて見限られて逃げられでもしたら困る」
「必死かよ、おっさん」
「必死だよ。本当に」
「……あ、そ」
思いがけず、相澤の気持ちの大きさを思い知らされたような気がして、なんだか悔しかったので隙だらけの背中をひとつ大きく叩いてやった。
「いてっ」
丸まっていた相澤の背筋が反れるほどに伸びた。
「飲んだらさっさと風呂入ってこいや。センスの欠片もねぇ香水の匂い落として来い。あと服にリップ付けられてんぞ。どうせ他所事考えてたんだろ、クソだせぇな」
「チッ! あの女……!」
他所事に関しての弁明がなかったので、そこは正解らしい。そしてその他所事が自分のことならばいいのにと考えて、恥ずかしくなって頭を掻く。
「あ」
頭を掻いて、思い出した。
「アンタよくあれが俺だって分かったな」
自分自身でも別人にしか思えなくて違和感があったというのに。
相澤は、
「お前がどんな姿になろうとすぐに分かるよ」
と言い切った。さも当たり前かのように。なんて事ないと言った顔で。
好きだの愛してるだの言われるよりもいっそう恥ずかしい言葉に、顔が赤くなったのが分かって顔を背けたが、どうせ見られてしまったのだろう。服についたリップで怒っていたくせに、すっかり機嫌が良くなっている。
「でもやっぱり黒髪より今のままがいい」
「そうかよ。……もういいからさっさと風呂行けや」
シッシッ、と手を振って。しかしどうにも悔しかったのでやり返してやろうと相澤を呼んだ。
そして。
「ヤる準備してっから、さっさと出て来いや」
手の甲で赤い顔を隠して、ジロリと睨んでそう言えば相澤の目が眇められて随分と悪い顔になる。
経験上、その顔をするときは必ず爆豪にとってよろしくないことが起こる。
「ホイップクリームの仕返ししてやるから覚悟しろよ」
やっぱり、よろしくない事をさてれしまうらしい。
今のナシで、と言う前に今度は静かに閉められたリビングの扉。
「クソッ」
悪態を吐いたところでもう遅い。これは覚悟をしなくては。
爆豪はこれから自分の身に起こるであろう諸々を想像しては身震いをし、それからローテーブルに置きっぱなしにしているスマートフォンで明日のシフトを確認した。