夏が始まる前の、風が心地よい週末の街には浮かれた人間が多くなる。
ふと耳に入ってきた声に爆豪は顔を上げ、声の主を探す。存外苦労せずに見つけることが出来たのは、声の主が少々目立つ色合いをしているからだ。ピンク色の肌と髪の毛、それから大きな黒目。ひらひらと風に揺れる濃紺のワンピースには色鮮やかな赤の小花が舞っていて、視覚情報が多い。
その色彩を塗りつぶさんばかりに取り囲む三人の男は、どう見たって「仲のいいお友達」には思えなかった。
「チッ」
ヒーローたるもの、そして顔見知りたるもの、あの状況を放っておけるわけがない。
さっとスマートフォンを取り出してメッセージを送りながら大股で近寄っていく。そして、目の前の男たちに向かって迷惑そうに眉を寄せて睨み付けている芦戸三奈の手首を後ろから掴んだ。
「遅れた。行くぞ」
「――え、あっ」
唐突に掴まれた手と、手の先の顔を見て、大きな瞳がまん丸になっている。ぱか、と呆けたように開いた口はすぐに爆豪と名前を呼ぶ。
「退け」
それには答えず、爆豪は目の前の男に吐き捨てた。
こういう時、顔が世間に知れ渡っていることがメリットとなる。芦戸に向かって散々気持ちの悪い声でデートに誘っていたナンパ野郎は、ばくしんち、とひどく震えた声を出した。下品な笑顔が引っ込んだのは好都合。そのままどっかに行ってしまえ。
「聞こえねぇのか。退け」
サァッと顔色を悪くした男たちは蜘蛛の子を散らすように逃げ去っていく。チッ、と駄目押しで聞こえるように大きく舌打ちすれば更に小さな悲鳴が上がった。たったこれだけの威嚇で逃げるくらいなら最初からナンパなどするな。呆れて小さく嘆息。
「クソだせぇ」
逆に知名度がデメリットとなり、面倒な事態に発展する場合もあるのだが、一先ず今日は大丈夫そうだ。小馬鹿にするように眦を眇めてせせら笑えば、引っ張られるようにして左腕に芦戸がしがみ付いてきた。
「ばくごー!」
「アァ!? ンだよ、くっつくな!」
「ありがとう、爆豪! 助かったよぉ、駅からずっとしつこくてさ」
「駅からって、……あんなクソみてぇな奴らさっさと追っ払えや」
「いやぁ、面目ない」
アタシ目立つからあんまり大事にしたくないんだよ、としょんぼりと肩を落とす。だが、落ち込んでいるのは一瞬で、すぐに顔を上げていつものように、にぱっと大きく笑う。
「だからさ! ほんとに助かったよ。ところで爆豪これからどこ行くの?」
「……この先の、」
「ショッピングモール!? アタシも! 一緒に行こ!」
「なんで、」
「そうと決まればサクサク行こー! さっきのせいで待ち合わせ時間過ぎちゃってるんだよね」
「聞けや」
「あ、腕このままね。またナンパされても面倒だし、それに今日の爆豪格好いいし!」
「だから聞けっつってんだろうが! つうかなんだ、今日のって! いつもと変わんねぇわ!」
「変わるよ! なんかこう、キリッとシャキンってしてて、でも可愛い!」
「意味分かんねぇ」
掴まれた左腕は振り払えず、更に邪魔者も居なくなったのであっという間に目的地に着いた。平日ですら賑わいを見せる大型ショッピングモールは、週末ということもあり人で溢れ返っていて、待ち合わせ場所としてよく活用されるモニュメントの前はいっそう人口密度が高かった。
「そう言えばさ。爆豪は誰と待ち合わせしてんの? もしかして一人?」
「あ? あー…………」
芦戸の質問には答えずにキョロキョロと周りを見て回る。
派手な色合いだから目立つと自分でも言っていた芦戸とは真反対の色合いのあの男は、こういう時見つけにくい。しかも、最早癖になっているのか、人目のつきにくい、ちょうど盲点となるような影に紛れるので余計だ。
暫く歩いて、ようやっとお目当ての黒を見つけた。どうせ普段と変わらない緩い恰好で来るのだろうと思っていたが、場所が場所だけにそれなりに気を遣ってくれたらしく、シャツなんかを羽織っていて小綺麗だった。――とは言え、全身真っ黒に変わりはないのだが。
それでも爆豪は機嫌が良くなった口元を緩め、軽くなった足で、芦戸とともに歩いていく。
そして。
「あれ? せんせーだ!」
爆豪の腕を掴んでいる手とは反対の手を大きく上に上げて、周りの目など気にせずに相澤を呼んだ。ブンブンと音がするほどに振っていれば、気付いた相澤が軽く手を挙げて近寄ってくる。
「相澤先生こんにちはー! お久しぶりです」
「はい、こんにちは」
「悪ィ、遅くなった」
「いいよ。メッセージくれてただろ」
「!」
相澤と爆豪の会話に、大きな目を更に大きくして、ハッと息を呑んだ。
「デートだ!」
そして一際大きな声で言うものだから、脊髄反射で「デートじゃねぇわ!」と叫び返してしまった。何事かと周りの目がこちらに向くが、女性である芦戸がいるからか、特に誰に何を言われることなく視線が散っていく。
流石に注目を集めてしまったことに気が引けたのだろう。芦戸の声は小さくなって、それでもやっぱり「デートだ!」と言って唇で弧を描く。
「そっかそっか。爆豪が今日いつもより格好良くて可愛いのはデートだからか。先生ごめんね、私が先に堪能しちゃって!」
でもこれナンパ避けだから。深い意味はないから。爆豪が先生大好きなのみんな知ってるから!
芦戸は爆豪に絡みつけていた腕を離して、今度は相澤の手を取った。爆豪との距離を縮めるように引っ張って、反対に自分は離れていく。並んだ二人を上から下まで眺めて、うんと納得したように頷いた。
「お似合い。写真撮る?」
「撮らねぇわ! さっさと行けや!」
「あはは! 爆豪顔真っ赤だよ!」
「うるせぇ‼」
爆豪の怒鳴り声などとうの昔に慣れている芦戸は臆することなく笑って、じゃあねと手を振って歩いていく。元気という言葉を体現したかのような芦戸に、相澤は相変わらずだなと言いながら手を振っていた。
「――……ところで、爆豪」
「あんだよ」
「今日はデートじゃないのか?」
「デートだわ!!」
わざとらしく、しょんぼりとした顔で聞いてくるものだから、爆豪はわっと叫んで相澤の手を掴んで歩き出した。
***
デートとは言え、無駄に歩き回るのが好きではない相澤を長々と外に連れ出すつもりはなく、ある程度の買い物が終わった時点で彼の家へと向かった。
手を洗ってうがいをして、買ったばかりの珈琲豆を挽いてそれぞれのコーヒーカップへと注ぐ。
アイスコーヒーにしようかと提案したのだけれど、ショッピングモール内の冷房が思った以上に寒かったからと、温かいものにした。
淹れ終わったと同時にキッチンに入ってきた相澤に持って行ってくれと頼めば、頷いたくせに持とうとはしない。なんだ、と首を傾げてやれば手がこちらに伸びてきて、左腕に絡みついてきた。
「……は?」
更に、大きな体をどうにかこうにか曲げて無理矢理寄り添ってくる。爆豪の肩に頭を預けようとしてくるが、窮屈そうな上に、こちらは邪魔で仕方ない。
「マジで何がしたいんだ、アンタ」
身長差は大分縮まったとはいえ、まだ相澤の方が高い。なんだったら今年の健康診断で少しばかり身長が伸びているという情報は、マイクから入手済みである。
「いや、芦戸と腕を組んでるのが自然に見えたからな。ちょっとやってみた」
「あれと比べんのは無理あんだろ。身長が違い過ぎる」
「そうだな」
それだけ言って、相澤はさっさと爆豪から離れた。頼まれた通りにコーヒーカップを持ち、元いたソファへと戻っていく。
「……なんなんだよ」
残された珈琲の匂いと同じくらい、苦々しく吐き出した。
そんな風に女性と比べられてしまっては面白くない。相澤が言いたいのは身長差だけの話じゃないから。付き合う前も。付き合ってすぐも、散々言われたのだ。本当に男の俺でいいのか、と。
好きだけど、好きだけじゃどうにもならない現実があるのは重々承知である。
そして、承知した上で傷つく時が来るのも覚悟している。それでも相澤がいいからと、爆豪は何度だって強く頷いた。傷付いたくらいで負けてしまうほど、軟な愛情ではない。
(……でもこういう比べ方されんのは好きじゃねぇ)
芦戸とは自然でも、相澤とは不自然。言葉より態度で示されるのが一番嫌だった。
折角のデートで楽しかったのに、と心が萎んでいく。もしかしたら別れ話にでも発展するのだろうかと思考回路が淀んでいく。
しかし。
「ほら、お前もこっちおいで」
相澤のたった一言で、素直に足が彼へと向かってしまうのが悔しい。とは言え、いつものように距離を詰めて座ることが出来ず、狭いソファの中で出来るだけ距離を開けて座る。
「なんでそんなに遠いんだ。こっち」
再び相澤の手が伸びてきた。今度は腕ではなく肩を掴まれる。そのまま引き寄せられて、頭が収まったのは相澤の肩だ。
「今はまだこっちのほうがしっくりくるな」
そのまま相澤の頬が擦り寄ってきて、整髪料が付着していない柔らかな毛先の感触を楽しんでいる。次いで、前髪を掻き分けるように鼻が当たって、額にキスをされた。てっきり別れ話でもされるのかと思っていた爆豪の脳内は、急なスキンシップに緊急停止。けたたましくアラートが鳴って煩くてしかたないのに、相澤の声だけはすっと入ってくる。
「そのうちもっと爆豪の背が伸びて、これも窮屈になるんだろうな。そうなったらどうくっつけば自然だろうな」
なんだ、と一気に肩の力が抜けた。深読みしていた自分が馬鹿みたいだ。
だって。
「まぁいいか。お前が大きくなったらそのときにまた考えるか」
どうやら、背が伸びても一緒にいてくれる気らしい。
「〜〜〜っ、あぁもう! クソが!」
「んん?」
何怒ってるんだ、と顔を覗き込んでくる相澤を押し退けて、そのまま押し倒してやる。
無防備な体に乗っかって、重たかろうが痛がろうが関係なく全力でしがみ付く。キスされたばかりの額を鎖骨あたりにグリグリと押し付ければ、いたいよ、と宥める様に優しく背中を叩かれた。
仕方ないので攻撃は一旦止めて顔を上げる。名前を呼んでくる唇に噛み付いて、それから、外出するからと髭が整えられていてチクチクしない頬を左右に引っ張った。
「なんなんだ」
口が開いているせいできちんと発音できていなかったけれど、きっとそう言ったのだろう。
「うるせぇ。何もねぇわ」
「ふうん?」
そうか、なんて。何か言いたげな目をしているわりにはあっさりと引くものだから、爆豪はうっすらと嫌な予感を察知した。肉の薄い頬から手を離そうとしたら即座に捕まり、驚く間もなく体が反転する。視界がくるりと回って気持ち悪い。
「じゃあ教えてくれるまで反撃な」
「あ?」
「任せろ。先生は口を割らせる作業が得意です」
「あぁ⁉」
自分のことを先生だなんていうくせに、ニタリと笑う顔は教師のそれではない。
爆豪は大慌てで逃げそうと画策したが、あっと言う間に相澤の毒牙にかかってしまう。力も細かい部分の技術もまだ追いつけていなくて、捕縛布が近くになくて本当に良かったと心底思った。
呼吸困難になるまで擽られ、それでも負けず嫌いが故に喋らずにいれば、戦いのリングはソファからベッドへと移動した。
こうなってしまえば爆豪に勝機などない。
しかしそれを認めるのが嫌で、爆豪は何度だって攻撃できる隙を伺うのだ。キスをされたら噛み付いて、服なんて破るように奪ってやった。飛んで行ったシャツのボタンは見つかりそうにない。
とうに勝負事などどうでもよくなっていたのだけれど、ただ二人で遊ぶ口実が欲しかった。
折角、時間をかけて選んだ珈琲は冷たくなってしまった。相澤は爆豪が怒っている理由が分からないままだった。何かあるようで、何もない、合理性の欠片もない一日。
それでも二人がじゃれ合って、肩を寄せて笑うには、ちょうどいい休日だった。