心配なのさ

「かっちゃん。先生が家にいるってどんな感じ?」
ふと、会話の合間に投入された質問。
グラスを傾けていた手を止めて隣の席に座っている上鳴を見た。既にほろ酔い状態の上鳴は、へらりと口角を上げて擦り寄ってくる。ウゼェ! と引き剥がしたところですぐに復活しては、ねぇねぇかっちゃんと絡んでくる。
テーブルを挟んだ向こう側にいる瀬呂に上鳴が飲み過ぎないように見ておけと言ったのに、当の瀬呂は、これまた顔を赤くした切島の熱いヒーロー談議に捕まっていて身動きが取れそうにない。
「いっつも何聞いても、秘密とか、誰が言うかとか、そんなんばっかじゃん! ちょっとくらい教えてくれよぉ」
とうとうコアラにでもなったかのようにがっちりとしがみ付いてきた。こうなると引き剥がすにも一苦労。何せ相手も現役ヒーローなのだ。爆豪や切島の体付きには少々劣るとはいえ上鳴とて鍛えている。酔っているのでいっそう力が強い。
「かっちゃあああん」
更に、今にも泣きそうな声で名前を呼んでくるものだから周りの目が痛い。
「っるっせぇ! 分かったから離れろ!」
根負けした爆豪がそう叫ぶが、上鳴は一向に離れようとせずに次の言葉を待っている。どうやらきっちり話すまで離れる気はないらしい。
「何が言いてぇんだよ。聞きてぇことはハッキリ言いやがれ!」
「だぁから! 家に帰ったら先生がいるのって! どんな感じ!?」
「だから! 質問の意図が分かりにくいっつってんだろうが! テメーの指す先生っつうのは、職業としての教師のこと言ってんのか、相澤消太のことを言ってんのかどっちだ」
「? ええぇ、かっちゃん話が難しい……」
よく分かんないから相澤先生の話して、と言われて嘆息。
「教職者が家に居る気分」というのならば「特に支障はない」と答えるまでだ。
個人情報保護の観点から相澤は絶対に家に仕事を持ち帰らないし、今受け持っている生徒の話だって聞かない。今はもう相澤の生徒ではないので当然ながら、課題をしろだの、消灯の時間だから早く寝なさいとかそういうことは言われない。同棲するに当たって校則のようなルールはないし、少々市民に怒鳴ったところがテレビで放送されたところで反省文を書かされることもない。
確かに相澤は教職者ではあるが、一緒に住んでいるのは雄英の寮ではなくプライベートマンションだ。そこに帰ってくるのは学校の先生ではなく、ただの相澤消太。だから特に支障はない。
だが。
「かっちゃんはやく!」
この色々な期待が籠った目を見るに、そんな面白くない話を聞きたいわけではないのだろう。上鳴の言う「先生」は「爆豪の恋人である相澤消太」で、その相澤が家に居る気分はどうなのだと聞いているのだ。
そうとなれば。
「悪い気はしねぇ」
答えはこうである。
「おっ! なぁ瀬呂、切島、聞けって、かっちゃんの惚気が始まるぜ!」
上鳴が声を掛けたことによって、ヒーロー談議は一時中断。三人の目は爆豪に釘付けである。
「悪い気がしないってことはかっちゃんは相澤先生と居るのが楽しいってこと?」
「バァカ、楽しいだけじゃねぇわ」
「あ、やっぱり喧嘩すんの?」
一人顔色の変わらない瀬呂が焼き鳥に手を伸ばしながら、ニヤリと笑いながら聞いてくる。どうやら彼は二人のそう言う部分も聞きたいらしい。しかし残念でした。
爆豪はようやっと上鳴を引き剥がしてハイボールを一口。それからテーブルに頬杖をつく。じっと爆豪の言葉を待つ三人の顔を見た。
「落ち着く」
前のめりになっていた三人は、たった四文字で吹き飛んでケラケラと笑う。
誰彼構わず睨みを効かせ、怒りの導火線が短く、何かといえば怒鳴っている印象で、助けた相手にも怖がられて泣かれることがあるあの爆豪勝己が。
誰かに甘えることも縋ることもなければ、本心を曝け出すことだってそうないあの爆豪勝己が。
たった一言「落ち着く」とは。御見それしました、相澤消太大先生。
「爆豪の惚気がこんなにも威力があるとは思わなかったなぁ」
爆豪の一言にいっそうテンションが上がってしまって最早何を喋っているか分からない上鳴と、真っ赤な顔を更に赤くさせておいおいと泣き始めた切島は放っておくことにした。多分これは五分もしない間に眠ってしまうだろう。
「もう二度と言わねぇ」
「まぁそう言うなって。俺たちだって心配してる節はあんのよ」
「心配されるようなことしてねぇわ」
「いや、分かってんだけどね。相手だって俺たちよぉく知ってるし」
でもさ、と瀬呂が残り一口のビールを流し込む。
「友達にはいつまでも幸せでいてほしいじゃん」
だからきっといつまでも心配するよ、と続いた言葉はやけにむず痒く思えて、爆豪もハイボールの最後の一口を飲み干した。


***


「――もしもし、今大丈夫なんかよ。……へぇ、もう終わったんか。そっか。あぁ、こっちもさっき解散して今帰ってるとこ。うん、……消太さん、今日は寮に泊まるんだろ?」
一人になった帰り道。左の耳にスマートフォンを押し当てて、どうにも聞きたくて仕方なかった声を耳から脳へと滑り込ませていく。
「酔ったままでその辺で寝てんじゃねぇぞ。ちゃんとベッド行けよ。……ん、俺はあんま飲んでねぇし、明日も仕事だからな」
大した用事があったわけでもないので、だらだらと話していれば大きな欠伸の音が聞こえた。それから衣擦れのような音も聞こえるので、大人しくベッドに潜り込んだのだろう。
「じゃあ切るわ、そのままちゃんと寝ろよ」
寝るのを邪魔してしまうのは申し訳ないからとそう言えば、もう少し、と普段は厳しい声が柔らかくなって爆豪を求めてくる。
「……しゃーねぇなぁ」
どうせすぐに眠ってしまうくせに。喋るのだってもう限界なくせに。
それでもそんな風に甘えられたら無下になど出来なくて。クツクツと笑いながら、何を話そうかと考えていれば、機嫌が良いなと言われてしまった。
「今日の酒は美味かったんだよ」
あぁでも素直に認めるのは悔しいから、ちょっとだけな、と付け加える。
返ってきた返事は既に言葉になっていなくて、それでも爆豪は声のトーンを落として話を続けた。くだらないことでも、笑える話でも、嬉しかったことでもなんでもいい。人の声を聞きながら眠るのは存外落ち着くのだと、この男が教えてくれた。
そのうち返事は寝息に変わって、名前を呼んでも反応はない。
「おやすみ、消太さん」
明日になればまた忙しく走り回るだろうから。どうか今夜はゆっくりと。

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