肩に回された長い腕に捕まった爆豪は、腕の持ち主を見るために首を捻る。
普段、喉元を覆っている指向性スピーカーはなく、やけに白い首筋の上、にんまりと笑っているグリーンアップルの瞳と目が合った。
とある事件が無事に解決したあとの打ち上げ、というには小規模且つ顔馴染みが多い居酒屋での飲み会だからか、プレゼント・マイクはいつものサングラスではなく伊達眼鏡を装着している。そのため、爛々と輝く瞳の色も映し出された浮き足だった感情も手に取るようにわかる。
要は、物凄く楽しそうで喋りたそうにしている。
「ンだよ」
聞いてやれば指を指す。爆豪ではなくその隣に座っている相澤に、だ。
そして。
「スカした顔して酒飲んでっけど、おたくの元担任ってば彼女に振られて傷心中なんだぜ」
とんでもない爆弾をポロっと何気なく落とすものだから、酒に塗れた脳では即座に反応が出来なかった。
「……マイク、テメーあとで覚えてろ」
僅かな沈黙に割って入ってきたのは相澤である。生ビールが入ったジョッキから口を離して、今日戦った敵に向けるよりも恐ろしい顔をしている。
「こういうのは色んな奴に話して意見をもらうべきだって! ついでに傷も癒しちゃおうぜ?」
「お前が喋りたいだけだろうが!」
「HAHAHA! 一日で学校中に広まっちまったよな!」
「お前が広めたんだよ! そのデカい声でな!」
怒鳴ったところで慣れているマイクは、酔って調整の取れていない声でヘラヘラと笑う。想定外の話題に停止したままの爆豪は、その声でようやっと動けるようになった。
「……」
どう声を掛けるべきなのかと迷いながらジッと見つめていれば、下唇を突き出して、気まずそうにしている相澤がガシガシと自身の頭を掻いた。
「知りたくもない話を聞かせて悪いな」
「……つうことは事実なんかよ」
「おッ! なになにバクゴーもそういう恋バナとか興味あんの? 好きなタイプとか喋っちゃう? ちなみに俺はプリッとしたヒップが最高にキュートで、」
「ミッドナイトさん、マイクが飲み比べしたいみたいですよ」
「ワッツ⁉ ちょっ、何言ってくれてんの、相澤ァ⁉」
「あらいいじゃない。こっち来なさいよ、ほら早く」
これ以上好き勝手させるまいと、相澤がマイクをミッドナイトへと献上し、一気に静かになったところで再び謝られた。別に、とだけ呟いて特に欲しくもなかった枝豆に手を伸ばす。置かれてから時間が経っているそれは美味くはないだろうけれど、何かしていないと落ち着かない。
しかし、どうにも力の加減が上手くいかなくて、皮から飛び出た豆は遠くの皿の中へと旅立ってしまう。既に机の上は誰の皿かも分からないほどにごった返していて、取り戻す気にはなれない。
チッと小さく舌打ちすれば、隣から相澤の手が差し出された。大きな手の平の上には枝豆が二つ転がっている。
「……ドーモ」
素直に受け取って、口へと運ぶ。
「まだいるか?」
「いる」
他の誰かの皿に入ったのは嫌でも、相澤の手の中のものには嫌悪感はない。再び差し出された枝豆は直接口の中へと放り込まれた。開いた唇に指先が触れる。
「美味いか?」
「ん」
人の指から直接、なんてことを許すのは相澤だけだ。これを許してしまうくらいには、相澤のことが好きだった。
「さっきのって、本当に、本当の話なんか」
「……まあね」
話し始めたマイクがいない今、蒸し返すのは止めたほうが良いと分かっていても、どうしても口が止まらない。
だって聞いてみたい。相澤の恋愛事情を。
この男はどんな顔で、どんな風に人と寄り添うのだろう。
「なんで」
「なんでって、普通に価値観の相違ってやつだ」
「価値観」
「そ。同い年だったから、」
「結婚か」
「そういうことだ」
結婚する気があるのかないのか決めてくれと、迫られたらしい。そして相澤は結婚しないと淡々と突っ撥ねた。
「結婚が全てではないと思うが、人それぞれだからな。結婚したいなら俺以外に目を向けるべきだ。結婚しないと言っている俺に固執するなんざ、」
「合理性に欠けるとか言ったんだろ、アンタ」
「……」
「引っぱたかれたんか」
「二発」
「避けなかったんだな」
「避けたほうが恐ろしい目に遭いそうだったからな」
「どんな女だよ」
想像しては思わず小さく笑って、今度は自分で食べようと枝豆に手を伸ばしたけれど、もう抜け殻しか残っておらず、諦めてお手拭きで指先を拭う。
後ろ手で床に左手をつき、上体を傾けた。することが無くなった右手で机を意味もなく触り、汗をかいているグラスを撫でる。
「好みのタイプとか、あんのか」
「結婚しないって言っても叩かない」
「アンタの言い方が悪かっただけだろ」
「じゃあゴツゴツした指輪つけて往復ビンタしない奴」
「指輪ついてたんか」
「人差し指と中指にな。流石に痛かった」
ここ切れたんだよ、と見せてくれた右頬には無精髭に隠れて確かに傷が残っている。
「あとは」
「あと? お前意外と恋バナ好きなのか?」
「恋バナって単語が似合わねぇな、イレイザー」
「お前だって似合わないよ」
向こうではマイクが半泣きになりながら生ビールを一気飲みしている。さっきまではまだ白かった首筋まで真っ赤だ。あれは二日酔いコース決定だろう。
相澤はそれを見てクツクツと笑っている。ザマァミロと顔に書いてある。
「例えば料理が出来るか出来ないかとかは?」
「え、まだするのか、この話」
「いいから、はよ」
「……まぁ料理出来るほうが助かるかな」
「それから?」
「んん、物を溜め込まないとか、休みがなくて出掛けられなくても怒らないとか、会えなくても文句言わないとか」
「ふうん」
全くもって恋愛に向いてないんじゃないかとも思ったが、口には出さないことにした。それを言ってしまったら今から自分が言おうとしてあることを全部潰してしまうことになるからだ。
「せんせ」
相澤の言う好みのタイプを頭の中で反芻して、もじ、と居心地悪く体を揺らした。柄にもなく緊張してしまって、口の中が渇いていく。貸し切っている大部屋に響く酔っ払いの戯言も、年配ヒーローの武勇伝も、グラスが倒れる音も、マイクの悲鳴も。どれも耳に入らなくなるほど、酒浸りになった頭の中は相澤のことでいっぱいだった。
「料理出来るし、物が多いのは好きじゃねぇし、増えても整理できる。休みがねぇのはお互い様で、尚且つ仕事には口出さねぇ」
「なんだ、お前の知り合いでも紹介してくれんのか?」
でもお前の知り合いだと随分年下になりそうだな、と興味があるのかないのかよく分からない落ち着いたトーンで話しながら、相澤も右手を床についた。
「知り合いっつうか、――……俺だって言ったらどうする」
その手に触れるように左手を滑らせて、ツン、と小指同士が当たる。
ミッドナイトとマイクの飲み比べを眺めていた相澤の顔がこちらへと向いた。驚いて、嘘かどうかを勘繰っている顔をしている相澤に、口端を吊り上げて笑ってやる。今出来る精一杯の強がり。本当は心臓がドクドクと忙しなく動いて仕方ない。
「好きになってもいいぜ、俺のこと」
眦を眇めて、挑発するように強気に言えば、相澤の眉がピクリと動いた。
真っ直ぐこちらを見ていた視線が一瞬揺れて、ゆっくりと相澤の左手が伸びてくる。赤らんだ頬に指先が触れた。冷たい指先が気持ちいい。
そして。
「生意気なこと言ってんじゃねぇぞ、ガキ」
むに、と鼻を摘ままれて不細工な呼吸の音が鳴る。反射的に手を振り払って睨みつけた。
「っ、ガキじゃねぇわ!」
「遊びで告白紛いなことして人を揶揄うなんざガキのすることだろうが」
生意気でも、遊びで言ってるわけじゃない。ただ、強がりながらも本心を伝えたつもりなのにと反論しようと口を開くも、相澤の溜め息に反射的に口を閉じた。
「大人を揶揄うんじゃありません。そもそも好きになってもいいって、お前は俺のこと好きでもなんでもないだろ? いいか、爆豪。酔ってても言っていいことと悪い事があって」
「説教なんざしてんじゃねぇ」
「説教じゃなくて、これはお前がだな、」
「あーもう、うるっせぇ」
認めたくはないが相澤の言う通り言葉は間違えた。もっと別の言葉を使うべきだった。
初めての告白と、いつもより鈍った判断力と、滅多としない失敗に急に恥ずかしさが込み上げてきて耳が熱くなっていく。これ以上は聞きたくない、目を合わせたくないと意思表示するように膝を抱えて丸くなる。
「冗談言って恥ずかしくなるなら言うなよ。そういうところがガキなんだ」
あと、俺じゃなくてもっと可愛い子にでも言ってやれ。お前なら誰でも落とせるだろ。
そう続いた言葉に、余計なお世話だと奥歯を噛み締める。赤くなった耳を隠すように両手で覆う。
「……うるせ」
とうとうマイクが倒れるように眠ってしまって、飲み比べは終わったようだ。元気なミッドナイトは次のターゲットを決めようと辺りを見渡しているし、他のヒーローは必死に逃げている。
騒がしい周囲とは対照的に二人の間に沈黙が落ちる。
居た堪れなくなった爆豪は、組んだ腕に沈めていた顔を少しだけ持ち上げて相澤を見る。すると視線に気付いた相澤もこちらを見てくる。
「どうした」
説教などすっかり忘れた優しい声色は、昔の記憶を呼び起こす教師のそれだ。伝わってないとは言え、こちらとしては告白をしたつもりだったので、このタイミングでその声は苦しかった。
胸が締め付けられて、鼻の奥がツンと痛くなる。
――この男の中で、子ども以上になれない自分が嫌になる。
「もうガキじゃねぇんだよ」
じわ、と視界が滲んだのは酒のせいだと思いたい。
「ガキじゃねぇし学生でもねぇ。さっきは間違えちまったけど、俺はただアンタが――……」
好きなのだと、そう言おうとした瞬間に誰かがグラスを落としてガシャンと大きな音が響く。相澤の視線は爆豪から外れてそちらへと向く。
まるで、告白するなとでも言われているようなタイミングに笑いすらこみ上げて来て、爆豪はすくりと立ち上がった。酔っているせいでふらついたが、どうにか踏ん張る。
「あ、おい、ばくご」
「帰る」
「は? おい、まて、お前まだ話が途中で」
相澤の制止は、聞こえないふりをして外へと向かう。
いっそ飲み比べの勝負でもすれば良かった。そうすれば浴びるほどに酒を飲んで、気持ち悪くなって鬱蒼とした気持ちも何もかもを吐けるのに。そして記憶を飛ばして、二日酔いになって、気持ち悪ィなんて言いながらいつもの日常が送れたのに。
しかし後悔したところでもう遅い。
不完全燃焼で終わりを告げた恋心を今後どうするか考えながら、誰もいない夜の歩道をふらりと歩く。
***
「あれー? 爆豪くんってば帰っちゃったのぉ?」
中途半端に伸ばした手を仕舞えないまま固まっていれば、ミッドナイトが絡みついてきた。飲み比べ勝負しましょうよ、と誘われたが、今の相澤はそれどころではない。
(泣いてた、よな……?)
安っぽい照明を乱反射させた瞳が頭に焼き付いて離れない。
てっきり揶揄われているのだと、冗談で言っているのだと、そう思ったのに。爆豪は本気だったのだろうか。本気だったから、足蹴にした自分の態度に傷付いたのだろうか。
――だとしたら、悪いことをした。
「俺も帰ります」
もう爆豪は自分の教え子ではなくて、酒が飲めるほどには大人なのだ。
「えー、もうお酒来ちゃったのにぃ!」
「すみません、お金此処に置いておくんで、あと爆豪の分も、これ」
あんな顔をした爆豪を独りにさせることなど出来ず、もたつく指で紙幣を財布から取り出して机に置いた。諦めきれずに捕まえようとしてくるミッドナイトを躱して、お疲れ様でしたとさっさと立ち上がる。
爆豪が残していったグラスの中の氷が、カランと小気味の良い音を立てた。