恋心とボールペン

何事にも無頓着に見えて、実はこだわりがあるのだなと知ったのはいつだったか。

最初は寝袋だったと記憶している。
まず寝袋を持ち歩いている教師というものに出会ったことがなかったので、そちらに気を取られて一瞬気付かなかったが、使用している寝袋はどれも機能性が良く、評価が高いものばかりだ。爆豪が入学した当時に使用していたものからマイナーチェンジを経た今でも、メーカーは変わっていない。一度、話の流れで触らせてもらったことがあるが、触り心地も温もりも、眠るのに最適なものだった。
次は、いつも口にしているゼリーだ。
こちらも特定のメーカーのものを愛飲している。しかも、毎日同じものを持っているように見えて、実は味や配合されている栄養素が違っているのだ。昨日は鉄分が多く含まれているベリー味のもので、今朝はビタミンCが多く含まれているレモン味のもの。昼にはまたベリー味に戻っていたので、実はこっそりと怪我でもしているのかもしれない。よく観察すれば相澤の体調の変化が見て取れるので、爆豪の中であれは一つのバロメーターと化している。
そして、最後はボールペン。
机の上に転がっているものを、人のものでも何でもいいから手に取って書いていそうに見えるが、そうではなく自分専用のボールペンを持っている。とは言え、名前が刻印されているとか、分かりやすいマスコットがついているとか、そういうのではない。どこにでも売っていて、量産されている、極々一般的なもの。だから気付くまでに時間がかかった。偶々相澤が落としたボールペンを拾っていなければ、そして相澤が「助かったよ、探してたんだ」と言わなければ、こだわっていることに気付くのはもっと遅かっただろう。


爆豪は、雄英から与えられた寮の自室で、買ったばかりのボールペンを眺めた。
机の上に真っ白のメモ帳を広げて、そこに試しに一本線を引いてみる。うん、確かに書きやすい。気に入るのも納得だ。するすると抵抗なく書ける。
そのまま自分の名前も書いた。次は意味もなく丸を二つ書いた。
真っ白ではなくなったメモ帳を一枚破って、丸めてゴミ箱に放った。真新しいボールペンはそのまま筆箱へと仕舞う。
これは明日から学校で使うことにした。ボールペンは授業ではあまり使わないから滅多と外に出さないだろうけど、それでも持っていく。

「…………ばかみてぇ」

――分かっていても、持っていくのだ。
寝袋やゼリーはそう易々と真似は出来ないし、常に持っていられない。
でもボールペンならば誰からも怪しまれることなく、あの男とお揃いにすることが出来る。筆箱を開ければ、いつだって相澤と同じものがそこに入っている。
これが十六の自分が、今できる精一杯の恋愛だった。


* * *


そんな、自分の中での恋愛を表したボールペンを、初日に落とすとは思わなかった。

「こンの、アホ面ァ! このまま見つからなかったらタダじゃおかねぇからな!」

移動教室の帰り道。何気なく筆箱を開けて件のボールペンがきちんと入っているか確認しようとした爆豪に、文字通り上鳴が飛んできたのだ。どうやら峰田と一緒に女子に絡んでいった末路らしい。普段ならばひょいっと避けて知らぬ顔で放っていくのだが、今日ばかりは手元に気を取られ過ぎていた。

「だ、だって、かっちゃんがそんな気に入ってんだなんて知らなかったんだもんよお!」

当たった拍子に手から教科書やノートが全部零れ落ち、あっと言う間にボールペンだけが行方不明。時間は昼休みに突入していたため、切島や瀬呂には先に食堂に行くように言い、だからごめんってばぁと泣きながら謝ってくる上鳴とは、長い廊下をもう三往復はしている。
それでも見つからないので、もしかしたら知らない誰かに蹴飛ばされてどこか遠くへと行ってしまったのかもしれない。ここは人通りが多い。しかも昼休みというこのタイミング。最悪だった。

(クソッ!)

たかがボールペン。されどボールペン。
ただ相澤とお揃いが持てたら、なんて気軽に買っただけなのに、思った以上に重く捉えてしまっていたらしい。甘く、密やかに育てている恋を、知らぬ誰かに蹴飛ばされ、無かったことにされるのは想像するだけで我慢ならなかった。
自分が捨てるのはいい。でも、何も知らない第三者に捨てられるのは――……。

「何やってんだ、お前ら」

ギクリ、と肩が跳ねる。廊下に這い蹲って隅まで隈なく探していた情けない恰好のままで、首だけ動かして振り返った。個性を抹消出来る強い力を持っているとは思えないほど、寝起きのような気だるげな瞳と目が合う。

「せんせー! お願いします、助けてください、後生ですから!」

爆豪が返事をするより先に上鳴が相澤に飛びついて縋りつく。ボールペンが、と言いながらもぐうぐう腹が鳴っているので、早く食堂に行きたいのだろう。

「おい、なんだ、泣くな、……爆豪、説明しろ」

ボールペンと腹の音だけでは理解が出来ない相澤が、一体何があったんだと説明を求めてくるので、立ち上がって出来る限り淡々と説明した。勿論、きちんと峰田と上鳴が女子に鬱陶しく絡んでいって怒られたことも伝えたので、その部分に関して上鳴はジロリと睨まれていた。

「だから、その、ボールペンを探してただけだわ」

でもどれだけ探してもないのだと続ければ、そうかと頷いた相澤が上鳴をべろりと剥がしてこちらに近付いてくる。
そして。

「もしかして、これか?」

ポケットの中に入れた相澤の手が目の前で開いて、中から出てきたのは間違いなく自分のボールペンだった。

「っ、これ……!」

まさか相澤の手の中にあるとは思わずに驚いて、一気に心臓が跳ね上がった。どうぞ、と差し出されて力の加減など出来ずに奪うように取ってしまった。それでも相澤は気にする素振りもなく、お前のだったのかと言って手をポケットへと戻した。

「先生それどこにあったんっスか!?」
「あっち」

同じくらいに驚いている上鳴が聞くと、相澤が落ちていたところを指差す。それは、二人が探していた廊下ではなく、近くの階段。

「下の階まで転がっていってたぞ」

やはり誰かに蹴り飛ばされてしまっていたらしい。探してもないはずである。

「そっかぁ、でも良かったな。爆豪のお気に入りなんだろ?」
「あ、クソ、黙ってろ、アホ面!」
「なんだそんなに大事なもんだったのか」
「らしいっスよ。失くしたって分かった瞬間にもうすっげぇ怒っちゃって」
「だから! 黙ってろ!」

余計なことを喋る上鳴に怒鳴って、別に書きやすいから気に入ってるだけだわ、と吐き捨てた。嘘は言っていない。今はまだ、相澤に自分の気持ちを知られるわけにはいかない。まだ、子どものうちはどうせ相手にしてもらえない。だから大人になるまで、せめて卒業するまで、知られたくない。嘘のような真実を口にするしかない。

「兎に角、探し物が見つかったなら早く昼飯食ってこい。午後の授業遅れても知らんぞ」

言われて、大人しく二人は頷いた。爆豪はそそくさとボールペンを筆箱に戻し、しっかりと閉じた。もう二度と落とさないと心に決める。
未だに腹が鳴っている上鳴は、我慢できないようで先に歩き出す。それについて行くように歩き出した爆豪を引き留めたのは相澤だった。名前を呼ばれて振り返れば、手に握られている同じメーカーのボールペン。真っ黒の本体に、一本だけオレンジのラインが入った限定品。本当はあれが欲しかったのに、全く同じものはもうなかった。

「俺も全く同じの持ってるんだよ。お前が言うように書きやすくてな」

それから。

「気に入ってるならちゃんと大事にしろ。簡単に失くすなよ」

言って、二人とは反対方向へと歩いていく。

「――――……」

あぁもう、悔しいな、と。
歩こうとしていた足でしゃがみ込んで、真っ赤になってしまった顔を隠すように小さく蹲ってしまった。熱くて、手の平にじんわりと甘い汗が滲んだ。
自分の、今できる最大の恋愛が何の変哲もないボールペンで。それをあっという間に落として、顔の知らない誰かに蹴り飛ばされて。恋が終わってしまったかと思えるくらいに気持ちが沈んでしまっていたのに。
なのに相澤本人が拾ってくれた。しかも大事にしろだなんて。

(……ずりぃ)

何も知らないくせに、勝手に火を点けて。こんなにも燃え上がってしまった感情を、大人になるまでどうしろと言うのだ。ドクドクと跳ねまわる心臓が煩くて仕方ない。無理だと分かっていても、今すぐに追いかけて、この感情を明け渡してしまいたい。

「あれ、かっちゃん行かねぇの? 腹でも痛ぇの?」
「…………今行く」

暴走しそうな恋を深呼吸で抑えつけ、あっと言う間に見えなくなった相澤の背中をひとつ睨み付けた。それから上鳴の元へと足早に向かった。

>> list <<