ここ最近、個性を酷使した記憶はないのだが、溜まりに溜まったデスクワークのせいだろうか。肩も張っているのでその可能性はかなり高い。
相澤は座ったまま両腕を持ち上げて、ぐうと伸びた。それだけで少しは痛みが和らいだ気がした。
痛みが治まらないようなら鎮痛剤でも飲んでおこうかと考えていれば、
「せんせー」
怒鳴るでもなく、威嚇するわけでもなく。どこかまったりとした声に呼ばれた。
振り返って、珍しいなと僅かに目を丸くする。
「どうした、爆豪」
呼び出し以外で、自主的に職員室に来たのを初めて見た気がする。
幼馴染が絡まなければ存外穏やかに話をしてくれる子どもなのだと知ったのは、つい最近のことだ。他の生徒と比べて、爆豪とはあまり一歩踏み込んだ話はしない。敵連合に拉致されるという事件を経ても、全寮制になっても変わりはない。
何かあったかと聞けば、無言で白い無地のビニール袋を手渡された。
「これは?」
受け取って中を見ればスポーツドリンクが何本かと飴が一袋。ブロックタイプの栄養補助食品が二箱。全部新品だった。埃を被っているわけでも、賞味期限が切れているものでもない。今買ったばかりかと思うほどに綺麗な状態。
「切島が、親がいっぱい送ってきたからって分けてくれたんだよ。でも、俺の苦手な味ばっかだから食ってくれ」
「……なんで俺なんだ?」
「アンタなら余計なこと言わねえだろ」
他の奴にやったら切島の耳に入りそうで嫌だ。
そう続いた言葉に、爆豪と比較的仲のいい上鳴や瀬呂を思い浮かべた。瀬呂は、最初に釘を刺していれば問題ない気もするが、上鳴はついうっかり切島にお礼を言いそうだ。近しい友人と拗れたくない気持ちはよく分かる。それに、折角貰ったものを捨てるのも気が引けるだろう。
「駄目なんか?」
「いや、駄目じゃないけど」
生徒から物を貰うことを明確に禁止されているわけではない。暫く考えて、相澤は素直に受け取ることにした。
「じゃあそれの処理宜しく」
相澤が「ありがとう」と言う前に、爆豪はさっさと職員室を出て行ってしまった。本当にこれを渡すためだけに声を掛けてきたようだ。
教室から遠い職員室まで追いかけてこなくても、廊下で声を掛けてくれても良かったのに。そう思いながらビニール袋に手を突っ込んだ。ちょうど喉が渇いていたし、とスポーツドリンクを開けて飲む。ひんやりとしていたそれは、口の中から末端までゆっくりと浸透していく。
次いで、潤った口の中に飴を一つ放り込んだ。外装をよく見ないまま口にしたが、味は甘ったるいものではなく、レモンのスッキリとした味わいのものだった。
これはいい、と追加で二つ手に取って、ポケットの中へと押し込んだ。
雄英高校に全寮制が導入されて以降、決められた時間が来ると、教員は順番に生徒寮を見回りに行かなければならない。
相澤はコスチュームからラフな格好へと着替え、いつもよりゆっくりとした足取りで一年A組の寮へと向かった。正面玄関から入って、ソファでまったりと寛いでゲームをしていた尾白や上鳴と少し話をして、それから仄かにいい匂いがするほうへと足を向けた。
途中、擦れ違った緑谷に「誰か料理をしてるのか?」と聞けば、
「あ、かっちゃんがお腹空いたと言ってさっき作り始めたんです」
と、すぐに返事が返ってきた。
うっかり「アイツ料理も出来るんだな」と零してしまい、何故か得意気な顔をしている緑谷がつらつらと喋り始めたので、適当なところで遮ってキッチンに逃げ込んだ。すまない、と心の中で謝る。今日は長々と話を聞いてやりたい気分ではないのだ。
「お前本当になんでも出来るな」
感心するように、料理をしている爆豪の背後から声を掛けて手元を覗き込む。
自前のものだろうか。二人用ほどの小さな黒い土鍋がガスコンロの上に置かれていた。中に入っていたのは雑炊だ。優しい出汁と醤油の匂いと、とろとろの玉子。細かく刻まれたニラがいい色合い。相澤に見せつけるように、爆豪が木製の小さなお玉が優しく雑炊を混ぜていく。ふわん、と籠っていた湯気が昇って、思わず鼻をすんと鳴らした。
「今日長めに自主練やったから腹減ったんだよ」
「高校生の食欲は底知れないからな。食える時は食っとけよ」
隣に立って懐かしむように言えば、土鍋を見ていた顔がこちらへと向いて真っ直ぐ目が合った。
「アンタもそうだったんか? あんま食ってるイメージねぇけど」
「昔はよく食ってたぞ、体作りの意味も込めて。というより、若いうちは何もしてなくても腹が減ってたからな。食わないと体が動かなかった」
「いつからゼリーになったんだよ」
「高校の時もゼリーも食ってた」
「へぇ、年季入ってんな」
「年季って言葉はやめないか? 古臭く思うだろ」
「アンタの高校時代なんて何年前の話だと思ってんだよ。もう三十なんだろ?」
「おいやめろ」
ただでさえ生徒を相手にしていたら、爺さんにでもなったかのような気分になるというのに。
相澤の切実な声色に、しかし謝ることなどせず、爆豪はケケケと悪い顔で笑っている。そして、ガスコンロの火を止めた。出来上がった雑炊を見て、うーんと唸っている。
「流石に作り過ぎた」
「うん、まぁ多いなとは思ってたよ。でも食えるんじゃないのか? 若いから」
「根に持ってんな。若くても一気には食えねぇわ。……そうだ。半分しようぜ、先生」
アンタがいらないなら捨てるしかねぇなと言われてしまっては頷くしかない。爆豪はすぐに保存容器を引っ張り出して、半分ほどそこに入れた。
「玉子入ってっから今日中に食えよ。日持ちしねえ。口に合わなきゃ適当に処理してくれ」
分かったなと念押しされて、すぐに食べるし口に合うに決まってると即座に返した。少しだけ、ほんの少しだけ機嫌良さそうに笑う。誰かを挑発するようなものではなく、年相応の笑顔は、随分と爆豪を幼く見せた。
思わず頭を撫でてやりたい衝動に駆られたが、この子どもは他人との距離が近過ぎることをあまり良しとしない印象があるため、ぐっと堪えた。穏やかに話をしてくれたこの時間を壊したくなかった、というのもある。
「容器はまた明日返すよ」
「別にいつでもいい」
爆豪は自分が食べる分を用意して、空いたテーブルで一味を大量に振りかけて食べ始めた。他の生徒と話をしている合間に見ただけだったが、やっぱり現役男子高校生の食いっぷりは凄かった。
見回りが終わり、自室に戻るとすぐに風呂に入り、仕事を片付け始めた。二時間ほどパソコンに映し出されている画面と格闘し、頭痛がし始めたところで断念した。やはり目の調子が良くないらしい。こういう時は根詰めてやったところで間違いが多くなるだけだ。
まだ提出期限に余裕があることから早々に諦め、爆豪が作ってくれた雑炊を食べる。
「……美味いな」
舌馴染みのいい味で食べやすく、濃さも丁度いい。食べ切れるだろうかと心配していたが、あっという間に平らげてしまった。温かい食べ物を胃に入れたら、それだけで体がポカポカとして心地いい。眠いかもしれない、と思った時には正直な体が急激に重くなった。
どうにか立ち上がって電動歯ブラシを口の中に突っ込み、だらだらと長く歯を磨く。うがいをするときに含んだ水道水がやたらと冷たく感じて鳥肌が立った。
(……せんたく)
洗濯機を回すのをすっかり忘れてしまっていた、が、今は眠気のほうが強くて欲のままにベッドに向かう。布団を被って、目を瞑ってしまえば三秒もしない間に眠ってしまっていた。
――しかし、夜中に喉が渇いて目が覚めてしまう。
飲み物が欲しいと思っても立ち上がって冷蔵庫まで行くことが難しく、ずるりとベッドから這い出し、ふと目に飛び込んできたビニール袋に飛びついた。爆豪に貰った袋だ。中にはスポーツドリンクが入っている。新品のそれを一気に飲み干して、そうすれば僅かに立ち上がる元気が出た。
今のうちにとベッドに戻って布団の中で丸くなる。ズキリ、と今日何度目かの目の痛みに襲われたけれど、無理矢理眠ってしまえばそのまま朝まで起きることはなかった。
* * *
スマートフォンのアラームが鳴り、随分と汗をかいた体を起こせば身体が軽くなっている感覚。なんだか頭の中も靄が晴れたようで、昨日より思考回路が整っている気がした。
(なんだ?)
シャワーを浴びればいっそうスッキリした。不思議に思いながらも温まった体でストレッチをして、食欲もあったのでブロックタイプの栄養補助食品を口にして、爆豪に返すタッパーを持って部屋を出る。
「おはようございます」
「グッモーニン、イレイザー!」
「マイク、うるさい」
教員寮で擦れ違うマイクやセメントスに軽く挨拶をして、そのまま出て行こうとすれば後ろからマイクに肩を掴まれた。くるりと強制的に反転させられ、真正面からサングラス越しのグリーンアップル色の瞳がじいと覗き込んでくる。
「……なんだよ」
挨拶ならもう終わっただろ、と言えば真剣な顔をしていたマイクが途端にニカッと笑った。
「昨日より随分と顔色が良くなったな。風邪には気をつけろよー? すぐに無茶すんだから」
テイクイットイージー! 辛いときはすぐに言えよ。
相変わらず大きな声で、大きく口を開けて笑う旧友に背中を押されて教員寮を後にした。外に出れば鳥が囀り、暑いくらいの気持ちの良い朝が相澤を迎える。
「……風邪、ひいてたのか」
立ち竦んで空を見上げ、ポツリと呟いた。全く気付かなかった。夜中の喉の渇きは発熱からきているものだったのか。風邪という答えを貰えば納得がいく。
体調管理もヒーローの仕事だなんだと生徒に教えているのに、これでは示しがつかないなと頬を掻き、気合を入れ直して学校へと向かう。
(そう言われてみれば、ホームルームで喋ってるときは喉が怠かったな)
痛いとまではいかなくても、いつも以上に声を張るのが億劫で、口に出して注意するより睨みを効かせてばかりだった。そうか、だから目が痛かったのか。靄が晴れた頭で考えれば、体調不良のサインはとっくに出されていたのだと知る。
職員室に着いて自分のデスクに荷物を置く。朝のホームルームが始まるまで仕事を、と鞄を開ければ外装が破られた飴の袋が出てきて何気なく手に取った。これも爆豪に貰ったものだ。ビニール袋の中に入っていないと思ったら、ここに入れていたのかと、個包装になっているそれを口の中に放り込む。空になった袋を足元のゴミ入れに入れようとして手が止まる。
――ビタミンCたっぷり! のどの痛みによく効く!
外装を見直してみれば、どのようにして喉の痛みに聞くのかがこれでもかと書かれている。
相澤は暫く固まって、それから口の中に入れた飴をカランコロンと転がす。椅子に座ってデスクに突っ伏した。閉じられたままのノートパソコンは、もう少し眠ったままになりそうだ。だってこんなの、仕事になんてならない。
「……ふ、ふふ……」
込み上げてきた笑いが抑えきれなくて零れてしまう。はは、と声が出て、出勤してきたマイクが声を掛けてきたけど、なんでもないと首を横に振った。
なんでもない。本当になんでもない、――かもしれない。
相澤が勝手に想像しているだけで、全てはただの偶然かも知れない。タイミングが良かっただけかもしれない。爆豪はそんなつもりがなかったのかもしれない。
偶然、無自覚に風邪をひいている自分に、スポーツドリンクとのど飴と、ブロックタイプの栄養補助食品の処理をして欲しくて持って来たのかもしれない。辛いもの好きで滅多と失敗しないくせに、昨日だけは優しい味の雑炊を作り過ぎてしまっただけかもしれない。
全部は相澤の想像だ。きっとどう聞いたところで、あの子どもは何も答えてくれないだろう。挙句、自惚れんなとか言われそうだ。答え合わせのしようはない。
――でも、だからこそ自分の都合のいいように解釈してしまう。
普段は用がなければ寄ってこないくせに、体調不良を見抜き、偶然を装って世話を焼く生徒。ありがとうと言おうとしても絶対に素直に受け取ってくれない、天邪鬼な子ども。
(可愛いところ、あるんじゃねぇか)
こんなことをされて、爆豪を可愛く思わない教師はいないだろう。いない筈だ。いたのならば教えてほしい。今ならノンストップで一時間は可愛さについて授業が出来る気がする。テストだって作ってやれる。
スッキリとした、レモン味ののど飴がやたらと甘く感じた。
可愛いと思う気持ちと、笑いがどうにも止まらなくて、ミッドナイトやオールマイトにまで変な目で見られてしまったけれど、どうだっていい。可愛さからは程遠いあの子が可愛くてたまらない。風邪どころか疲れも吹き飛んだ。
(……やっぱり頭撫でときゃよかったな)
昨日ならば大人しく受け入れてくれていたかもしれない。惜しいことをした。
朝のホームルームが終わればすぐに容器を返そうかと思ったけれど、お礼も兼ねてなにか辛いものでも買って夜に部屋に行ってみようか。マイクに貰ったのだけど、食べられないから内緒で食ってくれ、と言えばあの子はどんな反応をするだろう。
頭のいい子だから、それだけで察して照れたり、気恥ずかしそうにしたりするんだろうか。
(そういう顔も見てみたいな)
空いた時間に、辛くて美味しい、若い子が好むお菓子を調べておくことにしよう。
考えただけで楽しくて、いい日になりそうだなんて柄にもなく思いながら、予鈴と同時に軽やかな足取りで職員室を出た。