夜の海底で抱きしめて

――フロイド・リーチには引っ掛かることがある。
珊瑚の海からの付き合いであるアズールがオーバーブロットしてしまったあの事件以降、どうにも監督生を目で追ってしまうということだ。
時には大食堂で、移動教室の外廊下で、体育館で。自分よりも随分と小さい監督生を視界の端に捉えてしまうと、アズールやジェイドの話すら耳に入ってこない。
少々話を聞いていなかったところで、自分の気分屋具合に慣れている二人は怒らないけれど、それでも「最近ずっとぼんやりとしてますね」とジェイドに心配されてしまった。
「何か悩み事でも?」
「…………なやみごと」
モストロ・ラウンジで、ジェイドがそっと用意してくれたドリンクに口をつけて鸚鵡返し。
「なやみごと」
最初はただ心の一部分がささくれのようになっていて、監督生の存在が引っ掛かっていただけなのだ。あのレオナ・キングスカラーを脅すなど面白いことするよなぁくらいにしか考えていなかった。その程度の興味だった。
だが、いつの間にかそのささくれは大きくなって、同時にあの子の存在も大きくなって、自分の手では負えなくなってしまった。どうしたらいいか、自分が何をしたいのか分からない。
いっそ、試験のように問題文と解答欄がちゃんと用意されていればよかったのに。
ただ。
「うん、オレ、悩んでるのかも」
これはもう引っ掛かりなんて可愛らしいものじゃないのは理解できる。悩んでいるのだ、自分は。あの監督生のことで。
「なぁんで悩んでんのかは分かんないんだけど」
「おやおや、それはまた面白いことになっていますね」
ぺしょり、と冷たいカウンターに突っ伏して、クスクスと笑うジェイドに溜め息を吐いた。
「面白がってんのジェイドだけじゃん」
「心外ですね。アズールもですよ」
何で監督生のことで自分が悩んでいるのか、それが分かれば気分が晴れるのになぁ、と。ぐちゃぐちゃになっている頭の中が気に入らなくて、フロイドは汗をかき始めたグラスを大きな手で掴み、ドリンクを一気に煽った。


* * *


フロイドの悩み事が何なのか、それ知ることが出来たのは存外早かった。モストロ・ラウンジのカウンターで項垂れていたあの日から三日後。監督生と話をする機会が巡ってきたのだ。
それも、思いもよらなかった展開で。


その日、フロイドは次の授業を嫌々ながらも受けるために外廊下を歩いていた。すると、正面から監督生がやって来たのだ。いつものようにハーツラビュル寮のカニちゃんとサバちゃんと自分が名付けた二人と、アザラシちゃんもいた。
「でさぁ、そしたら夜中にデュースの奴が」
随分と楽しそうに話をしていて、監督生も例外なく口を大きく開けて笑っていた。
いつもなら、というよりも、今までなら。自分の気分で好き勝手に声を掛けていただろう。小エビちゃんと、これまた自分が勝手につけた名前を呼んで近寄って、なにやってんのなんて話をしていただろう。
けれど。
「あは、あはは、なんだよそれ! デュースって結構食いしん坊だな」
「なっ、笑うなよ、監督生! その日は偶々腹が減ってて……!」
三人と一匹で楽しそうに話をしているのを見ると、歩き方を忘れてしまったように動くことが出来なくなってしまった。こんなことは初めてだ。初めて陸に上がったときの方がよっぽど上手く歩けた。
更に言えば、心臓辺りがゾワゾワして、モヤモヤして、痛いような気持ち悪いような訳の分からない感覚に襲われている。なんなんだよ、と寄りかかるように壁に手をつけば、パチリと監督生と目が合った。
あ、と思うよりも先に監督生の顔色が変わる。
「フロイド先輩……⁉」
ご機嫌に笑っていたのが嘘のように血相をかいてこちらにやってくる。
(ちがう)
さっきまで笑っていたのに。あんなに楽しそうにしていたのに。
自分のところにやってくる時はどうしてそんな顔をするんだろうか。
(ちがう、オレにも、)
楽しそうに笑っている顔を見せてほしいのに。
「フロイド先輩!」
パチン、と水泡が割れた音が頭の中で響いた。同時に、危ないと誰かが叫ぶ。
その声が何を意味するかを知るより前に、フロイドの視界が暗転した。


* * *


「――フロイド先輩!」
監督生の声がクリアに聞こえて、ハッと意識を取り戻せば狭い暗闇の中にいた。
「よかった、大丈夫ですか」
「うん。……ねぇ小エビちゃん、ここどこ?」
「いや、それが、さっぱり……」
幾ら瞬きをしても、目を凝らしても暗闇であること以外何も分からない。更に、縦型の長方形に無理矢理詰め込まれているような形になっていて、長身のフロイドはしゃがんだ上に背中を丸めないと天井に頭が当たってしまう。
声や触れている部分からして、監督生はフロイドの腕の中にいる。というよりも、腕の中以外に居場所がなく、押し込まれているような形だ。ただ、真っ暗で顔は確認できないが、声からして元気なのは理解できた。
(手は、……全然伸ばせない。壁は足先。余裕はちょっとだけあるけど、蹴るのは無理。つうか、高さからしてオレが動くの無理そう。触った感じ低反発のスポンジ素材だし、これじゃあ大声上げても吸収されるだけかも。うぜー)
ここまで視界が暗いままということは、僅かな隙間もないのだろう。
酸欠、という二文字が頭に浮かんで、フロイドはそっと呼吸を最小限に切り替える。何故自分たちがこんな所に閉じ込められているか分からない状況で、脳に酸素が回らないという最悪の事態は避けたかった。
(ンー、誰かの魔法に巻き込まれたってとこだよな……。あは、完全に油断しちゃってたなぁ。最悪。あとで絶対に絞める)
油断さえしていなければ、余所事に気を取られていなければ、自分のユニーク魔法で弾き返すことが出来たというのに。
これはきっとアズールに叱られてしまうだろう。やだなぁ、と肩を落とした。叱られると想像しただけでテンションが下がってしまった。
「フ、フロ、フロイド先輩……っ?」
「んん? 小エビちゃんも黙ってたほうがいいよぉ」
「や、あの、それは、そうかもしれないんですが、あの」
大丈夫ですか、と聞かれてフロイドは首を傾げた。
「オレ? オレは暗闇とか別に平気。珊瑚の海でも暗いとこで育ったから」
「そうじゃなくて、さっき、なんだか元気が無さそうだったんで」
「あぁ」
そういえば、暗闇に閉じ込められる直前。目が合ったと思ったら監督生が血相をかいてこちらにやって来たんだった。
「体調が悪いんだったら保健室にでも、と思ったんですけど」
「体調は悪くないから大丈夫。兎に角今は黙って、もうちょっと呼吸も穏やかにしたほうがいいよ。この魔法がいつ解除されるか分かんないから」
状況が呑み込めていなくて動揺しているからか、監督生の呼吸は少し早かった。これではあっという間に酸素が無くなってしまう。元々の残量自体もよく分からないのだ。限りあるものは大事に使うほうがいい。
言えば、監督生はどこか焦ったような声で分かったと言い、それから静かになった。しかし、その静かさも三分ともたなかった。
「――――ハッ、ハッ、ぁ、ハァ……」
「……小エビちゃん?」
時間が経過するごとに、明らかに呼吸がおかしい。無意識の間に間隔を図っていたけれど、段々と間隔が狭くなってきている。
驚かさないように、触るよ、と出来る限り優しく声を掛けてから背中に手を当て、そこから辿っていって首や頬、額を触った。体温が高く、しっとりと汗をかいている。もしかして監督生の方こそ熱でもあったんじゃないだろうか、と考えて即座に撤回した。
廊下で楽しそうに笑っていたあの顔は、体調不良のものではない。それに体調が悪ければ、周りの人間が気付いているはずだ。
これは、もしかして。
「小エビちゃん暗いところ苦手? それか、狭いところ」
頬に触れたままで聞けば、僅かに頷いた。
フロイドの読みは当たっていたのだ。所謂、暗所もしくは閉所恐怖症。つまりこの不調はパニックを起こしている証拠。時間が経っても改善されることはなく、いっそう最悪へと向かうだけだろう。あぁ、と心の中で頭を抱えた。
仕方ないから魔法で灯りだけでも、と考えて、自分が制服のジャケットを脱いでいることを思い出した。そうだった。昼休みにひと暴れして、厚くなって脱いだのだ。マジカルペンも胸元に挿したままで、どこに置いてきたかすら記憶にない。
(ほんっと、最悪じゃん)
この状況は監督生にとって地獄でしかない。しかもいつ出られるかも分からないのだ。小さな体の中で渦巻く不安は、フロイドが思っている以上のスピードで増殖して監督生の頭の中を侵しているだろう。
それなのに。
(……まずオレの心配するとか)
お人好しにも程がある。
フロイドは深々と溜め息を吐きたいのをどうにかこうにか飲み込んで、頬に添えていた手を下に下げていく。手探りで首に指を這わせ、制服のネクタイに手を掛けた。自分はしていないけれど、外し方くらい分かる。しゅるり、と衣擦れの音が静かに響く。
「小エビちゃん、もうちょっと首元緩めるよ」
外したネクタイは足元に落として、次にシャツのボタンを二つ三つと外していく。首元が開けば少しは楽になった感覚なのだろうか。呼吸が僅かに穏やかになった気がした。本当ならもっと距離を取ってあげられればいいのだけれど、フロイド自身まったく動ける気がしないので、そこは我慢してもらう他ない。
フロイドは悪気なく、そして下心なく、静かに制服を緩めていく。ジャケットもどうにか脱がせて隙間に押し込み、身軽になったところで、落ち着かせようと背中をポンポンと優しく叩いた。
叩いて、――――フロイドは全身が固まった。
「…………うん?」
パチパチ、と何度か瞬き。もう一度叩く、というよりも触る。ベタベタと容赦なく。ジャケットがない分、殆ど体のラインが分かる背中を大きな手で。
そこには、どう考えても女性用下着の凹凸があった。商品として以外で見たり触ったりした経験はないけれど、思春期で陸に上がってきたばかりの男の子なので知らないわけがなかった。指先で這うようにして撫でれば、フォックがあるであろう部分まで分かってしまった。
すっと擽るようにして背中のラインを確認すれば、男の体では有り得ない、しなやかなラインが尻へと続いている。ひとつもゴツゴツしていなくて、筋肉だって薄っすら。
「ぇ、え、あ、こ、小エビちゃん……?」
「……は、はい…………?」
「こ、こえびちゃん、って、もしかして、こえび、ちゃん……?」
「は……?」
フロイドの思考回路は一瞬にしてショートした。バチバチと火花を散らせて断線して、はくはくと口を動かすことしか出来ない。今度はこちらはが汗だくになる番だった。
だって、監督生の制服はみんなと同じパンツスタイルのもので、スカートなんて履いていない。髪の毛も短くて、自分のことは「私」とは言わない。言葉遣いだって男寄りだ。勿論、華奢だなぁと思ったことはあるけれど、そんな男なんて沢山いる。
それに何よりここは、NRCは男子校である。だから、監督生が女だなんて考えたこともなかった。しかし、どう喚いたところで監督生が女である事実は変えられない。
(――……小エビちゃんが、メス)
自分はオスで、監督生はメス。
それを飲み込んだ瞬間に、パチンとフロイドの中でスイッチが入った。続けて、何個ものスイッチが入っていく。それが何か、自分でも分からない。けれど、メスである監督生のことを、オスである自分が守らなくてはと直感したことだけは分かった。
「――……大丈夫だよ、小エビちゃん」
自分でも、こんな優しい声が出せるのかと驚いた。
「大丈夫。大丈夫だよ。オレがいるじゃん。小エビちゃん、ぎゅーってしてあげる」
本来ならばこういった密閉状態で喋るなど危険行為である。だが、今最優先すべきは、監督生の錯乱状態を落ち着けることだ。未だ早い呼吸を落ち着けなくては、事態はもっと悪くなる。
狭い箱の中で、フロイドは出来るだけ密着するように監督生を抱き締めた。汗をかいている額を撫でて、張り付いている髪の毛を払う。
「まだ怖い?」
監督生は素直に何度も頷く。そっかぁと言って、長い手足を絡みつけるようにして抱き締める。手足が長くてよかったと思ったのは、人の姿になれるようになってから初めてだ。
「小エビちゃんはさぁ、夜の海の潜ったことある?」
「っ、い、いえ」
「オレねぇ、夜の海底って結構好きなんだよね」
小さな後頭部を片手で覆って自分の胸へと押し付けた。暗い、狭い、なんて考える暇もなく、監督生の感覚が全て自分で埋まればいいと思った。
「オレもジェイドもアズールも。比較的深海って呼ばれるところで育ったんだけど。夜になればもっとずっと真っ暗で、静かで、海底に寝そべって空を見上げたらさ、まぁるい満月が遠くで歪にゆらゆら揺れてんの」
話すテンポはゆっくりと。リズムを合わせて背中を叩いたり、擦ったり。
「いつもは煩くて騒がしい雑魚はいなくて、時々どこからか眠り歌が聞こえるくらい。こっそり家を抜け出してるから隣にジェイドもいない。アズールは自分の蛸壺の中。夜の海の中でオレだけが漂ってる」
まだ息が荒い。かわいそうに。でも大丈夫。何も心配はいらない。
「小エビちゃん。想像してみてよ。小エビちゃんは今、オレと夜の海底を一緒に漂ってんの」
どこまでも永遠に続く海の中は、きっと想像している以上に広く、自由だ。ゴールなんてものはなく、いつまでだって泳げる。アズールの魔法薬があれば、きっと寒さも感じない。
もしかしたら夜行性の魚にも出会うかもしれない。あいつらはいい奴だ。時々こっそりと高い酒をくれる。まぁすぐにバレて両親に叱られてしまうのだけれど。
「真っ暗だけどさ、人魚がいれば安心でしょ? オレがずうっと小エビちゃん抱えててあげる。そうすれば広い海の中を自由に行き来できるよ」
暗いけれど怖い場所ではない。狭い箱の中だと思っているだけで、実はずっとずっと大きな海の中にいる。そして、小さな手を引いて泳いでいるのは、気分屋だけど強くて、束縛が嫌いな自由なウツボの人魚。
「怖いものなんてなにもないよ、小エビちゃん」
よかったね。オレがいるよ。小エビちゃんと一緒にいるよ。小エビちゃんを抱えてどこまでも泳いであげる。疲れたら一緒に海底に寝転がろう。それから歪な満月を二人で見上げよう。
そうしているうちに時間が経って、母なる海は色鮮やかな朝を描いてくれる。夜色の海底が金色に照らされるあの瞬間は、何度見たって気分がいい。
「小エビちゃん、大丈夫。海ならオレのテリトリーだよ」
任せて、と言葉を耳に吹き込んだ頃には監督生の呼吸が落ち着いていた。そして、海を泳ぐ人魚とはぐれないように、ぎゅうとフロイドのシャツを掴んでいる。更に、すり、と甘えるように擦り寄ってきた。
瞬間的にフロイドの体温が急上昇した。ぼふ、と湯気が出てしまいそうなほどだ。
次いで、派手な音を立て始めた心臓を隠したかったけれど、監督生がそこに耳を当てていることに気付いて我慢した。他者の心臓の音が落ち着くと、何かの本で見たことがあるからだ。
「ふろい、ど、せんぱ……っ」
「うん」
「なまえ、もっと、よんで、いっぱい」
広い海の中でも聞こえるように。はぐれないように。
「小エビちゃん、小エビちゃん」
「はい、はい」
これは他の誰にも呼べない名前。自分がつけた、自分だけが呼べる、特別な名前。そしてそれに応えてくれる。柔らかい声で返事をしてくれる。
なぁんだ。よく聞けば、声だってちゃんと女の子だ。
「だいじょうぶだよ」
「はい」

――――……あぁ、なんて愛おしいんだろう。

その瞬間、心の奥底から湧き上がってきた感情に、フロイドは自分の悩みが何だったのかはっきりと悟った。監督生をメスだと知る前より先に、本能的に感知していたのだ。
そして、知らず恋に落ちていた。
けれどそれは心の問題で、比較的冷静な脳は理解できずに追いつけないでいた。結果、問題文も解答欄も見当たらない試験問題をやらされている気分になったのだ。
(オレ、小エビちゃんが好きだったんだぁ……)
 気になって、目で追い掛けて、他の男と笑っているのにヤキモチを妬いて。
そういうことなら、もう大丈夫。好きなのだと自覚をしたら、何もかもが楽になったから。
しかし、この余韻に浸る暇なく、みるみる間に酸素濃度が薄くなってしまったのが分かってしまった。出来る限り、この子が苦しくないようにしてやりたい。でもどうすればいいのか。
考えようとしても、酸素が徐々に足りなくなってきた頭では纏まらない。
それでも。
「こえびちゃん」
フロイドはその名前を呼び続けた。
そして。

「――――……オフ・ウィズ・ユアヘッド」

ハーツラヴィル寮寮長の声とともに、二人きりの空間が唐突に霧散した。


* * *


「本当にすみませんでした……!」
保健室のベッドで目を覚ました監督生に深々と頭を下げている二人組の首には、リドル・ローズハート特製の首輪があしらわれている。
あの閉鎖空間を作り上げたのは、彼らのユニーク魔法だったそうだ。
お昼休み中のお遊びの延長、行き過ぎた悪ふざけ。何気なくはなった魔法は想定外の方角へと向かった。その先に居たのは、フロイドと監督生。
魔法をかけた本人だけでなく、近くにいたエースやデュース、グリムまでもが動揺して混乱した。更に早く出さないと窒息してしまうなんて魔法をかけた本人たちが騒いだために、それはもう地獄絵図だったらしい。
偶々、リドルが近くを通りかかったから事なき得たものの、それでも監督生は、酸欠と恐怖症からくる極度の疲労で保健室に運ばれてから一時間は目を覚まさなかったのだ。
同じく保健室に運ばれて休息をとっていたフロイドは、これ以上ないほどに不機嫌な顔で犯人たちを睨み付けて、どうしてくれようかと考えているが、監督生は起きて早々にあっさりと許してしまった。
「でもまぁ次は勘弁かな」
へらりと困ったように笑って、それでお終い。元気なフロイドのほうが納得いかなかった。
「アイツら、モストロ・ラウンジで働かせよーっと」
「あはは、先輩ってば容赦ないなぁ」
肩を落とした犯人たちが出て行って、静かになった保健室で二人、話をする。
監督生はまだベッドの中。体を起こそうとしたが、フロイドが止めた。フロイドは、ベッドに腰を掛けて、自由に伸ばすことが出来る足を組んでいる。
怒りが収まっていないから、どうしたっていつものような飄々とした表情には戻れない。
だって、危うく死にかけたのだ。死ななくても、この子に怖い思いをさせたのだ。許せるわけがない。許して堪るか。
「あの、」
「……なに」
けれど、監督生にジャケットの裾を引っ張られただけで、他のことはどうでもよくなってしまう。こんなに単純だっただろうかと自分でも不思議で仕方ない。
首を捻って監督生を見下ろせば、恥ずかしそうに布団の中に隠れながら、それでもちゃんと目が合った。
「ありがとうございました、あの時」
「あは、べっつにー? 気にしなくていーよ」
「…………あと、あの、」
――出来れば今はまだ、秘密にしておいてください。
そう続いた言葉に、何のことを指しているのか理解したフロイドは「うーん」と唸ってから、それでもしっかりと頷いた。
「その代わり、なんか困ったことあればいつでも言って」
「そ、それは、流石に悪いかなって」
「オレも知らなかったとはいえ結構色々やっちゃったし。罪滅ぼしと思っていいよ」
「えええ」
話をしていれば、保健室の外が騒がしくなってきた。きっといつもの二人と一匹が、目を覚ました監督生の顔を見ようと走ってやって来ているのだろう。
「あ、じゃあ、罪滅ぼしっていうなら、今度夜の海底に連れて行ってください」
「ンー?」
「箱の中で話してくれたじゃないですか。夜の海底の話。行きたいです。見たいです。海の底から満月を」
「あー、覚えてたんだ、えらいねぇ」
でもなぁ、とフロイドは苦く笑って頬を掻いた。
それは罪滅ぼしにならないのだ。何故なら、夜の海に二人で行くということは、フロイドにとってデートに変わりない。となると、ご褒美扱いだ。
「だめですか」
「いいよぉ」
ただ、それは駄目だと言えるほど、まだ大人ではなかった。
「約束」
ジャケットの裾を掴んでいる手を取って、お互いの小指を絡ませた。指切りげんまん。子ども同士の約束事。
「じゃあオレ、さっきの二人組のことアズールに話してくっから」
「本当に容赦ないなぁ」
本格的に騒がしくなる前に退散しようと、フロイドはベッドから離れて保健室を出た。騒がしい二人と一匹に背中を向けるようにして歩いていく。
「デート。……デートかぁ」
あはは、と機嫌よく笑う。悩みは解決したけれど、暫くはデートプランを考えるのに忙しくなりそうだ。

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