鼓動の名前

中庭で寝てくると言ってジェイドと別れたフロイドは、宣言通り午後の穏やかな日差しを浴びながら昼寝に勤しむことにした。ベンチでは体が痛くなりそうだからと木陰を選ぶ。
一番大きな木の根元にごろんと転がって、長い手足をぐうと伸ばして、遠慮なく大の字になって瞼を下ろした。やっぱり寝たい時に寝るのが一番だ。腹も満たされているし気持ちがいい。
ふうと長い息を吐いて、楽しい夢の中へと転がり落ちていく。


――……どれくらい時間が経っただろうか。
遠くで自分の名前を呼ぶ声に、ゆっくりと意識が浮上していく。
とは言っても体の半分以上はまだ夢の中。なにせ今は巨大なシャチ相手に狩りを始めたところなのだ。邪魔しないでほしい。
(……うるせー……)
声が近付いてきて、アズールでもジェイドでもないことが分かった。
誰だったかと鼻をひくつかせれば、フロイドが勝手にカニちゃん、サバちゃん、小エビちゃん、アザラシちゃんと命名した三人と一匹だった。
ならばわざわざ起きて相手にする必要はない、と瞼を下ろしたまま。
しかし。
(……?)
カニちゃん、――もとい、エースが妙に慌てた声を上げたと思ったら、腹の辺りが重たくなった。次いで、蛸にでも絡みつかれているかのようにぎゅうと絞められる。
(なにこれ)
やたらとポカポカしていて柔らかい。再び鼻を鳴らせば、――正体は監督生だった。
(小エビちゃん? なにしてんの? なにこの状況)
暫く様子を伺っていたが監督生は微動だにしない。眠っているようだ。
エースたちは小声で何かを協議して、そっと何かを置いたと思えば、さっさと何処かへ行ってしまった。
ポケットに入れたままのスマートフォンが鳴る。エースだろうか。
(うーん……)
フロイドは訳も分からないまま監督生に絡みつかれていて、でも起きる気分にはなれなかった。夢の中の巨大なシャチが今にも逃げそうだったのだ。
(ま、いっか)
監督生がここにいようと特に害はない。兎に角まだ眠って夢を見ていたい。巨大なシャチを捕まえて、ジェイドと一緒にパクッと食べ、そのあとで状況を整理すればいい。
(……あちぃ)
人魚には少々熱い体温だったけれど、なんとなくもう少し触れてみたくなって。
(ちっちぇし、ふにゃふにゃ)
フロイドは絡みついてくる体にそっと左手を添えた。





――さて。すっかり目が覚めたのでそろそろ状況を整理しなくてはならない。
夢の中でも腹が満たされたフロイドはむくりと上体を起こして、未だ腹にしがみついている監督生を見下ろした。呑気にぐうぐうと寝息を立てているが、ここが男子校で、フロイドがオスで、ウツボが海のギャングだということを忘れ過ぎではないだろうか。
「海だともう百回は食べられてるよ、小エビちゃん」
間抜けな小エビの額を指先で弾いて、それからエースたちが置いていった小瓶に手を伸ばす。
「流石にこれだけじゃなんの薬か分かんねぇな」
ならば今度はスマートフォンである。確か鳴っていたはずだとロックを解除すれば、案の定エースから長い長いメッセージが一通。
――要約すれば、今の監督生は夢遊病によく似た症状が出ているらしい。
これは魔法薬を誤って飲んでしまったせいだが、日頃の疲れと寝不足が相まっていっそう効果が出ているとクルーウェルが言っていたようだ。
朝からずっと眠った状態でフラフラと歩き、話しかけても反応はなく、かと言って落ち着いて横になるわけでもない。
そんな状態で半日を過ごし、ようやっと落ち着いたのがフロイドの傍らだったと言う。
(あー……人が気持ち良さそーに寝てたからつられたって感じか。気持ちは分かるかも)
そして、フロイドの手元にある魔法薬は監督生を叩き起こすためのもの。
(これ飲んだら起きるってクルーウェル先生が言ってたんでお願いします、か。対価になに貰おっかなぁ〜?)
ちょうど体育館の掃除当番が当たっているのでそれを変わってもらおうか。なんだかよく分からないかラッキーだ、とフロイドは監督生の体を引き剥がして座らせた。
強引に動かしても起きない監督生は首が座っておらず、フラフラ、グラグラと頭が揺れる。
「んもー。小エビちゃん動いたら飲ませられねぇじゃん」
仕方ないので、立てて開いた足の間に抱え込むようにして監督生を支えてやる。
フラフラする首には右手を回して固定し、そのまま顎に親指をかける。ぐっと下へと顎を引っ張れば簡単に口が開いた。
「つうか寝てんのに飲めんの? これ」
左手に持った小瓶を監督生の下唇に当てて、そろそろと流し込んでみる。けれど、飲み込まれることなく口の端からだらりと零れていくだけだ。
「うわ、全然飲まねぇじゃん!」
慌ててジャケットの裾で口元を拭ってやって、もう一度挑戦してみたが結果は同じ。ジャケットが余計に濡れて終わった。
残り三分の二の魔法薬は零すわけにはいかないと、監督生の頬を軽く叩いたり、肩を揺すったり、声をかけてみたけれど、全く起きる気配がない。
困った、とフロイドは肩を落とす。
(あー、クソッ! 飲ませてくださいとか簡単に言いやがって)
これは体育館の掃除当番だけでは対価にならない。あとでもっと考えなければ。
(……こうなったら、)
ハァ、と溜め息を吐いたあとでフロイドは小瓶に口をつけた。
中身を全部口の中に注いで、空になった小瓶は適当に捨てる。それから、まだ眠っている監督生の顎を掴んで口付けた。
(怨むならオレに託したカニちゃんたちにして)
喉に詰まらないように首を伸ばしてやって、舌で奥へ奥へと注ぎ込んでやる。
「――ッ、ん、んんんっ!」
途中で苦しそうに唸って胸を叩いてきたが、やめてあげる優しさは持っていない。
これを飲まさないと監督生は覚醒しないし、エースたちに対価も要求できない。ここまでの苦労が水の泡である。それは御免だ。
「ん、んん」
ごく、ごく、と。
空気や唾液と一緒に飲み込んでいく音が聞こえて、フロイドはもう何も残っていないか舌を這わせて確認する。変な味の魔法薬じゃなくて良かったと今更考えながら、そうっと口を離した。ゲホッ、と何度か監督生が咳き込む。
「小エビちゃん、起きたぁ?」
三度汚れてしまった口の周りを拭ってやりながら声を掛けた。
「目ぇ開いてんのに、もしかしてまだ寝てる?」
「……」
「おーい」
ヒラヒラと目の前で手を振ってやれば、覚醒しきっていない瞳がゆっくりとフロイドへと向けられる。飲ませた量が少なかったからか、それとも遅効性のものなのか。どちらか分からないが、監督生はまだ夢の中にいるようだった。
それでも。
「…………ふろいど、せんぱい」
声を発し、こちらを認識していたので一安心。
「うん、そう。起きた?」
「ふろいどせんぱい」
穴が開きそうなほどにこちらを見つめてくる虚ろな瞳が不意に細まって、へらりと緊張感のない笑顔を浮かべた。
「ふろいどせんぱい」
随分と嬉しそうに、それから夢見心地で名前を呼んでくるものだから、一瞬反応が遅れた。
だらりと垂れていた両手がフロイドの頬へと伸びて、――監督生からのキスがひとつ。
「あ……?」
何とも可愛らしいキスである。情熱さとは無縁で、小魚に突かれているのかと思うくらい。
ちゅう、ちゅっ、と音を立てて、角度を変えて、何度も何度もキスをしてくる。
「え、こ、こえび、ちゃん?」
「んー、ふふっ」
なんともご機嫌で、幸せそうで。
「ふろいどせんぱい」
微笑みながら、まだ芯がなくてふにゃふにゃしている声で名前を呼ばれると、何故かドクドクと心臓が忙しなくなった。フロイドが戸惑っていても、目を大きく瞬きさせていても、監督生はお構いなし。
「せんぱい」
「な、なに……」
「だいすき」
最後の最後に特大の爆弾を落として、首元に絡みついてきた。
「え、」
やんわりと体重を掛けられて、支えることも出来ずにフロイドは後ろに倒れた。ごつん、と後頭部を打ったがそれどころではない。
これはなんだ。なにがおこった。まだ自分は夢を見ているのだろうか。
上に乗っかったままの監督生はあはあはっと笑って、もう一度キスをした。だいすきとまた告白しては、首元に顔を埋めて擦り寄ってくる。そうかと思えば寝息が聞こえて、――フロイドは両手で顔を覆って今日一番の溜め息を吐いた。
監督生は寝惚けていたのだ。これ以上ないほど盛大に。
(え、これ、オレ、どうすんの)
もしかしたら、彼女がここを選んで眠ったのは自分のことが好きだからだろうか、なんて都合よく考えて顔を熱くしてしまう。
(小エビちゃんが? ……オレを好き?)
そんな素振り一度だって見せなかった。知らなかった。
でも。
(……悪い気はしねーかも)
寧ろ、嬉しく思っている自分がいる。
顔を覆っていた手をそっと下ろしてみる。まだ眠っている監督生の体に添えた。小さな背中をポンポンと叩いて、擦り寄ってきたらぎゅっと力を込めた。
ちゃんと意識して抱きしめてみれば存外しっくりきて、いっそう心臓の音が煩くなる。
「……こ、小エビちゃん、小エビちゃん、起きて」
ねぇ起きて。眠ってないで話をしよう。
「起きろってば」
今度は起きている時に大好きだと言ってみせて。
――……そうすれば。
(オレも、オレだって)
産まれて初めての感情に、今日出逢えるかもしれないから。

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