クルーウェルが事前に決めていたペアで、それぞれ順番に出された課題をこなしていく。二年生にとっては復習で、一年生にとってはちょっと背伸びをした問題ばかり。
監督生とグリムのペアの相手は、ハーツラビュル寮寮長であるリドル・ローズハート。よろしく、と隣にリドルが来た瞬間、監督生とグリムは天高く拳を振り上げた。この課題には勝ったも当然。赤点ギリギリのラインを歩く二人には、リドルは最強最高の救世主にしか見えない。
「ちぇ、小エビちゃんと一緒に遊べると思ってジェイドと変わってもらったのにぃ」
後ろで不貞腐れた声を出したのはジェイド、――ではなくフロイド・リーチである。
容姿も声も、歩幅や所作だって完璧にジェイドだが、この時だけは完全にフロイドに戻ってしまっていた。
リドルはフンッと鼻を鳴らして腕を組む。
「じゃあ自分のクラスお帰りよ」
「面倒だからこのまま授業受ける〜。ジェイドに怒られんのもヤだし」
提案を跳ね除けて、再びジェイドに戻ったフロイドは「あとで遊ぼうね、小エビちゃん♡」と耳元で囁き、ペアであるエースのもとへと向かった。
「うう……」
監督生は、いつもより低いフロイドの声が吹き掛けられた右耳を指先で撫でた。じんわりと熱いのは、教室が暑いからということにしよう。
「相変わらず、子分の趣味はよく分かんねぇんだゾ」
肩に乗っかっているグリムがボソリと呟いた言葉は聞こえなかったことにして、授業に集中することにした。
ちょっとしたアクシデントはあったものの、錬金術の授業は「グッガール、グッボーイ!」とクルーウェルに褒められて終わった。
ペアを組んでいたリドルにはお礼を言い、今度勉強を教えてもらう約束をした。今度のテストは期待してもいいかもしれない。
「小エビちゃん、ラウンジ行こ」
「はぁい! じゃあエース、デュースまた明日。グリムのことお願いします。グリム、ちゃんと大人しくしててよ」
何か言いたそうにしているグリムの頭を撫でて、教室の出入り口のところから自分を呼んでいるフロイドの元へと急いだ。
今日は金曜日。明日は休みなので、騒ごうとラウンジにやって来る生徒は多いだろう。
「今日は賄い何がいい?」
「オムライスがいいです!」
「えー、オムライス作る気分じゃねぇの。パスタにして」
「先輩が聞いたのに……、じゃあジェノベーゼがいいです」
「いいよぉ。大盛りにしてあげる」
「大盛りはちょっと」
騒がしい廊下を抜けて、手を繋いで鏡の中へと入り込む。
自分のものより随分と大きな手はいつだって心臓をドキドキさせて、幸せにしてくれる。なんだか今日はいつも以上に気分が良く、隣を歩くフロイドを見上げれば同じように見つめ返してくれた。
モストロ・ラウンジに到着すると、既にアズールとジェイドは寮服に身を包んでいた。
「随分と仲がよろしいことで」
「あれぇ? ジェイド今日遅れるんじゃなかったっけ?」
「あっ、ジェイド先輩! おはようございます!」
「はい、おはようございます。遅れる予定だったのですが、面白いことがあると聞いたのでこちらを優先しました。」
「えっなになに? なにが起きんの?」
「これから起きるみたいですよ。ね、アズール」
「僕に話を振るな」
アズールは開店前のソファに座って頭を抱え、ジェイドはグラスを磨きながら楽しそうに微笑んでいる。真逆の反応に話が見えない。
「アズール先輩、どうかしました? 頭、痛いです……?」
「いいえ、なにも……」
「フフッ」
「ジェイド、すげー楽しそ〜」
「はい、楽しいです」
上機嫌すぎるジェイドの態度と、なんだか歯切れが悪いアズールの返答に首を傾げながら、しかし監督生はフロイドと手を繋いだままで更衣室へと向かうことにした。
想像していた通りの混雑具合に四苦八苦しながらも、どうにかミスなく休憩時間を迎えた。少しゆっくりしてくれても大丈夫ですよ、と言ってくれたジェイドに甘えて遅めの夕飯だ。
お腹空いた、と腹を擦りながらスタッフルームに入れば、監督生以外は誰もいないそこのテーブルに賄いが用意されていた。
「……素直じゃないなぁ」
頑張ってるご褒美ね、と書かれたメモを手に取った。
名前は無いけれど、筆跡と大好物のオムライスが用意されている時点で誰からかは分かる。
「気分じゃないとか言ってたのに」
監督生はクスリと笑って、メモを大事に折ってポケットに仕舞う。
いただきます、と手を合わせて、オムライスを一口。口の中いっぱいに広がる幸せの味に唸った。ムラがあるとはいえ、やっぱりフロイドの料理は美味しい。
口元を綻ばせて、静かなスタッフルームで「先輩、大好き」と口にした。
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モストロ・ラウンジの閉店作業が滞りなく終われば、監督生はフロイドに抱えられて帰路に着く。最後の最後までアズールは渋い顔で頭が痛いと言っていたし、ジェイドは記念ですからと動画を撮り続けていた。何も気にしていないフロイドは垂れた眦をご機嫌に染めて、早く帰ろうと長い足で鏡を潜る。
今夜のオンボロ寮は静かだ。グリムもゴーストもいない。
だからつい浮かれてしまって二人でお風呂に入ることにした。恥ずかしいから明かりだけは消して、浴槽には沢山の泡を浮かべる。
「小エビちゃん、こっち」
きっとフロイドには狭いだろう浴槽は、まだ文句を言われたことはない。それどころかもっとくっつけと言わんばかりに長い足の間に捕らえられる。
「あ、先輩。今日オムライス美味しかったです」
「でしょ〜。自信作だったんだぁ」
「デミグラスソースも先輩が作ったんですか?」
「うん。どうだった?」
「あの味、大好きです」
フロイドの胸に背中を預けるようにして座り、首を捻って見上げた。温度の低いお湯に濡れたターコイズブルーの髪の毛は、掻き上げられていて表情が良く見える。
「そっかぁ」
ふにゃ、と音がしそうな程に柔らかく細められたゴールドとオリーブ色の瞳が甘く、美味しそう。つられて監督生も瞳を細めた。
「じゃあまた作ってあげる。ちゃんと食べてね」
「はい」
視線が絡まったままの瞳が段々と近付いて、あっという間に唇がくっついた。大きな口も、尖った歯も、何も恐れることなく監督生は受け入れる。
狭い浴槽の中で肌を合わせて、何度もキスをして。誘導されるがまま、向き合うような体勢を取った。ちゃぷん、と泡の下で湯が揺れる。
「……ンー、暗いと味気ないからさ、」
言って、フロイドの体が離れた。そして、大きな両手で泡を掬い上げる。
「見てて」
それに、ふう、と息を吹き掛けた。
「わ、」
粒子の細かい軽い泡は、フロイドの一息で宙に舞う。同時に発光し始めた。生きているように明かりを灯したまま動き回る。
「すごい、きれい!」
淡いオレンジ色に染まったと思えば、フロイドを思い出させるブルーに染まる。
可愛げのないアクシデントにはすっかり慣れてしまったが、乙女心をくすぐる魔法には慣れない。ほう、と感嘆の息を吐き出して、何度だって宙を舞う泡に手を伸ばした。
「小エビちゃん気に入った? かわいい顔してる。これくらいいつでも見せてあげるよ」
ねぇねぇ、だから、こっち向いて。
余所見をしていた頬に手を添えられて、フロイドの顔が再び近付いてくる。
「せんぱい、だいすき」
唇を塞がれる一秒手前でそう言えば、律義に「オレもすき」と答えてからキスをしてくれた。
眠るときは私がぎゅっとしたいです、と監督生から言い出した。
「オレを締められるのなんて、小エビちゃんくらいだよ」
「えへへ、光栄です」
狭いベッドの中で二人はくっついた。身長が違い過ぎるので、監督生のほうが枕の位置が高い。ちょうど胸あたりにフロイドの顔が来るように調節して、ぎゅうっと抱き締めた。応えるように、フロイドの長い腕がウエストや腰回りに絡みつく。
「小エビちゃんの胸柔らかぁい」
「あっこら、グリグリしないでください、地味に痛くて、いてて」
「食べていーい?」
「だめですね」
「ちぇっ」
代わりに鎖骨付近をガブガブとやられて、監督生はまた「いてて」とフロイドのTシャツを引っ張った。
「今夜は大人しくぎゅっとされててください」
そうしたい気分なんです、と少し強めに言えば、フロイドは大人しくなった。
今日だけね、今夜だけだからね、としきりに繰り返している。監督生は、ふふ、と小さく笑って、約束を守れるいい子のために明日なら朝から食べられてもいいかなと思った。
「おやすみなさい」
「うん。おやすみ、小エビちゃん」
指触りのいい前髪を払って、傷一つない額に唇を寄せた。そのまま二人はゆっくりと夢の中へと沈んでいった。
▼
甘く、居心地の良い夜を抜けて。光輝く朝が来ると、やけに意識がハッキリとしていた。
よく眠れたのかなと他人事のように考えて瞼を持ち上げると、――……見慣れたターコイズブルーの髪の毛に監督生は悲鳴を上げて体を起こした。
「……ん、なに、じぇいど、うるさ」
その声に目を覚ましたフロイドは、機嫌悪そうに眉を寄せて目を擦りながら起きた。
そして。
「――――ハァッ⁉」
監督生ほどとはいかずとも、フロイドも素っ頓狂な声を上げて飛び起きた。
二人で被っていたふかふかの布団はベッドから落ちて、しかしお互い服を着ていることにどちらともなく安堵した。
「ここ、……ここって、オンボロ寮? は? あれ、オレ、授業……」
「そ、そうだ、授業! クルーウェル先生の授業受け、う、受けてて、……それから、」
――……それから?
二人が揃って変な顔をしたままで首を傾げた。奇しくも同じ方向だった。
「ヤベ、なんも思い出せねぇかも……」
授業を受けて、それからどうしたのだろう。
確か、隣の大釜でクルーウェルの目を盗んで遊んでいた上級生に薬液をかけられて、ジェイドに扮したフロイドがその生徒を蹴り飛ばし、しかし彼も同じように薬品を浴びていた。激怒したリドルがうちの寮生だからと首を撥ねたことは覚えているのだけれど、……そこから記憶が曖昧だった。
「えぇっと……」
反応を見るに、フロイドも同じような状況なのだろう。
二人して固まっていれば、フロイドのスマートフォンが鳴った。ジェイドからだ。フロイドは急いで画面をタップして、スピーカーにした。
『おはようございます。そろそろ目が覚めましたか? フロイド』
「ジェ、ジェイド、ジェイド……! なにこれ、何がどうなってんの、オレ、なんで小エビちゃんと寝てんの……⁉」
『おや? 記憶が混濁しているのですか? そういった効果はないと記載されているのですが』
ゆっくり思い出してください。まだ頭が眠っているのでしょう。
電波越しに聞こえるジェイドの声に、二人はゆっくりと頭の中を整理していく。そして思い出していく。上級生に薬液をかけられたこと。フロイドが物凄い剣幕で怒鳴り散らしていたこと。リドルのユニーク魔法、クルーウェルの怒声。
それから、放課後に迎えに来てくれたフロイドと、ラウンジで食べた賄い。お風呂の中に溢れた光の魔法と、泡の粒。眠る前に噛まれた鎖骨は、やっぱり赤くなっていた。
「あ、」
単音を吐き出したのはフロイドだ。
ぱちぱち、と音がするほどに大きく瞬きをして、こちらを見たと思ったら顔を真っ赤に染め上げた。その反応に監督生も一気に体も顔も耳も熱くさせた。
『ふふ、思い出しましたか? 心配はいりませんよ。二人にかけられた薬の効果ならもう切れましたから』
それにしても、とジェイドの声はどこまでも楽しそうだ。
『薬のせいでお互いを恋人同士と錯覚してしまった二人がどのように過ごしたのか、とても興味がありますね。是非教えてください』
最後通告のようなその一言に、監督生は声も音もなく倒れた。
(うそでしょ……⁉)
叶わなくてもいいからと、ひっそりと片想いしていた相手を恋人と錯覚して過ごしてしまっただなんて。
しかも、あんなにも何度も好きだと言って、手を繋いで、唇を重ねて。更にお風呂まで一緒に入って何もかもを見られて――――……。
「…………」
「あ、え、小エビちゃん……⁉ ジェイドどうしよう! 小エビちゃんがぶっ倒れた!」
『おやおや』
好きな人と過ごせてラッキー、なんてとてもじゃないが言えやしない状況に、監督生は今この瞬間すら夢であればいいと切に願いながら慌てふためくフロイドの声を聞いていた。