次の呼吸で恋を紡いで

――小エビちゃんって、ほんっとーのほんとにオレのこと好きだと思う?

「どう思う? ジェイドもアズールも」
「どう、と言われましても」
「……」
ジェイドが困ったように隣を見れば、アズールがその整った顔をこれでもかと崩して舌打ちしていた。気持ちは分からなくもない。だってフロイドは今の今まで小エビちゃん、――基、恋人である監督生と思う存分じゃれ合っていたのだから。
人が行き交う廊下ということも気にせずフロイドは後ろからハグしているし、監督生は払い除けるどころかフロイドの手に触れていた。きっと予鈴が鳴らなかったらまだ続いていたことだろうし、キスのひとつくらいしていそうな空気だった。
片割れはそれをすっかり忘れてしまったかのように窓枠に肘を付いて、青い空に向かってセンチメンタルな溜め息を吐いている。
「蹴り飛ばしてやろうか」
「面白いのでもうちょっと待ってください」
アズールのワントーン低い声を制止して、ジェイドは哀愁漂う背中に手を添えた。
「フロイド。監督生さんは間違いなくフロイドのことを好きだと思っていますし、とても大切にしてくれていますよ」
「え〜?」
「知っていますか? 監督生さん、フロイドを見つけるといつも髪の毛を整えるんですよ。いつも跳ねたら跳ねっぱなしなのに」
「ん〜」
「きっとフロイドに可愛いって思われたいのでしょう。そして少しでも好きでいてもらいたいのでしょう。健気じゃないですか」
「ンンン」
ジェイドの言葉はきちんと届いているようだが、どうにもあと一押し足りないらしい。
さてどうしたものかと、健気な監督生さんエピソードを頭の中で探していれば、外を眺めていたフロイドがこちらを向いた。
「ジェイドぉ」
「はい?」
「なんでそんな小エビちゃんのこと見てんの。もしかしてジェイド狙ってる? だめだめ、小エビちゃんはオレのなの」
大凡二メートルもある大きな体で、更に自分と殆ど同じ顔で可愛らしく拗ねてみせるものだから、――……ジェイドは笑顔もそのままに、思わずアズールへと振り返る。
「蹴り飛ばしても?」
「寮長の権限で許可します」
フロイドはジェイドの長い足が蹴りを繰り出すより先に、きゃはきゃは笑って自ら窓の外へと飛び出した。
喧嘩にも満たない、十七歳同士の戯れである。





さて、本日のモストロ・ラウンジも大盛況である。
季節限定の新作メニューが大当たりしたおかげで先月よりも売り上げが倍増。閉店時間ギリギリまで人が途切れることはなかった。『CLOSED』の札を引っ掛けた後のモストロ・ラウンジは、いつも以上にがらんとしていて寂しく思えるほどだ。
「今日は特に凄かったですねぇ!」
「えぇ本当に。監督生さん、片付けが一段落したら甘い紅茶でも飲みませんか?」
「いいんですか!」
「もちろん。今日の御礼も兼ねて」
人手不足により、急遽アズールからお手伝いを要請された監督生はジェイドのお誘いに両手を上げて喜んで、それから一心不乱に各テーブルの片付けに走った。疲れていたにも拘らず片付けの自己ベストを叩き出す。なにせ、ジェイドが淹れてくれる紅茶は絶品なのだ。
片付けを終えると、ジェイドに声を掛けられる前に自ら席に着く。
「僕もお腹が空いてしまって。お隣失礼しますね」
「はい、どうぞどうぞ。寧ろ何もお手伝いせずすみません」
「ふふ、それだけ僕の紅茶を気に入ってくれていると思うことにしましたので構いませんよ」
「しまった、ジェイド先輩を怒らせてしまった……」
「今度紅茶のお誘いしたときが楽しみですねぇ」
楽しみにされてもお手伝いくらいしか出来ませんから、と言葉を重ねながら、綺麗になったテーブルに音もなく置かれたホットミルクティーはしっかりと受け取る。そして、ジェイドが座れるだけの空間を作った。
「こちらのガトーショコラは監督生さんの分なので食べてくださいね」
「何から何までありがとうございます!」
監督生はホットミルクティーで疲れを癒し、ジェイドは残り物というレベルではない大皿のパエリアで胃を満たす。
お互い、暫くは話に花を咲かせることなく、疲れた体を癒すことに専念した。
「――……あ、」
その空間に、ゆったりと落ちてくるのはウツボの人魚である。
「フロイド先輩だ」
監督生はさっと前髪を撫で、すぐ近くの小さな海で優雅に泳いでいる人魚に手を振った。
えへへ、と呑気に笑っている監督生は気付いていないが、フロイドが上機嫌に口角を上げるのをジェイドは見逃さなかった。
「ふふ」
だからジェイドはわざとらしく自分も前髪を直した。特に乱れていなかったので撫でただけだが、フロイドには伝わったようだ。長い尾鰭が強固な水槽を叩く。
「あれ? フロイド先輩なんか怒ってます?」
「いいえ、喜んでます」
「……うそ、あの顔でですか?」
「はい。それはもう」
水槽を叩いた尾鰭は、今度は海を蹴って海底に沈んだ砂を巻き上げる。それから、上へ下へと自由に泳いで回り、時折こちらの様子を伺っては口を開けて監督生を呼ぶ。
「本当だ。やっぱり機嫌がいいですね。良いことでもあったんでしょうか」
「監督生さんがいるからでしょう」
「またまた」
「売り上げの確認をしている時は機嫌が悪かったですから」
「それは気付きませんでした」
「きっと売り上げが合わずにアズールと喧嘩をし、憂さ晴らしで泳いでいたらあなたを発見して機嫌が良くなった、といったところでしょう」
そうだ。尾鰭を乱暴に振り乱している時は、無闇矢鱈に近付かないほうがいいですよ。
「これは兄弟からのお節介です」
「……知りませんでした」
ほんの少しだけ声が小さくなって、それでも監督生は水槽の中を、フロイドを見つめている。
ホットミルクティーが冷めていくのも構わずに、段々とゆったりした動きになっていく尾鰭を追っていく。
ジェイドは、そういえばこの子は人魚姿のフロイドも好きだと言っていたか、とパエリアの最後の一口を胃に収めながら思い出していた。最初など随分と怖い思いをしただろうに、と他人事のように考える。
「あの、ジェイド先輩」
「はい。なんでしょう」
「今のフロイド先輩は、どういう気分なんでしょう」
「……はい?」
他所ごとを考えていたからだろうか、彼女の言葉はよく分からなかった。
「だって私から見たら泳ぎ方はいつも一緒なんです。でもジェイド先輩は違うって。それに、私は怒ってると思ったのに先輩は機嫌が良いって」
「あぁ」
口元をナプキンで拭ったが、まだお腹はぐうぐうと音を立てている。次は何を食べようかと大型の冷蔵庫の中身を思い出す。
「機嫌がいいまま、ですが、こっちに来て貴女とお話をするかどうか迷っているのでしょうね」
水槽越しにチラチラと寄越される視線には、間違いなく嫉妬が絡みついている。これ以上彼女に近付こうものなら、水槽を壊してでもやって来るかもしれない。まぁそこまでは言わずとも見ればわかるだろうと、ジェイドはわざわざ口には出さなかった。
だが、当の本人は随分と落ち込んでいる。
「どうかしましたか?」
「いえ、あの、……私もジェイド先輩くらいフロイド先輩のことが分かったら、ちゃんと好かれているかどうか分かるのかなって」
「は?」
腹が減ったことを一瞬忘れて目を見開いた。
そんなことを言うということは、好かれているかどうか分からない、もしくは自信がないと言うことだろうか。あんなに分かりやすいのに嘘だろう、と開いた口が塞がらない。
ついでに言えば、今日のお昼にもそんな台詞を聞いた気がする。
「監督生さん、それ本気で言ってますか……?」
「あはは、ジェイド先輩からしたらくだらないことですよね」
「あぁいえ、そう言ってるのではなくて」
嫉妬の視線が突き刺さるのも構わずにジェイドは俯いている監督生の顔を覗き込んだ。
その顔は冗談を言っているようには思えないほどに暗くなっていて、笑っているが、今にも泣きそうでもある。
「監督生さん?」
「だって、……だって、フロイド先輩、すごく格好良くて、何だって出来て、そりゃあ年上なの忘れるくらい幼稚で意地悪で怖くて、先生に怒られてばっかの日だってあるけど、でも、」
おずおずと顔が持ち上がる。その瞳はジェイドを映すことなく、やっぱり水槽の中の人魚へと向けられる。
「私は、先輩が大好きなんです」
だから。
「好きな人のことはたくさん知りたい」
驚くほど真摯に、熱烈に。それ以上になんと頓珍漢で、間抜けで。
「……ふふっ」
堪らずに、口元を押さえて笑ってしまった。
「ふ、すみません、笑うつもりは、ふふふっ」
「もう、私は真剣なんですよ」
「分かってます、分かっています。笑うつもりは本当になくて、ふ、あははっ」
「もう!」
恋は盲目、とはこのことをいうのだろう。
あれだけ真正面から向き合って、話をして、触れ合って。それでもお互い好きでいてもらえている自信がないなんて。
(あぁ、なんて面白いんでしょう!)
今すぐアズールに報告したい。二人で散々笑って、呆れ返って、全部教えてやりたい。
笑い過ぎて涙が滲み始めた眦を拭いながら水槽の中を見遣れば、フロイドが眉を釣り上げて怒っている。いつものようにのんびりと悠長に構えるだけの余裕などないようだ。
「ジェイド先輩笑いすぎじゃないですかっ⁉」
それでも監督生は見ていなくて、気付いていなくて。呑気にガトーショコラをやけ食いして、美味しさに感動して頬を緩めている。なんとも忙しい人だ。
「すみません、僕は一旦席を外します。笑ってカロリーを消費したらお腹が空いてしまって」
「消費させるつもりじゃなかったんですけどね!」
「ふふ、そう怒らないで。そうだ、監督生さんが好きなお菓子があったはずです。持ってくるのでグリムくんと一緒に食べてください」
「お菓子で許されると思わないでくださいね……⁉」
「おや、許していただけないのですか? では、この話はなかったことに、」
「いただきますけども!」
もう監督生のすべてが面白くて、ジェイドは吹き出すように笑ってからキッチンへと向かう。
残った野菜やお肉などを簡単に調理して、今度モストロ・ラウンジのイベントで配る予定のお菓子の袋を二つ手に取った。アズールには自腹で払うと言っておけば問題ない。
右手には小腹を満たすための料理、反対には監督生のためのお菓子を持ってキッチンを後にする。つい癖で控えめな足音でホールへと向かい、監督生に声をかけようとして、――やめた。
水槽越しの恋人の語らいを邪魔するほど、不粋な男ではないのだ。
(流石に邪魔はできませんね)
ソファに座っていたはずの監督生は水槽の前に立っていて、その目の前にはフロイドがいる。
水槽に邪魔をされて手も繋げないというのに、お互い同じ位置に手を添えている。監督生が顔を寄せて額を水槽に当てれば、同じようにフロイドも寄り添う。
声も、音も、なにもない。けれど、随分と楽しそうに話をしているように見えて。
「……」
兄弟の、見たことがないほど穏やかな眦にジェイドは嘆息をひとつ。
(そんなに見つめ合っていれば、好かれているかどうかくらい嫌と言うほど分かるでしょうに)
お互いの愛の大きさを知らないのは、結局当人だけなのだ。
ジェイドがひっそりと見守っているのをいいことに、フロイドは長い爪で水槽を叩いてキスを強請る。監督生は嫌がることなく、寧ろ嬉しそうにそれに応えた。
(おやおや)
同時に、アズールの足音が聞こえ、ジェイドは気を利かせて咳払いをホール内に響かせる。
「お楽しみのところすみません」
「うわぁっ!」
驚いてこちらに振り返った監督生は、一拍置いてから一瞬で茹でられた小エビになってしまった。フロイドはとても素直にチッと舌打ち。
そうかと思えばふらりと泳ぎに行ってしまったので、そろそろ陸に上がってくるだろう。
「すっ、すみません……!」
「いえ」
慌ただしい動きでソファへと戻ってきた監督生に、お菓子の袋を二つ渡した。
それから。
「フロイドに好かれているか、分かりましたか?」
意地悪な顔で聞いてやれば、更に顔が赤くなって面白い。
赤く熟れた頬を突いてやりたくなったがぐっと堪え、二人でソファに座り直す。
「……やっぱり、分かりません。というより、自信はありません」
でも。
「私は大好きなので、頑張ろうと思います」
「そうですか」
まぁその必要はないと思いますが、とは言わず、追加で作った料理を堪能することにした。
もうすぐ、機嫌が直ったフロイドがアズールと一緒にここに来る。これ以上は話を広げるべきではない。フロイドに聞かれるのは彼女の本意ではないだろうし、それに。
(そのほうが面白い)
すっかり冷え切ったミルクティーに口をつける監督生をこっそりと見つめて、今度はどんな面白いことをしてくれるのだろうと二色の瞳をご機嫌に細めた。
「……なんだか、ジェイド先輩悪い顔してませんか?」
「おや、酷いことを言うんですね、しくしく」
「しくしく言ってる口元が笑ってますけど……?」
「気のせいですよ」

 ――……もしも。
 もしも、今想像している「面白いこと」が度を越して喧嘩になってしまったら。その時は少々骨が折れても仲を取り持ってやってもいいかもしれない。
(仕方がありませんねぇ)
 手が掛かる兄弟とそのツガイ。
 間に入ってあげられるのは自分とアズールくらいだろうから。

――……本当は、水槽越しに語らう二人を見て恋愛という現象に興味が湧いたなど、悔しいから一生の秘密である。

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