「バスケの気分じゃなくなった〜」
「そんなことだろうとは思いましたけど……」
へらりと軽く笑っている後ろでは、体育館の床でバッシュを鳴らしながらバスケ部が練習に励んでいる。エースとジャミルの姿もある。監督生は目が合ったジャミルに会釈をして、出入り口付近の邪魔にならないところでフロイドと並んで座った。
「フロイド先輩がバスケしてるところ見たかったんですけどねぇ」
「今日はヤダ」
「知ってます。モストロ・ラウンジはいかなくていいんですか?」
「アズールにも今日はバスケ行くって言ったからシフト遅めにしてもらってんの」
だからもうちょっとお喋りできるよ、と手を握られてしまえば、監督生は「……もう」と唇を尖らせるだけで動けなくなる。
「小エビちゃん、オレと話すんのヤダ?」
「やだじゃないですよ」
「よかった。じゃあ今日あった面白い話して」
「私が⁉」
「ウン。はやくはやく」
仕方なく錬金術の授業で失敗したエピソードを披露して、小エビちゃんもアザラシちゃんも相変わらずだねぇというフロイドに、次は先輩の番ですよとバトンを渡す。
それから他愛のない話を繰り返して、時々飛んでくるバスケットボールはフロイドが受け止めてくれて、冷やかしの声には中指を立てていた。
バスケをしているところが見たかったんだけど、まぁいいか。これはこれで楽しい。
きっと、惚れた弱みというやつのせいでフロイドと一緒にいるだけで楽しくて仕方ないのだ。
(私も甘いなぁ)
冷たい体育館の床に座り直して、隣で笑うフロイドを見上げる。
「なぁに?」
視線に気付いたフロイドの大きな手が遠慮なく頭を撫でてくるものだから、折角整えていた髪の毛がぐしゃぐしゃになってしまった。
文句を言ってやろうとフロイドの手首を掴んで口を開けた、——が。
「あ、金魚ちゃんだぁ〜」
「え、」
「げっ、フロイド……!」
偶然通りかかったリドルとトレイを見つけた途端、フロイドの興味がそちらへと逸れた。
そこからは行動が早かった。こっちに来るなという顔をしているリドルのところへとフロイドはさっさと走って行ってしまい、リドルが怒りながらも走って逃げたことで追いかけっこが始まってしまう。
「ちょ、フロイド先輩……⁉」
体育館の喧噪に背を向けて、フロイドはあっという間に小さくなる。
よく見えないが、リドルを追い掛けた先にクルーウェルが居たらしい。フロイドは長い足で器用に急旋回しながら校舎のほうへと飛んで行った。そういえばクルーウェルに出された課題を提出してないとついさっき言っていた。
(…………こりゃもうダメかな)
ひとり残された監督生は、肩を落として苦く笑うしか出来なかった。
ただでさえ気分屋を地でいくタイプのフロイドだ。このまま行く先々で色んなものに興味を示しては飽きたと言って方向転換し、置いてきた監督生を思い出す頃にはモストロ・ラウンジに辿り着いているかもしれない。
(……いや、他に面白いことがあったら明日くらいまで思い出さないかも)
想像して、有り得るなぁと頬を掻いた。
それから、さてどうしたものかと壁に頭を預ける。
(帰ってもいいだろうけど。……っていうか、仮にも私彼女なんですけど。置いてかないでよ)
ちょっと行ってくるとか、もう帰っていいよとか、一言くらいくれたっていいじゃないか。
元より、束縛を特に嫌う男だから縛り付けるつもりもないけれど。そこはちゃんと理解しているのだけれど、――……欲を言えばもうちょっとだけ恋人扱いしてほしい。
(そもそもフロイド先輩の中で私ってちゃんと彼女なのかな……)
思い返せば、監督生が勇気を振り絞って好きだと告白したときも「面白そうだからいいよ」と笑って言ってのけた男だ。実は彼女じゃありませんでしたというオチすら有り得る。
(……どうしよう、私だけ付き合ってると思ってた⁉)
だとしたら相当「痛い女」である。
彼女でもないのに、バスケするから遊びにおいでと言われたくらいで舞い上がって髪の毛を整えて、色付きのリップなんて塗って。更に、気分じゃないからバスケはしないと言われたら、見たかったのになんて言ってしまって。
(自意識過剰な上に図々しくない……?)
自分で今までの自分の言動に引いて、脳内でひとり反省会が開催。考え始めてしまったら、とことん考えて結論を出さないといられないのだ。
ひとり反省会の途中で、部活動を終えたエースとジャミルが様子を見に来てくれたが、十二分に反省してしまわないと帰れそうにない。寒くなってきたから購買部で何か温かいものでも、というお誘いは魅力的だったが、寒いくらいが頭が冴えてちょうどいい。体育館の鍵だけ預かって二人を見送った。
(調子に乗ってすみませんでしたって、フロイド先輩に謝ろっかな)
それとも、ジェイドかアズールに相談した方がいいだろうか。
(モストロ・ラウンジに通ってポイント貯めて、……そんな時間あるなら早々に謝って、)
脳が焼き切れそうなほどに悩んでいれば、小エビちゃん、とどこからか呼ばれて振り返った。
「よかった、まだいた」
「……え、先輩、今どこから入って来ました?」
「ンー? 二階の窓。空いてたから入ったぁ」
だめだねぇ、ちゃんと施錠しないと。
当たり前のことを言っているようだが、この背の高い体育館の二階の窓から勝手に侵入してきた男の言葉である。しかも、なにがどうなって二階の窓から侵入することになったのか。監督生は考えてもよく分からなかった。
「はー、あちー。途中でイシダイ先生にも怒られて追いかけられて、撒くの手こずったー」
フロイドは、暑い暑いと手で顔を仰いでいる。反対の手にはぐしゃぐしゃに丸められたジャケットが引っ掛かっていて、ペットボトルのジュースを持っている。どういうコースを遊んできたかは知らないが、きっと購買に寄り道して買ってきたのだろう。
「小エビちゃんはこっちね」
フロイドが丸めていたジャケットを広げて監督生の両肩に掛けた。それから隣に座り、ジャケットのポケットから取り出したのは缶に入ったホットミルクティー。
それは、数ある紅茶飲料の中でも気に入ってよく購入しているものだったから驚いた。
「あ、これ……?」
「飲んでいいよ。寒かったでしょ、ごめんね」
今度は胸ポケットのマジカルペンを手に取って、一振り。あっという間に四肢の末端まで暖かい空気に包まれるものだから魔法と言うのは凄い。
「もう怒って帰ってるかと思った」
「お、こってなんか、」
寧ろその逆。反省してましたと言えば、フロイドは不思議そうに首を傾げていた。
「反省すんのオレじゃねぇの?」
「今のは気にしないでください……!」
監督生はそう付け加えてホットミルクティーの封を開けた。暖かい缶に口をつけようとして、しかしフロイドの指に邪魔をされる。
「口つける前にこっち向いて」
大きな手で顎を掴まれてフロイドの方へと向かされたと思えば、――あっという間にファーストキスが奪われる。
「今日すげー可愛い色のリップ塗ってたから、ちゅーしよって思ってたの思い出した」
「…………ぇ、え、あ、…………えっ?」
「あはっ、顔赤くなってんのかぁわいい。もう一回しよ〜」
子どものように笑ったと思ったら、瞬きひとつで男の顔になってキスしてくるものだから、監督生には抵抗する余裕もない。今にも心臓が壊れてしまいそうなほどに脈打って、両手に持っている缶を落としてしまいそう。
それでも。
「フロイド、せんぱい」
「なぁに」
フロイドの熱が灯った唇は、勝手に動いて声を零す。
「すき、です……」
オーバーワーク気味の心臓のせいで息が詰まって、最後は今にも消えてしまいそうな声量だった。それでも文字通り目と鼻の先のフロイドには届いているようで。僅かにゴールドとオリーブの瞳が丸くなったと思ったら、とろりと甘くなる。
「オレも好き」
その瞳と目が合ったら、笑ってしまうほど単純に不安が霧散していく。鼓膜を揺らす、いつもより穏やかで低い声に肩がふるりと震えた。
(……わたし、ちゃんと、フロイド先輩の彼女だ……)
フロイドは良くも悪くも素直である。
嫌なものは嫌で、好きなものは好き。
したいことは絶対したくて、したくないことは絶対したくない。
だから、フロイドが好きだと言ってくれるのなら、それが全て。
「小エビちゃん。このままモストロ・ラウンジおいでよ。オレの奢り。美味しいもの食べよ」
「う、でも、グリムが、」
「アザラシちゃんも呼べばいいじゃん。奢りって言ったら来るって」
「いいんですか? グリムもいっぱい食べちゃいますけど」
「うん。小エビちゃんが来てくれんならなんでもいいよぉ。今すげー気分いいし」
それから三回目のキスをして、リップの色が落ちた唇をフロイドの親指が撫でる。
「これ、オレと二人で会う時だけにしてね」
他のヤツに見られんの、ヤダ。
ようやっと心の底から恋人になれた監督生は缶を大切に握り締め、それから、コーラルピンクが薄くなってしまった唇で綺麗に弧を描いた。