大事をとって三日間たっぷりと休養すれば、すっかり体調は良くなった。保険医曰く、疲れが溜まっていたのだろうとのことだった。
慣れない世界に来てしまっているからね、と優しく笑う保険医に監督生は別の理由を頭に思い浮かべてしまい、それを掻き消すように頭を横に振った。
「どうしたんだい?」
「いえ、なにも! それより、私もう授業受けても大丈夫ですか?」
「喉の赤みや腫れも治まっているし、これといって他に症状がなければ授業を受けても構わないよ。もう誰かにうつす心配はないよ。但し無理は禁物。約束は守れるかい?」
「はい、勿論です」
グッガール、と監督生の担任であるクルーウェルの真似をした保健医と顔を見合わせてクスクスと笑い、それから保健室を後にした。
既に一限目が始まってしまった校内は静かである。
(これでやっとグリムにも会えるなぁ)
クルーウェルに許可をもらっている監督生は堂々と遅刻をしながら、足取りはゆっくり。少しくらい悪いことをしたっていいじゃないか。
(グリムとこんなにも離れてたの、初めてかも)
グリムを思い出せば思い出すほど、肉球とふわふわとした毛並みが恋しくて仕方ない。熱でつらかったのだと理由をつければ思う存分吸わせてくれるだろうか。あぁ、そうだ。面倒をみてくれていたハーツラビュル寮の方々にもお礼を言わなくてはいけない。昼休みならリドルの教室にお邪魔しよう。
それから。
(……フロイド先輩に風邪うつってないかな)
他のことを考えていたって、どうしたってあのターコイズブルーを思い出してしまって顔が熱くなる。
――……ちゃんと自分のことを大事に出来る恋をしろよ。
(クルーウェル先生が、こ、こ、恋とか、言うから……!)
弱っているときにあんな話をして、フロイドの帽子を枕元に置くものだから。恋なんかじゃない、もっとあっさりとした名前のない関係だと分かっていても、熱に魘された頭の中で何度も何度もフロイドの冷たい手を求めてしまった。
(もう。先生のせいで、変に意識しちゃう)
情けなく求めた冷たい手はいつだって優しく頭を撫でて、頬を撫でて。それから甘い甘いキスをくれた。何度も二人で重ねたキスよりもずっと甘くて、本当にフロイドとキスしていたんじゃないかと錯覚してしまうくらい。勿論、目が覚めてもフロイドはいないし、クルーウェルは誰も来ていないと言っていたのだけれど。
火照った頬を冷やそうにも、自分の温かい手じゃどうにも出来なくて悔しい。
仕方ないので手で扇いで、二、三回深呼吸をした。ようやっと落ち着いたと思っても、フロイドを思い出すとすぐにまた熱くなって堂々巡り。これじゃあ暫く顔を合わせられそうにない。
しかし。
「小エビちゃん!」
ひょっこりと窓の向こう側から顔を出したのはフロイドである。
あまりにもタイミングが良すぎる登場に監督生は声を上げる暇もなく驚いて固まった。きっと変な顔をしてしまっていた。恥ずかしい。けれど、いつもならばそれを笑うフロイドは必死の形相で、ゆらゆらと不安定に揺れている箒から廊下へと飛び移った。
箒は自分の意志を持っているよう旋回し、壁に寄りかかって休憩しているよう。
「小エビちゃん、もう体大丈夫?」
長い足であっという間に距離を詰まる。大きな手で両肩を掴まれて、観察するように顔を覗き込まれた。すぐ目の前の整った顔に、ぐ、と息が詰まる・
「あ、あぁ、はい、それはもう」
「そっかぁ、よかったぁ……」
心配してくれていたのか、と。フロイドも元気そうで良かった、と。監督生が大袈裟なほど元気に頷いてみせれば、強張っていた顔から力が抜け、同時に背中も丸くなって、監督生の肩にフロイドの頭が落ちてくる。
ターコイズブルーの髪の毛がふわふわと頬や首筋を擽って、それから飛行術の授業を受けていたから汗の匂いがふわりと香る。
(――……あ、)
たったそれだけで、鮮明に思い出されるのはフロイドとのセックスだ。
軋むベッドの音や、フロイドの息遣い、腹の奥から全身へと巡る快楽まで思い出されて腰がゾクゾクと震えてしまう。更にぎゅうぎゅうと抱き締めてくるものだから、全身の血液が沸騰しそうになる。
(や、やだ、なにこれっ)
スキンシップなどすっかり慣れてしまっているというのに、今日は逃げ出したくなるほどに恥ずかしい。ぼふり、と音を立てて首や耳まで真っ赤に茹っていく。クラクラと目が回りそう。
「小エビちゃんが倒れたって聞いて、すげー心配した」
一向に顔を上げないフロイドは耳元で話しかけてきて、静かなトーンの声色にあられもない声が出そうで、きゅっと唇を噛んだ。
(い、いま! そういうこと言わないで!)
しかし、フロイドの気持ちを無下には出来ず、監督生はひたすらにじっと耐えた。
(や、やさしくされると、夢、思い出しちゃう……ッ)
おかげで、フロイドの背中に手も回せやしない。
ハグってこんなに難しかったっけ、なんて考えていれば不意にフロイドの顔が持ち上がって、目が合う前に顔を背けた。けれど、フロイドは構うことなく無防備な頬に唇を寄せる。
(う、もうだめっ)
今度はそこから溶けていきそうだ。
「つうか、体調悪いんなら言ってくれたらよかったのに。そしたら、」
感情の昂りに降参して、監督生はフロイドの口を手で軽く覆った。
「体調悪いなんて、言えないです!」
「えっ」
「頼るのだって出来ないですっ! 先輩は先輩だから、友達じゃないんですから……!」
フロイドに伝えているようで、自分に言い聞かせているようなものだ。
体の関係があろうと、フロイドはただの先輩なのだから。同学年の友人であるエースやデュースと同じように、こんなことで簡単に頼るわけにはいかない。
「それに、対価だって、払えないし……!」
ぐ、と手に力を籠めればフロイドはあっさりと離れていく。顔が遠くなって、一歩後退っても追い掛けて来ない。
(……あれ?)
いつもなら、オレの気遣い断るとか生意気じゃん、とか言って絞めてきそうなのに。
(フロイド先輩が、遠くなっちゃった)
自分で後ろに逃げたのに、追い掛けてもらえないことに少しだけ体が冷えた。
だから。
「あの、でも、先輩がエッチしたくなったら、その、またオンボロ寮に、」
曖昧に引き留めるようなことを言って。
「……ウン、そーするね」
左右で色が違う瞳が、どこか悲しそうな色をしながら逸らされたことに、どうしようもなく泣きたくなった。
その日以降、あんなに目が合っていたのが嘘のように静かになった。
オンボロ寮に忘れたままの帽子を返すという口実で一度だけ夜に会ってセックスをしたのだけれど、今までで一番短くて淡々としていて言葉数が少ないものだった。それでも頑張って沢山お話しようと話題を振ったが、黙っててと言われてしまえばそれまで。キスだって、一度もしないままでさっさと帰ってしまった。
でも、きっとこれがこの関係性の正しい距離だ。お互い好奇心と性欲を満たすだけのセックスなのだから、それ以上は必要ない。
――そう分かっていても、やっぱり。
「……さみしいなぁ」
いっそ、あの時、どろどろに溶けてフロイドとひとつになってしまえば良かった。そうすればきっといつまでもセックスをして、ずっと傍に居られたかもしれない。
ひとりでは広すぎるシングルベッドで背中を丸める夜は、退屈過ぎて眠れない。どこかで、静かな扉が遠慮なく急に開くことを期待している。
偶然どこかで見かけたら、その時は何事もなかったように話しかけてもいいだろうか。
▼ ▽ ▼
「小エビちゃんさぁ、オレには頼りたくないんだって。先輩だから、対価も払えないからって」
そんなのいらないのに。オレがメンドーみてあげるのに。
モストロ・ラウンジ内のVIPルームのテーブルの上で、今にも溶けて消えてしまいそうなほどに落ち込んでいるフロイドを見て、ジェイドは口元に手を当てて笑う。
「おや、監督生さんとお付き合いしてるんじゃなかったでしたか?」
「ジェイドまたそれぇ? だから付き合ってねぇし」
そりゃまぁヤることはヤッてるけどぉ、と唇を尖らせて監督生には似ても似つかぬ硬いだけのテーブルを絞める。頬をくっつけても冷たいだけで何も面白くない。このテーブルはどれだけ絞めても蕩けるように笑って「フロイド先輩」と呼んでくれることはない。
ハァ、と深い溜息とともに、帽子が床へと転げ落ちた。
オンボロ寮に忘れてから随分と久しぶりに頭の上に帰ってきた帽子は、ハーツラビュル寮の匂いがして即座に洗い直した。折角監督生の部屋の匂いが残っているかと思ったのに、この帽子を洗うだけのいい洗剤を持っていないからとリドルに相談したとは誤算だった。
(つうか、オレと同じセンパイの金魚ちゃんには頼ってんじゃん。洗剤貰って一緒に洗濯したって? ふっざけんなよ。あー、クソ、面白くねぇ)
八つ当たり以外の何物でもないが、苛々が腹の底に溜まって発散したかったのでこれでもかと帽子を睨み付けた。風もないのにコロリともう一度転げたので、機嫌が悪いなら被ってくれるなとでも言っているのだろう。あぁもうそれすら腹が立つ。
すると。
「ふふ」
退く気がないフロイドの背中にマドルと電卓を並べて計算していたジェイドが笑う。なに、と聞きながら首
だけで振り返れば「顔が違いますね」とだけ言って、止まっていた手を動かし始めた。
「顔ぉ? 何の話してんの、ジェイド」
「フロイドの話ですよ。以前、監督生さんと付き合っているのかと僕が聞いたときはもっとあっけらかんとしていたのですが」
「ですが?」
「今は随分と面白い顔をしていますね。いい加減自覚したらどうですか?」
「はぁ? なにそれ」
「少し考えれば分かることですよ。……あぁ、フロイド。動かないでください」
「つうかオレの背ビレの上で計算すんなって」
「テーブルを使おうと思っていたのですが、大きな先客がいたもので」
「アズールのとこでやりゃいいじゃん」
また顔を動かして、今度はアズールの方へと向く。
「来なくていい。狭い」
「おやおや。狭いところはお好きでしょう?」
「そうそう。いーじゃん。椅子半分こしなよ」
「フロイドが退けばいいだけで、……おい、ジェイド! 来ようとするな」
計算の途中にも関わらず、マドルと電卓を持って移動しようとしたジェイドに、アズールが即座にストップをかけた。それから、この開店前で忙しい時に、とメガネのブリッジを持ち上げる。
「まったく。最近は特に輪をかけて小エビちゃん小エビちゃんと煩いですね」
「あっ、アズールが小エビちゃんって呼ぶのダメ!」
「VIPルームに来てから既に十回以上は、」
「アズール。二十三回です」
「……二十三回は監督生さんの話をして、拗ねて、暴れて、邪魔をして」
アズールは嘆息を漏らしながら、手元の書類に印鑑を押し、まとめて引き出しへと仕舞う。
代わりに取り出した一枚の契約書には、いつぞや監督生に殴りかかろうとしていた獣人の名前前が書かれている。監督生には言ってなかったが、あのあと、正式に喧嘩を売られたのでもう一度叩き潰しておいたのだ。確か、サバナクロー寮の二年生。自分とは別のクラスだ。名前は何度か聞いたが忘れた。
「少し前までいい働きっぷりだったのですが」
肉体労働が得意で、歯向かってこない優秀な従業員まで見つけてきてくれて。
にっこり、と。獰猛に輝く瞳で綺麗に微笑むアズールに、フロイドもつられて口角を上げた。
けれど。
「今は決して褒められたものではないですねぇ、フロイド。監督生さん本人が対価は払えないと言うのならば、面倒を見る必要はないでしょう」
真っ直ぐにフロイドを見下ろして、バッサリと言い捨てた。
「……ア?」
「監督生さんは偉いじゃないですか。対価が払えないから優しくして貰えるとは思っていない。分かっているから頼らない。その代り対価を求めてこない奇特な人間に甘えて頼る。無理のない選択だ。自分の立場と力量をよく理解してらっしゃる」
――けれど、お前はどうだ。
「監督生さんだけを意味もなく特別扱いして、いらないと言われたくらいで駄々を捏ねて彼女を見もしない。そのくせ、未練がましく彼女がいないところで監督生さん監督生さんと。いっそ稚魚どころか何も出来ない卵からやり直してくればどうです? そのほうがグダグダと余計なことを考えずにすむでしょう」
そもそも。
「対価を持っていないが代わりに何でもするから助けてくれ、などと安易に口にするなと彼女に教えていたのはお前だろう」
アズールの言葉にVIPルームがシンと静まり返る。いつもは一言多いとアズールに言われているジェイドは黙ったまま。
そして。
「なにそれ。もしかしてお説教してんの? 喧嘩売ってんの? どっちにしろウゼーんだけど」
静かになったそこに、フロイドの低い声が流れ込んで床を這って行く。
フロイドの取り立てを経験したことがある者共は、この声だけで腰を抜かしてしまうのだけれど、アズールは少しばかりも揺るがない。それどころか、背凭れに身体を預けて慈悲深く、美しく微笑んであげる。
「お説教だなんて。色ボケして使い物にならないウツボに精一杯優しく知恵を預けているんですよ。あぁ、対価は勝手に給料から天引きしておきますので心配なく」
「ハァ!?ふざけんなよ、アズ、――ッ!」
テーブルの上に沈んでいた体が勢いよく起き上がって、マドルや電卓が宙を舞う。それに構うことなくフロイドはテーブルに踏み越えてアズールの胸倉を掴もうとして、――しかしその左手に雷が走る。バチバチと嫌な音がして、指先がほんのりと焦げた。
「ッ!」
反射的に引っ込めた左手を右手で庇い、奥歯をギリと音が鳴るまで噛み締めた。
「こんな簡単な防衛魔法すら見破れないお前に与える仕事はありません。煩いから外で頭を冷やしてこい」
ピシャリと言い切れば、フロイドは額に血管を浮き上がらせたままVIPルームを後にした。
乱暴に絞められた扉は蝶番が壊れしまい、ギイギイと嫌な音がする。更にその奥から、開店準備をしていたスタッフたちの悲鳴が聞こえてきて、アズールは頭を抱えた。
「まったく」
「恋愛初心者のアズールに指南役は荷が重かったですね」
そこで、ようやっとジェイドが口を開いた。
床に散らばったマドルにマジカルペンを振り翳して、あっと言う間に手元に集めている。
「お前にも雷を落としてやろうか」
「遠慮してきます」
「それに、初心者でもお前よりマシでしょう。なにを言い出すかと思えば」
「僕、そんなにおかしな事を言いましたか? 直球は投げないようにしていたのですが」
首を傾げるジェイドに、色ボケがもう一尾いたかとアズールが目頭を押さえて唸った。
「あれを直球と言わずして何を直球と言うんです」
フロイドは、本能が赴くまま、気が向くまま、自由にさせておけばいい。
「そもそも余計なことを考えるからああなるんだ。あとは放っておけばいい」
余計なことを削ぎ落して、楽しそうな匂いがするほうへと鼻を鳴らして。その上で監督生に飽きたというのなら、所詮それはそこまでだったのだ。
「……そうですね」
アズールに言われて、事を急かし過ぎていたということに気付いたのだろう。ジェイドの顔から完璧な笑顔が剥がれ落ちて、少し不貞腐れたように唇を尖らせた。
「でもアズール。……だって、僕は、」
フロイドに番が出来たんだと思ったら、すごく嬉しかったんです。
モストロ・ラウンジにも、オクタヴィネル寮にもいたくなくて、フロイドは鏡を通って校内へと戻ってきた。とは言え、行く当てもなく、長い足を持て余すように歩き回っては外に出た。
そろそろ帰寮の時間だろう。外に出るといっそう静かになって、音の刺激が無くなるだけで心が落ち着いてきたように思えた。ギリギリと噛み締めていた奥歯を解放して、硬いベンチに浅く腰掛け、背凭れに背中を預ける。
「……チッ」
何かを噛み砕きたくてポケットというポケットを全て探るも、キャンディの一本だって入っていやしない。けれど買いに行くのは面倒だった。あぁもう、このままアズールの言う通り卵にでも戻った気分で何も考えずに寝てしまおうかと考える。
すると。
「フロイド先輩、何してるんですか?」
ひょっこりと急に視界に現れたのは監督生である。
「え、うわっ」
完全に油断していたせいで心臓が跳ね上がり、浅く腰を掛けていただけの尻が落ちそうになって慌てた。監督生もフロイドがそんなに驚くとは思ってもみなかったのだろう。彼女も大きな目を丸くして、体を支えようと手を伸ばしてくれていた。
「ビックリした〜。なに、どうしたの、小エビちゃん」
「あの、姿が見えたので、ちょっと声を掛けただけだったんですけど、ダメでした?」
「や、うん、だいじょーぶ」
隣いいですか、と言われてフロイドは左側へと寄った。
「フロイド先輩は、今日はモストロ・ラウンジお休みですか?」
「お休みじゃねーんだけど、お休みになっちゃった〜」
「喧嘩でもしました?」
「ンー、まぁそんなとこ」
監督生が原因で喧嘩しましたとは言えず、それ以上は何も話さずに口を閉じた。同じように監督生も口を閉じてしまって、何とも言い得ぬ空気が流れて居心地が悪くなる。
「……」
「……」
今まで何を話してたっけ。今までどんな風に近付いてたっけ。
考えれば考えるほどに分からなくなってしまって、けれど傍に監督生がいてくれると嬉しくなる。ベンチの上に置いている小さな手に触れたくなって、そのままキスしたくなった。
(最後にちゅーしたのって、いつだっけ)
帽子を返してもらう時にセックスはしたけれど、キスはしなかった。したくなかったわけじゃない。でも、しようとしたら、体調を崩す前みたいに逃げられるんじゃないかって考えてしまって出来なかっただけだ。
(ちゅーしたい。したいんだけどなぁ)
自分がこんなに弱虫だったなんて、今まで知らなかった。たった一回拒否されただけでこんなにも引き摺るなんて。海のギャングが聞いて呆れる。
(つうか、なんで一回拒否されたくらいで落ち込んでんだろ、オレ)
頼られないことに拗ねて。セックスだけならいつでもと誘われたらテンションが上がらなくなって。キスしたいのに躊躇して。そのくせ、傍に来てくれることが嬉しくて仕方ない。
「……あ、あの、フロイド先輩?」
思考の海の沈んでいた意識を浮上させれば、監督生の顔が目の前にあった。知らず、顔を寄せて行ってしまっていたらしい。苦く笑っている監督生に慌てて謝って顔を離した。
すると、監督生はホッと息を吐いていたので、フロイドの心臓がズキリと痛んだ。
(なにこれ)
分からない。なんでこんな些細なことに傷つくのだろう。何か変な薬でも盛られたのだろうか。これなら真正面からぶん殴ってくれたほうがずっといい。
(なに、これ)
随分と面白い顔をしている、と揶揄ってきた双子の片割れに今すぐ会いたい。面白い顔とはいったいどんな顔だったのだろう。綺麗に磨かれたテーブルで自分の顔を映せばよかった。
「あ、ごめんなさい。そんなに気にしないでくださいね。なんか私最近ちょっと変で、……それより何か考え事ですか?」
「うん。でもよく分かんねぇから、もうヤダ」
無意識にポケットを弄って、キャンディが入っていないことを思い出して肩を落とした。
「ええぇ。まぁ無理には聞きませんけど、……あ、先輩の帽子はまた行方不明になっちゃったんですか?」
「帽子ぃ? ……VIPルームに忘れてきたぁ」
なんでよりにもよって帽子の話題なのか。
フロイドの声に苛立ちが混じって低くなっても監督生は構うことなく話を進めていく。
リドルに洗剤を借りて一緒に洗ってもらったこと。その間にトレイがケーキを用意してくれていて一緒に食べたこと。グリムはケイトに格好良く写真を撮ってもらってマジカメに載せていたこと。あとからやって来たエースとデュースがケーキを羨ましそうに見ていて、結局パーティーになってしまったこと。
聞けば聞くほど楽しそうで、胸が苦しくなって、胃が重たくなっていく。
(その話前も聞いたし。つうか、なんでハーツラビュル寮の奴らばっかと仲良くしてんの)
帽子だって、別に洗ってくれなくてもよかった。自分で洗えるし、気にするなら一緒に洗ったっていい。監督生が来ているならジェイドが紅茶を淹れてくれるだろうし、アズールだって何だかんだと彼女に甘いのだからモストロ・ラウンジで食事でもどうぞと誘ってくれるだろう。監督生とグリムが食べる分くらいなら奢ってあげられるし、対価なんて気にしなくていい。
そのあとで監督生をオンボロ寮まで送り届けて、隠れてこっそりとセックスしたらきっと楽しいはずだ。
(なのに、なんで)
これ以上、他の人と仲良くしている監督生の話を聞きたくなくて。フロイドは、思わず忙しなく動いている手を握った。自分の片手だけで両手が覆えるくらい小さい手。
「どうしました?」
深海で生きてきた自分とは全然違う、熱くて、柔らかい手だ。この手を握るだけで、あんなにも胸と頭の中で渦巻いていた感情が落ち着いていく。
(金魚ちゃんも、カニちゃんも、こんな風に手は握れない)
そのまま手を自分の方へと引き寄せて抱き締めた。フロイド先輩、と名前を呼んでくる声には、黙っててとだけ返した。
「小エビちゃん」
「はい」
いつもと違う雰囲気に気付いているのだろうか。背中に回された手が、宥めるように撫でていく。気持ち良くて温かくて。体の余分な力が抜けていく。
(オレ以外の奴は、こんな風にぎゅーってできない)
監督生がハグをするのは、フロイドだけ。フロイドが力を加減して、絞めないように殺さないように、大切にハグするのも監督生だけ。
(オレだけトクベツ。小エビちゃんもオレのトクベツ)
それだけ感じ取れたらもうあとはどうだってよかった。
何も考えずに監督生の匂いと温度だけに溺れていく。人魚が溺れるだなんて想像しただけで笑ってしまうけれど、それも監督生の前ではどうだっていい。じわじわと温度がこちらに移ってきて、二人の輪郭が曖昧になっていく。
フロイドはこの瞬間が好きだった。
そのままキスして、服を脱がせて、名前を呼んで。それから肌を合わせていく。すると、今までに感じたことがないくらいにココロが満たされる。
(小エビちゃんとぎゅーすんの、きもちいい)
最初はお互いが下手だったのに、今ではこんなにも馴染んでいる。すり、と監督生が擦り寄ってくるだけで、むず痒くて笑えた。
(かわいい。小エビちゃんすげーちっちぇーの)
回した腕に力を籠めて、もっともっとくっついていく。誰かに見られたら、とかそんなことを考える余裕がなくて。ひたすら、息も忘れるくらいに溺れていく。
(小エビちゃん。オレだけが知ってる、オレだけの小エビちゃん)
自分が名付けた名前を呼んでみる。監督生は当然のように返事をしてくれる。
(オレの小エビちゃん。かわいい、ちいさい、――……すき)
不意に、ずっと前からココロにピッタリと嵌ったままの、丸くて柔らかい形に名前が付いた。
(すき?)
名前がつくと靄がかかっていた思考回路がスッキリとして、余計な部分が剥がれ落ちていく。不安も嫉妬も焦燥感も何もかもが無くなって、好きという二文字だけが頭を埋めていく。
(は? すき? すき、好き。……そっかぁ、オレ小エビちゃんのこと好きなんだ)
産まれてからこちら、誰のこともそういう意味で好きになったことがないから知らなかった。次いで、きっと気付いていなかっただけで、もうずっと好きだったのだろうと直感した。
だって思い返せばずうっと目で追っていたのだ。それこそ、監督生がすぐに迂闊な発言をしてしまうのに気付くくらい。監督生のピンチに駆けつけてあげられるくらい。
だから、彼女の初めてを貰えたのが嬉しくて、他の誰かと楽しそうにしているのは嫌なのだ。
(――……そっかぁ)
フロイドは、そうっと監督生から体を離した。
「どうかしましたか?」
監督生の手も背中から離れていって、小首を傾げてこちらを見上げてくる。
「うん、あのね、小エビちゃん」
抱き締めたせいで乱れた髪の毛を手で直してやれば、擽ったそうに目を閉じている。その間にキスしようかと思ったけれど、やめた。
――……このまま、何もしないでおこう。
「ごめん、オレもう小エビちゃんのこともう抱けない」
何もしない方がいい。だって監督生はそういうのを求めているわけじゃない。
愛のあるキスではなく、好奇心を満たすためのセックスがしたいのだ。知らないことを知りたくて、やったことがないことがしたい。そう思っていた所に、都合よくフロイドが誘ってきただけ。
監督生も言っていたじゃないか。旅の恥は掻き捨て、だと。
つまりフロイドはいつか捨てられる部分なのだ。最初から置いていかれることが前提で、抱き締めていた体は消えて、繋いだ手は離れて、目の前から居なくなるのだ。
ただ、そのあとで、ココロに嵌ったままの好きが残るだけ。
「ごめん。ごめんね、小エビちゃん」
あぁ、それはきっと、とても悲しいことなのだろう。こんなことなら何も知らなければ良かったと後悔するくらいに。
でもそれより今は、彼女のためになにもしてあげられない自分が情けなくて殴りたくなった。今ならまだ最小限の迷惑で済むことに安堵した。
もう愛情がない楽しいだけのセックスは、もうしてあげられそうにない。
目を逸らすことが難しいくらい、好きの形が大きくなってしまったから。
5
『ごめん、オレもう小エビちゃんのこともう抱けない』
頭の中でフロイドの言葉ばかりがリフレインして、監督生は思わず制服の上から心臓を握りしめる。それでも痛くて、今にも泣いてしまいそうだ。
「……子分、また熱出そうなのか?」
「ううん。大丈夫だよ、グリム」
足元に絡まってきてはこちらを見上げて心配してくれている優しい獣を抱き締めて、学校に行こうかと笑ってみせた。大きな瞳に映る自分は今まで見たことないくらいに下手な笑顔で、あぁもっと心配させちゃうなぁと肩を落とした。
もう抱けない、ということは興味が無くなったということだろう。根っからの気分屋である彼のことだ、それは納得がいく。
あの深い深いハグは、きっと最後の餞別。もしくは、あのハグで興味が無くなったことに確信を持ったのだろう。そう言えば最後のセックスだって淡々としていた。考えれば考えるほどに、いつから興味を無くされていたのか分からなくなって怖くなる。
――なんで私のこともう抱けないんですか? 飽きちゃいました?
簡単に聞けたら良かったのに、と今でも思う。
笑ってふざける余裕はなかった。フロイドがあっさりとこちらを手放したように、同じ温度でいなければいけないと思って必死だったから。そうですか、分かりました。絞り出したそのたった二言が、震えてなければいいのにと願うばかり。
(さみしい、とは思う)
だってフロイドとのセックスは好きだ。いつだって何もかもを満たしてくれた。けれど、寂しいと思っているくせに一粒だって涙が出ない。
(クルーウェル先生、やっぱり恋じゃなかったよ)
もしも恋だったのならもっと泣いて喚いて縋りついていたに違いない。でもそうじゃない。
(でも、……でも、ばっかり)
考えが上手く纏まってくれなくて呆れてしまう。フロイドが去って行ってしまったあのベンチに何かを忘れてきたみたいに、ずうっと答えが出ないでいる。考えたって仕方ないのに、考えずにはいられない。だからと言って何かが分かるわけでもない。
もう、いっそ。
(他の誰かに、)
抱かれてしまえばスッキリするのだろうか。
フロイドが与えてくれた快楽を上書きしていくように誰かに抱かれて、キスをして、そうすれば何も考えずに済むだろうか。
あぁそれがいいかもしれない、と自暴自棄な頭で背中を押そうとするのに、一歩が踏み出せそうになかった。足が縺れて無様に転んでしまいそうだ。
それに、今はこんなことを悠長に考えている場合ではない。
次の授業の教科書をエペルに借りている間に随分と時間を食ってしまった。このままでは遅刻確定である。監督生はキョロキョロと周りを見渡して、教師どころか誰もいないことを確認して走り出した。
しかし。
「わっ」
碌に前も見ずに廊下の曲がり角を曲がったせいで、反対側からやって来た誰かと正面衝突してしまう。監督生がぶつかったそれは頑丈で、監督生のほうが冷たい廊下に尻もちをついた。
「いってぇなァ」
「すみませんっ、考え事をしてて」
上から降ってきた不機嫌な声色に、監督生は慌てて謝りながら見上げた。
すると。
「……なんだ、テメーかよ」
ガルル、と凶暴な音を立てて喉を鳴らしたのは、――いつぞや、執拗に監督生に言い掛かりをつけては殴ろうとした獣人だった。彼は暫くこちらを見下ろしてから、ふっと肩の力を抜いて口角を持ち上げた。
「テメーには二度と関わりたくねェと思っていたが、鬱憤を晴らすにはちょうどいい」
準備運動でもしているかのように交互に大きく肩を回して、それから監督生の胸倉を掴む。
「なァ、ちょっと遊びに付き合ってくれよ」
制服の上からでも分かるほどしっかりと鍛えられている腕は、簡単に監督生を持ち上げた。
「こちとらリーチに無理矢理契約させられてからモストロ・ラウンジで給仕三昧なんだよ。しかも待遇は最悪なんだぜ? オマケに卒業まで休みなしときた。ふざけてると思わねェか? アァ?」
監督生を持ち上げる腕は更に角度を上げて、とうとう足の先が床にやっとついているだけ。
自重も満足に支えられず、首が苦しくて仕方ない。監督生は眉を寄せて震える声で「やめてください」と懇願した。勿論、そんな願いは聞き届けられない。鼻で笑われてお終い。
「いいよなァ、軽々しくやめてくださいなんて言って泣きゃあ許してくれると思っていやがる」
そうやって、何人の男を誑かしてきたんだ?
言われて、反射的に思い出したのはフロイドの夜の顔。たったそれだけで頬が赤らみ、目の前の獣人の怒りのボルテージが上がる。ほら見ろ、と鋭い瞳を煌かせて牙を剥き出しにした。
「たぶ、らかす、なんて、してな……ッ」
苦しいながらも訴えて、どうにか彼の腕を振りほどこうと画策するもか細い引っかき傷しかつかなくて嫌になる。フロイドはいとも簡単にこの男を蹴り飛ばしたと言うのに。
「ハッ! 嘘吐いてんじゃねェ! 誑かしてねェっつうなら、なんで、なんでレオナさんがお前なんかに気を掛けるんだよッ! お前が来るまでは俺がッ、俺だって、話しかけてもらえてたっつうのに……!」
「な、に……ッ?」
「お前のせいだッ!」
ガルル、と再び喉を鳴らして怒鳴って来るけれど、何のことだか分からない。
彼がレオナさんと言っているのが、サバナクロー寮寮長である彼だと言うことは分かる。分かるが、そこまでだ。レオナとも話をするし、時々独り言のような相談にも乗ってもらっている。でもそれ以上はないし、誑かすなんて以ての外だ。
「テメーも、テメーんとこのちっこい獣も! レオナさんに慣れ慣れしくしやがって!」
気に入らない、気に入らないんだ、と。
いっそう声を張り上げて、冷たい壁に監督生の体を押し付けた。遠慮など欠片もなく、打ち付けた後頭部が痛んで、無意識のうちに涙が滲む。
「いいなァ、もっと泣けよ! 今日はこの前みたいにジャマも入らねェだろうよ。思う存分いいサンドバッグになれ!」
監督生の体を支えていた獣人の腕が離れて、情けなくべしゃりと床に沈む。苦しかった首元が解放されて咳き込む暇もなく大きな影がこちらを飲み込んだ。
「レオナさんも、お前がいなくなりゃあまた俺のことも見てくれる」
影はあまりにも大きすぎて、何処へ逃げようとしてもきっと簡単に捕まってしまうだろう。
ヒグ、と息が詰まるのと同時に、獣人の大きな拳が振りかぶる。絶体絶命だと言うのに、そんなときですら獣人の背後へと視線を向けてしまう。ゆらゆらと揺れながら、垂れた眦をご機嫌に染めたフロイドの幻を見た気がした。
(……いないよ、当たり前でしょ)
とうに飽きられてしまったのだから。もう助けてくれることも、笑いかけてくれることも、お説教してくれることもないのだ。あぁもう抱いてくださいなんて軽々しく言わなきゃよかった。そうすればもっと一緒にいられたかもしれない。
きっとこの胸の痛みは、フロイドが教えてくれた言葉の重みをすぐに忘れる罰だ。
「なァ、楽しもうぜ」
影の中で尖った牙がギラリと光って、咄嗟に顔を庇うように両腕を交差して前に出した。
瞬間。
「――――ッ!」
ゴツッ、と骨が軋むほどの重低音が響く。
次いで、チリンと涼し気で軽やかなピアスが揺れる音。一拍置いてから、監督生の鼻腔を擽ったのは深くて静かな海の匂い。覚悟していた痛みは来ず、それどころか獣人が遠くで引き攣った悲鳴を上げていることに気付いてドクドクと、さっきまでとは違う緊張で心臓が跳ねる。
もしかして、もしかして、と期待が迫り上がってくる。
しかし。
「大丈夫でしたか、監督生さん」
そろそろと顔を上げた監督生に、獣人を殴り飛ばした右手ではなく、優雅な左手を差し出してきたのはジェイドだった。
見上げた先の青色に跳ね回る心臓が不意に痛んだ。痛んで、黒く淀んだ感情を吐き出していく。その感情が体の末端まで行き渡って鼓動を落ち着かせた。
咄嗟に余計なことは口に出さないよう、監督生は懸命に何度も飲み込んだ。
(……わたし、いま)
途轍もなく、失礼なことを考えてしまっていた。助けてもらっておいて、自分がこんなことを考えてしまう人間だなんて思ってもみなかった。
「顔色が悪いですね。大丈夫ですか?」
それすらも見透かしているような左右で色が違う瞳は、わざとらしいほどに優しく乱反射する。差し出された左手は勝手に監督生の手首を掴んで引き上げた。
「こうならないように彼と契約を交わしていたのですが、あなたに防衛魔法もかけておくべきでしたね。いや、それよりもサバナクローの寮長に声を掛けておくべきでしたか」
ジェイドは、立ち上がった監督生の後頭部にマジカルペンを翳した。
「僅かに血の匂いがしたものですから。簡単な応急処置しかしてないので必ず保健室に行ってください」
細部にまで気遣ってもらって感謝しか出来ないと言うのに、黒く淀んだ感情は知らん顔で脳や心を侵食していく。ありがとうございます、と言いながらも獣人に襲われるときよりよっぽど逃げ出したかった。なのに、掴まれたままの手首は一ミリだって動かせない。
監督生は分かりやすく逃げるように視線を逸らす。
けれど。
「フロイドだと思いましたか?」
軽やかに、しかし寸分違わず黒く淀んだ感情の首根っこを掴まれる。ぐ、と喉が詰まって首を横に振ってみたけれど意味がない。
「ふふ。いいんですよ、隠さなくても。でも残念ですね。フロイドは今クルーウェル先生のお説教を受けていますからここには来ません」
ずっと授業をサボっているようでして。つい最近まで褒められてばかりだったと言うのに。
口元に手を当てて優雅に微笑むジェイドは、困ったものだと零している。
世間話をし始めたから今なら大丈夫だと思ったのだろう。ようやっと体を起こした獣人が逃げ出そうと画策していた。けれど、そんな努力もジェイドがマジカルペンを振っただけで台無し。びゅう、と意志を持った風が彼の足に絡まって顔から転んでいた。それでもどうにか立ち上がってよたよたと逃げていく。思わずあっと声を上げたが、ジェイドは見ることすらしない。
「あれは放っておいて構いません。あとできっちりとお話をさせていただきますので」
――それよりも、と。
「ちょうど監督生さんとお話したいことがあったので、少しお時間いいですか? 大丈夫。すぐに終わります。あぁ、そんなに怖がらないで」
少しずつ声の温度が下がっていく気がして背筋が震えた。掴まれた手首はやっぱり動かない。
「僕とフロイドは双子というだけあって、傍から見れば顔も背丈もさほど変わらないと思うんです」
ジェイドが何を言おうとしているかまで頭が回らなくて、はぁ、と訝し気な相槌をひとつ。ただ、値踏みされているような視線がどうにも心地悪かった。
「声や口調はその気になれば似せることが出来ます。気になるなら格好や仕草も似せてみせましょう。あぁでも出来れば僕のまま受け入れてほしいのですが」
「あの、急に何の話を……」
「おや、分かりませんか? フロイドと同じように僕にも楽しませてほしいと言っているんです。分かりやすく端的に言えば、」
僕ともセックスしてくれませんか。
「……え、」
ひくり、と唇が戦慄いて声が掠れる。
「フロイドがかなり入れ込んでいるようでしたから気になっていたんです。よくよく考えてみれば、この姿じゃないと人間同士のセックスは出来ませんし。かと言って、街で見知らぬ誰かに声を掛けるのは勇気がいります」
どうですかと続けて聞かれて、監督生は何を考えるより先に首を横に振っていた。
「なぜ?」
好奇心が満たされればそれでいいのでしょう?
「あなたは随分と好奇心が旺盛なのだと聞きました。僕も同じです。興味があるんです。あなたの体に、――というより人間同士のセックスに」
左右で色の違う目で見つめられて、頭を撫でられる。乱れた髪の毛は嘘のように纏まっていく。それでも手首は自由にならない。先程以上に力を籠めてもビクともしない。圧倒的な力の差を見せつけられて、にっこりと弧を描いたままの薄い唇に体が芯から冷えていく。
情けなく、カチカチと奥歯が鳴った。
「僕とでも、きっと楽しい時間を過ごせると思いませんか?」
キスをする合図のように頬を撫でられて、ジェイドの親指が唇に触れる。手袋越しに触れられるのは初めてで、いっそうフロイドじゃないことを突き付けられた。
(……ちがう)
ジェイドの言う通り、彼ら二人は背格好がよく似ている。顔の細部までそっくり、とは思えないところは多々あるが、違いを羅列するのも難しいほどだ。
(でも、ちがう)
フロイドが触れてくるように触れてくるのに。
「あなたが望むのなら、優しくも痛くもしてあげましょう」
言葉を重ねられるたびに体が重くなって冷たくなって無意識に何度も首を振った。
似たような顔で、体で、海の匂いがするのに。他の誰かに抱かれてしまえばと、ついさっき考えていたばかりなのに。なぜかどうしようもなく逃げ出したくて、――口を突いて出たのはフロイドの名前。
「ッ!」
しまった、と自由な手で口を覆ってももう遅い。怒らせてしまっただろうか。あの獣人すら手も足も出なかったというのに、ジェイド相手に勝てるわけも逃げられるわけもない。
監督生は身を固くして身構え、しかしジェイドは怒るでも悲しむでもなく、満足気に笑った。
(……?)
ちぐはぐな反応に監督生は怖さも忘れて目を丸くした。ジェイド先輩? と声を掛けようとすれば手の力が緩まっていく。
そして。
「なにやってんの、ジェイド」
別の手に腕を掴まれたと思ったら、するり、とジェイドの手が離れていった。
「――……え、」
あっと言う間に、腕を掴んできた手の持ち主に強い力で抱き締められる。
胸というよりも大凡腹に近い位置に顔を押し付ける形になって、監督生は反射的にそれにしがみついた。触れた部分から体温が流れ込んできて、あんなにも冷たかった体が温まっていく。体中に溢れていた黒い感情は瞬く間に霧散して、もう大丈夫だとでも言うように背中を撫でられると、監督生は素直に頷くことが出来た。
顔を上げなくたって、これが誰なのか、声が匂いが感触が、五感の全てに訴えかけてく。
フロイド先輩、と情けない声を絞り出せば涙が込み上げてきた。
「おやおや、クルーウェル先生のお説教中だったのでは?」
もう何度だって夢に見たターコイズブルーがそこにある。
海の匂いだけじゃなくペパーミントの香りも混じっている。甘いようで、爽やかなようで、その裏に隠れている刺激が彼らしくて。自分にももうすっかり馴染んだ匂い。
「オレねぇ、ジェイドが碌でもないことやってるときは分かんの」
ゆったりと言葉を吐き出しながら、語尾に行くにつれて声が低くなる。この癖も知っている。
「っ」
フロイドを構成しているすべてが体にすっと浸透していく。どうしようもなく安心して、ツンと鼻の奥が痛くなる。勝手に口元が戦慄いて、顔がくしゃくしゃになる。
(フロイド先輩、来てくれた……)
皺になるのも構っていられずに着崩しているジャケットを握りしめた。すると、返事をするようにこちらの体に巻き付く腕の力が強くなる。
(どうしよう、うれしい、うれしい)
フロイドに触れられただけでこんなにも安心するなんて。ありとあらゆる感情が自分でも追いつけないほどに昂って仕方ない。あんなに泣けなかったのが嘘のように涙が溢れてきて、唇を噛んで嗚咽を堪えるのに必死だ。
「碌でもないとは失礼な。アズールにはああ言われたのですが、時には直球勝負もいいかと思っただけですよ。それにちょうどいいタイミングに鉢合わせたものでして」
「アズール? 直球勝負ぅ? 何の話してんの。つうか何やったの、小エビちゃんに」
「フロイドがしていたことと同じ事をしようとしただけですよ」
「オレと?」
「はい。僕とセックスしましょうってお話してたんです」
「ッ!」
瞬間的に膨れ上がったフロイドの怒りに怯えることなくジェイドは、ただ、と言葉を続けた。
「僕相手ではどうも気分が乗らなかったようですが」
そうですね、と背を丸めて横から覗き込んでくる顔は先程までとは違う。いつもの、監督生がよく知っているジェイドの顔だった。あぁもう怖くないと監督生はホッと安堵して、それから自分のジャケットの裾で乱暴に涙を拭って素直に頷いた。
「ハァ? 意味わかんねぇんだけど。取り敢えず一発殴っていい?」
「嫌です。寧ろ感謝してくれてもいいくらいですよ」
「感謝ぁ?」
「例のサバナクローの彼、監督生さんに手を出してましたよ」
「ッ、絞める……!」
「ご心配なく。フロイドが手を出さずとも、あとはアズールが寮長同士でうまく話をつけてくれるでしょう。それに、フロイドはきちんと監督生さんを見てあげたらどうです?」
「小エビちゃん?」
ジェイドに言われるがまま、今度はフロイドが顔を覗き込んできた。パチリと久しぶりに目が合った二色の瞳は小さく真ん丸になって、顔を青くさせた。
「えっ、な、なになに、なんで小エビちゃん泣いてんの……!?」
「や、これは……」
「なんで!? ジェイドやっぱ何かした!? どっか痛い!?」
今にもキスされそうな距離感に、ドクリと心臓が跳ね上がって顔が熱くなっていく。
思わず顔を背ければ、
「っ、ごめ、ヤだった……?」
と、フロイドが寂しそうな声を出すので、監督生は慌てて首を横に振った。
「ちが、違う、んです」
嫌なわけじゃない。というより、嫌なわけがなかった。
例え「ジェイドが悪巧みをしている時は分かる」からこの場にやって来たのだとしても、庇うように抱き締めてくれるのが嬉しかった。もうセックスが出来なくても、いつもと同じように小エビちゃんと呼んでくれるのが嬉しかった。監督生が縋った手に、当たり前のように反応してくれるのが、――本当に、本当に嬉しかった。
「あ、えっと、その、」
ただ、フロイドがここに来てくれたことが、たったそれだけが嬉しい。でも、色んな感情が小さな胸の中で交錯していて、言葉にするのが難しくてもどかしい。
「ふふ」
はくはくと口を動かすだけで言葉になっていない監督生にジェイドは微笑み、フロイドはどうしたらいいのかと首を傾げている。
「体の関係があったとは思えないほどに初心で鈍感で、じれったいですね」
「……ジェイド、やっぱり小エビちゃんに何か変なことした? ジェイドが泣かしたんだったら絶対ぇ許さねぇんだけど」
「本当に何も。でも、どうやら監督生さんはフロイドに何か言いたいことがあるようなので、ゆうっくりと聞いてあげたらどうです? 僕は監督生さんにお誘いを断られて悲しいのでサバナクローの彼に遊んでもらうことにします」
言って、あぁそうだとジェイドがわざとらしく手を打った。
「人間は手を握ってもらうことでひどく安心する習性があるようですよ。きっとサバナクローの彼に襲われたショックでまだ心が落ち着いていないのでしょうから、フロイドがして差し上げたらどうですか?」
「そーなの?」
フロイドは疑うことなく手を握る。大きな手は監督生の手だけでなく手首まで一掴み。
「これでいーい? 安心する?」
大きな手で包み込むようにして繋いで、それからいつものように笑うのだ。
そんな顔で見られてしまっては振り払えない。再び捕らえられてしまった手首はやっぱり一ミリだって動かせなくて、監督生は渦巻く感情を飲み込んだままで、安心しますと頷いた。
「良かったですね、監督生さん」
「……」
いっそ清々しいほどに胡散臭い笑顔に、監督生は噛み付いてやりたくなった。
よくアズールがジェイドに「一言多い!」と怒鳴っている気持ちが心底分かった瞬間だった。
ジェイドに押し込まれるまま、近くの空き教室でフロイドと話をすることになった。
フロイドが、そのうちクルーウェルが追いかけてくるかもしれないと言えば自らネクタイを解いて髪の毛を乱し「心配ありませんよ」と胸を張っていた。件の獣人と遊ぶよりもこちらを重要視してくれるらしい。
(なんか、ジェイド先輩今日は物凄く強引なような気も……)
強引というより、必死になっているように見えた。
自ら進んで悪ぶって、フロイドを呼び寄せたように思えて仕方ない。なんでそう思うのかと聞かれれば、分からないと言う他ないのだけれど。そもそも双子だからと言って、何の連絡手段もなく片割れが召喚できるものなのだろうか。謎である。
思い返しながら監督生は自分の腕を擦った。左手はフロイドと繋がったままなので、自由な右手でそうっと。今日は誰も使っていない教室なのだろう。廊下よりも冷え込んでいる。暖を取りたくて暫くそうしていれば、フロイドが心配そうに覗き込んできた。
「小エビちゃん。やっぱ、何かされた? どっか痛い?」
「そういうんじゃないから大丈夫ですよ。少し寒くて」
「寒い? ごめん、気付かなかったぁ」
手が離れたと思えばマジカルペンを手に取って、誰のか分からない机の上にフロイドが自身のジャケットを広げておいた。
「ここ座っていいよ」
「えっ、いや、それは……!」
問答無用、とフロイドに持ち上げられてしまっては抵抗が出来ない。だって足が地面に届かないのだ。
「ジッとして」
暴れたところで効果はなく、結局フロイドのジャケットを下敷きに座ることになってしまった。それから、フロイドがマジカルペンを軽く振る。ぽわぽわとした小さな光の結晶が頭の上から降ってきて、じんわりと暖かい空気のベールが体を包んでくれる。
「これくらいでダイジョーブ?」
「はい、すごく暖かいです」
ありがとうございます、と素直に礼を口にした。するとフロイドは満足そうに鼻を鳴らして、口角を緩めるように笑う。それが随分と可愛らしく思えて心臓がトクンと跳ねた。
「ジェイドってさぁ、大人しいように見えて結構強引って言うか、我が強くて」
腕を擦る必要が無くなったので、今度は両手を包み込まれる。
「こうって決めたら断固として譲らなくて」
こちらの両手を包み込んでもフロイドの指はまだ余っていて、本当に大きいなぁと感心する。
「だからさぁ、小エビちゃん。別にオレと話したいことが無かったらこのままこっそり帰っていいよ」
「……」
無意識にピクリと跳ねた指先を、きっとフロイドは手の中で感じているだろう。
「ジェイドにはオレがうまく言っておいてあげる。そういうの慣れてんの」
産まれた時からずっと一緒に居るのだ。本当に慣れていて、フロイドに任せていれば丸く収まるだろう。じゃあ私はここで、と言ってもフロイドは追いかけてこない。
(追いかけるつもりもないんだろうなぁ。……じゃあ、それなのに、なんで)
なんで、こんなに名残惜しそうに手に触れてくるのだろう。
親指がゆったりと動いて何度も肌を撫でていく。時折感触を楽しむように、ぎゅ、ぎゅ、と握ってくる。どうするべきか考えているふりをしてフロイドの顔を覗き込んだ。
「んー?」
ゴールドとオリーブの瞳は、どこまでも穏やかで凪いでいる。
優しい男の仮面を被って、何か裏に隠し持っているような。なんとなくそんな印象。
(さっき私が泣いちゃったから、そんなとこ見ちゃったから適当に扱えない?)
ええぇ、そんな気ィ遣うかぁ? あのフロイド先輩が。なんてエースが眉を顰めるのが簡単に想像できた。監督生だってよくフロイドのことを知らなければその意見に乗っていただろう。けれど、自分はもう知っているのだ、この男の優しい部分を。甘い部分を。
「……話したいことなら、あります」
そうだ、知っている。フロイドが分かりづらく優しいところを監督生は知っている。
(あの日のフロイド先輩の優しさは、なんだろう)
飽きたでもなく、嫌いになったでもなく、面倒になったでもなく。もう抱けないと言ったこの男の優しさはどこにあるんだろう。なんだったのだろう。
もし、あったのだとしたら。
(それを知りたい)
ベンチに忘れたものは、きっとフロイドの優しさだ。どこかで擦れ違って、自分が取りこぼしてしまったものを知りたい。知らないといけない。
すう、と深呼吸をしてから、ねぇ先輩、と縋るように声を紡いでいく。
「どうして、私のこともう抱けないんですか?」
フロイドの指先が動揺したのが伝わってきた。
「ごめんなさい、急に。でも、すごくすごく気になってたんです。本当はあの日聞きたくて、聞く勇気がなくて。……ねぇ先輩、私のことどうしてもう抱けないんですか……?」
飽きちゃいましたか、と言葉を続ければフロイドの手に力が籠る。
「飽きて、ない」
「怒ってますか?」
「怒ってない」
「じゃあ、私なにか不都合なことをしましたか?」
フロイドは少し困ったように視線を泳がせて、しかし首を横に振った。
「小エビちゃんは悪くないんだと、思う」
「じゃあどうしてですか?」
「……」
薄っすらと唇が開いたと思えば、またギュッと固く閉じてしまう。
きっとここを逃せばもう二度とこの男から本心は聞けないからと、腹を括った監督生は一歩踏み込むように言葉を続ける。存外、頭の中は真っ白だった。でも、口は心の奥に沈んでいた感情を勝手に拾い上げて吐き出していく。
「もう抱けないって言われて、私、悲しかったです」
「……」
「先輩とするの楽しかったんです」
一寸先も見えないような夜の隙間で、清潔なシーツに隠れてフロイドと誰も知らない時間を過ごすのは何とも言い得ぬ楽しさがあった。きっと他の誰かとじゃ過ごせない。フロイドじゃなければこんなに楽しくなかった。盲目的にそんな風に考えてしまうほどこの男はぴったりと自分の体によく馴染んだ。
「エッチだけじゃなくて、キスするのも、手を繋ぐのも、ハグだって」
楽しくて、温かくて。だからこそ起きた時にいなくなっていて悲しかった。
(フロイド先輩じゃなきゃだめだった)
いくら双子で似ていてもと、そこまで考えてジェイドの魂胆が分かった気がした。
(……もう、いじわる)
心の中で文句を言えば、おやおやと眉を下げたジェイドが頭の片隅で笑った。
でもこれ以上の文句は言うまい。代わりに感謝をしなくてはならないくらいだ。ジェイドのおかげでよく分かった。
(私はフロイド先輩がいいんだ)
セックスをするのも、キスをするのも。ひとりが寂しい時に、夢にまで見て体温を求めてしまうのだって。
(全部フロイド先輩が、いい)
あぁそうか、と膨れ上がった感情に名前がついた。
雁字搦めになっていた思考回路が拍子抜けなほどあっさりと解けていって、そこに残ったのはたった二文字だ。
(クルーウェル先生はすごいなぁ)
自分ですら気付かなかった感情に、彼はとっくに名前を付けてくれていた。自分よりも長く生きている大人の言うことはちゃんと聞いておくべきだったのだ。
「フロイド先輩」
でももう遅いかもしれない、と監督生はフロイドの手の中から抜け出した。追いかけてこようとする手を宥めて、今度はこちらから包み込む。
(すき、せんぱい)
大きさが足りなくて不格好だけど、それでいい。料理をするときについた細かな傷がある指先を、綺麗に形が整った爪を、つるりとした手の甲を、厚みのある手の平を、余すとこなく愛でていたい。
(最後かもしれないから触れていたい)
好きと気付いたところで、フロイドの優しさの正体が分からなければどうにもならないのだ。
「さっきね、来てくれたの本当に嬉しかったんです。抱き締めてくれてすごく安心しました」
顔を上げて、真正面からフロイドを見つめた。
「本当はね、先輩に抱けないって言われて寂しくて、他の人とって考えてたんです」
監督生の言葉に、フロイドが息を呑む。
こんなことを言うのは卑怯だろうか。嫌な女だろうか。でも、こちらの手札は全て見せておきたかった。これ以上フロイドが与えてくれるものを取りこぼすのは嫌なのだ。
「……でも、無理でした」
ジェイドに誘われて、フロイドに抱き締められて、よく分かった。
「ただ興味があったからとか、きっと、とっくにそんなのじゃなくなってたんです。私は先輩がいい。何をするのも先輩と一緒がいいです」
そして。
「私、先輩が、――……」
すきです、と。
真っ直ぐに見つめて伝えようと口を開いた、――が、それをフロイドの左手が覆う。真正面から視線が絡まっていたはずなのに、そっと逸らされて、俯かれて、彼の瞳が見えなくなった。
行き場を失った告白に泣いてしまいそうになって、監督生は慌ててスカートの裾を握りしめた。だめだ、泣くなと自分を叱咤する。フロイドが言うなと言うのであれば、この関係になにも名前を付けないままで終わるべきだ。好奇心と性欲を満たすためだけの関係で終わるべきだ。
そして、これで本当にお終いにしなくてはならない。
だが。
「――……オレが小エビちゃんのこと抱けないって言ったのは、小エビちゃんの体だけじゃ足りないって思ったから」
静かな教室にフロイドの声が流れ込んだことで、眦に引っかかっていた涙は簡単に頬を滑っていく。言葉はゆったりと間延びしていていつも通りなのに、それでもどこか緊張しているように強張っていて、監督生はゆっくりと目を見開いていく。
期待と不安で、ドクドクと脈打つ心臓は壊れてしまいそうだ。
「だって、小エビちゃんは好奇心を満たしたいだけだって思ったから。だから、俺が勝手にヤキモチ妬いてんのも、調子悪い時に頼ってくんなくて腹立ってんのも、全部メーワクなんだろうなって、」
「迷惑なんかじゃ……!」
初めて聞いたフロイドの心の内に思わず叫んだ。その声は思った以上に大きく、広い教室に響いて我に返った。カッと赤くなった頬が居た堪れなくて、今度は監督生が俯いた。
するとフロイドがからからと笑って、口を覆っていた手で頬を撫でてくる。チラリと目だけを動かせば、ついさっきまで緊張していたのが嘘のよう。
「あのさ、オレね、小エビちゃんが好きだよ。他の誰かに抱かれるとか言わないでよ」
好き、大好き。体だけじゃヤダ。オレだけに全部ちょーだい。
「全部くれたら、全部あげてもいいよ。どう?」
「ぜんぶ?」
「うん」
「欲しい。欲しいです。私が知らないことも、全部」
もっと知りたい。もっと聞きたい。フロイドが好きだと言ってくれるのなら、こちらの全部を明け渡しても安いくらいだ。
素直にそう言えば、一拍置いてからフロイドが困ったように笑った。
「だから、そうやって軽々しく言っちゃダメなんだって」
「先輩にだけ、です」
「もー」
困っているようで、でもどこか嬉しそうで。
「じゃあ遠慮なく貰うから。あとでイヤだっつっても知らねーから」
いい? とフロイドが首を傾ければピアスがチリンと音を立てて、色の濃い髪がさらりと流れる。それを見惚れるように目で追って、監督生は夢見心地でうんと頷いた。
「ほんと?」
「はい」
「ウソじゃねぇの?」
「ウソじゃないです」
「じゃあ、……ちゅーしていい?」
体温の低い手の平に甘えるように擦り寄った。それから、また頷く。
「目、閉じて」
言われるがまま、ゆっくり瞼を下ろしていく。
もう何度も何度もキスをしたと言うのに、一糸纏わぬ姿だって見ていると言うのに、どうしようもなく緊張してしまって、フロイドの顔が近付いてくる感覚に身体に力が入る。唇が触れ合う瞬間にピクリと肩が跳ねた。
しかし、緊張しているのはフロイドも同じらしい。触れるだけのキスは震えていた。
離れた瞬間に目を開ければ、フロイドは緊張していたのを誤魔化すように鼻をすんと鳴らして、しかし取り繕っても無駄だと悟ったのか肩を竦めた。
「あは、すっげー緊張したぁ。震えてんの。オレだっせぇ」
「……でも、今までで一番嬉しいキスでしたよ」
素直に伝えればフロイドは目を丸くして、それから顔を赤らめて「もういっかい」と言った。
再び顔が近付いて、監督生は慌てて目を閉じる。今度はさっきより、ちゅっと鳴る音が大きかった。
(もっとしたい)
深い口付けの気持ち良さを知ってしまっている監督生は、強請るようにフロイドの腕を掴んだけれど、フロイドはううんと唸って少し考えてから体を離した。
「小エビちゃん、ここでちょっと待っててね」
「? はい」
離れたと思えば、フロイドはさっさと扉の方へと歩いていく。
そして。
「なぁにやってんの」
勢いよく扉を開ければ、べしゃりと崩れ落ちた影が幾つか。監督生はヒッと悲鳴を上げたが、その影が全て見知った顔だと知って叫ぶ。
「グリム! それに、エースとデュースも……!」
しかし、扉の近くに居たのは二人と一匹だけじゃない。冷たい床に崩れ落ちてヘラヘラと気まずそうに笑っている二人と一匹の後ろ、そこにはジェイドとクルーウェルが立っていた。
「夢中になっていて気付いていないかと思ってました」
「だぁから、ジェイドが碌でもないことやってる時は分かるんだって」
「フロイド・リーチ! 俺の説教を放り出してじゃれ合っているとはいい度胸だな……!」
「あっ、やべ、忘れてた」
フロイドはあっけらかんと言い放って頭を掻いている。クルーウェルの怒声にも何処吹く風。そのままお説教が始まってしまったが、当の本人は右から左だろう。あーうぜー、と顔に書いてあるし、口にも出している。
今この状況下で、パニックになっているのは監督生ただ一人だ。
何もかもを隠していたので、フロイドと関係を持っているところを見られてしまって正気でいられるほどタフではない。腰をかけていた机から降りてエースたちの元へと駆け寄り、どう説明したものかと慌てふためく。
だが。
「テンパってるとこ悪ィんだけど、わりと最初っからバレてっから」
と、エースがからからと笑ったことでピシリと固まった。
「つうか、独占欲剥き出しな視線で隠してるつもりとか、下手にも程があんじゃねぇの?」
エースの遠慮ない言葉に頷いているのはグリムとデュースである。
「あれは僕でも気付いた」
「えっ、うそ……」
「デュースに気付かれちゃあお終いなんだゾ!」
「うんうん」
「なっ……! 今回は僕よりジャックのほうが気付くの遅かったんだからな!」
「待って、ジャックまで知ってるの!?」
「や、多分、気付いてねぇ奴いないんじゃね?」
「うそでしょ」
今度は青くなってフラフラしている監督生の体を、グリムが器用に登っていく。
「おい、子分! オレ様がオゼンダテっていうのをしてやったんだから、ちゃんと幸せにしてもらうんだゾ! ハーツラビュルに行ったり、フロイドが来ても知らないふりするの大変だったんだからな」
「そ、そうだったの……!?」
フンフン、と得意気に鼻を鳴らすグリムを抱き締めて、監督生は「ごめんねぇ」と顔を擦り寄せた。
「オレ様は演技派だからな! これくらいどうってことないんだゾ」
でも高級ツナ缶もっともっと寄越すんだゾって意地悪に笑うので、監督生は約束ねって言いながらもっと強くグリムを抱き締めた。こっそりとふわふわとした毛並みを楽しんでいれば、やんわりとした肉球パンチが飛んできて再び謝ることとなった。
そんな監督生たちを横目に、クルーウェルはひとつ嘆息。それがお説教タイム終了の合図。
「フロイド・リーチ、ちゃんと大事にしろ」
異世界から来た小さな女の子を、親愛なる教え子を、大事に、幸せに。
それが出来るのならば文句は言わないと、派手な見た目に反して随分と心配性な教師にフロイドは強気に鼻を鳴らす。
「当たり前じゃん。つうか、イシダイせんせーに言われなくてもするし」
「そうか。じゃあまぁ俺からのお祝いということで、反省文を五十枚に増やしてやろう」
「っ、ハァ!? ふっざけんなって! 小エビちゃんとイチャイチャ出来ねーじゃん!」
「嬉しいだろう?」
「全ッ然!」
歯を剥きだして吠えたフロイドを気にすることなく、クルーウェルはそろそろ授業に戻れと手を叩いた。
甘酸っぱい空気を残した教室を後にして、それぞれが散っていく中で監督生はジェイドの制服を掴んだ。この男に、どうしても言わなきゃいけないことがある。
「ありがとうございました」
「おや? 何のことでしょう?」
何のことだか分かりませんね、としらばっくれるように首を傾げるジェイドに、あなたの優しさも分かりづらいんだからと笑って、深々と頭を下げた。
――その日の放課後。
ホームルームが終わったばかりの監督生のクラスに顔を出したのは、どこかそわそわとしているフロイド・リーチである。文句を言いながらも反省文五十枚をきっちりと提出したからか、クルーウェルは一瞥しただけで特にこれと言って口を出さなかった。
「小エビちゃーん、一緒に帰ろ」
「あ、えっと」
フロイドからのお誘いにどうしようかと悩んでいる監督生のすぐ横で、
「今週末は何でもない日のパーティーなんだゾ。だからオレ様今日からいないんだゾ」
「そーそー。準備するもんいっぱいあるからグリムは借りてくわ」
「秘密を作っていた監督生は、オンボロ寮待機だからな」
こうなることが分かっていたかのように口を揃えて言うものだから、監督生は二人と一匹に飛び付いて、素直にヤキモチを妬けるようになった人魚に即座に回収された。
6
――さて、二人きりになると言うのは随分と久しぶりのことである。
「……先輩、何か飲みますか? お腹空きました?」
流れで談話室へと足を向けたはいいが、ソファに並んで座っているだけでは落ち着かない。
「そう言えば今日モストロ・ラウンジはお休みですか?」
フロイドは端っこに座ったと思えば頬杖をついて明後日の方向を向いてしまっている。ここに来るまでも終始無言で、時折頷いてくれたくらいだ。
「……あっ、先輩、反省文全部書いたって先生から聞きました、凄いですね!」
「……」
監督生は、返事をくれない形の良いまあるい後頭部を眺めてから、彼と鏡合わせになるように背中を向けた。ガチガチになるほど肩に力が入ってしまって、フロイドから返事が返ってくるまで言葉を投げかける。
(せめて、フロイド先輩が喋ってくれたらなぁ)
意味もなくスカートを握ってみたり、伸ばしてみたりして気まずい空気を打破しようと画策するもいい案が思い付かない。というよりも、脳を回転させようとしても真っ白で何も生み出してくれないのだ。これなら、告白した時のほうがよっぽど上手く喋れていた。
(だって、なんかこう、恥ずかしいんだよなぁ……)
なんだか、時間さえ合えばセックスばかりしていたフロイドと恋人になったということが擽ったくて、むず痒くて、ドキドキして仕方ない。
「……わたし、やっぱりなにか、飲み物でも」
とうとう、この空気に白旗を上げてしまった監督生はキッチンへと逃げようとする。
しかし、監督生が立ち上がるより早くフロイドの長い腕が伸びる。顔はそっぽ向いたまま、手だけをしっかりと握られた。
そして。
「ここにいて」
もうちょっとで落ち着くから。
いつもより少し掠れた声が鼓膜を揺さぶって、フロイドも自分と同じように緊張しているのかとようやっと気付いた。
「は、い……っ!」
気付いたらどうしようもなく嬉しくなって愛おしくなって、心臓も脳も全部が馬鹿になってしまう。きゅう、と締めつけられた心臓を左手で握り締める。掴まれた右手はフロイドのお願いに応えるように力を籠めた。しっとりと汗をかいた手の平がいっそう愛おしくて、瞬きをしたら泣いてしまいそう。
「先輩も、緊張、してますか……?」
「……ん」
「わたしも、同じです……」
「…………うん」
フロイドに背を向けることを止め、ほんの少し小さく見える背中に向き合うことにした。
「あの、こっち向いてください」
「ヤダ。もうちょっと待って」
「……先輩の顔が見たいです」
「……」
我儘を言えば、固まった首がギギギと音を立ててこちらに振り返ってくれた。ようやっと見えたフロイドの頬は赤らんでいて、ゴールドとオリーブの瞳はまだ揺れている。気まずそうにきゅっと唇は結ばれていて、尖った歯は見えなかった。
(かわいい)
好きだと自覚してしまってから、フロイドを見るたびに沢山の感情が溢れて溺れてしまう。
もっと見たくて、声が聞きたくて、触れたくて。
「フロイド先輩」
呼べば、そろそろと持ち上がった視線がようやっと絡まって、しかしそうかと思えば大きく丸く見開いた。
「っ、……小エビちゃん、そんな顔で見ないで」
「あっ、変な顔、してました……?」
「可愛いし、変じゃねぇけど、」
途中まで言いかけたと思えば、唸り声を上げながら頭を掻き毟って。
それから。
「そういう、物欲しそーな顔で見られたら、今すぐヤりたくなんじゃん。流石にダメでしょ。付き合って早々に手ぇ出すとか」
随分と苦々しい顔をしているものだから、監督生は最後まで聞いた上で首を傾げた。
「付き合って早々というより、付き合う前から手を出されているんですけど……?」
「あっ」
「出されているって言うのは少し語弊がありますね。私も出したので、お互いに手を出し合っていると言うか」
それに、と握り締めたフロイドの手の平を自らの頬へと導く。すっぽりと顔を覆われそうな大きなそれに擦り寄って甘えてみせた。
「さっきも言いましたけど、私、フロイド先輩とするの楽しいし、好きです。だから無理に我慢しなくても」
「……いいの?」
「はい」
寧ろこちらから強請るように視線を絡ませれば、まだ少し顔が赤いけれど、いつもの調子を取り戻したようにフロイドの口角がニィと持ち上がる。頬に触れていた手が少し離れて、そうかと思えば耳をそうっと撫でられる。輪郭をなぞるように指先が滑って、くすぐったくて肩が跳ねた。
「小エビちゃん」
お互いに離れていた距離を詰めていく。
恋人になって、まだ三回目のキスだ。唇が赤く熱を持つまでキスしたことがあると言うのに、何だか不思議で、まだ照れてしまう。
「……あのさ、小エビちゃん」
「なんですか?」
「オレ、あと五分、……二分くらいなら我慢出来っから聞くけど、此処でヤるのと寝室行くのとどっちがいい?」
「……じゃあ、寝室で」
そのほうがいっぱいイチャイチャできるので。
浅ましい欲望を言葉にのせれば、四回目のキスで口を塞がれた。
「あと十秒しかもたねぇからオレが運んであげる」
あまりにも早いカウントダウンに監督生は吹き出すように笑って、それからフロイドの首へと腕を回した。
やんわりとベッドの上に落とされて、そのままフロイドが圧し掛かってくる。
目を開ければ視界いっぱいに広がるフロイドの色彩。もう何度だって見たはずで、経験したはずなのに、じっと見つめることが出来なくて顔を背けてギュッと目を瞑る。
「……なぁに、照れてんの?」
今度はこちらが黙る番だった。
居た堪れなくて、熱くなっていく頬を詰めたいシーツに擦り付けていれば、広がった髪の毛を整えるように撫でてくれた。
「小エビちゃん、こっち向いて」
目を開けなくても、フロイドの長い髪が鼻先を擽ってくる感覚で距離感が分かる。小エビちゃん、ともう一度呼ばれて監督生は意を決して瞼を持ち上げる。
「ご機嫌ですね、先輩」
「ンー? まぁね」
「もう、遊ばないででくださいよ……」
「遊んでってねぇって。……ただ、」
「?」
近かった顔が離れて、そうかと思えば上から下までじっくりと観察された。
「すげーいい顔するようになったなぁって」
「はい……?」
「やっぱ、ハジメテ貰って正解」
「ええぇ? 今更何の話です?」
「ナイショ」
何かを思い出すように目を細めてピアスを外し、制服を脱ぎ始めた。
あぁこれは絶対に言ってくれないやつだ、と確信。怒っているわけでも、気分を害したわけでもないようなので、それならそれでいい。監督生は早々に諦めて、ジャケットを脱いでいく。
「あとは脱がせてあげるから一回起きて」
「はい」
皺にならないように畳もうと思っていたジャケットはさっさと床に捨てられて、文句を言ったけれど取り合ってはくれなかった。スカートだけは死守しようと思ったのだが、彼の長い腕に敵うわけがない。
「皺に、」
「ならないようにオレがちゃーんとやっといてあげるから、小エビちゃんはこっちおいで」
「もー」
初めてのようで、やっぱり初めてじゃないセックスはするすると進んでいく。
胡坐をかいたフロイドの上にお邪魔して、彼の首へと腕を回せば自然とキスが始まる。軽く触れ合いだけだったキスはすぐに情熱的なものへと変化していく。舌を絡ませるときの水音は未だに恥ずかしくて、鼻から抜けるような声が漏れる。
唇はそのままに、シャツのボタンを外され、背中に回った左手で下着のホックを外されて。仕事が終わった左手は、確認も取らずに露わになった胸の感触を楽しんでいる。だから、監督生もフロイドの舌に自分のそれを絡めながら、そっと手を下ろしていく。既に固く張り詰めている股座に指を這わせ、爪先でカリカリと引っ搔いた。
「小エビちゃんのえっち」
「……嫌いでした?」
「んーん、大好き。もっと触って」
ほとんど唇を触れ合わせて喋っているものだから、フロイドの口角が持ち上がるのも感じ取れる。監督生は、よかったと言って同じように笑い、愛でるように何度も撫でる。お返しだと言わんばかりにぷっくりと膨らんだ乳首を同じように軽く引っ掻かれてしまうと、上手く手が動かなくなって、いやいやと首を横に振る。
「んっ、ぁ、んん」
「いや? でも小エビちゃんもこれ好きでしょ」
「んっ、んっ、やぁ、引っ掻かないでぇ……っ」
「……あ、口閉じんなって。舌出して、べーってして、……そうそうえらぁい」
「あっ、あ、あっ、はぁっ、ぁああ」
口を開けっぱなしにしていたら声が我慢できなくて、吐息とともに単音が零れていく。
恥ずかいのだけれど、でも、フロイドに褒められるほうを優先したくなる。それを気付いてくれているのだろう。両方の胸を大きく揉んで、それからきゅっきゅっと先端を摘まんできた。
「っ、あ! やぁあっ」
そのままクリクリと弄られると腰が抜けてしまいそう。フロイドの股座に伸ばしていた手は、とうとう添えることしか出来なくなった。自分だって愛でてあげたいのに、と悔しがったところでフロイドから与えられる快感で頭が満たされていく。
「小エビちゃん気持ちいい? じゃあ今度は舐めてあげる」
最後に舌先をじゅるっと吸ってキスが終わり、再びベッドに押し倒された。ほう、と息を吐いたと思えば赤く色付いた乳首にフロイドの舌が這う。
「んっ、やぁ、フロイド、せんぱ……っ」
「イヤ?」
「や、……じゃない、けどぉ……ッ」
「あはっ、今の拗ねた声すげー可愛い。イヤじゃないもんねぇ」
「あっ、あぁっ! んっ、ま、まってぇ、いっぱい吸うの、だめぇっ」
生粋の人間のものより先端がほっそりとした、しかし肉厚な舌に舐められると、体にビリビリと微弱な電流が流れていくようだ。その電流は勿論下腹部にも流れて行って、きゅうんとお腹の中が震えた。
思わず太腿を擦り合わせるように足を動かせば、
「もうこっちも触ってほしい?」
その足を無理矢理広げるようにフロイドの手が邪魔してきた。更に、足が閉じられないように体が入り込んできて、クロッチの部分を指で撫でられて腰が跳ねる。
「ん、うん、さわって、さわってぇ、せんぱい」
この男にそこを触られるとどれくらい気持ちいいか、とっくの昔に知っている。だからこそ勝手に声が甘くなって、油断すると口元まで緩んでしまいそうだ。
「かぁわいい。小エビちゃん。じゃあいっぱい触ってあげる」
「ひ、あ、あぁあっ!」
「すげ、パンツ越しでもびちょびちょになってんの分かんね」
「そこっ、引っ掻かないでぇ……ッ、ひうっ」
「なんで? クリ触られんの好きじゃん。引っ掻かれて、ちょっと引っ張られるのとか」
「や、あぁっ! あ、……んんんっ!」
「今、軽くイッた? でも止めてあげない」
「やあっ、や、あ、待って、せん、――っ、ン、ああぁああっ!」
体を捩って逃げようとしても捕まって、気付けば下着など遠くに捨てられていた。しとどに濡れた秘部も、真っ赤に熟れたクリトリスもフロイドに好き勝手愛でられる。弱いところも好きなところもいっぱい触られて、イきそうだと実感する頃にはイッてしまっていて。
恋人になったばかりだと言うのに、体のことは全部知られていて。そのギャップが堪らなく恥ずかしくて頭の中がぐちゃぐちゃに溶けていく。
「ふろいど、せんぱぁい……っ」
助けを求めるように名前を呼んだのに、目が合ったはずのフロイドはぐっと唇を噛んでから容赦なく指を滑り込ませてくる。
「っ、んん!」
「あー、もうなに、急に可愛い声で呼ばないでよ、ビックリすんじゃん」
「やっ、あっ、あっ、そこ、きもち、あっあっ、ああぁ――ッ!」
「うんうん気持ちいいねぇ。ここの入り口のところグリグリされんのも好き?」
「ヒッ、あっ!」
「じゃあ、奥は?」
「〜〜〜っ、あぁああっ」
「小エビちゃん、漏れてきたよ。今日いつもより早いじゃん」
そんなにここ弄られるの好き? なんて言いながらも指の動きは止まらなくて、監督生は腰や足を震わせて絶頂を迎える。淫らに口を開けてはくはくと蠢く膣口まで全てが見えるように足を開かされても抵抗する余力がない。
唯一自由に意思表示が出来る首を横に振って、ふろいどせんぱい、と舌を絡ませながら名前を呼んだ。確かにそこも、そこも、全部気持ち良くて好きだけど、でも。
「ちが、わたし、せんぱいが、っ、ん、すき、だから……っ」
フロイドが好きだから。好きだと気付いたから。
「だから、せんぱいが、触ってくれるとこ、ぜんぶ、きもちいい」
好きな人が触ってくれる。好きな人を感じられる。たったそれだけで気持ちが昂って、好きがもっと溢れて。気持ち良くて何もかもがどうでもよくなっていく。
「せんぱい、すき、すきです、っあ、あぁ……っ!」
だからもっといっぱい触れて。それから私も触りたい。はしたないところを見られるのは恥ずかしいけれど、それを可愛いと言ってくれるならいくらだって見せる。
気持ちが赴くがまま両手を伸ばして、目を丸くしているフロイドに触れようとする。
しかし、それより先に手を掴まれて、持ち上がった体は広い胸の中に収まることとなる。長い両腕が絡みついてきて、大きな背中は丸まっている。おかげでピッタリと体がくっ付いて、呼吸や心臓の音まで共有できる。
ドクドク、と生きた証の鼓動が早くて、へにゃりとだらしなく笑う。
「――――オレ、も、小エビちゃん、すき」
「はい」
知ってますよ、と頷いた。
ギチ、と音がするほどに抱き締められているから腕の可動域はそんなにないけれど、それでもどうにか手を動かしてフロイドの背中、というより腰の辺りを擦る。
フロイドの顔が持ち上がったと思ったら顔や耳に満遍なくキスが落とされた。乱れた前髪を持ち上げて、額やこめかみだって唇が触れていく。だから、監督生は迫ってくるフロイドの隙を突いて滑らかな頬にキスをする。すると、頬がさっと赤く染まって悔しそうに唸るものだから笑ってしまった。
「なんかもうオレずっとだっせぇじゃん」
「ダサくても好きですので」
「そこはダサくないって言ってくんない?」
眉を下げたフロイドの頬にもう一度キスをした。心なしか気恥ずかしそうにしている二色の瞳に愛をこめて深い口付けを。
「私も触りたいから、先輩の、舐めてもいいですか?」
お互いの唾液でベタベタになった口元はフロイドの長い舌が拭ってくれた。
「いいよぉ」
監督生はそそくさとベルトに手を掛ける。
下着の上からでも分かるほどに膨らんだそこが愛おしくて、口腔内に勝手に唾液が溢れた。膝立ちになったフロイドの太腿とベッドに手をついて、肌触りのいい薄い布越しに何度もキスをした。
「なぁに、それ。ちゅーしてくれてんの?」
はむはむと唇で噛んで感触を楽しむ。邪魔な髪の毛はフロイドの大きな手が梳いてくれて、遠慮なく頬擦り。
「小エビちゃん、ほんとえっちだよねぇ」
「先輩にだけですよ、こんなことするの」
「当たり前じゃん。誰かにやったら、……覚えてろよ」
「勝手に想像してマジで怖い顔するのやめてくださいっ」
「あはっ」
コロコロ変わる表情に、これ以上振り回されないように下着のゴムの部分に指を引っ掛けた。するりと下ろして、すんと鼻を鳴らせば独特な雄の匂いにじんわりと愛液が溢れたのが自分でも分かった。
「あー、……ん」
唾液が溢れる口をかぱりと開いてカウパーが滲む亀頭を咥え込む。
つるりとしたそこに何度も舌を這わせて、フロイドの体液を喉を鳴らして飲んでいく。それから全体に舌を這わせて余すところなくマーキング。バキバキと浮き出た血管の凹凸すら愛でていく。
「上手になったねぇ」
最初の頃なんか触るだけでいっぱいいっぱいって感じだったのに。
褒められるのが嬉しくて、んふふ、と口元を緩ませる。べえ、と外に出した舌で根元から先端まで大きく舐めて、亀頭に吸い付くようにキスをした。ずっしりとした質量があるペニスを握って扱き、亀頭にキスをしていた口を開いて飲み込んでいく。
「あー、それキモチイイ。もっと奥まで入る?」
「ん、んんっ」
見下ろしてくる瞳に熱が篭って、目が合うだけで腰が砕けそうだ。
でも、今やめるわけにはいかないから、ぎゅっと目を瞑って口と喉を開いていく。限界ギリギリまでフロイドのペニスを迎え入れて、濃ゆい唾液が溢れようと構わず顔を前後に動かした。
目を瞑っているのに、歪に膨らんだ頬を撫でてくる手の温度や、吐き出される息遣い、気持ち良さそうな声色でフロイドの様子が分かってしまって下腹部が疼く。とろとろと溢れる愛液がゆっくりとシーツへと落ちていくのを、監督生は気付くことなく夢中だ。
(せんぱい、きもちよさそう、……うれしい、うれしい)
もっと、もっと。沢山気持ち良くなってほしい。もっともっと愛したい。
独特な味がするはずのカウパーがとても美味しいものに思えて、何度も吸い付いた。息苦しくて酸欠になっていく脳すら放置して、一心不乱にしゃぶりつく。
しかし。
「――ッ、小エビちゃん、ちょっと、待って」
硬く張り詰めて血管が浮き出たペニスが口から引き抜かれて取り上げられて、監督生は口を開けたままでフロイドを見上げた。
「せんぱい……?」
眉間に皺を寄せ、フーッフーッ、と獰猛な息を繰り返して奥歯を噛み締めている。
「気持ち良くなかったです……?」
だからストップかけられたのだろうか、としょんぼりとして見上げれば、勘弁してとフロイドの肩が下がる。
「気持ち良すぎてイキそうだったの! 一回も挿れてもねーのにオレだけイくとか絶対ぇヤダ」
「あ、あー……えへへ、よかった」
「良くねぇから!」
へらりと笑えば、がおっと吠えられて。それでも負けじと監督生は、自分の唾液でベタベタになっているペニスにちゅうっとキスをした。
「っ、今度はオレが小エビちゃんの舐める」
「えっ、わ、私はもういいですよ……! それより、きゃっ」
「あはっ、小エビちゃんのココ、凄いことになってんね」
「わっ、わわっ、や、やだ、せんぱいっ!」
フロイドがスラックスや下着をポイポイと捨てたと思えば、早々にベッドに転がされて腰を持ち上げられた。
「きゃっ」
勝手に腰が落ちていかないように枕を押し込まれた。暴れようとした両足は簡単に肩のほうへと押し付けられて、漏れた愛液でドロドロにぬかるんでいるそこが丸見えだ。
流石に恥ずかしさが勝って、顔も耳も何もかもか赤く熱くなっていく。
それでも、ニンマリと笑ったフロイドの大きな口が開いて、尖った歯の奥から先端が細い舌先が見えると期待に胸が躍る。じんわりとまた愛液が溢れた。
「っ、うぅ」
無意識に抵抗を止めてしまう。それくらい、あの舌で舐められるのは気持ちがいいのだ。
ふ、ふ、と息が短く荒くなって、フロイドの顔が秘部に近付くと腰が揺れる。
あぁあと少し、と心臓が煩い。
けれど。
「……そんなに舐めてほしいの? 小エビちゃん」
大人しくなったねぇ。
語尾にハートマークでも付きそうなほどに機嫌が良い声に揶揄われて、ドキリ、と大きく心臓が跳ね上がった。
「っ!」
「あ〜、顔が真っ赤になった」
「〜〜〜っ、もう、知らない!」
意地悪! と叫んで身を捩って逃げ出そうとすれば、――ぬるりとした長い舌が秘部を大きくべろりと舐めてきて、監督生は一際高い声で喘ぐ。
「アァッ……! せんぱ、や、ぁっ」
油断していたクリトリスを弾くように何度も舐められて、そうかと思えば大きな口に覆われて吸われてしまう。太腿が勝手に跳ねて、爪先まで力が籠る。
「あっあっあっ、だめ、だめぇっ! あっ、あーっ、きもち、だめぇえ、それ触られるの、ッ、きもちいい……ッ!」
唾液と愛液でヌルヌルになったクリトリスは、今度はフロイドの指で弄られる。左右から挟まれてクリクリと擦られると、見も世もなく喘ぐしかない。
腰が揺れて、呼応するように膣口ははくはくと蠢く。愛液など、腰が持ち上がっているせいで背中側まで流れて行ってしまっている。
「イ、イく、せんぱい、だめ、もうイッちゃう、ん、あぁあっ!」
髪の毛を振り乱して、意味もなくシーツを掴んで。それでも素直にイッてしまうことを伝えたと言うのに、フロイドの舌も指も止まってくれない。真っ赤に熟れて、ぷっくりと膨らんで勃起してしまっているクリトリスを徹底的に弄られて舐められて、弾かれて、監督生は早々に達してしまった。
「ッ、ひぃ、ぁ、ああ、あぁああっ! す、っちゃ、やだぁっ!」
なのに、追い打ちのように吸い上げられて、連続で甘い絶頂を迎えた。
「や、せんぱ、と、止まって、やぁ、……っ、あああぁあ!」
溢れる愛液を勿体ないと言わんばかりに舐め回されて、細くとがった舌の先端がナカに入り込んでくる。指ともペニスとも違う弾力のある舌でナカを弄られると腰がガクガクと震えて跳ねまわり、舌が抜けると同時に少量の潮がちょろちょろと漏れていく。
「ぁ、ああ……あー……んっ……」
顔が離れても余韻だけが体中を這い、小さな絶頂をずっと迎えている心地。ふわふわと浮いているような、どこまでも落ちていくような、不思議な感覚だ。
「気持ち良かった?」
「うー……先輩のいじわる……っ!」
「気持ち良くなかった?」
「……気持ち、良かったですけど」
観念して素直になれば、フロイドはケロリとした顔で笑う。その顔は幼い子どものようで。
けれど。
「小エビちゃん、もう挿れてもいい? 挿れたい、限界」
瞬きひとつで雄の顔をして目をぎらつかせるものだから、監督生は「本当に、いじわる」と耳を赤くして嘆きながら顔を覆うことしか出来ない。
「はぁ? オレなんもしてねーし。ちゃんとオウカガイ立ててんじゃん」
「じゃあ人のこと無自覚で振り回すのやめてくれません!?」
「なにそれ。オレが言いたいくらいなんだけど。オレ小エビちゃんに振り回されてばっか」
何にもしてないのは私だってそうだ、と言い返そうとしたけれど、それより先に「はい、ケンカ終わり! ケンカしたい気分じゃねーの!」と乱暴にナイトテーブルを開けてスキンをベッドにばら撒いたので気が逸れた。いつもならば一つずつしか出さないと言うのに、今日はやけに扱いが雑である。確認できるだけで一つ、二つ、……フロイドがペニスに装着している分も合わせたら三つ。
(あれ……? もしかして、もしかする…………?)
これ、全部使う気ではなかろうか……?
ひくり、と震えた口角をフロイドは見逃さなかったようだ。
「多分ねぇ、小エビちゃんが考えてること、それで正解」
パチン、とわざとらしく音を立ててスキンを着け終えたフロイドが口角を持ち上げた。なんのことでしょう? とすっとぼけたところで海のギャングは逃がしてくれない。腹全体を簡単に覆い尽くすほどの大きな手が腰を掴んで離さない。
「足りないかもなァ」
歌うように、けれど的確に追い打ちをかけるように、スキンを纏った亀頭を膣口に擦り付けてくる。くちゅくちゅ、と軽い水音が熱気が篭り始めた寝室に響く。
「優しくしてあげるから、いい子にしててね、小エビちゃん」
ワントーン低くなった声に腰を震わせて、大人しくなった監督生は素直にうんと頷いた。
何かがおかしい、と気付いたのはフロイドが一つ目のスキンの口を縛って乱雑に捨てた時だ。
(まだ、もっと、もっと、ほしい、たりない)
つい先程まで後ろから好き勝手突き上げられていたので、枕に顔を埋めたまま体を襲う熱に翻弄されていた。ドクドクと跳ねまわっている心臓も、体力が削られている体も、確実に疲労を訴えてきているというのに、まだ下腹部が疼いて仕方ない。
もっと、もっと欲しい。
「こえびちゃん、ごめん、また挿れる」
「んっ、あ、……あああっ!」
腰を持ち上げる余力もなくてベッドに伏していたのに、フロイドは容赦なくペニスを突き入れてくる。腰を下げている分圧迫感があるのだろうか。背中にピッタリと覆いかぶさってきているフロイドが、気持ち良さそうに息を吐いて一拍置いている。しかし休憩は本当に一拍で。すぐに体を起こしてナカをねっとりと奥まで揺すられて、監督生は掠れかけている喉で喘ぐ。
「ひっ、あ、あああっ、んあ……ッ!」
チカチカと目の前で星が散って、何度も高められた身体は簡単に絶頂を迎える。
「せんぱ、せん、ぱ、だめぇ……っ、いく、いく、からぁ!」
枕を引き千切ってしまいそうなくらい、目一杯握り締めて。足の先までビクビクと跳ねた。
それでも、非常にもフロイドは跳ねた体を押さえつけるように奥深くまでペニスを押し込んでくるので監督生は頭を左右に振り乱す。
「ビクビクなってんの、止まんないの? 小エビちゃん」
「んっ、ん、うん」
返事をしながらも本能的に逃げようと足をバタバタと動かした。それを上から見下ろしているフロイドは小さな背中を手で撫で、逃げないでと懇願する。
それから、フロイドの体が落ちてきてくっ付き、ごろんとベッドに横になる。勿論、監督生の体も道連れに。横向きになったと思えば左足を掴まれて持ち上げられ、そのまま軽く揺すられるだけで随分と気持ちが良かった。
フロイドも気持ちいいだろうか、と涙で滲む目で見上げる。
「せ、んぱ……っ」
「ん、なぁに?」
下半身では、ぐちゅぐちゅとはしたない音を立てながら交わっていると言うのに、髪の毛や汗が滲んだ額に落ちてくるキスは可愛らしいものだった。
「あ、んん、……ふろ、……っ、ん、せんぱ、も、きもちい……?」
「うん。すげー気持ちいい。何回でもヤれそ」
「ん、ふふ、よかったぁ」
「小エビちゃんも、ちゃんと、気持ちいい?」
うん、うん、と頷いてから顎を持ち上げる。それだけで察したフロイドの顔が近付いてきて、今度は唇にキスが落ちてくる。そのまま、開いた口の中に「だいすき」と愛を落とされて、ビリビリと電気が走る。
(――ぁ、まただ)
クラリと目が眩んで、いっそう体が熱くなる。
もう何度もこんな熱を感じた。フロイドに「すき」と言われる度に身体が熱くなって過敏になってあっという間に快楽の波に飲まれていく。今までのセックスでは感じたことがない、深く大きな波の間に落ちて抜け出せなくなる。
「〜〜〜っ、んあ! あっ、ああぁあ、だめ、いま、うご、……ッ、く、ぅんんっ」
「ッ、あー、きっつ……!」
フロイドの喉が獰猛にグルルと鳴って、容赦なく何度か強く突き上げられた。それを喜ぶようにナカが絡みついていくのが自分でも分かる。止めようがない。どうしようもないままにまた達してしまって、そのあとでフロイドがペニスを引き抜くとまた潮を漏らしてしまった。
息が上がって苦しい。でも熱が篭った体はまだフロイドを求めていて、引き抜かれたペニスに自ら擦り寄っていく。かくかくと腰を揺する姿を、もしも淫乱だと言われても否定できない。
「……もっと欲しいんだ?」
淫らなおねだりが恥ずかしいと思う余裕すらなく、何度も頷いた。
「じゃあ今度は小エビちゃんが上乗ってよ。好きなようにしていいよ」
ほら、と腕を引っ張られて寝ころんだフロイドの上に跨った。
「っ、これ、やだぁ」
「だぁめ」
逃げるより先にぬかるんだ密壺にペニスが押し入ってきて、閉じていた足は広げるように誘導される。すき、すき、だいすき、小エビちゃん可愛い、なんて甘い言葉を吐きながら、優しい妥協は一切ない。
「手は後ろに持ってって。オレの足掴んでていいから、……そう、えらいね、小エビちゃん」
「ううぅ」
「足、閉じちゃダメだよ。そのほうが小エビちゃんのイイトコロに当たるから。ほら」
「ひゃっ、あ、ああっ、んっ!」
胸を突き出すようにするのも、ペニスを咥え込んでいる秘部を曝け出すのも、恥ずかしくて堪らないのに下から軽く突き上げられるだけで負けてしまう。フロイドの動きに合わせて拙く腰を動かし、気付けば自分で自分の好きなところを刺激していた。
「ふ、ふぅ、う、ああっ、ぁ、あっ、んんっ」
「あは、また足がビクビクしてきたぁ。きもちいいねぇ」
「んっ、きもちいい、フロイド、せんぱ……っ」
「根元まで全部入ってんの丸見え。最初入んなかったのがウソみてぇ」
「あっあっ、や、またイく、イッちゃう」
「何回でもイッていいよ。ほら、奥の、ココんとこ、いっぱい当てて」
揺すっていた腰を掴まれたと思えば、グリ、と押し当てられた深い部分に監督生は喉を反らして嬌声を上げた。
「っ、ひう……! あっ、あっ、あっあああ、――っ!」
「いい子にちゃんとイけたからクリも触ってあげる」
「〜〜〜っ、ああぁああっ! まっ、や、やだ、っ! や、ぁ、あああっ、あーっ、あっ!」
ニンマリと口角を上げたフロイドの指がぷっくりと勃起したクリトリスを捏ねるように、それから弾くように触ってくるものだから頭の中が真っ白になる。連動するように視界もホワイトアウトしてしまって、あっと気付いた時には腰が逃げてペニスが抜けてしまった。
「――っ、や……!」
抜けたペニスを追いかけるように潮が漏れて、フロイドの腹や胸の辺りまで濡らしてしまう。さらさらとした透明の体液が整った腹筋の上を滑って落ちていく。
「っ、ぁ、や、ご、ごめ、なさ……っ」
「なんで謝んの?」
くしゃりと顔を歪めた監督生に、フロイドは小首を傾げて起き上がった。逃げる前に腕を掴まれてすっぽりと包まれた。
「小エビちゃんにマーキングされたみたいで興奮すんだけど」
なんて、喉の奥でクツリと笑いながら耳に直接言葉を流し込んでくるので、顔だけでなく耳や肩まで色付いた。快感の余韻が残っている体がふるりと震えた。
「そ、んなこと、言わないで、ください……っ」
「なんで? 本当のことだからいいじゃん」
「……恥ずかしい、から」
「えー。小エビちゃんが好きだから興奮すんのに」
「ン、それ、も、や……っ」
「好きって言うのもダメ?」
しおらしくお伺いを立てているようで、くちゅくちゅと音を立てながら耳を舐めてきている時点で確信犯だろう。やめて、と胸を押し返しているのにビクともしない。それどころかもっととくっ付いてくる。
「恋人になったんだから言ってもいいじゃん。好き、好きだよ、小エビちゃん」
「や、ぁっ」
「好き、好き。こっち向いて、ちゅーしよ」
「ん、む、んんんっ」
かぱりと開いた口に、噛み付くようなキス。角度を変える瞬間や、唇が離れた一瞬の隙に「すきだ」と言われるものだから、それだけで甘やかに達してしまいそうだった。
「ふろいど、せんぱい」
「ん?」
「……あの、その、」
「もう一回挿れてほしい?」
「はい」
「いーよぉ」
再び唇を奪われて、そのまま後ろに倒れていく。覆いかぶさってくるフロイドの髪の毛の一本にまで見惚れていればペニスが奥まで入り込んで、ねっとりと奥にもキスをされて、引き攣った嬌声が零れた。
「アッ、ああぁ……!」
見上げたフロイドも自分と同じように眉根を寄せていて、はぁと吐き出す息は熱い。
張り出したカリ首に襞を引っ掻かれるのが気持ち良くてナカを締めれば、呼応するようにフロイドのペニスもビクビクと震えた。
それが何とも言えず愛おしくて、気付けば「すき、すき」と何度も想いを吐露していた。
「オレも、オレもすき、こえびちゃん、すき」
オレだけのこえびちゃん。だれにもあげない。だれにも、みせてやんない。
「わ、たしも、っ、すき、すきです……ッ」
好きだと言われればそれだけで達してしまいそうなほどに気持ち良くて。好きだと言えばいっそう感情が昂って涙が出た。はくはくと口を開ければキスが落ちてきて、そこから溶けていきそうだ。
(きもちいい、すき、すき)
やっぱりフロイドとするセックスが好きだ。
でもきっとそれは。
(先輩がすきだから、きもちいい。先輩だから、セックスも、すき)
イキそう、と眦を蕩けさせて言うフロイドに、きゅうんと胸が締め付けられた。
「ん、んっ、先輩も、きもちよくなって」
だいすき、と何時ぞや教えてもらった求愛法で愛を伝えて。それから、薄いスキン越しに精液が吐き出される感覚に、監督生も引き摺られるようにして絶頂を迎えた。温度も湿度も上がったベッドの上で、それでも二人は肌を合わせて、まだ足りないとキスをする。
「せんぱい」
体力が空っぽになりかけて、重たくなり始めた瞼をどうにか持ち上げて、監督生がフロイドを呼んだ。
「なぁに」
余韻に浸っているフロイドの声は、ついさっきよりも可愛らしく聞こえて、ふふっと笑った。
そして。
「なんでもするから、もっともっとぎゅーってしたいです」
「……ほんっと言うこと聞かないよね、小エビちゃんって。つうか、なにもしなくたって、なにもくれなくたって、ちゃんとぎゅーってしてあげる」
あぁでも、そうだなぁ。
「好きって、もっといっぱいいってくれたら、もっといっぱいぎゅーってしてあげる」
だからもっと言って、と強請られて、キスをしながら何度だって好きだと微笑んだ。そのうち、なんだか泣けてきてしまって、喉がつっかえてしまった。
「泣かないでよ、小エビちゃん」
もう暫くはそのお願いは聞けないなぁと眉を落として、それでも監督生は縺れる舌ですきですとフロイドに伝えた。
▼ ▽ ▼
疲れ果てた体で、深い眠りの奥で夢を見た。
夢、というより少し前の記憶が呼び起こされているような感覚だ。体調を崩し始めた気怠い朝。冷たくなったシーツに触れる自分の手。朝まで一緒にいてあげると笑った男の顔を思い出して子どものように泣いたこと。
「――――ッ!」
単調な記憶の整理はまるで現実のようで、どちらが夢なのか分からなくなって、激しく脈打った心臓に突き動かされるようにして飛び起きた。
すると。
「ビッ、……クリしたぁ……」
すぐ隣から声が聞こえて、これまた勢いよく振り向けば大きく見開いた二色の瞳がカーテンの隙間から朝日を受けて煌いていた。パチパチ、と瞬きするたびに小さな星でも舞っているように綺麗だった。
フロイド先輩、と名前を呼べば、どうしたの小エビちゃん、と聞かれて。たったそれだけで呼吸することが出来た。
「変な夢でも見た? あ、オレが髪撫でてんのがヤだった?」
「…………せんぱい」
「ん? なに?」
「……」
「えー、なになに。朝からくっ付いて来てくれんの? かぁわいいねぇ、小エビちゃん」
「……」
「かわいい。……あ、でもグリグリすんのやめて、一か所に集中しないで、痛いって」
飛び付いたまま返事をしなくたって、フロイドは機嫌よくケタケタと笑っている。怒らないのなら、と監督生はフロイドの真似をしてぎゅうぎゅうと抱き付き、もっともっとグリグリと額を擦り付ける。
「おはよぉ、小エビちゃん。体はツラくない?」
「……ん」
「そっかぁ」
「先輩、起きてたんですね」
「うん。なんか眠くなくて小エビちゃんの寝顔見てた」
「えっ、やめてくださいよ、恥ずかしい……」
「小エビちゃんって、寝てたらなにしても起きないから面白いねぇ」
「なにしてもって、……な、なにしました……?」
「んー、知りたかったら今度起きてみれば?」
体温の低い体にしがみついて、心臓の音がする胸に頬を擦り寄せて。他愛のない会話を繰り返していればゆっくりと現実を受け入れ始めた頭が穏やかに蕩けていく。
「小エビちゃん。もっと上まで上がっておいで、ちゅーしよ」
胸に埋めていた顔を上げて、こちらを見下ろしてくる瞳と真っ直ぐに目が合って心が温かくなる。素直に体を上へとずらせば、ご褒美だと言わんばかりにキスが降ってくる。監督生もキスがしたくて、長い髪の毛に手を伸ばして耳へと引っ掛けた。体を伸ばして、露わになった滑らかな頬へと唇を寄せる。
それから、じぁれ合うように啄むようなキスを繰り返していく。
(こんな風に飛び起きちゃうくらい、怖かったんだ、私)
時間が経って、冷静になったからこそ思い知らされる。
でも、――……こんな怖い思いすら愛おしいのだと言えば、フロイドは笑うだろうか。
「小エビちゃん、今日はなにしよっかぁ。学校休みだし、どっか出掛ける? それともここでじっとしてよっか? ラウンジでオレが何か作ってもいいよ」
穏やかに鼓膜を揺らすフロイドの声に耳を傾けて、監督生は隙間なく体をくっつけた。
「もうちょっとここに、いたいです」
「じゃあそうしよ」
温もりのあるシーツに身を預けて、寝ていないフロイドと惰眠を貪るのも悪くない。
あぁそうか、と監督生は口元を綻ばせた。
(これからは、)
なんだって二人で出来るのだ。楽しいことも悲しいことも二人で分け合って、譲り合って、喧嘩だって出来る。
ひとりぼっちで起きる朝が怖くなくなるのも時間の問題だろう。
これからの日々が楽しみだと、フロイドの背中に伸ばした手に力を籠めた。