嘘だと言ってよ、ベイビー 1

ナイトレイブンカレッジ史上唯一の女生徒。しかも、一切の魔力を持たないという異例中の異例である女生徒。
そんな女生徒と付き合う権利を手にしたのは、──オクタヴィネル寮リーチ兄弟の片割れ、フロイド・リーチである。



付き合うことになった馴れ初めなんてものはあっさりとしたものだった。
「小エビちゃん。オレと付き合ってよ」
「あ、いいですよ」
なんだったら、当の本人同士よりも、周りにいた人間の方が驚いていたし、顔を赤くしていたし、叫んでいた。
それに場所も場所だ。ここは昼休憩中の大食堂。
エースやデュース、グリムがぎゃあぎゃあと騒げば騒ぐほど、面白いくらいに野次馬が発生しては、状況を理解した生徒が大声を上げながら隅から隅まで教室という教室を走って廻る。どの生徒も台本でもあるかのように「おい! あのフロイド・リーチに恋人が出来たぞ!」と叫んでいた。瞬く間に二人の交際は学園中を駆け巡り、フロイドの告白から五分もしない間に、全く関係のない教師陣の耳にまで入っていた。

学園内で普段通りだったのは、当事者である二人だけだろう。
フロイドは「あは、やったぁ。初デートはいつにする?」なんて言いながらタコの唐揚げを突いていたし、監督生は「じゃあ今日の放課後なんてどうですか? 私、トレイン先生にうちのクラスのノートとプリントを集めるように言われてるんですよ」なんて澄ました顔でフロイドを荷物持ちに任命していた。
たった今誕生したばかりの恋人同士というには、あっさりとしていて。初デートと言うにはあまりにも味気ない。フロイドはいつものように考えが読めない顔でへらへらと笑っているし、監督生は顔色一つ変えていない。
お前たち本当に恋人になったのか、とジャックが苦い顔で頬を掻くのも致し方ないことだった。



***



──さて。

何故、野次馬たちが挙ってが「あの」フロイド・リーチと強調していたのか。これには訳があった。元はと言えばフロイドの一言が発端である。

フロイドは、他人の力ではどうしようもないほどの気分屋だ。
楽しそうにバスケットボールに集中していたと思ったら、飽きたといって帰ってしまう。怒られると、これでもかとテンションが下がってしまって魔法の精度が途轍もなく下がる。調子が悪ければ、料理の味だってとんでもないことになる。
ナイトレイブンカレッジに入学してからフロイドの存在を知り、そして性格を知ったクラスメイトは、ふととある疑問を投げかけた。
『そんな性格でさぁ、レンアイとかどうしてんの?』
嫌味でも何でもない。ただの興味だ。
まず、好きとかそうじゃないとか、そういう感情はあるのか。好きと思っても長続きするのか。ある日突然興味を無くしても、ちゃんと別れ話をするのか。気分屋で飽き性なのは、どこからどこまでの話なのか。
きちんとした返答が返ってくるとは期待していなかったけれど、思春期真っただ中な男は聞かずにはいられない。
しかも、兄弟揃ってこの美貌とスタイルである。女が放っておくわけがないと思ったのだ。
——ただ、聞いた相手が、つい数ヵ月前まで海の中でしか暮らしておらず、まだ長時間歩いたり運動したりすると足が痛くなってしまうレベルのウツボの人魚だったということを失念していただけで。
『交尾して、終わったら別のとこにいく』
だから、ウツボの基礎的で初歩的な生態をかなり噛み砕いて説明した結果、──フロイドは「生粋の遊び人」という称号を知らず手にしてしまった。
もしも、双子の片割れであるジェイドが同じクラスだったなら、即座に訂正し、正確な情報を伝えていてくれたのかもしれないが、残念ながらそう上手く事は運ばなかった。

斯くして、当時のクラスメイトが勝手に与えた「遊び人」という称号は独り歩きし、誇大化し、最早フロイド一人の力では止められないものになっていた。
というよりも、かなり早い段階で訂正するのを止めた。
要は飽きたのである。もうどうでもいっかと匙を投げた。遊び人と思われたところで男子校ではデメリットはなく、訂正していく方が骨が折れるというものだ。
だから野次馬の言っていた「あの」には「あの、根っからの遊び人で、適当に女を侍らせては、とっかえひっかえしてたヤリチンの」という長い長い言葉が隠れている。
勿論、略されている部分はきちんと寮内外の後輩たちにも受け継がれていたので、エースやデュース、それから当事者である監督生も知っていた。
特に、監督生は女性である。フロイドからすれば年下でタイプじゃないかもしれないと言え、列記とした女だ。十二分に気を付けるようにと、色んな人から念を押されていた。
だから、最初から気にしていなかったし、告白を受けたところで明日には別れるのだろうとしか思っていなかった。
よって、大食堂での奇妙な告白劇が生まれたのだ。
フロイドが入学当時、クラスメイトに与えてしまった誤解を「飽きたから」と言って放っておいたせいで。

フロイド自身、知らぬうちに「遊び人」という称号を手にしてしまっていたが、海の中で生活していた時も、陸に上がってきてからも、誰とも関係を持っていない。運命のメスと番うどころか、求愛行動というやつも教科書でしか見たことがないような清い体の持ち主だった。
大食堂のテーブルの下の足は無様なほどに震えていたし、ジェイドでも気付かないレベルで声が裏返っていた。蛸の唐揚げなんて噛み砕くのも忘れて丸呑みしてしまって喉が痛い。味なんて分かったもんじゃない。
それくらい緊張して、ようやっと言えた言葉なのに、なんと重みのないことか。なんと監督生に伝わっていないことか。
実際、二人の周りで散々騒がれていることはフロイドの耳には入っていない。間違って立ち入り禁止区域だった深海に沈んでしまった時くらいに無音。

ただ、監督生の声だけが、穏やかに鼓膜を揺らす。

(小エビちゃんと初デート。なにしよっかな)
例え荷物持ちとして呼ばれただけだとしても、初デートという名目には変わりない。嬉しい。嬉しい。今すぐがぶりと噛んで、自分の巣に持ち帰って、自分のものなのだと証明してしまいたいくらいに、嬉しい。
もしくは魔法をかけて今すぐ此処で結婚式をしたいくらい嬉しい。
「じゃあ放課後迎えに行くから、教室で待っててね」
「はぁい」
それを実行しなかったのは、単に初デートに勤しみたいから。証明も、結婚式も、しようと思えばいつでもできる。
全く味なんてしなかった昼食は無意識のうちに食べ終わっていて、フロイドは適当に切り上げてその場を去ることにした。
スマートに去っていきたかったのに、長い足が椅子に引っ掛かってちょっと体勢が崩れてしまったのが恥ずかしい。見られていないようでよかった、とひとつ息を吐いた。

午後の授業は監督生のことで頭がいっぱいだった。
今までになく錬金術の授業はうまく生き、両手に溢れんばかりの石はアズールに全部あげた。
ただ、監督生の瞳の色にそっくりなこの石だけは監督生にあげようと、ブレザーのポケットに仕舞って鼻歌を歌う。喜んでくれるかな、と誰かを想って純粋に心がふわふわとした気分になったのは、産まれて初めてだった。


──だから、放課後に監督生の教室を尋ねたらすでに姿がなく、クラスの子には「帰った」と言われて、フロイドはこれ以上ないほどに絶望した。



***



「小エビちゃん!」
教室を飛び出してようやっと見つけた監督生は、両腕いっぱいにノートとプリントを持っていた。
そして、驚いた顔をして、
「あれ、フロイド先輩。どうしたんですか」
と聞いてくるので、こちらの方が驚き過ぎて言葉に詰まった。絶対に奇天烈な顔をしてしまった自信がある。
「あ、お、おれ、教室で待っててって言わなかったっけ?」
「あー、言われましたね。先輩ちゃんと覚えてたんですか?」
「覚えてるも何もオレが言い出したんだけど。……っていうか、小エビちゃんこそ何勝手に帰ってんの」
「来ると思わなかったんで、つい」
監督生はフロイドが「やっぱり飽きた」なんていうと思っていたらしい。そんなことがあり得るか、とフロイドは心底憤慨した。確かにバスケにしても、授業にしても、料理にしても、気分が乗らなければ上手くいかないし、止めてしまうことが多い。でも、それらと監督生を一緒くたにして欲しくなかった。
監督生はフロイドの中で特別である。特別だから好きだと思ったし、付き合いたいと思ったし、自分から告白したし、絶対に番になってやると息巻いている。
なのに、この仕打ちは酷過ぎないか。
「あのさぁ小エビちゃん。オレ付き合ってって言ったよね? で、小エビちゃんはいいよって言ったんだから、オレ、ちゃんと恋人になりてぇんだけど」
取り敢えず、監督生の腕の中からノートとプリントを奪って、ゆっくりと歩き出す。足の長さが違う分、いつもと同じように歩いたら監督生を置いていってしまうのだ。
「だからオレ、折角の初デート中なのに悲しいの。分かる?」
「ごめんなさい」
「分かってくれればいいよ。……でも次こんなことしたら絞めっから」
どうせ絞める、と言っておいてじゃれるように絡みつくだけで終わるのだろうけれど。
あはは、と苦笑いを交えながら自分の想像に納得してしまって、ふと気付いたら隣に監督生がいなかった。慌てて足を止めて振り返れば、フロイドの足でいう二歩分ほど後ろで固まっていた。
「────……つぎ?」
今までに見たことがないような変な顔をしたまま、首を傾げている。
ぽろり、と零れた声にいつもの覇気はない。
「は?」
これは一体どういう反応だ、とフロイドも首を同じ方向に傾げた。
小エビちゃんと呼べば、監督生は、うううんと一頻り唸って、頭を掻いて、ため息をついて。それからズカズカと近寄ってくる。
「あの、フロイド先輩」
ひとつ言っておきたいことがあります。
「な、なに」
グッと体が伸びて、それなりに顔が近くなる。
そして。
「申し訳ないんですけど、私フロイド先輩が好きなんです。結構最初から。多分、初めて見た時から格好いいと思ってました。まぁ中身には色々と驚きが隠せなかったんですけど」
「…………えぇっと」
「だから、」
監督生の言葉が詰まった。
僅かに瞳が揺れて、水分量が増える。あぁ今日出来上がった石なんかじゃ比べ物にならないくらい綺麗だなぁなんて頭の隅で考えた。もっと色が深くて、瑞々しくて、舐めると美味しそうな色。何を混ぜたらこうなるのだろうか。天才肌でも分からない難問だ。
しかし。
「──だから、他の女の人と同じように、飽きたら捨てるとか、そういうのは、出来るだけ早くして欲しいです」
監督生の言葉に、余所事なんて考えられないほどに脳が急停止した。
今自分は何を言われたのか、監督生は何を言わんとしているのか、全くもって理解が出来なかった。
「じゃあ運んでくれてありがとうございました。もうすぐそこなんで、これで大丈夫です。それじゃあ」
ただ、腕の中の荷物があっさりと無くなってしまったのと、自分の好きが伝わっていないことだけは、嫌ってほどに理解した。
(他の女の人みたいにって、なに。終わるなら早くって、なに)

何度も言うようだが、フロイド・リーチは決して遊び人ではない。勝手にその称号が与えられているだけである。

──けれど、その事実を。
その事実だけを、監督生は知らないのだ。


歩くことを忘れてしまったようにフロイドはそこで暫く突っ立っていた。
モストロ・ラウンジに来ないことを心配したジェイドが迎えに来るまで、実に一時間は固まっていた。

フロイドの人生初めてのデートは、廊下一本分にも満たずに終わった。

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