crazy about you

『今から出てこられるか』
 無理ならいい、と続きそうな受話器越しの会話をぶった斬って行くと叫んだ。
 必要最低限だけ言葉を交わして黒電話を置けば、ソファに寝転がっている神楽が行ってらっしゃいと気だるげに手を挙げた。社長机の引き出しに隠しておいた酢昆布を二箱投げ、木刀を腰へ。
 ふわふわと舞い上がる心臓を押さえつけて玄関でブーツを履き、よしと気合を入れる。
「行ってきます!」
「今日こそモノにして来いヨー」
「うっせぇ! 無理に決まってんだろ! さっさとクソして寝ろよ!!」
 ガラガラピシャン。立て付けの悪い戸を勢いよく締めて走り出す。
 神楽は面白がってああやって焚き付けるけれど、アイツをモノにするだなんて天地が引っ繰り返っても、神楽の親父に毛が生えても無理な話だ。文字通り不毛な恋なのだから。それを分かっていて言うのだから性質が悪い。
 何せ相手はあの真選組鬼の副長、土方十四郎なのだ。
 好きだなんて一言でも言ってしまったら即座に斬り捨てられるだろう。あの鋭い眼光で射抜かれて気色悪ィとか言われた日には世界が終わる。だから惚れた腫れたは心の奥底に仕舞いこんで会いに行く。友人として酒を飲む。
「ヘタレだろうがなんだろうが好きに言いやがれってんだ! コンチクショー!!」
 夜へと変色していく空に向かって銀色の侍は半ベソで無様に吠えた。



 初めて二人で待ち合わせをして酒を飲んだのは、もう半年前のこと。誘ってきたのは、意外にも土方のほうだった。
 その時はまだ銀時の中には土方に対する色恋など欠片もなく。コイツいつも一人で飲んでるもんな、友達いそうにねぇもんな、なんて同情票でうっかり頷いた。それから何となく月に一回約束して会って。それが三週間に一度になり、二週間に一度になり。今では土方が非番の度にその約束は交わされる。勿論、土方の仕事の性質上流れることもあるけれど、仕事が落ち着けばまた電話が掛かってくる。
 そして、二人で酒を飲み交わして十を数えない内に、銀時は土方からの電話を心待ちにするようになった。土方と飲む酒は、他の誰と飲むより美味かったからである。
決して酒の品質の問題ではない。土方と二人で庶民くさい居酒屋のカウンターで肩を並べ、話をしながら飲む酒は何とも言いえぬ美味さがある。なんでだろうかと疑問を持ち、相手が土方だからかと気付いてしまったら、あとは坂道を転がり落ちていくように恋に落ちた。
 仕事さえ絡まなかったら土方が纏う空気が柔らかいとか、ご飯を口に運ぶ一口が大きいから頬がリスみたいに膨らむところとか、酔いが回れば顔だけでなく首まで赤くなってしまうところとか、帰り際いつもほんの少しだけ寂しそうに銀時を見つめてくるところとか。好きになる要素は数えきれない。酒のせいにして何度も襲ってやろうかと画策したが、未だに冗談でも指の一本も触れられやしない。
 三十路が目の前に来たオッサンがこの体たらくでは、十代前半の小娘にヘタレと蔑まれても仕方あるまい。どうせ今日も何も出来ないまま、お開きになるのだ。ハアァァと店先で大きく溜め息を吐いて、暖簾を潜る。
「土方来てる?」
「奥の座敷にいらっしゃいます」
 もう何度も二人で足を運んだことがある居酒屋は勝手知ったるなんとやら。店員の案内は断って土方がいる個室へと向かう。
いつものカウンターではなく個室とは珍しい。こりゃあなんか仕事で嫌なことがあったな。ブーツを脱いで、ガラガラと戸と開ければ、既に酔っぱらいかけている土方が軟骨の唐揚げを突きながら軽く手を挙げた。それに応える。
「悪い。遅くなった」
「いや、こっちこそ悪いな、急に呼び出して。大丈夫なのか、チャイナと眼鏡は」
「心配いらねーよ。新八はもう帰った後だったし、神楽はもう慣れっこさ。寧ろいないほうが好きなテレビ見られるからいいって言われてる」
 土方の向かいに腰を下ろして木刀を隣に置く。そして何頼もうかとメニューをペラペラ捲りながら、その隙間から土方を盗み見る。
「……なんだ」
 こっそりと見たつもりがバレたらしい。酔って据わり始めた目が光る。眉間の皺が深くなる。
 多分、表面上だけの付き合いをしているような奴はこれだけで竦み上がって逃げ出すだろう。無駄に謝りながら。しかしある程度距離を縮めたものならば分かる。これは怒っているのではない。どっちかというと拗ねている。それも幼子のように駄々を捏ねるレベルで。
「……土方くんさぁ、髪切った?」
 多分理由はこれだろう。今日が個室なのも、駄々っ子なのも。
 そして銀時の推理はどうやら正解らしく、不貞腐れた土方はつらつら淀みなく八つ当たりを始める。
「こんなもん聞かなくても見たら分かるだろうが。それとも何か、テメー糖尿病がとうとう目にきたか? 眼底出血でもしてんのか? 見えてねぇのか? なんだったら病院ついて行ってやろうか。検診が怖くてめそめそ泣いてる万事屋さんに付き添ってやろうか? アァ?」
「ちょっと聞いただけでそこまで言わなくてもいいだろうが! つーか銀さんまだ糖尿病予備軍だからね! よーびーぐーん! 眼底出血とかおっそろしいこと言うなよ! そろそろ検診の時期なんだよ!」
 すっかり忘れていた検診時期を不意に思い出してしまってぶるりと背中が震える。目に見えるところの出血には強くても、見えないところの出血には弱いのだ。それをこの男は嬉しそうに突きやがって。あぁもうなんでこんな男に恋をしたんだろうか!
 髪の話題など即座に忘れてぎゃあぎゃあと言い合っていれば戸の向こうから店員に声を掛けられ、新たな料理が運ばれてくる。焼き鳥、だし巻き卵、刺身の三種盛り、そして空の焼酎グラス。土方ではなく、銀時の前に並んだ料理は、先程覗いたメニュー表で頼もうかなと心惹かれたものばかり。
 店員が去ってしんとした個室で、思わず土方を見れば、
「いつも馬鹿みたいに同じもんばっか注文してっから覚えちまったんだよ」
 と不機嫌に返された挙句、ふいっと顔を背けられた。
 しかしその横顔は短くカットされた前髪のせいで、照れた素振りは隠せない。鼻血を吹き出しそうになるのを手で押さえてなんとか堪える。
 これは土方の悪い癖だ。
厭味ったらしく人に喧嘩売ってくるくせに、こうやって甘やかしてくる。どんなに一緒に飲みに行ったって自分は長谷川の好物の一つも思い出せないのに、土方は銀時の好物を覚えてくれている。
 そして、
「ありがとよ」
 と、こっちが素直に礼を言えば、頬を更に赤らめて、いつもは真っ直ぐ前だけを見つめている瞳をきょろきょろと泳がせて、さっさと食えと真新しい割り箸を放りつけてくる。同年代の男が、しかも真選組の鬼の副長で、刀を楽しそうに振り回している物騒な男が、これほどまでに可愛いと思ってしまうのはもう本当に病気だろう。病院ではなく、その辺のラブホに付き添ってもらいたい。そしてそのまま力に物言わせて押し倒したい。抱き締めたい。頬擦りしたい。恥ずかしくて噛み締めている唇にキスをしたい。酒と煙草の味がする舌を絡みとって口腔内を暴きたい。
 ちょっとでも気を抜けば煩悩に負けてしまいそうになる手で割り箸を割って、鮃の刺身を頂く。美味しいはずなのに頭の中は土方でいっぱいで味がしない。勿体ないけれどこれはこれで幸せだ。
 そっぽを向いていた土方も食べ始めた銀時に納得したのか、小さく微笑んで、自分も刺身に手を伸ばした。
「うまいな」
「あぁ。……あ、そうだ」
 言って、土方が箸を置く。そして机の下から酒瓶を取り出して封を開け、先程店員が持ってきた焼酎グラスに注ぐ。
「それなに?」
「今日貰ったんだが結構甘いらしくてな。俺ァ辛口しか飲まねぇからテメーにやる」
「ふぅーん。『芋娘』なんて酒、初めて見た」
「どこだったか忘れたが、くれた人の地元でとれた芋を使っているらしい。それなりに有名なんだとよ」
 なみなみと注がれたグラスを受け取って一口。芋焼酎の割にはスッキリした後味で、独特の口残りはない。これならば量は飲めそうだ。どうだと尋ねる土方に美味しいよと返せば安心したように息を吐いた。じゃああとは好きにやれと酒瓶を渡されて、土方は自分が頼んでいた酒を飲み始めた。
 暫く、互いに酒と料理に舌鼓を打って、いつも通り下らないことをダラダラと喋った。先日あった依頼に骨が折れたこと、相変わらず沖田が仕事もせずにバスーカを撃って店一軒爆破したこと。内容はいつも似たり寄ったりだったけれど、それでも土方がテメーら馬鹿だろなんていいながら笑ってくれるから、銀時の喋りにもつい熱が入る。
 そうして、土方が持ってきた酒瓶が軽くなってきたころには、完璧な酔っ払いが二人出来上がっていた。美味しいからと遠慮なく飲んでいた焼酎は思った以上に回りが早く、銀時の思考回路を的確に寸断させていく。
「――…なぁ」
 言うことを聞かなくなった脳みそは、煩悩の赴くまま、好き勝手に喋り出す。
「なんで髪切っちゃったの」
 つまむものが無くなった割り箸を乱雑に皿の上に放って、のそのそと四つん這いで土方の隣へと移動する。
「あ? そりゃ髪も切るだろうよ。洋装だとあんま長いのも似合わねぇんだよ」
「んーまぁそりゃわかるけどさぁ。こんなに切ることって、なかったじゃん?」
 互いに酒臭い顔を近寄せて、いつもより露わになっている土方の顔を真正面から見つめる。
 銀時がV字前髪と揶揄するそれは短くなってあまり目立たない。サイドも普段は耳に掛かるくらいの長さがあるのに、今は酔って真っ赤に染まっているのがすぐに分かる。襟足だって項が見え放題。
 酔って首まで赤くなるのはすぐ隣にいる俺だけが見えるものだったのに。こんなに髪が短くなったんじゃあ誰からだって見えてしまう。面白くない。
「今回だけ床屋を変えたんだ。でも次からはいつものとこに行く」
「なんで今回だけ違うところに行ったの?」
「別に何処で切ろうと関係ねぇだろうがっ」
 つーか近ぇよ、と距離を取られて、思わずもっと詰め寄った。土方の肩と自分の体がくっつくんじゃないかというくらい傍によって、それを後悔した。酔っぱらってでもよく利く鼻を呪った。
 ――甘い甘い、花のような、香の匂い。愛らしい女性が好みそうなもの。
 酔いが回った頭が一気に冷水を浴びたように醒めていく。よく見れば、土方の頬には間接照明を乱反射するようにキラキラ光るラメが点在している。
 なぁんだ。そういうことか。
 すっかり冷えた思考回路が席に戻れと訴えかけてきたので、大人しく土方から距離を取り、自分の座布団に収まる。
「…オイ。どうした」
 なんだ、なぁんだ。
 滅多とない急なお誘いは、一緒に飲むはずだった女の都合がつかなくなったからか。自分は誰かの代わりだったのだ。
 自分がやってくるまでの間に女に愛された体を、自分に触られるのは真っ平御免というわけだ。そりゃそうだ。男なら誰だって柔らかくて小さくて温かい女がいいに決まっている。自分だって土方に惚れるまではそうだったのだから。
 馬鹿だなぁ。本当に馬鹿だ。自分に見向きもしない男に惚れるなんて。顔も知らない女の代わりなのに、この男からの誘いが嬉しくて、全速力で走ってきたなんて。コイツは俺のことなんか何にも考えずに、他の女を抱いているのに。
 それでも。
「…土方くんさァ」
「なんだよ」
「銀さん、梅茶漬け食べたくなっちゃった」
 それでも、好きなんだよ。
「勝手に頼めばいいだろう。マヨならいつでも乗っけてやる」
「いやいやいや! 人の飯まで犬の餌にしないでもらえる!? 梅茶漬けには餡子でしょ!?」
 甘い香も、頬に残った化粧も、全部見ないことにして、馬鹿を言い合う。
「梅にはマヨだろ。よし、俺の分も頼め。どっちが美味いか勝負だ」
「ハッ! 勝負にもなんねぇよ! ぜってぇ餡子だ! おねーちゃーん!! 梅茶漬けふたつー!!」
「馬鹿、叫ぶな! ボタンがあるだろうが!」
 ――なぁ。そんな、お前を優先しないような女なんかさっさと忘れて、俺のとこに来いよ。
なんて、言いたいことは何一つ言えず、結局今夜もヘタレのまま、家に帰るのだ。



◆ ◇ ◆



 気怠いトロンボーンの音を皮切りに、心地よいジャズのサウンドが部屋を支配していく。
 部屋全体を様々な黒で統一したそこは、壁一面が窓ガラスになっていて、煌々と光る繁華街が一望できる。夜景の一角にはターミナルが聳え立っている。
 その夜景を背中に背負う一人の黒髪の男。
 しっとりとした質感の髪の毛は、右側だけ丁寧に後ろへと撫でつけられている。顔にかかっている前髪は長く、陰影を作り出す。
 全体的に薄暗い部屋では、斜め左を向いた男の顔は見えにくい。更に右眼、右頬、鼻辺りまでは真っ白の仮面で隠されているので、顔の全体像が掴めない。
 惜しみなくハッキリ見えているのは、男の逞しい体。光沢のある白いシャツをだらりと肩に羽織るだけで露わになっている胸筋と腹筋は見事に鍛えられており、美しい影を落とす。肌は決して女性のように真っ白ではなく、男らしく健康的な色艶をしていて、滑らか。銀色のバックルが光るベルトから下は、シンプルな黒のレザーパンツ。ピッタリと男の太腿に張り付いているそれは、パツンと張っており、脚にもしなやかな筋肉がついていることが窺える。
 すらりと長い男の脚の先。裸足で踏みしめる毛足の短い、上等なラグの上には、色とりどりの宝石が転がっている。エメラルド、ブルーサファイア、ファイアオパール、ダイアモンド、ルビー。しかしどれも輝きはなく、霞んでいる。男はゆっくりと前屈して一つ取る。月明りにも助けられ、輝き出した宝石は目映いルビー。それを見せつけるように、仮面で隠された右眼の前へ。そして、唇へ。
チュッ、と耳が震えるようなリップ音。
 ――瞬間。
 花が一気に開花するように、ぶわりと光を放って部屋が色めく。散りばめられた宝石が息を吹き返したように輝き出したのだ。男のレザーパンツを様々な色を乱反射させる。合わせてジャズのボリュームも上がった。
 男が手に持っていたルビーは、手品のように一瞬で紅に変化し、唇を鮮やかに彩る。薄い唇は確かに男のものなのに、艶やかで触れてみたいと手を伸ばしたくなる。
 ジャズのリズムに合わせ、宝石で彩られたラグを踏み締め、正面を向いて、一歩一歩近寄ってくる。男の剥き出しになった左の濃墨色の瞳から目が逸らせない。決して派手な色ではないのに、強い意志を秘めた、獰猛なそれは他の追随を許さない。男の色香に胸を鷲掴みにされる。白い仮面を剥ぎ取り、噛み付くようにキスをして襲ってほしい。そう思えるほど挑発的な瞳は、危うい空気を纏っている。
 そして男は最後に真っ赤に染まった唇で、うっすらと何かを呟いて、微笑む。今までの雰囲気とは一転、柔らかな、羽のような笑み。次の瞬間には男は消え、ラグの上には銀色の筒に黒で装飾された口紅が一つ。
 最後に、艶っぽい男の声で、
「Crazy about you」
 そう言い、化粧品メーカーのロゴが画面に表示され、十五秒の宣伝は幕を閉じた。



「っていう宣伝なんですけどね、これがすっごい女性にウケてるらしくて」
「うおおおぱっつぁんんんん!! よく分からないけど私ドキドキしてきたアル!! 顔が熱くて死にそうヨ!! なにこれ! やだこれ!!」
「えええ!! 神楽ちゃんにも効果覿面なの!? これマジで凄いですよ、銀さん!!」
「つーか、テメーらうるっせぇよ!! 一応客の前なんだからシャンとしとけ!!」
「鼻ほじりながら顔真っ赤にしてる人に言われたくないわァァァ!! なんで銀さんまで照れてるんですか!!」
「知るかよ!! 俺が聞きたいっつうの!! なんか知らねぇけどついうっかり銀さんの銀さんが元気にフベラァァアア!!!!」
「女性の前で言わせるかァァァァ!!」
 神楽の蹴りで飛んで行った銀時が壁にぶち当たって崩れ落ちる。それでようやく静かになった万事屋の居間で、十代の女性が二人縮こまっている。どうしよう、なんかヤバいところに来ちゃった。そう顔に書いてある。
すっかり埃っぽくなってしまった空気を振り払うように新八が咳払いし、それでと続ける。
「お二人の依頼内容は、この男性が誰かを突き止めてほしいということですね?」
「は、はいっ! 自分たちでも一通り調べてみたんですけど、メーカーさんも絶対に秘密だって言って教えてくれないし。ネットでも誰なのか探せっていう書き込みが多数あるんですけど、まだ誰も正体に辿り着けてなくて…」
 もじもじと体を寄せ合う依頼人二人は、気恥ずかしそうに頬を染めている。
「でもまぁうちは探偵事務所じゃねーから、あんま深くは探れないけど、それでもいいの?」
 そこでようやく床から復活した銀時が大量の血を流しながら、二人に問う。それでもいいと頷く。彼女たちなりに本気のようだ。
 じゃあまぁいいかと銀時は依頼人に頼んでネットで出回っている情報を見せてもらう。ついでに化粧品メーカーの住所と電話番号も紙に書く。
「じゃあなんか分かり次第逐一報告するけど、あんま期待はしねぇでくれ。こういう所にコネもねぇしな」
 連絡先を交換して、その日は帰ってもらった。
 三人きりになった居間で、もう一度その宣伝が流れた。見れば見るほど美しい顔をしている男だ。宝石を拾う所作も、笑う表情も、一部の隙もない。神楽は余程気に入ったのか、宣伝が流れている十五秒は静かだ。テレビの中の男を眺める横顔は恋する乙女のそれによく似ている。手塩にかけた娘がよく分からん男に攫われるのは嫌で、なんでこんなイケメンを調査しなくちゃなんねぇんだよと悪態を吐いてみるも、煩いネと一蹴された。
「まぁ僕的にはアイドルとか俳優さんとかの個人情報を調べて流すっていうのは抵抗ありますけどね」
 銀時の意見に、少しだけ乗っかってきたのは新八だ。
「お通ちゃんの家調べてくださいって依頼されても断りますからね。あの依頼人さんもそこまでは望んでないらしいですけど…何を切っ掛けにプライベートが荒らされるか分かったもんじゃないですから、そこは気を付けないと」
 でも、と続く。
「もし正体が分かったとして、この男の人に会えたとして。サインを貰っておけば、この人が売れた時に一気に価値が上がりますよ。証拠に写真も撮っておけば完璧です。ちなみに今月の食費はとっくに空っぽなので、明日からは豆パン生活ですからね」
「よっしゃあ! さっさとコイツ見つけ出して手ェ千切れるまでサイン書かすぞコラァアアア!!」
「ついでに身包みも剥がして全部売ってしまうヨロシ!! 卵かけご飯食べたいアル!!」
 こうして三人分の生活費が掛かった邪な人探しの幕が開けた。



 依頼人によれば、男のプロフィールで分かっていることは、成人男性ということだけ。それ以外は何も答えられません、というのが化粧品メーカーからの回答だったそうだ。一応、銀時も電話を掛けてみたが機械が喋っているのかと思うくらい「お答えできません」のオンパレードだった。
 電話では駄目だと、直接本社まで行って、企画担当の女性を捕まえてみたが警備員を呼ばれて走って逃げた。逃げる途中で見つけたお高そうな車に落書きでもしてやり返してやろうかと思ったが新八に殴られたでの渋々止めた。
 それ以外にも撮影をしたスタジオ、カメラマン、アシスタントにも突撃したが結果は惨敗。どれだけ厳しい箝口令が敷かれているのか。最終的には出禁扱いとなり、すごすごと万事屋まで帰ってきた。「もう一度ちゃんと宣伝見ますか。なんかヒントになりそうなものがあるかも」
 新八の提案で、テレビをつけて宣伝が流れるのを待った。流れたらそれをビデオに録画して、延々と流し続ける。
 最初は照れていた神楽も流石に点けっぱなしとなると飽きたのか、次第に鼻をほじりながら見るようになった。新八が入れてくれたお茶を三杯ほど飲んだ後、三人で意見交換会。
 分かったことといえば、ただの一般人ではなさそうだということ。
 シャツを羽織っただけで露出している肌の一部分、そこには確かに引き攣っているところがある。ある程度は隠しているだろうが、注意深く筋肉や皮膚の動きを見続けていれば分かる。きっと隠れている肩や、足にも傷があるだろう。あの引き攣り方は、ちょっとした怪我なんて生易しいモノじゃない。斬った張ったの真剣勝負で出来た刀傷。
そうなれば男の体付きにも納得がいく。綺麗な、苦労をしてなさそうな顔の割にタコがある指だとか、腰を落として刀を抜くことが多いので発達した太腿とか、侍ならば誰しもあるものだ。
「…あとは……」
 あの、濃墨色の挑発的な瞳。
 見つめられるだけで、ゾクゾクと電流が背中を走っていくような、そんな感覚を引き起こすあの瞳。
あれは、何処かで、見たことがある。全く思い出せないけれど。
 言いかけてうんうん唸り出した銀時に二人が声を掛けるが、結局答えは出ないまま、その日はお開きとなった。



◆ ◇ ◆



 宣伝が公開されてから二週間が経ったが、万事屋は一向に男の尻尾を掴めないままでいた。
 それもそのはず。本業である探偵や記者たちが全力を挙げても見つからないのだ。しかしそれが逆に功を奏して、ワイドショーでは毎日持ちきりの話題となっている。実は某有名な俳優じゃないかとか、某有名モデルじゃないかとお祭り騒ぎだ。その中にはあの高天原の本城狂死郎の名前も出たそうだが、すぐに本人が否定した。ほかの名前が挙がった男性有名人もすぐに否定している。狂死郎は、もし自分があの宣伝を取ったのならば最高傑作が出来たよと大手を振って触れ回っているさ、とインタビュアーに対し笑っていた。
 二週間何の成果も上げられないことに飽き飽きしてきた銀時は、薄い財布は机の引き出しに入れたまま、団子屋で一服する。いつもは美味しい団子は、どこか味気ない。ふぅ、と溜め息を吐いて、視線を巡らせる。
 今日も黒い制服をかっちりと着込んだ彼は見当たらない。
 依頼を受けて二週間、ということは、土方と最後に飲んでから一か月半経ったことになる。その間彼を見かける事は無かったので、ベロベロに酔っぱらった彼を屯所に送り届けたあの背中が最後だ。最近はテレビで真選組のことをやっていないので、大きな物捕りはないのだろうが、いつも忙しくしている男の事だ。今日も何処かで刀を振り回して怒鳴っているか、大きな隈をこさえて書類と格闘しているだろう。多分、あの地味な監察に八つ当たりにも似た暴力を振るいながら。
 手に取る様に想像できる彼の姿に、ふっと笑みを零す。
会いたいと素直に思った。誰かの代わりでも、なんでもいい。会って、声を聞いて、喧嘩して、酒を飲みたい。女のように優しく柔らかく包み込んであげることは出来ないけれど、肩を並べて話を聞くぐらいは自分にだって出来るから。
 そこまで考えて、ふっと別の通りから現れた黒い制服に心が浮上して、急降下する。思わず溜め息も出た。
「旦那ァ。人の顔見て溜め息吐くなんざ非常識じゃありやせんかィ?」
「違うからね総一郎くん。別に銀さん溜め息吐いたわけじゃなくて、深く息を吐いただけだからね」
「総悟です、旦那。どうしたんですかィ。いつも以上に目が死んでますぜィ」
「あー……」
 あなたの上司に会いたくて会いたくて震えている最中です、とは言えずに銀時は目を逸らして顔を掻く。沖田は聞いておいてそこまで興味がないのか、隣に座って団子を注文している。仕事は相変わらずサボっているようだ。
「今抱えてる依頼があんま上手く言ってねぇのよ」
「白っぽい毛の不細工な猫ならそこの裏通りで寝てやしたぜィ」
「いやいつもいつも猫探してるわけじゃないからね。今回は人探し。あ、総一郎くん、なんか芸能界デビューとかして口紅の宣伝とか出てない?」
「総悟です。旦那もあのヤローに振り回されてるんですかィ」
「え、旦那もって?」
「うちもかなり迷惑被ってるんでさァ……」
 団子屋の親仁が持ってきてくれた団子を一つ口に運んで、沖田が続ける。
「あの宣伝を見た雌豚共が何をとち狂ったか、真選組に電話掛けてくるんでさァ。あのヤローは生き別れた兄だ、弟だって」
「わーお。なかなか過激ぃ」
「お陰で二十四時間電話は鳴りっぱなし。かと言って電話を取らない訳にもいかない。もしかしたらどっかの攘夷浪士に対するタレコミかもしれやせんからねィ。でも取ったら九割九分で発情した雌豚の話を聞かされる。うちの電話番もすっかりやられちまってまさァ」
 食べ終わった串を皿に放って、新しいものに手を伸ばす。銀時もつられて自分の皿に手を伸ばすが、既に空。よそ見している沖田にバレない様に一串くすねる。
「でもおたくの副長さん辺りがそんな状況を見逃してるとは思えないんだけど?」
「放送半日でブチ切れて電話ごとたたっ斬ろうとして近藤さんと山崎が必死で止めてましたぜィ」
「ですよねぇー。どうせその後ジミーくんが殴られてたんでしょ」
「惜しいですねィ。蹴り飛ばされた挙句ミントンのラケットへし折られてやした」
 どうやら先程まで考えていたことはほぼ正解だったようだ。
 真選組としてはこれ以上業務を妨害されるわけにもいかないので、本日副長直々に化粧品メーカーにクレームと対応をお願いしに行っているらしい。他の警察関係者からもクレームが来ているらしいので、これは近いうちに化粧品メーカーが声明を発表するかもしれない。
「そうなりゃ万事屋もお役御免かもしれねぇなぁ」
 隠しているから知りたくなって電話が殺到する。ならばあの男の素性を公開するだろう。どうせ俳優志望とかモデル志望の人間を使っているだろうから、そのまま華々しくデビューして、すぐに他の宣伝やドラマにも引っ張りだこになる。そうすれば今現在騒いでいる女性たちは納得して落ち着く筈だ。
 こりゃあ依頼料もあんま取れねぇな。なんて考えていると沖田が立ち上がって親仁にツケをお願いしている。勿論ツケの宛先は真選組副長。銀時もそれに便乗すれば、はいはい副長さんも大変だねぇと親仁の呆れた声が聞こえる。
 そのまま仕事に戻るらしい沖田が、あっと声を上げ、
「ちなみに土方さんあと二週間は内勤で、接待も入ってるんで、しばらく見廻りには現れやせんぜィ」
 振り返って、それだけ言って去っていく。その顔は新しい玩具を見つけた時の子供の顔をよく似ていて。
 返事は出来ぬまま、銀時は乾いた笑いを零した。これは一体、どこまでバレてんのかねぇ。沖田には聞けぬまま、銀時は帰路に着いた。



 沖田と話をした二日後。とうとう化粧品メーカーから出演している男について会見があった。
 銀時の予想は外れ、驚いたことに彼はただの一般人だっだ。
 あの口紅を担当しているチーフプロデューサーの個人的な知り合いだそうで。プロフィールの一切を隠していたのは彼には彼の生活があって、行くべき道があるからとの事だった。これを切っ掛けにデビューする事は無いし、思った以上に良くも悪くも反響があったので宣伝は打ち切りになることが次いで発表された。日付が変わると同時に削除され、彼はただの一般人に戻り、存在を消していくそうだ。
 この発表後、ネットでは大騒ぎになったらしいが、ネット環境がない万事屋には関係のないことだ。
会見が終わると同時に黒電話が鳴り、件の少女達から依頼の中止を告げられた。特になんの成果も上げられなかったので依頼料はいらないと突っぱねたが、少女達は頑なに払うと引かなかったので、有難く当初の半分だけ頂戴することにした。

こうして江戸中を騒がせた謎の男は十六日という短い時間でテレビから姿を消した。



◆ ◇ ◆



 すっかりいつも通りとなったかぶき町を闊歩すれば、黒塗りの車が銀時の横を滑る様に走って行く。何気なく見たその車は何処かで見たことがあるようなナンバーだったが、あんな車に乗っているのは碌な知り合いではないなと結論付けて気にすることなくパチンコ屋へと向かう。神楽がお妙と出かけると言うので優雅にパチンコをして、そのまま飲み歩く予定だ。そうすれば、何処かで土方に会えるかもしれないと期待していた。今日は、沖田が団子屋で話していた、土方の内勤が終わる日なのだ。
 すると、前方の交差点で信号待ちしていた先程の黒い車から、一人降りてきた。銀時とは反対側の歩道に降りたその人は、二、三言葉を交わして車を見送り、振り返った。まさかと思ったその黒い制服に心臓が跳ねて、振り返られて心臓が止まりそうになった。
「ひじかたっ!」
 そこからはもう必死だった。まだ遠い土方の名前を大声で呼んで、信号が赤の横断歩道に飛び出した。幸い車が来ていなかったので何事もなく通れ、土方を捕まえるべく駆け寄った。
「お前馬鹿だろう。今、赤だったぞ」
 車を降りたところから動いていない土方は走って息を切らす銀時とは違い、のんびりと煙草に火を点け紫煙を吐いた。
「道路交通法違反で逮捕されてーのか」
 する気もない癖に、ニヤリと口角を上げる土方は、何処か楽しそうだ。逮捕は勘弁してくださいと首を振って、久しぶりと言葉を掛ける。
「二か月も見てなかったから流石に銀さん心配してたわ」
「心配? お前が? 俺のこと?」
「そりゃするでしょうが! これでも結構仲良くなったと思ってんの。だから沖田くんからずっと缶詰状態だって聞いて、大丈夫かなーくらい思うでしょうよ」
「へぇ。お前がねぇ。…こりゃ明日は大雪だな。山崎にコート出させるか」
「うっわ、滅茶苦茶失礼だぞオメー! つーか煙吹きかけんな! けむい!」
 土方は胸いっぱいに吸い込んだ煙を全部銀時に吹きかけて、反応を見てはクツクツと笑っている。どうやら本格的に機嫌が良いらしい。だから銀時は少しの期待を込めて、これからの予定を聞く。この後ってまだ仕事? と。すれば、返ってきた言葉はノーで、更に明日も休みだという。
 だから、と土方が続ける。
「テメーの所に行こうと思ってた。暇なら飲みに誘おうって。そしたらブラブラ歩いてんのが見えたから、思わず車降りたんだよ。貰いもんで悪いが手土産もあるしな」
 掲げられたのは白い箱。印字されているのは某高級有名菓子店のものだ。思わずガッツポーズをして箱に飛びついた。じゃあさ、と今度は銀時。
「うちにおいでよ。神楽も新八もいねぇし。ケーキのお礼に飯作ってやるよ」
「助かる」
 呼応するように、土方の腹がぐうと鳴った。



 土方とともに帰宅し、風呂に入りたいと言う彼のために湯を張った。先程まで会合だったらしく、色んな匂いが染みついている気がして嫌だと顔を歪めていた。自分の着物と新品の下着を土方に渡して風呂へと送り出す。その間に銀時は冷蔵庫と相談して献立を決め、調理に取り掛かる。ついでに自分も食べてしまおうと分量は二人分。
 二か月前に会った時よりも、顔が疲れて血色が悪かったので、生姜をふんだんに使った生姜焼きと、胃に優しいキャベツの千切り。白菜と榎としめじを入れた味噌汁に、貰い物の漬物。まだ時間がありそうなので出汁巻き卵も追加して、彩りで胡瓜とミニトマトも用意した。
買い物したばかりで助かったと胸を撫で下ろし、風呂から上がるタイミングを見計らって机に並べる。勿論、マヨネーズも準備済み。
 風呂から上がった土方が自分の着物を着ているというだけで色々暴走しそうになったが、なんとか堪えて二人で食事をする。余程腹が減っていたのか、生姜焼きにマヨネーズをかけるや否や、猛スピードで食べ始め、キャベツの千切り一本すら残さずに綺麗に平らげた。あまりに気持ちのいい食べっぷりに銀時も満足だ。
 片付けはすると申し出た土方を寝室に案内して、いいから寝てなさいと布団の中に突っ込んだ。何せ凄い隈なのだ。風呂に入って、食事をして、血行が良くなっても薄くならないということは単純に睡眠不足だろう。
「万年床の煎餅布団で悪いけど、でも干したばっかりだから臭くねぇ筈だし。ちょっとでも寝てろ。携帯鳴ったら起こしてやるから」
 そこまで言えば土方も素直に頷いた。きちんと肩まで布団を被ったのを確認して、部屋を出る。そして洗い物を済ませ、我慢できなかったのでケーキを一つ頂戴して美味さに悶絶した。きっと土方だけの分ではなく、幹部クラスの皆さんにということなのだろう。ケーキはまだまだ残っている。もう一つ食べるか悩んで、止めて、冷蔵庫に仕舞った。幸せは小出しに味わおう。
 さて、土方が起きるまで寝転がってジャンプでも、と手を伸ばして、いやちょっと待てと飛び起きた。
 土方を癒すことに必死で気付かなかったが、風呂上がりの想い人が自分の布団で眠っているというこの状況、これは絶好のチャンスではなかろうか。
今までは居酒屋で飲んでいたので手を出しにくい状況だった。それが今は自分の家で、しかも二人きり。そういえば神楽はお妙と出かけてそのまま泊まると言っていた。新八だってもう夕方がそこまできているこの時間帯にやってくる事は無いだろう。そして、土方は明日も仕事が休み。つまり今日はゆっくり出来る。
「…………え、もしかして、これって、最高のタイミング?」
 銀時が呟いた瞬間、返事をするように襖の向こうで寝返りを打つ衣擦れの音がする。
 ――…これは、今しかない。
 好きなど言うつもりはない。斬ってて捨てられるのが目に見えているから。付き合えるとも思っていない。他に女がいるのは分かっているから。
自分は都合のいい飲み相手。友人。それでもいいから傍に居たいと思っていたのは嘘じゃない。
 けれど。少しくらい。寝ている間くらい、こっそりとあの男に触っても、いいだろうか。
 意を決して、そろそろと襖を開ける。夢の中へと旅立っている土方は左手を下にして横向きで眠っている。暑かったのか布団を抱え込んで、足で挟んでいるので、着物が捲れ上がった滑らかな太腿が露わになっていた。思わず股座を抑えてしまうほどの眩しい光景に腰が引けて居間へと戻りたくなるがなんとか堪え、傍へ寄る。
土方と向かい合うようにして畳に寝転がり、くうくうと寝息を立てる穏やかな寝顔を余すところなく見つめる。寝顔を見るのは初めてだ。
 サラサラと流れて額を隠す前髪はすっかり伸びて、いつものようにV字前髪になっている。仕事中は皺が寄っている眉間も穏やかで、それだけで柔らかい幼い顔つき。少しだけ顔を寄せる。二か月前のようなラメも、甘い香の匂いもない。香るのは我が家のシャンプー。自分がいつも使っているそれ。その事実が物凄く幸せに思えた。じわじわと胸の底が熱くなる。
まるで、自分だけのものになったような感覚。
「ひじかた」
 寝息だけが響く部屋に、情けない自分の声がポツリと零れる。
「そのまま、寝てろよ…」
 ドクドクと心臓が忙しない。伸ばした指先は笑えるくらい震えている。ゆっくりゆっくり伸ばして、頬に触れた。眠っているからか子供のように温かくて、荒れを知らない肌が指に馴染む。頬を掌で包んで、親指の先で隈をなぞる。癒すように優しく、優しく。
 斬り合いや殴り合いではなく、下心と好意を持って顔に触れたのは初めてかもしれない。
 自覚し、意識すれば、心臓は過剰労働で止まってしまいそうになる。土方はまだ起きない。
「土方」
 何だよクソ天パ、と悪態を吐く口からは寝息だけが吐き出されている。
「好きだよ」
 好きだよ。好きだ。大好きなんだ。
 決して綺麗なだけじゃない恋慕の情を、たんまりと四文字に乗せて呟く。坂田銀時の、人生で初めての愛の告白だった。
 一方的で、更に寝ている相手に告げた愛は、吐き出すことでより一層増してしまった。このまま顔を近寄せてキスをして、寝ている彼を汚してしまいたいほどに。しかしそんなことは許されない。自分は友人だから。この位置で納まるんだと決めたのだから。
 だから、最後に頬を一撫でし、布団を掛け直して、部屋から立ち去る。
彼が起きてくるまでジャンプを読んで、起きたらそのまま二人で飲みに出掛ける。そうすれば、いつも通りに戻って、また同居人の少女にヘタレだと呆れられるのだ。
それでいい。そんな日常でいい。
 ――しかし。
「やっと言ったか、クソ天パ」
 どうやら現実は違うらしい。ぱちり、と薄い瞼が持ち上がる。
「ったく、おっせーんだよ。折角人が一生懸命誘惑してんのにいつまでもフラフラしやがって。それ一言言うのに半年かかるってどんだけヘタレなんだよ。何回だってチャンスやっただろうが。つーか俺から飲みに誘った時点で手ェ出して来いよ。毎回毎回アホみたいに酒飲んでベロベロになりやがって。そのくせ屯所まで律義に送りやがって。こっちが狼になるところだったわ。猫被って帰りたくないアピールしてんだから家に連れ帰れよ。その辺のホテルに連れ込めよ。俺の非番を何回無駄にする気だ。あれ土方さんお早いお戻りでって毎度ニヤニヤしながら総悟に揶揄われる俺の身にもなれよ。馬鹿だ馬鹿だとは思っていたがここまでとはな。あ、違ったただの天パか」
「いやいやいやいや! こんだけ喋って結果ただの天パになってるからね!! 天パだから全員ヘタレっていう訳じゃないからね!! っていうかそうじゃなくて! そうじゃなくてぇぇぇ!!」
 土方の両眼は、眠気など一切感じさせない。どうやら狸寝入りだったらしい。
 それよりも銀時は土方が喋った内容のほうが気になるのに、一気に捲し立てられて頭に入ってこない。この男は今一体なにを喋ったのだ。銀時がヘタレで、土方は誘惑していて、ホテルに連れ込んでほしくて、沖田に揶揄われて、挙句結論天パで…?
 ギュルギュル嫌な音を立てながら高速で土方の言葉を理解しようをする脳は、ショート寸前。大爆発を起こしそうだ。
 混乱がピークに達して、頭痛がする頭を抱えて弱々しい声で助けを求める。目の前の事実があまりにも都合が良く、飲み込むことが出来ない。
「ぎ、銀さん混乱してまったく意味が分かんないんですケド……」
「アァン!?」
「ヒィ! ごめんなさい!」
「つまりなァ!」
 土方は乱れた着流しそのままに起き上がって布団を邪魔だと乱暴に蹴飛ばす。情けなく転がったままの銀時の胸倉を掴み掛る。引き摺る様に引っ張られ、視界いっぱいに広がる土方の顔はとんでもなく凶暴に鋭く光る。
「愛してるから抱いてくれっつってんだよ」
 それでも吐き出されるのはほろ苦い紫煙でも罵詈雑言でもなく。卒倒しそうな程に甘く、それでいて強かで美しい愛の言葉。
 乱れた前髪の隙間から見え隠れする挑発的な濃墨色の瞳に射抜かれ、心臓を丸ごと鷲掴みにされたような、そんな衝撃がダイレクトに脳を揺する。
 想い続けた人にそんな風に言われてしまえば、理性や葛藤はもう吹き飛び、本能的に赤く熟れた唇に噛み付いた。そのまま倒れるように押し倒し、着物を乱暴に剥ぎ取っては首筋に噛み付いた。
犬歯に触れた脈拍は、忙しなく鼓動を刻む自分の心臓の音によく似ていた。
(――…そうか。あの瞳は、お前のものだったのか)
 土方の体に溺れる一歩手前。江戸を騒がせた男を思い出し、銀時はこっそりと微笑んだ。



◆ ◇ ◆



「――……で。なんであの宣伝に出てたんだよ」
 散々互いの体を貪り合った後、ぐずぐずに濡れた布団に寝転がって煙草を吸う土方に灰皿を差し出しながら言った。土方は聞かれることが分かっていたのか、大して驚きもせずに「あぁアレな」とフィルターを噛んだ。
「やっぱりテメーは気付いたか。総悟にはバレなかったんだけどなぁ。山崎は微妙だけど」
「まぁ、俺も気付いたのついさっきなんだけどさ。オメーがあんなことするなんて思いもよらなかったし」
 ついでに持ってきたごみ箱に丸めたティッシュと使用済みのコンドームを纏めて放って腰を下ろす。あのティッシュには既に中身が使われたパウチが入っている。パウチの中身はローションで、土方が用意していたものだ。いつ銀時から告白されてもいいように、と隊服の胸ポケットにいつも忍ばせていたらしい。ちなみにコンドームも彼持参のものである。どんだけ飢えてんのと情事の最中に彼を揶揄ったが、聞いただけで射精してしまうかと思うくらい嬉しかった。
「あの口紅を担当しているチーフプロデューサーが、とっつぁんの友人の娘さんなんだと」
「とっつぁん?」
「警察庁長官。ウチのトップ。あのすぐに拳銃打ちまくる奴」
「…あぁ。オールバックの」
「そうそう」
 ――遡ること二ヶ月程前。
 仕事をしていたのにも関わらず急遽、警察庁長官である松平に呼び出され、無理やり休みを捩じ込んで訪ねると、チーフプロデューサー直々に出演を頼み込まれたのだと言う。
本来はきちんと契約をしたモデルが出演する予定だったのだが、流行の兆しを見せ始めたインフルエンザに侵されてしまったそうだ。かと言って、病状が良くなるのを待っていられるほどの時間はなかった。抑えてあるスタジオもカメラマンも全てその日限りのものだったのだ。
半分泣きながら頭を下げる女性と、拳銃を土方の眉間に押し付ける上司を前に土方は、頼むから俺だということは公表しないでくれよと条件を付けて頷く以外ほかなかった。
 元々、ひたすら練習に打ち込んで体に動きを覚えさせることを性分としている土方は、スタジオに着いてすぐにカメラが回っている間の動きを事細かく決めてもらい、時間をかけて体に覚え込ませた。指の動き、足の運び、視線、すべてを頭と体に叩き込んで、あとは剣を振るう時と同じように一挙手一投足に魂を込めて演じる。生半可な仕事はしたくない。勿論撮影は一発で成功。
 結果。スタジオにいたスタッフ全員が土方の魂と色香に魅せられてファンになったことで連帯感が生まれ、誰一人として裏切ることなく土方の秘密が守られたのである。
「でもなんでそのチーフプロデューサーがお前ご指名なの。他にも役者いんだろ」
「元々俺のファンだったらしい。で、あの宣伝も俺をモデルに原案を作ったらしくてな。もう思い浮かぶのが土方さん以外いないんですって泣き付かれた」
「っかー! これだから無駄に顔が良い男は! 生きてるだけでファンがつくってどんな人生だよ!」
「まぁそう拗ねるな。来世ではいいことあるだろうよ」
 するりと土方の手が伸びて、胡坐をかく銀時の内太腿を撫でる。ゾクリ、と腰が震えた。
 下着を履いている銀時とは違い、土方はまだ裸のままうつ伏せで寝転がっており、暑いと言って布団すら被っていない。言うなれば、傷一つない綺麗な背中と、引き締まった尻が丸見えなのだ。誘うような素振りをしないで頂きたい。うっかり反応しそうになる。二度もコンドームの中に精を吐き出したというのに、欲望は天井知らずだ。
「こら、やめなさい」
 楽しそうにちょっかいを出す土方の右手を摘まんで投げる。
「なんでだよ」
 煙草を灰皿に潰して銀時の枕に顔を埋めながらニヤニヤ笑う顔は確信犯。分かっているくせに性質悪ィと銀時が嘆けば、誘ってんだよと眦を眇める。
「まだ聞きたいことがあんだよっ」
「何だよ。早くしろ」
「撮影が二ヶ月前ってことは、その、この前飲んだ時…」
「あぁ、あの日が撮影だった。お礼で芋焼酎貰って、整髪剤落とすついでに髪切ってくれるっつーから切ってもらった。傷とか隈を隠すのに化粧されたけどなかなか落ちなくて苛ついた。帰るときにはなんか居た堪れなくなって酒が飲みたくて急遽テメーを呼んだ」
 土方に言われて絡まっていた糸が解けていく。あの日の甘い香の匂いは、化粧品やスタッフの誰かの香水の残り香で、頬に着いたラメは隈隠しの化粧。
 ついでに言えば、今日見た黒塗りの車も思い出した。あれは化粧品メーカーに聞き込みに行ったときに落書きしようとした車だ。土方が手土産と渡してきた某高級菓子店は確かあの化粧品メーカーの傘下に入っていたはず。
 全部、あの宣伝に関連すること。全部、銀時の杞憂。
そこまで思考が行きついて、ホッと胸を撫で下ろした。最初から自分は、誰かの代わりではなかったのだ。
「どうせ俺が他に女作ってると思ってたんだろ」
 濃墨色が責めるようにギラリと光る。銀時はうっと言葉に詰まって、一拍置いて素直に頷いた。
「…もう一つ、教えてやる」
 ごろん、と土方が寝返りを打つ。刀傷や火傷に擦過傷、それから銀時がつけたばっかりの噛み跡と鬱血痕。下腹部には互いの体液の痕を残した体を恥ずかしげもなく晒して、銀時を手招いた。覆いかぶさるようにして土方と肌を合わせる。左耳に流れ込む土方の呼吸すら愛しい。
「あれ、ちょっとだけ口パクで喋ってるの、気付いたか」
「あぁ。二文字だろ? 口を読もうとしたんだけど、結構誤魔化してるだろ」
「当然だろうが。山崎に勘付かれる。しかも二文字じゃねぇ」
「じゃあ何て言ってんの」
 顔を首筋から離して真正面から見つめ合う。
「テメーの名前」
 ぎんとき。クレイジーアバウトユー。
「ち、ちなみに、どういう意味…」
 銀時には異国語など分からないが、なんかとんでもないことを言われているような気がする、と心臓が慌ただしくなる。恥ずかしくて逃げ出したいような、そんな座りの悪さに気付いたのか、土方は銀時の頬を両手で包み込んだ。ほぼ同じ位置にある濃墨色の瞳が石榴色の瞳を絡め取って離さない。
「お前に首ったけ」
 ――……あぁ、もう、やられた。
 にんまりと弧を描く唇は、紅を塗っていないのに赤く濡れているように見える。まるで目の前であの宣伝を再現されているようだ。画面越しでも欲情したというのに、目の前でされては溜まったもんじゃない。
 一気に硬度を増したペニスを下着越しに土方のものに擦り付けた。
「たまんねぇな、オメー」
「だからさっきから言ってんだろ。誘ってるって」
「一回や二回じゃすまねぇからな!」
「心配しなくても明日も休みだ。よっぽどのことがない限り携帯が鳴ることもあるめぇよ」
 だから、ほら、はやく、生でいいから。
そんな風に銀時の耳へと直接誘惑を捩じ込んで、裸の足を銀時の腰に絡めてくる。答えるように早急に下着を脱いでまだ柔らかいアヌスに欲望を突き立てた。
「ア、アァッ…!」
 痛みではなく快楽に溺れた声で啼いて。本能的に逃げようと上にズレる土方をそうはいくかと抱き締めた。
そのまま襞を強制的に押し退け最奥まで貫けば、悲鳴のような嬌声を上げて体を反らす土方の無防備な喉を噛む。
「ッ、俺だって…! ずっと前から、オメーに夢中だっての!」
負けじと吠えれば、土方の顔が泣きそうに歪んで、頬も鼻も真っ赤に染めて、うんと答えてくれた。
 それがどうしようもなく愛しくて、胸の奥がくすぐったくて。きっと一生コイツには敵わないだろうなと確信した。

 でもそれも悪くない。夢中になった者同士、夢中で愛を紡いでいくとしよう。

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