雨宿りが終わったら

「神楽が落ち込んでる?」
 万事屋の狭い台所に男二人が肩を並べていればそれなりに圧迫感を感じる。料理の間は邪魔だから出て行けと言いたいところだが、今日はちょっと諸事情があって強くは言えない。やりたいようにやらせておく。
「そ。だからこの前食べたいって言ってたコレ作ってやろうと思ってさ」
 銀時が大きな牛肉の塊にブラックペッパーとハーブソルトをこれでもかと塗りたくっていく様子を覗き込む土方。その動きは少し覚束ない。腰を庇うように左手を添えている。
「なんだよこれ」
「ローストビーフ」
「えっ、待てよ。あれって家で作れるもんなのか?」
「意外と作るの楽だぜ。出来上がったら山盛りの丼にして食いたいんだと」
 この前テレビでやっていたのを見て食べたいと頻りに騒いでいた。その時は、うちにあの肉を買うお金なんてありませんと突っぱねたのだが、ここ二、三日落ち込んでいる神楽の背中を見てしまって、思わず土方に頼み込んだのだ。高給取りで、中身も外見も男前な超ハイスペック彼氏は二つ返事で買ってきてくれた。向こう半年は頭が上がらない。
 下拵えが済んだ肉の塊を熱々に熱しているフライパンへ投入。ジュウ、と肉が焼けていく音と匂いが一気に広がる。焦がさない様にトングで肉を転がして、全面にいい焼き色がついたところで引き上げる。手早くアルミホイルで包んで準備完了。
「で、なんで落ち込んでるんだ?」
「さぁ。なんか友達がどうのこうの言ってたけど最終的にはぐらかされて終わった」
「ちゃんと聞いてやれよ」
「だってさー。聞いたところであんまちゃんと言ってくれねぇし」
「あの年頃は難しいんだから、ちゃんと構ってやんねぇと総悟みたいに命狙ってくるぞ」
「いやおたくの総一郎くんは別格だからね」
「総悟な」
 話ながらもう一つの肉にも火を通していく。買ってきてくれた肉は全部で四つ。「これで足りるのか? 足りなければ買ってくるぞ」なんてなんでもない風に言えるお財布事情が羨ましい。これ以外にもお菓子やらジュースやら、日用品やら、両手にこれでもかとビニール袋を提げて来てくれた。一体今日だけで幾ら万事屋に投資したというのか。怖くて聞けない。
 それに、
「じゃあ俺帰るわ」
 この男はローストビーフが出来上がったところで一枚も食べられない。
「ううー…あと一時間もありゃあ出来るのに」
「一時間は待ってやれねぇなぁ。食堂でなんか食うから心配すんな。それに俺の分なんて言うならガキに食わせてやれ」
「こんな事なら来て早々ヤらねぇで飯作ればよかったな」
 土方は本日、午前は有給を使ってお休み。しかし、午後は会議があるので警察庁へ行かないといけないらしい。お金を使わせるだけ使わせておいて、昼ご飯すら用意する間がなかった。流石の銀時でも気が引ける。しゅんと肩を落とした。
「テメーまで落ち込んでどうすんだ。俺だってヤりたかったんだから同罪だろ」
 気持ち良かったからそれでいい。言いながら銀時の背中を叩く。せめて見送ると言ってみたが、火ィ使ってんだからそこに居ろと言われてしまう。
「じゃあまた連絡する」
 軽いキスをして、土方は帰っていった。
 銀時は土方の心遣いを無駄にしないよう。出来るだけ美味しく作ろうと気合を入れ直した。



「いらないアル」
 プイッと顔を背けられて、ピキリと銀時の血管が浮き上がる。
「か、神楽ちゃん? 折角銀さんが作ってくれたんだし、ちょっとくらい食べようよ…」
 銀時の怒りをいち早く察知した新八が慌ててフォローに入る。これまた銀時お手製のグレイビーソースがたっぷりかかったローストビーフを一枚箸で取って口に入れる。
「んー! すごく美味しい! 銀さん凄いですね、プロ並みですよ!」
「……お、おう、ぱっつぁん、ありがとよ……」
「ぎっ、銀さん、堪えて、堪えて…!」
「わ、わかってらァ…」
 怒りでプルプル震えている肩を新八が一生懸命宥める。勿論美味しいのは嘘ではない。一枚口にしただけの新八の口腔内はすっかり次を求めて唾液で充満しているし、出来ることなら早く頂点に盛られている温泉卵を潰してご飯とセットで食べたい。神楽がいくらおかわりしてもいいようにとテーブルの上には丼以外に大皿でこれでもかと用意されている。ご飯だってお登勢に炊飯器を借りて、自分の家のものと二台で炊いた。
 全部、神楽の為だ。落ち込んでいる神楽がまたいつものように笑ってくれるようにと。
 なのに。
「いらないアル!」
 これの一点張りだ。すっかり丼は冷めてしまった。艶々だったローストビーフは乾燥し始めている。
 新八がいくらフォローをしてくれたところで神楽は一向に食べようとしないし、見もしない。腕を組んでそっぽを向いたままだ。銀時の怒りのバロメーターはとっくに限界点を突破している。それでも怒鳴らないのは土方の想いまで無駄にしたくないから。新八も同じように我慢して気を利かせてくれているから。お登勢だって、神楽の様子が気になっていたんだと案じてくれていたから。
だから我慢、と呟いて、フーッと息を吐く。ずっと力んでいる顎が震える。
「神楽ちゃん、いい加減にしないと僕も怒るよ? 神楽ちゃんのためにって銀さんも時間かけて作ってくれて、土方さんだって沢山買ってきてくれて…」
「煩いアル。童貞は黙ってろヨ」
「いや今童貞関係ねぇだろうがァァ!!」
「とにかく! 私は食べないアル! こんなもの作ってくれだなんて頼んだ覚えはないアル!」
「神楽ちゃん!」
 勢いよく立ち上がってそう叫んだ神楽に、とうとう銀時の我慢の限界の限界がやって来た。新八が何かを言うより早く銀時が机を両手で叩いた。バァンと大きな音が万事屋に響く。
「人が黙ってりゃあ、いい加減にしろよ神楽ァァ!」
「なにアルか、私は間違えたこと言ってないネ。私が食べたいって言ったのはテレビでやってたデパ地下の超高級なやつアル。銀ちゃんの手作りなんかじゃないネ!」
「ちょっ、神楽ちゃん!」
「鼻垂らしたガキにゃあ分かんねぇかもしれねぇがな、これは世間知らずの土方が高級肉店で買ってきたたっかい肉なんだよ。そのデパ地下も真っ青なくらいの金額のやつなんだよ!」
「じゃあ作り手の腕が悪いアル! こんなしみったれたローストビーフは食べないアル!」
 神楽の言葉に銀時も立ち上がって応戦する。一気にヒートアップしてきた口喧嘩に新八が間に入ろうとしても押しのけられてしまう。口喧嘩はだんだんと派生して、足が臭いだの鼾が煩いだの、もうローストビーフは関係なくなってきてしまっている。
あぁもうと新八が頭を抱え、いっそのこと僕一人で全部食べてしまおうかなんて考えていれば、神楽の言葉でギスギスした空気が更に悪化する。
「大体銀ちゃんは二言目にはトシトシって、男同士なんて結局未来もないのに馬鹿みたいアル!!」
「ッ、神楽ちゃんそんな言い方……!!」
 ――パチン。
 その小さな音で万事屋は静かになった。神楽も新八も驚きのあまり目を丸くしたまま、息も忘れて固まっている。
「神楽」
 抑揚なく、名前を呼んだのは銀時である。
「俺をどうこう言うのは構わねぇ。でも土方にまで八つ当たりするのはお門違いってもんだ」
 そして、神楽の右頬を平手で叩いたのも銀時である。
じわじわと頬が赤くなっていく。いくら戦闘民族の夜兎と言え、叩かれれば痛いし、腫れもする。神楽はそろそろと手を動かして、叩かれた箇所を自分の手で押さえた。
「ちゃんと謝れ」
 声が冷たい。銀時の纏うオーラが冷たい。
 それでも意地っ張りな心が素直になることはなく、神楽は銀時をキッと睨み付けた。
「謝らないアル。だって本当のことヨ。こっちの気持ちも知らないで、そんなにトシと一緒にいたいならずっとここでイチャイチャしてたらいいアル」
「そうかい。拗ねて不貞腐れて勝手に落ち込んでる奴の気持ちなんざ分かりたくもねぇ。嫌なら好きにすればいいだろ」
「あぁそうするアル! こんなイカ臭い家なんてこっちからお断りヨ!!」
 大声でそう怒鳴り、神楽はそのまま玄関へと走っていく。乱暴に戸が開く音がし、すぐにピシャンと閉められた。二人の口論に呑まれていた新八と定春が後を追おうとした瞬間、銀時に止められる。
「行くんじゃねぇ。アイツが自分で出て行くって言ったんだ」
「それは銀さんが好きにすればなんて言うからでしょう!?」
「無理矢理出て行かせた訳じゃねぇよ」
 俺ももう寝るわ。そう言って銀時は結局一口もその丼を食べないまま寝室へと行ってしまった。残された新八も、一人では食べる気がしなくて台所からラップを持ってきて封をした。
「……折角、美味しかったのにな」
 ラップの上からローストビーフに触れる。
美味しかった。本当に美味しかったのだ。だからこそ三人で笑って食べたかった。取り合いをしながら騒がしく食べたかった。そうすればもっともっと美味しくて、きっと神楽の悩み事も吹き飛んでいただろう。新八は冷え切っていく万事屋のリビングでふぅと溜め息を吐いた。

 ――…外では雨が降り始めていた。



◆ ◇ ◆



 万事屋を飛び出して、一時間もしない間に振ってきた雨に打たれた神楽の体は急速に冷えていく。民家の軒下に入って雨宿りするも暖が取れるわけではない。必死に両腕を自分で擦ってみたが効果はなかった。
「……傘くらい、持ってくればよかったアル…」
 怒りに任せて飛び出してきたから傘はなく、お金もない。たまたまズボンのポケットに入っていた酢昆布は一瞬で食べ終わってしまった。腹の足しにもならない。
 今は二十時を過ぎた所。こんな遅くに友達の家にもお邪魔できない。ましてや江戸城に行って泣き付くわけにもいかない。行く当てはもうなくただ途方に暮れていた。下を向けば、濡れた前髪から雫が落ちた。こんな時にも泣けない自分は本当に可愛げのない女だと心底思う。
「銀ちゃん…怒ってたなぁ…」
 当たり前である。時間をかけて作ってくれたご飯をいらないと突っぱね、文句を言い、挙句彼が大事にしている恋人の悪口まで言ってしまった。
 あんなこと言うつもりなどなかった。ただここ最近ずっと自分の機嫌が悪いだけで。その機嫌の直し方が自分でも分からないだけで。あんな風に思ったことなど一度たりともない。
 あの二人は先があろうとなかろうと、ただ好きだから手を取り合って生きているだけである。分かっている、分かっているのだ。
 ――…でも一度口にしてしまった言葉は二度と飲み込めない。
「…さむい……」
 とうとう神楽は座り込んでしまった。足を抱えて、額を膝にすり寄せる。はぁと吐く自分の息が冷たい。時折通る通行人の視線も冷たい。嫌になる。
 その時。
「お嬢さん」
 何かに頭のてっぺんからすっぽりと包まれた。人の温もりがまだ色濃く残るそれは、よく知った煙草と、少しだけ血の匂いがした。
「こんな夜道で、一人でいたら襲われちまうぞ」
「……その時は返り討ちにしてやるアル」
 声で誰かは分かったけれど顔は上げられない。最悪だ。今一番会いたくない人。
「そうか」
 脇を掴まれたと思ったら一気に持ち上げられた。思わず、うわぁっと悲鳴を上げる。開けた視界に広がるのは、やはり隊服姿の土方十四郎だった。
「今夜は寝首を掻かれねぇようにしねぇと」
 ちょっと濡れるが我慢しろよ、と声を掛けられた。何も考えずに思わず頷けば、そのまま抱えられて雨の中進んでいく。咄嗟に落ちない様に両足を男の胴に絡めた。
 早歩きで連れていかれたのはパトカー。濡れた体のまま後部座席に放り込まれて、隣に男も座った。濡れるが我慢しろなんて言っていたくせに、軒下からパトカーに乗る間に濡れたのは土方だけだ。神楽はジャケットに守られて濡れていない。
「ヒュウ! 副長、公用車でお持ち帰りですか。やっぱりモテる男は違うねェ!」
「うるせぇぞ原田ァ! テメー帰ったら切腹だからな!」
「はいはい。出た出た切腹ぅ」
「いいからさっさと車出せ!」
 運転席から顔を覗かせたのは原田というハゲた隊士だった。どこかで見たことある気がするが、神楽はあまり彼のことを知らない。ただ、土方や近藤と同じスタイルの隊服を着ているからきっと偉い人なんだろうなとだけ分かった。あと、彼からも血の匂いがする。
 原田の態度に怒り心頭な土方は後部座席から運転席をガツンと蹴る。しかし土方の横暴さにもすっかり慣れているのだろう。原田は適当に返事をしてあしらいながら車を発進させた。
強くなっていく雨をワイパーで弾きながら進んでいく。その景色は万事屋に向かいものではなくて、知らずホッと息を吐いた。
「取り敢えず屯所で風呂入れ。話はそれからだ」
 土方の言葉はぶっきら棒なくせに優しい。神楽はうんと頷いて、彼のジャケットを握りしめた。



 屯所のお風呂は、それはもう広かった。
 やはり大人数が住んでいるだけあって、まるで温泉施設のよう。滅多と味わえない温泉の独り占めを心いくまで堪能したら、用意してくれていた少し大きめの浴衣に腕を通す。柄は可愛くなかったが文句は言えない。苦戦しながらもきちんと着られた浴衣を鏡で確認しつつ、以前温泉旅行に行ったとき、妙に教わっていて良かったと胸を撫で下ろした。
 更衣室を出ると隊士が一人立っていた。副長に世話係を頼まれましたと笑うその地味な隊士に「初めましてヨー」と頭を下げたら「いやもう何度も会ってるよね!?」と叫ばれて煩かった。名前は山崎というらしい。やっぱり聞いたことがない。
「時間的に余りもので申し訳ないんだけど、これもう全部食べちゃっていいから」
 案内された食堂で、山崎が用意してくれたのは、夜ご飯の余りだという豚丼だった。豚肉には丁寧に下味を馴染ませているらしく、口の中に入れると生姜とにんにくの風味で食欲をそそられた。お肉自体も固くなく、程よい歯ごたえ。じゅわと溢れ出る肉汁も美味しい。一緒に炒められている玉葱には香ばしい醤油と肉のうまみが浸透している。僅かに焦げた部分でさえ香ばしく、アクセントに思える。
「おかわり!」
 大きな丼鉢は瞬く間に空っぽになった。米の一粒すら残っていない。神楽のおかわりは二度、三度、四度と続き、三度目のあたりから消灯までの時間を自由に過ごしていた隊士たちがわらわらと集まって来ていた。神楽を取り囲むようにして食事風景を眺め、四度目のおかわりは神楽が言う前に誰かが率先して用意してくれていた。
「お嬢ちゃーん! まだご飯残ってるからねー!」
 厨房に入り込んでいる隊士が一升炊きの炊飯器を覗きながらそう叫んできたので、神楽は無言で親指を立てた。まだまだ食うぜという意味である。それに集まって来ていた隊士たちがおおおっと野太い歓声を上げる。
 いけいけこのまま記録更新だだの、先に肉が無くなるんじゃねぇのだの、おい誰か部屋からご飯のオカズ持って来いだの、誰がエロ本持って来いって言ったよ馬鹿じゃねぇのだの。好き勝手に盛り上がっては色々言っている。非常に喧しい食卓だが、これっぽっちも悪くなかった。
 そして五度目のおかわりを宣言した時、お風呂上がりの鬼が食堂にやって来た。食堂の光景にギョッと目を丸くして、すぐに怒鳴り散らす。
「テメーら何騒いでいやがる! さっさと自室に帰れ!」
「えー! でも副長このままだと記録更新も夢じゃないんですよー!」
「何が記録更新だくだらねぇ! 見せもんじゃねぇんだからさっさと散れェ!」
「副長のケチィー!」
「副長の分からず屋ァ!」
「副長のロリコンンン!!」
「誰だ今ロリコンっつったのはァァ!! 切腹だテメーらァァ!!」
 土方が怒鳴り散らして刀を抜いたところで、隊士たちは一斉に散った。何人かの隊士は神楽から離れる際にお菓子を置いて行ってくれたので、机の上にちょっとした山が出来ている。
「お嬢ちゃんまた明日ァー!」
「明日も神楽様に尽くすヨロシ」
「ラジャー!」
 残った山崎は、ハハと苦笑い。土方に至っては廊下まで出て尚怒鳴っている。
 真選組の屯所は、万事屋とはまた違う騒がしさがあることがよく分かった。通りで、土方が万事屋でご飯を食べるときも落ち着いているわけだ。これなら人数が少ない分万事屋の方が静かだ。
 ご馳走様でしたと手を合わせて、隊士が置いて行ってくれたお菓子に手を伸ばす。チョコにクッキー、強面の顔に似合わぬ可愛いマシュマロなどなど。酢昆布はなかったがなかなかいいラインナップ。
クッキーを一枚口に放り込んだ。バター味のシンプルなもの。美味しい。
「ったく、どいつもこいつも浮かれやがって」
「仕方ないですよ副長。屯所に女の子がいることなんてないですからね」
「それはそうだが。節操なさすぎるだろ」
 まだ子どもだぞ、と溜め息を吐きながら土方も席に着く。もう仕事は終わったのだろうか。
「……それで、お前はなんであんな所にいたんだ?」
 頬杖を付いた土方にいきなり確信を付かれて、神楽は言葉に詰まった。山崎がすぐ用意してくれたお茶を一口。
「……ちょっと、色々、あった、アル…」
 まさか土方が買ってくれた高いお肉を全部無駄にした挙句悪口言って銀時に怒られた、なんて言えるわけがない。
「フッ…」
 神楽が必死で濁せば、土方が小さく笑った。思わず反射的に睨めば、すぐに土方は両手を上げた。
「悪い悪い、なんでもねぇよ」
「人が落ち込んでるのに笑うなんてひどいアル」
「悪かったって。飯美味かっただろ?」
「美味しかったアル」
「それで許してくれや」
「…仕方ないアル。今回だけ特別ヨ!」
「おー、すまねぇなぁ」
 こっちは怒っているのに彼は何処吹く風。全然しおらしい態度じゃない。こんな感じだから沖田にいいように遊ばれるのだ。
 そう考えて、思い出す。そういえば屯所に彼の姿がない。
「トシ、あのサド野郎は?」
「あぁ総悟は昨日から京都に出張。あと三日は帰ってこねぇ」
「ふぅうん」
 なぁんだと次のチョコに手を伸ばす。珈琲味だったそれは少し苦い。
「居たら喧嘩する癖に、居ないと寂しいのか」
「ッ、ハアアアァァ!? 何言ってるアルか! 寂しい訳ないアル!!」
「チャイナさん動揺しすぎ」
「そうかそうか。総悟に言ってやったら喜ぶだろうな」
「だーかーらちがうううッ!! 全部トシの妄想ネ!!」
 神楽の弱みを握ったとでも思っているのか、いつもより柔らかく笑う土方の顔に目掛けてお菓子を何個か投げてみるも全部受け止められて余計に腹が立った。手持ちの弾が無くなって不貞腐れていたら、土方がお菓子を全部返してくれる。弾は補充されたがもう投げる気力はない。
なんだか疲れた。背中を丸めて机に顎を乗せる。
「こら、行儀が悪い」
 しかし、すぐに土方に頭を叩かれたので姿勢を戻した。
「もう今日は遅いから寝ろ。ちゃんと歯ァ磨けよ。にんにくクセェぞお嬢さん」
「この香りの良さが分からないなんてまだまだガキアル。出直してくるヨロシ」
「落ち込んでても口の悪さは健在だな。…山崎、あとは任せたぞ」
「はいよ」
 立ち上がって厨房の方にそう声を掛ける。神楽は慌てて隣を見たが、つい先ほどまでそこに座っていた山崎はいなかった。いつの間にやら厨房で丼鉢を洗っている。
「ちゃんとやりゃあ仕事は出来るんだがなぁ…」
 神楽の反応を見て土方はそう言った。どうやら勤務態度は良好とはいえないらしい。局長並びに一番隊隊長だけでなく、他の隊士も勤務態度が悪いのか、トシはどこに行っても大変アルと合掌。
 じゃあな、と手を振って彼は食堂を出て行った。少しだけ待っていれば厨房から山崎が帰って来る。洗面台で一緒に歯を磨いて、神楽用に手作りの看板が立て掛けられた厠の場所を教えてもらって、客間に通された。ふかふかのお客様用の布団一式はとても気持ち良く、山崎に勧められるまま入ってしまえば、五秒で夢の中へと旅立った。
 ゆっくりとおやすみ。
そんな声が聞こえたけれど、神楽がいつも聞いているおやすみとは少し違っていて、ここは万事屋ではないんだなと改めて思い知らされた。



◆ ◇ ◆



 ――その日。
 いつものように定春と一緒に公園に行き、ベンチで酢昆布を食べていたら、知らない女の子に話しかけられた。神楽と年齢は一緒くらいで、かぶき町の子ではないそうだ。母親の用事に付いてきたんだと言っていた。
『この大きな犬は神楽ちゃんの犬なの? すごぉい!』
 定春を連れていたらよく言われる言葉だ。うんと頷いて、定春に噛んじゃ駄目ヨと言い聞かせてから彼女に触らせてあげた。とても喜んでいて、定春も気持ちよさそうにクゥンと鳴いていた。
『ねぇ神楽ちゃん、お母さんがお迎えに来るまで一緒に遊んでくれる?』
『いいアルヨ。かぶき町の女王神楽様が色々案内してあげるアル』
『ありがとう!』
 それから母親が迎えに来るという十六時まで二人と一匹で遊んだ。鬼ごっこをして、かくれんぼをして、お腹が空いたら駄菓子屋に行って。案内がてら定春の散歩もした。そして日が段々と暮れてきたので公園に戻ろうかと土手を歩いていたら、たまたま女の子の母親に出くわしたのだ。ちょうど良かったと二人で母親に駆け寄るも、母親は背を向けていて気付いていない。女の子が母親の名前を大声で呼んだ。
 しかし。
『こっちに来ちゃ駄目よ!!』
 帰ってきたのは母親の叫びだった。その声色に女の子は足を止めたが、神楽と定春はスピードを上げた。どうも様子がおかしい。顔は青褪めているし、切羽詰まった声だった。息も荒い。それに、母親と一緒にいる男二人は誰だ。あの男が包丁を持っているのは何故だ。
 神楽と定春に向かって母親がもう一度叫ぶが構わず突進し、神楽は持っていた傘で男の頬を殴りつけた。男は吹っ飛んで下の川へと向かって行く。持っていた包丁は空を舞い、地面に突き刺さった。定春が襲った男もあっけなく川へと投げられていた。浅瀬の川に傷だらけの男が二人沈み、すぐに意識を取り戻して逃げて行った。
『ハッ! よわっちぃ男ネ』
 傘を肩に乗せ吐き捨てた。かぶき町の女王には敵う奴いない、なんて胸を張って。
『おばちゃん。大丈夫アルか?』
 そして尻もちを付いていた母親に駆け寄って手を伸ばす。しかしその手は叩かれて終わった。
『――なんてことをしてくれたの…ッ!!』
 ギロリ、と睨み上げてくる瞳はどす黒く恐ろしいものだった。神楽は思わず一歩引いた。そこからは散々怒鳴られた。
 先程神楽が殴り飛ばしたのは女の子の父親だったらしい。そして定春が襲ったのが今の恋人。二か月前に急に好きな人が出来たからと父親に捨てられ、探し回っていたそうだ。好きな人が出来たなんて一言では諦めきれないくらい好きだったのだと言う。それに子どももいる。養っていくには一人では無理だ。だからよりを戻してもらおうと必死に探してようやく見つけたと思ったら、男同士で一緒に暮らしていたと。お願いだから帰ってきてとしつこく迫ったら父親が包丁を取り出して追い払ってきたらしい。
そこに神楽たちがやって来た。確かに神楽が男を投げ飛ばした反対側には住宅地がある。
『あの人のことが好きで、好きで、やっと結婚して子どもが生まれて幸せだったのに…! 誰かに、男に盗られるなんて!』
 わあわあ声を上げて母親は泣いていた。やっと追いついた女の子は母親の背を撫でている。
『男同士だなんて気持ちが悪い! 付き合っていたって未来なんてない! 後ろ指差されて馬鹿にされて碌でもない人生を送るの! そうだ。きっとあの人は騙されているのよ、何か脅されているのよ…!』
 でも。
『あなたのせいで、また逃げられた…!!』
 母親は爪に砂が入り込むほど強く地面を握りしめ、神楽に向かって投げた。お気に入りのチャイナ服は汚れてしまった。それでも動けなかった。
 どうしよう。正義のヒーロー気取りでとった行動が、どうしようもなくこの人を傷つけてしまった。何も知らない自分が首を突っ込むべきではなかった。
『それにあなた普通の人間じゃないでしょう!? そんな小さな体で大の大人を吹き飛ばせるなんて、まるで怪物じゃない! 娘に近づかないで! 触らないで! 二度と顔を見せないで!』
 とうとう石まで投げられてしまった。尖った石は神楽の頬に当たって傷をつけた。うっすらと血が流れるが、大した傷ではないので、すぐに治っていく。それに気づいた母親はこれでもかと顔を歪ませてこう言った。
『アンタも、あの男も、気持ち悪い…ッ!!』
 普段はなんてことない言葉だ。
もっと酷い言葉だって言われてきた。聞いてないふりも、忘れたふりも、随分と上手くなった。
 ――それでも時々こうやって、胸の奥に深く突き刺さって歩けなくなる。



◆ ◇ ◆



「――…ッ!!」
 息が苦しくなって飛び起きた。じと、と汗をかいている。掛布団を蹴る様にして剥ぎ、出来るだけゆっくりと大きく息を吐いた。見慣れない部屋に一瞬戸惑ったが、ここは真選組の屯所なのだと思い出す。枕元に置いてあった置時計を取れば、まだ一時二十二分。朝には程遠い。時計を置いて、布団に転がった。大の字になって天井を見上げる。
 ここ最近機嫌の悪い理由。それがさっきの出来事だ。もう五日ほど前のことになる。結局あの親子がどうしたかは知らない。立ちすくむ神楽を定春が強制的に万事屋へと連れ帰ったのだ。何か色々言われていたし、女の子も泣いていた。でももう記憶がない。ハアァァと深く深く息を吐いた。
 ――…銀時には、相談できなかった。
 言ってしまえば、母親が言っていた同性愛への言葉まで伝えなくてはならないから。そんなことは銀時の耳には入れたくなかった。あの男は飄々としていて、誰よりも強いくせに、誰よりも脆い部分を持っている。あの母親の言葉が銀時のその部分に刺さってしまったらと思うと言えなかった。極論として、土方と別れるくらい言いそうだ。だから自分の中で押しとどめておこうと、そう思ったのだが。一人で抱えるには、あまりに自分が幼過ぎた。
 結局要らぬ心配をかけ、喧嘩をし、あの母親の思考に引き摺られて思ってもないことを言ってしまった。最悪だ。
 神楽は着崩れた浴衣を直し、客間から出た。雨はまだ降っている。綺麗に手入れされている庭はしっとりと濡れて、どこか暗く恐ろしい。それでも少し外の風に当たりたかった。
廊下に出て適当にフラフラと歩いていたら、山崎からは教えてもらっていない方まで来てしまった。
遠くに見える部屋はまだ明かりがついている、ということは誰かいるのだろうか。見つかっては面倒なので引き返そうとしたとき、障子が開いた。
顔を出したのはなんと土方だった。彼は無言で驚いている神楽を手招く。大人しく従って部屋に向かい、中に入る。
「どうした、眠れなかったか? それとも迷子か?」
 土方の愛煙している煙草の匂いが充満している部屋。布団は敷かれているが少しも乱れていない。
その代り文机の上は書類で散乱している。机の横には書類のタワーが、ひとつ、ふたつ。どうやらこんな時間までお仕事をしていたらしい。
「目が覚めちゃったアル」
 用意してくれた座布団に座れば、今度は藍色の上掛けを渡される。羽織っていろという意味らしい。少し肌寒かったので有難く借りることにした。
「そうか。珍しいこともあるんだな。お前は一度寝たら朝まで起きないと聞いていたからな」
「そんなこともないアル。例え私でも寝室でイチャイチャされたら起きることだってあるネ」
「ッ、ゲホッ!!」
「それにお前ら人が寝てるからって遠慮なくヤり過ぎアル。あてられた定春が発情して他所で子ども作ってきたらどうしてくれるネ」
「ゲホッ! お、おま、ゲホッ!!」
 神楽の爆弾発言に驚いて唾液が気管に入り込んだのか盛大に噎せる土方。何か言いたそうだが言葉にならない。次第に涙目になってきたので、神楽は仕方なく背中を擦ってやる。
 すると目が血走った土方に両肩をガシッと掴まれた。瞳孔はいつも以上に開いていた。
「お、おお、お、おまえ、そ、それ、アイツは…ッ」
「言ってないアル。銀ちゃんに言って羞恥プレイに使われたら堪ったもんじゃないアル」
「あ、あぁ、そうか…」
 ガクリ、と土方が頭と肩を落とす。そして物凄く小さな声で変なものを聞かせてすまないと謝られた。
「別にいいアル。いつか誰かとそういうことするときはトシを見習うネ。マミーのは聞いたことないからちょうどよかったアル」
「やめろ絶対にやめろ俺が総悟に殺されるゥゥゥゥ!!」
「ハァ? なんでそこでサド野郎が出てくるアルか」
「……あ、いや、なんでも、こっちの話だ」
 ゴホン、とこれはわざとらしそうな咳払いをして土方は手を離した。
そわそわしながら机の上の煙草に手を伸ばしたが、結局触らずに手を戻した。気を遣ってくれているのだろうか。別に吸っても構わないと言ってあげようかと神楽が口を開くより早く、土方がここで寝るかと聞いてきた。
「え、いいアルか?」
 嬉しい提案だ。今からあの部屋に一人で戻っても寝られる気がしなかったから。
「お前がいいなら別に構わねぇ。俺ももうそろそろと思っていたところだ」
「じゃあお布団取って来るアル」
「場所分かるのか?」
「うん」
「そうか」
 なら取ってこいと言われて神楽は部屋を飛び出した。歩いてきたのと反対の順番で廊下を戻っていく。ふかふかのお布団は軽いけれど嵩張って持ちにくいので枕だけ腕に抱えてまた土方の部屋へと帰る。神楽が戻ってきたときには文机の上は片付けられていて、枕元に小さな行灯が優しく光っているだけだった。
「布団取りに行ったんじゃないのか」
「重たいからやめたアル」
「重たいってお前な…」
 土方はわざわざ廊下に出て煙草を吸っていた。寒いから中で吸えばいいのにと言えば、お前が迷子にならねぇように目印の代わりだと笑う。まだ煙草は吸えるだろう長さなのに、手に持っていた灰皿に押し付け火を消した。
「まぁいい。寝るぞ」
 その言葉に神楽は一目散にお布団の中へと入り込んだ。土方は灰皿を文机に戻し、きちんと障子を閉めてから入り込んできた。狭い布団の中で二人の肩が当たる。
「絶対俺と一緒に寝たなんて言うなよ」
「合点承知ネ!」
「特に万事屋と総悟な。あの二人に知られるのが一番面倒くせぇ」
「あのふたりはトシ大好きだからナ」
「何言ってんだ。大事にされてんのはお前の方だ」
「そんな訳ないアル。特に銀ちゃんはトシが一番ヨ」
「それこそそんな訳ねぇよ」
 ククク、と何か思い出したのだろうか、土方は口元に手をやって可笑しそうだ。仰向けで寝転がっていた神楽は土方のほうへと体を向ける。
「…なんでそんなこと言えるアルか」
 思ったより、不機嫌な声が出てしまった。
 銀時にとって土方は恋人で、大好きな人だ。恋人というポジションは何よりも大切にしてもらえるとテレビで言っていた。勿論、神楽もそれなりに大事にされてはいるのだろうが、優先順位は圧倒的に土方の方が上のはず。そうでなければ、今日土方に八つ当たりしてしまった時にあんなに怒らない。
 土方も神楽と同じように身体を横向きにした。そして向かい合って告げられた言葉に、神楽は目を丸くする。
「なんでって、俺ァ最初に言われてるからな。一番には出来ねぇって」
「どっ、どういうことアルか! あの腐れマダオがァ!」
「まぁまぁ落ち着け。一番に出来ねぇのは何もアイツだけじゃない。俺だってそうだ。大将が居て真選組がある。大将に誰かが刀向けんなら俺ァ守るために剣になる。その判断をするのに一ミリだってアイツは居ねぇ。アイツだっておまえらがいて万事屋がある。お前らがどんな事件に首を突っ込んでどんな風に判断していこうと、そこに俺は居ねぇ。俺たちはそれでいいんだ」
 お互いに最優先の一番にはなれないけれど。それが全く寂しくない訳ではないけれど。ちゃんと特別だから。好きだから。それが分かっているからそれでいい。事が終わって再び会えた時に、年甲斐もなく無茶したな、案外俺たちもまだ若いな、なんて呑気に笑えたらそれでいい。
「だからアイツが手をあげたのも、俺の為じゃねぇよ」
 そう最後に添えられて、神楽は文字通り飛び上がった。折角二人分の体温で温まった体がまた冷え切っていく。
「な、なんで…ッ!」
 言っていない筈なのに。考えて、銀時に連絡したのかと思い当たる。
「お前は忘れてるかもしれんがここは警察なんでな。未成年を保護したら保護者に連絡しねぇといけねぇんだよ」
 冷たくなった腕を掴まれて布団に戻される。肩どころか、目の下あたりまで布団を被せられて、逃げないようにと土方の腕が布団越しに圧し掛かって来た。ポンポンと優しく叩かれて、少し落ち着く。
「何があったって聞けばアイツも、まぁ色々あってよォ…なんてお前とそっくりな言い方してた」
「…だからあの時笑ってたアルか」
「おう。食堂に行く前に電話したからな」
「トシはそういうところ性格悪いアル」
「知らなかったか? 俺ァこれでも極悪非道の鬼だぜ?」
「か弱い兎にはもっと優しくするべきアル」
「可能な限り善処します」
 暴れてグシャグシャになっている髪の毛を梳くように撫でられる。そういえば、銀時も眠れない夜はこうやって頭を撫でてくれた。ハラハラと土方の指の間から零れていく自分の髪からは、万事屋には置いていないシャンプーの匂い。
「アイツは俺をどうこう言ったから怒ったんじゃねぇ。神楽が人の気持ちを踏みにじるようなことをしたから怒ってんだ」
「……」
「何があったかなんて無理に話さなくてもいい。でも抱えきれねぇなら頼ってほしいし甘えてほしいんだよ、アイツは。絶対ェ素直には言わねぇけどな」
「……でも、もう、好きにしろって」
「根っからの本心じゃねぇことくれぇ分かってんだろ。お前らをそう容易く手放すような男かよ」
「ほんと?」
「あぁ。俺が保証する。アイツはそんな器のちいせぇ男じゃねぇ」
 俺が惚れた奴なんだから。だから心配するな。芯の通った声で言われてようやく胸に刺さった棘が取れた。雁字搦めになっていた感情が解かれ穏やかになっていく。今ならば銀時の言葉も飲み込める。
 同時に、申し訳ない気持ちで胸がいっぱいになった。銀時や新八だけではない。目の前の土方にも。
「トシ…」
「どうした?」
「私、銀ちゃんがトシを好きになったの分かった気がするアル」
「はぁ?」
 いつもは細かいことにも目くじらを立てて怒鳴り散らして、口も態度も悪いけれど。銀時と顔を合わせたら子どものような喧嘩をして周りの人間を困らすけれど。何にだってマヨネーズをかけて食べちゃう味覚のおかしい人だけど。
 やっぱりどうやったって、神楽より背筋の伸びた立派な大人なのだ。敵わない。
「ごめんなさい」
 布団の中で手を伸ばして着物を掴んだ。きちんと頭を下げることは出来ないけれど、ちゃんと心を込めて謝罪する。折角買ってくれた高いお肉を無駄にして。心配してくれた気持ちを足蹴にして。八つ当たりで酷いことを言ってしまって。
 でも。
「ありがとう」
 自称極悪非道の鬼のおかげで、か弱い兎は雨宿りが出来た。
 擦れ違って寂しい思いをしたままにならずにすんだ。
「…それは明日、アイツに言ってやれ」
 やっぱり似た者同士だ。面と向かって礼を言われるのは苦手なのだろう。土方はさっと顔を赤らめて、神楽の手を振りほどいて背中を向けた。隠しきれない耳まで真っ赤である。
「トシにも付いてきてほしいアル」
「……わかった、わかったから」
 だからもう寝ろ。そう促されて神楽は今度こそ平和な夢の世界へと旅立った。



「えー! もう帰っちゃうのぉー!?」
「あのな近藤さん。その台詞もう四回目だぞ。いい加減アンタも自分の仕事をしてくれ。また書類が溜まって……おいこら待て! だからお菓子で釣るなと言ってるだろうが! 神楽ももうおやつ禁止! 夕飯につっかえる!」
「だってみんながくれるアル」
「お嬢ちゃん次なにして遊ぶ? あんまり副長に近付くとすぅぐ切腹させられるから気を付けてね」
「そんなにお前が切腹好きだとはしらなかったぜ原田ァ! 俺が介錯してやっからそこになおれコノヤロー!! つーか他の奴らも仕事しろっつってんだろうがァァァァ!!」
 怒りが頂点に達した土方が抜刀した頃、ようやく神楽の周りから隊士の姿が消えた。
 昨日から降り続いている雨は止まず、今日も薄暗い。天気予報によれば夕方からまた一段と酷くなるそうなので、午前中に万事屋に行こうかなんて朝食の時に言っていたのに、気が付けば夜勤明けの隊士や出勤してきた食堂のおばちゃん、暇を持てました近藤や原田に絡まれること数時間。昼食の酢豚定食までいただいてしまった。
 どうやら万事屋三人衆が寄って集って悪さをしているときは隊士たちも近付きたくないみたいだが、昨日今日のように神楽一人で、しかも少々元気がないのは構いたくなるらしい。もう屯所内は自由に走り回れるくらい遊んだ。年の離れた兄が一気に沢山出来た気がして、これはこれで神楽も楽しい。
 結局、真選組を出発したのは十四時を過ぎていた。みんなから貰ったお菓子の山は可愛らしいピンクの手提げに入れてもらった。食堂のおばちゃんが、ジュース買ったらおまけで付いてきたんだけど私には恥ずかしいからとくれた手提げである。
 真選組専用のレインコートの土方の隣を、ビニール傘の神楽が歩く。大粒の雨がビニール傘を叩いて煩い。町を行く人々の声は聞き取りづらく、いつもより活気がないように思える。
「ったく、予定が全部狂っちまった」
「なんか用があったアルか?」
「昨日しょっぴいた浪士を取り調べする予定だったんだよ」
「…あぁ」
 昨日のパトカー内に充満した血の匂いに納得がいった。
「こういう時に限って総悟はいないし、近藤さんじゃあ生温いしなぁ。山崎も別件に向かわせたし…ううん」
 隊服のポケットから携帯電話を取り出して、ピッピッと操作している。神楽はそれを横目で見ながら付いていく。歩きながら携帯触るの駄目アルと忠告しても生返事しか返ってこない。頭の中は取り調べのことでいっぱいらしい。まぁ大通りに出るときに自分が気を付けてやればいいかなんて考えていたら、手提げの持ち手がブチリと千切れた。あ、と思った時には濡れた地面にお菓子が散乱していく。パッケージは一瞬にして泥に汚れ、紙の袋に入っていたクッキーは変色する。
「あっちゃー」
 やはりおまけについてくるような手提げは脆いらしい。折角おばちゃんに貰ったのに、と慌ててしゃがんでお菓子を拾う。すると手提げの底にはバナナの束が隠れるようにして入れられていた。そういえば近藤が神楽から手提げを借りてなんか入れ込んでいたが、これだったか。そりゃあバナナの束が入っていたら重みで持ち手も千切れるだろう。
「おい大丈夫か」
 先を行っていた土方が音に気付いて振り返る。
 ――そして、大きく目が見開かれた。
「ト」
 トシ、とは呼べなかった。それより前に白い布が神楽の口元を覆い、一瞬にして全身の力が抜けたからである。手から傘が落ちる。雨粒が冷たい。あぁ折角雨宿りをして温めてもらったのに。
「真選組副長、土方十四郎だな」
 意識が途切れる寸前に聞いた声は、酒焼けした耳障りなしゃがれた声だった。



◆ ◇ ◆



 ――…ガラガラ、ガシャン!

 ようやく浮遊してきた意識を掴み取ろうとしていた神楽の耳に入ったのはそんな音。その後で、ゲホと咳き込む声。なんだろう。なんだかとても嫌な音だ。でもまだ瞼をこじ開ける力はない。
「…かぐら」
 聞こえてきた声は土方のものだ。しかし神楽が記憶しているものよりもずっと小さく掠れている。どうしたのと言いたいけれど、唇が震えただけで終わる。
「そのまま聞け。俺が合図するまで目を開けるな。喋るな。その代わり合図したらお前のとっておきを大声で叫べ。いいな」
 それきり彼の声は聞こえなくなった。代わりに何人か分の足音と下品な笑い声。意識を飛ばす前に聞いた酒焼けしたしゃがれた声が「無様だな、真選組副長殿ォ」とやたらと楽しそうに言っている。
 そうか。自分は今人質として囚われていて、土方は好き勝手やられているのか。急速に理解ができた。身体が思ったように動かないのはあの時嗅がされた薬のせいで。多分ここはこの男たちのアジトのようなもの。
さてどうしたものか。戦闘慣れしている血と心は嫌になるほど冷静だ。
「鬼と呼ばれる男も、人質を取られればこんなにも容易くやられてしまうのか」
「全く。なぜ他の組の者たちがこのような男に逮捕され処罰を受けているのか、理解が出来ぬ」
「我らのように頭を使わないから上手くいかないのだ」
 土方の言い付けを破ってしまうことに罪悪感はあったけれど、神楽はほんの数ミリ瞼をあげた。狭く暗い視界では情報量は限られていたけれど、なにも分かっていないよりはマシだ。
 場所は倉庫のようなところだ。使い古されたパイプ椅子が何脚か。中身が空っぽのペンキ缶。積み上げられた埃塗れの木材やパイプ。何かは分からないけれど色々な機械が散乱している。埃臭く湿気の多い空気。肌に纏わりついてくるのが気持ち悪い。誰も使わず空き倉庫となっている此処を勝手に拠点にしているのだろう。
 今現在、目の前にいる侍は五人。刀以外の武器はなさそうに見える。多分後方にあと何人か。扉は完全に閉め切られていて薄暗い。
 自分は土方が持っていたであろう手錠で後ろ手に拘束されているだけ。足は自由。ただの小娘と思って簡単に拘束しただけなのだろう。柱なのか、壁なのかよく分からないが、座った状態で何かに凭れかかっている。
これはラッキーだ。まだ勝機はある。
 問題の土方は、神楽のすぐ目の前に転がっていた。拘束は神楽と同じ手首だけ。ただ彼は手錠ではなく麻縄のようなもので後ろ手に縛られていた。かなり頑丈に締め上げられているのだろう、手が変色し始めている。
 ジャケットとベストは脱がされシャツ一枚。そのシャツは所々赤く染まっていた。どれほどの怪我なのか、今はまだわからない。こちらには背中を向けて倒れているため、ほかの具合もわからない。少し声が弱々しかったので頭部に傷をこさえているかもしれない。大怪我になっていなければいいが。
「さて副長殿、昨日逮捕したうちの頭を返して頂けますかな?」
 一人の恰幅のよい男が土方に寄り、倒れている彼の髪の毛を掴んで持ち上げた。
「頭ァ? ……あの如何にも弱そうな頭の悪い浪士のことか。あれを頭にするのはお勧めしねぇぜ?」
「貴様ァァ!! 頭を愚弄するとは何事だ!! やはり今すぐ此処でコイツを斬り捨ててしまえ!!」
「まぁ待て! この男を交換条件に頭を取り戻す方がいいに決まっているだろう。殺すのは一瞬で出来る。そう焦るな」
 血の気の多い、まだ若そうな浪士が二人刀を抜く。それを止めたのは土方の髪を掴んでいる男だった。その男はどうやらこの一派の主要メンバーらしい。顔だけ振り返って言えば、若い浪士はぐっと押し黙った。
「…すまないねぇ副長殿。うちは血の気の多いガキが多くいてね。あまり神経を逆撫でするようなことを言われたらすぐに殺そうとするんだ」
「いや構わねぇさ。あんなカギより、うちにいる若い隊士の方がもっと物騒なんでな。お互い苦労するねぇ」
「ほォ。こんなところで副長殿と意気投合するとは思わなかったよ。人生何があるか分からないものだな」
「ちげぇねぇ。俺もテメーみてぇな小汚ねぇ浪士と意気投合するとは思わなかったぜ、胸糞悪ィ」
「言ってくれるじゃねぇか」
 男はピキリと額に青筋を浮かべ、土方の頭をコンクリートの床へと叩きつけた。ゴッ、と重たい嫌な音がする。神楽は思わずピクリと肩を揺らした、が、気付かれていないようだ。
 一拍遅れて、土方の髪を濡らすように血がダラダラと流れ始めて床に広がっていく。それを見つめて男はニヤリと笑う。立ち上がって、今度は無防備な腹へと蹴りを入れた。
「――ッ、ガハ…!」
 呻きながら土方の体はうつ伏せになる。背筋を使って持ち上げた顔は、すでに殴られていて、唇は切れ、左頬は青黒く変色して腫れていた。鼻血もまだ止まっていないようで、時折口の中の血液を吐き出している。
「おっとすまない、言い間違えた。血の気が多いのは若いやつらだけじゃねぇんだ。少々年を取っていようと我らも十分現役でねぇ。副長殿も言葉を間違えると痛い目に遭いますよ」
 今度は男の草履の裏が土方の縛られた手首の上に振り下ろされた。
「…ッぐ……ハッ、小物が生意気言ってんじゃねぇよ」
「まだ言うか」
 切れて出血している口元が弧を描く。しかし、男が土方に乗せた足に全体重を掛けると一瞬歪んだ。ミシミシと手首と腰椎が軋む音が聞こえてきそうだ。
 神楽は下唇を強く噛んだ。そうでもしていなければ暴れてしまいそうだったから。しかし土方の合図無しに動いて、もし確認できていない飛び道具でも出てきたら、武器となる傘を持っていない神楽の分が悪い。しかも人数の把握も出来ていないのだ。なにか、状況を変えられる何かがなければ、動くことは出来ない。ただここで土方が傷ついていくのを見ているだけ。
「このまま手を斬り落としてやろうか。そうすれば副長殿も少しは賢くなるかもしれないなぁ」
「ははは、そりゃあいい! やってしまえ!」
「手を落とされたら貴様は侍としてお終いだ! いけやってしまえ!!」
「鬼の首を取れば真選組も終わりだァァッ!!」
 さらに体重を掛けて逃げられないよう固定し、刀を抜く男の背を押すように、控えている浪士が手を叩く。その様は、攘夷浪士というよりは悪乗りする不良にしか見えない。土方が言っていた小物というのは、挑発したわけではなく、事実なのかもしれない。
 しかし、時として本物の悪より、悪乗りしている人間の方が大罪を犯すときがある。罪の重みを深く考えていないからだ。最悪の事態を想定して、神楽は頭を下に垂れた。土方を痛めつけることに必死な浪士たちは気付かない。
 苦痛に歪む土方の横顔を見ながら、神楽は自分の掌に爪を立てる。プツリと皮膚が切れるが構わない。
 ――叶うのならば、その場所を変わってほしい。
 自分ならば、夜兎の血が流れる自分ならば、少々怪我を負おうとすぐに治る。でも土方は違う。その男はただの人間で、治癒能力だって人より少し早い程度。現時点で負っている傷だって治そうと思えば何週間もかかる。手なんか斬られてしまったら…。そう考えると気持ちが焦る。
 幾ら他人や身内の血で真っ赤に染まろうと、乱れた髪を梳いてくれるその男の手はどこまでも優しく温かいのだ。失ってほしくない。彼からその両手は奪わないでほしい。
 状況を変える何かが欲しい。何でもいい。お願いだから。どうかどうか。
 「………フッ」
 神楽の小さな胸が張り裂けそうになった瞬間。何処からともなく甘い匂いが漂ってきた、気がした。ハッと息を呑む。思わず顔を上げた。
一瞬にして匂いは消えてしまったけれど、神楽の沈んだ思考回路に光が差す。
 同時に、土方の声が聞こえた。昨日食堂で神楽の反応を見て笑ったのと同じように、本当に可笑しそうに笑う。
「鬼の首を取れば真選組が終わる、か」
 フフッ、と思わずといった具合にまた笑みを零す。口元を彩る血は、まるで紅をひいているかのように思えるほど、艶やかに色づく。
「小物風情に見縊られたものだな。良いことを教えてやろうか」
 満身創痍。手は拘束され、真上には鈍く光る刀。幼い少女を人質に取られ、絶体絶命。
「一つ。敵の人間を拘束した場合、直ちに身体検査をし、通信器具を破壊すること」
 なのに、その声に絶望の色はない。どこまでも楽しそうに、歌うように話す。
「二つ。一派の主力を担う人間は、その組員の顔を全部覚えておくこと」
 土方が言葉を紡ぐたびに空気が変わっていく。地べたに臥して刀を向けられているのは間違いなく土方の筈なのに、まるで浪士たちの方が喉元に切っ先を突きつけられているような。
 足を乗せている男が流れてきた空気を振り払うように煩ェ! と叫び、足を上げて振り下ろす。何度も繰り返すが、土方の笑みは崩れない。
「三つ。真選組を守っているのは、鬼だけじゃねぇ。例えばそうだな」
 ギラリ、と土方の目が深い赤に染まる。長い前髪の隙間からその瞳に囚われて、男が短い悲鳴を上げた。
「寡黙な狼だっているんだぜ」

 ――瞬間。

 ガチャリ、と重たい金属音が倉庫に響く。音の出どころは遥か後方。外の世界と倉庫内を仕切っていた重たく大きな扉。
「…あぁ忘れてた。そう言えば地味で目立たねぇ野郎もいたな」
 鍵を開けたのは門番をしていた地味で侍にしては細く頼りなさそうな優男。口元には土方によく似た笑みが張り付けられている。彼は誰にも気づかれることなく内側から開けたのだ。近くにいた浪士も驚き、口々に動揺の声を出している。誰だお前は、という問いに誰も答えられない。
 一気に外の世界の空気が入り込んできた。雨を含んだ重たい風が土方の顔を動かせる。神楽と目が合う。
 今だ、と言われた気がした。
 神楽は浪士たちの目も気にせず、大きく目も口も開けて倉庫中の空気を吸い込み、獣の咆哮にも似た声で叫んだ。此処にいる者たちの鼓膜を破り、脳幹を揺らす勢いで、息が続く限りその名を叫ぶ。浪士たちの動きが完全に止まった。
 ピンチの時に必ず助けに来てくれる神楽のとっておきなど、この世に一人だけ。
「ンな大きな声で叫ばなくたって聞こえてるさ、家出娘!」
 開け放たれた扉の向こうから、雨に濡れて一層輝く銀色を携えた侍が飛び込んでくる。洋と和の入り乱れた奇天烈な格好に、刀ではなく木刀。
かぶき町の万事屋主人、坂田銀時である。
 銀時は大きく踏み込んだその勢いで、扉近くにいた浪士を木刀で薙ぎ倒す。骨を折り、意識を奪い、容赦なく壁へと叩きつける。道が拓けたらまた強く踏み込み、あっという間にこちらへとやって来る。その後ろには目を引くオレンジ色のアフロが目に入った。銀時を後ろから襲おうとする浪士を一閃。二本の刀は浪士の腕や胴を斬り、血飛沫が上がる。倉庫内の床は瞬く間に赤く染まっていく。ぶわりと血臭が蔓延していく。
 神楽が瞬きを二度三度しただけで、土方を踏みつけている男以外は全員地に臥していた。
「き、貴様ァ! 真選組のものかァァ!!」
「あァん!? ンなわけねぇだろうが! 誰があんなブラック企業に勤めるかァ!」
「ならば…ッ!!」
「俺ァなぁ!!」
 最後の一人となったその男は果敢にも刀を銀時へと向けるけれど、残念ながら格が違う。小物が相手にするにはあまりにも大物過ぎた。その刀が届くことはない。
「そこに座り込んでる家出娘を迎えに来たただの保護者だコノヤロー!」
 叫んで、横に払ったその一撃で男は遠く吹き飛んで行った。積み上げられた資材に叩きつけられ、下敷きになった。砂埃の向こう側で血反吐を吐いて意識を飛ばしている。
 つい先ほどまで一方的にやられていただけの土方は、何もなかったかのように自分で起き上がり、銀時に「オイこれさっさと千切れ」なんて手首を差し出している。解放された手首をプラプラと振っている所をみると、一応は大丈夫そうだ。
「副長! 大丈夫ですか!」
 駆け寄ってきた鍵を開けた地味な男を土方は無言で蹴り飛ばした。飛んできた男は神楽の横に転がる。近くで見ると、昨日お世話をしてくれた山崎だった。そう言えば土方が別件に向かわせたと言っていたが、このことだったのかと合点がいく。
「第一に人質にされた一般市民の無事の確認。いつも言ってんだろうが、たたっ斬るぞコルァ!」
「ヒィッ! だ、だってチャイナさんなら大丈夫かなって…っ」
「殺されてェのかテメー! 誰であろうと職務を怠んじゃねぇ!」
「はっ、はいィィィ!!」
 鬼の形相で怒鳴り散らされて山崎は大慌てで神楽の手錠を解錠し、怪我の有無の確認をし始めた。痛みはある? この掌どうしたの? 包帯巻くね、と段取りよく応急処置をしてもらう。
 浪士を殲滅し、息のあるものは逃げられない様にロープでぐるぐる巻き。一通りの仕事を終えた斉藤が土方のジャケットと刀を持ってやって来る。刀を腰に差し、ジャケットのポケットから携帯電話を取り出し、またピッピッと操作した。
 大人たちの会話によれば、どうやら神楽が浪士に捕まった瞬間から、斉藤に電話を繋げていたらしい。会話が筒抜けだったので斉藤は局長に報告。昨日捕まえたというこの一派の頭にご丁寧にお願いして拠点を教えてもらい、出動。
 時同じくして、潜入していた山崎からも情報を貰い、斉藤は一人、万事屋でふて寝をしていた銀時を叩き起こして事情を説明して乗り込んだ、といったところだ。
「ったく、家出娘が警察に保護されてるっつうから安心してたのに。まさか人質に取られてるとはなァ副長さんよォ。どうしてくれんだよ。うちの子傷物にしてくれてんじゃねぇよ。高くつくぜェ?」
 斉藤に血を拭ってもらっている土方に向かって銀時が文句を言う。その顔は心底苛ついているようで神楽は焦った。自分は傷物になんてされていない。人質にはされてしまったけれど、痛みは全部土方が請け負ってくれた。こんな状況よりももっと怖い目に遭ったことがあるから、心の方もどうってことない。
「ぎ、銀ちゃん! トシは悪く…」
 悪くない、と立ち上がって叫ぶより前に、土方が行動を起こした。
「すまなかった」
 深々と、あの土方が頭を下げたのである。しかもあの銀時に。
 恋仲になったとはいえまだまだ些細なことで喧嘩しているし、譲り合いの精神なんてものも程遠い。二人をよく知らない人間は「あの二人本当の本当に好き合ってるのかい?」と心配してくるほどだ。
 当然、隣にいる斉藤は驚きすぎて目が点になり、物凄く変な顔をしているし、神楽の手に包帯を巻いていた山崎もうわぁと口を開けている。
「言い訳はしねぇ。ちゃんと連れて帰ると約束したのにこんな事態に巻き込んでしまったのは俺の落ち度だ。すまなかった」
「言葉だけで言われてもねぇ。誠意が伝わってこないんですよ副長殿ォ?」
 まるで性質の悪い不良が優等生に絡んでいるような図だ。お辞儀をしている土方の額にも青筋が浮かぶ。しかし顔は上げない。
「銀ちゃん、いい加減にするアル! 私ちっとも怪我なんてしてないヨ! それに怪我したってすぐ治るし、こんなの平気ネ」
 寧ろ自分がやられる側に回れば良かった。今でも思っている。
 しかし、それを伝えた途端、土方は即座に顔を上げ、銀時とともにこちらへとやって来た。二人の顔はあからさまに怒っている。
「……あのな、神楽」
「な、なにヨ」
 自分よりも背の高い白と黒の鬼に絡まれて、か弱い兎は委縮する。
 山崎はいつの間にかどこかへ逃げてしまっている。こんな時だけ仕事が早い。
「確かにオメーは怪我の治りが早いし頑丈だ」
「それに比べて俺ァ普通の人間だからな、なかなか治らないかもしれねぇ」
 二人は少し屈んで、神楽の頬を両側から抓った。
「でも、だからってお前が傷ついていいわけじゃねぇんだ」
 ――やっぱり二人は似た者同士である。息はピッタリだった。
 抓られた頬は全然痛くない。痛くない筈なのに、泣きそうなくらいに胸が痛くなった。
「普段からヒロインぶるくれぇならこんな時もちゃんとヒロインやってろってんだよバカヤロー」
「これでも俺ァ警察官なんでな。ちゃんと守らせてくれや、お嬢さん」
 今度は乱暴に頭を撫でまわされた。折角綺麗に整えた髪飾りは取れてしまったし、髪の毛はぐちゃぐちゃになってしまったけれど。それでも二人が直すように梳いてくれるから、神楽は二人に飛びついた。銀時は「うわ埃クセェぞお前!」なんて文句を垂れているし、土方は「おいやめろ肋骨がっ! 絶対折れてっから!」なんて悲鳴を上げているけれど、それでもちゃんと受け止めてくれた。
「副長! 浪士全員捕縛しました!」
「おうご苦労」
 すっかり人が減った倉庫内に若い隊士の声が響く。それに応えて、三人は並んで外へと向かった。すっかりご機嫌な神楽は二人の手を握る。
「この後取り調べがあるからな、俺ァこのまま屯所に帰るわ。お前らパトカーで送っていってやろうか?」
「勘弁してくれよ。んなことしたらまぁたババァに怒鳴られる。営業妨害だって前すっげぇ怒られたんだよ」
「でも銀ちゃん傘持ってるアルか? 天気予報では雨が強くなるって……あっ」
「傘の心配はいらなさそうだな」
「だな」
 外に出てみれば雨は上がっていた。薄暗かった世界は瑞々しい橙色に輝いている。それはもう目を細めないと見られないくらいに、眩しく美しい世界だった。わぁっと声を上げて空を見上げればうっすらと虹も出ている。
「雨宿りはもうお終いだな」
 煙草を唇に挟みながら、土方は神楽を見てそう言った。うんと頷く。雨が上がったならもう寒くない。自分で走って帰ることが出来る。もう大丈夫。
 再び隊士に呼ばれ、土方はじゃあなと手を挙げてパトカーへと向かう。その背中に神楽は思いっきり手を振った。
「神楽ァ、俺らも帰るぞー」
「うん!」
 怪我をしている筈の土方よりだらりと歩く銀時の腕を取って、とっておきの名前を何度も呼んだ。なんだよと見下ろしてくるその瞳は相変わらず死んだ魚のようだけど、神楽は知っている。倉庫に飛び込んできたとき、神楽を見て安心していたことも。土方を見て怒り狂っていたことも。その後で、自力で立ち上がった土方を見てホッと息を吐いていたことも。
大人は上手に誤魔化すけれど、子どもだってちゃんと見ているのだ。
「だから、なんだっつの」
 眉を寄せて怪訝な顔で銀時は神楽にデコピンを一つ。
「銀ちゃんあのね、聞いてほしいことがいっぱいあるネ」
「しゃあねぇなぁ。昨日早く寝過ぎたから今日は付き合ってやるよ」
 長い長い、雨宿りが終わったら。
「あとね、昨日はゴメンネ」
「…俺も、叩いて悪かった」
 濡れて輝く道を二人で歩き、手を繋いで、暖かいお家に帰ろう。



◆ ◇ ◆



「――手紙?」
「あぁ。かぶき町の女王様に、だってよ」
「誰からアルか?」
「見りゃ分かるさ」
 ほら、見てみろよ。そう土方から手渡された封筒は真っ白。
宛先に“かぶき町 女王様へ”と書かれているだけである。
 神楽はソファに座り、酢昆布を一枚口に入れる。隣に土方が座った。台所では銀時と新八の声がする。良い匂いが漂ってきて酢昆布が一層美味しい。
「あっ!」
 幼く大きな字で書かれた手紙を読み進めて、神楽は声を上げた。あの時はありがとう。一緒に遊べて楽しかったよ。遠くの町に引っ越しちゃうけど忘れないからね。そう書かれた手紙の文字はやっぱり知らないものだったけれど、心当たりはある。
「あの日、娘を連れて家に帰って、心中しようとしていたらしい」
「……」
「でも、それを引き留めたのが幼馴染の男でな。どうやら男に出て行かれたっつうのを噂で聞いて心配して田舎から顔を見に来てくれたらしい。で、奇跡的に心中は未遂。その幼馴染の男が一生幸せにするからって口説いて一緒になったんだとよ」
 案外幸せそうだったぜ、と着流しの袂から煙草を取り出す。
「わざわざ見に行ってくれたアルか!?」
 あの攘夷浪士による拉致事件から一か月半。一切姿を見せなくなったと思えば、そんなことまでしてくれていたのかと心底驚く。というより、あの親子の件は土方には話していなかったはずである。
「あーまぁ…うちの管轄で起きた殺人未遂事件で、色々通報もあったし、調書も書かなきゃならなかったし、双方の主張も聞かなきゃなんねぇしな……あれだ、ついでだ」
 ちゃんと元旦那の方も幸せそうだったぞと、煙草に火を点けた。結局大事にはならず、和解という形で書類上は治まったそうだ。
「トシィィィィィ!!」
「うわっ飛びつくな! 火ィ! 火があぶねぇ!」
「良かったアル! 本当に良かったアルゥゥゥ!!」
「わかった! わかったから!」
 涙目でその胸にグリグリと頭を擦り付ける。煙草は灰皿に即避難。
 ありがとうと何度も叫べば、抵抗を諦めた土方は溜め息を吐きながら頭を撫でてくれた。あの時の怪我はもうすっかり良くなったらしく、消毒液の匂いも包帯の匂いもしない。煙草臭いいつもの土方の匂い。
「そう言えばトシ、なんであの時銀ちゃんが来るってわかったアルか?」
 会った時に聞こうと思っていた疑問を思い出し、なんか作戦でもあったアルか?と顔を上げて土方を見上げた。
「あ? ……あーアレな。作戦っつうか、考えたら分かるだろ」
「何を?」
「だって、お前と俺のピンチだろ?」
 お前と俺。家族と恋人。
「アイツが来ねぇわけねぇよ」
 ただ、それだけだ。さも当たり前のようにそう言うから、神楽は一瞬ポカンとして、ふふふと笑う。
「私、銀ちゃんがトシのこと大大大好きなのかと思ってたけど、トシも相当銀ちゃんが大大大好きアルな!」
「今更気付いたか」
 そこら辺の女の子が見ればハートを撒き散らして黄色い声を上げそうなほど、綺麗に土方の口角が上がる。しかし残念ながらこの色男が考えているのは、だらしのないマダオのことだけ。想像上の女の子に残念だったナと、何故か神楽が胸を張って追い返した。
 鬼の恋路を邪魔するものはか弱い兎に蹴り飛ばされるのだ。ざまあみろ。
「オイオイ土方くん、彼氏の家で浮気たァどういう了見だよ」
「ばっかじゃねぇのかテメー。寧ろ大事な一人娘が男に抱きついてることを怒れよ。そして剥がすの手伝え」
「うわっ本当だ、えっ、ちょっと待って俺これどっちに怒ればいいの? 神楽? 土方くん? なぁ新八どっち!?」
「いやどうでもいいんでさっさと運んでくれません? 重いんですけど」
「銀ちゃん童貞に聞いても無駄アル」
「だから童貞馬鹿にすんじゃねぇよォォォ!!」
 テーブルに料理を並べていきながら、今日も万事屋は喧しい。銀時は配膳そっちのけで神楽をベリベリ剥がし始めたし、新八はツッコミが止まらない。神楽から解放された土方はいそいそと冷蔵庫に向かいマヨネーズを確保している。
「土方さんローストビーフにマヨはちょっと…」
「絶対合うに決まってる。マヨが合わない食材などない」
「新八ぃ、もう言っても無駄だから自分の分にかけられないように避難させとけ」
「…なんだお前もかけたかったのか」
「ゲッ! 土方くんそれ俺のどんぶ…あああぁぁぁ!!」
「ふふふん」
 ぶちゅうと音を立ててマヨ塗れになっていくローストビーフ丼に、銀時は泣き崩れる。再び作った力作が一瞬にして犬の餌。それを見た神楽と新八は慌てて机から自分の丼を避難させた。勿論、大皿にこれでもかと盛られたローストビーフも死守。
そしていつも通りの言葉の応酬が始まった大人たちを横目に両手を合わせた。
「いただきます」

>> list <<