──貴方達は“相手が欲情するまで出られない部屋”に閉じ込められました。
「はあァァァ!!!? ふっっざけんじゃねぇよォォォ!! だァれがこんなヤニ臭ェマヨラー野郎に欲情するかよ、ばっかじゃねぇの!!!!」
おっぱいでかい姉ちゃん連れてこいやァ!と銀時が靴裏で扉を蹴り飛ばす。しかし、どういう構造なのか微動だにしない。木刀で叩いてもしかり、押しても引いてもしかり。一頻り暴れてはまだ吠えている。
土方は、うるせぇ!と一喝しながら部屋の中を散策している。とは言っても、六畳ほどのワンルーム。壁や扉、ベッドは全て真っ白で。ベッド以外の家具はない。携帯は圏外。窓もない。
「あーもうマジでないわー。折角パチ屋行こうと思ってたのにー。今日から新台なのにー」
「働けやクソニート」
「ほらこういう娯楽でお金を回すことが世界にとってもいいじゃん?」
「そういう事は従業員に給料払ってから言え」
土方はハァと溜息をついてベッドに腰を掛けた。銀時はまだ諦めずに扉を叩いている。
用事があったのは土方とて同じ。今日は夕方から討ち入りがあるのだ。それのためにこの二週間休みを返上して仕事をし、この三日間は殆ど眠っていない。顔色の悪い土方に山崎が「少しだけ眠ってください」と頭を下げてきたから、仕方なく横になったらこのザマだ。
「あの野郎……この部屋出たらぜってェ叩っ斬ってやる」
眠るためにジャケットを脱いだから煙草はない。勿論マヨもない。訳の分からない部屋に、犬猿の仲である男と二人。追い討ちをかけるように欲情させろという命令。出られなければ大事な討ち入りも、頑張った二週間も水の泡。
土方の中で、何かがブチリと切れた。
立ち上がってギャンギャン騒ぐ銀時の肩を掴む。
「あ? なんだよ」
問いには答えず彼の木刀を奪ってベッドに戻る。靴下を脱いで、スカーフとベストを放る。シャツのボタンは一つだけ外した。
「なになにどうしたの土方くぅん? 銀さん誘惑するつもり?出来んの?」
「黙ってろ」
整った髪の毛をくしゃりと乱す。膝立ちになって、木刀の切っ先をベッドに突き刺すように持った。
そして、銀時のその瞳を見ながら、彼がいつも握りしめる持ち手に、唇を寄せた。
「──ッ」
銀時が息をのむ音が聞こえた。
チュ、チュ、と音を立てて持ち手を吸い、赤い舌でペロリと舐めた。
彼の汗が染み込んだそこを。彼の侍の魂であるそれを。まるで彼の雄を愛撫するように何度も唇を寄せた。
「ひ、ひじ……っ」
カァッと銀時の頬が染まっていく。たじろいて、一歩下がる。
彼の反応など気にもせずに土方は続ける。持ち手へのキスはそのままに、右手で切っ先を撫でた。ツーっと、指先で擽るようにゆっくりと。その後は軽く握って上下に擦る。時折、ハァ……と熱い息を吐く。
「うぅ、くっそォ……無駄なイケメンめぇ……!」
とうとう銀時がその真っ赤な顔を両手で隠した。ちょっと待て。それじゃあ意味がない。土方は体に擦り付けるように木刀を抱え、万事屋、と呼んだ。銀時の肩が跳ねて、指が動き、合間から瞳が覗く。それを逃さぬよう捉える。
そして、
「……ちゃんと、見てろよ」
普段より低めの声でそう強請り、背中をしならせて木刀に胸を擦り付けた。
「──アッ!」
吐息とともに艶っぽい声を漏らす。
瞬間、銀時が股間を押さえたと同時に、ファンシーなBGMが鳴り響き扉が開いた。
土方はよしと頷いて銀時に向かって木刀を投げて返した。靴下を履き、スカーフとベストを拾って扉に向かう。その姿に先程までの妖艶さはカケラもなかった。いつも通りの、銀時の言うヤニ臭ェマヨラー野郎である。
「は、え、ひ、ひじかたっ?」
「はい、おつかれっしたー」
「えっえっ」
動揺する銀時の横を通り過ぎる瞬間、するりと土方が銀時の股間を撫でた。
「ざまァみろ」
勝者土方。銀時の完全なる敗北が決まった瞬間だった。
くっそォォォ!!と床に崩れ落ちて嘆く銀時に、土方はふふふんと上機嫌に笑って部屋を出た。
▼「依頼」
──坂田銀時は混乱している。
昨晩は一ヶ月ぶりに恋人である土方と布団の中でとんでもなく熱い夜を過ごし、久しぶりの幸せに浸りながら眠った。昼くらいまではゆっくり出来ると彼がいうので、じゃあお寝坊さんしようかと抱きしめあって呑気に寝過ごした。お寝坊さんに慣れている自分は何時間でも寝れるのだが、常日頃から早起きしている土方はどうやったって目が覚めてしまうらしく、一時間くらい前に腕の中から消えたのは分かっていた。まぁ多分煙草だろうと。
しかし戻ってきた土方は思いもよらぬ姿だった。
昨日まで来ていた黒の着流しではなく、普段銀時が来ている黒の上衣と白の着流し。下衣はサイズが合わなかったのか、面倒だったのか、穿いていない。きちんと袖は左だけ通して、右は着崩している。
「どっどど、どどうしたの……っ?」
彼シャツならぬ、彼着流し。
あの土方がそんなサービスをしてくれるだなんて。思わず布団から飛び起きて正座する。土方は目の前で胡座をかいている。実は今日切腹でもさせられるのだろうか。あれか、この前こっそり借りた巨乳もののAVがバレたか。それともあれか、妙のお店で新人キャバ嬢の乳を触ったことがバレたのか。
しかし、動揺する銀時に構わず土方は、
「なんか依頼しろ」
踏ん反り返ってそういった。
「依頼?」
「そうだ。ほら、早くしろ」
「え、ええー……?」
俺は今万事屋だぞ。さっさとしろ。そう急かす。
そうは言われても今の土方に依頼だなんてシモの方向しか思いつかない。が、そんなことを言えばすぐ彼の愛刀の錆になるだろう。
「じゃあ朝ごはん作ってーとか?」
「却下」
「いや却下とかなしだろ、なんのための万事屋だよ」
「次」
「ええーなにこの子わがままっ。じゃあその格好で写真撮らせて」
「……却下」
「あ、ちょっと迷った。じゃあ俺の極太フランクフルト食べ」
「ポークビッツにしてやろうか? アァン?」
「却下でお願いします!!」
半分賭けでシモに走ってみたが、即座に愛刀に手が伸ばされたので土下座する。
ならば一体どんな依頼なら受けてくれるというのだ。万事屋というわりに依頼内容限定しすぎだろう。考えても分からないので直接聞いた。何がしたいの、と。
土方は腕を組み、銀時の顔を覗き込むそうにして目を合わせて来た。からかっているわけではなさそうな、真剣な瞳。
「俺ァ今万事屋だぞ」
「うん」
「真選組副長土方十四郎じゃねぇ。万事屋の土方十四郎だ」
「うん」
「テメーが望むなら、その依頼受けてやらァ」
「………」
どうする、と聞かれて、銀時は両手を上げるしかなかった。降参だ。
「独りが寂しいなら、今日一日一緒にいて欲しいなら、ちゃんと言え」
──どうやら頭の回転がいささか早すぎる恋人には全部バレていたらしい。
「別に寂しいわけじゃ……ねぇし……」
寂しいわけじゃない。たぶん。
ただ少し神楽と喧嘩をして、新八に八つ当たりしてしまって、ピリピリした空気の中、二人が妙と一緒に旅行に行ってしまっただけだ。見送りもせず、言葉も交わさず、出ていかれただけだ。もし道中なにかあったらどうしようとか、事故に遭ったらどうしようとか、ほんの少しだけ考え込んでしまっただけだ。
明日の朝には帰ってくる。きっと喧嘩なんて忘れて楽しかった思い出を語る二人が帰ってくる。だから別に寂しくなんか。
「その割には似合わねぇ隈作りやがって。昨日も結局寝てねぇだろ。飯食った形跡もねぇし。それになによりセックスの回数が少ねぇ」
だから。
「ちゃんと俺に依頼しろ。そしたら一緒にお寝坊さんして、飯食って、風呂入って、セックスやり直して、明日アイツらが帰ってくるまでここにいてやっから」
銀時は手を伸ばして土方を腕の中へと引き込んだ。頼り甲斐のある背中をぎゅうぎゅう抱き締めて、ぐずと鼻をすすった。この男を好きで良かったと心底思った。惚れ直すというのはきっとこの事だ。
「……万事屋さん、依頼聞いてくれる?」
「どうぞなんなりと」
「神楽と新八が帰ってくるまでここにいて」
お願い、と肩口に頬をすり寄せた。
土方は擽ったそうに身体をよじらせ、銀時の背中に手を回し、子どもをあやすように優しく叩いた。
「その御依頼、承りました」
▼「喧嘩」
「おーぐしくんさぁーこれでドタキャン何回目よ?」
「うっせェなァ! だからこうして謝ってんだろうが!」
「それ謝る態度じゃないよね!? どう考えても謝ってないよね!? はァー!! それで謝ってるって言うなら警察いらないからねっ! 世界はずっと平和だからね! あっおたく警察官でしたっけ? しかもお偉い方でしたっけ?」
「少しは黙ってろ!! 黙ってケーキ食ってろ!! 集中出来ねェ!!」
大音量で怒鳴り散らす土方は文机に向かったまま銀時の方を向かない。しかし見ずとも今どんな顔をしているかくらいわかる。銀時は「へーへー煩くてすみませんねー」と口をひん曲げて心にもない謝罪をしながらショートケーキを一口。有名菓子店の、それなりな値段がするそれは上品な甘さは自分好みで、美味い。
今日は二ヶ月ぶりの逢瀬の日だった。仕事第一の恋人に何度もドタキャンをくらって、ようやくもぎ取った約束の日。昨日の夜から気合いを入れて今日のスケジュールを決め、夜はゆっくり出来るようにと料理の下ごしらえもしてきた。いつもは放ったらかしの天パだってそれなりにセットしたし、慣れない香だって付けてみた。
──なのに。なのに、だ!
約束の時間になってもやって来ない恋人を心配して屯所までやってくれば、鬼の形相で書類と闘っているではないか。仕事と私どっちが大事なの!とは言わない。言わないが、連絡くらいしてくれたっていいじゃないか。
(別に浮気を疑ってるわけでもねぇ。不健康そのものな顔を見れば仕事で立て込んでんのくれぇわかる)
元来器用な嘘はつけない男だ。そして自分はなかなかそういうのには目敏い。浮気したら見抜く自信はある。
それに、何よりも近藤が一番なのも分かってる。どう足掻いたって一番になれないのも分かってる。
だけど。
(もうちっとしおらしく謝ってくれてもいいんじゃねェのォォォ!!?)
大振りの苺を感情任せにガブリと噛む。汁が飛んで畳についたがしったこっちゃあない。そのまま染みになってしまえ!
(折角人が迎えに来てやったのに第一声がさ、何しに来やがった! だし。仕事おわんねぇのって聞いたらケーキでも食って待ってろクソ天パ! だし)
だから思わず嫌味も言いたくなってしまう。もっとしおらしく謝罪してくれれば、こちらだって出方を変える。彼らしくなく丸まった背を撫でて、抱きしめてやれる。
(……あぁもうほんと)
「かわいくねェ奴」
ぴたり、と筆が止まった。
「別に女みてぇな可愛らしさは求めてねぇけどよ、もっとどうにかなんねぇの? 心配して来てやったのに怒鳴られるわ、ケーキ出しときゃ機嫌直るだろみてぇな扱いされるわ。こっちだっていつまでもお優しくいられねぇんだよ。本当さなんでオメーみたいな可愛げがない奴好きになったかなぁ。つーか、好きになった俺がいけねぇんだよな。俺が馬鹿、」
ビュン!と空気が切れる音がした。
真正面から飛んで来たそれを銀時は間一髪で避けて、固まった。ギギギ、と音がする首を動かして後ろを見れば壁に文鎮が突き刺さっていた。今度は首を戻して正面。今にも人を殺しそうな顔で土方が振りかぶったポーズのまま銀時を睨んでいた。
(……あ、やべ、さすがに言いすぎた……)
こりゃあ殺される。背中を冷たい汗が落ちていく。
そして土方はゆうらりと動いて銀時へと寄り、胸倉を掴んで引き寄せる。ゴツンと額が打つかる。余程怒っているのか、それとも徹夜のせいか、白目は血走り、いつもより瞳孔が開いている。そして、地を這うような低音で、オイと呼ばれて銀時は先程までの威勢を捨てて竦みあがる。
「俺の悪口はいくら言っても構いやしねェがなァ……テメーの悪口言ってんじゃねェよ」
「………え」
「チッ。胸糞悪ィ。外で煙草吸ってくらァ」
乱暴に振り解かれて銀時は尻餅をついて呆ける。それに構わず土方は煙草を取って出て行ってしまった。ピシャンと障子が閉まる小気味の良い音が部屋に残る。
「……ありゃあ。盛大に惚気られましたねィ、旦那」
その障子を少し開けて顔だけ覗かせる、沖田。
「自分の事は幾らでも貶していいけど、坂田銀時だけは貶すなよってかィ。土方ゲロゲロー。三徹で頭やられてんじゃねェの」
沖田に解説されて、じわじわと顔が熱くなる。自分は今とんでもなく情けない顔をしているに違いない。
どうやら自分は思っている以上に、大事に思われているらしい。
「そっ総一郎くん! あの子貰っていい!?」
「総悟です。どーぞ好きにしてくだせェ。遅かれ早かれ薬でも盛って旦那に放り投げようと思ってたんで。……あぁそうだ旦那。もう一つ教えてあげますよ」
今にも飛び出して行きそうな銀時を呼び止めて沖田は笑う。
「そのケーキ、買って来たのは山崎ですけど、店を指定したのは土方の野郎でさァ。甘味に興味がないくせに色んな雑誌見てチェックしてるようでねィ。押入れの奥の方に付箋がいっぱいついた雑誌が山程ありますぜィ」
──良かったですねィ、愛されてて。
ニヤァと笑う顔は確信犯。銀時はセットした筈の髪をガアアァァッと掻き混ぜて部屋を飛び出した。
▼「下着」
「ちょっと隊服を乾かせてくれないか」
一階のキャサリンが水撒きしていたところに出くわし、水をかけられてしまったのだという。気付いたお登勢が服を脱いで乾かしていきなと言ってくれたのだが、さすがに女三人の前では脱げないと。そう遠慮していたら、じゃあ電気ストーブ持って二階に行きなと言われてしまったと。土方は溜息をつきながら話す。
「折角の昼休憩が……飯が……」
今朝は沖田の悪戯のせいでご飯を食いっぱぐれたそうだ。見廻りついでに何か買って食おうと思ったが、色んないざこざに巻き込まれ、結局食えず仕舞い。そろそろ屯所に帰らないといけないらしい。
ぐるるるる、と獣でも飼ってるのかと聞きたくなるほど鳴る腹が可哀想だったので仕方ないからおにぎりでも作ってやることにする。
「とりあえず下のズボン脱いでストーブの前に置いとけ。んで風呂場で足拭いてこい」
腹が減りすぎて元気のない土方は大人しく脱衣所に向かう。男同士なのだから気にせずそこら辺で脱げばいいのに。神楽も新八もいないのだから。
まぁいいかと銀時は台所に立って、昼に炊いたご飯の残りをおにぎりにする。マヨ好きなのだから、やはりツナマヨか。そう考えて冷蔵庫の中を見るがツナなんてものはなく、あるのはこの前お登勢に貰った梅干しだけ。梅干しは好き嫌いが激しいから、一応確認しておくかと脱衣所へ。
「なぁ土方、オメーって梅干し………」
ガラララ、と扉を開けて、思考回路がショートした。
邪魔だったのかジャケットを脱ぎ、シャツとベストだけの状態で、ズボンを脱いでいた。真っ白なシャツの下、チラリと見えた下着は、普通の黒いボクサーパンツ。何の柄もついていない、シンプルなもの。
──なのに。
その下着から出ている足が白く艶やかで。少しふっくらとしている太腿と、キュッと締まった膝が絶妙なバランスで。
銀時は下半身を凝視してしまった自分に対し、言葉を失った。
(いやいやいやいやいやないないないない誰だと思ってんのコイツを!! あの土方だぞ!! ちょっとそりゃあまぁ足はびっくりするくれぇ綺麗だけど土方だそ!! おいおい!!)
ダラダラと冷や汗が止まらない。固まってしまった銀時に土方がおいと声をかけた。足にばかり気がいっていた銀時はハッとして意識を取り戻す。そして土方の顔を見て後ろにぶっ倒れそうになった。
「なにジッと見てやがんだよ、テメー」
言葉は乱暴なくせに、困ったように眉を寄せ、頬を赤らめ、唇を尖らせているものだから。シャツの裾を引っ張って必死で前を隠そうとするものだから。銀時の中でなにかのスイッチが入ってしまった。
(……煽ったオメーが悪ィ)
こっちは最近女に縁がなく、欲求不満なのだ。
いつものように瞳孔全開でいちゃもんでもつけてくれれば、言い返して、喧嘩して、扉を乱暴に閉めてやったのに。腹いせに梅干しの種だけのおにぎりとか作ってやったのに。
まったく、なにがキッカケで人生変わるか分からないものだ。
「ひーじかーたくん、ちょっと銀さんと良いことしない?」
ニィと笑って脱衣所に踏み込めば、一気に雰囲気が変わった銀時にのまれた土方が一歩後ずさる。そんな行動すら銀時の欲を煽った。普段はスカした顔をした冷静な彼の違う一面が見て見たいと思ってしまった。
銀時は土方に体を寄せ、下着に包まれた尻に手を伸ばした。
▼「両片想い」
1月10日 14時46分。かぶき町団子屋前にて。
目が合った瞬間、舌打ち。
互いの額に青筋がピキピキ浮かび、元より機嫌悪そうだった顔は、人殺しのような顔へとランクアップ。
「オイオイ、善良な市民様に向かって何舌打ちしてくれてんの? それでも警察ぅ?」
「あ? 何処に善良な市民がいるんだよ。俺が舌打ちした相手は碌に働きもしねぇクソニートだよ」
息が詰まりそうな真っ黒な隊服をきっちりと着込み、羨ましいほどのサラサラストレートヘア。吊り上がった眉と刺青のような隈を差し引いても綺麗に整った顔。
──……あー。今日も好きだなぁ。
そう言い合いの隙間に思ってしまうくらい、銀時は土方が好きだった。恋が病気なら末期だ。
「はあァァ?! ニートじゃありませんんん、万事屋ですうう、しかも今日はお仕事ちゃんとしてきましたああー」
「うざってェから語尾を伸ばすんじゃねェよ! 偶々一日働いたくらいで威張ってんじゃねェ!!」
ツカツカ近寄って来て胸倉を掴まれる。本当に沸点の低い男だ。まぁそのお陰で顔を近くで見られるんだけれど。瞬きごとに揺れる睫毛すら綺麗なんて、神様は不平等だ。
横に居たはずの新八はやれやれと肩を落として一足先に店先の縁台に座る。土方とともに歩いて居た地味な監察も縁台に座り、呑気に挨拶を交わしている。
「一日でも働いたらニートとは言わないんですうう。えっていうかなになに? 土方くんは俺が今月一日しか働いてないのなんで知ってんの? ゴリラ共々ストーカー? やだーこわーい」
「近藤さんはゴリラじゃねェェ!!」
「否定するとこそこかよ!!」
はいはい出た出たゴリラ馬鹿。土方の中でゴリラが一番。何があろうと揺るぎはしない。だからこの男が自分を見てくれるわけも、ましてや好きになってくれるわけも、ない。
だから、何があろうと好きなんて言わない。言えない。こうやって時々すれ違って、喧嘩するくらいがちょうどいい。居酒屋や健康ランドで偶々出くわして、短い時間だけ隣に居られるこの距離でいい。
寂しくなどない。辛くなどない。ただこの男を見守って居られるなら、それでいい。
※
1月10日 14時58分。かぶき町団子屋前にて。
ゴツ、と額が打つかる。
段々とヒートアップしてきた言い合いは止まらない。会話の中身なんて小学生の喧嘩レベル。死んだ魚のようだと比喩される瞳に怒りの感情が混ざりこんでいる。
「大体なァ! 行くとこ行くとこに現れんじゃねェよ、テメーこそストーカーか!」
「誰がオメーのストーカーなんかするかよ! 銀さんそんな暇じゃねぇよ! パチンコしたり競馬行ったり忙しいわけよ」
「だから働けっつってんだろうがァァァ!!」
いつもより近い距離で見ることが出来る銀時の顔。基本的に色素が薄く、少し怒っただけで血行が良くなるのか頬がうっすらと赤い。それより色が強いのは瞳で。土方はその瞳がギラギラと光る瞬間を知っている。
──木刀を振るうあの瞬間。あの時はきっと他の誰よりも、格好いい。
普段のだらし無さを帳消ししてしまうくらいには、土方は銀時に惚れていた。それこそ、底なし沼に足を踏み入れてしまったくらい、後戻りができない程度に。
「別に働かなくたってオメーに迷惑かけてねぇじゃねぇか! あれか? オメーは俺のかーちゃんか!?」
「誰がかーちゃんだ! テメーみてぇな愚息を育てた覚えはねぇよ!!」
グリグリ押し当てる額が痛いが引く気はない。まだ言い合っていたい。
一緒に見廻りしていた山崎は呆れた顔で団子を食い、万事屋の眼鏡少年と話をしている。薬がどうとか今夜がどうとか、一体何の話をしているのやら。
「オメーみてぇなかーちゃん願い下げだわ! つーかかーちゃんキャラは新八だけで十分なんだよ! うちの新八の方が優秀だわ!!」
はいはい出た出た子ども自慢。いつもはぞんざいな扱いしている子ども達を銀時がちゃんと愛を持って接しているのは知っている。何があっても子ども達が一番。
だから、惚れてるだなんて、絶対に言わない。言えない。歪な形であろうとちゃんとした家族になっている万事屋に血生臭い自分が足を踏み入れるなんて出来やしない。理解している。弁えている。
時々こうやって、すれ違いざまに喧嘩して、何ヶ月かに一度居酒屋で一緒に酒が飲めたなら。それでいい。
※
1月10日 15時00分。かぶき町団子屋縁台にて。
「この口喧嘩も今日で見納めと思うと寂しいなぁ」
お茶を啜りながら山崎が言う。そうですねぇと新八。
「あ、そう言えばチャイナさんは今夜どうするの?」
「神楽ちゃんはうちでお泊まりします。あと、お登勢さんも昨日から旅行に行ってくれているので問題ありません。そういえばお祝いだって言って高そうなお酒くれてましたよ」
「あ、それいいね。それがいい誘い文句になりそう」
全く世話の焼ける上司を持つと大変だねぇ、そう微笑む山崎は、言葉の割に楽しそうだ。
「でもまさか沖田さんが手伝ってくれるとは思っていませんでした」
「沖田隊長が一番苛々してるからね。ノリノリで一番効くっていう媚薬買ってたよ」
「すっごい効きそうですね……沖田さんが選んだのって……」
「あー……うん……たぶんギリギリアウトなやつだから……ものすんごいと思う……」
「ちなみに土方さんのシフトって」
「今夜は局長が飲みに誘ってくれるから早く終わるだろうし、明日は休みだし、明後日は遅番だから。少々腰が砕けてても大丈夫!」
「銀さんも明日明後日は仕事入れてないので、万事屋でゆっくりしてもらえますしね。あ、お布団も今日干してますから。バスタオルも枕カバーも新品です」
「わーありがとう新八くん」
「いえ。……うまくいきますかね?あの二人」
「大丈夫。これだけ皆がお膳立てしてるんだもん、腹括ると思うよ」
好き合っていると気付いてないのは本人達だけ。
これだけ大勢の人間が『土方に媚薬を飲ませ万事屋に放り込む』という乱暴な形で背中を押すのだから、きっとうまくいく。
さぁそろそろ行こうかと山崎が腰を上げ、土方に声を掛けた。今夜は皆大忙しなのだから、こんなところで油売ってないで仕事をしないと。
新八も同じように銀時に声を掛ける。そろそろ布団を取り込んでセッティングしないと。まさか自分の脱童貞のためではなく、社長の恋愛成就のためにベッドメイキングする日が来るとは…。
「それでは新八くん」
「それでは山崎さん」
「「ご武運を」」
二人の両片想いが終わるまで、あと九時間。
▼「癒し」
「よォこんな時間に何してんだよ税金泥棒」
「……チッ、テメーか」
街灯もない真っ暗な砂利道で煙草を咥えている土方を見つけて、銀時は声を掛けた。大江戸マートで購入したいちご牛乳が入ったビニール袋を揺らしながら近寄る。
「寄るな」
ピシャリ、と冷たい声が響く。
「そんな冷たく言わなくてもいいんじゃね? 銀さん傷ついちゃう」
大袈裟に身体をくねらせて戯けて見せれば、帰れと一言。どうやら今日はどこまでも機嫌がお悪いらしい。困った男だ。
それでも今日は傷つかない。何故なら自分は上機嫌だから。
「今日さ。下のババアから美味いイカの塩辛貰ってさァ」
「……」
「更にスーパーの福引でお米が一俵当たって」
「……」
「居酒屋の手伝いに行ったら高い日本酒譲ってくれて、あ、封は空いてたんだけど、でもほぼ新品なんだぜ」
「……万事屋」
「そんで神楽は友達の家に泊りに行ったから久しぶりに一人でゆっくりテレビ見られて、やっぱり日本酒にはいちご牛乳だろって店行ったらおまけでカップぜんざい貰って」
「もういい」
もういいから、やめてくれ。土方にしては珍しい言葉。
銀時は一つ深く呼吸し、足を進めた。距離を縮める。砂利を踏む音が木霊する。
「今日は一日すげぇ良い日だったんだ。だからオメーにも会えるかななんて思ってたら会えた。もう銀さんそれだけで幸せなわけよ」
だから。
「少しくらい服が汚れたって、どうってことねぇよ」
砂利を踏む音が、重くなる。土方の唇から煙草が零れ落ちた。煙も上げず、ぐずぐずに赤く濡れていたそれは、最初からなんの役にも立ってなかっただろう。
多分人間だったであろう障害物をひょいひょいと乗り越えて、煙草と同じくらい血に濡れた彼を抱き締めた。
「……寄るなって、言っただろうが」
香るのはいつもの彼の匂いではない。折角触れているのに勿体無いなぁと、それだけが残念だった。
「そうだっけ? 銀時抱き締めてーって聞こえた」
「殺す」
「おっかねぇハニーだこと」
彼の仕事に口を出す気はない。
例えば、転がっている障害物が着ているのが真選組の隊服であろうと、銀時には一切関係ない。
ただ目の前の大事な恋人が今にも崩れ落ちそうな顔をしているから、だから手を伸ばしただけなのだ。恋人を癒すのは、恋人の役目だろう。
「土方くん。うちにおいで。一緒にお風呂入って、隊服洗って、イカの塩辛食べて日本酒飲んで、あったかい布団で寝よう」
まだまだ夜が深まって朝など遠い時間帯。それくらいの時間ならある筈だ。
「そしたら、実家まで送って行ってあげる」
「──……あまり、甘やかしてくれるな」
「俺ァ何事にも甘党なわけよ」
笑いながら答えれば、ようやく土方の腕が背中に回った。
「連れてけ」
「うん」
ほんの僅かに浮上した彼の機嫌。
よかったと銀時は頬擦りする。やはり今日は一日凄く良い日だ。
▼「ぱっつち」
バサリ、と白衣を頭から被せられた。真っ白なそれは甘くて苦い煙草の匂いが染みついている。白衣だけじゃない。国語準備室には銀八の匂いで充満している。
この部屋で指を絡めて話をするのが好きだった。友達のこと、課題のこと、将来の夢。沢山話した。
「……っ」
白衣に隠れて、下を向いた土方は顔を歪めた。我慢しようと思ったけど無理だった。唇を噛み締めたって、熱くなる眼窩の熱は引かない。その内に視界が滲んで、ぼたりと大粒の涙が床に落ちる。
「……も、いい」
目の前の男は何も言わない。
「もういい、分かった、分かったよ、結局、先生は、俺のことなんか、好きじゃないんだ」
自分で言っていて辛い。でも事実だ。銀八に意を決して告白して一年半。指を絡めて話をしただけの恋だった。煙草を吸う唇に触れたことも、草臥れたネクタイを外すこともなかった。
「……ごめん、もう、無理」
これは土方の最後の賭けだったのだ。
二人きりの国語準備室で、学ランを脱ぎ捨て、シャツのボタンを外し、その胸に抱きついたら、手を出してくれるかどうか。最後まではしてくれなくてもいい。せめて、キスさえしてくれたら。
でも駄目だった。何をしてるんだと白衣を被せられて恋は終わった。もう無理だ。頑張れない。どうして自分は男で、銀八を好きになってしまったんだろう。せめて自分が女なら何か違ったのだろうか。
白衣は床に捨てた。代わりに学ランを拾って、乱れたシャツもそのままに銀八の横を通り過ぎる。そして扉のノブに手を掛けた。
──瞬間。
その手を取られて体を反転させられた。学ランは再び床に落ちる。強い力で押されて背中を扉に打ち付ける。何を、という間も無く銀八の拳が自分の頭上に叩きつけられ、扉が悲鳴をあげる。思わずぎゅっと目を閉じた。
「──……誰が」
地を這うような、恐怖さえも感じる低い声。次いで、ガチャリと鍵が下りる金属音。
「誰が好きじゃないなんて、言った」
土方、と呼ばれて目を開ける。少し高い位置にある銀八の顔を見上げる。眩しいほどの夕日が差す部屋で、銀八の顔は殆ど影になっていたけれど、眼鏡の奥の瞳は見てとれた。ヒッ、と小さく悲鳴を漏らしてしまった。瞳には怒りの感情しか映し出されていない。
「俺は先生で、お前は生徒。俺は大人で、お前は未成年。手を出せば俺だけじゃなくてお前の将来さえ潰してしまうような関係なんだよ。鍵もかけちゃいねぇ部屋で抱いてくれなんざ言われたって出来るわけねぇだろうが」
銀八の左手が土方の頬を捉える。そして、何を思う間も無く、銀八にキスをされた。いや、キスなんて可愛らしいものではない。銀八に食べられているという表現の方が正しい。バードキスすらしたことがない土方の真っ新な唇を容赦なくこじ開け、引っ込んだ舌を絡め出されて噛まれた。かと思ったら歯列を確認するようにねっとりと舐められる。ゾゾゾ、と鳥肌と一緒に快楽が身体中を駆け巡る。逃げようにも、いつの間にか両手で顔を掴まれていて逃げられない。土方は助けを求めるように銀八のシャツを掴んだ。息の仕方もわからない。酸素が足りない脳が蕩けていく。また涙が零れて銀八の手を濡らした。
永遠に続くかと思うほどに熱烈なキスは、ぢゅうと舌を吸われてようやく終わった。同時に手も離されて、すっかり腰が抜けてしまった土方は床に崩れ落ちた。追うように銀八も床に膝をつく。
「せ、せんせ……?」
「あと一ヶ月」
「へ…?」
「卒業までずっと我慢してたんだ。卒業したらそのまま掻っ攫うつもりで、一年半我慢して、あと少しだったのに」
言いながら顔が寄ってくる。また食べられた。
少しだけ離れて、確認できたその顔は切なそうに歪められていて。土方は自分の事だけしか考えていなかった自分を恥じた。こんなにも銀八は自分を大事にしていてくれて、しっかりと考えてくれていたのだ。ダメ教師なんて揶揄われているけれど、土方よりもずっと大人だった。
「せ、先生っ、俺……!」
謝らなくちゃいけないと言葉を急ぐ。しかし、その唇に銀八の指が触れる。煙草の匂いが濃い指先。
「誘ったのは土方だからね」
銀八の纏う空気が変わった。す、と細められた瞳。上がる口角。影も相まって、土方の知らない銀八が現れる。雄の色が濃厚なその顔に腰がゾクリと震えた。
「今夜俺の家に来なさい」
耳元に寄せられた唇が囁く。
「皆に内緒で、俺に抱かれるために、家に来なさい」
そして。
「一年半、どれだけ俺が我慢してたか、どれだけ俺が十四郎を愛しているか見せてあげる」
言いながら耳の輪郭を舐められて、あ、と声が零れた。
ドクドクと早鐘を打つ心臓が煩い。銀八の空気にのまれて指の一本も動かせない。それでも、いいねと銀八に念押しされれば、無意識に頷いていた。
「いい子」
声色が優しくなった。そっと抱き締めてくれた。それは、指を絡めてくだらない話に付き合ってくれるいつもの銀八に戻っていた。
土方はおずおずと背中に手を回し、シャツを握りしめる。
「先生、俺のこと、好き……?」
また怒られるかもしれない。それでも聞きたい。
銀八は抱きしめる力を強くし、
「それは今夜ベッドの中でいくらでも言ってあげる」
そう笑った。
土方は甘えるように顔を擦りよせ、楽しみ、と返した。
▼「マッサージ」
「──ッ、い゛……!?」
目の前でメンチ切っていた土方の顔がぐしゃりと歪んだと思ったら、左手で右肩から首にかけて摩っている。刀を抜こうと柄に伸ばされた手はビクリと引き攣ってから動かない。痛いとか辛いとか全く言わないこの男が、珍しく痛いと口にして、動きを止めたことに銀時のほうが狼狽えてしまう。
「オイ、大丈夫か?」
「チッ」
「ちょっとここ座れって」
診てやるから、と駄菓子屋の前に置かれた寂れたベンチに座って隣を叩く。周りには誰もおらず、店番の婆さんはうつらうつらと舟を漕いでいる。
ならまぁいいか、と考えたのだろう。土方は大人しく銀時の隣に座った。
「今急に痛くなったのか?」
「…いや、三日くれぇ前から」
「そんな前かよ。医者には?」
「山崎に診せた。腱鞘炎だろうって湿布もらって」
「まぁた書類と格闘してたのかよ。それで刀持てなくて斬られたらどうするつもりだバカヤロー」
「……うっせぇ」
今回ばかりは銀時が正しいので、土方は悔しそうに眉を寄せる。
銀時はジャケットを脱がせ、白のシャツを捲る。見れば、剥き出しになった手首から前腕にかけて腫れて、筋肉が硬くなっている。親指を動かせば再び苦痛に顔が歪んだ。
「オメーさぁ、ちゃんと湿布貼ってた?」
「……山崎は三日前から潜入捜査にあたっている」
つまり山崎に診てもらったのは三日以上前の話で、三日前から小言を言う部下が不在で、ついつい湿布を貼り忘れて、知らぬ間に悪化した、と。
銀時は肺中の空気を押し出すように溜め息をつき、苛立ちを隠さない瞳で睨みつけた。
「自分のことになると無頓着なのは知ってたけどなァ、今回のは頂けねぇぜ副長さんよォ。腕どころかどうせ肩まで痛いんだろ。応急処置程度にマッサージはしてやるけど屯所に帰ったらちゃんと医者に診てもらえ」
言って、手首や前腕を適度な力で揉む。凝り固まったそこを解すように。痛めている筋には触れず、優しく。前腕まで終われば、肘、二の腕、そして最も硬くなっている肩へと施術の範囲を広げていく。文句を言って来ないところをみると気持ちいいらしい。時折ほうと柔らかい息を吐く。
───……そんな風に自分のことを二の次三の次にするのならば、俺が大事にしてやるのに。
ポン、と浮かんだ言葉に、銀時は自分で驚いて思わず変な顔をする。言葉を消すように頭を振った。
「? どうした?」
「いっいや、なんでも……」
首を傾げて聞いてくる土方に、そう答えようとすれば、
──やっぱり綺麗な顔してんなァ。
なんてまた変な言葉が浮かんでくる。必死で振り払おうと頭を振れば、何処からともなく聞こえたきたサボリ魔の楽しそうな声。
「おやおや旦那ァ、土方さん、喧嘩もせずに二人仲良くセクハラごっこたァどういう風の吹きまわしで?」
「ッ、テメ、総悟! どこ行ってやがった!」
沖田の登場により、土方は早々に銀時から離れて立ち上がってしまった。どうやらマッサージはこれにて終了となるらしい。ギャアギャア説教する土方を尻目に沖田は無視を決め込んでいる。
そしてベンチに置き去りの銀時に向かって、
「旦那ァ。まぁこう言うことなんでさっさと覚悟決めて面倒みてやってくだせェ」
そう言い、グッと親指を立てた。
「へ…?」
「ッ、総悟! テメー!!」
「あれ、もしかしてまだ土方さんの勝手な片想いでしたかィ?」
「え、えっ」
「俺ァてっきりあとは旦那の覚悟だけの話かと思ってやした。土方ざまァみろ」
「ぶった斬る!!」
言うだけ言って逃げる沖田を追いかけようとする土方の左腕を掴む。怒りと羞恥で真っ赤に染まった顔が銀時を捉える。つり上がった眉に似合わぬ、少し涙が滲んだ瞳。あ、やばい、かわいい。トクンと心臓が跳ねた。
「……あーあのさ、土方くん。さっきので分かったと思うけど、俺マッサージ上手いんだよね。だからさ」
──今夜うちに来ない?
土方が頷いたかどうかは、銀時だけの秘密である。
▼「節分」
餌付け、というのはきっとこういうことを言うのだろうなと銀時は考える。
神楽と新八が節分用の恵方巻きを買いに行くため万事屋を出たのと同時刻、土方がこれまた節分用の豆を持ってやって来た。デフォルメされた鬼の絵が描かれたその袋を掲げて、食うぞと男は機嫌良さそうに紫煙を吐いた。
ソファに座り、二十八個目の福豆を土方の口に放り込めば、人差し指についた小さな豆の殻を舌で舐め取られた。
「はい、これでお仕舞い」
「じゃあ次はテメーだな」
「えー、俺はいいよ。こんな豆食うくれぇなら団子食いたいし」
「阿呆か。今日は節分だぞ」
「節分よりバレンタインの方が興味あるなぁ。今年は何くれるか楽しみにしてるからね」
豆の味がする唇にチュッと軽くキスをして会話の終わりを示しても、土方は素知らぬ振りをして食えと言ってくる。
「だから」
「節分には無病息災を願う意味があるんだろう。鬼を払って、次の一年が健やかに過ごせるようにと」
「……って聞いたけど」
「なら、食って、願えばいい」
土方の手が伸びて銀時の頬を撫でた。
「それとも、鬼にはそんな資格がないとでも言うのか」
首を傾げれば、彼の艶やかな黒髪がサラサラと流れる。追い詰めるわけではなく、ゆったりと穏やかな物言いは二人きりの時だけに使うもの。
「別に、そういうわけじゃ……」
「いいじゃねぇか」
昔、誰に付けられたかも分からぬ異名を背負って一線引く白夜叉が、まだ幼い家族の無事を願ったって。裏切った仲間を容赦なく斬り捨てて涙の一つも流さない鬼の副長が、大事な身内の無事を願ったって。
「毎年情けない顔してイベント事から逃げ回る厄介ごとが大好きな恋人の無事を願ったって。今日くれぇ誰も怒らねぇだろ」
すぅと細められた藍色の瞳に映る自分の顔は、なんとも情けないものだった。あぁ去年逃げ回ったことを子供たちが彼に話したんだろうなぁと頭の片隅で考える。そうでなければ、子ども達が出掛けるタイミングでこの男が偶然やって来るわけなんてない。そうか心配させて要らぬ世話を焼かせてしまったなと反省もした。
「なぁ願ってくれよ、俺のことも」
頬骨をなぞるように親指で撫でられる。
「……でも俺、本当の歳なんざ知らねぇし」
「俺と一緒でいいじゃねぇか。好きだろ、おそろい」
「うん」
じゃあ二十八個な、と土方が袋を持ち、福豆を銀時の口に運んだ。奥歯でガリッと噛み砕けば、素朴な味が口中に広がる。別にこの味が好きなわけではないのに、飲み込めば身体中に染み渡るように広がり、腹の底が温かくなった。袋を持つ土方の手を握る。
「今さ、すっげぇ土方のこと抱きたいんだけど」
「奇遇だな、俺も抱かれてぇ……けど時間切れだな」
耳をすませば、子ども達の声が聞こえてくる。どうやら恵方巻きの買い出しから帰ってきたようだ。
「だから、今晩、な?」
今度は土方からのキス。それと同時に玄関から、銀ちゃーんと間延びした神楽の声がした。
「今日は絶対ぇ寝かせねぇからな」
「おう」
再び神楽に名前を呼ばれて、銀時は返事をしながら立ち上がって玄関へ向かう。その背中に土方が、銀時、と呼び掛けた。
情事の最中でも滅多と呼んでくれない下の名前に驚き、勢いよく振り返れば、
「好きだぜ」
なんてこれまた滅多と言わない言葉を投げつけてきたものだから、クリーンヒットした銀時は両手で心臓を抑えた。壊れそうなくらい脈打っている。じわじわと顔も赤くなる。
夜叉なんて呼ばれるには情けなくだらしのない顔をした銀時は、俺も好きだと満足げに笑う鬼に向かって大声で叫んだ。
▼「バレンタイン」
鬼の副長。真選組の頭脳。バラガキ。
色々と二つ名が付いている恋人は、いつも凛々しく背筋が伸びていて、他人に厳しく自分にもっと厳しくの精神を地でやっていくお人である。直情型のくせに頭の回転が早く、時々おっと思うような作戦を打ち出してくるようなこともある。
そんな非の打ち所がない人間にだって、弱点はある。
「ん!」
土方がやって来たのが二時間前。多分バレンタインのチョコであろう箱を紙袋から取り出し、その箱を何故か自分で開けて真っ赤な顔で唸り続け、意を決したようにそれを唇で挟んで、土方がようやく銀時の方を向いただけでその二時間は終わった。
どうやら今年のチョコは、バトンチョコというらしい。あまりにも暇すぎた銀時はチョコの箱の中に入っていたパンフレットを穴が空くほど見た。今なら一字一句間違えずに暗唱出来る気がする。本来そのチョコはオリジナルのメッセージを書いてもらえるものらしいが、残念ながら土方が持ってきたチョコには[LOVE YOU]としか書かれていない。その単語はパンフレットにも載っているデフォルトのものだ。
まぁそれはいい。恥ずかしがり屋のこの男がメッセージなどくれるわけがない。銀時が突っ込みたいのはこのシチュエーションである。
「んっ!!」
いやそんな風に怒ったように唸られたって答えがわからない。
何故土方はポッキーゲームよろしく口に咥えて銀時に差し出しているのか。本物のポッキーゲームはさせてくれなかったじゃないか。なのに何故今。
パニックを起こしながらも、いい加減土方が怒っているので銀時はバトンチョコに噛み付く。サクサクサク、と食べ進めて行く。[LOVEYOU]は消えてしまった。
土方の唇まで行き着いて、チョコ味のキスをする。軽いチュッというリップ音でおしまい。
さてとりあえずこれで満足か、と銀時が顔を離せば、サッと顔を青くして口元に手をやる土方。
そして、
「か、かえる」
と言って立ち上がってスタスタ歩き出すものだから銀時は慌てて手を取り、引き寄せてホールドする。
「いやいや全然意味分かんないから! 最初っから銀さんずっとクエスチョンマーク飛ばしまくってるからね! ちったぁ気付いてくんない?!」
「うるさい黙れ帰るったら帰る! 実家に帰らせていただきます!」
「今帰らせたらオメー二度と来なさそうだからダメェェ!お願いだから何があったか喋ってェェ!!」
やんややんやと暴れ回ること十五分。なんとか押さえつけていれば、土方は諦めたのか体の力を抜いた。銀時にぽすんと体を預けてきた。そんな彼を丸ごと抱き締めて、いつもより小さく見える背中を撫でる。
「……今年のバレンタインは、この棒チョコが、流行ってるって」
「うんうん」
「棒チョコを咥えて、こ、こ、恋人に、反対側から食べてもらって」
「うんうん」
「最後に大人のぐっちょぐちょのキスして」
「……う、うん」
「お前の、……にもチョコを食わせてやるって言われたら、いい関係が、続くって」
「………」
「総悟が」
「うん、そうだよねェェェ!!」
鬼の副長。真選組の頭脳。バラガキ。
その二つ名で恐れられ、更に賢いこの男の弱点。それは専ら自分の命を狙ってくる弟のような存在の沖田の言葉を鵜呑みにすることである。
一体これで何度目だ。付き合いだしてからとっくの昔に両手両足では足りない数を騙されている。それでもまだ信じるのだ。騙された数だけ銀時は沖田の言うことは鵜呑みにするなと説教してきた。なのに、また、騙されている。
好きな人にチョコを渡す、なんて可愛らしいイベントに、誰がそんな下ネタをぶっ込んで来て流行らすだろうか。少し考えたら分かるだろうに。
さて一体どこから誤解を解くか、と考えて、黒い欲望がひょっこり顔を出す。いや待てよと考え直す。
──もしかしたら、この状況に乗っかってチョコレートプレイが出来るのでは。
バトンチョコはあと二本残っている。土方は信じきっていて、バードキスで終わらせた銀時にショックを受けている。
(よし、いける)
期待は確信へと変わった。
(毎度毎度沖田くんに騙されるお仕置きも兼ねて)
求められているチョコレートプレイをやってやろうじゃないか。それも物凄く恥ずかしいハードなやつ。
「土方くん」
銀時は土方の耳に唇を寄せる。
「銀さんさ、ほら流行には疎いから知らなかったんだよね」
チョコの匂いが残ると息を吹きかけ、
「だからさ、もっと、ちゃんと、教えてくれない?」
甘ったるい舌を耳孔に差し入れた。じゅる、と吸えば土方の肩が揺れる。一気に耳と首が赤く染まっていく。
「バレンタインやり直そっか」
体を離して、残ったバトンチョコに手を伸ばして掴み、土方の口元へと持っていく。ノックするように軽く叩けば、薄っすらと開く。従順なその態度に満足した銀時は、うっとりと目を細め、バトンチョコに齧り付いた。
「───…はァ? 旦那、俺ァそんな話してやせんよ」
その言葉を眉を顰めた沖田から聞いたのはホワイトデーの前日のことである。
▼「香り」
焼き立てのホットケーキ。陽の光を吸収したお布団。新しく買った柔軟剤。どこかの家の蝋梅。神楽に貰った消しゴム。新八が持ってくるみたらし団子。
これらは全部、銀時が好きな香りである。
基本的に甘めの香りが好きだ。ふんわりと漂って思わず口元が緩むような、そんな香りがいい。嗅いでいて幸せになれる。心臓が柔らかくなる。銀時の中の欲を優しく掻き立てるその香りを吸い込んでは、今日はあれしよう、これしようと予定を立てることも珍しくない。それほど銀時の中で香りというのは重要性を秘めている。
──だから、そう、これは大変イレギュラーなものである。
「オイ、まだか」
腕の中から香るのは甘さとは正反対の苦い煙草。仮にも恋人が後ろから抱きしめているというのに、遠慮もせずにパカパカ煙草を吸っている。その対応すら苦い。
「んんん、もうちょっと」
でもこの苦味から逃れられない。自分でも馬鹿だと心底思う。
一ヶ月と十四日。銀時が放って置かれた日数だ。やれ仕事だ、やれ接待だと逢引を断れ続けてとうとうその日数になった。最後の電話は一週間前。銀時がとうとう抑えきれずに「もう知らねェ!!」と怒りをぶちまけた。恋人である土方の言葉も聞かずに電話を切った。電話線だって引っこ抜いた。別れてやると意気込んで布団に入り込んで不貞寝。
でも、見廻り途中の土方の苦い香りが鼻をくすぐれば、もう駄目だった。
やっぱり土方を愛したいし、愛されたい。一緒に居て喧嘩したいし、甘やかしたい。そんな欲がむくむくと腹の底から芽を出して、一分もせずに開花した。それはもう今までの人生で一番の美しい花だった。
すぐに土方を路地裏に引っ張り込んで抱きしめること早十分。文句は言われても煙草は吸われても、引き剥がされないので嫌われてはいないはず。
土方がすっかり短くなった煙草を携帯灰皿に押し付ける。
「……今日の夜、は無理でも明日ならなんとかなる」
紫煙の代わりに吐き出されたのは、彼にしては珍しいお誘いの言葉。
「どうにか頑張れば多分なんとかなる、はずだと、思う……」
あぁ本当に珍しい。彼の言葉がなんとも煮え切らない感じで、更に弱々しい。着流しの袖を掴んでくるその手はなんとも頼りない。
「いいよ、無理すんな。お前さんが俺のために時間作ろうと躍起になってることくれェ俺だって分かってらァ」
本当は一晩一緒に居たいけれど、それで土方が体調でも悪くしてしまったら、それこそ心苦しい。だからこの十分で充分なのだと、伝える。
しかし、
「阿呆か。誰がテメーなんぞのために頑張るかよ」
袖どころか腕を取られ、一瞬にして土方はすり抜ける。そしてあっという間に壁に押し付けられた。
銀時の顔の横にはまだ煙草の香りが色濃く残る右手。
「俺もそろそろ糖分補給したかったんでな」
目の前には雄の香りが漂う藍色の瞳。
「──明日の夜、覚悟しろよ」
「わぁお。じゃあ俺もたんまりとニコチン摂取させてもらおうかねぇ」
負けじと瞳を煌めかせ、口角を上げて応戦する。土方がこの顔に弱いことなどとうに気付いている。薄っすらと赤らんだ頬に手を伸ばしキスをしたいけれど、ここで触れたら止まらなくなることはお互い分かっているのでそのまま離れた。ちょうど、土方の携帯が鳴ったので銀時は先に大通りへと出た。
まだ日が高い空へと向かって、両手を突き上げ伸びをする。苦い香りに満たされて、視界はクリア。
「さて、明日の夜まで何をしようかねぇ」
思ったよりも楽しそうな自分の声に、銀時は声を出して笑った。
▼「隠し事」
薄暗い路地裏に置かれているゴミ箱がガシャンと音を立てて地面を転がる。眉を釣り上げ、キッと睨みつけている土方が蹴飛ばしたのだ。その怒りを真正面から受けている銀時は身じろぎひとつすることない。
「だから仕事だっつってんだろうが、しつけぇぞ」
「しつこく言わせてんの誰だよ。何回目か分かってんの?」
「知るか。いちいち数えてねぇよ」
「今回で六回目」
その数が思ったより多かったのか少なかったのか想像はつかないが、土方は苦々しく舌打ちをして答えた。
「小姑かよ。数えてんじゃねぇよ」
「数えたくなくても覚えてんだよ」
「じゃあ覚えてんじゃねぇよ。とっとと忘れろ」
今まで動かなかった銀時の顔が歪んだ。
「忘れろだァ……?」
すうと低くなる声に、微かに土方の肩が揺れたが、隠すように更に強く睨む。しかし、銀時が素早く土方の胸倉を掴んで壁に背中を打ち付けたことによりその目は丸くなる。それでも反射的に銀時の胸倉を掴むところは、やはり生粋の喧嘩好きたる性だろうか。
「オメーのそんな顔見て忘れられるわけねぇだろうが……ッ!」
吐き出される言葉は、いつもの往来で繰り広げられる喧嘩とは違い、やたらと情のこもった重たい言葉。
「俺ァそんな難しい事言ってるか?仕事を休めっつってんだよ。もう二ヶ月は働き詰めだろうが」
怒りに震える息を吐きながら尚も続ける。
「予定がドタキャンされようが、待ちぼうけ食らおうがそんなもんはどうでもいい。ただ、オメーが無茶して倒れるのだけは嫌なんだよ」
言葉が途切れた瞬間、土方は再び舌打ちをし、両手で胸倉を掴み直し、反対側の壁へと銀時の背中を押し付けた。
「うるせぇ! テメーにとやかく言われなくてもこれくれぇで倒れるような軟弱な体じゃねぇんだよ! これは俺が選んだもんだ。テメーなんかに口は挟ませねぇ!!」
そして。
「そんなに仕事より優先してほしけりゃ、そうしてくれる奴の所に行けばいいだ、……ッ!!」
叫び終わるより前に、銀時が土方の頬を殴った。ゴッと鈍い音がする。
「なにしやがる!」
しかしその頬を構うことなく土方は殴り返す。殴られた銀時は更に殺気立ち、乱雑に手首を掴んで立ち位置をひっくり返した。
そして、勢いそのままに土方の唇に噛み付いた。抵抗しようとする手首は壁に縫い付け、蹴ろうとしてくる足を押さえつけ、出来る限り体を密着させている。土方の息すらも奪うそのキスは何度も繰り返され、長い時間続いた。
終止符を打ったのは土方だ。銀時の舌を噛んだらしい。小さな唸り声とともに銀時は離れた。
沈黙が落ちる路地裏に、さっきまでとは打って変わって大人しくなった銀時の声が響く。
「……心配くらい、させろ」
「余計なお世話だ」
「分かってる。でもそんな窶れた顔見せられたら、……辛ぇよ」
「……」
「一緒に居れなくていい。いいから、ただ、休んでくれよ」
「………」
「なぁ」
暴力的だった手や足は、いつのまにか優しく互いの体に絡んでいた。降参したのか、土方は銀時の肩に頬を預けている。銀時は薄くなった背中を懸命に撫でる。
「俺ぐらい、オメーを大事にさせてくれよ」
──そこが限界だった。
新八は自分の口を両手で塞いだまま路地裏を離れた。人の気配に聡いあの二人にバレずに離れることができたのは、互いが互いに夢中になってくれていたからだろう。よかった、と大通りに出て息を吐く。
「……知らなかった」
銀時と土方がキスをするような間柄だっただなんて。
「知らな、かった……」
銀時があんな声で誰かを思いやるだなんて。土方があんな風に甘えることが出来るだなんて。
心臓は未だオーバーワーク。足だってガクガク震えている。
知ってはいけない隠し事に触れてしまった新八は、ああぁと崩れ落ちて頭を抱えた。
▼「ギャップ」
──誰だ、コイツ。
長雨が止んで、ようやく晴れた平日の昼下がり。依頼がないのをいいことにパチンコに励み、少しだけ勝った金でいちご牛乳を購入して一休み、と入った公園で銀時は首を傾げた。
お気に入りのベンチには先客がいた。名前は知っている。マヨネーズ大好き土方十四郎くんである。
しかし銀時の記憶の中の土方とは少し違う。
「どうしたの、お前さん」
思わず声を掛けた。掛けずにはいられなかった。
だってそうだろう。いつもは暑苦しそうな真っ黒な隊服をきっちり着こなして清潔感漂う黒髪を靡かせている男が、ヨレヨレの着流しに、剃り残した髭、ボサボサの頭でボーッと煙草を吸っているのだから。いくら気にくわない相手とは言え、流石に心配になる。
「……あぁ、テメーか」
言葉にも力がない。淀みなくスラスラ吐き出される悪口もない。
「調子でも悪いのか」
「いや、べつに」
答える土方の隣に座って、銀時は思いっきり顔を顰めた。
「うわ、お前ヤニ臭ェ! いつもよりひでぇぞ!」
「あ? あー……そうか」
「顔色も悪ィし、隈もひでぇし、唇も切れて血ィ出てんぞ」
「……そうか」
距離を詰めても怒られない。これは末期だ。何があったか知らないけれど、これはヤバイ。かなりヤバイ。
思わず銀時の体の中に流れるお節介焼きの血が騒いだ。
「土方くん。ちょっとウチ来なさい」
※
神楽はそよ姫のところで泊まりだと昨日言っていたので、遠慮なく土方を連れてきて、まずはお風呂を沸かした。
あまり動かない彼の着流しを剥ぎ取って、下着は自分で脱がせて湯船に放り込んだ。銀時は着流しだけを脱いだ状態で、ぐでんと脱力している頭をシャンプーで洗うこと三回。色の悪い顔は二回洗って、髭も処理した。浴槽から体を引っ張りあげて椅子に座らせ、デリケートゾーン以外は二回洗い上げる。
煙草の臭いが薄くなった彼の髪を乾かし、ソファに放り投げて、今度はご飯の準備。神楽が居ない間にとこっそり用意していた鳥もも肉を一口大に切り分け、フォークで穴を何箇所も空けてから銀時秘伝のタレに漬け込む。そして揚げれば即席でジューシーな唐揚げの出来上がり。一つ味見すれば、柔らかな鳥もも肉の食感と、ニンニクや生姜の風味が最高だった。じゅわ、と広がる鶏の油はどうしてこんなに美味いのだろうかと心の中で拍手をしてビールを飲んだ。
コールスローを添えて、お茶碗にこれでもかと盛った白いご飯も忘れない。
「おら、これ食え」
テーブルに並べて言えば、のそのそと起き上がってゆっくりと食べ始める。嫌々そうに一口。そこからは早かった。無言で只管食べ進め、ご飯のおかわりもした。仕方がないので銀時用にと残していた唐揚げも全部あげた。
「うめぇ」
仕方ない。作る側はこの一言に弱いのだ。
綺麗になった皿とお茶碗を流しにつけて、土方の元に帰ってくると、すぅすぅ寝息を立てて眠っていた。座っていたのを寝転がせてみても起きなかったので、一瞬で相当深い眠りに就いたようだ。春先とは言えまだ寒いので毛布を掛けておく。
「……結局なんだったんだよ、お前」
銀時は床に座り込んで、穏やかに眠る土方の頬を抓った。
理由は知らないが、どうせ限界ギリギリまで徹夜で働いていた土方を近藤か誰かが屯所から放り出したのだろう。そして、土方本人はそんなことをされて──たぶん傷付いたのだろう。鬼だ冷徹だ残忍だと好き勝手言われても傷の一つもつかない男が、犬猿の仲である自分に拾われて世話してもらうくらいには傷付いて、なんとも言い得ない寂しさがあったのだろう。
分からない。今のは憶測だ。全部当たっているかもしれないし、外れているかもしれない。銀時の知るところではない。
──それでも、一つ、確かなことがある。
ピカピカになった土方の顔を見つめてから、両手で自分の顔を覆った。掌で感じる自分の顔の熱に、クソっと唸る。
弱いのだ。自分は。彼のように普段スカした顔ばかりしている男が甘えてくることに。
想像もしなかった土方のギャップと、恋が始まりそうな予感に銀時は頬をまた抓って、内緒のキスをした。
▼「ドッキリ」
安っぽいラブホテルのベッドの中心へと担いでいた土方を投げ落とす。軽くバウンドしてから沈んだ身体は起き上がることはないし、寝息を吐き出す口が悪態を吐くこともない。
ベッドの際に腰を下ろして銀時は頭を抱えた。
──やってしまった。
心と頭の中はその一言が縦横無尽に駆け巡っている。その一言以外何も思いつかない。だって本当に文字通り、やってしまった、のだ。
「………やべぇ」
酒をしこたま胃の中へと放り込んだはずなのに酔いはすっかり覚めてしまった。
銀時の勝手な苦悩など知らぬ土方は幸せそうに糊の効き過ぎているシーツに頬を擦り寄せて、ふにゃふにゃ口を動かしている。
「あぁもう畜生可愛いなぁコノヤロー!」
きゅううんと締め付けられた心臓を着流しの上から握りしめて悔しそうに嘆いた。
そうなのだ。可愛いのだ。
瞳孔が開いて常に睨みをきかせていて煙草臭くマヨネーズ大好きな味覚音痴のこの男が。更に言えば、自分とは犬猿の仲であり顔を合わせるたびに容赦なく殴るわ蹴るわ斬るわの傍迷惑なこの男が。可愛くて可愛くて仕方ないのである。
「マジで世も末だわ…」
銀時が土方を可愛いかもしれないと思ったのは初めて二人で飲んだ時。それから約一年かけて十回約束を取り付けて飲んだ。可愛いかもしれないは可愛いへと変わり、好きという感情まで絡みついてしまった。すっかり手遅れである。
そしてとうとう二人で飲んだ記念すべき十回目の夜に飲み比べをして件の相手を酔い潰してラブホに連れ込み襲ってしまえと脳が指令を下してしまった。その指令に従ってしまった。
「──……」
ギッと音を立てるスプリングを無視して銀時はベッドへと上り、土方に覆い被さった。
真っ白なシーツに散らばる黒い髪。酒のせいで血行が良い頬、首筋。うっすらと開いた唇の隙間から覗く白い歯と赤い舌。もうどこを見たってこの行為をやめられる気がしなかった。
「……悪ィ」
あとで殴っても蹴っても、殺してくれたって構わないから。だから、ごめん、一度だけ触らせてくれないか。
土方と同じ酒の匂いがする唇を近付ける。頼むから起きてくれるなと、普段は信じてもいない神に祈って。
──そして、あと数センチ、といったところで土方の瞼が持ち上がる。
銀時が反応するよりも早く土方の手が胸倉を掴み、一秒後には唇が触れ合っていた。次いで、角度を変えて何度も貪られた。唇で唇を噛まれ、互いの熱が同じになるまで食らわれた。キスが終わったかと思えば土方に乱暴に横に倒され、あっという間に位置が逆転。
「ひっ……」
土方、と呼ぼうとした唇はまた食べられた。今度は痛いくらいに噛み付かれてしまった。思わず唸れば、消毒するようにペロペロと舐められる。
そして銀時の唇を舐めながら土方は、
「驚いたか?」
と悪戯を成功させた子どものように無邪気に笑う。
「あんまりにもテメーがヘタレだからちょっと手伝ってやったんだぞ。有り難く思え」
上体を起こして銀時を見下げてくるその顔にゾクリと背筋が震えた。
可愛い、なんて間違いだった。
「──……なァ、手ェ出してくれるんだろう?」
しゅるりと帯を解いて、着流しを開けるその姿は美しく、噎せ返るような色香が溢れ出している。うっとりと細められた藍色の瞳に捕獲された銀時は、負けじと目に力を込めて見つめ返す。
「ヘタレっつったこと後悔させてやらァ。後で泣くんじゃねぇぞチンピラ警察」
「上等だ、クソニート。泣かせられるもんならやってみろ。俺の演技に騙されたくせに出来んのかよ」
「いつまでも調子に乗ってっとすぐに痛い目見るぜ?」
「あァ?」
素早く体を起こして土方の唇を奪う。彼が寄越したキスよりも大人の、舌や唾液を絡みとるようなキス。口腔内を好き勝手に暴れながらそのまま後ろへと押し倒す。
「驚かされた分、驚かせてやらァ。覚悟しやがれ」
言って、彼の赤い耳へと愛の言葉を吹き込んだ。
▼「間接キス」
※土方さんとモブ♀がキスしてますのでご注意を。
吉原の、とある花魁の用心棒として駆り出されていて、一日がかりで仕事をこなし、使い道のない大人の玩具をこれでもかと渡されて、疲れ果てていたところで見慣れた横顔を見つけた。但し、見慣れているのは顔だけで、その顔がこの吉原にあるのは見慣れていない。なんとも言えない違和感が銀時を襲う。
「……着流しっつうことはプライベートかよコノヤロー」
かぶき町で擦れ違う時と同じか、少し上等な着流しに身を包み、薄暗い路地裏で女と話しているのは真選組の鬼の副長。路地裏の薄暗さに紛れようとしているのか女に腕を取られて引っ張られても頑として煌びやかな大通りには出てこようとしない。
「副長様はあっちもエリートコースですかそうですか」
一般人のように金を積んで女を抱くのではなく、金など要らないからと女が抱かれに来る。羨ましい限りのエリートコース。頭の中で土方の尻を蹴り飛ばしてやった。ざまあみろ。少し虚しかったのは見ないフリ。
銀時は、土方を見つけたことに驚いて落としかけた荷物を抱え直して足を進める。流石に目の前を通り過ぎたら気付くだろうが、まぁいい。
どちらかと言えば土方よりも女の方に目が行く。何せ銀時好みの巨乳である。溢れて零れそうな程である。そんな男放っておいて俺とどうよと言って揉んでしまいたいくらいだ。
羨ましいねぇ、と何回目かの妬みの瞬間。女がそっと距離を詰めた。あっという間に綺麗にひかれた紅が土方の唇を掠めて、白い指が誘うように鎖骨を擽る。しかしその誘いには乗らず、土方は耳元で何か囁く。何を言ったのかは知らないが、それだけで女は名残惜しそうな視線だけ残して去っていく。人の多い大通りに紛れて、女の背中はすぐに消えた。
人の、しかも見知った相手のキスシーンだなんて滅多と拝めるものではなく。思わず足を止めてしまった銀時に土方が気付いて、居たのかと声を掛けてきた。
「……行っちまったけどいいの、あれ」
「別にいい。ちょっと話をしに来ただけだからな」
「ふぅん。その割には仲睦まじそうだったじゃん。なにお前さんのお気に入り?」
「阿呆か。テメーみてぇなニートと違って俺ァ立場っつうもんがあるんだよ。こんな所で女が抱けるか」
「あぁ。副長様のナニが極小とかバレたら不味いもんね」
「テメーのナニを極小にカスタマイズしてやろうかクソ天パ」
未だ路地裏から出てこない土方は、室外機に腰を掛けて煙草を吸い始めた。女の匂いを消すようにそこら辺に煙を撒き散らす。
「しっかしまぁあんないい女に言い寄られても抱けねぇとか勿体ねぇなァ。副長なんざなるもんじゃねぇな」
「あ? アレはテメー好みか?」
「正直顔はそんなだけど、おっぱい大きいのが高評価」
「趣味悪ィ」
「うるせぇよ」
なんとなくその場から去りづらくなって、銀時は少しだけ土方に近付く。
すると土方がもう少しこっちへ来いと手招いて来た。なんだよと文句を垂れつつ路地裏に足を踏み入れれば、土方が煙草を携帯灰皿へと仕舞う。
そして、空いたその手で銀時の胸倉を掴み、袋から零れた大人の玩具が地面に落ちて散乱するのも気にせずに引き寄せた。
「──ッ」
相変わらず瞳孔が開いているその藍色は、閉じられることはなく銀時の赤色を捉えていて。銀時が更なる文句を言うより早く、唇同士がぶつかった。
「テメーにやるよ、あの女のキス」
情緒も、色気も何も無い。キスとは言い難いその行為。
「俺には必要ねぇ」
冷たく言い放って、パッと胸倉から手を離す。銀時に押し付けても、それでも残っている紅は手の甲で拭っている。
いきなりの行動に頭が追いつかない銀時はすっかり固まってしまい、返事の一つも出来やしない。
それでも土方は興味を示すことはない。女のキスを移し替えられて満足したのだろう。じゃあなと手を上げて路地裏の奥へと姿を消した。
一人残された銀時。散乱した大人の玩具。それから何処へも持って行きようがない驚きと怒り。そして唇に移された紅と、鼻に残る煙草の臭い。
ようやく思考回路が正常に起動して叫ぶのはそれから三分後のことである。
そして二人がもう一度キスをして、銀時が土方を抱くのはそれから一年後。
「俺を好きだなんていい趣味してんじゃねぇか」
そう土方に鼻で笑われた日のことである。
▼「惚気」
チュドーンだか、ドカーンだか。
兎に角そんな感じの爆発音が辺り一帯に鳴り響いて、ついでに地響きも起こす。もうもうと上る黒煙と、隣に立って呑気に「あちゃー親玉には逃げられましたねィ」とバズーカ片手に遠くを見つめる部下。
この瞬間吹き飛ばされたのは、かぶき町の片隅にある空き家が一軒と下っ端の攘夷浪士が数名。それから一か月ぶりに取れるはずだった土方の非番である。
※
真選組の行き過ぎた捜査を徹底追及!なんて謳った下らない報道番組に追いかけまわされ、バズーカで空き家を吹き飛ばしたことへの対応に追われ。更にその事件とは全く関係のないが急ぎであるはずの書類がなぜか局長室の片隅から湧き出てきて、情けなく大泣きしながら近藤に縋りつかれ。
気付けばあっという間に三日が経っていた。勿論この三日間はほぼ寝ていない。全てを合算しても五時間眠っていればいい方だと思う。
当然非番は返上となった。更に向こう一ヶ月はまともな休みが取れない可能性が大。ワーホリだなんだと指を指されて笑われることが多いけれど、別に自分からやりたくて首を突っ込んでいっているのでは決してない。周りが勝手に仕事を増やしていくのだ。土方だって人並みには休みが欲しいと思っている。組織のナンバーツーで、唯一の常識人ポジションだから我儘は言わない。ただ一ヶ月に二回でいいからまともな休みをくれ。
だってそうだろう。
人間、恋人なるものが出来たらそれなりに会いたくもなるしデートというものだってしたい。それをするためにはまず休みが必要なのだ。
「───で、最後に連絡したのって、いつだったっけか……」
連日テレビで大々的に過剰捜査のことを報道されてしまっているので、今日は朝から警察庁に呼び出されていた。勿論お褒めの言葉を頂戴するためではなく、真選組への経費の削減という罰とお怒りの言葉を頂戴するためである。松平以外の幹部クラスの重役に囲まれて二時間のお説教。我ながら全員たたっ斬らなかっただけ偉いと思う。
松平が用意してくれた送迎車を途中下車して、携帯を操作しながら昼間のかぶき町をふらりと歩く。夜になれば酔っ払いに占拠される大通りは、今は平和に子ども達が走り回っている。土方の足元にもチョークや石で書いた落書きがちらほら。無意識の内にそれを踏まないように歩く。
カチカチとボタンを押してリダイアルを遡っていくが、如何せん電話を受けることも掛けることも多い立場なので、一番古いものでも二日前だった。こんな日数では追いきれないほど前だ。最後にあの男に、恋人になったばかりの坂田銀時に電話を掛けたのは。しかもその最後の電話も一分も話していないかもしれない。途中で出動要請が屯所中に鳴り響いたので、慌てて切ったのだ。
「流石にやべぇ気がする」
携帯をジャケットのポケットに仕舞い、寝不足で霞む視界の中進む。
別に銀時から何かを言われたわけではない。仕事については理解をしてくれているから彼が怒ることもないし、時間を作ってくれと催促されたこともない。多忙を極めている自分にとって良い恋人だ。
でも逆にそれが土方を焦らせた。何日連絡を取ってなかろうと怒ることはない。何回逢瀬をキャンセルしても泣かれたこともない。それはつまり裏を返せばどうでもいいということではないだろうか。実は恋人だと思っているのは土方だけで、銀時はそうでもないのかもしれない。
ただ時間が合ったときに体を重ねて、それなりにいい時間が過ごせるだけの、所謂セフレのような──……。
「………」
駄目だ。圧倒的な寝不足且つ精神的ダメージを食らったばかりの思考回路では碌でもない考えばかりが浮かんでいく。
慌てて精神安定剤である煙草を取り出して、苦い煙を肺の中一杯に吸い込む。子どもが多いからと遠慮していたが、大通りを歩くにつれ少しずつ人が減ってきているのでまぁいいだろう。
パカパカ煙を吸っては吐いてを繰り返す。そうすれば少しだけ暗く淀んでいた頭の中がクリアになっていく。
大丈夫だ。あの男はだらしなくてニートで天パでいざっていう時以外死んだ魚の目をしていて足も臭いが、そんな風に人を性欲処理の道具に使うような人間ではない。ドSだなんだと言っているが打たれ弱いし、案外可愛いところだってある。だから大丈夫。ちゃんと好き合っている恋人で、きっと今回の非番が無くなったことに対してだってテレビの報道を見ていたら納得してくれている。怒ってなどいない。次に会った時にはきっとお疲れさまと笑ってくれる。
───……本当に?
「クソッ」
拭いきれない不安感と焦燥感が足元に纏わりついてきて鬱陶しい。蹴り飛ばすように大股で歩くけれど変わらない。腹の底から苛々が募ってきて、いっそのこと叫んで散らしてやろうかと息を吸い込んだ、その時。
「あっちょうどいいとこに居た。おーい土方くーん」
前方の団子屋の縁台に、何やら数人の若い男女に絡まれている銀色が目に入った。土方の推察など露とも知らない彼はへらりと頬も口元も緩めている。その態度に本来ならば自分も不安を吹き飛ばして彼に駆け寄り、ここ数日の話をするべきなのだろう。でもどうもその気にはなれなかった。
理由は分かっている。若い女数人銀時の傍にいるからだ。それも物凄く近い。しかもなかなかの巨乳。
ブツリと頭の中の血管が切れた気がした。
「ほおぉぉぉぉ……」
煙草は吐き捨てて靴の裏で潰す。煙草のポイ捨ては禁止? 知ったことか。
腹の底から吐き出した声はいつもの倍は低い。未だ呑気に土方を呼んでいる銀時に足早に近寄って、周りの若い女には目もくれず、彼の真正面に立って、座っている縁台に右足を乗せた。力任せに足を振り下ろしたせいで縁台が悲鳴を上げる。ついでに土方の禍々しいオーラの勢いに負けた若い女も悲鳴を上げる。
うわぁお、どうしたの。なんて場違いな声を出せるのは銀時くらいである。
「オイ、テメーら」
土方は周りの人間に、いつもより三割増しで開いている瞳孔で睨みを効かせながら声をかける。そして目の前の白の着流しに手を伸ばす。黒衣ごと胸倉を掴む。
「人のモンに手ェ出しやがったら容赦しねぇからな」
言い切って、甘ったるい団子の味がする銀時の唇にキス、というには乱暴過ぎる口付けをした。
「テメーも浮気なんざしてみろ、ぶっ殺す」
今度は怒りそのままの視線を銀時に至近距離でぶつける。次いで、ベロリと唇を舐めた。どうやら食べていたのはみたらし団子らしい。餡が土方の舌に付着する。いつぶりかもわからない甘味を堪能すれば、穏やかに細められた石榴色と目が合う。
「浮気なんてするわけないでしょ。忙しくして心が折れかけてる恋人を誠心誠意癒してあげたいなって思うくらいは惚れちゃってるからね、銀さん。だからさ、早く……なんて言ったらお前さんまた無理するから言わねぇけど、仕事が落ち着いたら、一番に俺の所に来いよ」
その銀時の言葉に、存外単純な心は一気に舞い上がった。脳と心を蝕んでいた不安が空へと還っていった。
聞き間違いでなければ恋人だと言ってくれた。仕事ばかりで碌に連絡も寄越さない自分のことを。セフレじゃなかった。更に言えば怒るどころか心配してくれている。そして仕事が落ち着けば逢いに行ってもいいのだと約束までくれた。
もうそれだけで十分だった。眠いのは相変わらずだし、脳は正常に動いていない気がするし、胃だってキリキリ痛むけれど、銀時の言葉でまだ踏ん張れる。
そうとなれば早速仕事をやっつけてしまいたい。名残惜しいけれど着流しを離し、うんと頷いてから団子屋を後にする。その足元にはもう纏わりつくものはなにもなかった。寧ろ軽くなり過ぎて浮かないように地に足をつけるのが大変だ。
静かになった団子屋で、
「──な、言っただろ? 俺には超絶美人な恋人がいるんだって。コレちゃんと大々的に載せてくれよ?」
そう言って鼻の下を伸ばして盛大に惚気る銀時に、苦笑いしか返せない若い雑誌記者が複数人居たことを土方は知らない。
そして数時間後、自分の行動を思い返して顔を真っ赤にして悶絶し、お願いだから今すぐに俺を殺してくれぇ!と沖田に縋りついて真剣に気持ち悪がられる土方の姿を銀時は知らない。
▼「桜」
毎年、お花見をしようとお誘いをかけるのは銀時の役目である。
常日頃から忙しく動き回っているのに加え、年度末というだけで書類が増えて行事が増えるお役所仕事を一秒も手を抜くことなく遂行するワーカホリックの鑑のような土方は、銀時に誘われてようやく年度末を乗り越えたのだと実感する。銀時のその言葉が、一種のゴールテープなのだ。
積み重なった疲労で肩は重いが、四月になったというだけで随分と身は軽い。
コンビニで発泡酒ではなくちゃんとしたビールを六缶パックで買って、互いに好き勝手におつまみを選ぶ。会計は当然土方持ちである。元より払ってもらおうなど微塵も思っていない。
「明日から雨らしいからよォ、今日来られて良かったぜ」
「凄いな、もうこんなに満開だったのか」
「あ、やっぱり気付いてなかった? そうじゃねぇかとは思ってたけどさ」
お前さんはもう少し情緒っつうもんを感じながら生きた方がいいぜ。なんて、年は変わらないはずなのに、やけに年寄りくさいことを言うから笑ってしまった。
通い慣れた公園中に咲き乱れる桜。走り回る子どもと、昼間というのにすっかり出来上がってしまっている親父たち。ちらほらと若い女の子のグループもいた。明日の雨の前に少しでも桜を楽しもうと、各々好きなように騒いでいる。
屯所とはまた違う喧騒。今日だけは土方の心を浮上させる。要は浮かれているのだ。仕事を終えた休日に恋人と花見なんてものに興じているこの時間に。
「折角四つも季節があるんだ。楽しまねぇと勿体ねぇよ」
人が少ない公園の端っこに、ビニールシートを敷いて二人で並ぶ。
「桜を見て、海で泳いで、紅葉集めて芋焼いて、雪だるま作って馬鹿やって」
プシュ、と小気味の良い音を立ててビール缶を開ける。乾杯、と一口。
「っかー! いいねぇ昼間っからのビールは!」
「しかも人の金で?」
「そうそう。恋人があくせく働いて頂戴した金で買ってもらったの」
「ははっ最低野郎だな、テメーは」
「でもそういうビールの方が美味いんだって。だからよ」
「あ?」
「今度は俺が働いてビール買ってやらァ」
「ドヤ顔で言ってんじゃねぇよ! 三百円あったら買えんだろうが」
「ばっか、お前三百円馬鹿にしたら泣きみるぞ!」
「馬鹿にしてんのはテメーだけだっつうの」
シートの上に、スルメやらピーナッツやら、あずき缶やらマヨネーズやらを並べて、口へ放り込む。
「……で?」
「あ? なになに?」
「さっきの続き」
ゆっくりと散っていく桜の花びらを目で追いかける。風に吹かれて、どこまでも飛んでいくものもあれば、一瞬で地面に落ちるものもある。
でもどちらも、いつまでも土方の視界には残らない。うっすらと記憶にはあるけれど、強烈なインパクトはない。こういうのが儚いというものなのだろうか。銀時曰く情緒をあまり感じていない土方には定義がよくわからない。感覚でものを考えるのは苦手なのだ。
「雪だるま作って馬鹿やって、それからまた春がきたら何するんだ?」
「あぁそれね。次の春にはそうさなぁ、夜桜なんかいいかもしれねぇな。真下から見上げる夜桜は昼間のより綺麗だろうぜ」
「夜桜か…」
いいかもしれない。土方は素直に頷いた。
すると銀時の手が伸びてきて、缶ビールを取られたと思ったら後ろへと倒された。硬い地面に頭を打ち付ける前に銀時の手のひらに抱えられた。そっと置かれる。
「だからさ、今年の桜ちゃんと覚えててね」
「今年の桜」
「そう。二度と同じ桜には出会えないんだよ土方くん。だから今の桜を覚えてて。来年の夜桜と比べっこしようね」
優しくそう言う銀時に、きっと無理だろうなと土方はほんの少し眉を下げた。
だって真下から見上げたところで視界いっぱいに銀色が散らばっている。桜はただの背景となってしまった。
「──……その前に海にも連れて行け」
だけどまぁ、それはそれでいい。どうせこれから先どんな風景にも銀色が散らばって主張してくるのだから。それも込みで楽しむのもいいかもしれない。
「銀時」
滅多と呼ばない名前を呼んで、土方は桜と銀色を刻み込むように目を開けたままキスをした。
▼「ぜっさん」
最近の高校生の遊びにはついていけない程には歳をとったのかと、土方は肩を落とす。周りの職員からは二十代というだけで若者扱いされるが、本物の若者からすれば自分は既におじさんなのだ。
特に実感したのは最近流行っているお遊びである。
男性教師に近付いて、特別な好意もないのに告白をするというもの。女子高生に告白されたからといって浮かれてはならない。その奥には怖い怖いスマホのレンズが向けられているのだ。
他の教師よりも若く、顔が整っている土方は格好の餌食だった。今月だけで既に十人から告白されている。まさかこんな形でモテ期を迎えようとは、誰が想像しただろう。
「勘弁してくれよ」
授業終わりに渡された手紙には、好きですと書かれている。月間告白件数は十一に更新された。こんな遊びのなにが楽しいんだ。
──……いや、違う。十二だった。
人の多い廊下を歩きながら、段々と大きくなる足音を耳が捉えて、一層肩を落とす。もうなで肩というレベルではない。
「本気で勘弁してくれ………」
土方の嘆きを蹴り飛ばすように、土方先生!と大きな声で呼ばれた。あぁ足を止めるのが嫌だ。振り返りたくない。
お遊びが流行っているのは女子高生だけのはずなのに。
一番遠慮なく、大きな声で、忠告なんて物ともせずに愛を叫んでくるのは担当しているクラスの男子生徒なのである。
※
大型犬というのは飼ったことがないのだが、こういう感じなのだろうか。
「そんでね、高杉が珍しくテストの範囲教えてくれたと思ったら全然違うところでさ!ひっでぇだろ!?」
放課後の数学準備室。
明日の授業で使う資料をパソコンで作りながら土方はおざなりに、そうだなとだけ返事をする。それだけで後ろから抱きついてきているこの大型犬は嬉しそうに尻尾をブンブン振っている。
銀髪に天パ。やる気のない顔に授業態度。それでも人が集まってくる不思議な空気を持つ男の子。名前は坂田銀時という。
「あー、もう高杉にやられて正直傷心してたんだけど先生といると癒される」
「そうか、じゃあ今すぐに離れろ」
「えーやだ。先生凄くいい匂いする。大人って感じ」
首に回された腕が更にぎゅうとしがみ付いてきて、首筋に顔を埋めて来る。鬱陶しいと何度剥いでもすぐに復活するので最近は放置している。要は面倒くさい。
「ね、先生いい加減俺と付き合ってよ」
「断る」
「もー。あんまり意地張ってると嫌われるぜ?」
「嫌ってくれよ頼むから」
「やだね」
「なんなんだよお前本当にもう……」
思い通りに動いてくれない腹立たしさを定規に込めてコツンと坂田の頭を小突いた。うわぁだの、これは痛すぎて先生と付き合うしかないだの文句を言っているか知らない。土方はパソコンから目を離さない。
「あ、せんせ、そこ誤字あるよ」
「は?どこだよ」
「そこそこ。違うって、そのとなり」
「指させよ分かりずれぇ。これか?」
「ちっげぇって、ん、あれ、どこだっけ?」
「おまえなぁ!」
人を振り回しておいて、と文句を言ってやろうと坂田を睨みつければ、そんなことなどお構いなく彼はニカッと笑って。
「やっと先生こっち向いた」
本当に、心底嬉しそうに声を弾ませる。
どうやら誤字など嘘だったらしい。土方が見てくれない寂しさからきた嘘。
土方はすぐに額に青筋を浮かべて、整った眉をキリリと上げた。ついでに眉間の皺も追加される。
「さぁかぁたぁぁああああ!!!!」
「うわっごめんなさぁい!」
「待てやコルァ!!」
「きゃーきゃー!」
一段と低い声を出して唸れば、あれだけ離れなかった坂田はあっさりと離れて扉の方へと走っていく。どうやら今日のお遊びはお仕舞いのようだ。土方も立ち上がったものの追いかけようとはせず、シッシッと不機嫌に手で払った。
「本気で殴られる前に帰りまぁす!」
「ぜひそうしてくれ。俺も給料カットされたくねぇ」
「別に俺先生に殴られても学校に訴えないよ?そういうプレイですって言うよ?」
「いやそっちのほうが危ねぇっつうの。ほらいいから帰れ」
「はぁい」
ドカッと再び椅子に座って、引き出しに隠していた煙草を取り出した。
「土方先生また明日」
「おう。気をつけて帰れよ」
騒がしさの元凶が扉を閉めてしまえば耳が痛いほどの静寂だけが残る。口に咥えた煙草に火を点けて、ふぅと重たい煙を吐き出した。
「あ、先生言い忘れてた」
二回目の煙を吐き出すより前に再び扉が開く。
「今日も好きだよ、せんせ」
坂田はいつもの軽口を言う時と同じような顔で、そうやって告白して来る。
「それからきっと、明日も好き」
だから土方はパソコンの方へと向き直って軽く手を振ることしか出来ない。
「……俺も、歳とったよなぁ」
静かな数学準備室でボヤく。しばらく資料作りは出来そうにない。
やはり、最近の高校生のお遊びにはついていけない。
「そんなに軽く言えねぇよ」
きっと、これから先もずっと、坂田の言葉の真意は聞けないだろう。本気で俺のことを好きかなんて軽々しく聞ける立場でも歳でもない。
何らかのアクションを起こしてあれが嘘だと言われたら立ち直れる気がしない。
だから。
「だから、早く、俺に飽きてくれ」
部屋の空気と混ざり合って透明になっていく煙を眺めながら、それでもきっと明日もこの部屋の鍵は開けたままにしてしまうのだろうと考えて、目を閉じた。
▼「相席」
今日はとても気分の悪い日だった。
「銀さん。申し訳ないんだけどさぁ、相席お願いしてもいいかな?」
週の真ん中の水曜日はいつも混み合わない筈の居酒屋に、酔っ払いが飽和している。ガヤガヤと雑音が狭い店内に響いて煩い。時折グラス同士が当たる音も聞こえた。上手く酔えない頭には優しくない音だ。
早い時間から飲んでいた自分は一番奥まった、静かなテーブル席を占領出来ていたのだが、それもどうやら終わりらしい。
申し訳なさそうな親仁の顔に免じて大人しく頷き、相手が相手ならさっさと帰ろうと心に決めてグラスを空にした。タン、とテーブルに叩きつけるように置けば重なるように、よォ、なんて低い声が聞こえてくる。
「アァ?」
顔を上げると、最高気温三十七度なんて馬鹿げた暑さを苦にもしないような涼しげな眦を僅かに眇めた男が一人。
「……オイオイふっざけんなよ、今日一日の締め括りがマヨネーズ臭ぇオメーとか勘弁してくれよ。マジで厄日じゃねぇか。占いちゃんと見ておくんだったなー」
「マヨネーズを侮辱すんじゃねぇよクソ天パ」
取り敢えず生ビールと、早く出せるツマミを適当に。
忙しそうにクルクル回っている親仁を捕まえて注文した土方は、銀時の目の前に座る。当たり前のように煙草を吸って、やって来た生ビールを一口。やはり彼も暑さにはそれなりに堪えていたのだろう。キンキンに冷えたアルコールを摂取して幸せそうだ。
「──……帰る」
今日は何だかその幸せそうな顔を眺める気分にも、喧嘩をする気分にも、楽しく話をする気分にもなれなくて。残った料理はそのままに腰をあげる。
するとそのタイミングで土方が、オイ、と声を掛けてきた。
「俺ァ今日一人で登城してたんだ」
「……それがなんだよ」
「登城したら捜査資料の整理を頼まれちまって、一日中暗くて静かな書庫に居たんだ」
「だから何だよ」
「いつもは煩ぇ屯所でいるからか、何かこう、静か過ぎて落ち着かなくてな。耳が寂しいんだよ」
「じゃあ良かったな、ここめちゃくちゃ煩ェだろ。これで耳も寂しさを忘れられるな。お疲れさん。じゃあ俺ァ帰っから」
中途半端に浮かした腰を持ち上げて、側に置いてあった木刀を腰に携えた。一歩踏み出せば、今度はやれやれと態とらしい溜息を吐かれる。
いつもは何てことないその溜息が、今日は腹立たしくて。思わず奥歯がギリリと嫌な音を立てた。怒りを隠さず睨みつける。土方は相変わらず涼しげで、銀時の攻撃など気にもしていない。それが余計に腹が立つ。
「分かんねぇ野郎だな。モテねぇぞ」
「喧嘩売ってんなら買うけど? あぁでもオメーじゃあ相手になんねぇな。憂さ晴らしも出来ねぇくれぇにあっという間に片が付いちまう」
ムカムカと胃の奥からドス黒い感情が湧き出てきて止まらない。普段なら自制できるのに。今はどうにもならない。八つ当たりが止まらない。
しかし土方は、銀時の怒りに釣られることなく微笑んで、灰皿に煙草を押し付けた。
そして、
「だから、テメーの声が聞きてぇんだっつってんだよ。ばか」
頬杖をついて、銀時を見上げる。
「登城して、屯所に帰って、着替えて、何でわざわざかぶき町の居酒屋に来たと思ってんだ」
依頼に失敗して、こっ酷く怒られて。挙句子ども達と喧嘩して家を出てきた恋人の顔を見にきたに決まってるだろう。
小首を傾げて、甘えるような仕草でそう言われてしまって、思わず唸って言葉を飲み込んだ。
なんで知ってんだよという銀時の心の声は届いたらしく、土方は携帯電話を取り出し、銀時が掛けた覚えがない、三十分前の着信履歴を見せてきた。
「──新八か」
「残念。神楽だ。アイツかなり怒ってたぞ」
「チッ。余計なことしやがって」
「心配してんだよ。で? 声聞かせてくれねぇの?」
再び問われて、どう答えるべきか悩んでいたら、そのタイミングでツマミが運ばれてくる。おや銀さんもう帰るのかい?と親仁にも問われて、なんとも言い得ぬ居心地の悪さに、木刀を外し、ドカッと座ることで返事とした。
それから、大きく息を吸って、肺腑が空になるまで吐き切る。
「言っとくけど、愚痴しか言わねぇからな!」
「おう」
「オメーまで気分悪くなったって知らねぇからな!」
「おう」
「依頼失敗したから金ねぇから!」
「それはいつもだから心配するな」
「あと! 銀さんモテるからね!」
「ハハッ! ンなこと気にしてたのかよ!」
「それ一番大事だろ? 男はいつまで経ってもモテていてぇんだよ! ちょっと自分がイケメンだからって調子に乗んじゃねぇよ!」
「あーはいはい、分かったから。喋って飲んで吐いて寝て、ちゃんと二人に謝ってこい。全部付き合ってやるから」
「〜〜〜ッ土方ぁああああ!!!!」
「ほら。テメーはいい男だし、いい加減な仕事しねぇのくれぇ分かってるから、泣くな。俺のビールやるから飲め。な? いい歳したオッサンが鼻水垂らすなって」
「うううぅ…俺だってわざと失敗したわけじゃねぇんだよぉおお!! あんなもんこの世の不幸が奇跡的にコラボレーションしやがったせいに決まってんだよ!! なのにあのクソ親父が!!!!」
土方のビールを飲み干して、一気にスイッチが入った銀時の口は止まらない。土方はうんうんと適宜頷いてくれている。だから余計に口が回る。
──甘やかされた相席ラジオは店が閉店するまで続いた。
折角の二人の時間を愚痴で終わらせて悪かったと言えば、耳が寂しかった俺のために喋ってくれてありがとうと言われた。
うっかりまた泣きそうになった銀時は、土方を抱きしめる事でその眦を隠した。
▼「あーん」
本日の朝食
鯵の開き 大根おろしを添えて
茄子と玉ねぎと豆腐のお味噌汁
葱がたっぷり入っただし巻き玉子
胡瓜としらすの酢の物
お登勢作、ほうれん草の白和え
真選組の食堂のおばちゃんが漬けた梅干し
白米と味付き海苔はご自由に
「キャッホー! 今朝は豪華アルー! 銀ちゃん私のご飯は一番おっきい丼鉢に盛るヨロシ!!」
「言われなくてもそうしてるよ! 新八ィ、オメー白飯どうする?」
「あ、僕ご飯はいいです。軽く食べてきたので。白和えが美味しそうなんでそっちを多めに貰いますね」
「おー。土方は? 大盛り? 中盛り?」
「中盛り」
ジャケットとスカーフをソファの背に引っ掛けて、中盛りの白飯を貰いに台所へと向かう。すれ違った神楽と新八に挨拶をして、銀時とはおはようのキスをした。味見をしたのか、それとも盗み食いをしたのか、だし巻き玉子の味だった。
配膳が終わった万事屋の机の上には、所狭しと色んな柄の皿が並んでいる。涎を垂らしてソワソワしている神楽と定春に「待て」をして、みんなが揃ったところで手を合わせた。
「いただきます」
土方は温かな味噌汁を一口飲み、神楽はだし巻き玉子を口に入れる。新八は気になっていたほうれん草の白和えに箸を伸ばし、銀時は一通りの反応を伺ってから鯵の骨をとり始めた。その横で定春が吠え、ドッグフードに食らいつく。
それぞれに口の中に幸せを運んで噛みしめる。あぁ美味しい。頬が緩んで、料理の温度に血液が温まっていく。
「銀ちゃんこの卵焼きごっさ美味いアル!」
「コラ、神楽。ご飯食べてる時に足バタバタすんじゃねぇ。あと口ん中空にしてから喋れ」
「トシ! 卵焼き食べないなら一つくれヨ!」
「おいこら聞けよ」
「神楽ちゃん土方さんの取っちゃ駄目だよ。僕の一切れあげるから」
ほら、と新八がだし巻き玉子を箸で掴むと、待ってましたと神楽がそれに食らいつく。しょっぱ過ぎない出汁醤油の味と、ふんわりとした玉子の甘み。それから最後に香る葱の風味に神楽の機嫌は天井知らず。んんんっと唸っては白飯をかっ食らう。
そんな神楽の素直な反応を、満更でもない感じで見守っているのは銀時である。綺麗に骨を取った鯵の身を大根おろしと一緒に口に放り込みながら何処か得意げな顔をしている。どうやら今日の自信作はだし巻き玉子だったらしい。分かりやすくて土方も笑う。
「なんだよ」
「いや別に」
ジト、と横目で見られて慌てて目を逸らした。それから思考を隠すように酢の物に手を伸ばす。まだ胡瓜は歯応えが残っていて、シャキシャキといい音が鳴る。銀時の酢の物は少し甘めで、酢が強くないから食べやすい。
土方も鯵の骨を粗方取り除いて身をほぐしていれば、斜め前から熱視線。神楽だ。
「どうした」
「骨とるの上手アル」
「こんなもん慣れだ。覚えればすぐに出来る」
「私骨とるの嫌いヨ」
「……取り替えてやろうか?」
「やったぁ!」
マヨネーズはいるか?という問いは即座に吐き捨てられたので、ノーマルな鯵の開きが乗った皿に手をかければ、神楽の口が大きく開いた。
それから、
「あーーーーん」
なんて珍しく可愛らしく甘えてきたので、土方は一瞬驚き、慌ててその口の中に鯵の身を入れた。
一応これは間接キスなるものだが年頃の娘にこんなことをしていいのかと、銀時に問おうと横を向けば差し出される白和え。
「土方くんも、あーん」
「え、あ、あー……ん、うめぇ」
言われて思わず口を開けてしまった。まだ手を出していなかった白和えは、酢の物と同じ様にほのかに甘め。噛むごとにじゅわと旨味が広がる。もう一口食べたいと思ったら銀時が差し出してきたので、有り難く頂戴する。
「じゃあ銀さんには僕から、はい、あーん」
「あーん」
新八から銀時にはお味噌汁の具の茄子である。
あーん、が一巡したところで、すっかり絆されそうになった土方は首を振って我に返る。
「いやなんだよコレは! テメーら揃いも揃ってそんなキャラじゃねぇだろ?!」
「えっ土方くん知らないの? 万事屋じゃあ毎朝これやってるからね。豆パンでもわざわざ千切って箸持ってきてやってるからね」
「どう考えても嘘だろうが!」
「ほんとほんと。他にもいっぱいルールあるからね。お風呂のルールとか歯磨きのルールとかテレビも寝る時だってルールがあるんだぜ?」
「…………本当にあるのか?」
「うん。だからさ、土方くんも覚えていこうね。万事屋のルール」
機嫌の良い柘榴色の瞳が優しく細まって、土方の胸がきゅうと鳴る。
「これから何回だってみんなで飯食って、デザート食って、寝て。そうやって時間を過ごして、また新しいルールが出来て」
ここに居る時くれぇ、そんな風に過ごしたっていいんじゃねぇの?
銀時の言葉に土方はピシリと固まる。
固まって、その内に顔も首も手も可哀相なほどに真っ赤に染めて、箸を置き、──銀時の頭を叩いた。
「いっってぇな!! 何しやがるこのチンピラ警察!!」
「う、ううううるせぇ!! テ、テメーが! 柄にもねぇこと言いやがるからだろうがクソ天パァ!!」
「ハアァァ?! つうかここは顔赤くしてしおらしく頷くところだろうが!! 初めてみんなで飯食うからって気ィ遣ってやってんだよこっちは!!」
「知るか!! 恩着せがましく言ってんじゃねぇ!!」
本格的に始まった口喧嘩に、あーあと肩を落とすのは新八と神楽である。折角いい方向に向かっていったと思ったのだが、雰囲気はぶち壊し。これは暫く喧嘩が止まらない。
でもまぁいいかと顔を見合わせた。きっと家族というのはこうやって騒がしく食卓を囲んで作り上げていくものなのだろう。
大人は放って置いて、さっさと残りを食べてしまう。神楽はちゃっかり土方の鯵をペロリと食べた。
新品同様綺麗になったお皿を前に再び手を合わせる。
「ごちそうさまでした」
照れ隠しに喧嘩しか出来ないような大人は放置が一番。
これが今出来たばかりの万事屋のルールである。
▼「坂田銀時生誕祭」
──別に忙しいなら、いいんだけどさ。
なんて言葉から始まった留守番電話のメッセージ。
『お前さんがどうしても今日飲みたい気分だなぁって言うなら、ほら、銀さん優しいから一緒に飲んでやってもいいし。まぁ別に今日じゃなくてもいいんだけどよォ……たまたま今日が暇っつうか、時間あるっつうか…その、なんだ……い、依頼が急に断られてだな』
言い訳は延々と続いて、とうとう甲高い機械音に邪魔されて強制終了。土方は手慣れた手つきで次のメッセージを再生する。
『別に銀さんオメーに固執してる訳じゃねぇからな!? たまたまよく酒飲む相手が土方ってだけで…。それに! なんつぅか、喧嘩じゃなくて、普通に話すのは、お、面白いっつうか、あの』
口から生まれてきたようなあの男の、珍しく煮え切れない言葉の数々に、土方は吹き出すように笑う。
二つ目のメッセージもやっぱり強制終了してしまっていて、三つ目は『今の全部なし!』の一言。
きっと今頃、客のいない万事屋の社長机に突っ伏して後悔しているのだろう。もしかしたら頭をガンガン打ち付けて、騒いでいるかもしれない。あぁ、居た堪れずに外に飛び出したかもしれない。
想像して、土方の機嫌はふわふわと舞い上がる。
「山崎」
「はいよ」
今日が何の日かなんて。なんであの男が自分に連絡を取ってきたのかなんて。どうして煮え切らないのかなんて。
──とっくに土方は知っている。
「今日は戻らねぇから、くだらねぇことで連絡すんじゃねぇぞ」
あとはあの男を捕まえて、おめでとうと言って。それから残り二文字の勇気が出ない唇を奪ってやるだけだ。
▼「つまみ食い」
熱々の油の海からささみのフライを五つ、用意したバットの上へと取り出した。油の中に残った衣を丁寧に取って、次は六つ投入する。
ささみを開いてぎゅうぎゅうに詰め込んだ大葉とチーズのせいで、パチパチ、と油が跳ねて腕が痛いが仕方ない。こうすることで美味さが倍増するのだ。銀時は菜箸でクルクルとささみを回す。
すると。
「あ、こら!」
背後から忍び寄る小さな、しかし素早く獰猛な影。
「フッフッフッ! 銀ちゃん隙だらけアル!」
揚げたてのささみのフライは神楽の口の中へと放り込まれる。あち、あち、と暴れているが間違いなく自業自得。
「つまみ食いは禁止だっつってんだろうが! 向こうでテレビ見てなさい!」
「はーいヨー」
言いながら伸びて来た指をペチンと叩いて追い払う。
油断も隙もありゃしねぇ! と鼻息を荒くしながら、それでも焦げないうちに再び油の海からささみのフライを取り出す。
「銀さん、何かお手伝いしましょうか?」
今度は新八である。つまみ食い目的ではなさそうだ。隣にやって来て、今日も沢山揚げるんですねと笑っている。
「ぱっつぁんよォ。手伝いはいいから神楽のこと見張っといてくれや。アイツのつまみ食いで全部なくなっちまう」
「たしかに。それは困りますね。僕ももうお腹ペコペコです」
冷蔵庫を開けて、飲みかけのイチゴ牛乳を銀時に渡す。火が近く、熱かったのでありがたく受け取って一口。
「じゃあ僕向こうでいますから、何かあったら声かけてください、あちっ」
「おー。すまねぇな。……ってオメーまで食ってんじゃねぇかよ!」
「あちっ、あちちっ」
「あちち、じゃねー! もう誰も来るんじゃねぇぞ!」
銀時が吠えても子供たちはどこ吹く風である。へーい、とか。はーい、とか。適当な返事に苛々しながら、第三弾、第四弾と投入しては揚げていく。油の匂いと、焼けていく鶏肉の匂い。その隙間からチーズの香ばしい匂いも狭いキッチン中に充満して、銀時の腹もぐうと鳴る。
サクサクの衣に歯を立ててプリプリのささみを噛みちぎり、チーズの甘みと大葉の風味を感じながら飲む冷えたビールは最高だろう。
想像して、ゴキュ、と喉が鳴った。
誘惑に負けそうになりつつ、銀時は菜箸を置き、拳骨を落とした。標的はわざわざ屈んで忍び寄り、バットに手を伸ばして来た土方の頭頂部である。
「いてぇ!」
「いてぇじゃねぇの! オメーまで何やってんだよ!」
「別にぃ。何もしてねぇ」
「嘘おっしゃい!」
拳骨を落とされた頭をさすりながら、土方は仕方なく立ち上がる。それからプリプリと怒っている銀時の背中にピトッとくっつく。
いじけたように指先で銀時の背中をくすぐる。汗が滲んだ首筋に唇を寄せて、耳元で、万事屋と甘えた声を出す。
「折角来たのに構ってくんねぇの?」
久しぶりなのに。俺仕事終わらせてきたのに。
恋人の声を出して甘えられると、銀時は弱い。外では背筋伸ばして生きている男により寄られると、どうしても甘やかしてしまう。今すぐに振り返って抱きしめて、キスのひとつでもしてやりたいが、如何せん油が危ない。
ぐぬぬぬ、と葛藤していると後ろから、あち、と声がした、
「あ?」
はた、と現実に戻って振り返ると土方の右頬が膨らんでいる。
やられた。
「ひーじかーたくぅうううん!?」
「神楽ぁ! 欲しけりゃ色仕掛けが一番効果的だぞ! コイツ隙だらけ! 俺ァ二個も食った!」
にやぁ、と。まるで子どものように嬉しそうに笑って、一回りも下の神楽に報告するために土方は早々に台所から出て行った。向こうは土方に対する賞賛と、次の作戦会議で持ちきりだ。
「……ったく」
騒がしい子どもたちの悪戯と、跳ね回る油の音。誰も見てないだろうテレビの笑い声に、ご飯が炊けたと知らせる炊飯器の音。
「あっちぃ」
揚げたてのささみのフライと幸せをつまみ食いした銀時は、はふはふと忙しなく口を動かした。
▼「瞳」
「痛くねぇの? これ」
「全然痛くねぇ」
胡座をかいた銀時の太腿に頭を預けて見上げる土方が、パチパチと大きく瞬きをした。
土方の左の瞳を覗き込む石榴色は好奇心旺盛。
「うお、跳ねた」
「跳ねたっつうか、威嚇してんじゃねぇの」
銀時が熱心に見つめる深い藍色の瞳の中で、一匹の金魚が優雅に泳いでいる。穏やかに循環する房水の中で、パク、と時折口を動かしては尾ビレを揺らす。
一般的に出店でよく見る金魚とは違い、体は赤いが尾ビレと背ビレは白っぽく、角度によれば銀色に見える。そしてウエディングドレスのトレーンのようにゆったりと長く煌びやか。
そこが、ひらひらと不機嫌に踊る。
「なんで威嚇されんだよ、俺ァなんもしてねぇぞ」
「テメーがジロジロ見るから落ち着かねぇんだよ」
「いやいや。お前さんが見に来いって呼び出したんだろうが」
しかもこんな夜中に。
唇を尖らせる銀時を見て土方はご機嫌に笑う。午前一時過ぎの副長室によく響く。
「珍しいもん見られただろ?」
「まぁね。これさぁ、本当に消えんの?」
「おう」
ただのパーティー用の天人性の薬で、時間とともに消える金魚。人気の代物らしい。土方は沖田に例の如く弄ばれたのだ。
そんなことなど関係のない金魚は、人より瞳孔が開いて、狭め虹彩をくるりと一周。更に色濃い瞳孔の中央で華麗にスピン。銀色が深い藍色に紛れて余韻を残して揺れる。
澄ました横顔から『どう? とても上手でしょう?』なんて声が聞こえてきそうだ。今が深夜じゃなければ、拍手喝采。スタンディングオベーションだってやってみせたのに。
反応の薄い銀時をチラリと見上げた金魚は、構ってくれないならもういいと、コポリと気泡を吐き出す。金魚の性別など見分けがつかないが、この高飛車な雰囲気はメスだろうなと苦笑い。
「この金魚。赤も黒も斑らも色々出るのに赤と銀だったから、テメーに見せてやろうと思ってな」
「俺にそっくりって?」
「色合いだけな」
頷けば、土方は満足そうだ。
「いいねぇ、お前。土方の目の中で泳げて、あと何時間かは一緒に居られるらしいぜ」
「なんだ、羨ましいのか?」
「羨ましいっつうか、妬ける」
「そうか」
なら、と土方が空っぽの右目を指差す。
「なら、こっちで飼ってやろうか」
今なら敷金礼金、更に家賃も無料。言われて心が揺らいだ。揺らいで、揺らいで。それから首を振った。
「そこに飼われちまったらキスもセックスも出来やしねぇからな。遠慮しとく」
それに、銀時は真正面から見る土方の瞳が好きなのだ。感情を素直に表して、怒ったり泣いたりする瞳が。
もっと言えば、しっかりと前を見据えて揺らがない瞳が、銀時を映して熱に浮かされ蕩ける、あの瞬間を愛している。だから、瞳の中で飼われるのは御免である。
「俺も遠慮しとく。テメーをこの中で飼うのは骨が折れそうだ」
だから。
「こうやって見てるくらいがちょうどいい」
知ってるか。俺ァこの瞳が存外好きなんだぜ。
なんて、土方の指先が伸びてきて、人差し指が瞼に触れる。思わず閉じて、揺れた銀色の睫毛をひと撫で。離れたところで瞼を上げれば、藍色が嬉しそうに細まる。
「……見てるだけ?」
「どうしようかなァ」
「キスくらい、いいんじゃねぇの?」
返事を聞く前に、今度は銀時が土方の瞼に触れて強制的に閉じさせた。勿論、左だけである。瞼越しに抵抗の色を示す金魚が暴れている。
「やっぱり妬ける」
赤も銀も。そりゃあ俺の専売特許だ。
言って、しっかりと土方を見据えたままキスをした。
▼「充電」
「あ、やべぇ」
言った途端に、手の中の携帯電話の画面が小さな電子音とともに真っ暗になる。
「なに? 充電切れた?」
「あぁ……」
騒がしい居酒屋の中でも聞こえたらしく、テーブルの向こうの銀時が顔を上げた。
うんともすんとも言わなくなった携帯電話のボタンをカチカチ押しながら土方は途方に暮れた。どうしよう。困った。予備の充電も充電器も持ってきていない。いくら非番とは言え何も事件が起きないとは限らない。それに、土方を呼び出すのは攘夷浪士どもだけではないのだ。
うううん、と唸って頭を掻いたところで充電は復活しない。一旦諦めて携帯を閉じるも、気になってしまう。
「予備の充電もねぇの?」
「あぁ。置いてきちまった。普段そんな充電が無くなることはねぇんだよ」
「ふぅん? 昨日充電すんの忘れてた?」
「……いや違う。今日の昼間に総悟が俺の携帯でゲームしてたからだ。アイツ」
「あーあ。やられちゃったねぇ」
銀時はニコリとも笑わずにグラスを傾ける。その表情に土方は腹の底が冷えた気がした。
(クソッ! 総悟のやつ……!!)
今更怒ったところで遅い。銀時との待ち合わせに浮かれてちゃんとチェックしなかった自分が悪いのだ。ちゃんと確認して充電していれば。もし沖田が気を利かせて充電していてくれたら。タラレバはキリがないほどに浮かぶけれど、現実は変わらない。充電は出来ないし、電池は0%。こうなったら予備の充電を取りに帰って戻って来るか、ここで銀時と解散するしかない。
冷えた腹は変わらぬまま、そこに重たい鉛が追加されていく。
──折角。念願叶って銀時とゆっくり出来る時間が出来たというのに。
ここに来るまで三か月かかった。三ヶ月前に長い片想いが成就したと思ったら、やれ立て籠もり事件だ、やれ部下が不祥事だ、やれ将軍様が旅行に行きたいだ。全ての人間に振り回されて土方の非番は遥か彼方に飛んで行った。その度に銀時に電話で謝罪するのが心苦しかった。このまま初デートもせずに別れるのではないかと気が気ではなかった。
そしてようやく掴んだ平穏無事な非番の日。朝から、どころか一週間前から浮かれてソワソワして、楽しみで。一時間も早く店に着いてしまって。そしたら銀時も同じように早くやって来て、笑って、揶揄われて、揶揄って、嬉しくて、嬉しくて、嬉しくて───……その結果がこれである。まだ飲み始めて一時間も経っていない。
これは、きっと、とうとう。
(愛想尽かれたに違ぇねぇ………)
もうどうしようもない。今ここで振られても文句の一つも言えやしない。
それでもどうしても仕事を捨てきる事が出来ず、机の上に置いた携帯を再び手に取って謝罪の一つでも言って帰ろうと決心した瞬間。銀時がおそらくわざとであろう勢いでグラスをタン、と置いた。
「──……あのさ」
情けないことに肩が震えた。
「それ、どうしても今必要なわけ?」
携帯電話を指差されて、土方は俯いて頷く。
「……し、仕事の、連絡が来る、かもしれねぇから……」
「ふぅん。あぁそう」
じゃあもういいよ、と。そう言われるのだろうかと体中に力が入ったのが分かる。聞きたくない。振られても文句の一つも言えないが、言えないけれどやっぱり嫌だ。笑って許してほしいとは思っていない。怒ってもいい。怒鳴ってもいい。だけど、どうしても別れるのだけは勘弁してほしい。だってずっと好きだったのだ。諦めきれなかった。隠しておこうと思ったのにそれすら出来ないほどに好きなのだ。だから、どうか──……。
「じゃあさ」
しかし。
「コンビニででも充電器買ってさ、充電すりゃあいいんじゃねぇの? ここだと親仁に迷惑かかるだろうし、ショップはもう閉まってっから…その、まぁあれだ、充電してぇなら、来ればいいし……」
どうやら土方が思い描く未来と、少し違うらしい。
テーブルに行儀悪く肘を付いて、そっぽを向いた口元を隠すように手で覆って。視線は合わないけれど泳いでいるのが丸わかりで。土方は泣きそうになっていた瞳を大きく瞬かせて、小さく「えっ」と漏らした。
それを聞き取った銀時の瞳だけがゆっくりと動いて、ようやっと目が合った。石榴色に怒りの色は混じっていなかった。
「だからさ、お誘いしてんだけど」
ここを出て、コンビニに寄って、充電器とツマミと酒を買って。出来れば手を繋いで。
「うちの家に来ませんか」
銀時の手で隠れた白い頬がうっすらと赤くなって、微笑んだのが分かった。
「────ッ、い、行く!」
たったそれだけのことで鉛はどこかへ飛んで行ってしまったし、冷えた腹はマグマほどに温まった。
思わず大声で返事をしてしまったことにより、周りの客の視線を浴びてしまったが土方にはどうでもいいことだ。オーバー過ぎるほどの土方の反応に銀時がきょとんとして、それから堪えきれないと言った風に口を開けて笑ってくれたから。それ以外など知らない。見遣る余裕もない。
「じゃあさ、さっさと行こっか」
「おう」
数分前まで沈んでいた表情はすっかり鳴りを潜めて、土方はつい浮いてしまいそうになる足をなんとか地につけて半分ほど残ったビールを一気に飲み干した。
電池が復活した携帯電話には着信もメールも0件。平和な真選組屯所に向かって土方はメールで外泊届を提出した。
緊急連絡先は勿論。万事屋銀ちゃんの黒電話である。