猫パフェと気に食わない男

 これは大人の特権というやつだ。いつもより温かい懐をさすりながら銀時は頬がニヤけるのが止められない。
 嬉しい。ただただ嬉しい。今ここで叫んでガッツポーズを取りたくなるほど嬉しい。
 狙いはひとつ。可愛らしい店員が運んできた、これまた可愛らしいパフェ。
「お待たせしましたー!」
 発売されてから一週間。店の前を通るたびに、あぁ食べたいと唸っては神楽に悟られないように目を逸らし。不自然でない程度にパチンコを控えてお金を貯めた。この喫茶店に食べに行けるよう昨夜は出来るだけ自然に神楽の予定を聞き出し、本物の依頼も午前中に入れて「お前は遊びに行ってていいよ」と大人なふりをした。それはもう身も心も疲れたけれど、そうでもしないとゆっくりパフェなんて食べられないのだ。
 だから。ここまで頑張ったのだから。店員が何かまだ喋っているが銀時にはもうどうだっていいこと。適当にはいはいと返事をして、パフェスプーンに手を伸ばした。去っていく店員になど見向きもしない。
「くぅ! うまそう!」
 背の高いグラス一杯の生クリームと瑞々しいオレンジ。中に詰め込まれたスポンジはたっぷりと甘い汁を含んでいるだろう。想像して心が浮き上がる。
 そして何より銀時の心をくすぐったのが一番上を陣取っている猫の顔が描かれたバニラアイス。チョコレートの耳とゴマの目。ちゃんと可愛い白ヒゲだってある。別に猫でなくとも良かったのだが、噂によるとこのバニラアイスがまた絶品らしいのだ。木刀を携えたアラサーには敷居が高かったが、どうにかこうにか恥を忍んで注文した。
 銀時は意気揚々とスプーンを掲げ、全開の笑顔でパフェを目掛けて振り下ろす。
「いっただきまぁー」
 す、と同時にやって来るはずの幸せは、苦い煙草の匂いに邪魔をされる。残念ながらその匂いだけで誰かわかってしまうくらいには顔をよく合わせる男がすぐそばに立っていた。銀時の頬がヒクヒクと震える。
 一方、男は銀時とパフェを見下ろしている。それはもう冷たい視線だ。絶対零度とはきっとこのことだ。「テメー自分が何歳か分かっててそれ選んだのか」とでも言いたそうな唇は、今は煙草は咥えていない。
「すみません、お客様。相席へのご理解感謝致します」
 後ろからやってきた可愛らしい店員は、それだけ言って仕事へと戻っていった。そうか。さっき何か喋っていたのはこれだったのか。きちんと内容を聞かず、浮かれきっていた自分を殴り飛ばしたい。
「………テメー…」
「やめろ。俺ァこの日のために頑張ったんだ。これ以上惨めにしてくれるな。侍なら誰しも貫き通したい道があるっつうの、分かってくれんだろ? なぁ」
 土方くん、と。
 男の名前を呼んで珍しく銀時がそう頼み込めば、隊服姿の土方もそれ以上は何も言わず、刀を外して向かいの椅子に座った。どうやら銀時の気持ちを汲み取ってくれたようだ。何だ、頭の硬い男かと思ったが、存外優しいところも────。
「いやそのふざけたパフェ食うのと武士道を一緒にすんなよクソ天パ。いい歳したオッサンがンな女子高生が喜びそうな猫のついたパフェなんて浮ついたモン食うんじゃねぇよ。あと俺ァ甘いもんは嫌いなんだ。あっち向いて小さくなって食えや」
「ほんっとーにいい性格してんなァ、この腐れマヨラー!! オメーがいつもちゅうちゅう吸ってるマヨネーズより猫パフェの方が一万億倍マシだわボケェ!!」
「ハッ! とうとう糖分の取りすぎで脳まで糖だらけになったかよ。一万億なんざ存在するか出直してこい糖尿野郎!」
 バァン! と銀時がテーブルを叩いて立ち上がれば、同じように土方もテーブルを叩いて立つ。今にも「にゃーん」と可愛く鳴きそうな猫パフェを挟んで三十路目前の男二人が店内中に響き渡るほどの声で言い争う。青筋を浮かべた額を押し付け合って、互いの胸ぐらを掴んだところで、全方位からくる冷たい視線に気付いて口を閉じた。
 ここはいつもの居酒屋でも、かぶき町の往来でもない。静かでお洒落なカフェなのだ。
「オメーが突っかかってくるからだぞ、謝れマヨラー」
「誰が謝るか。そういうそっちこそ謝りやがれ、猫パフェ侍」
「あっ! オメ、変な名前つけんじゃねぇやい! …うおっ!?」
 座り直しても尚、突っかかってくる土方に言葉を返していれば、すっかり汗をかいてしまった猫の顔がドロリと歪む。零してたまるかと大きく掬って一口。じわん、と広がる久しぶりの甘い味を堪能して飲み込んで、肺腑が空になるまで幸せの溜息をついた。美味しい。噂通り、いやそれ以上に美味しい。堪えきれない多幸感が笑顔になって表れる。だらしなく両頬が垂れ下がった。
 銀時は目の前の男のことなど忘れてスプーンを一心不乱に進める。猫の顔が崩れるのは少々気が引けたが、残される方が辛いだろうと言い聞かせた。
「あー、美味ぇ!」
 少し甘めの生クリームは、酸味の強いオレンジとよく合う。多過ぎる程に詰め込まれた生クリームを半分ほど勢いよく口に放り込んでも胃は重くならない。
 ──しかしそれは食べている本人の話だ。
 元より甘い物が苦手な人からすれば、こんなもの視覚の暴力である。どうせまた眉間に皺でも寄せて、凶悪な顔でこちらを見ているに違いない。何処にいても鉢合わせてしまう性分だが、今回ばかりは店員の話を聞かずに頷いてしまったこちらにも非が──小指の爪の隅っこに引っかかった服の繊維くらいは──あるから。仕方なく、少しくらいは譲歩して、見えないように体の向きを変えてやるかと顔を上げて銀時は驚いた。
「ばぁか。誰も取らねぇよ」
 あの土方が笑っていたのである。
 フハッ、と堪え切れないと言ったように吹き出して、頬杖をついて。こんな風に楽しそうに細まった眦は初めて見たかもしれない。思わず子ども扱いされているのも気付かずに、じっと見入ってしまった。
 そんな銀時を尻目に、土方は早く食えと急かして来る。背中を押されるままにスプーンで、オレンジソースがたっぷりと染み込んだスポンジを掬う。甘さだけではない、オレンジ独特の後から来る苦味。それが加わってこその、この美味しさ。甘いものが好きで良かったと心底思って幸せを感じる瞬間。
 オレンジソースの一滴まで綺麗に掬い取って、グラスの中にスプーンを放った。
 カランと軽い音が響いて、ごちそうさまでした。
「いやぁ、食った食った! あと二つは食えるな、これ」
「だから糖尿になるんだよ」
「食わねぇよ! 金ねぇもん。つうか糖尿じゃねぇし。予備軍だっつの」
「どうだか。気付いてねぇだけで糖尿なんじゃねぇの」
 売り言葉に買い言葉。一瞬で導火線に火が点きそうになる二人の間に入ってきたのは、又もや可愛らしいあの店員だった。
 どうやら土方は食事をしに来たのではなく、予約注文していたドーナツを受け取りに来ていたらしい。そう言えばここはこのパフェだけでなく、ドーナツやケーキ類も好評で、テイクアウトも出来るのだと雑誌に書いていた。
 甘いものも可愛らしいものも好まないこの男に似合わない可愛らしい花柄の袋を両手に一杯抱えて立ち上がる。一人や二人分の量ではないそれは、頼まれものだろうか。
「なぁに、土方くん。それ吉原ででも配り歩くわけ? ドーナツで女は買えねぇよ?」
「ハァ? こんなファンシーな袋ガサガサ言わせて女抱きに行くわけねぇだろうが、たたっ斬るぞテメー。…ここのドーナツが美味いから買ってきてくれって頼まれたんだよ」
 俺ァまだ巡回の途中だってのに。まったく近藤さんは。
 そうブツブツ文句を言いながらもきちんと言うことは聞くのだな、と苦笑い。土方は女よりゴリラ一筋がよく似合う。
 じゃあ今度はそっち関係でもう一煽りしてやるかと、口を開こうとしたその瞬間。少し早く土方のほうが口を開いた。
 わざわざ銀時の方へとやってきて、ぐうっと顔を寄せた。真正面ではなく、耳元に吹き込まれる内緒話。
「――それに、俺ァこんなもんなくたって女の一人や二人、抱けんだよ」
 可愛い袋もドーナツも。もっと言えば財布すらなくたって、一度も困ったことはねぇんだ。
 フッと小さく笑ってそう吹き込んだ整った唇は、ほんのりと持ち上がる。至近距離でそれを見せつけられた銀時は、なるほどと思わず納得してしまいそうになって首を振った。認めてしまったら負けである。そんな、男として羨ましく、夢のような話を認めてしまいたくはない。ふざけんなこの野郎。
 しかし、言うだけ言って、あっという間に離れて行った土方はそのまま出口へと歩いて行った。じゃあなと小さく手を振られる。ここで怒鳴ってしまってはまた冷たい視線を浴びることになるので、銀時はグッと押し黙った。
「……ちぃと顔がいいからって、調子に乗りやがって! オメーなんかただのニコチン塗れのマヨネーズ侍だろうが!」
 小声で文句を言ってももう届かない。それでも散々好き勝手言って、地団太を踏んで。なんだか虚しくなってきたので帰ることにした。折角パフェを食べられて幸せだったのに。
 丸まった伝票を掴んでレジへと向かおうとすると、あらお客様、と声を掛けられた。
「先程のお連れ様が、こちらを頼んで代金払われていかれたんですけど」
 言って、見せられたのはトレーに乗った猫パフェ。今度は苺バージョンである。
「………あの野郎…」

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「ンだよ、アイツ。こうやって女を喜ばすんだぜって言いてぇのか? ふざけんじゃねぇよ、俺だって女の喜ばせ方くれぇ知ってらァ! ちぃと金が足りねぇだけで普段は、いやん銀さんったら凄いとか言われんだからね!? なァ、聞いてる? 俺とアイツとどっちがいい男だと思う?」
 キンキンに冷えた静かな猫のアイスをスプーンで突いて、銀時はモヤモヤする心の中を甘酸っぱい苺ソースで誤魔化した。

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