「小エビちゃんがジェイドの面倒看てくれてんの?」
「ヒィッ」
唐突に、本当に唐突に背後から話しかけられて監督生は座ったままで文字通り飛び上がった。
勢いよく振り返れば、制服姿のフロイドが座り込んで、ご機嫌に「ばあ」と笑う。その奥にいるのはアズールだ。
「ビックリしたじゃないですか、もう……。お願いですから音もなく近寄って来るのやめてくださいよ」
「やぁだ。小エビちゃんの反応おもしれーもん」
「フロイド先輩に話しかけられるたびに私の寿命が縮みます」
「あと何年残ってんの?」
「三十年くらいですかね」
「じゃあまだ大丈夫じゃん」
「鬼!」
わっと泣き叫べば、フロイドはケタケタと楽しそうにしている。その割に目は何度も眠っているジェイドを見ているし、額には汗が滲んでいる。素直なのか素直じゃないんだが、よく分からない男だ。
「フロイド、僕はバルガス先生に話を聞いてきます」
「はぁい」
同じようにジェイドの様子を眼鏡越しにジッと見つめていたアズールが、遠くで授業の準備をしているバルガスの元へと向かった。
二人になると、先程まで騒いでいたフロイドが静かになって、のそのそと四足歩行でジェイドに近付いていく。
「……アズールがさぁ」
「はい」
「ジェイドのことすっげー心配してて、授業のチャイム鳴ってすぐにオレの教室に来たんだぁ。フロイドが心配してるでしょうからついて行ってあげますとか言って」
ウケんね、と監督生に言いながら、フロイドはこれでもかと眉間に皺を寄せているジェイドの頬を突く。
「ジェイド、どれくらい気ぃ失ってんの?」
「えっと、十分くらいですね」
「ふーん。じゃあそろそろ起きるかも」
「ずっと魘されてますもんね。やっぱり頭が痛いんでしょうか」
「頭だけど、頭じゃないかもねぇ」
「おでこ?」
「あは、そうじゃないんだよ、小エビちゃん」
フロイドは、頬を突いていた手でジェイドの前髪を持ち上げた。日に焼けていない、つるりとしたそこの真ん中は、痛々しいほどに腫れている。 思ったより痛そう、と言っているにも拘らず突こうとするものだから、監督生は慌てて止めた。
「ジェイド、今あんまり寝られない日なんだよね」
「寝られない?」
「そ。オレと違って色々考えてっから頭の中で大戦争が起きてる感じ」
「……お疲れ、ってことですかね?」
「ウン」
じゃあ、と監督生は飛行術の授業で汗をかいた時用にと持ってきていたタオルを手に取った。今日は眠っているジェイドの護衛を頼まれたのでまだ未使用。これならいいだろうと、フロイドにジェイドの頭を持ち上げるようお願いした。
「疲れすぎて眠れないなら、眠れてる間に寝てたほうがいいですよ」
タイミングを逃してしまうと、また眠れなくなってしまうから。
タオルを折り畳んで枕代わりにしてあげる。
そうすると、僅かに魘されているのが幾分か緩和されたように見えた。
「小エビちゃん、すげー」
どうやらフロイドにもそう見えたらしい。
「枕の高さとか、マットレスの柔らかさとか、結構重要なんですよ」
得意気に言ってみせれば、そのタイミングでアズールが帰ってきた。
「フロイド、そろそろジェイドも起きるでしょう。監督生さんの邪魔になりますから担いで持って帰って、」
「アズール! 小エビちゃんすげー! ジェイドが魘されなくなった」
「……息の根でも止めたんですか?」
「ま、まさか! タオルを枕代わりにしただけです!」
「そんなことであのジェイドが……」
半信半疑といった感じでアズールもジェイドの寝顔を覗き込んでいる。まだ完全に眉間の皺が取れたわけではないが、比較的穏やかな顔に信じられないと零した。
しかし三人がジッと覗き込んでいれば、視線が重くて不快なのか、また寝苦しそうに唸り出した。
「まだ高さがあってないのかな」
それよりベッドでゆっくり寝かせた方がいいかもしれない、と監督生が続ければ、フロイドがジェイドの両脇に手を差し込んだ。そのまま無理矢理体を持ち上げてズリズリと引きずる。
「えい」
掛け声とともにジェイドを下ろした先は、監督生の太腿の上である。
ずしり、と思い頭の感触に、監督生は「ひょえ」と小さく悲鳴を上げて固まった。
「これはこっち」
枕代わりに敷いていたタオルはジェイドの瞼の上に置かれる。
「ジェイドね、寝るときはいつも暗くしてる」
「それとこの膝枕は関係ないのでは……!?」
「えー、だって小エビちゃんが枕の高さが重要だって言ったんじゃん」
「ついでに子守唄でも歌ってあげればいいんじゃないですか? 監督生さんが」
「なぜ!?」
「眠れないジェイドが可哀想でしょう? 僕は慈悲深いので魘されているジェイドにどうにか心地良く眠ってほしいんですよ。それともあなたは関係ないと放り出しますか? 勿論それでも構いませんが、」
ジェイドはすぐに起きてしまうかもしれませんね。折角寝ているのに。あぁ可哀想に。
胸に手を当てて大袈裟なほどに悲しい顔をしたアズールと、純粋な目で子守唄を強請ってくるフロイドに負けた。
監督生は、魘されているジェイドと変わらないくらい一頻り唸って、迷って、それでもポンポンとジェイドの胸あたりを叩きながら子守唄を歌う。
何の変哲もない、昔から聞き慣れた、自分の故郷の子守歌だ。
どう過大評価しても上手いとは言えない歌声をきっと笑うだろうと思ったのに、アズールもフロイドも真剣な顔でジェイドの様子を伺っている。それを見れば途中で止めるなんてことは出来なかった。
そして、歌を歌い終わる頃には、すっかり穏やかな顔で眠っていた。
「……小エビちゃん、マジですっげー」
しみじみとフロイドが言えば、アズールも頷いた。
「気に入ってもらえたみたいでよかったです」
監督生とて、ジェイドに気に入られるのは吝かではない。寧ろ嬉しい。あのジェイド・リーチが、——自分の好きな人が、安心しきった顔で眠っているなんて。
むずむずと心臓がくすぐったくて、このまま寝かせてあげたいと、このまま一緒にいたいと思ってしまった。
だから。
「……あ、あの、私このままジェイド先輩の枕係やってもいいですか?」
そう、二人に聞いた。
「駄目です」
即座に首を横に振ったのはアズールだ。
「えー、いいじゃん」
そのアズールにノーを示したのはフロイドだ。
「確かにこのままジェイドを寝かせてくれるのは助かります。助かりますが、あなたにも受けなくてはいけない授業が詰まっているでしょう? 学生の本分を疎かにするのは看過できません。寝ている間に持って帰ります」
「うっ、……そうですよね……」
「じゃあアズールがセンセーにちゃんと理由話して許可取ってくればいいじゃん。交換条件ってことで」
小エビちゃんはジェイドをしっかりと寝かせる。その代わりアズールは小エビちゃんが授業受けなくてもいいように話を着けてくる。
「このままジェイドの寝不足が続いて仕事が滞るほうがアズールは困るんでしょー?」
アレとか、コレとか。あとあっちもあるし、こっちもあるよ。
そうフロイドがアズールに仕事の話を持ち掛ければ持ち掛けるほど、アズールの顔が渋くなっていく。そうして折れた。
「許可が取れるかどうかの確証はありませんからね!?」
「でもアズールなら余裕」
「フロイド!」
「うんうん、いってらっしゃい」
ヒラヒラとフロイドが手を振れば、諦めたアズールが大股でバルガスの元へと再び向かった。
「よかったねぇ、ジェイド。小エビちゃんが、枕係してくれるってぇ」
「……まだ決まったわけではないですよね」
「アズールが交渉に行ったんだから大丈夫」
それより、とフロイドの目がジェイドからこちらに移る。
「小エビちゃんはさぁ、ジェイドが好き?」
優しそうに垂れた眦が、存外凶暴なことを知っている監督生は目が合っただけで竦み上がった。
これは牽制なのだろうかと考える。
きっと自分がジェイドのことが好きで、一緒にいたいと願ってしまったことがフロイドにバレてしまったから、あまり調子に乗るなと言われるのだろうか。
人はやましい気持ちがあればあるほど、マイナス思考になるものだ。背中に嫌な汗が流れた。
「あ、あの、えっと」
真正面から顔を見られる気がしなくて、もごもごと口の中で言い訳を呟きながら俯いた。
すると全く同じの様で、全然違うジェイドの顔が目に飛び込んでくる。すうすう、と穏やかな寝息が鼓膜を揺らしてくる。
たったそれだけで、確証のない勇気が湧くのだから、恋というのは恐ろしい。
「……フロイド先輩」
「うん」
顔を持ち上げてもう一度フロイドを見た。
表情も声色も変わっていないのに、何故か今は怖くない。
軽く呼吸を整えて、
「私、ジェイド先輩が好きです」
そう答えた。
「ごめんなさい。フロイド先輩の大事なご家族なのに、そういう目で見てしまって。でもちゃんと、嘘じゃなくて、本当に大好きなんです」
きっと、認めないとフロイドに怒鳴られようと。許せないと殴られようと。気持ちだけは変わらない。
しかし。
「そっかぁ」
到底怒鳴り声とは思えない、楽しそうで、どこか安心したような声。
「あのね、オレ、小エビちゃんがジェイドのこと好きなの嬉しいかも」
いっそう眦を落として、左右で色の違う目を細める。
思ってもいなかった言葉に監督生は息が止まるかと思った。次いで、熱いモノが胸につっかえて、鼻の奥がツンと痛くなる。ありがとうございます、と口にするのだけでいっぱいいっぱいだった。
「泣かないでね、小エビちゃん」
フロイドは自身のスラックスのポケットに手を突っ込んで、中に入っていた棒付きのキャンディを監督生の手に持たせた。
「今これしかないけど、ジェイドの面倒看てもらう対価。モストロ・ラウンジの特別招待券も作っておくからまたいつでもおいで」
「うぅ、はい……っ」
「あは、小エビちゃんすっげー顔してる」
「だって、フロイド先輩が……っ!」
また涙を流していればアズールが帰ってきて、ぎょっと目を剥いた。
「フロイドが何かしたんですね」
「オレが悪いの前提で話すのやめてくんない?」
フロイドは拗ねたように唇を尖らせながらも、まぁいいやと言って立ち上がった。
「取り敢えず、この授業の許可は取れました。ジェイドが起きるまであなたはずっとここで居てくれていいし、本日の監督生さんの課題はなしだそうです」
「ありがとうございます!」
「但し、この授業だけです。次の授業からは流石に責任が取れません。バルガス先生の授業が終わっても尚ジェイドが寝ているようならば、無理矢理にでも叩き起こしてあなたは授業を受けるべきだ」
「分かりました」
「分かりましたという顔をしていないですよ、まったく。……いいですか。僕とあなたの契約は飛行術の授業が終わるまでですからね」
「はい。アズール先輩にご迷惑をお掛けするようなことはしません」
「大丈夫だって。なんだかんだすぐにジェイドが起きるかもしれないし」
「起きるように思えないから監督生さんに釘を刺しているんですよ」
確かに、これだけ周りで話をしていても起きない時点で望みは薄い気がしている。
それでも少しでもジェイドの寝不足が解消されるのなら、それでもいいと思ってしまった。太腿にかかる重みすら愛おしくて仕方ない。
アズール先輩ごめんなさい、と監督生はひっそりと心の中で謝った。
もしもこの先にどんな罰が待ち構えていようと、誰にも頼ることなく一人で乗り越えると誓うから。
恋を成就させようだなんて邪な考えを持たないと誓うから。
どうか、今はこのままで。