永遠の不在証明

「あなたのお墓を建てる場所を探しに行こうと思うんです」
「はい?」
「一緒にどうですか?」
「ジェイド先輩待ってください。私は今パニックです」
「おや」

わざとらしく左右で色の違う目を丸くしてやれば、腕の中で背中を向けたままぐったりとしていた監督生の体が動いてこちらへと向き直る。
アンダーウェアを身につけているジェイドとは違い、監督生は素肌に情事の名残を残したまま。風邪はひかないようにとシーツを巻き付けているが、剥き出しの肩や首を見ているだけで喉が渇く感覚に襲われた。
流石にこれ以上事に及んでしまえば叱られてしまうからと、ジェイドはそっと目を逸らす。

「お墓って何ですか? 私とうとう先輩に殺されます?」
「何か心当たりでも?」
「明日の朝一緒に食べようと思ったパンをつまみ食いしてしまいました」
「あぁそれなら問題ありません。僕もシャワーの後でひとついただきましたから。おあいこですね」
「ひとつ?」
「はい」
「絶対に、ひとつ?」
「…………みっつ」
「はい、有罪」
「手厳しいですね」
「そのしょんぼりした顔止めてください。……くっ、執行猶予をつけましょう」
「この顔に産まれてきて良かったです」

お遊びのような言い合いをして、執行猶予がついたお祝いに監督生の体をしっかりと抱き寄せた。
シーツを巻き付けて膨らんだ体でもジェイドからすればまだまだ小さい。長い腕はあっという間に絡まった。距離が縮まって、監督生の髪が鎖骨あたりを擽ってくるのが心地いい。

「それで、何で急にお墓なんですか?」
「急ではありませんよ。いつも考えていたことです」
「いつも?」
「えぇ、いつも」

自分のものとは毛質が違う髪の毛を梳いて、乱れている前髪を掻き上げた。額にひとつ、キスをする。

「あなたはいつか元の世界に帰ってしまうでしょう?」
「……」
「誰も何も言いませんが、アズールがその類の文献を読み漁っていることは知っています。フロイドなんて、まだ流氷に覆われているというのに唐突に珊瑚の海に一人で帰ってしまって、帰ってきたと思えば噂は噂だったと機嫌を損ねていました」
「噂?」
「珊瑚の海の、もう引退した古い魔法士が異世界と交信できるといった噂です。道を繋ぐことが難しくとも、あなたの肉親と交信できればと考えたようですよ」

無駄足でしたが、とジェイドが続ければ、監督生はいっそうしがみ付いてきた。

「アズール先輩もフロイド先輩も、何も言わないのに」
「言わないでしょうね。無駄に期待を持たせることは何よりも酷なことです」

でも。

「アズールやフロイドが、きっといつか帰る手段を見つけてしまう」

ジェイドの利口な頭の中には、そんな自信があった。
学園長や他の教師陣よりもずっと昔から二人を知っているからこそ、自信は確信に近い。そして、あの二人にはジェイドの確信にも似た自信に応えてくれるだけの力がある。

「だから僕は、その時が来たらあなたのお墓を建てようと思うんです」

もうここに監督生はいないのだと自分に言い聞かせるために。けれど、きちんと監督生を愛していたのだと実感するために。

「今からしっかり場所を探しておかないと」

珊瑚の海には、というよりも人魚には墓を作るという習わしはない。だからこそ墓が欲しかった。人間である監督生と気持ちを交えた証になるから。
これは、この感情は誰にも理解されなくてもいい。
ただ、独りで過ごす時間の長さに負けない拠り所が欲しい。それくらいは許されたいのだ。

「あなたの世界はここじゃない。分かっています。あなたが帰る日は、ちゃんと笑顔で見送ると決めています。情けなく縋ることも、嫌がるあなたを捕らえることだってしません」

骨が折れないように気を付けながら、腕の力を強めていく。背中を丸めて、小さな頭頂部に顔を寄せる。
それから目を閉じて、ジェイドはまた想像する。
──……出来ればこじんまりしたものがいい。あまり大きすぎると目立ってしまう。歪な形だと鳥が巣を作ってしまうかもしれない。奇抜な色だと他人が撤去しようとしてくるかもしれない。
誰の目にも触れないように。それを墓だと認識しなければ周りの風景に溶け込んでしまうような、そんな墓がいい。

「どこが好きですか? 海がいいなら、珊瑚の海は暗く冷たいところなのでもう少し浅瀬をお勧めします。山なら、花が沢山芽吹くところにしましょう。色が沢山あればそれだけで楽しいので。それとも静かな森や、湖とかがいいですか?」

眠る前に。ひとりになった瞬間に。同級生のもとへと走っていく小さな背中を見つめている時に。ジェイドはいつだってそんなことを考える。
彼女には何処が似合うだろうか。静かな所より、騒がしいところがいいだろうか。冷たい場所は気が進まないが、四季折々の表情が見える場所なら飽きないだろうか。標高が高いところがいいだろうか。お話しするのが好きな子だから、人の往来があるほうがいいだろうか。

「あなたが好きな場所にしたい」

監督生が好き好んで選んだ場所は、きっと自分も好きになれる。

「僕が選ぶ場所よりも、自分の目で見て選びたいのであれば、何処までもお供しますよ」

どうしようもなく、彼女の重荷になるようなことを言っている自覚はある。口では大人ぶって喋っているくせに、情けない顔をしてしまっている自覚もある。
だってこれは彼女がいなくなった後の話だ。
いなくなる。目の前から消える。さようなら、お元気でと笑って鏡の向こうの世界へと帰ってしまう。
こんなもの。

(呑気に笑って話せるわけがない)

あぁキスがしたいのに今は顔が見られないなと、残念な気持ちを抱えながら監督生を抱き締めていれば、──そっと胸を押し返された。監督生の手だった。

(……嫌に、)

なってしまっただろうか、と。
黒く汚れてしまったタールが注ぎ込まれて、腹の中が重くなっていくような、そんな感覚に襲われた。
嫌われてしまったらどうしようと、今更ながらに後悔が募る。こんな話、するんじゃなかった。
しかし。

「……ふふ」

その感覚を霧散させたのは、監督生の笑い声だった。

「笑って、ますか……?」

何がそんなに面白いのですか、と聞いたところで一向に笑い声が収まる気配がない。こちらの気持ちを一ミリだって理解していないように、上機嫌に笑う。
あまりにもケラケラ笑うものだから、ジェイドは体を離して笑っている顔を両手で捕まえた。柔らかな頬を押し潰すように挟んで持ち上げる。真正面から視線が絡まった眦には、笑い過ぎて涙が引っ掛かっていた。

「あはっ、あはは、ごめんなさい、ジェイド先輩」
「笑うことではありませんよ。僕がどれだけ悩んでいると思ってるんですか」
「あははっ、だって、その結果がお墓って……!」

物騒にも程があると言って監督生はいっそう笑ってしまった。

「きっと後にも先にも、そんなこと言うのはジェイド先輩だけですよ」

むう、と唇を尖らせたジェイドは笑い声ごとキスで口を塞いで、長い舌で口腔内を堪能してやる。息が出来ないと肩や腕を叩いてくる手やシーツを蹴る足は無視して、弱い上顎をべろりと舐めてやった。

「っ、んぅ……!」

監督生が大人しくなるまで堪能し、大人しくなったところで離れれば、十六の少女は大人の顔を覗かせる。
赤く熟れた唇で、ジェイド先輩、と呼ばれて思わず喉が鳴った。逃げるように体を仰向けにすれば、胸の上に監督生がしな垂れてくる。

「ジェイド先輩」
「……なんですか」
「拗ねないでください。嬉しいんですよ、先輩が沢山考えてくれていることが知れて」
「そうは思えない顔をしていますよ」

もう一度彼女に名前を呼ばれた。
今度は呼称のない、ありのままの名前。滅多と呼ばれることはないが、それでもこんな風に極稀に呼んでくれるのだ。
今日はとびきり甘く、その声すら食べてしまいたいと小さく腹が鳴る。

「ねぇ、言い方を変えてください。いっぱい考えてくれているのは嬉しいんですけど、もっとロマンティックな言葉がいいです」

海も好き、でも山も好き。色とりどりの花が咲いているのも捨てがたい。鳥と仲良くなれるのも嬉しい。人の往来が多いところだって、嫌いじゃない。

「ジェイド先輩が考えてくれた場所、全部見たいです。行きたいです。一緒に。だから、」

誘って、と。
監督生の細い指が唇に触れた。今度は、ジェイドが監督生の名前紡ぐ番。衣擦れの音の隙間で響いた低い声に、監督生はうっとりと目を細めた。さらりと前髪が流れて、ジェイドの肌を擽る。
それに触発されるように、口を開いた。

「──僕と、一緒にデートをしてくれませんか? 出来れば誰にも内緒で、二人きりで、色々なところを見て回りたいです」
「えぇもちろん、喜んで」

トクトク、と跳ねた心臓の音はきっと監督生の鼓膜を揺すっていることだろう。
どこか気恥ずかしいけれど、嫌ではなかった。だから、しな垂れている頭に手を伸ばしてそっと撫でた。

「私が好きな場所、ジェイド先輩が見つけてくださいね」

そしていつか私がいなくなったとき、あなただけのお墓を建てて。

「約束ですよ」

そうして目を閉じてしまった監督生につられるようにして、ジェイドも薄い瞼を下ろした。


***


トクトク、と忙しなかった心臓の音が落ち着いた頃。監督生はゆっくりと瞼を持ち上げた。
すうすうと寝息を立てているジェイドを起こさないように体を起こした。その拍子にシーツが肩から落ちていき、彼の歯形やキスマークが沢山ついた胸が露わになる。所々血が滲んでいる歯型は、一週間以上は消えないだろう。

「……」

ひとつひとつを撫でて、それから今度はジェイドの胸を撫でた。その手を腹へと移動させる。
臍のない、けれど均等に整った筋肉がついた逞しいそこを指先で愛でて、唇を寄せた。くすぐったかったのか、ジェイドの呼吸が乱れたが起きた風ではなかった。

(──……お墓、か)

この男がそんなものに寄りかかるほど、自分を愛してくれている重みは心地いい。
同時に、自分はジェイドを残して帰っていき、置いて逝くのだという現実を突き付けられてしまった。自分よりもずっと頭のいいジェイドは、比喩ではなく本当にずっと考えていたのだろう。
ジェイドがいつかの未来を見据えて準備をしてくれているように、自分もきちんと目の前の現実と向き合わなければならない。
でも。

(ごめんなさい)

全ての場所を見て回っても、それこそ候補に挙がっていない場所まで足を伸ばしてみても、監督生が此処がいいと言うことはない。
だってもう決まっている。この場所以外はあり得ない。

「先輩、私、私ね──……」

置いていくくせに酷いな、と自分で笑ってしまった。
それでも監督生はジェイドの心臓にキスをする。トクン、と優しい音を奏でて安心させてくれるそこにキスをする。


どうか、私がいなくなったらここに全てを刻み付けて。
あなたの鼓動が止まるその瞬間まで、一緒に。

>> list <<