あの夏には君がいた(中)


さて、あの一件から数日。今日は合同プール授業があり、なんと奈良シカマルがいるクラスとプールに入るのである。普段はサボっているが、さすがに今日はサボれないと、俺は家の押入れから海パンを引っ張り出してきた。そしてパンツをカバンに押し込んで履いてきたのである。

「飛段、今日のプールサボるだろ?ウン」

「いや、今日は出る」

「はぁっ!?」

あんぐりと口を開けて固まるデイダラを放って俺は教室を出た。奈良シカマルが来るなら必ず行かねばならない。まぁ、その理由はなんというか、あの制服の下のキレイな体を拝みたいという下心があるからなのだが…。とにかく!俺も健康的な男子だということである。

(相手も健康的な男子なんだけどなァ)

プールサイドにいくと、案の定うちのクラスは人数が少ない。そして俺がきたことに驚いて囃し立てるので、俺はギロリと睨んでそれを黙らせた。すると、小さく笑い声が聞こえて来る。

「ほんと、お山の大将じゃねぇか」

「うるせぇ…」

隣に座った奈良シカマルはやっぱりキレイだった。切れ長の目にフサフサの長い睫毛が茶色い瞳を隠している。隠しているのがまたいい。体は女みたいに白くてほそっこくて、柔らかそうだった。指も爪の形も、全てが完成されたもののように思う。ぼんやりと見つめていると、急に奈良シカマルが俺に顔を近づけてきた。

「んだよ、」

「いや、お前の髪の毛、銀髪なんだなって思って…キレイな髪だな」

「………フン」

ぷい、とそっぽを向くと奈良シカマルは満足げに頷いて前を向いた。先にプールに入って授業の説明をしている教師の声をぼんやりと聴きながら俺は呟く。

「お前こそ……キレイだ」

「……なんだよ、急に」

「髪も、目も、肌も…全部キレイだ、体だってただ細いだけじゃなくて筋肉がついてるからハリがあるし引き締まってる、ただ痩せてるだけじゃ作れない体だろ」

「よくわかったな」

「………お袋がそう言うのうるせぇんだよ」

シカマルは素直に感心して飛段に笑顔を見せた。暑さでゆだった飛段の頭のキャパを超える破壊力が襲い、思わず顔をそらす。

「普段は嫌なんだけどよ、そこまで綺麗って言われるのは悪くねぇな」

嬉しそうな声が聞こえて耳元に吐息が掛かった。思わず耳を抑えて奈良シカマルを見ると、面白そうにニヤニヤと笑っている。

「俺の名前、奈良シカマルだから」

「知ってっケド…」

「シカマルでいいぜ、ヒダン」

なんだかよく分からないが仲間認定されたのか?頭にはてなを浮かべながらも出された手を握る。

「お礼にいいもん見せてやるよ」

ニッコリと笑ったシカマルは立ち上がると水泳帽を脱いで髪を解いた。ぱさりと肩より少し長い髪が下され、俺は思わず息を飲む。教師が注意をしようと笛を鳴らすが、シカマルはそれを目で制し、大きく弧を描いて見ずに飛び込んでいく。まるで人魚のように滑らかに泳ぐシカマルはものすごいスピードでターンをし、俺のいるレーンへと戻ってきた。ざばっ、と水から這い出てニコリと笑いながら濡れた髪を絞る。

「はぁ、きもちー」

「………お礼って、それか?」

「おぉ」

「…ふーん」

キレイだったし確かに心奪われたが、それを素直に伝えるのが恥ずかしくて思わずなんとも無いようなリアクションをしてしまう。そんな俺をみて気分を悪くしたのかシカマルは容赦なく俺の脇腹をつまんだ。

「いでぇっ!」

「死ね」

「さっきと態度違いすぎるだろテメェ!」

「フンッ!」

なんなんだコイツは、態度の変わりようが本当に読めない。飛段は脇腹をさすりながら、でもさっきプールから上がってきたシカマルはエロかったな、今日のオカズにしよう、なんてアホなことを考えた。


■■


プールの後、一人で屋上に来た俺は、この間本屋で買った競技ダンスのルール本を広げた。文字だらけで意味は分からないが、もっとあの二人が踊っているものを理解したい、その気持ちだけでページをめくった。

「ラテン…スタンダード……10ダンス??」

なんのこっちゃ、と思わず言いたくなり、決意もむなしくそうそうに投げ出してしまう。日差しから逃げて日陰に入り、サンドイッチを齧りながらベンチに座ろうとすると聞き覚えのある声が聞こえて来た。

「おい」

「うおっ!?なんでお前がここに…」

「屋上にいちゃわりぃのかよ」

むくりと体を起こしたシカマルはギロリと俺を睨む。どうやらプールでのことをまだ怒っているようだ。いつも他の奴らには優しそうなのに、俺やダンスをしている時だけはこう言う感じの激しい性格が出てくる。多分こっちが素なんだろう。

「別に、足曲げろよ、俺も座る」

「テメェは日差しに焼かれとくのがお似合いだ」

「おい、いい加減にしろよ、殴るぞ」

「できるもんなら、やって………」

そう言って凄むとシカマルはベンチに寝たままニヤリと笑ったが、急に黙り込んでしまう。どうしたんだ?と不思議に思ったがそれよりシカマルが驚いた顔をしていて俺はますます訳がわからなくなった。シカマルはゆっくりと俺の持っていた本を指差す。

「………ダンス、するのか?」

「あっ!い、いやっ!これはっ…ちょっと、ちょっとな!たまたまお前が踊ってたのが見えたから!」

あ、マズイ。余計なことまで言ってしまった。とうとうシカマルは体を起こして飛段をじっと見つめる。あぁ、マズイ、本当に、これは殺される。アーメン、と心で十字架を切ったが、果たして効果はあるのか、いや無いと思う。殺されるのだけは勘弁してほしいとぎゅっと目をつぶったが、意外な言葉を投げかけられる。

「なんだ、お前俺がここでたまに練習してるの知ってたのか?」

「えっ、あ、ぁ、オウ!そう!そうそう!前にチラッとな!!」

「ふーん…」

「………んだよ」

「いや、人がいないのは確認してたはずなんだけどよ、ま、いいわ」

よっ、とシカマルはベンチから起き上がり、するりと俺の横を通り抜けた。その際に手に持っていたルール本も一緒にとられてしまう。

「あッ!オイ!」

「どーせわからなかったんだろ?教えてやるよ」

ニヤリと笑うシカマルに思わず悪寒のようなものが背中を駆け抜けた。このシカマルはいつものシカマルじゃない。数日前あそこで見た自己主張の塊のような、人を惹きつけてやまない、あのシカマルだ。自分とは全く違う、ギラギラとしたオーラを纏う目の前の男から俺は目が離せなくなった。

「始めはワルツのベーシックでいいよな?男役は普段やらねーんだけど別にできねぇわけじゃねえから、特別な?」

ビシッと背筋を伸ばし腕を宙に置く、まるで相手がいるかのように右手と左手がそれぞれの位置にあった。そして、音もなく足が屋上のタイルを蹴り大きく一歩を踏み出す。大きく回り、時にステップを踏み、まるで屋上がどこかの舞踏会のように見えてしまう。ごくり、と息を飲んだ。でも振り付けを覚えようだとかそういうわけではなくて、またこの間のように俺は圧倒された。この男の持つものに魅了された。やはり、奈良シカマルは美しい。なんてことを考えているとシカマルは動きを止めて俺を見た。

「口で言ってもわかんねーだろーけど、今のはスリー・オブ・ナチュラルターン、スピン・ターン、リバース・ターン、ウィスク、シャッセ・フロム・P.P.って言う5のコリオグラフィから成り立ってるんだ、あ、コリオグラフィってのは振り付けのことな?」

「……………」

「んだよ、その顔、わかんなかったか?」

ズイ、とシカマルの顔が近づいてきて俺は思わず後ずさる。あの綺麗な顔が目の前に来るのは心臓に悪い。肌も白いし、唇もピンク色でツヤツヤしているし、まるで本物の女みたいだ。いや、現実の女はシカマルほど可愛くはないかもしれない…。

「うっ、うっせぇ!!わかるわそれぐらい!!」

「ホントかよ、じゃあやって見せろ、できるんだろ?」

「オウ!やってやらぁ!」

ビシィッ、と背筋を伸ばし、手を見よう見まねで置いたが正直に言うと全くわからない。そう言えばシカマルに見とれていて振り付けなんかこれっぽっちも見えていなかったんだ。そのまま棒立ちになってしまい、シカマルは呆れたようにため息をついた。

「……………猿じゃなくてトリ頭か」

「うるせぇっ!!」

はんっ、と鼻で笑われ俺はとりあえず怒鳴りかえした。そしてシカマルが持っていたルール本を毟り取り、どかりと座り込む。

「今に見てろ!絶対踊れるようになってやるからな!!」

「……………本気か?」

「あぁ!あったりまえだ!」

「じゃあ、本なんか読むな」

すっ、とシカマルは俺の手からルール本を取り、俺の手を引いて立ち上がらせた。そして状況が掴めない俺の体を少しずつ修正していく。

「お前には無理だよ読んで理解しようなんて、体で覚えた方が早い背筋の伸びは良かった、あとは内臓を巻き込むみたいな感じでな」

腹に拳を叩き込まれ思わず呻き声をあげる。

「ぐっ!?」

「我慢しろ、これできなきゃ踊れねーぞ」

「く、くっそぉ…普段だったら殴ってるからな、お前のこと…!」

「ハイハイ、後は左手だな、お前、女を抱いたことはあるか?」

「っ、あ、ある…ケド」

「なら話は早いな、左手は相手の脇の下から入れてブラ紐の位置を抑える、もちろん俺はつけてねーけど、だいたいここらへんだ」

シカマルの肩甲骨に自分の手が触れたのが、わかる。細くて肉つきのいい所が布越しにはっきりとわかった。あぁ、やっぱり鍛えてるな。

「ひっ!?ちょ、なんだその触り方!」

シカマルの抗議は全く耳に届かず、目を閉じてそろりと肩甲骨をなぞった後は背中の筋肉を手で確認した。広背筋、脊柱起立筋...ect. しなやかな筋肉がたくさん隠れていて俺は少し興奮してしまう。

「おいっ、ン、ッ、なぁ、聞いてんのか!?」

「ちょっと、黙れ今いいとこ…」

むにゅ、と何か柔らかいものを掴んでしまい、俺は一気に現実に引き戻された。むにゅ、むにゅむにゅ、と確認するように揉んでみるが何かよくわからない。確認しようと目を開いたその瞬間、またあの痛みが俺を襲った。

「死ねッ!!このホモ野郎!!」

「ぐぁっ!?!?」

真っ赤な顔をしたシカマルは股間を抑えて蹲った俺をギロリと睨みつけた。あぁ、あの柔らかいマシュマロはシカマルの尻だったのか、尻まで女みたいに柔らかいとは、とうとうシカマルの性別がわからなくなってきた。シカマルは怒ってベンチに戻ってしまう。痛めつけられた息子を労わりながら俺も後に続いた。

「なぁ、シカマル」

「黙れ、死ね」

「悪かったって、お前の身体がいい鍛え方してたからさ、つい…」

「……………………ふん」

「わりぃ…」

「………次したら屋上から叩き落とす」

「わぁったよ、あと俺はホモじゃねーからな」

「じゃあなんであんな色々触るんだよ」

ごもっとも、と言わんばかりの質問に俺は思わず口を噤んだ。言うべきなのだろうけど、あまり言いたくはない。どうしようかと迷っているうちにシカマルの睨みがキツくなったものだから、俺は観念して口を開いた。

「うちのお袋がよ!……その、だな、元ダンサーで、色々付き合わされたりしてたんだ、もう俺が生まれた時にはやめてたけどよ、色々身になることをしろってうるさくて、そん時の癖だ!癖!」

「…へぇ」

あぁ、小さい時の俺、お袋に付き合わされて走り込みやら筋トレやら色々させられたなぁ、それにダンスとかダンスとかダンスとか…。お袋はダンスが死ぬほど好きだったからよく家でも音楽がかかってた。一日中お袋と歌ったり踊ったり、ずっと体を動かしていたっけ…。そのおかげでスタミナだけは人並み以上にある。まぁ競技ダンスは全くしたことはなかったが。

よく街に出るとお袋は俺に囁いてきた。

「いい?筋肉を見るの、人間は筋肉で体を動かしているんだから筋肉の動きが一番大事、その後に姿勢、立ち振る舞い、所作、そういったところをよく見ておきなさい、女の子を選ぶ時にも役に立つわ」

身内目線で見なくてもお袋は綺麗だった。街を歩けば人が振り返り、人混みが割れて道ができていたぐらいだ。そんな綺麗で人を惹きつけるお袋が俺の自慢で憧れで、目標だった。

(………………お袋が持っていたようなものは、俺にはなかったけど…)

「………立てよ」

「……?」

母親との思い出に浸りセンチメンタルな気分になっていた俺をシカマルがギロリと睨んできた。なんでだ。まだ怒っているのか。訳が分からずに黙っていると鋭い蹴りを入れられ、俺は三メートルほど吹っ飛んだ。

「いってぇな!何すんだ馬鹿野郎!!」

「…ムシャクシャするんだ、何もせずに負け犬になってる奴は、俺が一番大嫌いな奴だ」

「……負け犬、」

認めたくはないが、確かにそうかもしれない。俺はずっと何もしていないくせに、自分には何もないと言っている気がする。

「立て、本気でやるなら付き合ってやるよ…競技ダンスは輝きたい奴らがやるもんだ、お前が多少なりとも興味を持ったってことはそう言うことだろ」

ギロリと睨むシカマルの目が俺を追い詰める。ドクドクと鼓動が早まり、よくわからない汗がドッと吹き出した。

「どうする、やるか、やらないか…お前が決めろ」

バタン、と自分の扉が無理やり開かれたようなそんな気分、扉の向こうにいるあいつは綺麗で自信たっぷりに笑っている。そういう自己顕示欲の塊。自分の中にもそれが燻っていたのか、気づけば俺は立ち上がって扉の向こうに飛び込んでいた。

「……俺、頭よくねーぞ」

「俺は全国トップの天才だぞ」

「ハッ、できねえ訳ねぇってことかよ」

「そういう事」

ニンマリと笑ったシカマルにつられて思わず笑ってしまう。とにかく早く踊って見たい。その気持ちが俺の心を昂らせた。



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