あの夏には君がいた(上)
毎日違う男と出かける母親も、借金にまみれて海の底に沈んだ父親も、クソつまらないガッコーで絡んでくるアホな奴らも、みんな、みんな、
「みーんな、死んじまえばいいのに」
噎せ返るような血だまりの中、血で汚れた手で乱雑に髪の毛を掻き揚げる。この手にべったりとついた血が誰のものかなんてわかりはしないが、とりあえず今日も俺は生き延びてしまった。残念、無念、また来週。ぐっと力を込めて地面に転がった巨体を蹴るとカエルを潰したような情けないうめき声が上がって、思わず腹を抱えて笑った。
「バァーカ!!!てめぇらに俺が倒せるわけねーだろォが、このモブ共が!!」
やばい、笑いが止まらない。体を大きく反り上げてなお狂ったように笑い続ける俺に恐れをなしたのか、倒れていたモブどもはわらわらと逃げていった。うん、俺を恐れて逃げるっていうのは中々気分がいい。あーカイカン{emj_ip_0834}
「どけよ」
「あ???ぐぉッ!?!?!?」
どすん、挨拶もできずに股に入れられたほっそこい右足が俺の大事なアソコを容赦なく蹴り上げた。思わず膝をついて地面に這いつくばって痛みに悶えると、憎き右足がさらに俺の頭を地面と仲良しこよしをさせてくる。
「邪魔だって言ってんだろーが、聞こえてねぇのか?」
「テメェ…って!テメェ男じゃねーか!!男ならここは暗黙の了解ってわかんだろォーがよォ!!!」
女子かと思ったほそっこい足の主はどうやら男だったようで、黒髪を頭の上で結った人相の悪い男がギロリとこちらを睨んでいた。
「知るか、サルみてーに喧嘩しか能がねぇ奴は去勢しといた方がいいだろ?ソコがお似合いだってーの」
「テメェーーー!!!!」
がばっ、と足をのけて立ち上がるとすぐに拳を振り上げる。変な奴だ。男は眉一つ動かさずに俺の拳を避けるとするりと猫のように俺の背後に回る。俺は何度も何度も拳を振るって男に当てようとしたが、一度も当たることはなく、すべて避けられてしまう。
(なんだこれ、こんなの、初めてだ)
自分の拳をじっと見つめた。もしかして、あの男じゃなくて自分がおかしくなったのか?そう問いかけても拳が返事をするはずもなく、男がおかしそうに笑っただけだった。
「シカマル」
薄暗い路地裏の先、差し込む光を遮って大きなバイクに跨った大男が俺の目の前にいる男に声をかけた。低いバリトンの声が耳に届いたのか、男は途端にギラついた目を隠して優しい表情になる。さっきまでの男とは別人のようにキレイに見えた。なんだこれは、なんの茶番を俺は見せられているんだ。というか、なんだか俺が邪魔者のような雰囲気が漂い始めた。今は俺がモブなのか???そうなのか???
「アスマ」
「友達…ってわけじゃなさそうだな」
「ちげーし、邪魔だったから」
「ったく、容赦ないな、相変わらず」
大男はあれだけ人相の悪かった男の頭をいとも簡単に撫でた。そして男も満更そうではない。本ッ当に何なんだこれ…。というか俺はまだ踏みつけられたままだ。俺の上でいちゃいちゃするなら早くこの足をどかしてくれないだろうか。
「早く行こうぜ、練習、するんだろ?」
「ん、大会も近いからな」
「ていうか、一人でシャドーができないから俺使うってホント変な人だよなアンタ」
「うるせー、俺と一緒に踊れてるだけでもありがたいと思え」
「へーへー、どうせ俺は無名のシロウトですよ」
シャドー?大会?わけのわからない単語が並んだ。生憎頭はそれほど良くないので俺は頭をひねる。まるでいない者のように扱われ捨て台詞も言えずに地面に這いつくばり、男二人がバイクを二人乗りして去っていくのをただ見つめるしかなかった。
「俺も所詮はモブってことかぁ」
とりあえずあの人相の悪い男は今度会ったら捻りつぶす。俺のムスコを痛めつけたお返しだ。蹴られた拍子にポケットから飛び出た携帯電話をなんとか掴みよく知った番号に電話を掛けた。
「あ、角都!俺俺!向かえにきてくれよ!」
■■
じりじりと日差しが教室に差し込み、俺はぐったりと机に体を放り出した。今は授業中ではあるが、授業中であって授業中でないようなものなので、俺の行動が注意されることもない。ぐったりとした俺の体にひんやりとしたジュースが押し当てられる。
「デイダラちゃん神かよぉ…」
「ウンウン、そうだろ?俺の優しさにひれ伏すんだな、ウン」
「それはヤダね」
「あっ、それ俺のカルピス!!テメェ、飛段!!!」
「ふん、早いもん勝ちだってーの」
窓を乗り越え、デイダラが追いかけてこれない換気扇の上に俺は腰を下ろした。日差しのせいで換気扇も熱を持っているが、まだ耐えられないこともない。カルピスの蓋を開けて一気に飲み干すとちょうどいい風が吹いた。
「おッ、いいねー…ん?」
グラウンドを駆ける無数の体操服が目に入り、飛段は目を凝らす。あの青のラインが入った体操服は一つ上のクラスだ。デイダラも一緒になって運動場を眺める。
「この暑い中体育とは殊勝な奴らだな、普通科の奴らも」
「俺らも普通科じゃねぇか」
「馬鹿野郎、俺らは普通科でも不良の集まりの問題児クラスだっての、ウン」
「結局一緒だろ」
「アウトサイダーじゃない奴らのオーラはなんかキラキラしてて気持ち悪いぞ、ウン」
「なるほど」
なるほど、わからん。ため息をついたデイダラの隣で俺は大きくあくびをした。俺には良くわからないし、そもそも人間なんてみんな裸になればおんなじ人間なんだから、頭がいいとか、金持ちとか、運動ができるとか、そんな違いはどうだっていいのだ。
(ひまだな…なんか楽しいこと……)
あれ、なんか、見たことがある顔がいた気がする。目をこすってもう一度よーくグラウンドを見つめた。なんだ?なにか…。
「あッ!!!!!アイツ!!!!!!!」
「おいっ、馬鹿!あぶねぇ!!!」
立ち上がった途端、ずるり、と換気扇の向こう側に体が浮いたのがわかる。惰性で授業を続けていた薄毛の教師も、各々好きなことをしていたクラスメイトも、隣にいたデイダラもみんな口を開けて俺を凝視する。
(なんだ、俺もこういう反応してもらえるぐらいには人に認識されてんだな)
体が浮かぶ数秒間、せっかくだからと俺はグラウンドに目をやった。俺がさっき見つけたアイツは俺の声に驚いてこっちを見ている。そりゃ、いきなり大声出した奴が換気扇の上から落ちたんだからこっちを見るのは当然か、なんだか人の視線が集まっていてむずがゆくなってきた。いや、少しだけ嬉しいかもしれない。
まぁ、現実は厳しいわけで。
俺の体はアイアンマンではないのであって。
どれだけ喧嘩が強くてももろい人間の体を持った俺は。
地面に打ち付けた衝撃と共に意識を失ったのだ。
■■
「馬鹿野郎!!!心臓とまるかと思っただろ、ウン!!!!」
「いってぇ!一応俺ビョーニンなんだぞ!!!」
「うっせぇ!もうジュース買ってきてやんねぇからな!!!」
デイダラは荒々しく保健室のドアを閉めて出て行ってしまう。一応、心配はしてくれているらしい。少しは価値があるんだな、俺の命も。なんて考えているとふわっと窓から風が吹き込んできた。涼しい。そう思って窓際まで近づくとほんのりとミントの香りがする。
(なんでミント…?)
「よう」
「あっ、お前!!」
ミントの正体はさっきグラウンドで見つけたアイツで、先日俺のムスコを潰したアイツだった。俺は思わず臨戦態勢になるが、さすがに三階から落ちた衝撃は体をダメにしているらしい。へたり込んだ俺にアイツはミントのガムを噛みながらまた笑う。
「はは、やめとけよ、ていうか三階から落ちてんのになんで生きてるんだお前」
「運だけはいいんだよ、ていうかテメェ、よく俺の前に顔出せたな!」
「そりゃ俺の顔見て落ちたんだから目覚めが悪くなんのは困るんでね、一応、様子を見に来ただけだ」
「いつかぶっ殺してやる」
「無理だろ、あんな動きじゃモブぐらいしか殺せねーよお前、喧嘩しか能のないヒダンくん?」
にやっと笑ったアイツは窓に肘をついて俺に顔を近づけてきた。近い、そして体育の後のはずなのになんだかいい匂いがする。男のくせに気持ちわりぃ。
「なんで知ってんだよ」
「うちの学校じゃ有名じゃんか、成績は学年最下位、それどころか下の学年の奴らより馬鹿で3回も留年してる、今年も記録更新すんのかしないのかって賭け事になってるぐらいだしなぁ」
「うっせぇ!!!そういうお前はどうなんだよ!!!」
「さぁ?どうだろうな」
あぁ、やっぱりこいつは人相が悪い。やくざみたいな顔してやがる。あの大男と一緒にいた時はキレイだったのに。不良の俺より不良らしい。多分あれだ。キレイな顔をしてる奴ほど、こう顔を歪めると目立ってしまうんだろうな。いや、顔が整っている訳ではないのだが、どことなく、表情や姿勢や、声の出し方に上品さが漂っているのだ。なんてことを考えているとアイツは満足げに立ち上がって伸びをした。
「ま…死ななくてよかったな」
それだけ言うとアイツはまた猫のようにするりと歩いてどこかへ行ってしまう。本当に気まぐれな猫みたいだ。
「やっぱ、変な奴…」
「お前、奈良と知り合いだったのかよ、ウン」
帰ってきたデイダラが不思議そうにこっちを見ている。俺は首を振ってそれを否定した。
「いいや、苗字も今知った」
「ふーん」
「奈良っていうのか?アイツ」
「おぉ、奈良シカマル、この学校トップの天才でIQ200だぞ」
「げっ、がり勉かよ」
「もともとは成績悪かったんだとよ、めんどくさがりでテストもいっつも寝てたらしいぞ、ウン」
「なんでそんな奴が天才なんだよ、頭でも打ったのか?」
「知らねー!それよりお前は寝とけっての!」
デイダラは無理やり俺をベットに押し込んで、保健室の先生を呼びに行った。俺は真っ白の天井を見つめぼんやりとアイツの顔を思い出す。
「奈良…シカマル……」
アイツは俺とは違って人から注目される奴なんだろうな。そう思うと胸がチクりと痛んだ。
■■
「おい、お前進路はどうするんだ」
「センセー、俺が今年も留年するって賭けてるくせにそんなこと考えさせんのかよ」
「なっ、なんの話だ…俺は知らんぞ賭けなんて」
ずんずんと廊下を歩くと、辺りにいる生徒はみんな道を作ってくれる。まぁ、俺に殴られるのが怖いのだ。そしてその俺の後ろを追いかけている黒縁眼鏡の中年教師は汗を拭きながらひぃひぃと息をしていた。この豚野郎。気持ち悪いんだよ。ダイエットぐらいしろや。そう心の中で悪態をついて大股で歩いていくと、いつのまにか教師は姿を消していた。
「これぐらいでへばんのかよ、ダッセェ」
まぁ、いいや、帰ろう。そう思って裏門を見ると、あの奈良シカマルが裏門を通っていくのが見える。今日は髪を下ろしているみたいだ。やっぱり、姿勢がいい。前回は見えなかったが歩き方も非常によかった。パリコレのランウェイを歩いているみたいな、そんな歩き方。腰も細くて、足もキレイだ。それに足だけじゃなくて体全体の筋肉と脂肪のバランスがいい。最近はやりのジム通いをしてるモデルのような体系をしている。それをじっと観察していると、視界から奈良シカマルが消えそうになって俺は慌ててその後ろ姿を追った。
「アスマ?うん、うん…おっけ、りょーかい、7時にスタジオにいるようにする」
このご時世にガラケーとは珍しい、しかもスライド式だ。俺も数年前はあれに興奮してたなぁ、となつかしさに浸っていると聞き逃せない名前が聞こえて俺は気を引き締めた。「アスマ」たしかこの間の大男の名前だ。スタジオとはなんだろうか、とにかく何かを練習することだけはわかる。奈良シカマルの秘密はそこにあるのかもしれない。
(…よくわかんねぇけど、知ってみたい)
そこから夜までずっと、俺は奈良シカマルの後をつけ続けた。奈良シカマルはそんなことは全く知らずに、本屋に行き小難しい本を読んで、電気屋で新しいイヤホンの品定めをしていた。イヤホンにこだわりがある部分は俺と同じだな、と一人喜んでいるといつのまにか奈良シカマルは姿を消していて、俺は慌てて探し始めた。各フロア、トイレ、どこを探しても奈良シカマルはいない。もう店を出たのかもしれない、俺は全速力で店の外を探したがそれでも見つけることはできない。ふいに見上げた時計の時刻は7時を指している。あぁ、あのアスマとやらと約束していた7時じゃないか、これはもうだめだな。そうため息をついた瞬間、ブゥン、とあの大きなバイクが目の前を横切っていく。
(あッ!!!)
思わず走り出していた。バイクはすぐに減速して角を曲がって姿を消したが、減速したということはもう目的地はそこにあるということだ。飛段は少しだけ曲がり角の前で待った。3分ほどしてそろりと曲がり角を曲がると整骨院と蕎麦屋の向こうに「ビワ・ダンススタジオ」と書かれた建物がある。
(ダンス…)
近づいていくとフロアをこする音が耳に届き、きょろきょろと辺りを見回した。なんでこんなにはっきり聞こえるんだろう。周りには何もないし、ダンススタジオも明かりがついているわけではないというのに。
(まさか…幻聴、だったりしねーよなぁ)
にゃあん、足にまとわりついてきた黒猫がそう鳴いて、俺は反射的に足元を見た。すると、ビルの下のほうに小窓がついていてそこから音が聞こえてきている。
(地下だったのか…)
屈んで中の様子を伺うとラフな格好に着替え、髪を団子に結った奈良シカマルが柔軟をしているのが見える。体も柔らかいのだな、と一人関心しているとがちゃりとドアが開いて「アスマ」が姿を現した。二人の会話が始まって俺は思わず窓に映らないように座って隠れる。そしてそこで二人の会話だけを聞くことにした。
「体柔らかいよな」
「まぁな、それにアンタの練習に付き合ってるし」
「はは、そうだな、何歳からだっけ?」
「5歳!アンタが無理やり始めさせたくせに、忘れんなよ、女で男役はわかるけど男が女役なんて聞いたことねーんだからな」
「まぁまぁ、俺が知ってる女役の中ではお前が一番綺麗だよ」
ちゅっ、というリップ音が耳に届いて、俺は思わず自分の頬に熱が集まったのがわかる。やっぱり気のせいじゃなかったのだ。そして奈良シカマルのあのキレイさと上品さの秘密は「ダンス」と「アスマ」ということになる。俺にとっては未知の世界ではあるが妙に納得できた。そしてその秘密に俺は少し、心惹かれている。
「ッ、ん…アスマ、れん、しゅ…」
「…キス、してからのほうが燃えるだろ?」
「んんっ、ァ、そうだけど…っ」
あぁ、やばい、エロい。今まで見てきたどのAVよりも色っぽくて興奮する。みたい、どんな顔してキスしてるのか、どんな顔で「アスマ」を見ているのか見たくて仕方がない。見ようか、見まいか、天使と悪魔が囁いて俺を悩ませるが突如、ジャンッ!!と鳴り響いた音楽が俺の体を自然と動かしていた。
くるくると奈良シカマルと「アスマ」が踊っている。あれは確か、社交ダンスってやつだ。普通はじいちゃんばあちゃんがするらしいけど、金曜日にやっていたテレビで見た顔の大きな女芸人が出てた企画では若い奴らもやっていた。壁に貼られたポスターに、競技ダンス、と書かれていてそれを見た瞬間、俺の中で全てが繋がった。
(競技ダンス…これが、)
時に激しく、華麗に、まさに蝶が舞うように奈良シカマルはいろいろな顔を見せた。そして「アスマ」との一体感が、より競技ダンスの世界に俺を引き込んで行く。奈良シカマルが「アスマ」が、見ろ、と囁いてくる。誰も観客はいないのに、ただの練習なのに、誰かに見せているかのような、そんな感覚。
(ていうか…自己主張激しすぎんだろ!)
それでも目は離せなかった。飛び散る汗が、色っぽい眼差しが、綺麗に揃う足音が、目と耳を持って行ってしまう。
(やべえ…なんだこれ、ずっと…)
そう、できるなら、ずっと、ずっと、ずっと、見ていたい。
しかし、そんな願いもむなしく何曲目かわからない曲が終わりを告げ、二人は動きを止めてしまう。ため息をついて時計を見ると針は10時を指していた。
(ウソだろ…もうこんな経ってんのか、どんだけスタミナあんだよ)
「はぁ……」
「おつかれさん」
「スタミナおばけだよホント…」
「スタミナはいるだろ、ダンスに」
「まぁな」
「アスマ」はそっと奈良シカマルの額に唇を押し当てた。それを嫌そうな顔をして奈良シカマルは「アスマ」を押しのける。
「ヘンタイ」
「なんだ、今日のダンスがよかったからしたのに」
「どーせセックスしたいだけだろ、いっつもコレだよ…アンタほんとダンスと性欲が連動してるよな」
「ご明察、流石IQ200だな」
「ンッ……おい、誰がしていいって言ったよ」
「いてっ!やめろって!」
キスをして、げしげしとすねを蹴られた「アスマ」は涙目になっている。だが、俺はもっと痛いとこを蹴られたのでむしろ可愛いもんだと思った。
「いたいっ、いたいって!お前こそ、俺が本番で他の女と踊るから妬いてんだろ!?」
「あぁ、そうだよ!バカじゃねーのアンタ、俺を誰だと思ってんだ!何年アンタと組んでるんだよ、アンタが言わなくてもなぁ、俺が!一番!アンタに!合わせれるんだよ!!」
脛を蹴っていたぐらいの優しい蹴りが鋭い蹴りに変わる。その蹴りが「アスマ」を襲い「アスマ」は鏡張りの壁際に追い詰められてしまった。眉を釣り上げ「アスマ」を睨む奈良シカマル。その顔を数秒見つめた「アスマ」はへらりと笑って立ち上がり、奈良シカマルの手を引く。
「もう今日はやんねーって!」
「まぁまぁ、もう一曲、ホラ昔よくやっただろ?」
「おい、話聞いてんのか!」
「いいから、な?やろうぜ?」
「…………ッ、はぁ」
奈良シカマルがため息をつくと、二人はゆっくりと踊り始めた。曲もない、二人の足音だけが響く。奈良シカマルの目はまだ厳しいものだったが、その中にいろんな感情が入り混じっているのがわかった。
(あ…なんか、泣きそうだ)
だって、奈良シカマルが泣きそうな目をしているのだ。どうしようもない、子供みたいに泣き出しそうな目をして「アスマ」を見ているのだ。なんだかそれが伝わってきて涙腺がズキズキと痛くなる。二人は足を止めて、ジッと見つめあった。「アスマ」がおもむろに奈良シカマルの頬を撫でる。
「ごめんな、シカマル」
「…………ずりぃよ、アンタ」
そう言った奈良シカマルの唇がふさがれた瞬間、俺は走り出した。もう見てられなかった。まるで自分が奈良シカマルになったようで、涙が溢れて心臓が痛い。きっと二人は今頃あの地下のレッスン場で抱き合っているんだろう。でもその行為がどれだけ不毛で、どれだけ意味のない、虚しさを伴うものか、俺には手に取るようにわかった。
(こんな秘密、知りたくなかった…)
奈良シカマルの秘密は、俺が抱えられるような、そんな簡単なものではなく。誰も知るべきではない。業の深いものであった。
つづく
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