空と雲


いいなぁ。

羨ましいなぁ。

昔から俺の鱗はみんなに羨ましがられた。空色の鱗。同じ青の中でも透き通った鱗がどんなに暗い深海の中でもぴかぴかと輝いて仲間たちはいつも俺を目で追ってはため息をついていた。みんながそんなに羨ましがるものだから俺も自分の鱗を嫌いにはなれなくて、鱗の色と同じ空とそこに浮かぶ雲を眺めるのも大好きだった。向かい合わせでどこまでも広がる空と海。俺が大好きなもの。


でも、今はもう嫌いになってしまった。


俺の父さんと母さんは小さい頃にサメに食われてしまった。もう顔も覚えていない。それに父さんと母さんは空色の鱗を持っていなかったから、俺は変な子だとずっと言われていた。二人のことは好きだったけど、愛してもらえたのかと聞かれると疑問である。そしてたった一人、身寄りもなく目立つ鱗を持った俺は一部の人魚たちに妬まれ、罠にかけられてしまった。小さな子供の人魚が人間に襲われてる、助けてやってくれ。そう言われて余計なことを考える前に体が動いてしまって気がつけば俺が人間に襲われてしまっていた。子供の人魚なんかどこにもいなくて、いたのは大きな船に乗った珍しいものをコレクションしているでっぷりと太った人間。なんとか逃げようと散々抵抗し、鱗を3枚剥がされながらも海に逃げ帰った。あれから俺は一度も空を見に行ってはいない。もう怖くて鱗を剥がされた時の痛みが忘れられなくて見に行けなくなった。でも時々、上を見上げる。もし自分に勇気があったらもう一度、あの晴れ渡る空とのんびりと流れる雲を見たいと密かに願うのだ。

「シカダイ、眠れんのか?」

「長老…大丈夫です、すぐ寝ますから、おやすみなさい」

わざわざ話しかけてきてくれた長老から逃げてしまったことを少し後悔するが、あれ以来他の人魚とコミュニケーションをとるのが怖くなっていて、数分と喋っていられないのだ。自分の寝床であるサンゴ礁に戻り、オオイソギンチャクのベットに体を沈める。チッチャツボで作った髪ゴムを外してゆっくりと眼を閉じた。できれば目が覚めた時には人間も人魚も怖くなくなってますように、と願いを込めて……。



どれぐらい眠っただろうか。海底から鳴り響く地響きで俺は飛び起きた。辺りを見渡すと遠くで明かりが見える。

「明かり…じゃない、火山か…?」

ここは深海の中のさらに奥、アビスとも言われる深い深い海の底。海底火山が噴火することもあると聞いていたが、見るのは初めてだ。自然と好奇心に掻き立てられ、火山の方へと泳ぎ始める。止めるものは誰もいない。それもそうだ。あれからずっと一人でいるのだから、寝床でさえみんなと何キロも離れた場所にしているのだから、誰も俺の姿を見る奴はいない。その事実に少し胸がチクリとしたが、それでも目の前の明かりに心が奪われ、ぐんぐんと水を蹴って奥へと進んで行く。

「あつ……」

火山の温度に水の熱さが尋常じゃなくなってきた。これ以上は火傷してしまう。流石に諦めるか、と泳ぐのを止め、まだ遠くで燃え盛る火山の明かりをぼーっ、と見つめた。

「……キレイだ」

ゴゴゴッ!といきなり下から大きな音がして慌てて逃げようと水を蹴ったが俺が泳げる範囲よりはるかに大きな噴射口が一気に熱湯を吐き出した。俺は何もできずにその熱湯に*き苦しむ事しか出来なかった。俺が覚えているのは、そこまで。

「ッ、あ、アッ!」

「シカマル、気持ちいいか?」

「あぁっ、ばか、せんちょ、だからっ!」

「はいはい、船長だったな」

「あぁんッ!いいっ!そこっ、もっとぉ!」

眼を開けてまず最初に飛び込んできたのが人間の裸。人間に恐怖する前にあまりの状況に俺は言葉を失った。見るのは初めてだが、あれは多分人間の子作りだ。本で読んだことがある。でもどっちも男で、髪の長い男の尻の穴に髭を生やした男のアレが入ったり出たり入ったり出たりしている。髪の長い男は甲高い声で顔を赤くして喜んでいるようだ。あれで本当に子作りができるのか?俺が首を傾げていると子作りが終わったのか、髪の長い男が一際大きい声を出した後、髭を生やした男が腰を引いて、髪の長い男の尻の穴から白い液体がたくさん溢れ出した。髭(長いので省略することにした)は自分の体だけキレイにして服を着るとさっさと出て行ってしまう。俺はどうしようと辺りを見渡すが海が近くにあるわけでもない。見えるのは狭苦しい部屋の壁と自分が入れられているこれまた狭苦しい池?のような所、そして子作りをする為の柔らかそうな台、だけだ。とりあえずぐるりと泳いでみたがあまりの狭さに思わず眉を寄せてしまう。早く広い海で泳ぎたい。逃げ道はないかと探しているとちゃぷん、と水の跳ねる音がした。

「起きたか」

「ッ、だ、誰だ!」

「…へぇ、喋れるのかお前、初めて見たな喋れる人魚は」

裸のまま水の中に入ってきた男はざぶざぶと音を立ててこちらに近寄ってくる。ぶるりと背筋が凍って俺は慌てて逃げようとしたが、当然ここは海ではない。ごつん、と壁にぶち当たり俺はなす術無く男に追い詰められてしまった。

「くっ、来るな!!触るな!」

「おい、何にもしねーよ、話しするだけじゃねぇか」

男が伸ばした手を振り払い恐怖が一気に口をついて溢れ出てしまう。

「うるさい!人間は嘘つきだ!そうやってまた俺の鱗を剥がすんだろ!あっちいけ!俺に触るな!」

「…お前、鱗剥がされたのか、見せてみろ」

俺の言葉に急に顔色を変えた男がざばっ、と両手で俺の体を持ち上げ池の縁に座らされる。

「いやっ!やだっ!やめろぉ!!」

「……泣くな、鱗を剥がしたりはしない、約束する」

ちゅ、と男はある場所に口付ける。そこは人魚にとって大事な場所で夫婦になる人魚達が互いを裏切らないと約束する時に口付ける場所だ。そんな所に口付けられてしまって俺は思わず顔が熱くなった。

「……震えてるな、よっぽど酷くされたんだな…」

男の片腕がしっかりと俺の手を握り安心させようと何度も握り締めてくれる。でも視線はいたって真剣に俺の傷跡を見つめていた。

「……もしかして、」

ざばっ、と池から上がった男は上着を羽織ると足早に出て行ってしまう。そして直ぐに小さな袋を持って帰ってきた。

「これ、お前の鱗じゃないか」

「……………え、」

袋から出てきたのは俺と同じ空色の鱗。思わず男を見つめると、ちゃんと説明をしてくれた。

「何年か前に貴族から掻っ払ったやつの中にあったんだ、空の色と同じだから気に入ってたんだけどよ、お前のものだったとはな……怖かっただろう、人間の都合ですまないな」

優しく頭を撫でられ、思わず涙が溢れた。命からがら逃げ帰ったあの日だってこんな風に言葉をかけてもらえたことはなかったから、まさか、一番の原因だった人間にそんなことを言われるとは思っていなかったのだ。怖い人間だけじゃないんだとわかり、俺の心は安心して涙をどんどん流し始めた。男はそっと鱗を元の位置に当ててくれて人魚の持つ治癒力で鱗がくっついていく。

「よし、これで大丈夫だ、ほらもう水に入っていい」

「っ、」

ざぱんっ、と水しぶきが飛び、ずぶ濡れになった男が笑う。

「お前、名前は?」

「シカダイ…」

「へぇ、俺はシカマルだ、薬剤師とこの船の船長をしている」

「船…?ここ船なのか?」

「おう、何日か前に奪った」

「…俺は売られるのか?」

「いや、人魚を売ることはないな、たまたま浮かんでたから保護しただけだ」

「…………じゃあ、子作りしないといけないのか?」

「…子作り?」

最後の質問にシカマルは首を傾げたが直ぐにさっきのことだと理解して少し笑う。

「ははっ、あれはしなくていい、俺の趣味だ、子作りじゃない」

「……そうか、でも、俺はアンタのものになったんだけど…子作りしなくていいのか?」

「…それってどう言う意味だ?」

眉を寄せたシカマルにシカダイは夫婦になる人魚達の誓いの話を一から説明する。シカマルは少し考えたような顔をしていたが、もう一度俺を池の縁に上げてジロジロと観察を始めた。

「…い、いやなら……いいんだ、どうせ海に帰っても一人だから、これから誰かと誓い合うことなんてないだろうし…」

「……いや、別にお前と夫婦になるのはいいけどよ、その人魚の生殖器が気になって」

「はっ!はぁっ!?」

シカマルの思わぬ言葉に思わず俺はその場所を手で隠してしまった。シカマルはそれを見逃さずに手を退かせる。

「わりぃ、俺知りたいことは諦められねぇタチなんだ、酷くしねぇって約束するからよ、見せてくれないか?」

「で、でも…」

「俺たち夫婦なんだろ??」

「…………う、俺は、まだ誓ってないし…」

「なら、誓えばいいじゃねぇか」

ざば、と水から上がって隣に座ったシカマルが俺の顎を掴んで優しく唇をくっつけてくる。

「んっ…」

「これが、人間の誓いな?」

いい?いいだろ?と興味津々の目線に俺の頬はどんどん熱くなってとうとう頷くしかなかった。



くぱぁ、と鱗に覆われた体の真ん中に入った筋を広げられまじまじと観察される。中からは透明の液体がとろりと溢れ出していた。

「シカダイ、お前性別は?」

「…人魚は、外見の違いはあっても生殖器は同じなんだ……だから子作りをする時はこの、今出てる液を混ぜ合わせて母体になる人魚に注入する………」

「なるほどな、これがじゃあ精液みたいなもんか」

「………あ、あんまり見ないで…恥ずかしいから、溢れて止まらなくなっちまう…」

ドロドロと鱗を伝い始めた液体をシカマルはじっと見つめ次の瞬間、中に舌を這わせてしゃぶり始めてしまう。

「ひぃっ!?ぁっ、ばかッ、やめ、アッ!や、やだぁっ!!」

じゅっ、じゅぷ、じゅるっ、ジュルルッ、と液が吸われ生暖かい舌の感触にシカダイは必死に抵抗したがヒレを押さえつけられてしまってはどうにもならない。シカダイはただただ声を上げて快感に耐えるしかなかった。

「甘い…」

「あっ、ぁ、ぅ……」

「なぁ、なんで甘いんだ?」

「っ、は、ァ、人魚は…海水の、塩分を、体の中で濾過してるんだ…それが甘い理由………だから、血液とか、涙とかも甘い…」

「へぇ…これ、奥はどこまである?子宮はあるのか?」

「子宮はある、ここから管がここまで繋がってるんだ」

臍の下あたりを指差すとシカマルが「そこは人間と似てるな」と呟いていた。そしてまた観察を始めてしまう。

「……………も、もういいだろ?恥ずかしいって…」

「…うぅん、もうちょい」

ぬぷっ、ぬぷぷっ、とシカマルの手が入り中をぐちゃぐちゃにかき混ぜられてしまう。

「あっ、あぁっ、ぐちゃぐちゃに、しないでっ、あぁっ!!」

「…うん、どっちかっていうと女性的だよなぁ、でも広がるし締まりも良い」

「ひっ、ぁ、あぁっ!やだ、だめぇ!!」

「もうちょい、がんばれ」

ぐちゅ、ぐちゅ、ごりっ、と中の管が犯され液がどんどんと溢れ出した。シカマルは管の入り口の少し上にある突起を見つけ、そこも親指で刺激をし始める。

「あぁんっ!!!やだっ、だめぇっ!!そこ、触らないでっ!」

「ココって排泄器か?」

「あぁっ!ぅ、うぁっ、ちがうっ、ちがうからぁっ!!」

「じゃあ何?」

「アッ、アッ!ここは、ッ、噴射口みたいなっ、アッ!あぁっ!クジラの、あれと同じでッ!ひっ、ァ、ぁんっ!!濾過して、いらなくなった、もの、をッ、ひゃんっ!!!」

「潮か、吹くなら見て見たいな」

ニヤリ、と笑ったシカマルはグリグリと噴射口を親指でいじり始め、中を4本の指でぐちゃぐちゃにかき混ぜた。ぐちゅ、ぐちゅ、ぱん、ぱん、と卑猥な音が鳴り響きシカダイも顔を真っ赤にして喘ぐ。

「アッ、アッ、あぁっ!あぁっ!!も、むりっ、アッ、アァアァッ!!!」

「うおっ!」

ぶしゅっ、と甘ったるい液が吹き出しシカマルは手にかかるその液体を少し舐めた。そして、そのまま手を抜くと噴射口を口に含んでちゅうちゅうと吸い上げてくる。

「やぁあん、あ、あぁん…」

「ん、…これが一番甘いな……」

「あ、ァ、あぅ……」

ようやく解放されシカダイは何度も息を吐いて呼吸を整えながら開かれた生殖器を鱗の下に直す。

「気持ちよかっただろ?」

恥ずかしいのもあるが、素直にコクリと頷くとシカマルは嬉しそうに笑って俺を水の中に入れてくれる。まだアソコがきゅんきゅんするが、水の中ということが俺に少し安心感を与えてくれた。

「これで晴れて夫婦だな」

「……………こんなことになるなんて」

ため息をついた俺の唇に唇が重ねられ、まぁ、それもいいか、と思ってしまったのはきっとこの変な男の所為だとシカダイは唇を受け入れながら頭の隅っこでそう考えた。



シカマルに拾われてから数日。船の中に飽きた俺がシカマルに抗議をするとあっさりとシカマルは外に出してくれた。大きな車輪のついた樽に水を張ってその中に入って外に出る。ガラガラと車輪の音とともに薄暗い天井の切れ目から眩い日光がシカダイを照らした。

「………空、だ」

「そうか、お前好きだったんだよな、空」

「……あぁ、なぁ、シカマル」

「ん?」

「…こんなことお前に聞くのも変なんだけど、大丈夫…だよな?」

シカダイはまだ他の人間とは会っていない。シカマルは夫婦になったんだしある程度の信頼はあるが、他はわからない。シカダイはそれが怖くて仕方なかった。目を伏せるシカダイにシカマルは優しくキスをする。

「大丈夫、お前には指一本触れさせねえから、それに悪い奴らじゃない」

「うん…わかった」

「あ、そうだ」

シカマルは肩にかけたポシェットをごそごそと探ってキラキラとした白の鱗のネックレスを取り出した。その鱗が人魚のものだとわかり、シカダイは思わず緊張してしまう。

「あぁ、違う、人魚から貰ったやつなんだ、お前にやるよ」

「人魚から…?」

白くて所々グレーが混じった鱗が太陽の光にキラキラと光る。

「綺麗………雲、みたいだ」

「はは、そうかぁ?ま、それやるよ、それつけてたら余計なちょっかいかけてくる奴はいねえから」

つけておけ、と首にネックレスがつけられシカダイはそっと手で触ってみる。ネックレスはきゃらきゃらと音を立てて、白の中がキラキラと光った気がした。

「よし、行くか」

「あ、あぁ」

ザァッ、と背中から風が吹き抜け青空が広がる。甲板には沢山の人間がいて俺をみるとみんなギョッと目を丸くしていた。

「船長!あの話本気ですか!?」

「ていうか、めっちゃ似てる…!」

「夫婦っていうか、親子?」

「いや、兄弟だろ、年齢的に」

口々にいろんな言葉が飛び交い甲板は騒然とするが、シカマルが腰のホルスターから取り出したナイフを投げ、第二マストに刺さったことで甲板に静けさが戻った。因みに第二マストにもたれていた船員の頬はパックリ裂けて血がダラリと垂れていた。かわいそうに。

「ガタガタうるせぇんだよ、静かにするぐれぇできるだろーが」

「「スイマセン!!!」」

「ったく…んで、本気かと聞いた奴に答えてやる、俺は本気だ」

シカマルに頭を撫でられ船員の視線が一気にこちらを向く。

「コイツはシカダイ、つい先日俺と夫婦になった、こうして外に連れて出ることもあると思うが、手を出そうだなんて野暮なこと考えるんじゃねぇぞ…???」

「「ハイッ!!!」」

脅しにしか取れない宣言は船員たちをまとめ上げ、みんなせかせかと持ち場に戻り始める。シカマルも一人の船員に話しかけられどこかへ行ってしまった。これじゃあ一人ぼっちだ。はぁ、とため息をついていると鼻をつく臭い匂いが漂ってくる。

「おー、お前がシカマルの嫁さんか」

「へぇ、かなり若いね、ていうか嫁になるの?男でしょキミ」

「おい、シカマルがちょっかいかけるなってつってたろ」

「あ…シカマルと子作りしてた髭」

タバコを吸う髭面の男を指差しそういうと残りの二人は腹を抱えて笑いだした。

「ヒーッ!子作り!子作りって!アハハハッ!!」

「ばっか、笑うんじゃねえよカカシ…ブフッ!!」

「てめぇらうるせぇぞっ!!」

顔を真っ赤にした髭面の男に頬を摘まれてしまう。

「ひゃめっ!ひゃなひぇ!!」

「オイタしてんのはこの口か?あぁん??」

「ひゃだ!ひかまる!ひかまるー!!」

ぴぃぴぃと喚く俺に髭面の男を囲んでいた男たちはまた笑って、髭面の男はまだ俺の頬をつねる。俺はなにが悪かったのかわからないし、なんでこんな怒られてるのかもわからなくて、だんだんと恐ろしくなってしまう。「悪い奴らじゃない」そう言ったシカマルの顔がよぎった。シカマル、俺には怖い奴らにしか見えないよ。

「っ、う、ひっ、く、ひかまるぅ、ひかまるぅ……」

「あっ、やべ」

「あーらら、泣いちゃった」

「俺は止めたからな一応」

「ふ、ぇ…」

ぽん、と頭を撫でられ顔を上げると般若のような顔をしたシカマルがいて、俺の涙もすぐに止まってしまう。シカマルは地を這うような恐ろしい声で男たちに話しかけた。

「アンタら……ちょっかいかけんなっつったよな??」

「俺は悪くないカナー」

「じゃあ、誰が悪いんですか、カカシさん?」

「んー、ゲンマどう思う?」

「どう思うもなにもよ、この子の頬をつねったのもパニックに追い込んで泣かせたのもアスマじゃん」

「だよねっ!というわけで俺たちは持ち場に戻りまーっす!」

「そゆことで*」

「あっ逃げんなてめぇら!!」

慌てて後を追おうとした髭の肩をシカマルが掴む。

「あ*す*ま*???」

「ひっ!わ、悪かったって!そいつが子作りだなんていうからよっ!」

「問答無用!!アンタはいっつもいっつも!いい加減にしやがれ!!!」

ギャーギャーと始まった喧嘩に涙もすっかり引っ込んでぽかん、と口を開けてその光景を見つめていた。すると、ガタン、と樽の車輪が動く。

「…?」

「しーっ、黙っててネ」

「あれ始まったらしばらく収まんねぇんだ、ワリィな怖がらせて」

さっき逃げたはずの二人が笑って俺の頭を撫でてくれる。俺は訳がわからなかったが、とりあえず怖くはなかったので頷いておくことにした。カラコロカラコロとゆっくり樽が引かれシカマルと髭の姿が見えなくなっていく。

(シカマル…)

なんだかちょっと自分の知らないシカマルを見て、ちょっと、ほんのちょっと悔しくなってしまった。ちゃぷん、と水の中に潜って溢れ出しそうな言葉を泡にする。

(シカマル、俺たち夫婦なんだよな?)

いきなり会って、いきなり誓い合って、いきなり夫婦になったけどそうなった以上シカダイはシカマルを好きになる努力をしようと思ってる。というかすでに好きだ。嫌いじゃない。シカマルは優しいし、頭がいいから話していて楽しい。それに歌ったり踊ったり、人魚が好むこともシカマルは上手だ。ただの器用貧乏らしいけど、それでもあの狭い水の中が退屈じゃなかったのはシカマルがいたからで、シカマルがくれる安心感が俺の心の依り代になっている。でも、シカマルはどうなんだろう。俺じゃ、物足りないかな。俺じゃ、一緒にいてつまらないかな。

(もしかして、迷惑かな……俺じゃなくて、人魚の仕組みに興味あるって言ってたし…)

もしそれが本当なら、さみしいな。そんな気持ちが泡になった。

「おーい、お嫁ちゃん、顔だしなよ」

「団子、食うか?」

二人の声に一旦は顔を出したがイマイチそんな気分になれなくて首を振る。

「…なに、どうしちゃったの、どこかしんどい?」

「あー、あれじゃねぇの痴話喧嘩」

「あー…あれね、あれはねぇ、お嫁ちゃんなら気になるよねぇ」

なるほど、と頷く二人に俺は溢れる涙をこらえながら震える声で聞いた。

「……しかまる、と…あいつって、どんなカンケイ…?」

「んー、幼なじみ?」

「腐れ縁みたいなもんだ、んで、お前のいう子作りってやつはァ、まぁ、なぁ…」

「恋人同士ではないんだけどネ」

「………しかまる、おれのこと、すきなのかな…おれ、まだちゃんとこづくりもしてない……」

すんすん、と鼻をすする俺を見て二人は困ったように顔を見合わせる。

「大事にしてるんだよ…シカマルは優しいから」

「まだまだ体も小せえしな、無理させらんねぇと思ってんだよきっと」

「………………うん」

二人にまた頭を撫でられ、慰めてもらう。それでも不安は拭えなくて、それに呼応するかのように晴天を曇り空が隠し始めた。



夜。また部屋に戻って狭い池、もといプールに潜っていた俺は明るい気分にもなれず水の中でため息をついていた。

(…最初の日は、してくれたのに)

そっと鱗の間に隠れている割れ目を撫ぜると、キュンッ、と中が反応するのがわかる。あぁ、どうしよう。シカマルに触って欲しい。一杯ぐちゃぐちゃにして気持ちよくして欲しい。そんな欲求にかられ、そっと両手で割れ目を引っ張り中に指を入れた。するとぬるりとした感触が指に触れ思わず目を瞑る。

(…はじめて、触った……こんな、なんだ…ぬるぬるしてて、ぐちゃぐちゃだ…)

指が自然と動き始めた。あの日、シカマルはどう触ったっけ、優しくしてくれたけど、でも意地悪に攻めてきて、俺は息ができないぐらいに気持ちよくなって…。

(ッ、しかまる、っ、あ、ッ、やっぱ、ンッ、しかまるの、ゆびがいいよ、ッ…)

小さな絶頂がきて体を縮こませるとゆっくりと手を引き抜く。少しだけネットリとした指先を舐めてため息をついた。

(シカマル………会いたいなぁ)

そんな時だ、パァッとプールに人工的な光が差し込んできた。シカマルだ!俺は嬉しくなって勢いよく水面に向かって飛び出した。

「うわっ!!」

飛び上がる水しぶきをまともに被りずぶ濡れになる男。シカマルじゃない。アイツだ。髭の男だ。ある意味ライバルである髭をギロリと睨み付けると困ったような顔をして髭は笑う。

「攻撃にしちゃ酷すぎないか」

「シカマルはマヌケなことはしない」

「あぁ、なるほど、シカマルだと思ったのか、可愛い奴だな」

「なっ、撫でるな!可愛くなんかない!!お前なんか嫌いだ!このクマ!髭ェ!」

「うわ、ちょ、やめろって!ヒレで水飛ばすなよ!昼間のことは謝るからさ!!」

「うるさいうるさいうるさーい!昼間のことなんかどうでもいい!!お前がシカマルの側から離れない限りお前は俺の敵だ!!」

バシャバシャと水を跳ねさせて一気にそう言い切ると髭は目を丸くさせて、なるほど、と呟いた。

「要するに嫉妬か」

「うるさいッ」

「あのなぁ、夫婦だなんだ言ってるけどよ、アイツは俺のモンなんだぜ」

「でも…シカマルは俺と夫婦になるって言ったもん……」

「じゃあ、俺がこの部屋に何をとりに来たか知ってるか?」

「…………知らねえ」

「薬だよ」

「薬…?シカマルどっか悪いのか?」

「まぁ、悪いっていうか、古傷みたいなもんかな」

髭はシカマルがいつも本を読んでいる机の引き出しを開けた。中から白い蓋のついたビンが出てくる。

「古傷って…なに?」

「知りたいのか?」

コクリと頷くと、髭は椅子を逆に向け、そこにドカッと座った。波みに揺れて僅かに軋む木の音だけが部屋に響く。

「その鱗、誰のか聞かされてないだろ」

髭が指差す白い鱗のネックレス、確かに人魚から貰ったとしか聞いていない。俺が頷くと、髭は自分の髭をいじりながらこう言った。

「それ、アイツのなんだ」

「えっ、でも…シカマルは人間の足が」

「あぁ、人間だよ体はな…でもアイツには生まれた時から下半身だけビッシリと鱗に覆われてた、人魚っていうか、半魚人か……白い、乳白色の雲みたいな白い鱗だ、一緒だろ?」

髭の言う通りだ。ネックレスがキラリと水面の光に照らされて光る。

「シカマルの足には鱗なんてなかったぞ」

その疑問に答えるためか、髭はまた話し始める。

「…………俺、いや、俺たちの国はさ、古い宗教観念が根強くてな、人魚は異端だった、忌むべき存在だったんだ、人魚が入り江に迷い込んだら生け捕りにして散々拷問して最後は惨殺体を中心街に飾る、逆らった者も同じようになると見せしめるかのように…そんな国だったんだ」

「………………じゃ、あ…シカマル、は」

「…お前と一緒だよ、12歳の時に一部の過激派の奴らに攫われて全ての鱗を剥がされた、自然治癒できないように足を火で炙られてな、鱗を剥がされる痛みならお前にもわかるだろ」

ひゅっ、と喉が詰まったような、そんな絶望的な感情が俺を襲う。よく知っている。鱗を剥がされる痛みも、体を押さえつけられて叫び声しかあげられない恐怖も、俺は痛いほど知っていた。

「…それからだ、俺を中心に集まった奴らで内乱を起こしてその隙に船で海に出た、だから船員はみんなシカマルの事情を知ってる、俺が一番アイツに近いこともな」

「………………シカマルは、シカマルは、まだ傷が痛むのか…?」

「……定期的に悪夢を見る、そしたら塞がっているはずの傷口が膿み始めて爛れるんだ、だから薬を塗らなきゃいけねぇ」

「そんな…」

黙り込んだ俺を髭は冷たい目で見つめ、ヒレを掴んで引き上げた。俺は思わず怯えた声を出してしまう。

「ひっ!」

「こんなヒレでどうしてやれるんだ、お前がこの中で自由に動けるのはここだけだ………見てるしかできない癖にうるさいんだよお前」

髭はもう行かないといけないと言って部屋から出て行ってしまう。見てるしかできない。その言葉が俺の胸に深く刺さった。だって、だって俺は、人魚だから、どう頑張っても人間の足は生えない。だから、シカマルがどれだけ苦しんでいても俺は助けてやれない。ここにいる限り俺はずっとシカマルが用意した水の中でずっと蚊帳の外だ。

(ずっと、何もできないままココにいるのか…)

(シカマルのこと好きだけど、何もできないのは辛いし、悔しい)

ぽた、ぽた、と流れ落ちる涙を必死に拭う。泣くな、泣いちゃダメだ。悔しい、死ぬほど悔しいけど泣いたらそこまでだ。何にもできないはずがない、きっと何か方法があるはずだ。俺にも何か、そう言い聞かせないと涙が溢れてしまいそうで、小さな声で大丈夫、大丈夫と呟いた。

「おい、シカダイ」

「……げんま、さん」

灯りを持ったゲンマがひょっこりと顔を出した。手には食事を持っている。シカマルの代わりに持ってきてくれたんだな、と推察した。

「メシ食ってねぇだろ…ってビッショビショじゃねぇか、もしかして出たいのか?」

「………………うん、星が見たいんだ」

「なるほどな、よし、ちょっと待ってろ樽持ってきてやるよ」

昼間のこともあって気を使ってくれてるのかゲンマはすぐにあの樽を持ってきて中に入れてくれる。ごめんな、とゲンマに対する声にならない謝罪は泡となって消えていく。そして俺の考えてることなんてこれっぽっちも知らないゲンマは機嫌よく鼻歌を歌っていた。

「今日は晴れてるからよく見えるなぁ」

「キレイだ……なぁ、ゲンマ、ギリギリまで近づけないか?」

「ん?あぁ、いいぞ」

カラコロカラコロと車輪が回って欄干にぴったりと樽がくっつく。ギィギィ、ギィー、と木の軋む音で波の高さは大体わかったから、俺は大きく息を吸い込んだ。澄んだ空気が肺に入ってきてすっきりとした気分になる。

「さぶっ、ちょっと羽織るもん取ってくるな」

「あぁ、行ってらっしゃい」

ゲンマがいなくなるのを見届け、俺は欄干に手をついて体を樽から上げた。欄干に腰掛けゆっくりと波が揺れるのに合わせて体を揺らす。

(シカマル…少しの間だったけど楽しかった、シカマルのこと全部知ってるわけじゃないけどシカマルのこと好きだ、もっと側にいたい……けど今のままじゃダメみたいだ)

「シカマル…またな」

星空を隠し始める雲にそう投げかけて俺は宙を舞った。広い広い大海原に帰る為に。



正直、船がどこの辺りにいたのか見当がつかなくてシカダイは海に飛び込んだものの途方に暮れていた。シカマルの側にいる為にはどうすればいいのか、ただそれだけを考えてウンウンと唸りながら海底へ進んで行く。

(ウミガメならわかるかな、いや、ウミガメは海の掟を破ることは嫌がるか…イルカは面白がりそうだけどお喋りだから嫌だな)

全くわからん!と岩場に体を投げ出しヒレをバタバタと動かしていると聞いたこともない声がシカダイを呼んだ。

「…シカダイ?」

「………誰だ?」

懐かしい人魚の言葉、でも声の主は全く知らない人魚だった。金髪で緑の鱗を持った蒼眼の青年が目を輝かせ興奮気味に側に寄ってくる。

「何言ってんの!いのじんだよ!ほら、昔よく遊んだじゃないか!よく帰ってきたね!!」

「ちょっ、ちょっと待ってくれ!俺はお前なんて知らない!違う人魚じゃないか??」

「いいや、君だよ」

ギュッと握られた手の甲にそっとキスをされる。人魚の親愛の証
だ。俺はジッといのじんという人魚を見つめた。

「……やっぱり、わからねぇよ」

「無理もないさ、さぁ、ウチにおいでよおいしいワカメがあるんだ」

ぐいぐいと引っ張られ、あれよあれよという間にシカダイは岩場の隙間にある洞穴へ連れて行かれる。洞穴には一匹の体が大きな女の人魚がいて大きな器に入れた並々のワカメを美味しそうに堪能していた。いのじんは少し興奮気味にその太った人魚に呼びかける。

「チョウチョウ!誰だと思う!?」

「ん*?あ、シカダイじゃん、おかえりー、随分遅かったじゃないアチシ待ちくたびれちゃった」

「……………」

どうなっているんだ。シカマルどころの話ではなくなってきた。なぜこの二匹の人魚は俺を知っている?そしてなぜ待っていた?俺はずっと一人だった筈なのに、なんでこんな場所もわからない海で待つ者達がいるのだろうか。

「おかえり、シカダイ」

「おかえりぃ」

どこか懐かしいようなそんな気がして、よくわからないまま掛けられた言葉に俺は頷いた。二人は俺の前にワカメを置いてくれて食べて、と促してくる。おそるおそるワカメを口に運びもにゅもにゅと咀嚼した。

「んで、アンタら誰だよ、なんで俺のこと知ってんだ?」

「アチシ達友達だったんだけどぉ、そこまで忘れてるとかチョーショックなんですケドぉ」

「仕方ないだろチョウチョウ、200年以上も前のことなんだから」

「………………やっぱり、人魚違いだろ、俺まだ100年も生きてねぇし…」

人魚の寿命は非常に永く、一つの海の始まりから終わりまでをみれると言われている。そのせいで人魚を忌み嫌ったり無闇に乱獲してその長寿の恩恵にあやかろうとする奴らもいるが、人魚の方が知恵は遥かに上だ。しかし人魚は無闇に争うことを嫌う。人間の脅威から逃れる為、何千年も前に人魚は海の底に住処を移し、平穏な暮らしを手に入れているのだ。それでも地上で人魚の伝説が絶えないのは偶に好奇心に負けて海の外を見に行く人魚がいるからだ。この俺のように。

「まぁ、わからないのは仕方ないよ、僕らが知ってる君は君じゃなくて前の君だから」

「前の…?」

「アンタ、人魚なら聞いたことぐらいあんでしょ、星変わりよ」

「星変わりって、あの御伽噺の?」

「そうだよ、君は星に願って今の君になったんだ」

遠い昔、聞いたことがある。星と人魚の言い伝え。今は御伽噺ぐらいにしか思われてないが、一族の長老や年老いたババ様、ジジ様は御伽噺は本当にあるんだよ、と口癖のように言っていた。願いを持つ人魚が星の降る夜に願うと、星がその願いの手助けをしてくれるのだ。ただしそれはたったの3日間だけ、願いを成就できなければその後は泡となって星の巡りから外されて二度と何者にもなれない恐ろしい禁忌の儀式。小さな頃に聞かされた覚えはあるが、まさか自分がそれをしたなんて信じられなかった。

「…………前の俺は、何を願ったんだ?」

「さぁ、僕らも詳しいことは知らないな、一人で行っちゃうんだもん」

「まぁ、家族を探しに行ったのは確かだけどネ」

「家族…??」

そんなことより、とチョウチョウが色とりどりのワカメを机に置いた。

「気になるのはわかるけどさ、アチシお腹減ったんだよね、だからその話はまた今度!」

「えっ、ちょ!」

バクバクバクッ、と目にも留まらぬ速さで食べ始めたチョウチョウに呆気に取られて開いた口が塞がらない。いのじんは困ったように笑って俺の手を引いて洞穴の外へ連れ出してくれる。少し泳いだ先に沈んだ廃船があって、そこのマストに二人で腰掛けた。

「悪いね、チョウチョウは食い意地が張ってるんだ」

「……………そんなこと言ってアンタも教えてくれねぇんだろ」

シカダイがギロリと睨むといのじんはまた困ったように笑う。

「教えないというより本当にわからないんだ、僕らが知ってるのは君が家族を探しに行って、星に願ったことだけだし」

「………………家族って?」

「家族は家族だよ、ご両親は僕が物心つく前からいなかったみたいだけど…あ、因みに僕たち幼なじみだったんだよ?」

「ふぅん…親がいないなら誰が家族だったんだ?」

「お兄さんだよ、君にそっくりの、あ、でも君の方が綺麗で評判だったけどね、血が繋がってるかはわからないけどよく似てるし仲が良かったからみんな兄弟だと思ってた」

「………………お兄さん、?」

ツキン、と頭が痛くなる。何か忘れていることがあるような気がして、それを思い出せと言われているような気がした。そして無意識の内に口が動く。

「……しかまる、?」

「……会えたんだね、お兄さんに」

いのじんはシカマルの名を聞いて優しく嬉しそうに笑った。シカマルということ以外は何も思い出せないけど「お兄さん」がシカマルだということだけは思い出せた。自分のものなのかわからない霞んだ記憶が頭を駆け巡って、視界をぼやけさせる。

「ッ、なんで、なんでこんなに懐かしいんだ…、俺………?」

いのじんは優しく頭を撫でて慰めてくれる。

「混乱してるだろうけどゆっくり話すからしばらく僕たちのところにいてみないかい?」

「でもッ、俺…シカマルの、とこ…行かなくちゃ…」

「……でもヒレじゃどうにもならないから海に戻ってきたんだろ?話を聞いてからでも遅くはないよ、ね?」

事情を全て知っているかのような口ぶりで、いのじんはシカダイの溢れる涙を優しく拭った。抱きしめられたシカダイはゆっくりと頷く、もう一度シカマルに会いたい。でも星変わりの話を聞いてからじゃないとちゃんとシカマルの顔が見れない気がするから、少しだけ待っててくれ、と届かないはずの相手に願った。



ギラギラとした日差しが船内に差し込む。自分の状況を確認しようとしたが、眠り込んでいたせいか目の周りが目脂で汚れて乾いていて瞼がうっすらとしか開かない。目が開かなくても感覚はしっかりとしているもので、足の焼けるように熱い痛みはしっかりと感じ取れた。何とか視界をクリアにしようと目をこする。

「お、起きた?」

「その声…カカシさんっすか?」

「そうそう、待って今タオルで拭いてやるから」

湯につけた暖かいタオルの感触がする。しばらく大人しくしているとあのやる気のない顔が見えてきた。

「おはよー船長」

「んで、何があったんですか」

「おぉ、イキナリ直球だね」

「アンタがふざけて俺を船長って呼ぶときは大体何かあるんスよ、今日何日ですか、ていうか俺どれぐらい寝てたんですか」

「んー、今回は三週間カナ、ちょっと長かったよね……」

早く本題を言え、と睨みを効かせるとカカシは両手を上げて降伏のポーズをとる。

「……シカマルが寝込んで三週間、これはいつも通りだよ」

でも、とカカシは言葉を切って困った顔をする。その顔を見てシカマルにも言い知れぬ不安が襲った。何を言われるのか、段々と心臓の音が大きくなっていく。

「シカマルが寝込んだ日からさ、いなくなっちゃったんだ、シカダイくんが」

いなく、なった?訳がわからなくて俺は何も言えなかった。居なくなるもなにもシカダイは人魚だ。誰かが逃がさない限り勝手にどこかへ行けるはずがない。誰だ。誰がシカダイを、

「そんなに怖い顔しないでよ…一応最後に見たのはゲンマなんだけどね、アイツも結構参っててさ」

「ゲンマさんが…、最後の、最後の状況は?」

「星が見たいって言ったシカダイをゲンマが連れ出してね、ちょっと寒かったから毛布を取りに入ったらしい、そしたら戻った時にはもう居なかった」

「怪しい船影は無かったのか?」

「全く、それどころか水柱が上がったのを見張りが見てる、まぁ、シカダイくんが自分の意思で逃げたっていう方向で見て間違い無いと思うよ」

「………………そうか」

自らの意思で逃げたなら、何か理由があったのだろう。よっぽどの理由が。そう思わなければシカマルの心は折れそうだった。

(シカダイ………………なにか、嫌なことがあったのか?)

言って欲しかった。真っ先にそんな気持ちが顔を出したが、そもそもシカマル自身があまり時間を作ってやれてなかったのだ。シカダイが何か抱えてしまうのも無理はないと思う。でも、それでも、シカマルはシカダイのことを大事にしようと思っていたし、シカダイも信頼を寄せてくれているように思えていた。ただそれだけだったが、もう少しだけ、全てを片付けるまで待っていて欲しかった、と叶わぬ願いが出てきてしまう。黙って何も言わないシカマルにカカシも困った顔をしていた。

「…………一人にしてくれませんか、」

「…あぁ、そうするよ」

シカマルが告げた言葉に大人しく従ったカカシが部屋を出て、一人きりになる。包帯に覆われた足を見つめ、悔しくなって何度も何度も動かない足を強く叩いた。

(情けねぇ、こんな足のせいで)

力強く叩いていくと次第に足が赤に染まっていく。

(悪りぃ、シカダイ…お前の気持ち考えれてなかった)

(俺は自分のことばっかりで…最低だ)

でも、後悔するのはまだ早い。見つけなければ、何が何でも見つけて自分の元に戻ってきてもらわねば。そしていつまでもそばに置いておきたい…。

「ずっとそうしたいと思ってたんだ…待ってろよ、シカダイ」



さて、所変わって海の底。シカダイはすっかりいのじん達の住む海に馴染んでいた。うっすら蘇った記憶が自分のものかはわからないが、なんだかここが本当に故郷なような気がして毎日楽しくもっにゅもっにゅとワカメを食べいる。

「って……ダメじゃねぇか!」

「どうしたのシカダイ」

「ワカメならまだあるよ*」

自らツッコミの一声をあげるが、チョウチョウが持ってきた色とりどりのワカメが食卓に並び、シカダイはまたもにゅもにゅと咀嚼を始める。

「ほひがふぁりのふぁなし、ふぃつふぃふぇふれふんふぁよ」

「なんて言ってるかわかんないしぃ」

「星変わりの話、いつしてくれるんだよ?じゃないかな?」

いのじんの通訳に頷くと「やったね」とウィンクをされた。ぜんぜん嬉しくない。ごっくん、とワカメを飲み込んで二人を睨みつける。

「いつまでワカメ食ってればいいんだよ、いや、美味いけどさ」

「エネルギーを蓄えなきゃいけないでしょ、ほら食べて食べて」

「んっ、んぐ!んんーッ!!」

いのじんにワカメを押し込まれ慌てて咀嚼し喉の奥へ押し込んでいるとだんだん眠気が襲ってきて意識が遠のき始めた。

(あれ…なんか……ねむ、い…)

なんで眠いのか、そんな理由を考えるまでもなく頭がフワフワとしてなんにも考えられなくなる。心地いい眠気に誘われシカダイはゆっくりと瞼を閉じた。

『にぃにぃ』

一面の青の中、小さな自分は誰かを探している。不安で仕方なくて、涙が溢れ出しそうになるのを何とか堪えながら何度も何度も青の中に呼びかける。

『にぃにぃ…にぃーにぃ、どこ?にぃにぃー』

すんすんと鼻をすすり涙を拭いながらパタパタとヒレを動かして誰かを探し続ける。もしかしたら自分は置いていかれたんじゃないか。そう思ってしまうともう涙は止まることを忘れてしまったかのように溢れ出す。

『にぃに、にぃにぃ…どこぉ?ダイ、のことおいてかないでよぉ』

『ダイ!』

遠くから自分を呼ぶ声がして顔を上げた。顔は見えないが自分の探していた誰かだとわかると一気に安堵感が広がり一目散に声のした方へ向かって泳ぎだした。

『にぃにぃっ!』

優しく抱きとめてもらって俺は心が暖かくなる。優しい温もりだ。なんか、懐かしい…………。


「にぃ、にぃ……………」

「あ、起きた?」

うっすらと目を開けると側にはいのじん達しかいない。また知らない海だ。俺はキョロキョロと辺りを見回した。

「ここは?ていうか、俺寝てた?」

「うん、ちょっと寒い海域に行くからねエネルギーを蓄えてもらってたんだ、ちょっと眠り薬も仕込んだけど」

「アチシの秘蔵のワカメまであげたんだから感謝しなさいよね」

「…………ありがとう」

あれだけワカメを食べさせられたのはそういうことか、と合点が行く。いのじんの背から降りて自分で泳ぎ始めると随分と深く果てが見えない海底が一面に広がり始めた。

「どこに行くんだ?」

「決まってるじゃない、星の所よ」

「星変わりはどこでもできるわけじゃないからね」

「…………星の、所」

遥かなる海の果て、本当に願いを叶えたい人魚だけがそこに辿り着ける。シカダイの未知への旅路が始まろうとしていた。



「これ、どこまで泳ぐんだ?」

随分と泳いだ。何度か日が沈んでは登り、もう二週間ほど経った気がする。途方も無い海の旅に少しだけ参ってしまって、遥か上の海面を見上げて二人に聞いた。二人はわからない、という風に首を振った。

「行き先を教えてくれるのは星だけだからね」

「アチシ達も行くのは初めてだし」

「星が教えてくれるのって、お前らよく言ってるけどさ、それってどう言うことだよ」

「知らないの?」

いのじんの不思議そうな顔に頷くと、困った顔をして泳ぐのをやめてしまう。

「どうする?」

「一応教えておいたほうがいいんじゃない?」

「何の相談?」

二人のそばに近づくと手を取られ一気に急上昇する。

「ちょっ!待って!海面に出るのか!?」

「こればっかりはねぇ」

「大丈夫、人間には見つからないようにするしね*」

ザパッ、と海面に出ると澄んだ空気が頬に触れた。辺りは一面海でキラキラと夜空に星が光っている。その美しさに思わず息を飲んだ。何度も見ている筈なのに今日はなんだか違う夜空に見えた。

「…………すごいな、でも…なんか懐かしい」

「星は僕らの神様だからね、僕たち人魚がそう思うのは魂に刻み込まれてるからなんだ、ほら手を上げて」

「みんな星を読むのに自分の形があるのよ、いのじんは親指と人差し指で四角を作るの」

「へぇ…どうやって決めるんだ?」

「何でもいいんだよ、でも何かあればもっといいかな、とりあえず覗き穴を作ればいいんだ」

いのじんはさっきチョウチョウが言ったように親指と人差し指で四角を作り、それを覗く。

「…僕らの選択は間違ってないみたいだね」

「あちしも見よ**」

星から何かを受け取る二人を見てシカダイは暫く考えた。自分に何かあっただろうか。思い出そうにも自分の頭の中にはひとりぼっちの記憶と、ついこの間思い出した『にぃにぃ』との記憶だけ。しかも後者は本当に断片的なものだ。やはり自分には何もないのだろうか…。

「…………ん、?」

俯いて海面に向けられた視界の上でキラリと何かが光った気がした。顔を上げると遥か彼方、澄んだ群青の上でひときわ輝くカノープスが何かを言っている。いや、星が喋るなんてことはまず無いのだけれど、それでも何かを自分に語りかけている気がしてシカダイは自然と手を逆さにして指を重ね合わせた。チカチカ、と光っていたはずのカノープスの輝きが増していく。それはやがて目も眩むような輝きとなって辺りが真っ白になった。

『にぃにぃ、なんでいつもおててあわせておそらみてるの?』

岩場で星を見上げている誰かに話しかけている。誰かはにっこりと笑って俺の小さな体を抱き上げてくれた。

『これか?これはな、星と話してるんだ、迷ったり、わからなくなった時にこうして穴を作ってそこから星を見るんだ』

『ダイもしたい!』

『あぁ、よく見ておけよ、親指を合わせて、他の指は組むんだ…よし、できた』

誰かの言う通り手を合わせて覗いて見るが、何もみえなくて俺は首を横に振る。

『………にぃにぃ、なんにもみえないよ?』

『…そうか、ならダイはまだ必要ないのかもしれないな』

『えぇー』

『ダイ、必要ないっていうのはな、にぃにぃがダイのこと守ってやれるからなんだぞ』

『………にぃにぃが、まもってくれる?』

『あぁ』

笑顔で優しく抱きしめられ、俺は嬉しくなって頬ずりをする。ずっと一緒にいてくれるんだ。そんな安心感で幸せを感じて心が温かくなった。

(そうだ…ずっと一緒にいれるって思ってたんだ…)

光が弱まり、シカダイは元の海にいた。ゆっくりと手を降ろすとちゃんぷん、と水が鳴る。顔は全く思い出せないが、シカマルが『にぃにぃ』だと言うことはわかっている。でもそれはシカマルに一度捨てられたと言うことを意味していて、このままシカマルに会いに行っていいのか、そんな不安が頭をよぎった。

(………今、星読みができるのは、にぃにぃが…シカマルがいないから………)

なんでずっと一緒にいれなかったんだろう?シカマルは、なんで一人で行ったんだろう?わからないことだらけだ。それでも会いたいという思いもあるが、拒絶されてしまったらどうしよう。答えの出しようのない迷いが頭の中を駆け巡りシカダイはもう一度カノープスに向けて手を合わせた。ついこの間までいた船の中が見えてくる。足に包帯を巻いて苦しんでいるシカマルが見えた。痛みで痛みを紛らわせるかのように足を叩いてまたそこから血が滲んで、それの繰り返し、

(シカマル………)

そうだ、どうして忘れていたのか、苦しむシカマルを放って置けなくて、見てるだけなんて嫌で、だから海に戻ってきたんだ。逃げちゃダメなんだ。このまま泳ぎ続けてシカマルの元に戻らなければ。

(ごめんな、シカマル…ちょっとの間だけ待っててくれ)

そっと水の中に戻るとチョウチョウといのじんも追いかけて潜ってきた。

「シカダイ、星読みはできた?」

「うん」

「すごいじゃん、初めてでできるヤツなかなかいないんだよ」

「そうなのか…………なぁ、チョウチョウ、いのじん、もっと星のこととかシカマルのこと教えてくれないか?」

ずっとここにはいれないんだ、と言うとチョウチョウといのじんは笑って頷いてくれる。その笑顔に少しだけ安心してシカダイも笑顔を返した。



あれからシカダイ達は時々星を見に海面にあがってはまた潜ってを繰り返していた。相変わらずチョウチョウはワカメばかりを食べているが、やはり故郷のワカメが一番美味しいらしい。半分怒りながら新たな土地のワカメを吟味している。いのじんは砂絵を描くのが趣味みたいで、寝る前に一つだけ絵を描いて眠りについている。長く生きていると時間の流れに敏感になって何もせずにはいられないらしい。まだ100年も生きていないシカダイにはあまりわからないが、とにかく何か趣味を見つけた方がいいよと二人は口を酸っぱくして言っていた。

まぁ、二人の言う趣味になるのかはわからないがシカダイには最近どうしてもやめられないことがあった。寝静まった寝床を後にして色とりどりのサンゴ礁に隠れる。うん、魚の気配もしない。サンゴの中にある岩場に腰を下ろし、シカダイはそっと割れ目を開いた。とろぉ、と透明の分泌液が溢れ出して思わず興奮してしまう。

(シカマルのせいだ…あんな風にするから………)

指を3本入れてくちゅくちゅと中を擦った。ピリピリと刺激が脳まで届き、息遣いが荒くなってくる。

(シカマルッ…もっ、と、もっとキツくしてっ……シカマルっ)

目を閉じて考えるのはいつもシカマルのことでシカマルにそうされている自分と仮定している。所謂、妄想みたいなものだ。頭の中のシカマルは優しく時に意地悪に中をかき混ぜてぐちゃぐちゃにして、最後には気持ちよくしてくれる。終わった後は少し虚しくなるし、実際のところシカマルとそう言うことをしたのは一度だけだから現実に近いかと問われるとそうではないのだが、この快感がなかなかやめられなくて今に至る。

(こんな、こんなことばっかりして…俺、変態なのかもしれない…)

くちゅくちゅっ、じゅぷっ、じゅ、じゅっ。だんだんと音がいやらしく派手になってきた。もう絶頂も近い。早く、早くイきたい。その欲望だけが頭を支配して3本の指で必死にかき混ぜた。

(あぁんっ!シカマル、シカマルッ、イく、イっちゃう…!!!)

ビクンッ!と体をくの字に折り曲げて快感を味わう。ゆっくりと手を引くとぬちょ…と分泌液が手にまとわりついていた。そのいやらしさにまたきゅん、と中が疼いて恐る恐る舌を出して分泌液を舐めて見る。

ちゅ、ちゅる、ちゅるっ。

(……あ、ま……………)

「へぇ、そっちは進んでるんだね」

「ッッ!!?」

急に聞こえてきた声に振り返るとニコニコと悪気のない顔で笑ういのじんが後ろにいた。驚きと同時に羞恥心が湧き上がって顔に熱が集まるのがわかる。でも取り繕う余裕もなくただただ固まっていると、いのじんはスイ、と尾ひれを靡かせてシカダイの側まで来た。

「もしかして船の上で教えてもらった?」

「ちっ、違わなくは…ないけど……ていうか、何で知ってるんだ?」

「はは、今のはカマかけただけだよ、シカダイが船にいたのは星が教えてくれたんだけどね」

じっくりと観察してくるいのじんの視線がイヤで、あそこを手で隠してしまう。いのじんはそんな反応にクスクスと笑った。

「恥ずかしがらなくてもいいじゃないか」

「だ、だめだ……俺もう誓った人がいるんだ、いくらいのじんでも、同じ人魚でもここはダメ……」

「シカマルさんと?」

「………………………あぁ」

コクリと頷くといのじんはニコニコと笑ってあそこを隠すシカダイの手をキツく握った。

「な、っ、なんだよ…」

「いや、なんかそんな話聞くと意地悪したくなっちゃうじゃない?」

「な、ならねぇッ、ひっ…ァ、…」

ぐっ、ぐっ、といのじんの手が上からあそこを押さえ込んでくる。当然、隠していた自分の手がぐりぐりとあそこを押さえつけるわけで、新たな快感にまた分泌液が溢れ出した。押さえ込まれる度にぶちゅっ、ぶしゅっ、と下品な音を立てて鱗を伝っていく。あまりの光景に俺は思わず空いている手で目を隠した。

「あはっ、可愛い…どろどろじゃないか…」

「ん、んァ、や、やめろ、ばかぁ」

「……僕だって、好きだったんだよ」

「……っ、いの、じ…ッ、ふぅ、ぁ、…ァ、」

唇を塞がれた。ダメだと頭ではわかってるのに快楽がそれを阻んでしまう。いのじんは妬むような、恨むような視線でシカダイを見つめて息ができないぐらい激しく唇を重ねた。いつの間にか手は退かされて容赦無く指が、手が中に入ってくる。

「ンッ!?ンンッー!!」

「んっ、はァ…凄いな手まで入っちゃった、淫乱だね……」

「や、やめろ!ンッ、ばかな、こと、すんなッ、んっ、んぅ、」

バカなこと、その言葉を聞いた瞬間にいのじんはギロリとシカダイを睨んだ。思わずシカダイも口を噤んでしまう。

「そのバカなことを散々シてきたんだろ?今もシカマルさんに、お兄さんにシてほしくて一人で慰めてた癖に」

バカなのはどっちかな、と冷たく呟くいのじんの言葉が胸に刺さりシカダイは何とか逃げようと身をよじったが体格が違いすぎて最早絶望的だった。

「いっ、ァ、やだっ、いてぇよッ、やめてくれ、ぁっ、ァ、アッ!!いや、いやだぁっ!」

痛い、気持ちいい、気持ちいいけど、気持ちよくなりたくない、シカマルじゃないのに、気持ちよくなんてなりたくない、やめてくれ。そう必死に叫んで涙を流して懇願するがいのじんは聞いてくれそうにもない。もうダメかもしれない。シカダイは体の力がゆるりと抜けたのを感じた。

「しかま、る…しかまる…」

「………シカダイ…」

とうとう抵抗せずに顔を覆って泣き出したシカダイを見ていのじんは動きを止めた。そしてゆっくりと手が引き抜かれる。いのじんは何も言わず珊瑚の外へ向かって泳いでいく。その背中が消えるまで見つめ続け、青に飲まれた瞬間、シカダイはドサリと岩場に倒れこんだ。恐怖と後悔の涙が頬を伝って落ちていく。

「しかまる、おれ…ごめん、ごめんなさい……」





あれからしばらくシカダイはいのじんと距離をとった。チョウチョウはいのじんから事情を聞き出していたのか何も言わずにいつも通りでいてくれる。正直そんな態度がありがたくてかなり救われた。

「シカダイ」

「チョウチョウ、晩飯は?」

「今から調達してくる…んでさ、相談っていうかお願いなんだけど、いのじんと話ししてやってくんない?」

いのじん、その名前を聞いた瞬間、シカダイの体は硬くなってしまう。そんな反応を見てチョウチョウは優しく肩を叩いてくれた。

「もちろん生理的に無理、受け付けないってなら行かなくて良いよ、シカダイは一個も悪くないから…でも、いのじんがずっと200年以上シカダイを待ち続けてたってことも考えて欲しいんだ」

いのじん、あっちで待ってるって、とチョウチョウは指をさし、それと逆の方向へ出かけてしまう。今更何を話すというのか、というかいのじんが待っていたはずの200年なんて自分の記憶にはないんだし知ったこっちゃないと思いたくなるのだが、どうしてもあの苦しそうな顔がちらついてシカダイは嫌々ながらもチョウチョウが指をさした方向へと泳ぎ始めた。

「…………話って、何」

あの日と似たような廃船のマストに腰掛けているいのじんに声をかけると目を丸くしてシカダイの名前を呼んだ。シカダイはマストの端に座りいのじんと距離を取る。そんなシカダイの行動にいのじんは少し悲しそうに、でも自分のせいだと自嘲気味に笑う。

「シカダイ」

「最初に言っとくけどいのじんはシカマルじゃないから、兄貴と誓うなんておかしいかもしれないけど……それでもシカマルが良いんだ、俺はそのために海に帰ってきたから、だからお前を好きにはなれない」

震えながらもしっかりとそう伝えるといのじんは頷いてくれた。それには少しだけ安心する。

「……………謝って済むことじゃないけど、僕、前の君が好きだったんだ…だから、君のお兄さんのこともよく思ってなくて、ようやく会えたと思ったら君はまたお兄さんを追いかけてたし…嫉妬したんだよ、すまない……」

ん?なんか、おかしくないか?知らないんだろ?なんで俺が星変わりをしたのか、なんでシカマルを追いかけて行ったのか、知らないはずなのに、その言い方はなんだ???

俺の疑うような視線に気づいたいのじんはしまったという顔をしたが、時はすでに遅し、シカダイはあくまでキツイ口調でいのじんを責める。

「教えろよ、いのじん…ここまでしといてダンマリはねぇよな?俺にこんなことするんだから、シカマルはお前にとって許されないことをしたんだろ?なぁ、答えてくれよ!!」

「…………傷つかない保証はできないよ、それでも、後悔しない?」

迷いながらもそう聞いてきたいのじんにしっかりと頷き返す。

「泣いても絶対乗り越える、そうしないとシカマルのとこに帰れないんだ」

わかった、と頷いたいのじんがシカダイの側に来る。シカダイは思わず身構えたが、何もしないから、と言ったいのじんにとりあえず警戒心を解いた。目を閉じて額を合わせると瞼の暗闇が眩い光に変わる。

『それ、シカダイ!』

『やったな、いのじん!』

小さな子供の人魚が二匹、砂の広場でじゃれ合っている。まだまだ小さな二匹は砂まみれになって尾ひれを使った掛け合いをしているようだ。

『いのじん!帰るわよ!』

『あ、母さんだ!シカダイ、もう行かなくちゃ』

『おう、また明日な』

『シカダイのお兄さん、また遅いの?』

『良いんだよ、ちゃんと迎えにきてくれるしな、ほらはやく帰んなきゃおばさんに叱られるぞ!』

せかされていのじんは砂の広場から出ていく。シカダイは一人になると砂の広場にゴロリと寝転がって昼寝を始めた。

(………いのじんと、オレ…)

(この頃はまだマシだね)

(いのじん?)

(今は記憶を共有してるから、声に出さなくても喋れるんだよ。僕の一族しかできないけどね)

(そっか…で、マシってなんだよ?)

(シカマルさんってもっと早く迎えにきてくれてたんだ四六時中ずっとシカダイと一緒でさ、シカダイもシカマルさんにべったりだったから…でもこの頃からシカマルさんは少しずつ帰りが遅くなってシカダイは一人で過ごすことが増えていったんだ)

砂場で一人でいたり、珊瑚の中で一人でいるシカダイが写っては消えていく。その顔は悲しそうで孤独を噛み締めている顔だった。記憶が無くともずっと一人だったからその気持ちはよくわかる。

『にぃにぃー、にぃにぃー』

『シカダイ、帰ろうよ…僕の家でお兄さん待ってて良いって母さんも言ってるから』

『やだぁ!にぃにぃがいい!ここで待つの!!!にぃにぃ!!にぃーにぃ!!!』

泣きじゃくりながら岩にしがみついて離れないシカダイをいのじんが困った顔で見ている。やがて大人の人魚に無理やり引き剥がされ大泣きしながら連れて行かれる所で瞼の裏が暗闇に戻る。ゆっくりと目を開けると悲しそうな顔でシカダイを見るいのじんが目の前にいる。

「シカマルは…あのまま帰ってこなかったんだな」

「…あぁ、シカダイはずっと泣いてて見てられなかった」

「……なんでシカマルは…俺を置いて出て行ったんだろう」

「僕も噂しか聞いてないけど大人達はみんなシカマルが人間に恋をしたんだって言ってた…星変わりは元々人間になりたい人魚が願うものだから、きっとそうだって…それを聞いたシカダイもシカマルの後を追って出て行ったんだ」

シカダイは心が痛んだが、それほど驚くことはなかった。あの責任感の塊のようなシカマルがもし本当に小さなシカダイに何も言わず出て行ったのだとしたら、もうそれは理屈では説明できない何かなんだろうとシカダイはずっと思っていたからだ。

(…シカマルがあの髭のこと好きなのはわかってたしな)

でも。

でも。

それでも、悲しい、悔しい、やっぱり自分はただの弟でしかないのだ。あの誓いももう信じられなくなってきているのに、まだ自分はシカマルが好きで、でも思い出す記憶は辛いものばかりで、もうどう頑張れば良いのかわからなくなってきた。仮に、足ができてシカマルの元に戻れたとして、自分はあのアスマという人間より重要な存在になれるのだろうか。愛に溺れた兄が選んだ人間と愛に溺れた兄に捨てられた弟が同じ土俵に立って果たして勝つことはできるのか。多分無理かもしれない。自信はない。負けたくはないが、何か勝てる要素があるのかと問われると何もない気がする。いのじんが心配そうにこちらを見ている。シカダイはついてこないで欲しいと震える声で呟いて一人、海の冷たく暗い方へ泳ぎだした。





海の冷たさが刺すような痛みに変わり始めた頃、シカダイの体はボロボロになっていた。鱗の色はくすんで、肌も薄っすらと鱗の跡が見え始めている。実は人魚は心身ともに弱り切ってしまうと魚になってしまうことがあるのだ。天寿を全うした人魚は泡となり星の巡りに戻ってまた新たな生を受けるのだが、魚になってしまった人魚は魚のまま一生魚に食べられるまで深海を彷徨う。そして星の巡りには戻れず海の糧としてその魂を捧げるのだ。しかしそんな人魚の掟も今のシカダイにはどうでも良くて、力なく前に進んでいくしかなかった。

(情けねぇ、乗り越えるって啖呵切ったのになぁ)

そんな大見得を切ったのだからと絶望しながらも前に進んでいる のだが果たして行く先は合っているのか合っていないのか。もう帰る場所もわからないな、とシカダイはため息をついた。チョウチョウもいのじんも置いてきてしまったし、何日も食事をしていない。流石に空腹感には勝てないな、と力無い尾ひれで水を蹴りシカダイは海面に向かって泳ぎ始めた。

「というか、こんな冷たい水の中で飯なんかあんのかな」

深海と呼ばれる層を抜け海深200メートルの位置まで上がると海がかなり明るくなってきた。チラホラと小さなワカメが見えるからとりあえず腹に詰め込むものはありそうだ、と胸をなでおろした。

「……でもちっちぇ」

ワカメを千切り口に入れてみる。

「…うぉえっ!まっっっず!!」

ケホケホと咳き込みワカメを吐き出す。こんな不味いワカメは初めてだ。チョウチョウが居たら暴れまわっていただろうなぁ、きっとそのチョウチョウをいのじんが宥めるんだろうな、とその情景を想像し思わず笑みがこぼれる。その瞬間。あ、会いたいな。シカダイは素直にそう思った。置いてきたのは自分だし、200年前の記憶はないけれど、もう彼らは自分の友人になっていたんだとその時初めて感じた。

(……………まだ、どこかにいるかな)

(……探しても良いだろうか)

少しだけ、そうしてみよう。そう思った。でも、その前に鋭い痛みがシカダイを襲った。目の前が真っ赤に染まり青が飲み込まれて行く。痛みに声を上げることもできずにシカダイはゆっくりと海の底へと沈んでいった。

『痛いよぉ、にぃにぃー』

『シカダイ?どうした?』

あぁ、顔が見える…。シカマルだ。やっぱりにぃにぃはシカマルだったんだな。

『噛まれたぁ、がぶって!がぶってぇ!』

『あぁ、これは痛そうだな、待ってろ直ぐに手当てしてやるから』

『だっこぉ、だっこしてよぉ…』

『ほら、おいで』

あぁ、暖かい。にぃにぃの温もり。優しい、優しい俺だけのにぃにぃ。もう、このままでいたい。優しいにぃにぃがいたらそれだけでいい。

にぃにぃ。

ここなら、思い出の中でならずっとそばに居てくれるかな。

きっと、そうだよな。

もう俺を置いっていったりしないよな。

大好きだよ、にぃにぃ。

しかし温もりは段々と冷たくなってにぃにぃも消えてしまう。現実に引き戻されたのか、とシカダイはゆっくり目を開けた。目に入るのは夜空で両脇に会いたかった二匹がいる。

「「シカダイ!!」」

「いのじ、ん…ちょ、う…ちょ」

「ばか!シカダイのばか!!先にこんなとこまで来て!アチシどんだけ心配したと思ってんの!」

涙を流すチョウチョウに横で必死に何かを巻きつけているいのじん。そう言えば右腕の感覚がない。ゆっくりと視線を向けると無残にも食いちぎられたであろう右腕がゴロリと転がっていた。

「……ごめん、シカダイ…間に合わなくて…ユキヒョウがいるから気をつけなきゃいけない所だったのに、君を一人で行かせて…!!」

「…あやまん、なよ…おれの、せいだし」

「どーすんのよ、もうちょっとだけどさぁ、こんな体じゃ…人魚がいくら治癒できても治せないわよ」

涙を拭うチョウチョウに心が痛む。いのじんはしばらく黙ってジッと右腕を見ていた。そしてポツリと呟く。

「もう、このまま行こう」

「はぁ!?何言ってんの!」

「ブルーホールは直ぐそこだ!それに右腕は置いて行かない…僕が離さないから!チョウチョウ、君がシカダイを運ぶんだ…!」

「……ぶるー、ほーる?」

「星変わりができる場所だよ…君の進む道は間違ってなかったんだシカダイ」

ブルーホール。シカダイはもう一度小さく呟く。なくなったはずの希望が少しずつ湧き出し始めていた。

「でも…」

「僕たちで見届けるって決めただろう!シカダイの選んだ選択を僕たちが諦めちゃダメだ!」

「………ちょうちょう、おれ、からもたのむ……つれてってくれ」

「……………わかったわよ!いい!絶対アチシから離れないでよね!いのじんは死んでも右腕は離さないこと!」

チョウチョウが海に飛び込むとクジラが飛び込んだような飛沫が上がった。驚いて目を丸くしていると手でつまみ上げられる。

「ちょうちょう…おまえ、それ」

「アチシの一族体が大きくなんの!言っとくけどアンタも色々できたんだからね!ほら背中に乗ってて!」

ぺいっ、と背中に放り投げられ柔らかい脂肪にしがみ付くと隣に来たいのじんが体を支えてくれる。

「右腕、しみるだろうけどちょっとだけ我慢してよ」

「だいじょうぶ、それぐらいへっちゃらさ」

痛みをこらえながらへらりと笑うといのじんの方が苦しそうな顔をしてしまう。心配してくれてる。嬉しい。シカダイは素直にそう感じて唇を緩めた。

「ありがとう…ふたりとも」

その小さな呟きが聞こえたかはわからない。でもいのじんとチョウチョウは確かにそばに居てくれて、思い出の中でしか感じられなかった暖かさをシカダイに与えてくれた。この三匹でならどこまでも行ける気がする。夜空に輝く星と月灯りが照らす道を辿りグングンとチョウチョウが泳いでいく。これまでずっと目指して居たものがもうすぐそこに迫っていた。



「……チョウチョウ!」

「うるさいわね、聞こえてるっつーの!シカダイ!着いたよ!」

チョウチョウの体が小さくなり元の大きさに戻る。シカダイは痛みに悲鳴をあげる体をなんとか動かして辺りを見回すがブルーホールらしきものはどこにも無かった。

「シカダイ、違うよ」

「下よ、下!」

二人に言われて下を見ると夜の海の黒よりも更に暗く深い、けれどもどこか輝いている漆黒が広がっていた。

「…これ……」

「これがブルーホール…ま、ブルーホールって人間がつけた名前なんだけどさ」

「アチシらここの名前なんてつけてなかったからパクってんの、ほら、手を上げて」

チョウチョウがもう感覚の無い左腕を持ち上げてくれる。いのじんは千切れた右腕を傷口に合わせてゆっくりと持ち上げてくれた。二つの手が合わさって覗き穴ができる。覗き穴の先にはカノープスが爆ぜるように輝いていて思わず目を閉じそうになった。

「シカダイ、目を閉じちゃダメ!」

「シカマルさんのこと思い出して!どうしたいのか心で願うんだ!」

「どう、したいか…」

カノープスの輝きが強くなっていく。きっとこれに答えてしまえばもう海には戻ってこれない。大好きだった鱗もこの二匹との思い出も無くなってしまうかもしれない。でも、それでも。

「…シカマル、シカマルの側にいたい!今度こそ、今度こそずっと!!!」

お願いだカノープス。それだけでいいんだ。あの不器用で優しい兄の元へ俺は行きたい。どうか、どうか叶えてくれ。俺の全てをお前にあげるから。

「お願いだ、カノープス…」

時々、宙の上で起きるような眩い光の爆発がシカダイを包み込んでしまう。自分を支えていてくれたはずの温もりももう無い。少しだけ不安だ。

「……それでも、行かねぇと」

光のトンネルを一歩、一歩、歩いて行く。変だな。足なんて生えたことないのに、当たり前のように前に進める。トンネルの中では沢山の人や人魚の声が反響しては消えていった。村長、船の奴らに、カカシやゲンマ、それにアスマも、そしていのじんとチョウチョウの声が耳に届いた。

「…ありがとう、ありがとうみんな…こんなに弱い俺を好きになってくれて……」

いいことばかりではなかった。辛いこともあった。でも結局、臆病で泣き虫な自分がここまでこれたのはきっとみんながいたからだ。一人では来れなかった。いろんな者達と思い出が背中を押してくれた。

光の中に薄っすらと人影が見えた。その後ろ姿はずっと忘れていた大好きだった後ろ姿で、小さな声で「にぃにぃ」と呟く。くるりと振り返った後ろ姿は間違いなくシカマルでシカダイを見た瞬間、痛いほどきつく抱きしめてくれた。

「シカダイッ!」

「にぃにぃっ、痛い、痛いって!」

「あぁ、悪い悪い」

手を引かれてまた歩き出す。暖かいシカマルの手が嬉しくてシカダイは思わずくすくすと笑った。

「何がおかしいんだ?」

「別にー、ていうかにぃにぃ何でここにいんだよ」

「あー、そうだな、強いて言うなら星変わりして一度死んだからかな」

「え、でもにぃにぃはシカマルで…え?なんで?死んだのか?」

頭の上にクエスチョンマークを浮かべるシカダイの頭をシカマルは優しく撫でた。

「お前が助けてくれたんだぞ、泡になりそうになった俺の代わりに星に魂を差し出したんだ」

「俺が…?」

「そう、だから俺は泡にならずにそのまま人間として何度も生きてきた…まぁ願いが不完全というか星が願いの力を分けたせいで鱗は残ったんだけどな」

「なんで星は願いの力を分けたんだよ?」

「お前がまた生まれることができるようにだ、星は気に入った人魚にはたまにサービスしてくれるってことじゃねぇの?」

トンネルの終わりが見えてきたところで「にぃにぃ」は足を止めた。繋いでいた手も離されシカダイは寂しそうに顔を上げる。

「行けないのか?」

「あぁ、もうあっちにはシカマルがちゃんといるから…」

「そっか…」

「シカダイ」

「にぃにぃ」が涙声でシカダイを呼ぶ。その目には確かに涙が浮かんでいてシカダイも思わず泣きそうになった。

「なに…?」

「……置いていって、ごめんな」

ぎゅう、と心臓が潰れそうになる。思わずシカダイは走り出した。涙が溢れてポロポロと溢れて光に吸い込まれていってしまう。息が切れた所で立ち止まり、大きく息を吸った。

「大丈夫!!ダイは置いていかれたってにぃにぃのこと大好きだから!!にぃにぃがダイのこと置いて行くならダイがにぃにぃを迎えに行く!!!だから、大丈夫だから!大丈夫だから!!」

「にぃにぃ」の声はもうしない。でもシカダイは振り返らなかった。そのまま走って走って光の向こうへ勇気を振り絞って飛び込んで行った。



ざぁ、ざぁあぁん、と波の音が聞こえる。シカダイは薄っすらと目を開けて体を起こした。どうやら海岸にいるようだ。砂まみれになった体をよく見ると人間と同じ足がついている。でも周りには人なんていやしない。ここはどこだろうか。シカダイがキョロキョロと辺りを見回しているとヒュッ、と息を呑む音が聞こえた。

「…………シカマル」

変わらず髪を結わえたシカマルが目を丸くして立ち尽くしている。大分老けたというか、大人になっていた。今は何歳なんだろう。というか自分がシカマルの元を離れてどれぐらい経ったのだろうとボンヤリと考えているとシカマルは震える手でシャツを脱ぎ優しくシカダイに着せてくれた。

「……ありがとう、シカマル」

「とにかく家に行くぞ」

ひょい、と横抱きをされてシカマルは歩き出してしまう。再会の喜びとかそういうものを分かち合いたかったのだが、どうやらそんな余裕はなさそうだ。

(家にあの髭がいたらどうしよう)

まぁ、そんな心配は杞憂だったようでこじんまりとした薄暗いログハウスの中には誰もいなかった。あるのは山のような書物だけ、うん、いかにシカマルが不衛生な生活をしているのかよくわかる。

「……何年経ってるかわかるか」

シカマルは暖かい飲み物を出してくれた。質問には首を振ってシカマルが飲んでいるのを真似して自分も飲んでみる。うん、甘くて美味しい。

「………10年だ」

「…海賊は?」

「とっくにやめた…というか、お前がいたころからやめるつもりだったからな」

まさかの新事実。驚きながらも恐る恐る訳を訪ねた。

「海賊をやってたのがそもそもお前を見つける為だったからだ」

「…え、じゃあ」

覚えていたのか?と聞くとシカマルはゆっくりと頷いた。

「最初からじゃねぇけど、思い出すきっかけがあってな…それから探そうと思って海に出た」

「……俺の為なら、誓ったのも俺を側に置く為…なのか?」

「あぁ」

「…髭…じゃなくて、アスマは?」

「…………あいつは」

言い淀むシカマルに好きだったんだろ、と聞くと難しそうな顔をした。

「好きじゃねぇの?」

「……いや、好き…だった、でももう俺の感情だけであの人の人生狂わせたくねーんだ、何回もそうしてようやく諦めがついた」

「………そっか」

ゴクリと飲み物を飲み干してシカマルの腕の中へ飛び込む。シカマルは優しく抱きしめて頭を撫でてくれた。そして甘ったるい唇が重なり合う。

「んっ、ふ、ァ…あぅ、ひかまる」

ちゅう、と舌を吸い上げられうまく動かせない。シカマルはそんなこと気にもせずに舌を口内に侵入させて何度も角度を変えて唇を重ねた。

「ンッ、ぅ、んぅ、あ、ァ」

「……っ、たく、10年も待たせやがって……」

「寂しかったのか?」

正直にそう聞くとシカマルの切れ長の目に薄っすらと涙の膜が張った。ぎゅう、と抱きしめる手にも力が入るのがわかる。永いシカマルの寂しさを感じてシカダイは優しくシカマルを抱きしめ返した。

「…待たせてごめんな、シカマルの側にいれるように、力になれるように俺頑張ったんだ」

だから、褒めて?と笑いかけるとシカマルは泣きそうな顔で笑って柔らかい台の上に俺を寝かせてまた唇を重ねてくれた。舌を絡ませ合いながら大きな手が俺の体を弄る。

「ァ、っ、ふ、ぅ、しかま、る」

「……シカマルじゃなくて、にぃにぃって呼べ」

「はぁ、ッ!?ばか!にぃにぃはダメだ!」

「ダメなわけあるか、俺がにぃにぃなのによ」

「んぁっ!ァ、それでも、だめぇ、!」

ちゅうちゅうと乳首を吸われ、股の辺りにあった手が割れ目の中に指を入れるのがわかった。俺は思わず足を閉じようとしてしまうが、シカマルが足を抑え込んでそれは叶わない。

「ふぅん、ここは人魚の時と変わらずそのままってことか…赤ん坊できんのか?」

「ちょっ、さっきから変なことばっか言うなぁ!ていうか覚えてて俺にあんなことしたとか最低だぞ!弟なのに!!」

ギャーギャーと抗議するとニンマリと悪人顔負けの顔で笑うシカマルがまた指を増やしてきた。そうだ、そういえばちょっとこんな感じで意地悪だったぞにぃにぃって奴は…!と思い出してもなんの意味もないのだが、とりあえず指が気持ちよくて俺はだんだんと声が抑えられなくなってきていた。

「アッ、ん、アァッ、やだ、ゆびぃ、多いッ」

「ほら、早くにぃにぃって言えよ」

「いや、いやぁ、ンッ、だれが、よぶかぁ!」

ちゅくちゅくと中をかき混ぜるスピードが速くなってきて俺は大きく背中をそらした。もうダメだ、イきそうだ。絶頂を迎えそうなその時、ピタリとシカマルの指が止まる。

「ぇ、っ、シカマル……」

「にぃにぃって呼ばねぇなら、イかせてやんねぇ」

それから何度か焦らされ、いつも絶頂の寸前で指を止められた。もうもどかしくて、早くイきたくて、俺はグッタリとしてシカマルを見つめる。

「シカダイ…呼ぶ気になったか?」

「………ダイ、がいい…にぃにぃ、ダイって呼んで」

降参だと言わんばかりに首に手を回して唇を重ねるとシカマルは嬉しそうな顔をして名前を呼んでくれた。またくちゅくちゅと中の指が動き始める。

「アッ、あんっ、アッ、アッ、にぃにぃっ、にぃにぃっ!!」

「ダイ、あったかいな…イきたかったらちゃんと言えよ?」

「にぃにぃ、ッ、にぃにぃ、イきたい、おれっ、イきたいっ」

そう懇願するとシカマルの手が速くなって頭が熱くなって何も考えられないぐらい真っ白になった。

「アッ、アッ、アッ、にぃにぃ、アッ、アンッ、あぁんっ!!!」

ぷしゅっ、と半透明の液が飛び出してシカマルの手を汚す。シカマルは丁寧にそれを舐めとって優しく割れ目を両手で開いた。

「は、ァ…にぃ、にぃ…」

「……ダイ、挿れていいか?」

割れ目開けた先にある入り口にピトリと当てられたのはシカマルの大きなアレで、入るのかは分からなかったけどとにかくシカマルと繋がりたくて何度も頷いた。そうするとゆっくりと太い棒状のものが入ってくる感覚がする。ず、ずず、ずぷ、と何度か無理やり力を込められこじ開けられた入り口が一杯になる。

「は、ァ…にぃにぃの、はいったァ」

「…がんばったな、えらいぞ」

「…にぃにぃの太くて大きい」

ちゅ、ちゅ、と唇を重ね合いながらシカマルはゆっくりと腰を動かした。ずるずると出てはまたずぷりと中に戻ってくる感触が何とも言えなくてシカダイは必死に喘ぐ。

「ンッ、ァ、にぃにぃ、アァッ、アンッ!!」

「ダイ、ッ、」

「は、ァッ、おっきぃ、にぃにぃの、おっきくて、すごい、ッアンッ!アぁ、ッ!」

「ッ、あぁ、ダイ、いいぞ…!」

シカダイの腰をしっかりと掴んでシカマルはピストンを繰り返した。シカダイは狂ったように喘いで噴射口からぴゅっぴゅっ、と潮を吹いて周りを汚していく。

「ダイッ、シカダイっ…!」

「ひゃぅっ!?あ、ッ、にぃにぃ!そこへんっ!やぁっ、アァッ!あんまりぱんぱんしないでぇっ!!!」

ぎゅ、と中が締まり道が狭まるがそれでも無理やり奥をついていくとシカダイの顔は真っ赤になって涎を垂らしてひたすら喘ぐだけになった。

「ひぃっ!ん、ひ、ッ、ぁ、ひぁんっ!にぃ、に、ッ、ぁ、アッ、あぁんっ!にぃにぃッ!!」

「一緒にイこうな、ダイ」

抱き上げてシカダイを自分にしがみつかせると下からガツガツと突いた。シカダイは快楽に喘いで背中を反らしながらも足を回して必死にしがみついてくる。

「ひぃっ、ァ、アァッ!アァッ、アァンッ!あっ、ひ、ひっ、ぁ、ぁ、アァーーーーッッ!!!」

「ッ、く、ァっ…!」

どくん、とシカダイの中に白濁が吐き出され、シカマルの足や床には甘ったるい半透明の液体がビシャビシャとこぼれ落ちた。これお漏らしみたいだなと射精したばかりで回らない頭がアホなことを考え、とりあえず抜いてやろうとシカダイを持ち上げて腰を引こうとした。

「ま、まって…にぃにぃ」

「ん?」

シカダイはシカマルにギュッと抱きついて腰を深く下ろしてくる。

「…………まだ、こうしてにぃにぃの入れてたい……ずっとこうして欲しかった」

「……シカダイ…」

ちゅ、と唇を重ねたシカダイがにこりと笑う。その可愛らしさというか健気さというか、とにかくシカマルの心は押しつぶされそうになった。もう一度自分から唇を重ねてそっと囁く。

「ダイ…好きだ、ずっと側に居てくれ」

「…………俺も、にぃにぃのこと好きだよ、ずっと側にいる」

俺の好きなもの、空と雲、あと海。俺の宝物はにぃにぃがくれた雲色の鱗のネックレス、と右肩の傷跡。にぃにぃの好きなものは空と雲と海。にぃにぃの宝物は俺があげた空色の鱗のペンダント。

そして空と雲がいつも同じ場所にいるように、俺とにぃにぃもずっと側に居続けたのでした。


おしまい

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