綺麗だ、なんて言って楽しんでいられたのも最初のうちだけだった。

「……寒い」

 じんじんと痛む頬を擦りたい気持ちになるけれど、生憎手袋は雪まみれである。かといって手袋を外す勇気はないし、外したところでこの感覚のない手がそこまで役に立つとは思えない。ぶるりと一つ身震いをしてもう何度目になるかわからない言葉を発した。
 見渡す限りの銀世界はとても感動的なものだったけれど、ひとしきり遊び終えた今となっては絶望の色にも見えた。
 ただ唯一の救いは、これだけ分厚い雪を蓄えているというのに今は雪が降っていないということだろうか。

「もう少しだ、頑張ろうぜ」

 そう言ってこの銀世界には似つかわしくない血色のいい顔で励ましてくれる彼がいなかったら、今もきっとここは吹雪いていたのだろう。
 彼の能力に心底感謝して、振り返って待ってくれている彼のもとへ急ごうと足を踏み出した。
 しかし物事とはうまくいかないもので、一歩、二歩、と進んだところでぴゅう、と風が吹いた。決して強くはない緩やかな風だったけれど、それでも今の私の心を折るには十分すぎるほどだった。

「もう無理!耳千切れる!」

 思わず立ち止まりむき出しの耳を押さえると、雪まみれの手袋でも風にさらされるよりはいくらかマシに思えた。
 そんな私を見て彼が吐いたため息は、辺り一面を埋め尽くす白に混ざって消えた。

「……ったく、しょうがねェな」

 雪を踏みしめて近付いてくる彼に申し訳なく思いつつも動けないでいると、触れられる距離まで歩いてきた彼が「ん」とこちらへ両手を伸ばす。彼の意図がわからなくて一瞬固まってしまったものの、もしかすると引っ張ってくれるということかもしれないと思い、おずおずと耳を覆っていた手をおろして彼の方へと伸ばす。だけど掴もうとした彼の手は私の手と重なることはなく、何故か私の耳へと着地した。

「へっ?」
「あっためてやるよ」

 間抜けな声を出す私にふざけるでもなくそう言った彼の手は、手袋もしていないのにとてもあたたかい。じわじわと分け与えられる体温に、失いかけていた耳の感覚が戻ってくる。

「……あったかい」
「だろ?」
「うん。ありがとう」

 ほっと心まで温かくなるような時間に嬉しくなって彼を見上げると、ぱちりと目が合った。なんとなく照れくさくなってお互い「へへ」と笑ってしばらく──ふと、余計なことを考えてしまった。
 この距離でじぃっと彼を見上げている今の私の行動はまるでキスをねだっているみたいではないか、と。
 何だか途端に恥ずかしくなって、じわりと顔に熱が集まるのを感じた。

「ありがとう、もう大丈夫」

 これ以上変なことを考えてしまう前に離れないと、と思って彼の手にそっと触れてもう大丈夫と告げてみたけれど、何故か彼の手は離れる気配がない。

「あ、あの、エース……?もう大丈夫!あたたまったよ!ありがとう!」

 どんどん落ち着かない気持ちになって少し早口で言いながらぽんぽんと手を叩いてみるも、彼からは何の反応も返ってこない。それどころか何故か耳たぶをもみもみと揉まれる始末。
 私のせいでこうなっているのだから「離れて」なんてとても言えないけれど、今すぐに離れてほしい。
 赤くなる顔を見られたくなくて俯くと、気に入らなかったのか、すぐに顎を掬われる。そのまま彼の手が今度は頬を包むから、再び交わった視線は逸らせそうにない。温かい手に頬の緊張は解れていくけれど、この赤くなった顔はきっともう言い逃れできない。

「なァ。今、何考えてる?」

 しっとりと溶け入るように聞こえた彼の声は、私から時間の感覚さえも奪っていく。目線はおろか、指先一つ動かせず、ただ大きくなる心臓の音だけが響く。

「な、にも……」

 わかりやすい嘘をつくとさらに顔に熱が集まった。雪の存在を忘れそうになるほど暑いのは、もう彼の体温なのか自身の熱なのかわからない。

「そうか。おれは考えてる」

 一度も逸らされることのない彼の瞳を見ていると、世界には彼と私の二人だけしかいないんじゃないか、なんて思えてくる。
 私の考えていたことなんてこの顔を見れば何となく予想がつきそうなものだけど、あえて彼は触れてこない。それがまた恥ずかしくて、か細い声で吐き出した「……何を?」という言葉は少し素っ気なく聞こえたかもしれない。

「キスしてェ≠チて」

 いつだってストレートな彼は、私がどんなに心を着飾ったってあっという間に脱がしていく。これ以上ない、というくらいに赤くなった私の顔を見て彼は意地悪く口角を持ち上げた。

「なァ、お前は?」

 どうやら逃がしてくれる気がないらしい彼は言いながら親指で私の唇をなぞる。熱のこもった瞳でじりじりと詰め寄られ、痛いくらいに鼓動する心臓はもはや不快にすら感じる。
 こうなってしまっては言うまで解放されないことは今までの経験でよくわかっている。腹を括って頬を包む彼の手にそっと自分の手を重ねる。

「……し、したい」

 言うが早いか近付いてきた彼の顔にぎゅっと目を閉じる。溶けそうなほど熱い口づけは、ここが極寒の冬島であるということを忘れさせてくれた。

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