船の足跡を見つめながら煙草を銜える。
 分厚い雲に覆われた空も、息苦しいほどの湿度も、輝いていない海も、今日に限っては心地よく時間の流れさえも忘れさせてくれた。

「何してんだ?」

 いつの間にか全ての音を遮断していた耳が突然拾った声にハッとして、思わず落としそうになった煙草をほとんど無意識にキャッチする。

「エース……」

 顔だけで振り返って声の主を確認し、銜え直した煙草に火をつけようとごそごそとポケットを探ると、ぼうっと目の前が明るくなって、吸い寄せられるように顔を近づけ息を吸う。

「ありがとう」
「おう」

 チリチリと焼けて灰になっていくそれを視界の端で捉えてふぅと煙を吐き出すと、隣で海を眺めながら船縁に凭れる彼が「うまいか?」とこちらを見る。

「エースがくれた火だから格別にね」

 軽く煙草を持ち上げてそう言うと「そりゃァよかった」と彼はにっかり笑った。生温い風が頬を撫でる。

「……何かあったのか?」
「なんで?」
「泣きそうな顔してた」

 思いもよらない彼の言葉に、ふ、と笑って灰を落とす。風に靡く髪がうっとうしくて耳にかけながら「そんなわけないじゃん」と笑ってみせると、じっとこちらを見た彼が「下手な笑い方だな」と呆れたように息を吐く。

「泣けよ」

 ぽす、と頭に何か乗せられて反射的に閉じた目を開けると、見覚えのある紐が胸の前でぷらぷらと揺れていた。泣きそうだなんてこれっぽっちも思っていなかったのにじわりと目頭が熱くなってしまったのは、彼の声が陽だまりのようにあたたかかったからだろうか。

「人前では泣かない主義なの」

 そもそも泣きそうじゃないんだけど、とへらりと笑って煙を吐くと「くだらねェ主義だな」と彼は鼻で笑ってまた船縁に身体を預ける。

「おれはお前がどんな主義だろうとここを動く気はねェ」

 一体何の宣言だろうかとぼんやり考えながら最後にもう一度煙を吸い込み、短くなった煙草を揉み消すと、「でも──」と彼が言葉を続ける。

「おれは今海を見てるからな」
「うん?」
「お前がどんな顔してようが見えねェ。それに、あっちがうるせェから声も聞こえそうにねェ。だから──」

 泣けよ、とまるで穏やかな波のような声。
 言ってることはめちゃくちゃなのに、身体の内側からじわじわと解かされていくようなそれに不覚にもぽろりと涙が零れてしまった。
 ぎゅっと帽子の飾りを握って、風に掻き消されてしまいそうなほど小さな声で「……ありがとう」と言うと、彼はやはり海を眺めたまま「どういたしまして」と言った。

「……聞こえてるじゃん」
「バカ、独り言だ」

 ふっと笑って空を見上げると、ほんの少しだけ光が射したような気がした。

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