「おねーさん、ひとり〜?おれらと遊ばない?」
「すみません、今忙しいので」
治安のいい街だし一人で買い物に出かけても平気だろうとのんびり歩いていると、前から歩いてきたいかにも面倒そうな人達に絡まれた。目を逸らしたのにどうしてと心の中で嘆きつつ、スチャッと胸の高さで手を上げて丁重にお断りする。
「そんなこと言わずにさぁ〜。ちょーっとだけ!ちょーっとだけ遊ぼうよ。ね、お茶くらいいいでしょ?」
「ごめんなさい」
「つれないなぁ」
一体どこに隙を見出だしたのか、へらへらと笑いながらしっかりと両側をマークしてついてくるので「本当に急いでるので」と歩くペースを速めてみるけれど、彼らも同じようにペースアップして埒があかない。一団ですみたいな顔をして歩かないでほしい。ハァとため息を吐きそうになったところでガシッと腕を掴まれ、足を止められた。
「おれらイイ店知ってるんだ〜。付き合ってよ。ね?」
にこにこと胡散臭い笑顔を向けられて、今度こそため息が漏れた。どうしてこんなにしつこいの。
彼らを撒くことは容易いかもしれない。でも私はまだこの街で遊びたい。なるべく穏便に……うーん、どうしようかなと頭を悩ませていると、「よォ」と聞き覚えのある声に名前を呼ばれた。
しかし随分遠い──屋根の上?と声のした方へ目を向けると、背中から太陽の光を受けて屋根の上にしゃがむエースの姿。よく見えないけれどあのシルエットと声は間違いない。
「エース!」
まるで救世主を見るような目で彼を見て声を弾ませると、「エース?」と周りの男達がざわついた。
とんっ、と軽やかに降りてきたエースは、帽子を押さえたままくいっと顔を上げると「お兄サン達、悪ィがそいつァおれのツレなんだ。離してやってくれねェか」と人当たりのいい笑みを浮かべた。
そんなエースを見て、「何だよ、男がいんのかよ」と肩を落とした男達にホッとしたのも束の間、手を掴んだままの男にグイッと肩を抱き寄せられて不愉快な香水の匂いを嗅ぐことになってしまった。
「悪いけどおれ達もお楽しみ中なんだ。引っ込んでてくれるか」
「……へェ、やるってのかい?なら仕方ねェよな」
メラッとエースの手が燃えて、まずいと思った瞬間、「おい、あれ白ひげ海賊団のマークだぞ」といつの間にか遠巻きにこちらを見ていた見物客の中から驚いたような声が聞こえる。げ、それはそれでまずいと口元を引きつらせていると、伝染したようにヒソヒソざわざわと周りが騒がしくなっていく。
さすがに男達の耳にも届いたらしいそれを聞いて、肩を抱いている方ではない方の男が「おい、じゃああれはまさか……!」と一歩後退る。
「まずいぞ……!おいっ!ありゃあ"火拳"だ……!"火拳のエース"……!!」
「あァ?火拳のえー、す……!?バカ、そんなわけっ……!」
「お。なんだあんた達、おれを知ってんのか?」
ごまかすことなく受け入れたエースが、じりとほんの少し足を動かすと、男達はあっさり私を解放して「スミマセンでしたー!!」と叫びながら去っていった。
「……なんだ、あいつら」
拍子抜けしたようにその背中を見送るエースにとことこと駆け寄ると、足を止めていた街の人達も「なんだ、喧嘩じゃないのか」と心底興味を無くしたように去っていく。思ったよりも海賊への耐性のある島でよかったとほっとしつつ、「ありがとう、エース。助かったよ」と"疲れました"としっかり顔に書いて彼を見上げれば、「ったく、ヘンなのに絡まれやがって」と呆れたようにため息を吐いた彼におでこをピンッと弾かれた。
「ぃった……!え、ちょっと!?なんで!?私悪くないでしょ!?」
「バーカ。逃げねェからだよ」
ふん、と当然だとでも言うように鼻を鳴らされて、ばつが悪くて何も言えなくなると「ん」と手を差し出された。
「ん?」
何だろう、と思いつつも同じように手を出してみると、ぎゅっと腕を掴まれる。
「なに?どうしたの?」
神妙な面持ちのエースをきょとんとして見上げると、グイッと腕を引かれて彼の胸に抱き留められた。
「……悪ィ、手が滑った」
掴んだ腕はそのままに、肩をぎゅうっと抱かれて彼の匂いに包まれる。
「どう滑ったらこうなるの」
くすくす笑って大人しくしていると、しばらくして肩をパンパンと払われて解放された。
「ありがとう。本当に助かった」
「……おう」
へら、と緩んだ顔のまま見上げると、彼はどこか照れくさそうに口を歪めて視線を逸らした。
「そういえば、エースは何してたの?」
買い物?と聞いてみれば、「ん?あー……それがよ」と何やら言いづらそうにして眉を下げて笑うエース。あ、これは何だか嫌な予感がすると思った瞬間、「いたぞ!」と遠くから聞こえた大きな声。「げ」と小さく声を漏らした彼に「何があったの」と聞くより早く「やべ、逃げるぞ!」と腕を引かれて走り出す。バタバタと聞こえるいくつもの足音は明らかにこちらに向かってきている。
「エース!なに!なにしたの!?海軍!?」
「いや、海軍じゃねェ」
なら何なんだと走りながらちらと振り返れば、コック帽を被った人やエプロンをつけた人、持っているものはほうきにお玉に、フライパン……。
「話せば長くなるんだが……」
「っいい!もういい!これつまりいつものアレでしょ!?なんで私まで逃げなきゃいけないの……!離して!」
「バカ、もう遅ェよ!仲間だってバレちまった!」
ぎゅっと握られた手を見て、誰のせいでと叫びたくなったのを堪えて全力で走る。
「もうっ……!最悪……!!」
ハァハァとすでにうまく酸素を取り込めなくなってきた肺で懸命に息をしながら頭の中に財布の中身を思い浮かべる。しかし追ってきている人数からして、とてもじゃないけど足りそうにない。そもそも彼の胃袋を満たす量の金額なんて、ホクホクのときの財布ですらきっと払えない。
「……もーー!!」
「うまかったぞ、ここのメシ」
「殴るわよ!?」
何とか回避できないかと考えつつゼェゼェ言ってる私をよそに涼しい顔をしている彼。さっき助けてもらった恩だとかそんなものは綺麗さっぱり吹き飛んでただただ何してくれてるんだという思いだけが募っていく。
「しんどい!もう無理!」
ハッ、ハッと浅い呼吸の合間に叫べば彼が後ろを振り返る。今にももつれそうな足を彼に引っ張られるまま何とか動かしてはいるけれど、明らかにペースは落ちている。しかし後ろから追いかけてくる足音はまだまだ元気そうで、心なしか「待てー!!」という声も近付いてきている気がする。まずい、このままでは追いつかれてしまう。皿洗いで許してもらえる時代はもう終わってしまっただろうか……と、そんな考えが頭を過ったとき、「止まるぞ!」と急に彼が足を止めた。
「わっ!?ちょっと……!」
「つかまってろ!」
息をつく暇もなくガシッと担ぎ上げられて、反射的に掴むところを探した手が空を切る。ドクドクと心臓は異常な音を立て、ドッと一気に体が熱くなる。息は荒れ、そこら中汗がじわりとふき出してくる。降ろして、と言いたいところではあるけれど、こんな状態で走ってもすぐに捕まってしまうだろうと、後ろから猛烈な勢いで追いかけてくる人達を見てぐっと口を噤んだ。
お願いしますの意味を込めてぺたりと彼の"誇り"に触れると、風を切る音が大きくなって、ぐんぐん追いかけてくる人達との距離が開いていく。人一人担いでるのにさっきまでより走るのが速いってどういうこと……と自分の不甲斐なさに項垂れていると、「うおっ!?」と何かに驚いたエースがスピードを落とした。
どうしたんだろう、と担がれながら首を後ろに捻ると、前からも物凄い勢いでこちらに向かってくる人達。横に逸れようにも、ここは橋の上。随分広くて立派な橋ではあるけれど、前からも後ろからも逃がすまいと隙間なく横並びに走ってこられては躱すのは難しそうだ。当然、こちらが悪いのに攻撃なんてするわけにもいかない。まさに万事休す──。どれだけ食べたらこんなに追われるんだろう。そしてこの島の人たちあまりにタフすぎない?
あわあわと前と後ろを交互に見ていると、ピョンッと彼が橋の欄干に飛び乗った。
「しっかり掴まってろよ」
「えっ!?まって、下、水じゃ……!」
どうやら飛び降りようとしているらしいことはわかったけれど、これだけ大きな橋だ、下には川か何かあるんじゃないかと振り返れば、「いや、森だ」と彼の声とともに目に入ってくる大自然。思いもよらない緑に「ほんとだ……」と一瞬ぽわんと心が和んでしまったけれど、すぐに我に返って目を見開く。
「……高ァっ!!え、いつの間にこんなに登ったの!?」
「……さァな。おれも驚いた」
木の成長を妨げないようにと架けられたのであろう橋は、もはや空を飛んでいるのではと思わせるほどに高くて思わず下腹がきゅっとなる。確かに街へと続く階段は膝が震えるほど長かったし、逃げている最中もずっと緩やかな坂が続いていたような気もするけれど、それにしたってここまで高いとは思わなかった。
「でも行くしかねェ」
「えっ、いっ、いやいやいやいや、まって、無理!絶対無理!」
今にも降りそうな彼に、バタバタと手足を動かして待ってと言えば「こら、暴れんな!」と背中を押さえられた。
「むり!本当に無理……!だって、掴むとこないし……!」
泣きそうになりながらぺしぺしと彼の背中を叩けば、「ったく、しょうがねェなァ……」とため息を吐いた彼に背中を支えられながらずりずりと肩から降ろされる。足場の心許なさと、さっき見た高さからぎゅっと彼の首にしがみつきながら足の安定を求めて慎重におりていくと、ちょん、とつま先が欄干に触れた瞬間、ぐらっと体のバランスが崩れて激しく視界が揺れた。あまりの恐怖にぎゅうっと目を閉じて思い切り彼の首にしがみつくと、「これで文句ねェだろ?」と思いのほか落ち着いた彼の声が聞こえて恐る恐る目を開ける。強張った体でもわかる膝の裏と背中の安定感に、なるほど、横抱きにされたのかと理解しておずおずと腕の力を抜いていく。
「よし、じゃあ行くか」
ちら、とさっきよりも見やすくなった大自然に目を向ける。追ってくる街の人達の声はもうすぐそこまで迫っている。ドクドクドクとうるさく騒ぐ心臓を何とか落ち着けようとごくりと唾を飲むと、ヒュウッと大きな風が吹いた。
「まって、やっぱり無理……!」
あっさり決心を砕かれてぎゅうっとまた彼の首にしがみつけば、「大丈夫だ、おれのことだけ見てろ」と彼が笑う。
見てるもなにもしがみついてるだけで精一杯、と歯を食い縛ってさらに強く彼の首にしがみつくと、ぎゅっと抱かれる腕に力がこもり、「行くぞ!」と彼が勢いよく欄干を蹴った。
味わったことのない風、感じたことのない恐怖。怖くて目も開けられないくせに、彼とならきっと大丈夫──何故だか、そう思った。
バサバサバサッと豪快に木々の枝葉を揺らして着地する。あれだけ高いところにいたのに、降りてしまえば一瞬だなとぽかんとする。彼がどうやって着地の衝撃を和らげたのかはわからないけれど、どうやら二人とも無事なようだ。
「な?大丈夫だっただろ?」
にかっと笑う彼が眩しく見えるのは、木々の間から差し込む日の光のせい。
「怪我はねェか?」
「……うん」
とす、と降ろされてからも腰を支えてくれる腕に安心するのは、あまりの恐怖にまだ足に力が入らないせい。
「歩けるか?」
「……うん」
「これでしばらくは追って来れねェだろ」
ふぅ、やれやれと息を吐く彼に笑って空気のおいしい森を歩く。
「ところで、さっきの……」
帽子を被り直したエースがちらりとこちらを見る。
「ん?」
「『つりばしこうか』?っての狙ったつもりだったんだが……どうだ、おれのこと好きになったか?」
橋を見て思い出してよ、とどこか得意気に笑う彼に愕然とする。
「は……、はあっ!?なるわけないでしょーが!!」
そもそもエースのせいでこんなことになったんだからね!と事の発端を思い出してぺしっと腕を叩くと、避ける素振りもなく甘んじて受け入れた彼が「はは、あー……だろうな」とけらけらと笑う。
「思ったよりうまくいかねェもんだな」
ふんと悩ましげな声を出しておきながらもめげる気なんて更々ないとでもいうような晴れ晴れとした顔をする彼に、よくもまあ……と目で訴える。
「……そりゃそうと、お前買い物は?」
「まだ」
「だよな。悪かったな、邪魔しちまって。お詫びと言っちゃなんだが……付き合うぜ?」
荷物持ちしてやるよと頼もしい笑顔を向けられて、ぐっと言葉に詰まる。
「まずはこの森を抜けねェとな」
サァッと穏やかな風に揺れる木を見上げる彼にまた光が差す。とくとくとさっきから鎮まらない動悸は、たくさん走って高いところから飛び降りたせい。そう、きっとそうだ──。
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