ごちそうさまでした、と静かにスプーンを置いて手を合わせる。
「なんだよ、もう食わねェのか?」
ついさっき跳ね起きてモグモグと食事を再開させた彼に「うん、もうお腹いっぱい」と答えて口を拭く。
「ウソつけ。全然食ってねェじゃねェか」
顎でこちらのお皿を指す彼にう、と言葉を詰まらせて水を飲む。きちんと完食したけれど、小さいお皿一枚じゃやっぱり不自然だっただろうか。
「……ダイエットしてるの」
少し言いづらさがあったのは、あまり成功したためしがないからだ。
しかし不思議なもので、暖かい海域に入るとどうにも"痩せたい、痩せなければ"という考えが頭を占める。
「……またかよ」
今回こそはやるぞと意気込む私に彼はやれやれと肩を竦めて笑った。
「そう、また。だから甘やかさないでねっ!」
「へいへい」
適当に返事をして肉にかぶり付いた彼は、私が痩せたいと言うたびに痩せなくていいと言う。今のままで十分だとか、おれは多少肉がついてた方が好きだとか。でもそういうことではないのだ。有り難いけれど、甘やかしてもらっては困る。これは自分との闘いなのだ。
食事を終えてしばらく、お腹は鳴るが運動だ!と腹筋をしていると「付き合ってやろうか?」と私の上に影を落とした彼に冷やかすような目を向けられた。腹立たしいことこの上ない目付きなのは、過去何度も付き合ってもらってこのザマなのだから仕方がない。「お願いします……」と口元をヒクヒクさせながらも素直に頼めば「よし、任せろ」と足を持ってくれた彼は実に楽しそうに口角を上げた。
「も、むり……っ」
「はァ?まだだ、こんなんでへばってんじゃねェよ」
「はっ、しん、ど、いっ……!」
「聞こえねェなァ。まだイケんだろ?」
「えー、す、も、ほんと、むりっ……!」
「おーおー、苦しそうだなァ。ほら、もっと頑張れ」
「し、ぬ……!」
「死なねェよ。おら、もう一回」
「ふっ、んん゙っ!はっ、だぁーーーーーーーッッ……!!もう無理……!!」
はぁはぁと息を切らしながらお腹を押さえて倒れ込む。せっかくの澄み切った青空も、ギンギン光る太陽が眩しくて堪能することはできない。目を瞑りながら「しんどっ……無理、しんどっ……!!お腹痛い〜〜」と喚いていると「んじゃ、今日はこんぐらいにしとくか」と足を解放してくれたエースが「情けねェなァ」とけらけらと笑いながら私の隣に腰を下ろす。
過去何度も付き合ってもらってるのにどうして私は学ばない。彼は意外と厳しいのだ。痩せなくていいとは言ってくれるけど、いざトレーニングモードに入ると容赦がない。腹筋、背筋、腕立て伏せにスクワット、軽い組み手、広いモビー・ディック号ならではの走り込み、そして最後にまた腹筋──。そのどれも何度限界を訴えようとも、「まだまだ」と言われるばかりで全然終わらせてはくれなかった。一日目だし、と軽い気持ちで始めた筋トレでまさか起き上がる気力がなくなるほど全身バキバキに疲れてしまうとは。うぅと唸ってずりずりと解放された脚をだらしなく伸ばす。
「……エースせんせー、ちょっと厳しすぎるのでは?」
「そりゃどーも。甘やかすなって言われてるんでね」
へへっと笑うエースを恨めしげな目で見つめて、あちこち痛む体を起こす。同じようにトレーニングしてもこの差はなんだろう。私はこんなにボロボロなのに、彼はまるで何もなかったかのようにけろっとしている。……まぁそりゃそうかとすりすりと彼の無駄のない腹筋を撫でる。
「……私もこんな風になれるかな」
「は?なるなよ」
おれは柔らけェのが好きなんだとお腹を触ってくる手をぺしりとはたいて「シャワー浴びてこようかな」と立ち上がる。
「おう。お疲れ」
「ありがとう、付き合ってくれ、てっ……!」
伸ばされた手を掴んで本日最後の筋トレだ、とほとんど力の入ってない腕で形だけ彼を引っ張り起こしてよろよろと心もとない足取りで船内へと向かう。
毎度思うけど、太ることは簡単なのに痩せることはどうしてこんなに難しいんだ。そして難しいのがわかってるのにどうして節制した食生活を送れないんだ。はぁと毎度おなじみの後悔にため息をついてギシギシする体でシャワーを浴びた。
ガシガシと濡れた髪を拭きながら水を求めて食堂に入ると「おう、おつかれ」とスプーンをひらひらさせたエースに迎えられた。
「何食べてるの?」
「しゃーべっと」
涼しげな器に盛られたオレンジ色のシャーベットは、運動後に水を飲まずしてシャワーを浴びに行った私にはとても魅力的なものに思えた。ごくりと喉が鳴る。
「……ひとくち」
思わずねだってあ、と口を開けると「ん」と冷たいものを食べるにはおよそ適していないであろう大きめの一口が差し出される。しかし、カラカラの喉とヘトヘトの体は『歯にしみる』だとか『頭にキーンとくる』だとかそんなことを気にしていられないくらいには目の前のシャーベットを求めていた。
「……ん〜〜!おいひい〜〜!!」
気を抜くと崩れ落ちそうなほど疲れきった体に染み渡る絶妙な酸味と甘み。これだ、私の体はこれを求めていた。
首にかけたタオルを手に持ってバタバタと駆け出し厨房へと向かい、「サッチ!シャーベットまだある!?」と詰め寄って少し多めに盛ってもらったシャーベットを持ってほくほくとエースのもとへと戻れば「おいおい、『だいえっと』ってのァもういいのか?」と口元の緩みを隠しもしない彼に鼻で笑われた。
「……だって、今日はいっぱい運動したし」
ゴクゴクと水を飲んでから「いただきます」とみかん味のシャーベットを頬張れば、また口いっぱいに幸せが広がった。
「ん〜、最高!」
じんわりとろけそうになるほっぺたを押さえて「生き返る〜」と幸せを噛み締めていると、こちらを見ていた彼がふっと笑う。
「おれァお前のその顔が好きだ」
「あ、そういう甘やかしは厳禁〜」
「ヘイヘイ」
そーでしたそーでした、と呆れたように笑う彼に見守られながらぱくりとまたシャーベットを食べる。
「明日もやんのか?」
「んー……どうしようかなぁ」
体バキバキだしなぁ、ヤダなぁ……と早速弱音を吐いているとぶはっと吹き出された。わかってる、こういうところがダメなんだ。でもしんどいんだ……。
「やるならまた付き合ってやるよ」
ニッと笑う彼の申し出はとりあえず丁重にお断りして、明日のことは明日考えることにした。
←/top