バタバタと勢いよく地面を叩く雨をぼんやり眺めながらハァと息を吐く。
思えば今日は最悪な一日だった。
朝から机に足をぶつけてアザになったし、前髪の寝癖はなかなか直ってくれなかったし、つけようとしたピアスはプチッと飾りが取れてダメになってしまった。お気に入りだったのに。
それでも初めて降り立つ島にワクワクして、メイクをいつもよりも華やかにして、前髪との闘いにも打ち勝って、次の島についたら着るんだと取っておいた新しい服を着て、晴れの日にふさわしい新しい靴を履いた。
るんるんと、ショーウインドーに映る自分を見るたび気分が上がった。
それが今やどうだろう。せっかく頑張ったメイクは雨に濡れてよれているし、懸命に整えた髪は湿度に負けてうねっている。ハァと息を吐いて目を落とした靴はすでにドロドロで、服にだって泥ハネがついている。
たまらず駆け込んだ今は営業していないのであろうお店の軒先で、真っ暗なショーウインドーに映る自分はさっきまでとまるで別人に思えた。毎度ながら、かけるのは苦労するのに解けるのはずいぶん呆気ない魔法だ。
ガヤガヤと活気溢れる街のはずれ、人通りのほとんどない空き店舗ばかりが並ぶ廃れた商店街は今の私にはひどく心地よかった。
いっそ走って船まで帰ろうかと何度も考えたけど、顔を上げて衰えることのない雨を見るたびその気は削がれた。
はぁと何度目になるかわからないため息が漏れる。意味もなく汚れた爪先を浮かせたり地につけたりしていると、バシャバシャと濡れた地面を蹴る音が聞こえてきて顔を上げる。
「──あ」
「──お?」
きっと傘を忘れた人が走っているのだろうと思っていたそれはまさかのよく知る人のもので、ぱちと目が合うと同時に思わず声が漏れてしまった。
「よぉ、こんなとこで何してんだ?」
「雨宿り」
手を上げた彼が近づいてくると、今朝顔を合わせたはずなのに『久しぶり』と言いそうになって何だか不思議な気分。
慣れない地で見る見知った顔は妙な安心感があって、どんよりしていた気分が少しだけ晴れる。「そりゃいいな」と隣に並んだ彼からふわりと香る香水はやはりよく知るもので、途端に体がリラックスする。
だけど、私には一つだけ確認しなければならないことがあった。彼が走ってきた方向には飲食街がある。
「エースとこんなところで会うなんて嫌な予感しかしないんだけど、大丈夫?ちゃんとお金払った?」
「大丈夫だ、ちゃんと礼は言った」
「それ全然大丈夫じゃないね」
そよ、と風が吹いた。少しだけ弱まった気がする雨を眺めながら、どうかお店の人たちに見つかりませんようにと願う。
「名物のさ、"七色肉まん"食べた?」
「あァ、食った。うまかったぞ」
「ね、私も食べたよ。すごいよね、アレ」
「あー、確かにありゃ驚いた。出る前にもう一回食っときてェな」
「やめときなよ。騒ぎが大きくなるから」
「バレねェって」
ハハッ、と笑う彼の自信はどこからやってくるのか。でもあまりに楽しそうだったので、絶対にバレると思うよなんて野暮なことを言うのはやめておいた。もう一度食べたい気持ちはわかるし。
ぱらぱらと、また少し雨が弱まった。
「雨、小降りになってきたね。私はもう少し雨宿りしていくから、エースは気にしないで行っていいよ?」
「なんだよ、おれが居ちゃ邪魔だってのか?」
「そうじゃないけど……退屈だろうなと思って」
「退屈じゃねェよ。お前がいるんだから」
そう、と呟いてずいぶんやわらかくなった雨を眺める。心なしか、空も少しだけ明るくなったような気がする。
「じゃあ愚痴でも聞いてもらおうかな」
ハァ〜っとわざとらしく息を吐いて心持ち大きな声で言えば、ふんっと笑った彼が「しょうがねェなァ」と小さく息を吐く。
「今日はね、色々ツイてなくて最悪な一日だったの」
さわさわと糸のように細くなった雨を眺めながら、朝から起きた些細な『ツイてない』出来事を話していく。
時にくだらないと笑い飛ばしつつも、適当に相槌をうってふんふんと聞いてくれる彼に甘えて、よく考えたら本当に何でもないことまで話した。
「ね、ツイてないでしょ」
話し終わる頃には雨は止んでいて、足許には建物の影までできていた。私たちを雨から守ってくれていたオーニングからは、ぽたり、ぽたりと不規則な間隔で雫が落ちている。
「雨、止んだね」
「おう」
「愚痴聞いてくれてありがとね。スッキリした」
狭いところにでも閉じ込められていたかのようにんん、と体を伸ばしてオーニングの下から出る。止んでいるように見えた雨はやはり止んでいて、背中にはじんわりと日差しも感じる。ぐったり疲れた見た目に見合わずいい気分だ、とまだ雨のにおいの残る空気をすぅと吸い込んで空を見上げる。
「──あっ!エース!虹だ!」
言うと同時に指差して彼と顔を見合わせる。見たこともないくらい大きくてはっきりとした虹はまるで絵本に描かれる虹のようで、感動を表す言葉の一つでも言いたいのに、はくはくと動かした口からは何も出てこない。
「走るか!」
よしっ、と手を叩く彼に「なんで!?」と混乱していれば、にっと笑った彼がこちらへ手を伸ばす。
「最悪な一日だったんだろ?んじゃ今からそいつを最高な一日にしようぜ」
ぶわっと風を受けたような感覚。皮膚はピリつき、頭にはたくさんのハテナが浮かんでいる。だけど、私は迷わず彼の手を取り駆け出していた。
だってしょうがない、どうしようもなくわくわくしてしまったのだから。
「あとでさっき言ってた肉まん食いに行こうぜ!」
「絶対やだ!」
前を行く彼が何だか輝いて見えるのは、きっとあちこちから滴り落ちる雨水のせい。
←/top