嫌がるエースを引っ張って海軍を躱して走りに走ってようやく人気のないところに来られたと思ったら、街と海を見渡せる広い高台に出ていた。草花がそよそよと気持ちよさそうに揺れる中、ゆっくり歩いてゼェゼェと息を整え一つ深呼吸をする。青臭い葉っぱの香りに混ざる花の甘い香り。瑞々しい空気が全身に広がって、あちこちの筋肉の疲労は回復し、途端に健康になったような気がする。
 ふぅ、と飾り気のない白く塗られた木製のベンチに腰掛ける。サァと頬を撫でる風が気持ちいい。

「逃げることなかっただろ」
「まぁまぁ。このいい眺めを前にそんなこと言わないでよ」

 多少人工的ではあるけれど、それでも生き生きとした自然の中に身を置きながら美しい景色を見られることのなんと素晴らしいことか。ほよほよと心が和んで、「欲しい情報が手に入るまではなるべく問題を起こすな」って言われたでしょなんて言う気にもならない。
 疲れ知らずの彼はベンチに座ることなく少し離れたところで街を見下ろしているけれど、さて一仕事終えたしこちらは煙草でも吸うかとポケットを漁って煙草を銜える。走ってのどが渇いてはいるけれど、仕方がない。これを吸わないことには動けない。

「……あれ?」

 ガサゴソ、ガサゴソといくらポケットを探ってみても火が見つからない。思い起こすさっきまでの行動。

「クッッッソ!!」

 猛烈に襲ってくるイラつきに舌打ちして煙草を手に持ちドンッと強く膝を叩く。落とした。どこで落としたんだ。新鮮な空気に悪影響を及ぼしそうなほど深いため息を吐くと、くくっと笑う彼の声。

「おいおい、このいい眺めを前にそうカリカリすんなよ。──ほしいか?」

 顔を上げると、さっきまで街を眺めていた彼がこちらを向いて人差し指に火をともしてゆらゆらと揺らめかせていた。

「うん」

 まるで母に泣きつく子どものような顔をして煙草を銜える。そうだ、私にはいま彼がいた。彼がこちらへ一歩、一歩と近づいてくるたび荒んだ心が浄化されていく。あと少し──と唇に力を込めて息を吸う準備をしていると、ふっと目前まで迫っていた火が一度大きく揺らめいて消えた。

「やらねェ」

 にやりと笑う彼に瞬間的に沸いたイラつきをぐっと堪えて、わかりやすくぶすーっとして見つめる。間違えるな、私は今弱い立場だ。

「火を起こすのも楽じゃねェんだ、それなりの報酬ってモンをもらわねェとな」

 ひらりとさっきまで火だった手を振ってようやく私の隣に腰掛けた彼。なんだ、珍しい誘いもあるもんだなと目を瞬かせて銜えたままだった煙草を手に取る。少しくすぐったい気持ちにはなるけれど、こういうのは時間をかければかけるほどドツボにはまることはよく知っている。
 ずり、と彼のほうを向いてベンチに片膝を残したまま立ち上がる。そしてそのままそっと帽子を脱がせて、こちらを向いた彼の頬に素早くキスをする。これでいい?とに、と笑いかければ、目の前の彼は思いのほか不満そうな顔をしていた。

「……そんなんじゃ火は起こらねェ」
「ぼったくりじゃない」
「バカ、出血大サービスだ」

 やれやれとまた腰を下ろして「そこを何とか」と煙草を銜える。納得がいってなさそうな顔をしながらも火をつけてくれた彼にお礼を言って、待ち兼ねた煙を味わう。

「最高」
「そりゃよかった」

 ふてくされたように息を吐きながら背凭れへもたれる彼にくすくす笑って、機嫌直してよと彼の太ももを撫でる。

「この後どうする?」
「メシ」
「メシかぁ。確かにお腹空いたよね」

 彼と同じように背凭れにもたれて考える。さっきの海兵達と会わないためにはどのルートで街へ戻るのがいいだろう。右へ行くか、左へ行くか。人通りの多い道を行くか、少ない道を行くか。うーん。

「エース、右と左どっちがいい?」
「右」
「右、ね」

 よし、とうだうだと考えていたことを全て放り投げる。何の話か聞くこともなく即答した彼の直感を信じよう。

「じゃあこれ吸ったら右に行こう」
「おー」

 美味しいご飯屋さんあるかなぁとぼんやり街を眺めていると、「でもその前に──」とあったかい手に手を包まれた。

「もう一本吸ってけよ」

 彼の言いたいことを理解するのには少し時間がかかった。だけど、わかってしまえば笑いを抑えることはできなかった。

「無茶言わないで。私、チェーンスモーカーじゃないの」

 くすくす笑って煙を吐き出せば、きゅ、と緩く手を握られる。「知るかよ」と近付いてきた顔を止めるには腕が一本足りなくて、やっぱり少し笑ってしまいながら瞼を閉じた。

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