本日のお買い物、コンプリート。念のため買い忘れがないことを確認して、役目を終えたメモ用紙をぐしゃぐしゃと丸める。よし、と五、六歩先へあるごみ箱へぽいと投げ入れる──つもりだった。
軽すぎて思ったより飛ばなかった紙はぽとっと三歩先くらいの地点で落ちて、くそっと心の中で落胆の声を上げてすごすごと拾いに行く。
こんなことなら初めからちゃんと捨てにくればよかったと息を吐いて、さっきよりも近くなったごみ箱へぽいと放る。さすがに入るであろう距離に油断してすでに体が動き出しそうになっていたところで、かさ……とごみ箱の中へ入ったとは思えない紙の落ちる音。
「クッソが……!」
チィッと大きな大きな舌打ちのあと、周りに誰もいないのをいいことに堪えきれなかった思いが溢れ出してしまった。ふざけるな、今のは絶対入っただろう。うまくごみ箱へ入らなかった紙への怒りなのか、ただそこにあるだけのごみ箱への怒りなのか、コントロールの悪い自分への怒りなのか、二度にわたって横着をしようとした自分への怒りなのか、もはやよくわからない怒りを抱えて落ちた紙を引っ掴む。今度こそ決めてやる。ゼロ距離で怒りのままにごみ箱めがけて腕を振り上げる。必要以上の力で叩きつけてやろうと腕を振り下ろした瞬間、ふと昔誰かに言われたことを思い出す。
『物に当たるな。腹が立ったら深呼吸をしなさい。そしてどんな状況であれ、楽しむ努力をしなさい』
誰に言われたんだっけ、覚えてないな。しかし、おぼろげな記憶の中でもあたたかい感じのする声は、瞬間的に沸いた怒りを鎮めるには十分だった。まだ手の中にある紙を見て、深呼吸をする。楽しむ努力か……難しいな。ぺんぺんと丸めた紙を手のひらの上で跳ねさせて考える。うーん……。
「エース、それ取ってくれ!」
外から聞こえてきた誰かの声にハッとする。なるほど、その手があったか。パシッと跳ねさせていた紙を掴み取ってにやつきながら一歩、二歩、三歩……と少し歩幅を大きくしてごみ箱から離れていく。よし、ここでいいかな。八歩目でくるりと振り返って、最初に投げたときより随分遠くなったごみ箱を見据える。
ここから投げて一発で入ったら、エース隊長に告白する。
楽しいというよりはスリルのような気もするけれど、まあ問題ない。『スリル』イコール『楽しい』だ。
ふぅと息を吐いて照準を定める。さっきの失敗を踏まえると、少し強めに投げなければ。よし、と何となくの軌道をイメージしてぽいっとさっきよりも少し強めに投げてみる。ふわっと開きかけて六歩先で落ちた紙は想定内。だってこれは練習だから。
そんな言い訳を心の中で繰り返し、迎えた練習十数回目。
「何してんだ?」
振りかぶっているところへ後ろから声がかかったのはこれで三回目。しかし真剣にごみ箱と向き合っていた私が思わずきゃぴっと振り返ってしまったのは、これが初めて。
「あ、エース隊長っ!これが入ったらエース隊長に告白しようと思って頑張ってます!」
「……へェ?」
不思議そうに眉を歪めて首を傾げるエース隊長に紙を見せて笑いかける。
「入ったらきいてくださいね!」
くりっと前を向いても、エース隊長が離れていく気配はない。どうやら私の魂の一投を見届けてくれるようだ。そうなれば当然気合いが入る。ぐっと紙を握り締め、大きく振りかぶって投げる。ぽとっと落ちた紙は距離こそよかったものの、ごみ箱から一歩半くらい右へ。
「……見込みは?」
「あります」
練習なんてこんなもんですよ、と少しくたびれてきた紙を拾って、三回目の失敗のときにつけた目印のところへ戻る。最初こそ失敗の度にわき上がってきていた怒りももはや大人しいもので、落ちた紙を拾いに行くことにも何も感じなくなった。
「次こそは!」
ピッとごみ箱へ向かってこぶしを突き出して、投げる。
「残念」
「つ、つぎ!」
お慕いしている人を前にしてもいいところを見せさせてくれないのだから、神様というのは意地悪だ。
「バーカ、もっと右だ」
「つぎ……!」
どうして私にほんのわずかでもコントロールを与えてくださらなかった。
「肩の力抜けって」
「つぎ!」
というか、コントロールの問題なのか?
どうしてこんなに入らない?
どうしてこんな無謀な距離から投げることにした?どうして──?
「へたくそ」
何度目かの挑戦のあと、いつの間にかしゃがみ込んでいたエース隊長に投げられた言葉に膝から崩れ落ちる。
「意外と難しいんですよ!?ごみ箱小さいし!そういうエース隊長はできるんですか!?」
まごうことなき八つ当たりだった。しかしさすがに疲れてきたし、飽きてもきた。そしてやっぱりこれだけ投げて入らないのだからいよいよセンスのなさも自覚していた。
うう、とへたり込んで、「貸してみろ」と伸ばされたエース隊長の手にくたびれた紙をのせる。どれどれと立ち上がったエース隊長が特に悩む様子もなくぴゅんっと投げてすぐ、ぽすっと気持ちのいい音がした。
「わ、わーーっ!!」
吸い込まれるように入っていった紙に感激して手を打ちながらエース隊長を見上げると、へへと笑った彼が「まァこんなもんだ」とまたしゃがんで世界が狭くなる。
「すごいっ!すごい!好きです!エース隊長!」
「お前は入れてねェだろ」
どさくさ紛れに告白してくんなと人差し指でおでこを突かれて違いますよと頬を膨らませる。
「今のは『かっこいいですね!』の『好きです!』ですよ」
「へェ、そりゃ失敬」
「さっきまでのは練習ですから!今から本番です!」
すくっと立ち上がってごみ箱へ入ってしまったお買い物リストのかわりになりそうな紙を探していると、「ん」としゃがんだままのエース隊長からぽいっと丸めた紙が投げられた。
「捨てていいやつですか?」
「いいんじゃねェか、たぶん」
……どうしよう、不安しかない。どこから取ったんだろう、これ。
しかし敬慕しているエース隊長から渡されたもの。開いて中を確認するのは野暮ってものだ。ごくりと唾を飲み込んでごみ箱を見る。少々不安ではあるけれど腹を括って投げようとしたところで、あ、大事なことを言い忘れていたと振り返る。
「入ったら、きいてくださいね!」
「ハイハイ、わかったわかった」
しっしっとあしらわれて前を向く。にまにまと口元を緩ませながら、今度こそ──そう思って投げたくたびれていない紙は、意外にも今までで一番きれいな放物線を描いて、一切の引っ掛かりなくぽすっと快音を響かせてごみ箱へと入っていった。
「エっ、エース隊長〜〜っ!!」
言い表し様のない歓びにたまらず振り返って胸の前で握った両手を上下に振る。
「見てました!?見てましたっ!?」
「おー、見てた見てた」
ぱちぱちと控えめな拍手を受けて、震え上がりそうなほどの興奮を覚える。気を抜けば突進してしまいそうな体を抑えてエース隊長の前に膝を畳んで座る。
「では、よろしいですか」
「どうぞ」
「好きです!エース隊長!」
真っ直ぐに目を見て言えば、しばらくじっと目を見つめ返してくれていたエース隊長がふ、と笑う。
「ありがとうな」
へにゃと眉を下げて笑うエース隊長は室内にいるのに目が灼かれそうなくらい眩しくて、ああ私はこの瞬間のために生きていたのだと知る。
ぐりぐりと頭を撫でてくれる手はまったく相手にされていないようで少し悔しくもあるけれど、努力を認められたようで嬉しくもあって下唇の内側を噛む。
ああ、なんて幸せなんだろう。たとえこのあと、「ここにあった紙知らねェか?」とマルコ隊長あたりに尋ねられて凍り付くことになったとしても、本望だ。……こわいけど。
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