チラリと時計を見遣れば、正午を少し過ぎた頃だった。どうりでお腹が空くわけだ、と頬杖をつきながらもはや習慣に近いため息を吐く。
 昼時だというのに人っ子一人来ない店で堂々と食べる昼食は、いつになく味気ない。
 もうこれは店を畳む以外に方法はないのかもしれない。というか、ない。

 天涯孤独の身である私は、物心ついた頃からとにかくがむしゃらに働いてコツコツとお金を貯めてきた。それでも人に自慢できるほどの額は貯まらなかったけれど、よくやく夢であった自分の店を持つことができた。
 そこまでは良かった。だけど、現実はそんなに甘くはなかった。
 持久戦になるであろうことを考えれば、私の貯めたお金では街外れどころか、そこからさらに離れに離れた小さな店舗を借りるのが精一杯だった。
 毎日のようにチラシを配り、時には街でのぼりを振り、他にも自分なりに思い付く限りの集客術をあれこれと試してみたけれど、どれも成功といえるほどの効果はなかった。
 そもそも、ラーメン大国であるこの国でラーメン屋を志したこと、それ自体が間違いだったのだ。
 街にはズラリと並ぶ老舗ラーメン店。うちに勝てる要素なんて一つもない。もちろん味には自信があるけれど、食べてもらわないことにはどうしようもないのだ。
 あまりの暇さからどんどん暗くなる思考に、ぶんぶんと頭を振りもう一度深くため息を吐く。
 今は仮にも開店中だ。先のことは閉店後に考えよう、と気持ちを切り替えるために大きく伸びをするとガラッと扉が開いた。

「っ、いらっしゃいませ!」

 慌てて伸ばしていた腕を引っ込めて、「お好きなお席へどうぞ!」と本日一人目のお客様を満面の笑みで迎える。

「この国はラーメンが盛んなのかい?」

 カウンターに腰掛けてそう聞いてくるお客様にお水を渡しながら「そうですね」と答える。

「結構有名で、この国のラーメンを食べに遥々遠い海からやってくるお客様も少なくないですよ」
「へェ。そりゃ楽しみだな」

 注文を受けて作っている間にも色々とお話をして、どうやら旅のお方であることがわかった。
 どういう経緯でうちの店に来てくれたのかはわからないけれど、とにかく久しぶりの来客が嬉しくて腕が鳴る。

「はい!おまちどおさまです!ラーメンもすぐ出来ますからね」

 先に出来上がった特盛のチャーハンと餃子を持っていくと、背後から聞こえる「いただきます」の声。そしてそのすぐ後には「うめェ」の一言。
 それだけでさっきまでの鬱々とした気持ちが一瞬で晴れてしまうのだから不思議だ。あぁ、料理人をやっていてよかったと心の底から思えて思わず頬が上がる。
 湯切りを終えた麺をスープに入れ、具材をのせて完成したラーメンを運ぶと、そこには何故かチャーハンに顔面からダイブして突っ伏すお客様の姿。その手には器用にレンゲが握られていて、微動だにしない。
 一体あの一瞬で何が起きたのか。サーッと血の気が引いて頭はパニックを起こし、心臓は吐き気がするほど激しく鼓動する。

「あ、あの……お客さん……?」

 声をかけても返事はなく、ラーメンを持つ手が震える。彼は死んでしまったのか。そればかりが頭を巡り動きを鈍らせる。だけどきちんと確認しなければ……。ゴクリとひとつ息を呑み、そっとカウンターにラーメンを置く。

「あ、あの……お客さん……?」

 今度は肩を揺すりながら声をかけてみるも、やはりぴくりともしない。

「お客さん……!大丈夫ですか!?」

 強く肩を揺すってさっきまでより大きな声で呼び掛けてみる。それでもやはり反応はなく、いよいよ緊急事態であることを理解した。
 まずは医者だ。医者を呼ばなければ。
 そう思って慌てて駆け出そうとしたとき、「ぷほ!?」と自分ではない誰かの声が店内に響いた。
 振り返ると、さっきまで呼ぼうが揺すろうが何の反応も示さなかったお客さんががばっと顔を上げていた。

「だだだ、大丈夫ですか……!?」

 慌てて駆け寄ると無言でしばらくじぃっと見つめられたあと、グイッとエプロンの裾を引っ張られた。そして何の迷いもなくそのエプロンでゴシゴシと顔を拭い、ふぅと息を吐いたお客さんをただ呆然と見つめる。

「いや〜、まいった。寝てた」
「……えぇっ!?だ、大丈夫なんですか!?」
「あァ、わりィわりィ。うまいメシを食うとたまにあるんだ」

 気にしないでくれ、と食事の続きを再開させながら何でもないことのように言われたけれど、本当に大丈夫なんだろうか。未だドキドキと嫌な音を立てる心臓はとても気にせずにはいられないだろう。

「おっ、ラーメンできたのか!」

 彼の言葉にはっとして、もう既に彼の手元にあるラーメンへと目を向けると、すっかり汁のかさは減り明らかに麺が伸びてしまっていた。

「あっ、あの、よかったら作り直しますよ?」
「ん?あァいや、大丈夫だ。どうせまだ食うしよ」

 そう言ってズルズルッと麺を一口すすり、次いで汁を一口飲んだ彼はまたピタリと動きを止める。
 その姿にさっきの事件ともいえそうな衝撃的な場面を思い出して心臓がキュッと絞られたように痛む。
 いくら少し冷めてしまったとはいえ、ラーメンに顔を突っ込んではさすがにただでは済まないだろう。
 ずっと真横に立たれているのは不愉快かもしれないけれど、どうしても動く気にはなれなかった。

「あ、あの……大丈夫、ですか……?」

 失礼かと思いながらも恐る恐る顔を覗き込みながら聞くと、ピタリと固まっていた彼がどこかハッとしたように「あ、あァ」と短く答えた。

「やっぱり麺伸びちゃってますか?作り直しましょうか?」

 出過ぎた対応だとは思うけれど、何となくさっきの一件で勝手にぐんと距離が縮まったような気がしてつい話しかけてしまう。……他にお客さんもいないし。
 さすがにこれで最後にしようと彼の返事を待つと、彼は「あーいやいや、そんなんじゃねェんだ。お気づかいなく」と慌てた様子で片手を上げた。

「ただなんつーか……懐かしい味がしてね」

 そう言って柔らかく笑った彼はまたラーメンを食べ始める。

「懐かしい……ですか?」
「ああ、ガキの頃に食ったラーメンの味によく似てるんだ」

 他の店の味に似ていると言われることは、料理人にとって決して名誉なことではないのかもしれない。けれど、そう話す彼の顔は私にとってはとても価値のあるものに思えた。
 美味しくなかったわけではないことと、睡魔に襲われたわけではなかったことに安心して「そうですか」と笑うと、恐るべきスピードでラーメンと残っていたチャーハンを平らげた彼から「おかわり」と嬉しい注文をいただき、慌てて厨房へと戻る。

「……ふぅ。ごちそうさん」

 普段の一日の売り上げの何倍もの量を一人で平らげたお客さんは、カウンターに置いてあった爪楊枝を片手に食事の終わりを告げた。
 途中何度も寝てしまう彼からはとにかく目が離せなくて、作ったラーメンの数以上の疲労が頭と肩に押し寄せてきているけれど、それでもこんなにたくさんの量を食べてもらえたのは初めてのことで幸福感にも似た嬉しさで胸がいっぱいだった。

「ところであんた、海賊にゃ興味ねェか?」
「え?海賊……ですか?」

 片付けをしていると、唐突に投げ掛けられた質問に首を傾げる。そんな私に彼は「そ」と短く答えた。

「ない……ですかね?」
「そうか。そりゃ残念だ」

 生まれて初めて聞かれた質問に、深く考えることなく答えると何故か彼は"残念だ"と言った。

「残念……?あ。もしかしてお客さん、海賊の方ですか?」

 会話の流れからしてきっとそうだろうと思って聞けば、案の定彼から返ってきたのは肯定の言葉だった。
 確かに最初からただの旅人とは少し違うなとは思っていたし、何よりこの時代だ。特に驚くことはない。

「ところがおれの船にはまだコックがいねェんだ。だから今コックを探しててね。あんたさえよけりゃ、って思ったんだ」
「あー……なるほど。そうだったんですね……って、えっ?さっきの、私勧誘されてたんですか?」
「そういうこと」

 まさか海賊に勧誘される日が来るとは思っていなくて、驚いて目を丸くする私に対して、彼は至って落ち着いた様子で続ける。

「海賊が嫌だってんなら、別に海賊にならなくたっていい」
「え、どういうことですか……?」
「あんたはただ料理人として、おれの船に乗ってくれればいい。そんで、世界中にあんたの料理を知らしめるんだ。な?悪くねェだろ?」
「は、はぁ……」

 "閃いた"というような顔で話す彼の言っていることは私にはさっぱりわからなくて、ただ流すように相槌を打つしかなかった。

「あんたさえよけりゃ一度考えてみてくれよ。おれァあんたのメシが気に入ったんだ」

 言いながら立ち上がって荷物に手をかけた彼は「そんじゃ、また来るよ」と言って出口へと向かう。そしてくるりと振り返って再度「うまかった。ごちそうさん」と言ってガラッと扉を開けた。
 あまりの衝撃に閉まった扉を呆然と見つめること十数秒。「ありがとうございました」を言い忘れたことに気が付いた。そしてもう一つ……。

「お代……もらってないんですけど……」


◇◇◇


 ──あれから数ヶ月。
 私は今、もう何度目になるかわからないラーメンを彼らに振る舞っている。

「んァ?なに笑ってんだ?」
「人生って何が起きるかわからないなーと思って」
「何だそれ」

 ふっと笑う彼の周りにはあの日と同じように大量に積み重ねられたラーメン鉢。
 あぁ、幸せだとふと思う。

「ねぇ、美味しい?」
「あァ、うめェ」
「よかった」
「いつか弟に……ルフィに食わせてやりてェ」

 まァあいつは味なんか覚えちゃいねェだろうけどな、と笑う彼に「ならそれまで腕を落とさないように頑張らなくちゃね」と胸の前で握り拳を作ってみせる。
 いつしか私の幸せは、彼らに美味しいと喜んで食べてもらうことになっていた。そしてそれはきっと、これから先もずっと変わらないだろう。

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