目が覚めると隣に彼の姿はなかった。ひんやりとしたシーツを撫で起き上がると、出掛けたのかと思われた彼は少し離れたソファに腰掛けていた。脚を組み、肘掛けについた手で頬杖をつく彼は無言でこちらを見つめていた。
「早かったのね」と乱れた髪を掻き上げながらベッドから下りると、机の上に置かれた箱が目に入る。ラッピングが解かれ、蓋の開けられたそれには真っ赤なピンヒールが入っていた。

「お前に、だ」

 ドクンと心臓が大きく脈打った。
 彼から贈り物をされることは決して珍しいことではない。服に宝石、望めば人の命だって手に入った。しかし、今の今までただの一度も靴だけは贈られたことがなかった。
 真っ白に染まる頭で何か気に障ることをしただろうかと考えるが、わかるはずもない。だってこれはきっと彼の気まぐれなのだから。

「ありがとう。とっても嬉しいわ」

 溶け出すように溢れそうになる何かを瞬きで閉じ込めて笑みを浮かべる。

「そうか」

 広すぎる部屋に彼の静かな声が響く。こんな時でさえ瞳を見せてくれないなんて、随分愛想のない人である。
 ふっと小さく息を吐き、起き抜けに履くにはあまりに美しいそれをそっと床に置く。
 今までに履いてきたどんな靴よりもピッタリと足に合うそれは、僅かに視界を歪めるとともに言い様のない苛つきを連れてきた。
 ぎりと奥歯を噛み締めて、コツコツといい音を立てるそれで彼に近付く。

「この素敵な靴で一体どこへ連れて行ってくれるのかしら?」

 少しは意外だったのか、口を真一文字に結んだ彼に緩く唇の端を持ち上げる。

「言っておくけど、私から離れていくつもりはないわ。離れるならそっちから離れて」

 どうせ最後なら言いたいことを言ってやると真っ直ぐに彼を見つめながら言うと、彼はまいったとでもいうように片手で顔を覆い笑った。

「せっかく逃がしてやろうってのに──まったく、馬鹿な女だよ、お前は」

 喉の奥から絞り出すように笑った彼は、また頬杖をつき、いつものように唇を歪めて軽快な手振りで話す。余計なお世話よ、と開こうとした口は、彼に抱き上げられたことによって何の音も発することなく閉じてしまった。

「骨の髄まで愛してやるよ」

 相変わらず分厚いレンズに隠れたままなのに何もかもを搦め捕るような瞳に見つめられ、どろどろとした低音が脳を痺れさせる。気まぐれに捨てようとした女に与えるにはあまりに甘美で刺激的なそれは、どこか弱々しく愛おしかった。

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