辺りが急に暗くなって、見上げれば空を覆う真っ黒い雲。いかにもなそれにげ、と顔を顰めると、不自然なヒヤッとした風が吹き、ゴロゴロと不穏な音まで聞こえてきた。
 降る!と逃げ場を探そうとしたときには手遅れで、ぼたっと大粒の雨が次々に石畳を濡らした。

「ひゃー」

 苦し紛れにおでこのところに手で屋根を作ってぱたぱたと駆け出す。
 一通り街を見て回って、一旦船に戻ろうとしていたところで突然の大雨。どこかへ入ろうにもお昼に散々食べ歩いたせいで手持ちは心もとないし、店先で雨宿りするにはすでに服はそこそこ濡れている。
 もういっそこのまま船まで走ろう、と水飛沫をあげて走ること数分。ビカッと鋭く空を切り裂いた紫色の稲光を見て、心が折れた。

「ねぇ!」
「あ?」
「どうせもう全身びしゃびしゃだし、走らなくてもよくない!?」

 半歩前を行くエースの腕を引いて言えば、なに言ってんだと呆れたような顔をして振り返った彼が、今度は驚いたような顔をして急激にスピードを落として止まる。

「お前っ、それっ……!」

 勢い余って二、三歩彼を追い抜いたところで止まって振り返ると、わなわなと口を開け閉めしてもつれる言葉にイラついたように小さく空気を叩きながらこちらを指差す彼。なんだなんだと首を傾げて、彼の視線と指差す先へ目を向ける。

「わー」

 雨に濡れべっしょりと体に張り付いた服は胸元をくっきりと浮かび上がらせ、透けてこそいないものの下着のラインまで丸わかりになっていた。
 とはいえ正直、何か隠せるものはないかとわたわたと自分の装備を確認してくれている彼ほどの焦りやショックはないのだけれど、気づいたからにはとぐいと胸元の服を引っ張って形ばかりの対策をしてみる。しかし、離せばすぐに戻る服。
 まぁこれだけ雨が降ってれば誰も見てないし、そもそも透けているわけでもないしと自分の中で消化して思考を切り替えようとしていると、突然がっちりした体に覆い被さられた。ぎゅうと背中を引き寄せる腕に目をぱちくりさせていると、バシャバシャと水溜まりを蹴る音が近くを通り過ぎていった。

「バカ」

 いや、バカはひどいと思いつつ何も言えなかった。濡れた素肌から伝わる熱が少しだけ胸を落ち着かなくさせる。バシャバシャと家路を急ぐ人たちの足音はそこら中から聞こえるのに、私たちの周りだけまるで時間が止まったよう。バタバタと近くの店のオーニングを叩く雨音さえどこか遠く感じる。

「エ──」

 何か話さないと、と私が口を開くのと、エースがべりっと私を引き剥がすのはほぼ同時だった。

「持ってろ」

 そう言って胸元に押しつけるように渡されたのは、彼の帽子。私たちと同じようにぐっしょり濡れたそれを受け取ってきょとんとしていると、ふわりと体が浮いた。

「ぅわ、ちょっと!?」

 ほとんど無意識に帽子を抱えて彼の首に腕を回す。

「……こっちのほうが恥ずかしくない?」
「見えるよりはマシだろ」

 どうやら今日の彼とは意見が合わない。
 首を捻る私を無視してバシャバシャと走り出した彼にお姫様だっこされながら煙る街を行く。

 ぴょん、ぴょんと軽快に屋根の上を移動する彼を見上げる。雨に紛れてぽちゃぽちゃと彼のあごや髪を伝ったしずくが落ちてくる。
 自分にはできない動きと速さで内臓は浮きっぱなしだし、つぶさないようにふわりと片手を添えているだけの帽子はすぐに飛んでいってしまいそうになるし、顔面に直接降り注ぐ雨はかなりうっとうしいけれど、つい「えへへ」と笑いがもれた。

「なに笑ってんだよ」
「いや、こうしてるとなんかエース王子様みたいだなーって」
「王子だァ?おれが?」
「うん」

 慣れないお姫様だっこに浮かれたのか、彼のそばを降る雨はキラキラと輝いて見えた。きっと彼の優しさが沁みてきたせいでもあるし、雨に濡れた彼がかっこいいせいでもあるけれど、頬が緩んで仕方ない。そんな私を一瞬だけちらりと見た彼は、ハ、と鼻で笑って強く踏み切る。

「ずいぶん手のかかる姫を見つけちまったもんだ」

 にやりと悪戯な笑みを浮かべて、着地するなりまたまばらに人が駆けていく道を行く彼をひどい顔で見つめる。せめて屋根から飛び降りるときくらい声をかけてほしい。

「ねぇ、腕疲れない?」
「疲れねェよ」

 そっか、とお言葉に甘えてピカピカ光る空を見る。肌や睫毛を伝うことなくストレートに目に飛び込んできた本日何度目かの雨に小さく肩を跳ねさせて、学ばないな……と絞り出すように目を瞑っていると、どこからかゴーン、ゴーン、と鐘の音が聞こえた。弾けるように目を開けて、ぺちぺちと彼の肩を叩く。

「たいへん、王子様!急がないとお夕飯の時間に遅れてしまいますわ!」
「おーおー、食い意地の張った姫だな」
「あら、お嫌い?」
「きらいじゃねェよ」

 ちょうどいいネタを拾ってきゃっきゃとふざけている間にも、雨脚は強まっていく。

「そこは好きだって言ってほしかった!」
「うるせェ!黙ってろ!」

 近くにいても声を届けるのが困難なほど強い雨の中、叫ぶように笑い合って、荒れ狂う海を目指した。

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