気にかけてもらえることがうれしいのは、本当。自分のために時間を割いてもらえることがうれしいのも本当。どんなことであれみんなで集まってご飯を食べてお酒を飲むのが楽しいのも、その中でみんなの笑顔が見られるのがうれしいのも本当。
 全部、本当。だけど──いつしかそんな明るく幸せな感情だけではなくなってしまったのも、本当。
 トイレの帰り、吐いたため息は無意識だった。

 歳を取った。
 いやでもそれを実感させられるこの日が少しだけ憂鬱になったのはいつからだったか。
 疲れ知らずだった体は無理をするとしっかり翌日にも疲れを残すようになったし、何をするにも頭で先に考えてしまうようになった。
 激しく感情を揺さぶられるようなことが嫌ですぐに疲れてしまうから、できるだけ感情が動かないほうを選ぶようになった。
 体についた肉は落ちにくくなってきたし、気を抜けばお肌の調子だってイマイチ。傷の治りも遅い。
 お酒だって弱くなってきたし、選ぶ服だって変わってきた。

 昔は無限に続くように思えていた人生の終わりがすぐそこまで迫っているような気がするときがある。
 別に人より長く生きたいとは思わないけど、ふとむなしくなる。
 いつの間にこんなに時が経ってしまったのか。

 一瞬とはいえ楽しい空間から離れてひとりになったから、ある意味気持ちが落ち着いて憂鬱な思いのほうが勝ってしまったんだと思う。
 無意識に吐いたはずだったため息を意識したのは、偶然居合わせたらしいエースの顔が「どうした」と聞いているようだったから。

「腹でもこわした──わけじゃねェよな。飲みすぎたか?」
「ううん、大丈夫。ごめんね、ありがとう」

 くだらないことだし話す必要はない、このまま席に戻ればいいと思う自分と、くだらないことだからこそ余計な心配をかけないようにここで軽く話してしまうべきだと思う自分がいた。
 彼の顔を見て、「ただ──」と口を開く。へらりとゆるめた表情はそのままに。

「歳取ったなぁって」
「は?」
「誕生日がさ、うれしいことだけじゃなくなったのよ。みんなに祝ってもらえるのはめちゃくちゃうれしいし楽しいけど。歳取ったなぁって思うと、なんかね」

 まあワカモノにはわからないだろうけどっ!と、深刻に受け取られないように声を弾ませ茶化す。自分の口から『若者』なんて言葉が出てくるとは思わなかった。でもきっとこれからどんどん使い慣れていくんだろう。だって今は確かに、彼と私の間ではその単語を使わざるを得ない年齢差があるように思えた。

「まだそんなトシじゃねェだろ」
「ん〜まぁね、そうなんだけど」

 自分も散々本心から使ってきた返しだけど、立場が逆になるとなんとも言えない気持ちだった。
 気を遣わせて申し訳なくて、居た堪れない。そしてそんな卑屈になる自分がどうしようもなく嫌だった。

「……お前、前におれに言ってたこと覚えてるか?」
「なに?」
「誕生日を祝うってのは『好きだ』とか『大切に思ってる』?ってのをそいつに伝えるためだってやつ」
「──あー」

 それはいつかの彼の誕生日──私は確かにそんなことを言った。
 自分の誕生日を「何がめでたいんだ」とぼやく彼に切なくなって、誕生日を祝うのはきっと普段言えない『好きだよ』とか『大切に思ってるよ』とかそういうのを『おめでとう』に込めて伝えるためなんだと言った。それはもちろん本心で、今だって同じ考えだ。

「うん。覚えてるよ」
「そうか。そりゃよかった」
「なんで?」
「いや」

 なんでもないと首を振るエースを不思議に思いながらも、彼がその話を覚えていてくれたのがうれしくて胸があたたかくなる。あの日、みんなで伝えた『おめでとう』はきっと彼に届いていた。

「だったら、……そんな顔してデケェため息吐いてんのはおかしいんじゃねェのか?」
「え?」
「歳なんてどうだっていいだろ。楽しいんなら、楽しい。それでいいだろ」

 つまんねェこと気にしてんじゃねェと言われて、わかっていたはずなのにはっとする。
 歳を取るのは当たり前のこと。環境や自分自身、いろいろなことが変わって以前のようにままならないことが増えたのは仕方がない。いくら嘆いたってそれは変わらない。
 だったら確かに私は一体何を気にしていたのか。
 考えたってしょうがないことを考えて気分が沈むなんてとてもつまらないことだ。
 戻った先にあるのはおいしい料理にケーキにお酒、そして大好きなみんなの笑顔。
 こんなにうれしくて楽しい気持ちに水をさすには、確かに年齢なんて到底力不足なのかもしれない。

「……ん、そうだね。そうかも」
「だろ?楽しくいこうぜ」

 せっかくのお前の誕生日だ、と一瞬どきっとするやわらかい笑みを向けられて、これじゃあどっちが年上かわからないなと苦笑いする。だけど単純なもので気分はすっかり上向いていた。

「うん。ありがとう」
「おう」
「じゃあ〜……戻りますかっ!」
「ん。あ、まてその前に──」

 今日くらいは久しぶりに明日のことなんて気にせずたんまり飲むか!と気合を入れて伸びをしていると、『待て』と言ったエースがごそごそとポケットを探る。

「──ん」
「ん?くれるの?」
「おう。やる」
「えぇ〜!ありがとう!」

 差し出されたのは、手のひらサイズの可愛らしいデザインの缶。条件反射のように心躍るそれを受け取って、いろんな方向から見て可愛さとうれしさを噛み締める。

「あけていい?」
「おう」

 この感じだと中身はたぶんお菓子だろうと許可をとって開けると、たちまち広がる甘い香り。わあと思わず声が出た。好きな香りだった。
 中には、ひとつひとつキャンディのように両端をくるくるとねじって包まれたキャラメルが入っていた。まだ食べていないけど、この香りと厚めの白い包装紙からうっすら透ける色はたぶん間違いない。

 ふたつ取り出して、「一緒に食べよう」とひとつをエースへ。
 大事に缶を上着のポケットにしまうと、指先で持っていたキャラメルにぺちともうひとつのキャラメルがぶつけられた。『乾杯』とでも言っているようなそれに隣を見ると、またやわらかい顔。

「誕生日、おめでとう」
「ありがとう」

 ぱくりと同時に食べて、思っていた通りのほっとする甘みを味わいながら、空になった缶には何をいれようかと考えた。

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