今日は、雪が降っていた。
 クローゼットの中で一番厚いコートを着て、マフラーに半分顔を埋めて、手袋をはめた手をポケットに入れて眺めていたそれは、ちらちらと世界を彩るだけで積もりはしなかった。


「なァ」

 ぶるりとひとつ身震いをする。寒いからではない。ふいに、彼の吐息が耳を撫でたから。

 積もらなかった雪は、寒さだけを残してやんでしまった。
 冷えた体をあたためるようにといれてもらったホットミルクを持って、部屋に戻った。

 ──寒かったね。雪が積もらなくて残念だ。
 ──ホットミルクの甘さが絶妙でおいしい。
 当たり前のように、ベッドに座る彼の脚の間におさまって、そんな話をしていた。
 雪は積もらなかったけれど、案外気分は高揚していた。
 冷める前に飲みたいと、湯気の立つままひと息に飲み干してしまった彼につられないように、両手で包んだマグをちびりちびりと傾けて底が見えかけた頃、彼がぽつりと言った。

「好きだ」

 私も、好き。
 そう瞬時に返せたらよかったけど、なぜだか思ったよりも驚いてしまって、「……うん」とただ小さく受け取ることしかできなかった。
 すぐに失敗したことには気付いた。
 だけどタイミングを逃してしまったそれは、口にするのにとても勇気がいった。
 さっきまでよりも静かに流れる時間は居心地が悪くて、なんとかしたいと思うのに、くだらない話ひとつ浮かばない。
 じんじんと熱を取り戻していた指先が、また冷えていく感覚がした。

 結局、彼からお前はどうなんだと聞かれるまで何も言えず、そわそわと熱の消えたマグを撫でることしかできずにいた。
 しかし、閉じていた口はそんなチャンスに恵まれてもうまく動いてはくれなかった。
「す……」そう言ったきり先を紡がない私に痺れを切らした彼からは「なぁ」「おい」と容赦なく催促されるけど、今の私にはどうしてももう少し時間が必要だった。

「おれは言ったんだ。お前だけ言わねェのはずりぃ」

 また、耳元で声がする。ああ、妙なところで照れていないで素直にさっき言っておけばよかったと思う。
 脳が揺さぶられる。
 彼の言っていることはもっともで、わかっているけど、応えられない。

 私は、彼の声が好きだった。
 まったりとした伸びのある声。
 いつもはもっと軽快な響きをするそれが、今は低く吐息がかっている。
 ずるいと言うなら、彼だってずるい。
 私が好きだと知っていて、それをこうやって意地悪く利用するのだから。

「なぁ、どうなんだ?」
「う、ん……」
「ウン?それじゃわかんねェ」
「え、す……それ、やめて……」
「なんだよ、ただ話してるだけだろ?」

 相変わらず声は低いまま、しかし静かに笑う彼は完全に楽しんでいる。拗ねてるくせに、と悔しくなるけど文句は言えない。無駄に口を開けば、途端に情けなく力の抜けた声がもれ出てしまいそうだった。好きなものの過剰摂取はよくない。脳が揺さぶられて、何も考えられなくなる。
 逃げ出したいと身を捩っても、させないとばかりに拘束が強まるだけ。頼もしい腕は、こういうときには厄介だったりする。

「……いいだろ。聞きてェんだ、お前の口から」

 なぁ、なまえ──。と名前が呼ばれる。
 その甘く切ない声に脳はふやけ、胸が締め付けられる。

「どうなんだ。好きなのか、嫌いなのか」
「す、き」

 ぎぢ、と噛み締めていた奥歯を離してやっとの思いで紡いだそれに、彼が小さくふ、と笑う。

「よくデキマシタ」

 悔しいくらいにいい声でそう言った彼は、満足そうに私の耳に歯を立てた。

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