角砂糖の誘惑

 バレンタイン。
 遠い極東の地ではかつては女性が意中の男性に想いを伝える為にチョコレートを贈る日だったという。地上を荒ぶる神々が闊歩し、また厄災によって様々な文化や技術が失われてしまった現代においてはそのイベントがどこまで残っているか定かではないし、仮に残っていても形は原型を留めぬほど変わってしまっているかもしれないけれど。
 ——というのは全てダスティミラーのオーナー、アインから聞いた話である。まだフェンリル本部が存続していた頃、極東支部の神機使いだった彼が極東地域の文化や風習に詳しいのは納得だ。

「ユウゴ、はい」
「これは……チョコレート、か?」
「そう。リカルドの仕事を手伝ったらお礼にってくれた。……今日はそういう日だと、アインから聞いたからユウゴにあげるわ」

 片思いの相手。恋人。友達。家族。仕事の仲間。その他にも様々な想いを込めてチョコレートを贈る、らしい。
 本来なら自分で購入すべきなのだろうが、生憎チョコレートの善し悪しなど分からない。
 手作りも材料を用意する必要があるし、そもそもお菓子など生まれてから一度も作った記憶がない。失敗して材料を無駄にしてしまうのは出来れば避けたい。
 何よりバレンタインというものを知ったのはつい一時間ほど前のことである。そこから自分でチョコレートを用意するのもハードルが高い。
 ……人から貰ったものをそのままユウゴにあげるのは、とも思ったがリカルドなら恐らく笑って許してくれるだろう。多分。きっと。

「お前がこういうとき律儀にプレゼントしてくれるのは珍しいな」
「ペニーウォートにいた頃はそんな自由もなかったもの。任務中にプレゼントになりそうなものを漁っても、看守に見つかれば没収だし」
「まあ、それはそうだが……それにしたって他人にプレゼントしたりするの好きなタイプでもないだろ?」
「……そうね。だけどユウゴは私にとって昔から特別な人。今日はそういう人にこそチョコを渡す日」

 特別な人に特別なことをする、なんて自由は今まで与えられていなかったけれど。
 訳も分からないままペニーウォートに連れて行かれて、適合試験を受けてAGEになったあの日から今日まで心が折れずにいられたのは幼馴染であるユウゴが隣にいてくれたからに他ならない。
 ハウンドの鬼神という、ユウゴの懐刀としてではなく。ただの幼馴染としてユウゴに救ってくれた恩を返したいと思っていたのだ。

「迷惑だった、かしら」
「いや、そんなことはない。仕事以外でお前からそういう風に何かしてくれることが新鮮だっただけだ」

 自主的に何かをする、ということ自体得意ではない。
 バレンタインという行事を知って行動に移した今も本当にこれでいいのか、彼にとっては迷惑ではないか、気になってしまう。

「——ユウゴが少しでも喜んでくれたら、私も嬉しい」

 目の前のこの人が与えてくれた幸福と比べると小さなものではあるけれど、ほんの僅かでも何かを返せていたら幸せだ。