ノルンの故郷ではバレンタインは極東ほど馴染みのないイベントであった。
それ故にノルンは幼少期にバレンタインを経験したことはなかったし、極東支部で意中の男性に女性からチョコレートを贈る風習があることを知ったときは驚いたものだ。
——尤も、最近は友達同士でチョコレートを交換したり、いつも頑張っている自分の為にチョコレートを買うということもあるようだが。
そもそもどうして極東のバレンタインはチョコレートなのだろうか、という疑問はある。花でも何でも良い筈だし菓子類にしたって例えばクッキーやマシュマロでも良い筈だ。
チョコレートは決して嫌いではないし、素敵な風習だとは思うのだけれど。
「というわけで、みんなでバレンタインのチョコレートを作ろう!」
「というわけで、と言われましても」
「心配しなくても材料は全て揃えてあります」
「道具の準備も万端だ、安心してほしい」
ナナの提案でブラッドの男性陣の為にバレンタインのチョコレートを作ろう、という話なったのはほんの少し前だ。
シエルとリヴィも交え、チョコレートを使ったクッキーを作ろうということらしい。
確かにブラッドのみんなにはお世話になっているからバレンタインにお菓子を贈る、ということに異論はないけれども。
「……わたくし、お菓子作りは苦手なのですけれど……」
「大丈夫、簡単なレシピを用意してるから!」
「レシピによれば材料を混ぜて型抜きして焼くだけのようです」
「それなら……何とかなる……のかしら?」
とはいえクッキーなんて殆ど作ったことはないし、混ぜて焼くだけと言われてもきちんと作る自信はあまりないのだが。
用意した材料をナナと一緒に混ぜて、その間にリヴィとシエルが次の準備をする。
はじめての経験。誰かと一緒にお菓子を作る、なんて今まで経験したことはなかった。
——暫くして焼き上がったクッキーは自分が手伝ったとは思えないほどおいしそうに見えた。
「完成だな」
「みんな喜んでくれるかなぁ?」
「きっと喜ぶと思います」
みんなでひとつずつ味見してみる。……甘くておいしい。バレンタインに手作りのお菓子、なんて経験は永遠にないと思っていたけれど。
「ノルンはジュリウスにあげるのだろう?」
リヴィのそんな言葉に心臓が跳ねる。
——手作りのお菓子をいつかジュリウスに、と考えたことがないわけではない。しかしいざその場面を想像するとそわそわしてしまう。
「それは……その……いつもお世話になっていますし……バレンタインはそういう方へチョコを贈る日でもあると聞いていますし……」
だからジュリウスへ贈りたいと思うのも決して深い意味があるわけではないのだとノルンは視線を逸らした。
ジュリウスは朝から別の任務で留守にしていた。小型アラガミの掃討という、ブラッドに与えられる任務にしては難度の低いものだ。任務が終わったら所用で近くのサテライト拠点に立ち寄り、聖域で少し作業をしてから戻るという話は聞いていた。
そんなジュリウスの帰りを待ち続けて数時間。気分を落ち着かせる為にホットミルクを飲んでみたりもしたけれど、やはり緊張してしまう。
「……ノルン?」
ゲートのすぐ近くで右往左往していたノルンの耳に聞き慣れた声が届く。
その声が帰りを待ち望んでいた青年のものだと認識した途端、心臓が大きく脈を打つ。お帰りなさい、と平静を装って微笑むとジュリウスはただいま、と返した。
「ジュリウス、今日はバレンタインでしょう? ですからクッキーを焼いてみましたの。……ですから、その、ジュリウスも受け取ってくださらないかしら?」
小さな袋をおずおずと差し出す。
ああもう今にも心臓が爆発してしまいそう!