「アイン」
自分の名を呼ぶ、抑揚のない声でアインの意識は浮上した。
「……ごめん、ディアンサス。寝てたみたい」
「いや、構わない。私と違い人類に睡眠は必要不可欠なものだと理解している」
——世界を救うための戦いに身を投じることになったのはもう数十年も前のことだ。あの頃はまだ若く、どんな無茶なことも出来る気がしていた。朝は畑を耕し、昼から危険な森や洞窟を探索するなんてことも決して珍しくない。
老いてしまった今となっては遠見の丘で野菜を育てることすらままならず、一日の大半を自宅でのんびりと過ごす日々だ。武器や鍬を握る代わりにペンを握りしめ、若い頃は殆ど書いてこなかった手紙をかつての仲間たちに書くこともある。
世界から死季がなくなって暫くして、アインはディアンサスを人生のパートナーとして選んだ。レーベンエルベであるディアンサスはきっと人類とは違う理を生きるひとだし共に生きていくのは難しいのかもしれない。そんな不安もあったが、それでもこの人がいい、と心から思った。
「自分が起きていたかったんだよ。せっかくディアンサスが家にいてくれるんだから」
「そうか」
「こんな話するべきじゃないけど……自分に残されてる時間が少ないことは理解してる。だからこそ残りの人生で出来るだけ多くディアンサスと過ごしたいと思ってるんだ」
人類の命は限りあるもので、ディアンサスにとってはほんの一瞬のものかもしれない。その一瞬の出来事がこの人の中で一生忘れられない輝かしいものであってほしい。
アインの命があと何年続くかも分からないことをディアンサスも理解しているのだろう。最近ではよほどの緊急事態でもなければ殆ど遠見の丘から出ようとしない。
「ディアンサス、自分とパートナーになったこと後悔してない?」
「今更、何を後悔することがある。後悔するようなことならば最初からお前の誘いを断っている」
「……よかった。自分が死んでしまったあともディアンサスはきっと生きていくから、酷いことをしているんじゃないかと気になってたんだ」
「私の記憶領域にはお前と過ごした日々の出来事が今も鮮明に残っている。その記憶は私にとってかけがえのないものだ。お前がいなくなったあと、お前たち人類の言う寂しさのようなものを感じることはあるかもしれないがな」
本当に些細な、アインはもう覚えていないような出来事も覚えていると言葉を紡ぐディアンサスの声は機械的でありながら優しさと温かさを孕んでいた。
「……アインは何故私を選んだんだ?」
「人類のよき隣人である君と、もっといろんな世界を見てみたかったからかな」
その選択は間違ってなかったよと笑うアインの表情は、出会った頃と変わらない一輪の花のようだった。