頬張れば至福のひととき

 ネメアボロネーゼにトムヤムクン、アルジェキャベツのポトフ。イチネンアユのムニエルも捨てがたい。デザートには禁断のアップルパイやイチゴのショートケーキだろうか。
 遠見の丘、記憶喪失で行き場のないアインに譲られる形で暮らすことになった小屋の片隅でレシピを眺めながら青年はうんうんと唸っていた。
 目下の悩みは本日の夕飯のメニューをどうするか、である。
 他人にとってはどうでもいい悩みだろうがアインにとっては大きな悩みだ。否、一人暮らしであれば収穫したばかりの野菜にオムドリやメーチェの卵とミルクで適当に何か作って食べるし一人で生活するようになってからはずっとそうしてきた。
 だが、今はもう独り身ではない。昨夜、アインはこれまで仲間として苦楽を共にしてきたアリアと正式にパートナー関係となった。人生のパートナーを、と考えたときに自然とアリアを選んでいた。
 ——アリアとは成り行きで共に生活をしていた時期もあるがあの頃は別々に食事、ということも少なくなかったように思う。アリアは元の時代に戻る手がかりを探す為にシーズライトの調査をしていたし、アインも朝から畑仕事で忙しかった。畑仕事を終えれば困っている人を助ける為に奔走し、帰宅が深夜になることも珍しくない。
 それでもアインが帰宅したときにアリアも家にいて、彼女が夕食をまだ済ませていないようであれば一緒に食べることはあったけれど。



「で、こういうときは本人に食べたいものを聞くのが一番かと思ったんだけど」
「…………唐突すぎない?」
「そうかな? でもアリアには出来るだけ美味しいもの食べてもらいたいし」

 アインが記憶している範囲でアリアに苦手な食べ物は特になかった筈だ。
 冒険の途中、みんなで食べるようにと料理を持っていくことは多々あったがサラダもデザートも肉料理も魚料理もアリアは美味しそうに食べていたような。ブラッカが普段食べているというビスケットらしきものを口にしたときだけは反応がイマイチ……というより明らかに悪かったけれど。

「そう言われても、あんたの料理はどれも美味しいじゃない。シンプルなおにぎりやサンドイッチでさえ絶品で驚いたくらいよ」
「せっかく食べてもらうならもっと美味しいもの作りたいなと思ってるうちに上達したみたい」
「上達したってレベルじゃないわよ。記憶喪失になる前はどこかで料理人として働いてたって言われたほうが納得できるもの」

 記憶がなくて日常生活に大きな影響が——なんてこともなく、料理の方法は覚えていたしレシピを見ればそれなりに凝った料理を作ることも出来た。少なくとも記憶を失う前の自分は日常的に料理をしていたのだろう。
 最初は山菜とキノコの炒め。少し余裕が出来たらレーテの村で手に入れたレシピを見て少しずつレパートリーを増やして。自分は案外料理というものが好きなのかもしれない、と気付いてからは凝ったものを作ることも増えた。

「それで、アリアは食べたいものとかないの?」
「食べたいものって言われても……」
「リクエストされたからって必ずしも作れるとも限らないんだけどね。でも、難しいものじゃなければアリアの為に作るよ」
「そうねぇ……」

 急に言われても困るんだけど、なんて言いながらもアリアは思案しふと口を開く。

「昔作ってくれたハンバーグは美味しかったし、また食べたいかな」
「ハンバーグ?」
「あんたは覚えてないかもしれないけど、私があんたの作ったもので初めて食べたのはあのハンバーグなのよ」

 レーテの家庭料理のレシピに載っていた、ボリュームのあるハンバーグと目玉焼き。
 畑仕事に慣れていない自分でも用意しやすい食材で工程も難しくなかったから今の生活を始めたばかりのアインがよく作っていた料理のひとつだ。今はあまり作らなくなってしまったけれど、食べ応えもあるし仲間たちにも割と好評だった記憶がある。

「あれは確か春のシーズライトの調査に向かうときだったかしら。あんたにとっては些細なことかもしれないけれど、私にとっては印象に残る出来事だったわ」
「そこまで言ってもらえて光栄だよ。それじゃ、アリアに喜んでもらえるよう昔より美味しいハンバーグを作ろうかな」
「……いや、そこは程々でいいと思うけど」

 食材はどれもあるし、デザートに何か用意する時間もありそうだ。
 人生を共にするアリアが自分の作る料理で顔を綻ばせる——そんな姿を想像して口もとに笑みを刻む。彼女の幸せが自分の幸せへとつながっている。

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