「あー、重かった……調子に乗って買いすぎた」
 もうすぐ着くという連絡から数分後、大きい買い物袋を三つほど携えた篠崎がインターホンを押した。受け取った袋の中には多量の食べ物が入っており、ずしりとした重さを感じさせる。よくもこれを持って歩いて来たものだ。



 毎週末恒例と化している俺の家での酒盛りは、最近では飲酒以外にも篠崎が料理を作り俺に提供する場となっていた。事の発端は崩壊している食生活が篠崎にバレたところからだ。朝は缶コーヒーと適当な菓子パンを出勤途中のコンビニで。昼は社員食堂で、メニュー表の端から端までを日替わりで順番に丼物を。夜は出勤途中に寄ったコンビニに再度寄り弁当を買う。以前の三食まともに食べていない時期と比較すると褒められるべき生活改善なのだが、どうやら篠崎的にはまだまだらしい。
 栄養!炭水化物ばっか!茶色い!と、あまり意識していなかったポイントを呆れられたり、食事に対する認識を正されるやりとりは、思ったよりも心地よい。親とも、目上の人間とも違う、ある種の思いやりを孕んだ言葉達を真摯に受け止めていると、突然なされた提案がこれだ。

 週末に平日分は賄えそうなほどの品目を俺の家で作り、その日の内に食べきれない分はタッパーに入れてくれる。甲斐甲斐しく、友人である俺のために行動を起こす篠崎は、一般的な人間よりも遥かに優しい部類に入るのだろう。こいつの普段の時間の使い方や日々の多忙さを考慮して、俺以外の友人には同様のことはしてはいないんだろうが。それほどまでに周囲の人間と比較し俺の食生活は問題というだけかもしれないけれど、自分だけが特別であるという現状に良い気分になるのは否定できない。
「……重いな、どこから歩いてきたんだ?それに俺、迎えに行くから連絡してくれって言った」
「今日は普段のとこで買い物しなかったし、ここの近くだからいいかなと思って。いやでも普通に重かった……手が痛い……。次からは素直に連絡する」
 手のひらをブンブン振り回し、痛みに耐えている姿に健気さを感じる。
 相手が非力だとは思わないし、もしかすると俺よりも筋肉はあるのかもしれない。が、大人の男が摂取する食事量をこれだけ大量に持ち歩いて移動するのは相当の労力だろう。
来たばかりで少し休めば良いのに、椅子にすら座ることをせず台所へ向かう篠崎の後を追う。自分では使わない為、篠崎専用と化している台所は随分と調理器具が増えた。調味料も同様だ。消費期限のとうに切れた調味料が並ぶ棚を見て、共にスーパーに向かったのは記憶に新しい。
「よし、パパッと作るか」
 そう声をあげ気合いを入れる篠崎の横に立つ。普段は居間の畳の上に座り、料理を作る様を眺めていたが今日は隣に立ちたくなった。
「俺も手伝う」
「ほんと?何なら出来る?皮剥きやれる?」
「大丈夫だ。中学の調理実習でじゃがいもの皮剥き位ならしたことあるから」
「うんん?まあいっか。じゃあ、よろしくな」
 はい、と渡されたのは人参。じゃがいも。何を作るか問えばまず一品目は肉じゃがらしい。他にも数種類の品目名を挙げられ、頬が緩む。どれも俺が好きなものばかりだ。
 料理を覚えた子供が母親の手伝いをせがむよう、与えられた手伝いに真面目に勤しむ。
「篠崎、俺焼くのも出来る」
「んー……、んー……」
「なんならフランベってやつも出来る」
「いや、俺がやるから焼くのはやっぱいい。後多分お前のそれ、普通に危ないやつだから」
 きっぱりと清々しいほどに断られてしまった。料理に関してはあまり信頼が無いらしい。
 しゃりしゃりと皮を剥く音が心地よい。料理を共に作りながら自分より少し下の高さで動く肩を眺めていた。





「美味かった」
 冷たい水で食器を洗う。食後の処理までをも申し出た篠崎を制し、台所に立ち食事の感想を述べると篠崎はスマホを見ていた顔を上げた。
「大分お前の好きな味付け分かってきた気がする。後1ヶ月くらいあればマスター出来るかもな」
 ニカ、と効果音が付きそうな程の笑顔を向けられ目を細める。疑う事なく未来の話をされるのは自分との関係を長く続けたいという意思のようでうれしい。
 材料代の支払いは勿論、その他にも礼として何かをしたいと言うも「俺が好きでしていることだから」と中々受け取ってはくれない。これから先もこういう時間が続くのであれば、篠崎にも相応の何かをしてやりたいのだが。その何かが思いつかず、とりあえずとしてこうして食事後の食器洗いは俺の担当となっていた。
「今日は映画見るんだっけ?俺もいくつかサイトで面白そうなの調べてきた。ホラー?それともアクション的なの見んの?」
「あー……前言ってたのから消化したい」
「あいよ。前に言ってた……これだっけ」
「それだそれ」
 言いながら濡れた手を振り、テレビを操作する篠崎の横に座る。今の時代は動画配信サイトなんかで合法的に様々な映画を見ることが出来て便利だ。
 ぐい、と。敢えて篠崎と肩が触れ合う距離まで詰め寄ると、相手の身体が強張るのを布越しに感じた。しかしその表情は特に気にしていないと言わんばかりに平然を装っている。意地悪というわけでは無いが、更に距離を詰めてみた。びくり、と強張る体。
「あ、酒」
 気を逸らしたいのか、ぱっと冷蔵庫に視線を向けられる。そのまま立ち上がろうとする手を握った。
「……お腹いっぱいだから少し休憩」
「あ、うん……いいけど。なあ、なんか、さっきから近くね?」
「気のせいだ」
「そう……?」
 もぞもぞと居心地悪そうに座る姿勢を直す。じ、と視線を向けていると唇を尖らせて「なんだよ」と拗ねたような声をかけられた。なんでもない、と適当な返答をし更に距離を詰める。
「すんの?」
「何を」
「え、……さ、触りあいとか?」
「したいのか?」
「…………」
 きゅ、と服の裾を握られる。その手に手を重ねると、目を伏せて、ああやばい、かわいいな。正直そこまでする気は無かったが、据え膳食わぬは男の……の前にこれ以上虐めると篠崎が憤死しそうな気配を感じる。
 そのまま恐らくだが相手の期待通りに体重をかける、その後は、まあ、色々と。




「これはレンジで温めればいいし、あっちのは鍋に入れてのがいいかも。冷凍してるのもあるから、忘れないで食べろな」
「ん」
「聞いてんの?お前」
「ん」
 抱き締めたままそう返す。こう見えても篠崎の発言を聞き漏らしていないし、全て理解している。抱き締める理由は寒い、と言えば納得したようだった。
「何日かなら昼の弁当に詰めるだけの余裕はあるかも」
 その言葉に想像する。職場での昼飯でこの味を堪能出来るのであれば、その程度の苦労は惜しまない。
「とりあえず明日の分は弁当箱に詰めてみた、……から気が向いたら朝に米だけ詰めてろよ。……迷惑だったら、おかずだけ朝ごはんにでもして」
「迷惑なわけがない。ありがたく貰う。食堂使うよりも安上がりだしな」
「そ?……お前あまり金とか気にしなさそうだけれど、そういう出費って結構嵩張るからな。これを機会にってことで」
 じゃあもう帰るから、と玄関に向かう篠崎の行動を阻むように抱き締める腕に力を込める。本気を出せば抜け出す事も出来るであろうに、抵抗らしい抵抗は見せず腕の中に収まっている。
「俺明日仕事」
「知ってる……俺も仕事」
「また来週来るから」
 名残惜しいが腕の力を緩める。無意識であったが、多分俺は次の確約が欲しかった。ぼんやりとした未来についての話もいいが、明確な未来の約束を相手の口から聞きたかったのだろうか。篠崎といると知らない自分の一面を新たに発見することが多い。
 送っていく、と車の鍵を取りに一旦リビングに戻ったところで誰も居ない部屋に、少し寂しいと思ってしまった。






 月曜の夜。あの別れから24時間すら経過していない内に、俺の指はスマホの電話履歴欄を表示させる。発信、まもなく電話の繋がる音。
「もしもし、どうした?」
「弁当、作ってもらったもので準備しようとしたんだが、これ何をどうやって詰めるべきなんだ?」
「え、別に、好きにでいいんじゃね」
「いや、こう、なんかあるだろう、見栄えとか……映え?」
 そんなの気にすんのかよ、と笑い声が聞こえる。それから、俺なりに意識しているポイントだけどと前置きを置いて色々と教えてくれた。それを半ば右から左に聞き流しながら篠崎の声を楽しむ。
 誰も居ない部屋が妙に寒く感じた。だから声を聞きたくて連絡をしたなど、年上の男が年下の男に抱く感情ではないのは百も承知だ。何より友人であれば尚更。それでも確かにそう思ったのだから仕方ない。
 他愛もないやり取りの後、美味しかった、と電話で告げれば「うん」と俺にでも分かる嬉しそうな声が聞こえてきた。機嫌は良いらしい。
「来週何食べたい?って、まだ月曜日だけど」
「今度はお前に全部任せる」
「そしたら全部おにぎりになるけど?」
 他愛もない談笑の末電話を切る。そのまま布団に倒れ込み、冷蔵庫の中にまだ眠るそれらに想いを馳せた。今週末は俺も何か作ろうか、そんなことを思いながら。

はるのはこ