普段、中学生が利用する北門は、多くの生徒で溢れ返っていた。それも当然。今日は卒業式で、門の前では在校生たちが部活ごとに卒業生のお見送りをしている最中だった。

しかし私は、いや私たちは、1号館、別名海志館の屋上にある屋上庭園にいた。そしてそこから先輩たちに感謝の意を込めて寄せ書きやら花束を渡す在校生と、それを嬉しそうに、けれど少しだけ涙ぐみながら受け取る卒業生の様子を眺めていた。

「4月からはここの世話はもう出来ないのかあ」

屋上庭園にある花壇の前に屈みながら、少し寂しそうな表情でそう言ったのは、私をここに連れてきた張本人であるクラスメイトの幸村精市。彼が土を撫でるように触れているその花壇には、暖かい季節には咲き乱れていた数々の花の姿はなく、春に向けてチューリップの球根が植えられたのであろう形跡が残っているのみである。暖かくなってきたとはいえ、まだ肌寒い時期だからか雑草は一本たりとも生えていなかった。

「なんで?そのまま上がるだけなんだし、先生に頼めば出来るんじゃないの」

この屋上庭園の植物の管理や世話をしているのは幸村が所属していた美化委員会である。そして幸村は、一応当番制ではあったが、人一倍ここの水やりや雑草の処理などの世話を懸命にしていた。

そして立海大附属高校にも美化委員会は存在する。というより委員会は中学とほとんど変わらない。校舎もこの海志館から吹抜け廊下を渡った先にある2号館へ移るだけだ。だから担当の先生に頼めばあっさりとそれを了承してくれるに違いない。

「馬鹿だなあ。考えてもみなよ、中学生の校舎に高校生が一人でいたら、好奇の目に晒されるのなんてわかりきったことだろ。恥ずかしいじゃないか」

「はあ?」

何を言い出すかと思えば、恥ずかしいだと。
身長もそれなりに高く、さらにテニスで鍛えられたしっかりとした肉体を持っている割には言うことが女々しいぞ、神の子幸村精市よ。

確かに、海志館には中学生の教室の他にも和室や資料室があるとはいえ、高校生はめったに立ち寄らない。せめて着付部とか茶道部の人たちが部活の時に和室を利用するくらいだ。だからたまに高校生が歩いていたらどうしたのかと気にしてしまう。それが幸村なら尚更だ。1年生の頃からテニス部で活躍し全国制覇を成し遂げ、更には難病と言われた病気から無事復帰した彼は、この立海で随分と有名人になってしまった。彼が一人で中学生校舎をうろついていたら注目を浴びるのは必至である。そしてそれを彼は恥ずかしいと思っているようだ。なんだ、シャイなのか。

「でも和泉が一緒に行ってくれるんだったらいいかな」

「はあ?」

さっきからそれしか言ってないよ、と幸村は笑ったが、それは明らかにお前のせいだ。こいつはさっきから変なことばかり言う。同じクラスの部活の仲間たちと後輩たちの元へ行こうとしていた私をこの屋上庭園に無理やり引っ張ってきてから、だ。もしかして、幸村はこのことを言いたいがためだけに私をここに連れてきたのだろうか。彼の真意はよく掴めない。幸村が私と3年間同じクラスで、ただのクラスメイトよりは少し飛び抜けた存在だとしてもだ。

「ダメ?」

「別にダメじゃないけど…」

「そう、なら良かった」

ふわり、とでも表現したほうがいいのだろうか。そんな女顔負けの美しい笑みを幸村は浮かべた。テニスをしている時はこんな表情全くしないよなあ、と思いつつ、私は幸村のその笑顔が結構好きだったりするので私も少し嬉しい気分になった。一緒に屋上庭園へ行く、ということはきっと高校に上がったら私は美化委員会に入らなければいけない、ということだ。委員会活動は強制ではないため、中学の時は面倒くさがって委員会には所属していなかったのだが、まあ幸村と一緒ならいいだろう。

「フフ、高校でも一緒にいれるね」

私も幸村もこのまま附属の高校に上がるだけだが、そこでまたクラスが一緒になるとは限らない。受験戦争を勝ち抜いてきた外部生が仲間入りし、人数が増えるからその確率も当然低くなる。そして部活動はお互い中学の頃と同じものに所属する予定だからこれもバラバラ。私の関わりは自然と薄くなる。
まさか、幸村はそれを少しでも防ぎたかった?委員会だけは一緒のものに所属して学校での関わりを途絶えさせたくなかった?離れたら寂しい思っていた?私と、同じことを思ってくれていた?

「そうだね、一緒にいようね」

神の子と呼ばれ、多くの羨望の眼差しを受けていても所詮は15歳の男の子。幸村って、結構可愛いところがあるじゃないか。同い年の私にこう思われるのは相手にとって喜ばしいものではないと思う。でも私は不覚にも、そんな幸村が可愛くて、とてつもなく愛しいと感じてしまった。

「あれ、屋上にいるのってもしかして幸村部長と和泉さんじゃないっスか?おーい2人ともー!」

「…もう俺は部長じゃないのに、赤也ったら馬鹿だなあ」

「そうだね。…行こうか」

「うん」

どちらからともなく手を繋いで、私たちは屋上を後にした。そして後輩と、今日卒業を向かえた同級生たちの元へ駆け足で向かう。はっきりと明確な言葉にしなくても、繋がれたこの手が全てを物語っているように感じた。
そういえば、以前幸村に教えてもらったが、チューリップの花言葉には「愛の告白」という意味があったと思い出す。

言葉にしなくても伝わることはあるけれど、言葉にして伝えることは大切なことだ。屋上の花壇に植えられていた球根が綺麗なチューリップの花を咲かせたら、今度ははっきりと言葉にして、この気持ちを幸村に伝えてみようか。


春の花 チューリップ
花言葉:愛の告白


(2012/03/05)


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