「なに、するの……」

「ふふ、良いわね貴女。この私のチャクラをまともに喰らっても尚過剰に振る舞える精神力…貴女なら柱間の細胞にも耐えられるかしら…」

「逃げなさい……花琳ファリン…!」

「……さあ、貴女の家族はどいつもこいつも死んでいったわよ。…貴女はどこまで耐えられるのか、見ものね……」



第一章・誰が為に花は咲く



「…ふ、ぁ……」

きらりと輝く硝子のような美しい瞳。腕を上げてぐい、と伸びをした絃は、あくびを噛み殺したような声でベッドサイドの時計に手を伸ばす。

けたたましい音は途端に止まり、爽やかな風と日差しが差し込む一室で目を覚ました彼女は、もう一度小さく欠伸を噛み殺し、のろりと起き上がり目をこすった。

「また…あの夢…」

見知らぬ人が私に手を伸ばしている。
母は私を逃がそうとするけど、その人にクナイでトドメを刺されて完全に命を落とす。父や兄もとっくに呼吸をやめている……あの、忌まわしい一族全滅の夜の夢だ。

「…」

自分の両手を見つめながら寂しげに瞳を揺らした絃は、すぐさま首を左右に振って雑念を吹き飛ばし、いつも通りの朝を過ごそうとベッドから体を起こして顔を洗う為に洗面所へ。

彼女の名はメイ花琳ファリン
かつて火の国でも一、ニを争った優秀な血族であり、うちは、日向一族と並んで瞳術使いとして名を馳せたメイ一族の唯一の生き残り。
現在は「月ノ絃」として月ノ一族の後継者に選ばれた少女である。

『六眼』と呼ばれ、メイ家の中でも選ばれたものしか手にすることのない瞳術を完全に身につけ、幼い頃から「黄色い閃光」の名で知られた四代目火影と同じ時空感忍術をマスターしていた絃は、アカデミーの生徒の憧れと羨望の的だ。

いつも通り、顔を洗った自分が丁寧に手入れされた鏡に映る。
私は「月ノ絃」。私を救ってくれた、愛してくれたたった一人の「義姉ねえさん」が私を「いと」と呼ぶ限り。
それでもこうして最後の日を夢に見るたび、自分がどうしようもなく一人なのだと再確認させられた。

無情にも過ぎてゆく時間にため息がこぼれそうだ。ゆったりとした動作でそれでも着実に支度を済ませた後、いつも通り見計らったかのように数回のノックと、すこしつっけんどんな声がかかった。

「……おはようございます、絃様。お支度はお済でしょうか?」

「はい、どうぞ」

「失礼いたします」

静かに自身の部屋へと足を運び、つんと澄ました顔で「おはようございます」と挨拶をする、紺碧の髪を揺らす青年。美しい容姿だが心惹かれるというわけでもない。何故なら彼は絃にとっては「お目付役」であると同時に「監視役」なのだから。
愛想のない彼は自分ではなく自分の義姉に仕えていた男だ。こんな態度になるのも仕方がないか。
ただでさえ優秀だった義姉は今この里にはいない。義姉の代わりにあてがわれたのは、遠い遠い血族であってもほとんど赤の他人であり忠義を誓ったわけでもない、仮初の「次期当主」であり女。
ため息を吐きたくなるような現状をなんとかこらえた。

「本日はアカデミーの卒業試験ですので」

「はい。…いつも言っていますが、私に迎えは結構です」

「いえ、そういうわけには参りません」

「…そうですか」

他人行儀に会話をこなし、絃が髪を一つに持ち上げると、その男…剣持刀也は絃に髪紐を手渡した。軽く会釈して髪紐を受け取った絃はするりと髪紐を使って器用に束ねてみせた。

「では、参りましょう」

この家では何も休まらない。剣持は見事に絃の精神をすり減らし、義姉である美兎のように里から抜け出すことなどないよう「監視」する役目を果たしている。

今更逃げるところなどない。義姉を見付けない限り私に自由はない。
絃は窮屈で苦しいだけのこの家から唯一逃れられるアカデミーになるべく早く到着するため、早々に家を出た。







「皆おはよう!とうとう皆も卒業試験を迎えることになった。今までの成果を存分に見せてくれ!」

目の前に立つのはイルカと呼ばれる忍。
アカデミーで何年も子ども達を立派な忍にするべく「先生」をやっている男だ。
絃はぎゅっとこぶしを握り締める。
そう、今日は卒業試験。下忍になれるかどうかの大切な試験の日なのだ。
絃はこの試験に落ちれば家から勘当される可能性もある。他のどの生徒より、絃はこの試験に賭ける凄みが違う。

「ではこれより卒業試験を始める!呼ばれたものは隣の教室に来るように!なお、課題は分身の術とする!」

(分身…特に問題はないけど、万が一でも失敗なんてしないようにしなくちゃ)

イルカは教室から立ち去り、続々と生徒の名前が呼ばれていく。

「次、日向ヒナタ!」

「あ、は、はい…!」

絃の隣に座っていたヒナタが呼ばれた。
ヒナタとは同じくのいちとして仲が良く、絃にとっては親しい友人の一人だ。

「頑張って。ヒナタなら絶対合格できるよ」

「う、うん…!…いとちゃんも、頑張ろうね」

ヒナタはそのまま教室を出て、おそらく受かるにせよ落ちるにせよもうこの教室には戻らないだろう。絃は少しずつ、そのプレッシャーに押し潰されそうになってきた。
と、ぎゅっと握ったこぶしに重ねるように大きく少し骨張った手のひらが被さり、笑うようなため息が隣から聞こえて、絃はそちらを見やった。

「奏斗…?」

「何でそんな緊張してるの、絃なら余裕だって」

「そんなことないよ。もし失敗しちゃったら…上手くいかなかったら。わたし、もうあの家にいられないもの」

「もー…いつも言ってるでしょ?美兎さんがいない今、月ノ一族で当主としてやっていける実力のある若者は絃しかいない。絃が何か失敗したって家から追い出したりするようなことはないんだって」

「わからないよ。期待外れだったら他にも…確かに歳の近い親戚は少ないけど、私なんて月ノ一族からしてみれば遠縁も遠縁。分家から何人か若い男の人を引っ張ってくれば…」

「気にしすぎじゃねえ?それにほら、もしほんとに月ノ家にいられなくなっても、俺たちがいるし!」

「…雲雀…」

絃の不安をかき消すように、現実的であり、かつ欲しい言葉をくれる奏斗。
楽観的にしつつも自分を大事にしてくれているとよくわかる雲雀。
二人とも、絃にとっては義姉と同じくらい…ヘタをするとそれ以上に愛し、大切にしている二人だ。

「奏斗。雲雀。わたし、めんどくさくてごめんね…」

「なんだよ、今更そんなこと気にしねえって!」

「そうそう、絃のめんどくささなんて今更気にしないからね」

「めんどくさいとは思ってるんだ…」

苦笑い気味に自嘲した絃だが、今更奏斗や雲雀の物言いに苦言を呈するような仲でもない。かくいう絃の緊張は見事にほぐれている。
くのいちとしてはアカデミーでもトップクラス、いやむしろここ数年の木の葉の里の中では1・2を争うほどの実力がある絃だが、育ってきた環境が異常に彼女の自信を根こそぎ奪っていた。ある意味では「期待されている」ともいえるが、一方では「監視され、里と一族を裏切らないか」常に見張られている絃は、その優秀さゆえにそのことに気づいている。アカデミーではイルカ先生が、里の中では火影様の威光があるという理由で基本的に監視の目は少ないが、おそらく下忍として里の外で任務などがある場合にはひっそりと監視の目が付くのだろう。それこそ剣持のような男が1ないしは2人以上。


「次、月ノ絃!」

「はっ…はい!」

がんばって、と笑いながら背中を押してくれた雲雀に頷いて、眠たげに小さくあくびをしながらひらひらと手を振った奏斗に苦笑しながら隣室へと足を進めるのだった。








「失敗しなくてよかった…」

絃はぎゅっと額当てを握り締め、教室を出た。
アカデミーの外に出ると、合格した我が子を迎えに、たくさんの保護者が来ている。

「お父さん、お母さん!私合格したよ!」
「えらいな!これでお前も一人前の忍者だぞ!」

「かあちゃん!今日はぜってートンカツにしてくれよな!」
「分かってるわよ!今日はお祝いね!」

絃はそれぞれ家族と一緒に帰っていく友人たちを見て、少し悲しそうな目でふっと笑う。
物心ついた時には、一人だった。時折思い出す最後の記憶は朧げで、母の顔も父の顔も当然朧げだ。ああ、この人が私の母親なんだなと夢の中で認識するだけ。「母」も「父」も私を育てられぬまま死んでしまったと、義姉あねは言った。
生まれてこられなかった本当の「いと」と、重なったのかもしれない。
兎に角、別に今更寂しいことなんてない。そうしてふい、と視線を逸らした。

「絃様」

朝と同じ、冷たくて義務的で、私に対して何の感情も抱いてない声。この人が、今の私にとっての家族だなんて笑える。

「…はい」

「合格されたようで何よりです。まぁ、絃様ほどの実力があれば当然でしょうが」

「…いえ、そんなことは」

「謙遜は結構ですよ。では、当主様にご報告いたしましょう」

「…はい、剣持さん」

「家族」なんていない。そんなもの、絃はとうに失ったのだ。
今も夢に見る、自身の一族がすべて殺されてしまった、あの日。
そして、その後絃を拾ってくれた義姉美兎がいなくなってしまったあの日から。

絃にとって家族のように愛おしいのは、奏斗と雲雀、今は行方の分からない美兎だけなのだ。