※若干のあんずちゃん
「泉ちゃん」
口にしてみた呼び名は、案外しっくりきた。泉ちゃん。でも振り向いた彼は違ったようで、目を瞬かせた後、きれいに少しだけ眉をよせて見せた。
「…何、また」
「こないだ同じユニットの子がそう呼んでたから、いいなあと思って」
「なるくんと話したの?」
「うん、仕事でちょっとだけ」
「ふぅん」
そういって足早に歩いていってしまう。私も特に走って追いかけたりせず、自分のペースでついていく。
外はもう大分寒くなってきている。そろそろマフラーを用意しないといけない季節が来てしまった。夕方というにはまだ早い、微妙なこの時間のこの道は、平日というのもあってか、人がまばらだ。
ぼんやり店の窓を眺めながら一応足を進めていると、信号を待っている彼に追いついた。
「ちょっと、遅いんだけど」
「先行っていいのに」
私が泉の隣にならぶと、信号はすぐに青に変わった。随分とゆっくり歩いていたんだな、私。
「ほら、さっさと行くよ」
泉に手首を掴まれた。そのままぐいぐい引っ張られていく。
「手冷たっ」
「文句言うんならもっと早く歩いてくれる〜?」
そんなこと言ったって、彼の長い脚にはどうしても追いつけない。私だって職業柄、それなりではあるけれど。
半ば引きずられるような形でまた歩く。彼の銀鼠の柔らかそうな髪を見て、少し前なら置いていってただろうな、なんて思った。
「ねえ、転校生さん元気?」
「そんなこと俺が知るわけないでしょ」
「お世話になってるじゃない、かわいいって聞いたよ。私も会ってみたい」
「顔は名前の方がいいんじゃない」
ちら、と視線をよこされる。
曖昧に笑い返す事しかできなかった。彼が私を褒めるなんていつ以来だろう。いや、でも『顔は』か。瀬名泉を変えてしまった彼女の心は、きっとずっとうつくしい。
「真くんにも会いたいなあ」
「ゆうくん!? ゆうくんは駄目、ああでもゆうくん名前には懐いてるから囮にすれば………うふふ、いいよ、来て」
「…そこは相変わらずなんだ」
「何がぁ?」
さっさと仲良くなってくれ、とも思ったけどそうなると真くんが不憫だな。いつか何かおいしい物でも持って行ってあげよう。
今度の信号も赤だ。今日はどうもついてないらしい。
「会いに行くときは1人で行かないとなあ、一緒に行くと私まで真くんに嫌われる」
「何言ってんの、ゆうくんは照れてるだけだし。てか抜け駆けは許さないよ」
「私泉みたいに邪な事考えてない」
「俺も純粋なんだけど」
そうなんだろうか。まあ愛の形は人それぞれだし、口出しする事でもない。
掴まれたままだった手首から感触が手のひらに移動した。がっちり繋がれた手は私の熱でもうぬるくなっている。
びっくりして見上げると目が合った。
「勝手に会いに行くんなら、今一緒に行こうか」
「え、今!? これから事務所行くんじゃあ、」
「別に今日じゃなくても大丈夫でしょ〜?」
「いやでも早い方が」
「合法的にゆうくんに会う方が先決」
信号は青になって、私たちはまた歩き出す。握られた手のひらが記憶よりも大きくなっていて、泉の声は軽やかで、なんだか予定なんてどうでも良くなってしまった。真くんも大きくなっただろうな。うまく、話せるだろうか。
「泉ちゃん」
「なぁに」
顔は向けずに、けれどきちんと答えてくれた。
「…なんでもない」
「何それ」
泉ちゃん、と呼べなくなってしまってから、私は本当にさみしかったよ。私も、アイドル目指せばよかったのかもだなんて、後悔したりしたんだよ。泉ちゃんのせいで。そんな言葉はしまって、合わせてくれる歩調に甘んじないよう、黙々と足を動かした。
151013
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