大体、神様が私のとなりに立っている時点でおかしな話だったのだ。
 受験の達成感よりも、それに伴う未来への期待よりも、不安に押しつぶされそうになりながら入った中一のクラスに神様はいた。かの人は幸村精市くんと言った。ひと目見ただけでなにもかもを奪われて、彼が佇んでいるだけでその場の空気は変わって、脊髄に落雷を受けたように私はその場に立ち尽くした。圧倒的だった。今よりも更に幼い心の私が彼に憧れを抱いてしまうのは当然で、しかしそれは恋慕ではなく、もはや信仰と呼んで良いものだった。
 敬虔な信者の私は彼に近づこうだなんて恐れ多い思想は抱かなかったのに、級友たちは思春期の好奇心を持ち出して、あれこれと世話を焼きたがり、私は度々幸村くんに話しかけに行かなければならなかった。幸村くんの方も面倒だっただろう。幸村くんに好かれたいという気持ちはなくとも、嫌われるのは怖かった。疎ましい人間に慕われるほど悍ましいものはない。しかし私の杞憂をふり払うように幸村くんは優しく、私のつまらない話題にも真摯に耳を傾けてくれた。


「俺のこと、好きなの?」
 ある時、なんでもないように彼はそう問うてきた。息が止まった。好き、幸村くんが、だけど、これは恋愛感情についての質問だろう。違うの、私は。
「ひ、広い意味で…」
 どもりながら返した曖昧な答えに彼はふふ、と笑った。完璧なほほえみ。
「付き合わない?」
「え……ええ!? いや部活、大変でしょう? 負担とかにはなりたくないし、私は……」
「君とふたりで話す時間が今よりも増えるんだったら俺はうれしいよ」
 どう? とわずかに首を傾げる幸村くんに私が抗議することができるわけもなく、収まるところに収まったと級友たちは囃し立てた。

 病院の無機質なシーツの上でも、いくらか顔色は曇っていたが幸村くんから清廉な生気が消えることは無かった。むしろ、白に包まれた空間の中で幸村くんは際立って煌めいて見えた。代わるがわる訪れる見舞い客たちを見ても、幸村くんの篤い人望を思い知った。
「名前が居る時が一番落ち着くな」
 途絶えた客足に一息ついた幸村くんは私にそう言った。
「心にもない心配が一番煩わしい」
 ぽつりと零してから、私の視線に気づいてきまりが悪そうに笑った。
 だって私ごときにかけられる言葉なんかひとつもない。信じている、だって貴方は神様だもの。何も恐れることなんてないのに。かけたシーツに投げ出された手を控えめに握ると、幸村くんは空いた方の手をかぶせてくれた。



 元気になった幸村くん。復活した幸村くん。神の子。
 幸村くんをもってしても、今年の立海大付属中テニス部の挑んだ全国大会は準優勝だった。幸村くんのテニスをちゃんと見たのは久しぶりで、それだけで泣きそうだったのだけれど、彼が負けるというのを見るのは、これが初めてだった。ジャージを羽織っていない背中を、涙に濡れる視界の中で懸命に追っていた。


 付属への進学も無事決まって、部活も、まだ活動はあるけれど少し落ち着いたようで、幸村くんと過ごせる機会は増えていった。だけど何故だろう、私は幸村くんと一緒にいるのが前よりも居心地が悪かった。以前だって緊張しっぱなしだったのだけれど、そうではなく、もっと得体の知れないなにかだった。

 幸村くんのお家は綺麗で広くて、生活感は丁寧に隠されており、彼の部屋もきちんと整頓されていて、あまりに想像と同じで笑ってしまった。何がおかしいのかと少し拗ねたように言う幸村くんもいつも通りだった。

 こういうことを予期していなかった訳ではない。けれどだって私たち、まだ中学生なのだ。彼のベットに倒されて呆然とする私を組み敷いて、幸村くんは珍しく、ちょっと困ったようにしていた。
「大丈夫だよ」
 私のワイシャツのボタンを外す手は震えていて、ひどく冷たかった。
 私を揺さぶる幸村くんは優しくなんかなかった。痛みに顔をしかめる中うっすらひらけた視界では、苦しそうに、それでいて愉しそうに笑う幸村くんが私を真っ直ぐに見下ろしていた。
 男の子だったのだ、幸村くんも。麗しい顔で、柔らかなアルトの声音で私を呼んだとしても。
「好きだよ、名前」
 私も、と返したかったけれど、喉は張り付いて、音にならない掠れた声しか絞り出せなかった。
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斜掛