定例報告会
初歩的と言えどテーブルマナーで、それを完璧にこなしているのはあのゼノラックスだった。
ここは、レジスタンス内の食堂。簡単な一品料理もあれば、貴族も所属しているためかフルコースもある。ゼノラックスがフルコース料理を頼むのは珍しいことではなかったが、今回はジブリールの指示だった。
ゼノラックスを上手く誘導してフルコース料理を頼ませたジブリールは、自身も料理を口に運びながらもゼノラックスの挙動を注意深く観察する。ゼノラックスは食事中、意識すらしていないであろう流れるような慣れた手つきでテーブルマナーに則って食事を平らげていた。あの、文字すら読めないことが多いゼノラックスがだ。
テーブルマナーなんて、知らないであろうし興味もないだろうゼノラックスが、だ。
最近覚えた、というよりもずっと前から叩き込まれて半ば癖と化しているそれを見て、ジブリールはやはりというべきかある種の確信を得ていた。
───ゼノラックスの持っていた大半の記憶は失われているが、手続き的記憶の大部分は残っている。
(そうだ、どうして今回の検証に至るまで気が付かなかったんだ。こういう所作をきちんと観察しておけば、もっと早く勘付けていたのに。あながち、あの貴族サマの知り合いだったというのは嘘八百でもなさそうだ)
なにも、テーブルマナーだけで判断したわけではない。二日前のショッピングモール事件以降はこれ以前にも度々、ゼノラックスが元貴族だという確証を得るために動いていた。その結果、言葉遣いなんかは貴族のそれとはかけ離れているものの行動の癖というべきか、無意識下での行動様式は貴族特有のそれとよく似ていた。勿論全部が全部、というわけではないが、元貴族だというのを裏付けるには有力で。
(……ゼノラックスが元貴族だとすると、リュミエールは身分関係なく改造しているのか?てっきり、一般人以下を選んでいるのかと思っていたけれど)
一般人以下を選んで改造しているだろう、というのはレジスタンス共通の認識だった。しかし、ゼノラックスが元貴族であるならばそれは通らなくなる。気まぐれ、偶然も考えられないわけではないが、これは先入観を捨ててもう一度考えてみる必要がありそうだ。
(…一応、ゼノの件については報告書に書いておいたけど……どう転ぶかな)
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「ミーア、これ手伝ってくれない?金融省からのやつ」
「うん」
さて、ショッピングモール事件から二日経ったが。
北町炎上事件とショッピングモール爆破事件という二つの大事件がが重なったおかげで激務に追われる日々になると覚悟していたが、思ったよりも仕事が少なかった。なんでも今回は両事件とも上がほぼ全てを取り仕切って調査を進めているとのことで、軽い書類整理なんかは回ってくるものの工場爆破事件の時と比べれば忙しさは天と地の差だ。
研究棟の方はこちらよりも仕事が回されているものの徹夜前提というほどでもなく、補佐室の方も夜勤に突入することはなかった。
研究棟といえばハイドランジアのことだが、彼も先日に退院しており、早速新薬開発に励んでいる。彼の様子も、特段変わったものはなかった。
「なんかさ、ここ最近治安がすこぶる悪くなってるよね」
「同感。立て続けに大きな事件が起きすぎててね」
「そのせいか、リュミエール王に対する不信感が高まってるんだよね」
「まぁ、そうなっちゃうよね。こんなにも色々重なってるとさ。…もうすぐ、千年祭なのにね」
以前まではリュミエールは莫大な支持を集めていたが、この一ヶ月でそれは愕然と落ちている。中でも特に治安面での批判が多く、貴族連中からも声が上がっているものだから彼の政治面での盤石な基盤は揺らいでいる状況だ。直に国誕千年祭が控えているのもあってか、至急に治安改善が叫ばれてはいるものの、おそらくはそう簡単には良くならないし千年祭当日はテロが起こるだろうというのは暗黙の見解である。
「どうなるんだろうねぇ、この国。まだ工場爆破の件も犯人を突き止められていないんでしょ?」
「上が動いてはいるらしいんだけど、迷宮入りかなぁ…」
「やだなぁ、そのうち城にも攻めいられたりして」
「シャレになってないからやめよう、ルーラー」
城まで爆破される、以前ならば鼻で笑い飛ばしていたが今は普通に有り得そうである。城になにかあったら職を失いかねないから冗談抜きでやめてほしい。
「エルドジアムの行く末が心配だぁ…」
「だねぇ…」
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*
「───教団、か」
「はい。彼等が所持していた紙切れと旗を見るに、現在勢力を強めている新興宗教団体『死出の旅路 』構成員が実行犯であると思われます。こちら、確保した構成員のリストになります」
ベルクラフトが差し出した紙束に目を通して、リュミエールは顎に手を当てた。
死者は163名、内27名はテロ実行犯の構成員であった。確保総数は34名だが、取り逃しも多く今回の事件を引き起こした総数は不明である。
「また、ショッピングモール爆破事件と北町炎上事件での魔素痕に多くの類似点が見つかりました。おそらく、主犯はどちらも共通した人物かと」
「それで、主犯は?」
「はい、現在も尋問を続けていますが誰一人として口を割りません。彼等の教団の美徳が『死ぬこと 』なので、生半可な尋問では通じないでしょうが、如何致しましょうか」
「良い、拷問でもなんでもしろ。聞き出せ」
「かしこまりました。また、回収した遺体の中にシルヴァニア夫妻のものがありました。懐に幾つもの紙束を隠し持っていたことから、彼らも構成員の一味であったと思われます」
「シルヴァニア?あの一家は二年前に突如として消息不明になったのではなかったのか?…いや、奴らが教団に所属していたのならば、本拠地に篭っていたのだろうな。あの家には一人息子がいたな、フローレンス・バッドライユ・シルヴァニアと言ったか。彼の身柄は?……しかし、仮にも歴史ある名家が揃って新興宗教なんぞに入れ込むとな」
「フローレンス・バッドライユ・シルヴァニアについてですが、彼のものと思われる遺体は見つかりませんでした。しかし、シルヴァニア家が揃って教団の手足となっているのならば、一連の事件の繋がりと主犯が浮上してきます。シルヴァニア夫妻は魔素を持ってはいませんでしたが、シルヴァニア家次期当主であったフローレンスは炎の魔素をかの身に宿していました」
「では、シルヴァニア家について調べよ。北町、ショッピングモール両とも、炎から多数の魔素痕が検出された。まず間違いなく、主犯はフローレンス・バッドライユ・シルヴァニアだろう。彼等の行方を探し出せ」
バサリ、と資料を机に放ったリュミエールは深い溜め息をつく。
彼とて、頻発する事件の異常性に気がついていないわけではない。しかし、手が回らないのだ。
対処する速度に比べて、事件の頻度が高すぎる。全力を尽くしてはいるものの対応が追いつかないのが正直なところだった。
国民からの不満が高まっているのは知っている。だが、休む間もなく動いても解決の目処が立たない。
(こんなところで、下らないことに付き合っている暇はないと言うのに)
無意識に力が入っていたのか、革製の肘置きが軋んだ音を立てた。
──王家の威信の失墜を狙っているのか?いいや、それとも私個人の信用を失わせたいのか?そうなるならば貴族連中か愚弟か。いや───
「私の目を逸らしたいのか」
「……と、申しますと?」
「これは憶測であるが、大規模な事態を隠れ蓑になにかを私の目に留まらせぬようにしているのでは、と」
「なにか、と言いますと」
「詳細は不明だ。しかし、その憶測が真実となるならばそれ自体は小さなものだろう。しかし、詮索されてしまえば致命的となりうる危うい爆弾。故に、派手な事件で視界を遮りそれを闇に葬ろうとしている」
繰り返すが、これはただの憶測に過ぎない。しかし、それが的中しているのならば一体なにを忘却の彼方へと葬ろうとしているのか。
露見する心配のないものならば、わざわざこのような行為はしないだろう。では、隠蔽しきれないもの?──或いは、もう知られてしまっているものか。
──なにを見過ごしている?私は、忙殺の日々の中でなにを見落とした?
考えろ、全てを治める王の役目だ。
ベルクラフトにも、誰にも。私以外には務まらない。
王である私でなければ。
────強盗団の事件か。
「ベルクラフト、ミーア・シャーロットの拉致事件を洗い直せ」
「しかしながら国王陛下、優先すべき事件がまだ」
「これは王命である。あの事件には不自然な点が多かった、あの直前に起きたアンドロイド製造工場の爆破事件の処理が収束しておらず簡易的な報告書で処理していたが、もう一度調査する必要がある。シルヴァニア家の調査と並行してミーア・シャーロットの件についても調べ直せ。わかったなら、下がれ」
「……はっ、我らが王よ」
敬礼をしたベルクラフトは、国王執務室の荘厳な扉を潜って退出する。それを見送り、リュミエールは窓に歩み寄った。
丹念に磨かれた強化ガラスはリュミエールの美しい姿を反射し映している。ガラスに手をつければ、対面するリュミエールも手を重ね合わせてくる。
鏡写しとなった自身の双眸を数秒見つめていたが、ふっと逸らせば視界には可憐でいて美麗な我が国の風景が広がった。
その景色には感動すら覚える。この、エルドジアムという国を治める国王のみが目に焼き付けることを許された絶景。生の息吹に満ち溢れた、愛しき国の姿。
しかし、その愛する国は何者かの手によって脅かされようとしている。それは決して許されぬこと。リュミエールが治めるこの国を冒涜するその行いは、罰せられるべき大罪に他ならない。
「最愛にして至愛の我が国に危害を加えると言うのならば、このエルドジアム国王リュミエールが、全てを以て制圧しよう。その誓いをこの、麗しきエルドジアムに捧げる」
────恋しき我が国を護るためならば、悪魔にでも邪神にでも魂を売り渡そう。
それは歴代最英名と謳われた王の、最上級の誓約にして愛の告白だった。
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───五日後。
「ミーア、本日はレジスタンスでの定例報告会が20時から予定されています」
「うん、それまでには帰ってくるよ。ハイドも引き摺ってくるね」
「ええ、お待ちしています」
それが今朝の会話で、約束通りハイドランジアを引っ張ってきたミーアは早めに夕食を済ませたあと、人目を避けるよう細心の注意を払ってレジスタンスアジトへと訪れていた。
定例報告会が開始される20時まではあと30分もあるが、開催場所となるロビーには多くの人数が既に集まっている。
初めて見かける者も多く、新入りの珍しさからかやけに絡んでくる者も少なくないのでそれとなく彼らから情報収集をしながら待ち時間の暇を潰していた。
「へぇ!あんた研究者なのか!城勤めの研究者とは、すごいな!エリートじゃないか!」
「城勤めとは言っても……末端の末端でしかないから……」
「あなた、噂には聞いていたけれどもアンドロイドなのねぇ……。ジブリールさん、ゼノラックスさん、エリザベートちゃんもそうだけれど、同じ人間なのにそんな悲惨な目に合ったなんて……。こんなに格好良いお顔なのに…」
「悲惨、という表現はあまり好ましくはありません。格好良い……については、返答しかねます。…………ミーア、このような際はどう返すのが適切なのでしょうか」
ハイドランジアとゼロは、物珍しさからか何人かに取り囲まれていてやけに質問攻めにあっている(主にハイドランジアが)。
ミーアの方は城勤めといえども研究補佐というパッとしない役職だからか、そこまで人は寄ってこないが、愛想のいい子なんかは律儀に自己紹介してくれるので話し相手には困らなかった。
ハイドランジアとゼロはどこかたじたじとした様子を見せているが、ミーアはそれなりにのんびりとできている。それこそ人間観察もできるぐらいに。
(……見てて思ったけど、本当に色んな人がいるなぁ…。子どももいるや)
一般人の中でもそれなりに身なりを整えている者、杖をつくような老人、そしてまだ年半ばもいかないような子ども。多種多様な人間がこの場に集っていた。おそらく、子どもは親が連れてきているだけなのだろうが、子連れも所属するだなんて、少々驚きである。
レジスタンスということだから戦力となる人材を勧誘しているのかと思ったが、わりと誰でもアットホームらしい。この場を見ているとそれがよくわかる。
「ミーア様、ゼロ様、ハイドランジア様」
「ジェミニさん」
すっと気配なく近寄ってきたジェミニが、なにかを差し出す。それは小さな紙切れで、それぞれに一枚ずつ渡された。
何やら、魔法陣のような紋様が描かれているそれの意図を掴めずにいると、ジェミニが解説をしてくれた。
「それは、呼式です」
「呼式…って、城にある?」
「はい。しかしこちらの呼式は城のものをベースに技術者が模倣して作成したものです。これはレジスタンスメンバーにお配りしていますので、連絡の際はこちらをお使いください」
「呼式って……作れたんだね……」
「ええ、優秀な技術者が開発をしてくれました。こちらはレジスタンスメンバーにしか繋がらないので、ご留意ください。では、間もなく定例報告会が始まります。私はこれで」
ぺこり、と礼をしたジェミニは人混みに消えていく。やがて、すぐにロビーの大ステージの照明が点いた。開始時刻になったのだろう、それまでざわざわとしていたこの空間はすぐに静まり返る。
ミーア達も呼式をポケットにしまい、ステージに注目した。
ステージ脇の数人、その中の一人が壇を上がる。桃色の長い髪を靡かせた、スレンダーで美しい女性だった。
「では、これより定例報告会を開始する。今回は公表すべき量が膨大だ、聞き漏らすことのないように」
凛として落ち着いた声音のその女性は、鋭い眼光を持ちながらも人を惹き付けるような雰囲気を醸し出している。
──しかし、あの人知っているような。
「……あっ!五大貴族のうちの一人、ヴィーラス侯爵のご令嬢…!!」
「そう、五大貴族の一員にして会合メンバー、エリカ・トレースト・ヴィーラス嬢だよ」
「うわ、ジブリール。いつの間に」
「開始直前から平然とここに突っ立っていましたよ」
エリカ・トレースト・ヴィーラス。五大貴族の一つであるヴィーラス侯爵家の大切な令嬢だ。そんな彼女がレジスタンスなんてものに所属し、あまつさえ会合メンバーという地位にいるとは。いや、身分を考えれば納得が行くのだが、五大貴族まで参加しているとなると、本格的にもほどがある。
彼女は顔を晒していることから、以前ジブリールが言っていた、唯一身分を明かしている会合メンバーなのだろう。それがまさか、彼女のような大物だったとは。
(…じゃあ、これを率いているリーダーって誰になるの…?)
エリカですら、会合メンバーという立場に収まっている。では、そんなエリカすら部下にするレジスタンスリーダーとは誰なのか。単純に考えれば彼女よりも身分が高い人物だが、そんなものは極小数に限られてくる。
(まさか、王族?……いや、まさかねまさか)
ふと浮かんだ単語に、引っかかるものを抱きつつも一蹴する。王族がまさか、レジスタンスなんて作るわけがない。そもそも、リュミエールに対抗しても意味がないからだ。
──もしも、もしも王族が率いているのならば、それはある意味で恐ろしい。…これが、フラグとやらでないことを祈りたい。
「では、報告を始める前に新入りの紹介をしよう。ミーア・シャーロット、ゼロ、ハイドランジア・グリーゼ。壇上へ」
「えっ」
「いってらっしゃ*い」
突然名前を呼ばれて、ミーアは素っ頓狂な声を上げてしまった。まさか、新入りを大々的に紹介されるとは思っておらず、ラフな格好で来てしまった。ジブリールがへらへらと手を振るのを睨みつつ、ゼロに促されて三人は壇上に上がる。そして、エリカの隣に揃って並ばされた。
「彼ら彼女らが、先日にレジスタンス入りをした三人だ。諸君らから見て右から順に、宮廷研究者補佐のミーア・シャーロット、リュミエールによる違法人体改造被害者のゼロ、宮廷研究者のハイドランジア・グリーゼだ。みな、貴重なレジスタンスの一員である。慣れていないであろう彼らをサポートするように」
ぱちぱちぱち、拍手が鳴り響く。最前で注目され、紹介されることに気恥しさを覚えながらもミーアは頭を軽く下げた。紹介が終わったあとは、壇から下ろされ、元の場所へと戻る。その途中も物珍しさからか視線を集めて、ミーアは縮こまるような思いだった。先程の位置まで戻れば、相変わらず苛立ちさえ覚えるような飄々とした立ち姿でジブリールが迎えてくれた。
「おつかれ」
「紹介とかあるなら教えてよ…。ふっつーに適当な私服で来ちゃったよ」
「別にそれぐらいいいでしょ。ゼノなんかいつものあの服装だったし」
ジト目で文句を言えば、さらりと流されてしまう。それ以上なにかを言うのは諦め、再びエリカに注目すると、彼女は分厚い資料を片手に持っていた。あれが、今回の内容なのだろう。
「では、私から報告をする。先日のショッピングモール爆破の件だが、それを企てた連中の詳細が判明した」
スクリーンが降りてくる。そこに映写機の光がぶつかり、映像を映し出した。スクリーンには奇妙なシンボルと文章が映っており、ヘッダーには『死出の旅路』と大きく書かれている。
「現在勢力を強めている新興宗教団体『死出の旅路』。彼等は死を美徳とし、死こそが生物における最大の救いだということを信念に活動している過激派宗教団体だ。彼らは他者の救済との謳い文句のもと、殺戮を繰り返す危険極まりない連中である。」
奇を衒う行動から、なにかしらの宗教団体だとは予想していたが、そんな宗教聞いたこともない。新興宗教にしては人数も多く、その過激さから目に留まりやすいはずなのだが。
とはいえもう調べあげるなど、流石は父が城の上層部に所属しているだけはある。父が父なら娘も娘と言ったところか。
「そして、主犯も判明した。それがこの者だ」
スクリーンの映像が切り替わる。大きく映し出されたのは、海を思わせる青い髪の一部を三つ編みにした、凪いだ穏やかさを感じさせる瞳の少年だった。いや、少年という表現は適切でないかもしれない。少年と青年の中間のような、ごく普通の男性だ。
「彼は、フローレンス・バッドライユ・シルヴァニア。二年前、一家ごと行方不明になったシルヴァニア男爵家の愛息子だ」
「シルヴァニアって……あの、シルヴァニア?」
「知ってるの?ミーアさん」
「うん…一時、城で話題になってたんだよ。シルヴァニア家はある日突然、夜逃げのようにいなくなったんだよね…」
「夜逃げ?男爵家ってことは、事業が振るわなかったの?」
「ううん、シルヴァニア家は事業が波に乗っていて、安泰だったんだよ。逼迫して夜逃げなんてするはずもない状況なのに、ある夜から一家全員がいなくなっていた。もちろん犯罪とかの可能性も考えられて捜索されていたんだけど、家も荒れていないし金品も一つも持ち出されていない。身代金の要求もなければ死体が出てくることもなくて、結局原因不明の夜逃げってことで片付けられて……、ほら、そういうミステリーとかを好む人とかは好き勝手予想して盛り上がってたってわけ」
「…………研究室に引きこもっていた僕でさえ…一回は聞いたことあるけど……周囲の反応を見るに……シルヴァニア家失踪事件はあまり知られていないみたいだね…………」
「うん…なんでか報道もされてなかったからね。……そういえば、なんで男爵家が揃って行方不明になったのに報道すらされてなかったんだろう」
ふと、そんな小さな疑問が浮上した。それはいくら小さくとも、もくもくと膨らんで脳を満たしていく。しかし、エリカが言葉を続け始めたのでミーアは無理矢理それを追いやった。
「また、遺体の中からシルヴァニア夫妻のものが見つかった。遺品から見て、彼らが教団に与していたことは逃れようのない事実だ。そして、その息子であるフローレンスは炎上の魔素を持っている。現場に多数の魔素痕が残されていたことから、彼が主犯であるのは間違いないだろう」
「シルヴァニア夫妻の…?」
「…………なるほど」
意味深に納得したらしき呟きをジブリールがしたが、突っ込むのは後にしてエリカの声に耳を傾ける。
「また、これは確定情報ではないが、北町の事件もフローレンスが主犯と見て、城は調査を進めている。北町からも類似の魔素痕が検出されたことから、確定情報ではないものの真目が高いだろう」
「北町…それが事実でしたら、超広範囲の魔素の使い手ですね。もしも相手にすることになれば、炎というのもあり厄介極まりないですが」
北町までフローレンスの仕業ならば、それは愉快犯にしか思えない。死こそが救済だなんて、まず普通の思考ではないからだ。そのような狂気の理念で北町の住人を焼死させたのなら、まさに凶悪犯罪者と言っても過言ではないだろう。
柔和な微笑みを浮かべている写真の彼からは、そんなイカれた動機で大量殺戮を起こすなど、到底感じられなかった。
「一つ注意しておくが、もし彼を見掛けたとしても手を出さずに我らかジェミニに報告してくれ。不用意に刺激をするのは得策ではないからな」
「ヴィーラス嬢。私から一点、補足をしてもよろしいでしょうか」
「どうぞ。イミーディア氏」
静かで落ち着きがありながらも、よく通る声が響く。それは、以前ミーアらと接触した白外套のイミーディアだった。
エリカからマイクを受け取ったイミーディアは会合メンバー用らしき壇上の椅子から立ち上がると、スクリーンの前へと歩み出た。ふと、ミーアらは違和感に気付く。
「では、私、イミーディアがフローレンス・バッドライユ・シルヴァニアについて補足を行います」
マイクを経由した声が僅かに反響する。しかしミーアらは、話よりも彼のある一点へと釘付けになった。それは、イミーディアの周囲をひらひらと飛び回る数匹の蒼く発光した蝶。
ぼんやりと羽が蒼く光を放つその蝶は、まるでステンドグラスのように透き通ったえも言えぬ妖艶さを醸し出す羽を持っている。以前イミーディアと遭遇した時はあんな蝶などいなかったが。当然気になり、ジブリールにこそりと尋ねる。
「あぁ、あれね。おれにもよくわからない」
「貴方なら、てっきり分析済みかと」
「分析はそりゃあ試したよ。けれど、会合メンバーが羽織ってる外套がどうやら特殊なやつでね、一切中身について分析結果を得られなかったんだ。おれの分析能力があの外套に遮断されてる。多分、分析系無効化の魔素が繊維に込められてるね。国内じゃ見たことないから海外産かな」
「それは…他のブレインからの情報漏洩を防ぐため?」
「それもあるとは思うけど…多分、おれみたいなのに分析されたくないことでもあるんじゃないかな。まぁそういうわけで詳細は諦めてよ。おれも気になってるんだからさ」
貴族で会合メンバーという機密の塊のような立場だからか。ブレインの分析を遮断する外套ならば、ゼロが見たとしてもなんの情報も得られないだろう。簡単に情報が漏れては元も子もないので、仕方ないと諦める他ない。
「フローレンスの魔素ですが、彼の魔素の名は『 今は救い難き、冒涜の灯火』。当然炎の魔素ですが、灯火などという生易しいものではありません。それはまさしく業火、焦熱地獄の如きまさに冒涜の炎。彼の炎は、水では消せません。報道でもご覧になったでしょうが、水の魔素を浴びせても炎の勢いは衰えていなかったでしょう。あの炎は時間経過に任せなければ鎮火させる手立てがないのです。もしも燃え移れば、まともに消す方法がないことを留意しておいてください。決して、彼を見掛けても手を出さないように」
「……そこまで、おれは分析する時間がなかったけど。…………ゼノに炎が燃え移らなかったのは、運が良かったとしか言えないな」
ぽつり、独り言をジブリールが漏らす。それを、ミーアは反応できなかった。なにせ、あの時のミーアは役立たずにも程があった。そんな、なにもできなかったどころか邪魔でしかなかったであろう自分がどう言葉を返してよいのやら。
「我々が打倒すべきはリュミエールだが、教団は我々も城も、全方位を攻撃範囲と見なしてくるだろう。今後は教団員の動向にも注意して見ていく。ではフローレンスの件はここまでにして、次へと移る。南町区域の警備担当騎士を捕らえた。情報は未だ得られていないが、尋問している。当たりならば、新たに違法改造アンドロイド生産工場の場所を特定できるだろう」
わぁっ、と歓声が沸き起こる。
確か、以前にジブリールらは騎士を狙って活動していた。それを目撃したのが切っ掛けでミーアも襲われることとなったのだが、あれも違法改造アンドロイド生産工場を探すための活動だったのだろうか。
なんにせよ、二つの違法改造アンドロイド生産工場が爆破されたが、まだ存在しているのか。工場をいくつも所有するほど人間を改造しているのだとしたら、相手の保有している改造アンドロイドは一体どれほどの数となるのか。
「さて、私からの報告はここまでだが。卿らもなにかあれば報告願いたい」
「いいや、なにも」
「同じく」
「ふむ。では定例報告会はこれにて終了する。しかし、ゼノラックスとゼロは残るように。両者は壇上に集まってくれ」
「僕が呼ばれましたが、何用なのでしょうか」
「なんだろう…でも、ゼロが残らなきゃならないんなら私も残るよ。一緒に帰ろう」
「僕も残ろうかな…気になるし……」
ぞろぞろと散らばっていく人の波を掻き分けて、壇に向かう。人混みに埋もれそうになりながらもどうにか辿り着けば、既にゼノラックスとジブリールとエリザベートがそこに居た。彼らの前には、エリカを筆頭とした会合メンバーが並んでいる。
会合メンバーという相手が相手だからか、ミーアは尻込みするような気持ちで半歩下がり、ハイドランジアの影に隠れた。ハイドランジアは、特になにも意識していないようでゼロの斜め後ろで彼らの動向をぼんやりと眺めている。
「さて、わざわざ集まってもらってすまないな」
「いえ。なにか御用があるのでしょう」
「その通りだ。お前達は、我がレジスタンスの中でも貴重な戦力だ。そこで、ゼロ。お前の実力を測るために、ゼノラックスと模擬戦闘をしてもらいたい」
「めんどくせェ……」
「そう言ってくれるなゼノラックス。これはお前の実力がどれほど上昇したかを測ることも兼ねているんだ。……ジェミニ!模擬戦闘訓練場の作成を頼みたい!」
「かしこまりました。では、ロビー奥に扉を設置いたしましたので、そこからお入りください」
影に潜んでいたジェミニが、ぺこりとエリカに一礼して奥へ消えていく。扉を設置?と疑問に思い、ジェミニを目で追えば、いつの間にか壁だったはずのところに扉が一つ存在していた。
「聞いていないのか?ジェミニはこのレジスタンスアジトの制作者であり主だ。このアジト全域、彼女の魔素によって作られた異空間。彼女の裁量一つで、内部の構造を自由に変えることができる」
「おれが前に言っていたやつね」
「あ、じゃあジェミニさんがリーダーの側近?」
「そうだよ」
異空間とはいえ、この広大な場所を自由自在に操れるとは、だいぶ規模が大きい。ジェミニは窓口をしていたが、そんな彼女がリーダーの側近だとは。─いや、彼女の気配の遮断さを見るに、あながち意外だとは言えないかもしれない。
「では参る。医療班も配備しておくから、心配はない。…ああ、同行者は別室の観戦モニターからの閲覧で我慢願いたい。模擬戦闘訓練場で直接観測するのは危険だからな。我らは、訓練場にて観察させてもらうが」
我ら、とは会合メンバーのことを指しているのだろう。それに関して、異議はない。ミーアらの身を案じて別室に連れていくというのも、記録者である会合メンバーが直接戦闘場所に赴くというのも、理解できる。
新たに出現した扉を潜れば、すぐに分岐路に差し掛かった。ゼロとゼノラックスと会合メンバー、ミーアとハイドランジアとジブリールとエリザベートで別れ、それぞれの通路を進む。すぐに扉が見え、ミーアがドアノブを捻って開ければ、椅子とモニターが設置された簡易的な部屋が目に入った。
モニターには、家や店、大通りといった街並みが映し出されている。とても精巧で、本物と見まごうほどの作りだ。あそこが模擬戦闘訓練場なのだろう。
「皆様、どうぞご着席ください」
背後からのジェミニの指示に、大人しく従う。皆が座ったのを確認して、ジェミニはモニターに向けてジェスチャーをした。おそらく、画面下にカメラがついており、あちらにもこちら側の映像が写っているのだろう。
一つ頷いたエリカは、手元のリモコンを操作してカメラをゼノラックスらへと向ける。
ゼノラックスとゼロは、大通りの中央で互いに向かい合っていた。ただ、待つ姿勢は両者共に大きな差がある。ゼロは開始の合図を気にしているのかエリカの方をちらちらと伺い、ゼノラックスは今にも帰りたそうにだらんとしている。いくら訓練とはいえ、戦いが始まる前とは思えないほどゆるりとした雰囲気がモニター越しでも感じ取れた。
「ゼノラックス、気を引き締めろ」
「おーおー」
「なんだそのやる気のない返事は。…いや、お前はそういう奴だとは聞いていたが、緊張感が足りん」
「説教くせェ……」
「貴方がシャキっとしないからでしょう」
エリカの叱咤から勃発した小さな喧騒に、ミーアとエリザベートは苦笑いをする。微笑ましいと言ってよいのかメリハリがないと言うべきなのか。
さらにゆるくなってしまった雰囲気を修正するように、エリカはこほんと咳払いをすると開始の合図に取り掛かる。
その途端、ゼノラックスがどことなく表情を引き締めたため、その変容には感心した。
「それでは、模擬戦闘訓練を始める!」
振り上げていた右手がピッと、垂直に下ろされる。エリカのそれが、模擬戦闘の幕開けとなった。