模擬戦闘
それを読み越して砂鉄を展開。
砂鉄の膜に阻まれる刃。
刃を受け止めたまま、刀を奪い取ろうと伸びる砂鉄の腕。
砂鉄の膜を蹴って、一度離れる。
「来なさい」
「挑発ッたァ強気だなァ、坊ちャん!」
くいくい、手のひらでゼノラックスを挑発すれば、彼はわかりやすく額に青筋を浮かべた。これで幾ばくか動きが読みやすくなるはずだ。
魔素は使わず、こちらへと向かってくるが、速さは目を見張るもののやはりというべきか直線的で非常に読みやすい。
数秒で手を伸ばせば届く距離に迫るゼノラックスを妨害するべく、何本もの砂鉄の矢を放つが、それは尽く弾かれる。
「どァ!!!」
「あからさまな太刀筋です。読むことすらも必要がない」
声だけは威勢よく最低限の動作で振り下ろされる太刀を避け、肘を脇腹に叩き込む。──が、筋肉の層が厚く、まともに入ったはずのそれは全くダメージにはなっていないようだった。
一瞬呆気に取られたその隙をつかれ、ゼロは腕を掴まれるとそのまま後方へと投げられる。
平均男性程度の体躯を持つゼロを軽々と片手で持ち上げ、一気に投げ飛ばしたその腕力には流石に脱帽して顔を顰めたゼロを認識すると、ゼノラックスは、してやったりと言うように笑った。
(ぶつかる…)
制御も不能。このままでは後ろの外壁にぶつかってしまう。踏ん張ることができないのならば、衝撃を軽減する他ない。
砂鉄を背後に展開させ、触手のように幾本も伸ばす。街灯、屋根、格子、掴めるところ全てを掴み勢いを削ぐ。
それでも壁にはぶつかり砂塵が舞散ったが、見た目ほどのダメージはない。
「少々見くびっていましたね」
立ち上がったゼロは、砂を払いながらそう呟くと、砂鉄で掴んだままの街灯を引き抜いた。
「同じことできるぜ?」
対するゼノラックスもそばに設置されていた街灯を手で掴むと、めこりと引き抜く。
それに眉を寄せたのはゼロで、内心で毒突いた。
(馬鹿力…)
投擲された街灯を砂鉄で弾きながら、ゼロは走り寄る。そうすれば好戦的なゼノラックスも必然的に向かってくるので、刃を交えるかと思われた瞬間、屈む。そのまま脇の下を滑るようにすり抜けて背後へと回れば、砂鉄の触手で背を殴り飛ばした。
反応も動作も間に合わずに、衝撃軽減をさせる暇もなく喰らったゼノラックスは、為す術もなく吹っ飛んでいく。
ごしゃん、民家の壁にぶつかり、それを壊して室内へと突っ込んでいったゼノラックスの姿は砂煙で確認することはできない。しかし、彼の次の手をある程度は予測できていた。
「……やはり、ですか」
息を吸う時間もなく目の前に現れたゼノラックスに、ゼロは伸ばしていた触手を引き寄せる。それはゼノラックスの背後で、先程引き抜いた街灯を振りかぶっていた。
「いくらなンでも!わかるッつーのッ!!」
そのまま愚直に斬り掛かろうとしていれば間違いなく街灯の餌食になっていたであろう。しかし、ゼノラックスはただ着地し、横に飛び退いた。
踵で方向転換し、再びゼロへと食ってかかる。回避が間に合わないと判断したゼロは、いつかのように砂鉄で剣を生成すると、ゼノラックスの刃を受け止めた。
がちがちと、鍔迫り合いの音がする。互いの刃を押し負かそうと、一歩も譲らない。だが、腕力で差が出てしまったのはゼロだった。徐々に刃を押し戻され、地面に踏ん張った足がずりずりと後退させられる。
不利を悟ったゼロは、砂鉄で牽制を浴びせると後方に飛び退き、地を蹴った。
ひとっ飛びで塀の上へ。ふた飛びで屋根の上へ。軽い音を立てて飛び上がっていく。そしてゼノラックスを見下ろす形になると、天から鈍色の雨を降らせた。
「遠距離せンぽーかよッ!」
無数に降る矢を弾いてゼノラックスも飛び上がるが、数本には掠ってしまい血が滲んだ。
ゼノラックスが接近すればゼロは離れていく。完全に一方的な遠距離戦闘に持ち込まれていた。
魔素で近づいても、結局は圧す暇もない短時間の鍔迫り合いを繰り返すだけで大きな隙は得られない。このままではジリ貧だ。
「………?」
ゼノラックスが物陰に隠れた。ワープしてくるかと思ったがそれもしてはこず、ゼロはその場に立ち止まると、ぐるりと周囲を見渡した。
──立ち並ぶ建造物。死角から急襲するにはもってこいですね。
(何処から来るのかはわかりませんが…彼の気性からしてそう長くは隠れていないでしょう)
崩れた円形を描くように自身の周りに砂鉄の膜を浮遊させて防御を固めながら、ゼノラックスが仕掛けてくるのを待つ。自分から行かないのは、この状況で追いかけっこすることの優位性が掴めないからだ。
警戒は怠らず、左右上下に気を張り巡らせながら待っていると、視界の端でなにかが動いた。すかさずそちらに剣を向けるも、誰もいない。顔を背けようとして、ふと背後に気配。思考する間もなく振り向くと──
「…っ!?」
誰もいない。しかし、すぐに肩に熱が走った。熱は痛みへと変貌し、一瞬遅れて肩を切り裂かれたと認識する。咄嗟に屈めば、すぐ上を刃が過ぎ去っていく風切り音。砂鉄をすぐさま集めて膜を押し広げると、その砂鉄に押されてゼノラックスが大きく宙返りをしていた。
「降参するか?」
「誰が…」
肩から漏れ出た砂鉄を凝固させ、数本の剣を形成する。
余裕で着地したゼノラックスに、開始直後にした挑発をやり返されてゼロはぎっと彼を睨みつけた。
──さっきの攻撃…おそらくは背後からのものはフェイント。ボクが振り向く直前にもうボクの視界内にワープしていて、その認識がすれ違ったことからボクは気づかずに切り裂かれた。
「来ねーンなら…行くぞ!!」
びゅんっと走り向かってきたゼノラックスに、形成した剣を投擲する。それらは尽く躱され、屋根に突き刺さっていった。
ゼノラックスからの一閃。屈んで躱す。ゼノラックスからの蹴りを砂鉄でコーティングした腕でどうにか受け止め、ずりりとずらされる体を押し止め、背中から出した砂鉄でゼノラックスを殴りつける。
ゼロ自身が殴るよりかは威力のあったそれは、ゼノラックスのバランスを崩させた。さらに隙を大きくさせるため、足を払う。崩れかけていた体勢ではいとも簡単に払われ、ゼノラックスは屋根から落とされた。
落ちていくゼノラックスに向かって矢を降らせるが、それは魔素で躱されてしまう。予想通り目の前に現れたゼノラックスを、砂鉄の触手で掴んだ。
「ぐッ……」
「後ろががら空きですよ」
降らせた矢が、戻ってくる。それは真っ直ぐゼノラックスを捉えて、その体を貫き───
しかしゼノラックスは魔素で掻き消え、ゼロの視界内の屋根へと移動していた。
「便利ですね。その魔素」
「俺のなンだから当然だろ」
矢を放つ。ゼノラックスが避けても、ゼロか指先をくいっと曲げるだけで方向を変えるそれは、さながら獲物を追いかける獣のようで。
高度な追尾性能に舌打ちをしたゼノラックスは、徐に屋根を掴む。そしてそのままべりべりと木材ごと引き剥がして縦に立てると、盾にした。
ぐさぐさと屋根だったものに突き刺さる矢を抜きつつ、ゼロは歯噛みする。
──どこまで馬鹿力なのですか。
屋根だったそれが投げられる。すぐにゼノラックスが隠れてしまうほどの大きさのそれは、速度も乗っていて回避しきることができない。
飛び上がったはいいものの下半身に直撃し、巻き込まれて吹き飛ばされる。
耳元で唸る風と下半身にかかる重圧に、対処が追いつかない。
逃れることができず、屋根に巻き込まれたまま時計塔にぶつかる。石の壁が衝撃をそのまま伝えてきて、思わず呻いた。
「うっ…!」
ずりずりと背中が擦れて落ちていく。チカチカと点滅する意識は、受け身を取ることすら許してはくれない。
──意識レベルが低下中。一撃だけでここまで損害を出されるとは。
(…………)
気持ちの悪い浮遊感。胃が浮くような感覚。早急に意識レベルの修正を行い、なんとか認識速度の遅延のみまで回復させた。
手から砂鉄を出し、落下地点の瓦に先端を固定、そのまま砂鉄を伸縮させて空中で体勢を整えると、すとりと足を着く。
だが一瞬も置かずにそこから飛び退くこととなった。
「このっ……!」
激しい爆音とともに飛散する瓦。丁度ゼロが立っていたところに投げ込まれたのは、直径3メートルはあろうかというほどの分厚い鉄骨。それが、200キロは優に超える猛スピードで叩きつけられたのだ。
いくらなんでも、あれを喰らっていたら痛みすら感じる間もなく死んでいた。背中に流れる冷や汗に、ゼロは息を呑む。
「ちョこまかと逃げンなよ」
「…回避行動、と言ってもらいたいですね」
「あー?変わンねェだろ」
民家にめり込んだ鉄骨の上に降り立ち、至極鬱陶しそうに宣うゼノラックスに生意気を返しつつ、ゼロは自身の圧倒的な不利と力量不足を痛感する。
かすり傷と軽度の打撲のみのゼノラックス。かたや、肩を切り裂かれ全身に打撲を負ったゼロ。
遠距離に持ち込んでも崩され、圧倒的な力でじわじわと追い込まれていく。ゼノラックスの戦法自体はひどく愚直で捻りがほとんど感じられないものばかりだが、問題はあの力だ。
常人であれば武器にしようとするどころか、持とうとすら思わないであろうあの鉄骨を平気で投げつけ、にも関わらず疲労の兆候見せていない化け物級の体力には、対処策が思い浮かばない。体力を削ろうにも、持久戦ならばこちらが負けるのは目に見えている。
「…で?降参か?」
「誰がするものですか」
「負けず嫌いめ」
「こちらのセリフです」
瓦が投げられる。風を切り、空間を裂くそれらはさながら嵐のようで。
満足に矢の形すら形成せずに放つ砂鉄の棒で砕いていく。硬い音を立てて粉砕されて破片が散らばる。手数では魔素で弾を作成できるゼロに分があったので、瓦のみならずゼノラックス目掛けて放つがそれは余裕そうに体を傾けるだけで避けられる。
「いい加減、飽きるぜ」
「……足元がお留守ですよ」
「…!?!?」
ゼノラックスの足元で響いた振動。目を向ければ、足場にしている瓦にヒビが入っていた。慌てて飛び退こうとするも遅く、隙間からはい出てきた砂鉄に足を捕らわれる。ならば、と魔素で消えようとするが、砂鉄の動きの方が誤差範囲であれど早かった。
砂と木片を巻き上げて屋根を突き破って出てきた歪な砂鉄の剣が、ゼノラックスの足と肩を切り付ける。
ゼノラックスは消え、別の屋根へと現れたが、彼が元いた場所には血がぼとりぼとりと落ちていた。
「……ッ、てェ……」
右脚の脹ら脛と右肩から、とめどなく血が流れ出している。ゼノラックスの白い衣服とジーンズがみるみるうちに赤黒く染まっていった。じくじくと傷口が痛む。刀が持てぬほどではないが、右手に力が入らない。
「……ちッ…」
右手の包帯を解くと、素早い手つきで右肩に巻いていく。それを見計らい砂鉄を飛ばしたが、屋根から飛び降りられて姿を見失ってしまった。
「おっ……とっ!」
包帯を巻いていたのですぐには来ないだろうとどこかで油断していたら、突如ゼノラックスは目と鼻の先に現れる。
ぶぉん、と刀の切っ先が目の前を過ぎった。風圧が瞳に直撃して生理的な涙が滲む。
視界がぼやけたのを察したのか、ゼノラックスはゼロの腹に蹴りを加えた。
「ぐっ、あっ…!」
内蔵物が圧迫される。みしり、と腹の中にある機械が音を立てた。その程度の衝撃はすぐに自動修復されるが、痛みは消えない。
ゼロは2メートルほど飛ばされて、地面に落下した。砂鉄すら出せず背中を大きく打つ。腹と背の両方から挟まれる圧に呻いた。
「っ…終わり、ですか」
首元に添えられる刃。斬れはしないが、金属特有の冷たさが伝わってくる。見上げれば、逆光となったゼノラックスの影がこちらを見据えていた。所謂詰み状態。
ゼロは負けを認めざるを得なかった。エリカが訓練終了を宣言する。それを聞くと、ゼノラックスは刀を引いて跨いだ状態から退いた。
(…終わった今更になって思いますが、あの鍔迫り合い…加減されていたのでしょうね)
おそらく、ゼノラックス自身に手加減していたという意識はないのだろう。当然舐めていたということでもなく、無意識に対戦相手の力量を計ろうとしていた。
──だから…ここを凌いでいたとして、もう一度刃を交えていれば、圧倒されていたのでしょうね。
(未熟ですね、ボクは。ミーアに合わせる顔がありません)
開戦前はあのゼノラックスが相手だからとどこかで下に見ていたのかもしれない。だが蓋を空けてみればどうだ。このザマである。
無性に自己嫌悪と恥に苛まれる。余裕をこいていたのにぼろ負けとは、かませにすらなっていない。
完封まではされていないが負けは負けだ。たかが訓練、しかしされど訓練。それは覆しようのない事実で、少しずつ修復されていっている肩を意味もなく触りながら罰が悪そうに瞳を伏せた。
「二人の力量はよく見せてもらった。まずは手当てを」
エリカが手を仰げば、ぱたぱたとこちらに数人が駆け寄ってくる。
どうやらそれはアンドロイドのようで、左目の下に刺青が入っていた。とはいえ黄色の刺青が入れられている者はおらず、単なる大量生産の市販アンドロイドだということが見て取れる。
アンドロイド達は白衣を着ており、救急箱らしきものを腕に抱えていることから医療担当なのだろう。
「肩をお見せください」
僅かに機械音の混じった音声。ゼロとは違い滑らかな肉声とは言い難いそれは、完全に機械で構成されたアンドロイドなのだとよくわかる。
言われた通りに肩を出せば、自動修復の具合を見ながら包帯を巻かれた。
「いッてえェェ!!!やめろォ!!!」
「ゼノラックス。お前には自動修復機能など備わっていないのだから大人しくしていろ。間違ってもそれらを壊してくれるなよ」
ゼノラックスが痛みに悶えている。今にも逃走しそうな彼をエリカは窘めながら、なにかを紙に記入していた。
止血をされて局部麻酔を打たれて、傷口を縫われていっているゼノラックスを見ていると、ふと視界の端に人影が映る。
見ると、ミーアらが走り寄ってきている最中だった。
「治療を終了します。できるだけ腕を動かさないでください」
「ありがとうございます」
「ゼロー!怪我はー!?」
ぺこりとお辞儀をした医療アンドロイドは下がっていく。こちらも一つ礼を言って、焦った声音で呼び掛けてくるミーアに向き直った。
「損傷はこの通りです。どれも、自動修復可能な範囲ですので問題はありません」
「よかったぁ……。模擬戦闘訓練なのに、二人とも殺し合う勢いで戦っていたから気が気じゃなくて…」
「……あの、ミーア、ハイドランジア。敗北してしまい、申し訳ございません」
至極申し訳なさそうな表情で謝罪をされるものだから、ミーアとハイドランジアは互いに顔を見合わせると疑問符を浮かべた。
「あの…」
二人がそんな様子なものだから、ゼロは戸惑いがちに声を掛ける。
それを見兼ねて、エリザベートが間に入った。
「ゼロさんは、負けてしまったことで貴女たちに恥をかかせてしまったと思ってるのよぅ」
「えっ、えっ!?恥!?」
「恥なんて……別に、これは模擬訓練だし……死ななくてよかったとは思ったけど……」
「あの…ボクは、敗北してしまったことでマスターであるお二人の威信を傷つけてしまったのですよ?」
「威信って…そんなのそもそもないし、重傷を負わなかっただけ、安心したよ」
「あのねぇ、ゼロさん。貴方はゼノラックスを相手によくやったわよぅ。あの子はね、本当に強いのよ。そんなゼノラックスをそれなりに追い詰めただけでも、貴方はすごいのよ?それに、ミーアさんとハイドランジアさんはそもそも勝敗に重きなんて置いていなかったわぁ。貴方、少し自己嫌悪しすぎね?」
呆れたのか、エリザベートが仁王立ちで見上げてくる。彼女の説教にゼロは口を噤むしかなかったが、内心では納得がいかない。納得がいかないというより、理解ができない。
──敗北するような駄目な従者に、一切失望しないなんて。ボクは挑発をした相手に負けるような無能さだというのに。
「そんなへこんだ表情をしないのよぅ。今日は、少しここで休んだらお家に帰りなさい」
「…はい」
未だ沈んだ色合いのままなトパーズに、エリザベートはやれやれと腕を上げた。
**
湿気が蔓延する薄汚れた一室。血と何かが混ざったような異臭が立ち込めるこの空間は、異様の一言に尽きた。
電気椅子、拘束台、刃物に薬物。血腥い器具が、文字通り血に塗れて散らばっている。
拷問部屋、その言葉が相応しいそこは、まさに拷問を行うための隔離された空間だった。
「が、ぁあ!!!」
野太い悲鳴が反響する。喉から絞り出されたようなそれは、水分が足りていないのかひどく掠れていた。
椅子に体を縛り付けられている男は、目の前の者に蹴りを入れられる度に、そうやって声を上げる。
ごすっ、ごすっ、鈍い音とともに、時々ごきりと骨が折れる音が混じる。すると、吐瀉物に塗れた口から尚更大きな苦悶が漏れるものだから、常人は聞くに絶えないであろう。
「げ、げぁ、ぇ」
べちゃりべちゃりと口から流れ落ちる唾が、無機質なコンクリートの床を汚す。
男が腹に巻かれている縄が食い込むのも構わずに項垂れたものだから、乱雑に削ぎ落とされた右耳が薄ぼんやりとした光に照らされて露になった。
「が、ぁ、あ!!」
男に息を整える暇も与えず、鋭い蹴りが再度腹部に叩き込まれる。めりめりと、内蔵すら圧迫するそれに、男は目をひん剥いて血を吐いた。
2、3度同じやり取りをし、漸く収まったかと思えば髪を掴まれて顔を上げさせられる。
加虐者の瞳には、男の無様で窶れてボロボロとなって痩けた顔が映っていた。
「吐け」
「ぁ、ぁ」
口をはくはくさせて抵抗の意思を見せれば、加虐者の空いている拳が胸部に捻りこまれた。
心臓を圧迫するそれには悲鳴を上げることすらできない。目が零れ落ちそうなほどに見開き、掠れた息を漏らし、涙を流す。
「吐くまで死なせない。死にたかったら吐け」
「ひ、ぃ」
死んだ方がマシとすら思える地獄の時間。早く死にたい、早く殺してくれと願いながら耐え続けていた。しかし、加虐者は殺してなどくれはしない。
彼が求めている情報を吐くまで、こうして生きながらにいたぶられ続ける。
この世にこれ以上の地獄があるだろうか。この世に、この者以上に血も涙もない鬼がいるだろうか。人を人とも思わない、外道が存在するのだろうか。
──あぁ、この"おに"をうみだしのはわれらだったか。ひとみのしたの、ばんごうがものがたっている。われらは"おに"をうみだし、"おに"はわれらにきばをむいた。あぁ、こんなものがいわゆる"せいぎ"のためにうごいているなんて、おかしいよのなかだ。
「そろそろ言ってくれないと疲れてくるんだけどな」
淡々とした声音と共にまた一つ、蹴りが入れられる。それでもげぇげぇと嘔吐くだけの男に痺れをきらしたのか、加虐者は少し移動すると、血錆のついたナイフを手に取った。柄まで血で汚れたそれは、一切研がれていないのか刃こぼれまでしている。
得物を片手で弄びながら戻ってきた加虐者は、すっと左耳にその刃を当てがった。ひやりとした嫌な冷たさが、耳から伝わってくる。どばりと汗が吹き出た。
「まるで言葉が聞こえてないかのようだし、こっちも切除したって構わないよね」
「ふ、ふ…」
ちくりと走った痛みに、息が荒くなる。もう限界だった。恐怖が止まらない、早く解放されたい、死なせてほしい。
気づけば、我先にと飛び出してくる音が喉の奥から溢れ出ていた。支離滅裂で、客観性の欠片もないなり損ないの情報が、男の口からぼろぼろと出てくる。
すると加虐者は、刃を退けて質問を繰り返し始めた。躊躇せずに、己の持つ限りの情報を包み隠さず吐露し、やがてひと息つく音が聞こえたかと思えば、男はもう息絶えていた。
最後に視界に映ったのは、ぼんやりとした中でも美しく靡く加虐者の金糸のような髪だった。
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かつん、硬い靴音を鳴らして立ち止まる。
引いていたキャリーバッグを立てて日差しを遮るように手を翳して見上げれば、懐かしさにほぅ、と息を吐いた。
久しぶりに見た我が家は、全く変わっていない。実に数年ぶりだ。久々に、この家のドアを開けるのだ。
自宅のはずなのにどこかむず痒い緊張を覚えて、意味もなくネクタイを引き締めた。なんの連絡もせずに帰ってきてしまったが、可愛い妹は果たしてどんな顔をするのか、と想像するだけで笑みが漏れる。
さて、妄想もそれぐらいにして家に入ろう。そうやって足を踏み出そうとした瞬間、僅かに躊躇して再度家を見上げると、どこか寂しそうに呟いた。
「ごめんな」