「ミーアあぁ!」

酒臭い息を散らしながらすりすりと擦り寄ってくる男を剥がそうと試みながら、どうしてこうなったのだと遠い目をしたミーアはため息をついた。

「兄さん!いい加減にしてよ!」

「はぁあぁあぁあ、やっぱうちの妹が世界一だなぁ!!」

「気持ち悪いから!!」

ワイン瓶を片手に、頬を赤くしながら酔っ払っているこの男はなにを隠そう、ミーア・シャーロットの兄でありエリート外交官であるエドワード・シャーロットだ。
ミーアと同じ色の髪、瞳、スラリと伸びた背は高く、顔も悪くない。ついでに声もいい(ミーアに擦り寄っている時の気色の悪い猫撫で声は除く)。
なるほど、いい意味でも悪い意味でもミーアに聞いていた通りの人物だと、ゼロは白い目で見た。
さて、何故エドワード・シャーロットがここに居て悪質な酔っ払いと化しているのかと言えば、数刻前に遡る必要がある。










ミーアが城に赴き、ゼロが夕飯の仕込みをしていた時のこと。日常と化した家事を淡々とこなしていると、玄関の鍵が開けられる音が聞こえた。

「…ミーア、でしょうか。早いですね」

まだ昼間だ。彼女が帰ってくるには早すぎるが鍵を持っているのなんて彼女ぐらいで。昼上がりの日とは聞いていないが、今日は早く終わったのだろうか。出迎えようと玄関へ向かえば丁度ドアが開いたところで。

「えっ」

「お?」

茶色の短髪、小洒落た眼鏡を掛けた男が開いたドアの隙間からその顔を覗かせていた。
男も戸惑っているようだが、ゼロも同様だ。互いが互いを誰だと言いたげに訝しむ。が、男の方はなにかに気付いたらしくドアを引いた。

「えっと…」

「アンドロイド?いつの間に…」

ゼロの目の下を見て一人で合点が行ったのか、ぼそぼそと呟きつつも中に踏み込んでくる男に、どうしたものかとゼロは判断に迷っていた。
泥棒や空き巣といった感じはしない。堂々と入ってくるところから見てもそういう類のものではないみたいだが、ならば誰なのだろうか。というより、ゼロの姿を完璧に見られてしまったが大丈夫だろうか。

「ミーアは仕事か?」

「えっ、ええ…」

「ほーん、じゃあ寝るかな」

ミーアのことも知っている。それに、呼び捨てということはそれなりに親しい間柄なのだろうか。
男は羽織っていたコートをソファの背もたれに放り投げ、引いていたキャリーバッグを壁に立て掛けるとそのままソファに横になってしまった。どうやら本当に寝る気のようだ。
腕を目の上に乗せて完全に熟睡体勢に入る男を呆然と見つめて、ゼロは慌てて質問する。

「あの、貴方は一体」

「エドワード。エドワード・シャーロット。ミーアの兄だよ」

腕の影からちらりと、蜂蜜を思わせるような甘い色をした瞳を覗かせて男はエドワードと名乗った。束の間瞼を閉じて、数分で規則正しい寝息が聞こえてくる。ミーアの兄を自称した彼を叩き起すこともできず、行き場のない腕が宙をさ迷った。仕方なしに男が眠っている間にレジスタンス用の呼式でミーアに連絡を取ると、彼女は大層驚いていた。どうやら帰ってくるなんてことは一言も聞いていなかったらしい。
ミーアは、言い訳は考えるからとりあえずゼロはただのアンドロイドのフリをしていてくれと言い、なるべく早く帰ると言い残して呼式を切った。
仕方がないので、ゼロもただのアンドロイドのフリをするべく少しだけ他の家事用アンドロイドについて調べた。
そうして、夕刻にもなる頃にのそのそと起きてきたエドワードと再び言葉を交わすことになるのだが───


「お前、家事用のアンドロイドか。まぁミーアは料理はできてもレパートリーは少ないからなぁ、ちゃんと栄養のあるもん食べてるか心配してたがこの分なら大丈夫だな」

「掃除もちゃんとしてあるな。有能有能」

「酒でも飲むか。海外の珍しい酒を買ってきたんだよ。あ、お前は流石に飲めないよな…ミーアもまだ飲めないし……まぁいいか」

一通りくっちゃべった後に、エドワードは一人で酒を飲み始めてしまった。
一気に洋酒の匂いが室内に充満する。共に酒を飲む仲間がいないからか、行儀の悪いことにワイン瓶から直接ぐびぐびと飲む彼をゼロは少し引き気味に見ていた。
早く帰ってきてくれと切に願いながら、ゼロはミーアの到着を部屋の隅で待つ。



「兄さん!?帰ってくるなら、連絡してよ!」

玄関からミーアの声が聞こえたものだから、ゼロはすぐさまに出迎えと脱出がてら彼女の元へ向かう。

「おかえりなさいミーア…」

「ただいまゼロ。…兄さんは?」

リビングを指させば、ミーアはばたばたと走っていく。その後を追いかければ、酒臭さに鼻を押さえたミーアがドン引きしていた。
既に瓶を2本開けていたエドワードは、のそりと振り向いてミーアの姿を認識すると、にへらと笑って空いている右手を振る。

「おー、ミーア」

「おーじゃないでしょ、兄さん。飲みすぎ!」

「接待ばかりで家に帰った時ぐらいしかこんなにだらけて飲めないんだから許してくれよ。久々だなミーア」

「ほんと久々。今回は何日休みなの?」

「今回はきっちり決まってない。向こうからの連絡待ちだ。ところでミーア、アンドロイド買ったんだなぁ」

ゆらりと指をさしたのはゼロ。そこでミーアはようやく、ゼロをどう説明しようかと思い出した。
まさか本当のことを赤裸々に話すわけにもいかない。かといって上手い言い訳があるのかと言えば実のところそうでもなく。

「えーと、うん…あはは…」

結局、話を合わせるしかなかった。曖昧に肯定し曖昧に笑うというどう考えても長くは持たない方法だが、良い嘘が思いつかないままに時間が流れてしまったのだ。
ゼロがそれでいいのか、と珍しく呆れたような視線を寄越してきている気配がするが、目も合わせられない。

「夜飯も美味かったし、わりと良い家事アンドロイドだな。名前とかつけてあるのかぁ?」

「ゼロだよ」

「どうせ型式番号から取ったんだろ、その名前。ミーアらしく安直だなぁ、そこが可愛いが」

「気持ち悪いからやめてね兄さん」

さり気なく鳥肌が立つような台詞を混ぜてきているが、名前の由来はまさにその通りなので微妙な気持ちになる。
自分の癖やら考えをちゃんとわかっていてくれるのは嬉しくないこともないが、もう少しなんとかならないのだろうか。ゼロの前でそういう言動を取られるのは恥ずかしいことこの上ない。
一緒に居る時間の方が少ないというのにどうしてこうもシスコンになるのか理解に苦しむ。そろそろ妹離れしてもらわないと、純粋に将来が心配だ。

「ま、やっと帰ってこれたし招集が掛かるまではゆっくりさせてもらうかね。あ、オレの部屋の状況ってどうなってる?」

「一応全部屋を掃除はしてあります。物はそこまで動かしていませんし引き出し等は開けていませんので」

「ほいサンキュっと。じゃ、風呂入らせてもらうわ」

空になったワイン瓶を持ってゴミ箱付近に置きつつ、放置していたキャリーバッグの中から衣類を取り出すとエドワードは風呂場へと向かった。
ガチャリと鍵を掛けた音が聞こえた瞬間、見計らったゼロがそそくさと近寄ってくる。

「ミーア…もう少し上手く言い訳をする手筈では…?」

「うっ…ごめん…。色々と考えてはいたんだけど、なんかそこまで凝った嘘をつけなくて…」

申し訳ないと、ミーアは恐縮する。
言い訳を考えてくると言った手前この始末では、謝るしかない。自分でも馬鹿だと思う。

「…とりあえず、エドワードさんは空腹とのことでしたので夕飯は先にお出ししておきました。ミーアも夕飯にしましょう、先に服を着替えてきてください」

「あい…すみません…」

とぼとぼと自室に向かって荷物を置いて服を着替えて出てくると、エドワードが首にタオルを掛けながら椅子に座っていた。グラスを持っているからまた酒でも飲んでいるのかと思ったがどうやら普通の水らしい。
そんなエドワードは、ミーアが来たことに気づくと嬉しそうに笑って手招きをした。

「ほれミーア、土産」

「えぇ…なにこの置き物」

「あっちの国の名産品。それの首捻って開けてみろよ」

「首捻って開けるって…あ、クッキーが入ってる」

エドワードは帰ってくる度にこうして謎のセンスを発揮したお土産を持ってくる。異国の文化に触れるのは面白いが、当たり外れも大きくて大抵引き出しの奥やクローゼットの隅に眠ることになるのだが、今回は当たりのようだ。
猫だか犬だかキリンだかわからない芸術的な置き物の中にクッキーが数枚入っている。食品類は食べられるから良かった。これが本当にただの置き物だったならば、過去の土産とともに仲良く陽の光を浴びることはなくなっていただろう。
自然な流れでゼロにもクッキーを渡そうとして、止まる。普通のアンドロイドは食品を食べられない。

(危ない危ない…ゼロにもいつもの癖で食べさせてるところだった…)

そんな行動をすれば間違いなく怪しまれるだろう。外交官というエリートを勤めていられるぐらいには、この兄は鋭い。違和感を与えれば最後、根掘り葉掘りと聞かれることは目に見えている。
兄は巻き込みたくない。外交官という立場をクビになるのもそうだし、それ以上の罰則が課せられるかもしれない。
兄には、絶対に、なにがなんでも知られないようにしなければ。

「兄さん、明日はどうするの?私は研究補佐の仕事があるから家にはいられないけど…」

「あー、そうだな。久々に大通りでも見て回るかな。店とか色々と変わってるだろうし」

「いいね。そういえば兄さんが好きなシチューの専門店がちょっと前に新しく出来たんだよ」

「へぇ、昼食はそこで取ろうかね。おーいアンドロイド、昼の準備はいいからなー」

「アンドロイドじゃなくてゼロって呼んでよ…」

エドワードの呼び掛けに頷きを返して、ゼロは食器洗いに戻る。背後から和気藹々と聞こえてくる話し声はとても賑やかで、少しだけ疎外感を感じてしまった。
どこか寂しくなるのを、そもそもあの二人は兄妹なのだから当然なのだと己に言い含める。市販アンドロイドのフリをするのだから不用意に会話に混ざることもできないし、そもそもあんなに仲の良さそうな兄妹の中に割って入ることなどそもそも無理だ。
エドワードは勿論、ミーアとてなんだかんだ言いつつエドワードを慕っているのは明瞭だった。

(兄妹…そういえばボクには、きょうだいがいたのでしょうか)

きょうだい、きょうだい。どうしてか、切なさを覚える。懐かしくて悲しいような、そんな複雑に織り交ざった感情が、じんわりと響いた。
それと同時に体内を巡る砂鉄が軋んだ音を立てた気がした。


















「それ、大丈夫なの…?バレない…?」

エドワードが帰宅してきたことをハイドランジアに伝えれば、彼は不安気に眉をひそめた。
その懸念は当然だろう。ミーアとて、エドワードとゼロを二人っきりにさせることを心配してやまないのだから。
昼前にはエドワードも家を出るとは言っていたので長時間二人ぼっちにはならないだろうが、そうしても不安で堪らない。少なくともゼロはミーアよりも誤魔化しが上手いだろうが、それもいつまで通用するか。
それに加えて、エドワードは今回それなりに長期休暇となりそうだ。普段は3日程度滞在してまた外交官の仕事に戻るのだが、よりによってゼロがいる今回は日数未定の長期休暇。通常ならば手放しで喜べることも、不安材料にしかならなかった。

「……僕も、暫くは行かない方がいいよね…………」

「あー…ハイドの場合は別の意味で面倒臭くなりそうだから、控えてもらいたいんだけど…。うーん、ゼロのこともあるからそうも言ってられないし」

「別の意味…?」

「や、それはくだらない理由だからあんまり気にしなくていいよ」

「…??…そう?」

今思ったが、レジスタンスにも行けなくなるのではないだろうか?
エドワードが家にいるということは、夜に出てったら絶対に追求される。外交官だけあって対話で敵に回すとそうそう逃れることはできない。
──レジスタンス、どうしよう。

「ね、ね、ハイド…。レジスタンスに暫く行けない」

「あー……僕があっちには伝えておくよ……。でも、ゼロを連れてこいとか言われたらどうしようかな……」

「明日は昼上がりだから、タイミングが合えば少しは向かえるだろうけど…うん、…ごめんハイド。あっち側によろしくね」

思ったよりも弊害が大きい。エドワードという要素を全く警戒していなかったわけではないが、想像していたよりも行動が制限される。
それでも邪険にできないのは、やはり兄妹だからだろうか。無事に何事もなく切り抜けられるように手を合わせるしか出来ないのがもどかしい。

「あっ、ところでハイド────寝てるし…」

試薬のことについて聞こうと振り向けば、いつの間にやらハイドランジアは瞼を閉じて寝息を立てていた。
座った体勢で机に突っ伏しているものだから、よだれを垂らしても大丈夫なように周囲の書類を退けてあげて、無造作に放ってあったタオルケットをかけてやる。
勤務時間中に居眠りとは珍しいこともあるものだと思ったが、確かにここ最近は色々なことがありすぎた。いくらハイドランジアといえども疲れは溜まるのだろう。眉間に寄った皺がそれを物語っている。
寝かせておいてあげよう、試薬のことはまた聞けばいい。

「ふー……とりあえず、ラットの経過観察行って…あとは報告書かな」

クリップボードに挟んである書類には3つの試薬経過が書かれてある。どれも遅効性らしく、未だに効果が表面には現れていない。だがそのうちの1つはラットの様子を見るに、もう少しで表出しそうなので観察頻度を上げた方が良いだろう。
ぺらぺらと紙を捲りながら廊下を歩いていたところでふと視界に黒い靴先が映る。

「あなた、ミーア・シャーロットね?」

「……?はい、そうですが…?」

「わらわ、あなたのことを一目見ておきたかったのよ?わらわの興味を引けたこと、有難く思いなさい?」

「……えっと、あなたは?」

随分と尊大な態度で不敵に笑う女の子は、どう見てもまだ子どもだった。黒地に紅い薔薇の装飾があしらわれたボンネットに同じく紅くて長い髪。それはツインテールにされており、毛先が大きく巻かれている。
黒と白を基調としたフリル多めのその服は、エレインに負けず劣らずの派手さを醸し出しているが不思議と似合っている。
エリザベートよりは年上だろうが、おそらくそう変わりはしないだろう。そんな幼さを残す少女だった。

「あら、わらわに名を尋ねるなど不敬ね?でもいいわ、わらわは寛大だから無礼な振る舞いも許してあげるのよ。ほら、これをさしあげるわ」

「…薔薇?」

結局名を名乗る気は無さそうな少女が差し出してきたのは血のように紅い薔薇。いつの間に持ってたのやら、ひとまずそれを受け取ろうと手を伸ばす。
しかし、ひらひらと迷い込んできた蒼い蝶によって手は止められた。

「なにをしているのです、キュー」

数度聞き覚えのある声。少女の背後には、いつの間にかイミーディアが立っていた。
イミーディアが薔薇に手を翳すと、蝶が離れて彼の元に戻ってゆく。少女の手には、鮮血の紅が見る影もなく萎れた薔薇の残骸が残っていた。
それを見た少女は不満げに頬をぷくりと膨らますと、薔薇の残骸を放ってイミーディアに抱きつく。

「もう、少し戯れていただけじゃない!わらわの邪魔をするだなんて、貴方様じゃなきゃ殺していたわよ!」

「どこが戯れですか、私が来なければ毒殺するつもりだったでしょうに」

「だってだって、どんな輩か気になったんだもの!でもわらわは特に魅力を感じなかったわ!」

「はぐれたかと思えば、そのような余計で益にならないことを…」

「うっ…うぅ…そんな目で見ないでちょうだい…。貴方様に嫌われたら、わらわは…わらわは…!」

目の前で繰り広げられる会話劇には当然ついていけない。毒殺やら不穏な単語が聞こえたかと思えば急に泣き出した少女に、ミーアは厄介事に巻き込まれたと瞬時に悟った。

「キューが申し訳ありません。彼女が差し出した薔薇には触れていないですね?」

「えっと、触ってないです…」

宙に伸ばしたまま静止していた右手を取られてまじまじと眺められる。もう詳細を聞かずとも、あの薔薇に触っていれば毒に侵されるということは理解できた。
どこにも傷はないと見たイミーディアは手を離すと、さらに傍に寄って耳打ちをしてくる。

「彼女が戯れに手を出してしまったので申しますが、彼女もレジスタンスの一員で会合参加者です。コードネームはキューと言いますが、できれば彼女と会ったこと自体を内密にお願いしたいのです」

「それは…はい、わかりました…」

「レジスタンスに参加していただいたばかりだというのに身内が申し訳ありません。キューだけではなく私が城にいたということもご内密に。本来はこの姿を城でとる気はなく、私もキューも表の身分としてこちらに来訪しましたので」

まさかキューという毒殺を試みてきた彼女も会合メンバーだったとは。加入早々に身内に毒殺されかかるという肝の冷えることは起こったが、助けてくれたイミーディアの頼みは一応聞き入れておこう。これで貸し借りはナシだろう。
表の身分ということはイミーディア、キューではなく一貴族として城に来たのだろう。それはつまり城と関連する職業なのだろうが、深い詮索は止しておく。お互いの為にならないだろうから。
ここが研究棟という人気の少ない場所だから助かった。おそらくキューがそのような場所を選んだのだろうが。
そもそも何故、キューはわざわざミーアに興味を持って会いに来たのだろうか。毒殺は会話を思い返すに、会ってみたはいいものの特に魅力もなにも感じなかったからという後付けの理由だろうし、一体何故?

「もー!!!そんなにその女とベタベタしないでくださる!?!?!?」

「静かになさい、キュー。元はと言えば貴女の行いが発端でしょう。…騒ぎ立ててすみません、私どもはそろそろ行かせてもらいますね」

「なによー!!!!イミーディアー!!!!」

結局、キューがミーアに興味を持った切っ掛けは聞けなかった。左手を握られてずるずると引き摺られていったキューはとても不満げで不機嫌で、嵐のようだったと例えるのに相応しい。
この数分でどっと疲れが溜まった。訳もわからず始まって訳もわからずに終わったこの騒動に、自分がなにをしたのだと神に恨めしく思う。